『ドリトル先生の野球』




             第一幕  阪神タイガース

 ドリトル先生はこの時研究室でデイリースポーツという新聞紙を読んでいました、そのうえで皆に言われました。
「またその新聞読んでるんだ」
「デイリーだね」
「先生いつもその新聞読んでるね」
「毎日読んでるよね」
「家にも取ってるし」
「うん、日本の新聞はね」
 どうかというお顔になって言う先生でした。
「酷いけれどね」
「そうした新聞多いっていうね」
「先生も言ってるしね」
「ネットでも話題なのよね」
「あんまりにも酷い新聞が多いって」
「普通新聞は嘘を書かないよ」
 それが決まりだというのです。
「それでもね」
「日本の新聞は違って」
「平気で嘘書くのよね」
「しかもその嘘の責任を取らない」
「先生いつも言ってるね」
「捏造って言うけれど」
 その嘘の記事を書くことはというのです。
「これがあんまりにも多いし」
「じゃあ下手に読んだら」
「騙されるわね」
「それでとんでもないことになって」
「それでよね」
「信用出来なくなるね」
「そうだよ、日本のマスコミを信じたら」
 それこそというのです。
「大変なことになったりするから」
「騙されて」
「そうなって」
「それでだね」
「捏造、これは意図的にやってるから」
 つまりわざとだというのです。
「知らなくて真実を言っていないのと知っていて嘘を言っているのは違うね」
「全くね」
「前者はまだいいけれど」
「後者は最悪だよね」
「完全に悪事だね」
「どう考えても」
「それが日本のマスコミでは普通にやる人が多くて」
 先生はさらにお話します。
「テレビもだからね」
「新聞もテレビも信用出来ないんだね」
「イギリスのマスコミ以上に」
「日本はそうなのね」
「日本のマスコミは」
「そうなんだ、残念なことに」
 先生はこのことは暗いお顔でお話しました。
「自分達の思惑通りに人や国を動かそうとしてね」
「それじゃあマスコミじゃないよね」
「最早何かの工作機関よ」
「そんなことをしたら」
「もう信じたら駄目よ」
「詐欺師みたいじゃない」
「そう、詐欺行為もね」
 それすらもとです、先生は動物の皆にお話しました。
「平然とするからね」
「詐欺って」
「それはもう犯罪だよ」
「そんなことしたらもう」
「例えば北朝鮮を地上の楽園と言ってたんだ」
 先生は皆にこのお話をしました。
「ずっとね」
「あの国はね」
「地上の楽園じゃないよ」
「どう見てもそうよね」
「あんなひどい国はないよ」
「最悪の国じゃない」
「そうだね、世襲制の独裁国家で」
 先生も北朝鮮についてはこう認識しています。
「テロはやる、国民の人達は餓えていて階級まである」
「とんでもない国じゃない」
「すぐに弾圧とか粛清とかするし」
「強制収容所はあるし」
「まるでこの世の地獄じゃない」
「地上の楽園どころか」
「そうした国なのにね」
 それでもというのです。
「そしてあの国の実態を知っていたのに」
「そんなこと言ってたんだ」
「とんでもない嘘じゃない」
「嘘もそこまでいくと凄いわね」
「そんな嘘あるんだ」
「しかもあの国に行けば幸せに暮らせるとまで言ったんだ」
 その北朝鮮にです。
「そして実際に行って」
「大変なことになったんだね」
「地上の楽園と思って言ったらこの世の地獄だった」
「そんな国に行ってしまって」
「酷いことになったのね」
「文字通りこの世の地獄に入ってしまって」
 そしてというのです。
「誰も生きて帰ってこなかったよ」
「酷いお話だね」
「日本にもそんなお話があるんだ」
「悪魔みたいな行いだね」
「普通の詐欺より酷いわ」
「これは帰国事業と言ったけれど」
 北朝鮮に行くそのことはというのです。
「あの国に国籍のある人や縁者の人達をそう言って送ったけれど」
「それってとんでもないことじゃない」
「犯罪じゃないかしら」
「絶対に許されないことだね」
「何があってもしてはいけないことだよ」
「それを言っていた政治家や知識人の人達がいて」
 そしてというのです。
「マスコミの人達もね」
「言っていたんだ」
「そうだったんだ」
「あの人達も」
「けれどこのことで誰も責任を取っていないどころか」
 先生はさらにお話しました。
「他の人に責任をなすりつけている始末だよ」
「責任取らないとね」
「そんな悪いことしたら」
「それどころか他の人に責任転嫁するとか」
「本当に悪魔よ」
「人間の行いじゃないわ」
「日本のマスコミはそうしたこともしてきたから」
 だからだというのです。
「僕も気をつけているんだ」
「日本のマスコミについては」
「そうしているんだね」
「先生も」
「そうなのね」
「日本はとても素晴らしい国だけれど」
 それでもというのです。
「どの国にも問題があってね」
「日本の問題点はマスコミだね」
「知識人の人達もそうで」
「もうマスコミについては」
「そんな風だから」
「先生もなのね」
「読む新聞は選んでるし」
 それにというのです。
「テレビもね」
「観る番組選んでるんだね」
「そうしてるのね」
「それで今もなのね」
「デイリー読んでるのね」
「日本のマスコミはスポーツ関係もあまりにも酷いからね」
 先生は雲ったお顔でスポーツのお話もしました。
「酷いスポーツ新聞はタブロイドと言ってもね」
「イギリスのより酷いんだ」
「イギリスのタブロイドも酷いけれど」
「もっとなのね」
「あんなものじゃないよ、サンなんてね」
 イギリスのタブロイド紙の代表的なものです、やっぱりお世辞にも質がいいとはとても言えない新聞紙です。
「可愛いものだよ」
「そこまで酷いんだね」
「日本のマスコミは」
「サンが可愛いとか」
「物凄いね」
「特定の球団のオーナーをね」
 先生はこれ以上はないまでに曇ったお顔でお話しました。
「さっきお話した北朝鮮みたいに崇めてたりするから」
「ああ、あそこみたいにっていうと」
「個人崇拝だね」
「そんなことしてるの」
「そうだよ、もう絶対者みたいにね」
 そのオーナーの人をというのです。
「崇めてその人と対する人はね」
「貶めるのね」
「相手の人は」
「そうするんだ」
「だからね」
 それでというのです。
「僕は日本のマスコミは選ぶよ」
「ちゃんと読まないと」
「本当に騙されるから」
「注意しないといけないのね」
「どうしても」
「それでね」
 さらに言う先生でした。
「このデイリーはいいと思うよ」
「何ていうかね」
 チーチーが言ってきました。
「面白いよね」
「阪神を褒めていてね」
 こう言ったのはダブダブでした。
「その愛情に満ちているから」
「かといって他のチームも人も貶めないし」
 トートーもこう言います。
「いいよね」
「本当に阪神が大好きで」
 ガブガブもこのことを知っています。
「その愛情から書いているからね」
「先生も愛読してるね」
「それも毎日ね」
 オシツオサレツも二つの頭でお話します。
「そして楽しんでるね」
「心から」
「確かに」
 ジップも言うことでした。
「読んでいて面白いんだよね、その新聞は」
「日本は一流紙でも嘘書くけれど」
 ホワイティも先生の話から言います。
「デイリーは嘘は書かないからね」
「特に阪神のことは褒めていて」
「嘘じゃないから」
 チープサイドの家族は先生の手元で実際に記事を読んでいます。
「悪いことは書かなくて」
「いいことばかり書いているから」
「こうした記事はいいわね」
 ポリネシアが見てもです。
「何度読んでもね」
「逆にね」
 最後に老馬が言います。
「他の新聞がどれだけ酷いかだね」
「ある新聞はセリーグというかある球団のプロパガンダでね」
 そんな風になっていてというのです。
「パリーグを無視どころか貶めてるから」
「確かサン何とか?」
「さっきのオーナーさんを持ち上げてるのは夕刊何とかで」
「どっちも酷くて」
「読めたものじゃないんだ」
「朝何とかや毎何とかの一流紙も読めたものじゃないし」
 先生は言いました。
「産何とかもスタンスは違っても」
「酷いのね」
「そうなんだね」
「さっきのサン何とかや夕刊何とかはこの新聞社が出してるからね」
 その某産何とか新聞を出している新聞社がというのです。
「そのことを考えたらね」
「こっちも問題なのね」
「朝何とかや毎何とかと同じで」
「読まない方がいいのね」
「そうなのね」
「そうだよ、そして」
 さらに言う先生でした。
「タブロイドで日刊何とかはね」
「特になのね」
「読まない方がいいのね」
「そうなんだね」
「そう思うよ、テレビだと」
 こちらはといいますと。
「この三社の新聞社の系列はどれも駄目かな」
「放送が酷くて」
「それでなんだ」
「観ない方がいいんだ」
「捏造はしているし偏向してるし一方的な編集はいつもでね」
 そうした放送だからだというのです。
「やっぱりね」
「読まない方がいい」
「そうなんだね」
「そっちも」
「本当に日本のマスコミは酷いよ」
 またこう言う先生でした。
「世界各国でも最低レベルじゃないかな」
「それでその中だと」
「デイリーが一番いい」
「そうなのね」
「テレビだとBSでね」
 こちらだというのです。
「後はアニメやドラマはいいね、特撮もね」
「報道とかは駄目なんだ」
「もう観る価値ないのね」
「観ない方がいいのね」
「そう思いながらデイリーを読んでるよ」
 今そうしているというのです。
「こうしてね」
「そうなのね」
「じゃあね」
「これからも読んでいくのね」
「その新聞を」
「うん、しかし阪神は来年どうかな」
 先生はデイリーで心からの愛情に満ちた記事を書いてもらっているそのチームについても思いました。
「一体」
「どうだろうね」
「今年は優勝出来たけれど」
「最近毎年優勝してるけれど」
「それで日本一で」
 そうなっていてとです、皆も言います。
「巨人が最下位なのに対して」
「もう黄金時代だけれど」
「来年は優勝出来るか」
「そのことについては」
「残念ながらどうこうはね」
 こうしたことはというのです。
「僕もわからないよ」
「日本一になったチームが最下位になる」
「こうしたこともあるのよね」
「スポーツの世界では」
「ままにしてね」
「そう、逆に前の年で最下位だったチームが優勝する」
 先生は笑顔で言いました。
「こうしたこともあるね」
「そうそう」
「スポーツの世界においては」
「一年で戦力が全く変わるね」
「そう、だから来年はね」
 今年は日本一でもというのです。
「わからないものだよ」
「野球でもサッカーでもラグビーでもね」
「そうなのよね」
「もう来年は来年」
「今年は今年でね」
「今年阪神は日本一になったけれど」
「来年もそうとは限らないのよね」
 皆も先生の言葉に頷きます。
「そうよね」
「今年確かに阪神は強かったね」
「相変わらずの投手陣だったし」
「打線もここぞって時に打ってくれたし」
「だから勝ったけれど」
「来年はどうか」
「わからないのよね」
 皆も思うことでした、そしてです。
 先生と一緒にデイリーを読みますと本当に阪神タイガースというチームに対しての愛情で満ち満ちています。
 それで皆今度はこんなことを言いました。
「読んでいて癒されるね」
「これ以上はない位に」
「本当にいいわね」
「この新聞読んでると落ち着くわ」
「どんな時でも元気になれるね」
「阪神ファンの人は特にね」
「元気になれる新聞ね」
 皆も実感することでした。
「これだったらね」
「ずっと読めるね」
「阪神ファンでなくても読めるわ」
「ここまで愛情を感じる新聞なんて他にないから」
「悪意なんてないから」
「そう、悪意を読むと」
 先生はこの感情については暗いお顔でお話しました。
「どうしても嫌な気持ちになるね」
「見てもね」
「悪意が出ている人のお顔って醜いしね」
「あんな醜いものないし」
「捏造とか悪意以外の何物でもないし」
「そういうのを平気で出す新聞よりはね」
「デイリーはどれだけ素晴らしいか」
 先生は心から言いました。
「そうだね」
「全くだよ」
「まさに先生の言う通り」
「本当に悪意ばかりの新聞やテレビなんて願い下げだよ」
「捏造とか偏向とか」
「デイリーにあるものは愛情だよ」
 こちらだというのです。 
「まさにね」
「だよね」
「じゃあ読んでいいね」
「心がよくなるから」
「それじゃあ僕達もね」
「読んでいこうね」
「うん、しかし阪神は」
 先生は今度はこのチームのお話をしました。
「毎年投手陣がいいね」
「そうそう、阪神ってね」
「ダイナマイト打線っていうけれど」
「実は投手陣のチームで」
「毎年チーム防御率がいいよね」
「いつも十二球団一だね」
 そこまでいいとです、皆も言います。
「こと投手陣はね」
「毎年いいんだよね」
「先発、中継ぎ、抑えがちゃんと揃ってて」
「打たれることは少ないね」
「弱い時の阪神の負け試合なんかは」
 そのゲームはといいますと。
「一対〇、二対一、三対一、三対二とかの点数が多いんだ」
「折角ピッチャーが抑えるのに」
「打線が打たなくて」
「それで負けてたのね」
「弱い時は」
「そうだったのね」
「それでもその負ける姿もね」
 阪神のそれもというのです。
「華があったけれどね」
「そうなんだ」
「それじゃあね」
「ここはね」
「やっぱりね」
「それでいくね、しかし」
 こうも言う先生でした。
「強くても弱くても投手陣がいいことはね」
「それはいいことだね」
「実際にね」
「それだけで戦力として安定するから」
「申し分ないよね」
「それだけで」
「そう、投手陣がいいか悪いか」 
 そのことがというのです。
「野球にとって重要な要素だね」
「一番重要っていう人もいるね」
「何といってもピッチャーだって」
「ピッチャーが悪いと駄目って」
「そう言う人までいるね」
「そう、それとね」
 先生はさらにお話しました。
「阪神は代々名投手も多いしね」
「そうそう、江夏さんとか村山さんとか」
「小山さんやバッキーさんもだし」
「井川さんや藤川さんもだね」
「昔は若林さんって人もいたね」
「右投げの人も左投げの人もいて」
 そしてというのです。
「正統派も技巧派もいるね」
「川尻さんや葛西さんみたいな変則派も個性的だよね」
「特に中継ぎに揃ってるよね」
「もう全然誰にも打たせない」
「そんな人が多いね」
「そして期待の人材が入ると」
 ドラフト等でというのです。
「育てることも上手だね」
「そうそう」
「そっちのこともね」
「阪神はピッチャーの育成上手な方だね」
「助っ人の人もいい人が入るし」
「トレードで入った人も」
「とにかくピッチャーがいいことはね」
 このことはというのです。
「それだけで有り難いことでね」
「阪神はもうその時点でだね」
「強みがあるんだね」
「いつもピッチャーがいいことは」
「確かに来年はわからないよ」 
 先生はここでも自分のお話をしました。
「けれどね」
「それでもだね」
「阪神のピッチャーは揃ってる」
「そのことは事実だよね」
「嬉しい事実だよ」
 笑顔で言う先生でした。
「すっとそうであって欲しいね」
「全くだね」
「というか野球って本当にピッチャー重要よね」
「まずピッチャーがどうか」
「そうしたスポーツよね」
「そう、これは野球やソフトボールの特徴で」
 それでというのです。
「ピッチャーをやる人がまずね」
「才能を見られるのよね」
「まずピッチャーは一番才能がある人」
「そう言われてるわね」
「そうだよ、若しもね」
 こうもお話する先生でした。
「幾ら打線が強くてもね」
「ピッチャーが弱いとね」
「そうしたチームは最後に負けるよね」
「日本一になっても強い時期は短かったり」
「そんな風だね」
「どうもね、打線が看板のチームは案外ね」
 強いことは強いにしてもというのです。
「連覇とかしにくいみたいだよ」
「打つことはよくても」
「それでなのね」
「ピッチャーが悪いと打たれるから」
「そうした風になるから」
「打った分より打たれたりして」
「それで負けるのね」
 動物の皆も納得して頷きました。
「例え日本一になっても」
「連覇はしにくくて」
「投手陣がしっかりしてないと」
「本当の強さとは言えないのね」
「理想はね」
 野球のそれはといいますと。
「投手陣も打線も強くて」
「投打だね」
「その二つが揃って」
「それだけじゃないんだね」
「まだ」
「そうだよ、そこに野手陣の守備に」 
 これにというのです。
「機動力もあるとね」
「完璧なんだね」
「その時は」
「そうなるのね」
「流石にこうしたチームは少なかったよ」
 野球の歴史においてもというのです。
「確かに今の阪神は総合力があるけれどね」
「ちょっと投手陣偏重?」
「そうかもね」
「打線も強くてね」
「守備もそこそこで走れる人もいるけれど」
「それでも」
「うん、投手陣が物凄く強くて」
 今の阪神もそうだというのです。
「そしてだね」
「言われてみればね」
「今の阪神もそうよね」
「滅茶苦茶強いけれど」
「その軸はあくまで投手陣」
「十二球団でダントツと言われてるね」
「あの投手陣からはそうそう点を取れないからね」
 先生もその阪神の投手陣についてお話します。
「だからね」
「強さの軸だよね」
「まさに」
「そうだよね」
「あのチームは」
「そうだよ、あのチームの強さは」
 まあにというのです。
「投手陣だよ、総合力が高くても」
「その軸はね」
「あくまで投手陣」
「あの物凄く強力な投手陣があって」
「後に打線と守備、走塁があるのよね」
「二点取るのがやっとで」
 阪神投手陣からというのです。
「三点を取るのは至難だとね」
「難しいよね」
「勝つこと自体が」
「どうしても」
「そうよね」
「投手陣がとにかく強いチームで打線や守備は強いという程度だね」
 確かにいいことはよくてもというのです。
「あくまで」
「ううん、言われてみると」
「それなりに強かったりよかったりしても」
「滅茶苦茶いいっていう程か」
「そこまでいかないかも」
「そう、全てのジャンルで極めて高いレベルだったチームは」
 そうしたチームはといいますと。
「八十年代後半から九十年代前半の西武ライオンズかな」
「ああ、あのチームね」
「埼玉のチームだね」
「パリーグでユニフォームが青い」
「あのチームだね」
「その頃の西武は」
 それこそというのです。
「とんでもない強さでね」
「それでだったんだ」
「投手陣も打線も物凄くて」
「守備も走塁も」
「どれもとんでもなかったんだね」
「総合得点では今の阪神が上かも知れないよ」
 ここでこうも言った先生でした。
「とにかく投手陣が桁外れだからね」
「やっぱり今の阪神の方が強いんだ」
「あの頃の西武よりも」
「そうかもね、ただね」
 それでもというのです。
「あの頃の西武は打線は今の阪神より強くて守備もね」
「そして走塁も」
「その三つでなのね」
「今の阪神より上だった」
「そうだったの」
「もう強過ぎて憎いとまで言われる位で」
 そこまでの強さだったというのです。
「毎年西武百貨店はバーゲンだったんだ」
「ああ、同じ系列だったね」
「西武ライオンズと西武百貨店は」
「あと関東の西武鉄道もそうで」
「ホテルもそうだったね」
「全部同じグループだったね」
「そうだよ、それで西武が日本一になったらバーゲンをしていたけれど」
 同じグループだからこそ応援そして記念かつお祝いでというのです、こうしたこともあるのが商売でしょうか。
「もうね」
「毎年日本一だったから」
「毎年バーゲンだったのね」
「秋になると」
「日本シリーズの頃は」
「それでバーゲンに行く人達は喜んでいたけれど」
 それでもというのです。
「ファンじゃない人はこう言ったんだ」
「どう言ったのかな」
「ファンじゃないなら大体察しがつくけれど」
「何て言ったのかな」
「もう西武の日本一は見飽きたってね」
 その様にというのです。
「言った人がいた位だよ」
「もう毎年西武ばかり日本一だから」
「ファンじゃない人はそう言ったのね」
「気持ちわかるね」
「本当にファンじゃないのに毎年西武ばかり日本一とか嫌になるかも」
「バーゲンに行かないと余計に」
「本当にね」
 実際にと言う先生でした。
「そうした人がいたらしいよ」
「確かに同じチームばかりが日本一だと」
「嫌になるかも」
「ファンじゃない人から見れば」
「どうも」
「そうだろうね、今の阪神は十連覇を目指しているけれど」
 あの悪夢の如き巨人の九連覇を超えようというのです、日本のプロ野球史における暗黒時代と呼ばれているあの悪夢を。
「巨人ファンは嫌がってるね」
「そうだよね」
「というか巨人ずっと最下位だしね」
「もう十年連続?」
「十年連続百敗してるし」 
 そのうえでの最下位なのです。
「それじゃあいい加減ね」
「優勝したいとか思うかな」
「せめて最下位脱出とか」
「そうね」
「まあね、今の巨人がまずすべきことは」
 それは何かといいますと。
「百敗しないことだろうね」
「だよね、何といっても」
「十年連続最下位も凄いけれど」
「十年連続百敗なんてないよ」
「勝率一割台脱出だね」
「エラー二百とか防御率七点台とか」
「チーム打率も一割台でね」
 それが今の巨人なのです、圧倒的に弱いです。
「特に阪神に弱くて」
「去年一勝だけだったっけ、阪神に」
「二勝じゃなかった?」
「もう巨人銀行だよね」
「そうまで言われてるよね」
「巨人を見ているとね」
 こんなことも言う先生でした。
「驕る平家は久しからずという言葉を思い出すよ」
「日本の諺だよね」
「慢心して偉そうにしているとすぐに落ち目になる」
「そういうことだね」
「実際に平家が驕っていたかはともかく」
 このことは置いておいてというのです。
「平家が栄華から没落したのは事実だね」
「平家物語ね」
 ポリネシアが言ってきました。
「それは」
「日本の古典だね」
「そうよね」
 チープサイドの家族もお話します。
「このお話は」
「そうだったね」
「平家が栄華から滅亡に至って」
 トートーは悲しそうに言いました。
「そして源義経さんもね」
「木曽義仲さんもそうで」
 ダブダブもこの人の名前を出します。
「栄華を極めても」
「結局は皆落ちていって」
 ガブガブの言葉は悲しい響きがあるものでした。
「去っていく」
「仏教の思想があるんだよね」
「そう言われてるね」
 オシツオサレツも二つの頭でお話します。
「先生もそう言ってたね」
「この前読んでいて」
「その思想は」
 チーチーの表情も神妙なものです。
「深いよね」
「深くて悲しくて」
 ジップの言葉も神妙なものです。
「考えさせられるお話だね」
「悲しく死ぬまでの人いたかな」
 ホワイティはこのことから思うのでした。
「平家の人達も義仲さんも義経さんも」
「僕もあまり思わないよ」
 平家物語の人達が悲しい結末を迎えていくことはというのです。
「確かに平家の人達や義仲さんはどうかっていう部分も多いけれどね」
「それでもだよね」
「果たしてあんな目に遭うだけの人達か」
「敗れ去って悲しく死んでいく」
「そうした人達か」
「義経さんがああなったことは政治によるものでもね」
 鎌倉幕府のそれでというのです。
「それでもね」
「悲しい結末はね」
「やっぱりどうなってなるわね」
「先生にしても」
「僕は本当に頼朝さんが好きになれないから」
 平家物語の中だけではありません、先生は日本史を学んでいてもこの人をどうしても隙になれないのです。
「だからね」
「それでだよね」
「あの人については」
「好きじゃなくて」
「あの人と戦った人達についても」
「それが平家の人達で義仲さんで義経さんだからね」
 平家物語で悲しい結末を迎える人達だというのです。
「余計に思うよ」
「そうだよね」
「驕る平家と言っても」
 それでもというのです。
「幾ら何でもね」
「悲し過ぎて」
「同情するよね」
「どうしても」
「僕もね」
 こう皆にも言います。ですが。
「巨人についてはね」
「どうしてもね」
「過去があんまりだから」
「先生も」
「自業自得にね」
 そのようにというのです。
「思えるよ」
「まあそれはね」
「僕達もね」
「そのあたりは」
「先生と同じだよ」
「巨人はこれまでがね」
「あんまりだったから」
「そのことを思うと」
「やっぱりね」
「そうだね、僕は資本主義を否定しないけれど」
 それでもというのです。
「それでもね」
「巨人のやり方は」
「あんまりだったから」
「そのことを思う」
「因果応報だね」
「今の有様も」
「そうだね」
「僕はそう思うよ、そして」
 さらに言う先生でした。
「阪神はね」
「ちゃんとね」
「努力してきたから」
「それでだね」
「今は強いんだね」
「あのチームは補強ばかりで」
 そればかりに必死だったからというのです。
「他のことを怠ってきたからね」
「だからいい選手が育たなくて」
「ああなったんだね」
「毎年最下位で」
「百敗までするんだね」
「お金ばかり使っても」
 あるうちにです。
「なくなるとね」
「他にはだね」
「何もなくなって」
「ああなるんだね」
「そうだよ」
 先生は言いました。
「これは野球だけじゃなくてね」
「他のスポーツでもそうだね」
「サッカーでも」
「それにラグビーでも」
「同じだね」
「そう、お金は大事でも」
 それでもとです、先生はさらに言いました。
「それだけじゃないよ、世の中は」
「だよね」
「ちゃんと選手の人達を育てて」
「それもバランスよく」
「そうしないとね」
「組織は駄目だよ、しかし」
 先生は考えるお顔でお話を戻してお話しました。
「巨人も親会社はマスコミだからね」
「そうなのよね」
「あそこの親会社はマスコミで」
「系列の新聞は今も巨人一色よ」
「今は人気最下位でも」
 そこまで落ちてもというのです。
「それでもね」
「今でもマスコミが親会社だから」
「宣伝はされてるね」
「全国紙でね」
「それはやっているね」
 今もというのです。
「ああしてね」
「そうだよね」
「いいか悪いかは別にして」
「宣伝が続いてるわ」
「ちゃんとね」
「やっぱり日本のマスコミは物凄く深刻な問題を沢山抱えているから」
 ここでまたマスコミのお話をするのでした。
「それがだね」
「出てしまって」
「それでよね」
「ああしたことをして」
「長い間好き放題していたのね」
「日本のマスコミは言うならば」 
 先生がここで言うことはといいますと。
「昔の教会かな」
「ローマ=カトリック教会?」
「あの教会?」
「あの教会だっていうの」
「権力を持っていて正義を言うけれど」
 それでもというのです。
「その実はね」
「とんでもなく腐敗していて」
「それでやりたい放題で」
「どうしようもなくなっているから」
「僕が見る限りはね」
 こう断ってのお言葉でした。
「日本のマスコミは中世の教会だよ」
「あんなにとんでもない組織なの」
「あの時の教会は本当に酷くて」
「異端審問とか免罪符とかやっていたけれど」
「あんな風なのね」
「日本は三権分立の国だね」
 三つの権力を分けてお互いにチェックし合ってその専横や腐敗を防ぐという仕組みです。これは日本だけが採用している訳ではありません。
「そうだね」
「うん、イギリスも同じだね」
「他の民主主義国家もね」
「立法、行政、司法のね」
「三権に分かれているよ」
「それが三つの権力で」
 それでというのです。
「第四の権力がね」
「マスコミだよね」
「言うなら」
「今のお話の流れだと」
「だけれどね」
 その第四の権力のマスコミがというのです。
「その第四の権力が日本ではね」
「酷いんだよね」
「もうどうにもならない位に」
「しかもやりたい放題で」
「とんでもないところになってるね」
「そうだったんだ、ネットが出るまでは」
 マスコミをチェックするこの場所が世に出て来るまではというのです、先生は皆にデイリーを開いたままお話しました。
「本当にね」
「マスコミがやりたい放題で腐敗しきって」
「そのうえで権力を握っていて」
「最悪の状況だったんだね」
「しかもその権力の強さは第一だったからね」
 第四の権力といってもというのです。
「国家の三つの権力よりも強かったんだ」
「第一っていうとね」
「立法、行政、司法より強かった」
「そうだったんだ」
「この三つの権力はコントロールが効くよ」 
 立法、行政、司法はというのです。
「お互いにチェックしているしね、国民も見ていて正しいか間違っているのかを見ているからね」
「日本でもイギリスでもね」
「そしてそれ以外の国でもね」
「国民の人達がチェックして」
「おかしいことにならない様になってるよね」
「マスコミが特にそれをすると思われていたんだ」
 第四の権力であるこの人達がというのです。
「かつてはね、嘘を吐かなくてちゃんとした記事や報道を出すってね」
「そう思われていたんだね」
「マスコミは正義だって」
「権力をチェックして悪いことはしない」
「その様に」
「けれど情報を独占して」
 そうしていてというのです。
「そこにお金も集まったから」
「物凄い権力を握って」
「その心がおかしかったから」
「どんどん腐敗していって」
「ああなったんだね」
「マスコミは社会の木鐸じゃなかったんだ」
 そう言われた正しい存在ではなかったというので。
「その実は僕が今お話した通りだよ」
「そうした日本のマスコミの中でどの新聞がいいか」
「それはデイリーだね」
「先生が思うに」
「そうだよ、そして今日の記事もね」
 それも見て言う先生でした。
「読んでいて励まされて楽しい記事だね」
「デイリーらしくて」
「それでだよね」
「これからもね」
「読んでいくわね」
「そうしていくわね」
「ええ、これからね」
 こう話してでした、先生は皆と一緒にデイリーを読んでいました。そうしてそのうえで笑顔になるのでした。








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