『ドリトル先生の競馬』




                第九幕  流鏑馬

 先生達は今は弓道部の射的の場にいます、動物の皆はその場にいて先生に口々にこんなことを言いました。
「他の国の射的の場所と違うね」
「神聖な感じがするよ」
「神社にも似たね」
「神様がいるみたいな」
「そんな場所だね」
「日本の弓道は神事でもあるからね」
 先生は皆にお話します。
「実際に古典でもよく弓を放つ場面が出て来るけれど」
「神事だね」
「その時に出て来るんだね」
「日本の古典でも」
「そうなるんだね」
「そうなんだ、だからね」
 それでというのです。
「この場所もだよ」
「神聖な感じがするんだね」
「日本の神道の」
「それがあるんだね」
「そうなんだ、弓を神様に捧げる」
 そうするというのです。
「それもまた日本の弓道なんだ」
「ただ撃つだけじゃないんだね」
「武器としての弓を」
「剣道もそうしたところあるし」
「お相撲も密接に関係あるけれど」
「神道もなんだね」
「こっちも神事と関係あるんだね」
 皆も先生のお話に頷きました。
「そうなんだね」
「それで流鏑馬もするんだ」
「こちらも」
「そうなんだね」
「そうだよ、流鏑馬は完全にね」
 こちらはというのです。
「神事だね」
「そうだよね」
「それはね」
「まさにね」
「神事でね」
「神様の為のものだね」
「そうなんだ、本当に日本の弓道は」
 まさにというのです。
「神事でもあるからね」
「このことをだね」
「ちゃんと頭に入れておいて」
「弓道は見ていくべきなのね」
「そうだよ、これがね」
 先生はさらにお話しました。
「日本の神道で。それでね」
「それで?」
「それでっていうと」
「アーチェリーとはね」
 このスポーツとは、というのです。
「また違うんだ」
「同じ弓を使うものでも」
「確かにかなり違うね」
「弓の形は全く違うし」
「弓道は昔ながらの弓で」
「これ和弓っていうのよね」
「そうだよね」
 皆は弓も見ました。
「この昔ながらの形の弓って」
「平安時代や戦国時代の弓みたいな」
「この弓が和弓よね」
「そうだよ、アーチェリーの弓とはまた違うからね」
 実際にとです、先生も答えます。
「そこも大きな特徴だよ」
「何ていうか」
「弓道はまた独特よね」
 チープサイドの家族も思うことでした。
「同じ弓でもアーチェリーとまた違って」
「特別なものみたいだよ」
「他の武道以上に神様と関わりが深いし」
 ガブガブも言います。
「そこもだね」
「この場所にいるだけで神聖な気持ちになれるしね」
 ポリネシアの言葉はしみじみとしたものでした。
「私達も」
「神社の中にいるみたいだね」
 トートーも思うことでした。
「この射的場にいると」
「キリスト教の教会や聖堂と違うけれど」
 今度は老馬が言いました。
「日本の神道の神聖さは」
「清潔だね」
 ダブダブは神道の神聖さをこう表現しました。
「日本の神道の神聖さって」
「そうそう、清めのお水とかお塩もあるし」
 ホワイティはダブダブの言葉に頷きました。
「日本の神道って清潔だよ」
「それでこの場所も」
「清潔な雰囲気があるね」
 オシツオサレツも二つの頭で言います。
「矢を放って清める」
「退摩以外にも」
「いるだけで清潔な気持ちになって」
 チーチーは実際に感じています、この感触を。
「素敵な場所だね」
「心まで清められるよ」
 ジップはしみじみとした口調で述べました。
「ここにいると」
「僕もだよ、この素敵な感覚を体験出来るから」
 それでとです、先生は皆に応えました。
「この場所が大好きになったよ」
「それは何よりだね」
「それじゃあだね」
「先生は暫くここにいて」
「彼の練習を見守るんだね」
「そうさせてもらうよ、弓と乗馬の両方が出来る」
 そうした人はというのです。
「それだけで滅多にいることじゃないから」
「若しホフマン君がアーチェリーもしていなかったら」
「それならだよね」
「他に誰がいたか」
「それが問題だね」
「乗馬部、アーチェリー部そしてこの弓道部で」
 先生は今度はホフマン君を見ました、今彼は袴と着物という弓道の姿になってそのうえで弓を教わっています。
 そうして弓を放って的に当てますがその後でこんなことを言いました。
「やっとです」
「慣れたんだね」
「はい」
 こう先生に答えました。
「僕も」
「それは何よりだよ」
「弓がです」
 これがというのです。
「全く違いますから」
「アーチェリーとはね」
「最初戸惑いいましたけれど」
「その弓に慣れたんだね」
「はい、それで射的もです」
「的に当たる様になったんだね」
「そうです、ですが」
 ここで難しいお顔になったホフマン君でした。
「問題は馬に乗って走りながら撃ちますよね」
「流鏑馬はね」
「それをすることは」
 このことはというのです。
「かなり難しいですね」
「うん、昔は軍隊でもね」
「馬に乗って弓矢を放っていましたね」
「所謂騎射だね」
「それはかなり高度な技でしたよね」
「そうだったんだ、遊牧民はそれが出来たから」
 だからだというのです。
「強かったんだ」
「そうだったんですね」
「モンゴル帝国にしてもね」
「あの大帝国を築いた」
「君達のご先祖も戦ったと思うけれど」
「徹底的にやられました」
 ホフマン君は先生に少し苦笑いになって答えました。
「リーグニッツの戦いですね」
「ドイツとポーランドの連合軍がモンゴル軍と戦ったね」
「あの時もそうでしたね」
「モンゴル軍は騎射で戦ってね」
「ドイツとポーランドの連合軍を徹底的に破りました」
「そうだったね」
「その戦いを見ましても」
「うん、騎射はね」
 馬に乗って弓矢を使うことはというのです。
「凄くね」
「強かったんですよね」
「弓の遠距離攻撃とね」
「馬の機動力があって」
「とんでもない強さだったんだ」
「そうでしたね」
「そう、だからね」
 それでというのです。
「騎射は凄い技術だったんだ」
「それで今もですね」
「もう戦いで馬も弓やも使わないけれど」
「どっちも使えたら」
「凄く強いんだよ」
「そうですね、そう思うと」
 まさにとです、ホフマン君はまた言いました。
「僕は今回の流鏑馬は名誉と思って」
「そうしてだね」
「成功させたいですね」
「確か前は大学生の人がやっていたね」
「はい、とても奇麗な女の人が」
「ギリシアから来たんだったね」
「今その人はギリシアに戻っておられて」
 それでというのです。
「おられないので」
「それでだね」
「高等部にもお話がきまして」
「君がとだね」
「なりまして」
「今も頑張っているね」
「はい、絶対にです」
「成功させるんだね」
「そのつもりで頑張っています」
「是非ね、それじゃあだね」
「今は弓の練習をして」
 そうしてというのです。
「その後で」
「乗馬もだね」
「練習します、あと服もですね」
「ああ、流鏑馬の時のだね」
「あの服はいいですね」
「日本の武士の服みたいだっていうんだね」
「そんな感じがしまして」
 ホフマン君は流鏑馬の服についてもお話しました。
「いいですね」
「あの服は確かにね」
「人気がありますよね」
「日本人からもね、本当は神社で行うから」
 このことからです、先生はお話しました。
「だからね」
「それで、ですね」
「武士の服かというと」
「正確にはですね」
「違うけれどね」
「それでも何か僕から見たら」
 流鏑馬の服はというのです。
「武士みたいで」
「着たいんだね」
「はい」
 こう先生に答えるのでした。
「だからその時が楽しみです」
「武士は恰好いいからだね」
「欧州の騎士も恰好いいですが」
「武士もだね」
「強くて恰好よくて頭もよくて礼儀正しい」
 だからだというのです。
「本当にです」
「武士はだね」
「最高に恰好いいです」
「確かにね。僕から見てもね」
 先生も実際に見てのことをお話します。
「武士はね」
「物凄く恰好いいですよね」
「鎧兜、具足もね」
「あれもいいですよね」
「源平の戦いでも戦国時代でもね」
「どちらの鎧兜も」
「恰好いいね」
「そうですね、けれどあれを着て馬に乗って」
 ホフマン君はこうも言いました。
「弓矢を使ってたんですよね」
「武士はね」
「凄いものですね、僕なんか」
「無理かな」
「はい、重い鎧兜を着て馬に乗るだけでも」
 これだけでもというのです。
「大変ですから」
「弓を動かすこともね」
「どちらかだけでも大変です、それをです」
「両方となるとだね」
「もうどれだけのことか」
 それこそという口調での言葉でした。
「想像を絶します」
「それを昔の武士はだよ」
「やっていましたね」
「那須与一さんにしてもね」
「平家物語のあの人ですね」
「そうだよ、矢で扇を撃ち落としていたね」
「あれは名場面ですよね」
 ホフマン君から見てもです。
「あの作品の中でも」
「あの時那須与一さんは鎧兜を着けてね」
 そうしてというのです。
「弓矢を操って」
「遠くの、舟の上の的をですね」
「波の上にあったから動いていたけれど」
 それをというのです。
「見事射抜いたんだ」
「だから余計に凄いですね」
「それだけに敵味方両方から喝采を浴びたんだ」 
 源氏と平家のそれぞれの軍勢からというのです。
「あまりにも素晴らしい弓の技だったから」
「僕にはとても」
「あそこまでの腕はだね」
「ないです」
 実際にと言うのでした。
「本当に」
「そう言うんだね」
「もうあれか神業です」
 ここまでのものだというのです。
「だからこそです」
「那須与一さんは凄いんだね」
「はい、駆けながらでないですが」
 それでもというのです。
「素晴らしい技です」
「乗馬と弓矢をしていてこそだね」 
「両方していますと」
「実感出来ることだね」
「本当に、ただ」
「ただというと」
「僕は流鏑馬はです」
 これはというのです。
「絶対にです」
「成功させるんだね」
「そうします」
 先生にその決意を述べてまた練習に戻るのでした、先生は皆と一緒にその彼にお別れの言葉を継げてです。
 挨拶の後で別れました、そしてです。
 先生は研究室に戻ってまた論文を書きはじめました、そうしつつ皆に対してこんなことを言いました。
「いや、ホフマン君には絶対にね」
「流鏑馬を成功させて欲しい」
「その様にだね」
「思ってるんだね」
「先生も」
「心から願っているよ」
 その様にというのです。
「僕もね」
「そうだよね」
「私達も願ってるし」
「必死に努力しているし」
「それならね」
「絶対にね」
「うん、努力が実って」
 それでというのです。
「成功させて欲しいよ」
「そうだよね」
「物凄く難しくても」
「それでもね」
「成功させて欲しいね」
「彼には」
「心から思うよ、それと」
 先生はさらに言いました。
「もう一つあるよ」
「もう一つ?」
「もう一つっていうと」
「それは」
「いや、流鏑馬の後の競技もね」
 こちらもというのです。
「頑張って欲しいね」
「ああ、そっちもあったね」
「そうだったね」
「流鏑馬の後はね」
「競技もあったね」
「レースも」
「そう、それもあるから」
 だからだというのです。
「どちらもとなるけれど」
「頑張って欲しい」
「そうだっていうのね」
「どちらも出るから」
「それだけに」
「そう思っているよ」
 先生としてはというのです、そしてここで研究室に来た王子にも彼のことをお話すると王子もでした。
 頷いてです、こう先生に答えました。
「そうだよね」
「王子もそう思うよね」
「うん、折角だからね」
「両方ね」
「いいことになって欲しいね」
「そうなる為には」
 王子は先生にさらに言いました。
「やっぱりね」
「努力だよね」
「乗馬のね、流鏑馬については」
「弓矢もだね」
「そちらもとなるけれど」
「両方共だね」
「そう、そして」
 それでというのです。
「流鏑馬も競技も」
「成功させて」
 そしてというのです。
「満足してもらいたいよ」
「その彼に」
「そう思っているよ」
 心からという言葉でした。
「僕としては」
「努力は嘘を吐かない」
「絶対に生きるものだよ」
「確実にその人の糧になるね」
「うん、ただね」
「ただ?」
「努力は確かに嘘を吐かなくて」
 それでというのです。
「その人の糧になるけれど」
「それでもなんだ」
「何時結果は出るか」
「そのことはなんだ」
「すぐに出るとは」 
 それはというのです。
「限らないからね」
「流鏑馬と競技にはだね」
「結果が出るか」
 このことはというのです。
「わからないよ」
「そうしたものなんだね」
「残念だけれどね」
「ううん、そう言われると」
「王子もわかるね」
「僕もいつも王宮でも今の邸宅でも言われているからね」
 王子は先生に真面目なお顔で答えました。
「このことは」
「努力の大事さをだね」
「うん、人は努力なくしてね」
 どうしてもというのです。
「成長しないし幸せにもね」
「なれないね」
「ましてや僕は将来王位を継ぐから」
「王様になるとね」
「本当にね」
 まさにというのです。
「国のあらゆることに携わるから」
「そうなるからだね」
「努力をしないと」
 それこそというのです。
「駄目だから」
「そういうことだね」
「これでもね」
「いつもだね」
「努力して」
 あらゆることにというのです。
「立派な王様になれる様にしているよ」
「将来のことを見据えてだね」
「そうしているよ、ただね」
「ただ?」
「いや、僕はね」 
 どうにもという口調で言うのでした。
「お手本の方みたいになれるか」
「このことはだね」
「その自信はないよ」
 このことはというのです。
「どうもね」
「王子のお手本は」
「昭和天皇とラーマ十世、そしてヴィクトリア女王だよ」
「そうした方々だね」
「明治天皇もだけれど」
「お手本にしてだね」
「それぞれの違う方々だけれど」 
 それでもというのです。
「かくあらんと思って励んでいるけれど」
「それでもだね」
「うん、あの方々の様になれるか」
 このことはというのです。
「その自信はないよ」
「そうなんだね、けれどね」
「それでもだね」
「努力をしていけば」
 そうしていけばというのです。
「素晴らしい王様になれるよ」
「そうなんだね」
「確かに今王子が挙げた方々は立派な君主だよ」
「どの方もね」
「それでもね」
「そうなろうって思えば」
「王子も努力して」
 そうしてというのです。
「立派な方になれるよ」
「そうなんだね」
「そう、だからね」
「目指して努力はだね」
「していくべきだよ」
「そういうことだね」
「目指して努力する」
 このことがというのです。
「大事なんだよ」
「そうなれなくてもかな」
「目指しているうちに王子の個性も入って」
 そこにというのです。
「必ずね」
「いい結果になるんだね」
「そう、だからね」
 それ故にというのです。
「王子はその方々を目指してね」
「努力していくべきだね」
「そうだよ、しかし女性も入っているね」
「ヴィクトリア女王だね」
「うん、それは立憲君主としてかな」
「あと家庭人としても」
 このことからもというのです。
「立派な方だから」
「お手本にだね」
「しているんだ、けれど一番は」
 王子がそうしている方はどなたかといいますと。
「明治天皇かな」
「その方だね」
「日本が生まれ変わって戦争もあって発展していって」
「明治維新に文明開化にだね」
「大変な時期にしっかりと国家元首としてあられて」
「質素であられたしね」
「そうしたところを見て」 
 それでというのです。
「あの方を一番のお手本にね」
「考えているんだね」
「そうなんだ」
 こう先生にお話するのでした。
「僕はね、物凄く高い理想だよ」
「それで明治天皇みたいな君主になれるか」
「自信はないんだ」
「そうなんだね、けれどね」
「やっぱり目指して努力することがだね」
「大事だよ、色々なことを学んで」
 そうしてというのです。
「精進していくことだよ」
「このこと自体が大事なんだね」
「そうすれば本当に王子もね」
「立派な王様になれるんだね」
「必ずね、今も僕が見る限り」 
 こう前置きして王子にお話します。
「立派な王子様だから」
「立派な王様にもだね」
「必ずなれるよ」
 王子に微笑んでお話しました。
「だから自信を持ってね」
「努力していけばいいんだね」
「そうだよ、それはそうとして」
「どうしたのかな」
「今言ったけれど王子は王子だからね」
「僕の個性がだね」
「それが出るから」
 それでというのです。
「やっぱりね」
「僕は僕だね」
「明治天皇は明治天皇でね」
「他の方々もだね」
「その方の個性があってその時代のその国の状況もあるから」
 だからだというのです。
「王子がその方々そのままになるか」
「そのことはだね」
「ならないからね」
「そうした諸条件があるからだね」
「だからだよ、乗馬も弓道もそうだね」
 こちらもというのです。
「人それぞれの個性が出るよ」
「そういうことだね」
「うん、例えば馬の種類によってね」
「乗り方や走り方が違うんだね」
「弓道もね、全て同じ弓矢かというと」
「違うんだね」
「そうしたものだからね」
 それ故にというのです。
「そこはね」
「また違うから」
「それでね」
 だからだというのです。
「王様、君主としての在り方も」
「それぞれなんだね」
「だからね」
「僕は僕で王国も今の王国だね」
「絶対に明治天皇の様にすればいいか」
「そうでもないからね」
 先生は穏やかな声でお話しました。
「これが」
「明治天皇はあの時代のあの日本の君主であられるんだね」
「そういうことだよ、他の方々もね」
「それぞれの時代のそれぞれの君主であられて」
「それぞれの方だから」
 だからというのです。
「そうしたことを頭に入れて」
「それでなんだね」
「立派な君主になろうね」
「そうしていくよ」
 王子は先生に約束しました、そうして研究室を後にしました。先生は夕方になると動物の皆と一緒にお家に戻りました。
 今日の晩ご飯は焼きそばにキャベツと椎茸のお味噌汁、さっぱの酢漬けといったものでした。海苔もあります。
 そうしたものを食べている時に動物の皆が先生に尋ねました。
「ねえ先生ちょっといい?」
「ホフマン君の乗馬のことだけれど」
「乗馬にいい食べものってあるの?」
「何かね」
「そう言われると」
 先生は焼きそばを食べつつ皆に答えました。
「これといってね」
「ないんだ」
「そうなんだ」
「身体にいいものをたっぷりと」
 先生は皆にお話しました。
「バランスよくだね」
「他のスポーツと同じだね」
「そのことは」
「やっぱり」
「うん、ただレースだから」
 このことからもお話するのでした。
「レース前は炭水化物に切り替えるね」
「動きが速くなるからですね」
 トミーが応えてきました。
「だからですね」
「そうだよ、やっぱりね」
 このことはとです、先生はトミーにも答えました。
「レースだとね」
「どうしても動きが速い方がいいですね」
「身軽になってね」
「だから炭水化物に切り替えるんですね」
「そうだよ」
 まさにというのです。
「それでね、競馬でもね」
「レース前はですね」
「炭水化物に切り替えるんだ」
「そうして競技に挑みますね」
「そうなんだ」
「と、なると」
 ダブダブが言ってきました。
「炒飯とかパスタとか」
「そうしたものよね」
 ガブガブが続きます。
「そうしたものを食べるのね」
「オートミールもだね」
 ホワイティはこちらのお料理を思い出しました。
「炭水化物っていうと」
「日本にもそうしたお料理は多いね」
「主食がご飯だから」
 チープサイドの家族もお話します。
「丼ものね」
「あれが多いね」
「あとおうどんもだね」
 今度は老馬が言いました。
「炭水化物だね」
「お蕎麦だってそうだし」
 こちらはジップが出しました。
「多いね」
「ラーメンとかカレーライスもそうで」 
 チーチーはこうしたお料理を出しました。
「今食べている焼きそばも」
「結構多いね、だったら」
 ポリネシアも言います。
「結構色々食べられるわね」
「そうしたものを食べて」 
「身軽になって」
 オシツオサレツは二つの頭でお話します。
「そうして競技に挑む」
「そうするのね」
「何ていうか」
 最後に行ったのはトートーでした。
「レース前には食事を切り替えるのは面白いね」
「馬に乗るにも車に乗るにも」
 レースならと言う先生でした。
「身軽でないと駄目なんだ」
「そういうことだね」
「だから普段は普通でも」
「レース前は違うんだ」
「炭水化物に切り替えて」
「そうしてレースに挑むんだ」
「競馬はね、このやり方はね」
 レース前は炭水化物に切り替えるそれはというのです。
「ボクシングでもやる人が出ているよ」
「ボクシングもですね」
 トミーが応えました。
「動きが速いといいからですね」
「そうなんだ、だからだよ」
「ボクサーの人でもですか」
「試合前は食事を切り替える人もいるんだ」
「炭水化物中心にですね」
「そうしてね」
「身軽に動いてですね」
 まさにとです、トミーは言いました。
「このことは」
「勝つんだ、昔は蝶の様に舞い蜂の様に刺すと言ったけれど」
「その通りですね」
「最近は摺り足で動いたりね」
「武道のあれですね」
「サンドバッグじゃなくてウォーターバッグだし」
 バッグも変わったとです、先生はトミーに焼きそばを食べつつお話しました。ソースが利いていてとてもよくご飯に合います。
「ボクシングも変わっていっているよ」
「科学的にですね」
「そう、スポーツは科学だね」
「だからですね」
「そこはね」
 まさにというのです。
「日進月歩だよ」
「そうしたことをわからないとですね」
「スポーツもよくならないよ」
「強くもならないですね」
「そうだよ、サンドバッグも」
 またこちらのお話をするのでした。
「変わったことには理由があるからね」
「それはどうしてかは」
「トミーもわかるね」
「サンドバッグは拳を痛めかねないですね」
「砂も集まるとね」
「それがコンクリートみたいになって」
「硬いからね」
 このことが問題だというのです。
「硬いものを叩き続けているから」
「だから拳も痛めますね」
「けれどウォーターバッグはね」
「水ですから」
「拳を痛めないよ」
 そうなるというのです。
「砂よりずっとね」
「そして人の身体は三分の二位は水分なので」
「その人の身体にどうダメージを与えるか」
「そうして試合に勝つ」
「そう考えてね」
 それでというのです。
「その方がだよ」
「いいんですね」
「そう、それでだよ」
 まさにというのです。
「ウォ―ターバッグの方がいいんだ」
「そういうことですね」
「まさにね、本当にね」
「スポーツも科学ですね」
「そうだよ、けれど日本の学校では」
 先生はお味噌汁を飲んでから困ったお顔になって言いました。
「その科学的なものをね」
「無視する先生が多いですね」
「そのことが問題なんだ」
 どうしてもというのです。
「精神論、確かにメンタルも大事だけれど」
「それも間違ったもので」
「しかもね」
「そこに暴力が入って」
「しかも科学を無視しているから」
「問題ですね」
「そうなんだ、僕はスポーツをしないけれど」 
 それでもというのです。
「そうしたことはわかるつもりだから」
「今もお話されていますね」
「うん、本当にね」
 それはというのです。
「医師としてね」
「医学はスポーツにも密接に影響していますね」
「そうだよ、一番駄目だと思ったことは」
 このことは何かといいますと。
「兎跳びが駄目だってわかって何年も経っているのに」
「まだ生徒さんにさせていたんですね」
「そうだよ、そしてそうした先生程ね」
「間違った精神論で」
「すぐにそれでも男かとか言ったりね」
 先生はどうかというお顔でお話しました。
「平気で」
「男尊女卑でもあったんですね」
「そして暴力も振るうから」
「駄目な人はもう何でもですね」
「そのサンプルだったりするから」
「そんな人が人にものを教えられることは」
「日本にしかないことだよ」
 まさにというのです。
「異常現象と言っていいよ」
「おかしいにも程がありますね」
「そんな先生の下にいてもいいことは一切ないし」
「そんな先生こそですね」
「日本の教育の為に淘汰されないと」
 それこそというのです。
「日本はよくならないよ」
「難しいお話ですね」
「本当にね、ただね」
「このことはですね」
「中々上手くいかないんだ」
「本当に日本の深刻な社会問題ですね」
「学校の先生のことはね、しかも公立程そんな先生が多いみたいだけれど」
 その公立の先生達のお話もするのでした。
「先生は公務員だから」
「中々ですね」
「そう、辞めさせられなくて」
 それでというのです。
「残っているんだ」
「あれっ、暴力振るっても?」
「生徒さんに普通に暴力振るう先生多いんだよね」
「暴力なんて一発アウトじゃない」
「不祥事の最たるものだから」
「それで終わりじゃない?」
「そうだよね」
 動物の皆はここでお話しました。
「公務員だったら一番じゃない」
「自衛隊でも警務隊ってとこに連絡したらいいのに」
「学校の先生はいいって」
「それっておかしいよ」
「それが学校という閉鎖された空間の中で隠されるんだ」
 このことが問題だというのです。
「生徒を他の部室の人達の前にわざわざ引きずりだして馬乗りになっても大丈夫だよ」
「いや、それ一般の職場じゃ懲戒免職だよ」
「そんなことしたら」
「それ完全に暴力じゃない」
「というか引きずり出す意味何?」
「ヤクザ屋さんの見せしめ?」
「それか自分の力誇示したいの?」
 皆そこがわかりませんでした。
「本当におかしいから」
「そんな先生いるって日本だけだよ」
「イギリスじゃそんな先生いないわよ」
「当然他の国もじゃないかな」
「一般社会なら論外で」
「そんな人が生徒に教えるとか」
 それこそと言うのです。
「有り得ないから」
「不良の集まりじゃあるまいし」
「というか学校の不良がそのまま先生になったの?」
「無茶苦茶じゃない」
「社会不適格者としか思えないよ」
「そんな先生が非科学的なことばかりして言っているんだ」
 部活でもというのです。
「しかも責任を問われないでずっと残るから」
「深刻な問題になっているんだね」
「日本にとって」
「そりゃそんな先生いたら」
「大変だよ」
「しかも公立だから公務員って」
「無茶苦茶じゃない」
 皆聞いていて呆れ果ててしまいました。
「何とかしないとね」
「日本のずっと存在している問題みたいだけれど」
「そんな先生は排除してね」
「いい人を先生にしていかないと」
「本当に日本はいい人は学校の先生にならないよ」
 いい鉄は釘にならないことと同じでというのです。
「それで非科学的なんだよ」
「そんな人が科学理解出来るとは思えないしね」
「野蛮過ぎて」
「人並に勉強してるとは絶対に思えないし」
「暴力での恐怖だけで先生やってる?」
「そんな風ね」
「そうした人だね、暴力に挑むことは」
 このことはというのです。
「それだけで教師以前に人間として駄目だよ」
「先生と全く違うね」
「先生絶対に暴力振るわないから」
「暴力ろは全く無縁の人だし」
「そんな人だから」
「本当に正反対の人だね」
「僕は誰にも暴力を振るわないよ」
 先生は焼きそばでご飯を食べつつ皆に答えました。
「それは最低最悪の力の一つだからね」
「力は色々あるけれど」
「そうした力だよね」
「暴力は」
「武力は理性と法律の下にあるよ」
 こちらの力はといのです。
「軍隊や警察の力だね」
「そうした力はいいんだよね」
「国家や市民を守る為にね」
「秩序を守る為に」
「そうした力は必要なんだ」
「けれど暴力は」
 こちらの力はといいますと。
「感情に赴くままに自分より腕力や立場の弱い相手を虐げる」
「そうした力だからね」
「絶対に使ったら駄目だね」
「そんなものは」
「僕はそう考えているよ、僕は暴力は否定しているよ」
 断じてという言葉でした。
「だから僕自身もね」
「使わないね」
「何があっても」
「そうよね」
「そうしているよ、そしてまた言うけれどスポーツはね」
 それはというのです。
「本当に科学だから」
「だからだよね」
「そこはしっかりとして」
「ちゃんと考えてやっていく」
「検証もしながら」
「それが大事だよ、そしてホフマン君の乗馬も」
 こちらもというのです。
「やっぱりね」
「科学だね」
「そちらよね」
「そうだよ、科学だよ」
 まさにというのです。
「これはね」
「じゃあ彼も競技前は」
「お食事を炭水化物に切り替えて」
「そうしてやっているのかな」
「学校の部活でそうしているなら相当なものだよ」
 そこまですればというのです。
「かなり本気だよ」
「そうなんだね」
「そこはどうかな」
「一回彼に聞いてみる?」
「ホフマン君に」
「乗馬部の人達にも」
「そうしてみようかな、まあね」
 こうも言う先生でした。
「一つ問題があるけれど」
「問題?」
「問題って何?」
「それは一体」
「いや、ホフマン君も部活の人の八割位が寮にいるよね」
 このことが問題だというのです。
「寮でそこまでやっているかな」
「ああ、そのことがね」
「そのことが問題だね」
「そうしたことを考える寮もあるけれど」
「そうでない寮もあるから」
「そこが気になるんだ」
 先生としてはです。
「どうもね」
「いい寮だといいね」
「そこまで考えてくれている寮なら」
「そこはどうか」
「ちょっと聞いてみるのね」
「出来たらね、僕の場合は」
 先生ご自身はといいますと。
「ちゃんと考えてるね」
「はい、そこはです」
 トミーがにこりと笑って先生に答えました。
「僕もです」
「考えてくれているね」
「そうして献立を考えて」
「作っているね」
「そうしていますから」
 だからだというのです。
「安心して下さい」
「そうだね、じゃあ明日は」
「乗馬部の競技前のお食事のことを」
「聞いてみるよ」
 こう言ってでした、先生は明日のことも考えるのでした。流鏑馬が近付いてくるその中でのことでした。








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