『ドリトル先生の競馬』




               第七幕  ホフマン君からの相談

 先生は夏休みも平日は毎日大学に出ています、そうして研究室や図書館にいます。その先生にいつも一緒にいる動物の皆が尋ねます。
「先生いつも大学に登校してるね」
「夏休みでも冬休みでも」
「春休みの時も」
「休日以外は登校してるね」
「しかも同じ時間に登校して下校して」
「論文書いたりものを調べたりしているね」
「うん、学生さん達はお休みでもね」
 先生は研究室でお茶を飲みつつ皆に答えました。
「僕の学問、お仕事は休みじゃないからね」
「だからなんだね」
「休日以外はしっかり出勤して」
「それで学問に励んでいるんだ」
「そうしているのね」
「そうだよ、学会にも出てね」
 そちらもあれば絶対に出ています。
「学問に励んでいるよ」
「そうなのね」
「それで今もだね」
「論文書いてるのね」
「そうなんだね」
「そうだよ、書いてね」
 そうしてというのです。
「発表するよ」
「そこが先生というか」
「いつも学問というのが」
「講義がある時と同じ時間に登校、下校するし」
「そのことにしても」
「日本ではお盆やお正月はお休みだけれど」 
 それでもというのです。
「そうした日でないと」
「登校してね」
「今も熱心に論文書いてるね」
「ものも調べて」
「そう、そしてね」
 先生は皆に笑顔でこうも言いました。
「動物園や植物園、水族館に博物館も行ってるね」
「鉄道博物館にもね」
「それで美術館にも」
「この学園全部あるしね」
「そうしたところにも行ってるね」
「うん、そしてね」
 先生はさらに言いました。
「ここの大学の図書館は世界屈指の蔵書量だからね」
「世界中の本があってね」
「凄いことになってるよね」
「日本語の本だけでも相当で」
「しかも世界中だから」
「そこで調べたり読むことも」
 それもというのです。
「存分に出来るからね」
「いい場所なんだね」
「むしろ講義がない分学びやすい?」
「先生にとっては」
「夏休みの時の方が」
「それもあるね、こうした時は」
 夏休みや冬休みの時はというのです。
「論文を書くペースもかなりだしね」
「実際に」
「そうなってるのね」
「先生にしても」
「うん、今は肺癌の論文を書いているけれど」
 この病気のものをというのです。
「数日前に執筆をはじめたけれど」
「どう?執筆状況は」
「進んでる?」
「どうなの?」
「あと少しで脱稿するよ」
 書き終わるというのです。
「そうなるよ」
「それは何よりだね」
「本当に進んでるのね」
「お休みの時こそ」
「そうなんだね」
「そうだよ、論文を書くことは」
 まさにというのでした。
「学者としてね」
「その基本だよね」
「調べてそして書く」
「このことは」
「その一歩と考えているよ」
「それにしても肺癌って」 
 この病気について言ったのはチーチーでした。
「また怖い病気を論文に書いてるね」
「癌って怖いよ」
 このことはダブダブも言います。
「本当にね」
「若しなったら」
 ガブガブはその時のことを言いました。
「早いうちに治療しないとね」
「さもないとどうなるか」
 それこそとです、ホワイティも言います。
「言うまでもないからね」
「よく食べものとかストレスとかあるっていうけれど」
 ポリネシアの言葉は深刻なものでした。
「なる人とならない人がいて」
「遺伝もあるね」
 トートーはポリネシアに応えました。
「なるのは」
「それでなってしまったら」
「本当に早く見付けないと」
 チープサイドの家族も普段以上に深刻な感じです。
「若し手遅れになったら」
「そう思うだけで」
「先生も注意しないと」
 老馬は先生ご自身に言いました。
「癌にはね」
「他の病気も注意しないと駄目だけれど」
 ジップも先生に言います。
「癌もだね」
「先生が若し癌になったら」
「そう思うだけで」
 オシツオサレツの二つの頭も心配そうです。
「僕達怖いから」
「気をつけてね」
「だから毎年健康診断を受けているよ」
 先生もこう答えます。
「春と秋にね」
「一日二回」
「大学の福利厚生で」
「そうしてるのね」
「しっかりと」
「そうだよ、そうしてね」
 そのうえでというのです。
「他の病気のチェックもしているよ」
「癌だけじゃなくて」
「他の病気のこともなのね」
「チェックしているんだね」
「脳梗塞とか高血圧とか痛風とか糖尿病にも気をつけているから」
 だからだというのです。
「毎年二回ね」
「しっかりとだね」
「健康診断を受けて」
「チェックしているんだ」
「そう、いつもやや太っている以外は」 
 診断ではそう言われているというのです。
「僕は至って健康だよ」
「それは何よりだね」
「規則正しい生活しているし」
「栄養バランスのいいお食事だし」
「しかも毎日結構歩いてそれが運動になって」
「水分も摂ってるしね」
「煙草も吸わないしね」
 このことも言う先生でした。
「だからだね」
「肺癌は煙草っていうけれど」
「先生本当に煙草吸わないし」
「そのことは大きいね」
「煙草を吸わないことは」
「煙草が身体に悪いことは事実だよ」
 このことは否定出来ないというのです。
「だからそちらはね」
「お酒は好きだけれどね」
「それでも大好きだね」
「殆ど毎日飲む位に」
「そこまでだね」
「そうだけれど」
 それでもというのです。
「僕は煙草は吸わないよ」
「そのこと大きいね」
「煙草吸ってるとそれだけで健康によくないし」
「吸わないことも健康に影響している」
「そういうことね」
「そうだよ、お陰で僕はね」
 本当にと言う先生でした。
「その分健康だよ」
「肺癌にもならないし」
「余計にいいね」
「そのことは」
「煙草は脳梗塞とかにもよくないしね」
 こちらにもというのです。
「やっぱりしないことだよ」
「何といっても」
「最初からだね」
「煙草は吸わないで」
「しないことが第一だね」
「そう思ってるよ」
 先生は笑顔で言います、そうしてです。
 研究室で紅茶を楽しみつつ論文を書いていますと。 
 研究室の扉をノックする音が聞こえました、それで先生が扉を開けますとそこにいたのは。
 ホフマン君でした、先生はホフマン君を見て彼に尋ねました。
「どうしたのかな」
「はい、相談したいことがありまして」
「相談っていうと」
「実は」
「あっ、立ち話も何だから」
 それでと言う先生でした。
「座ってね」
「そうしてですか」
「お茶でも飲みながらね。紅茶でもいいかな」
「お気遣いなく」
「じゃあミルクティーでね」
 それでとお話してです、そうしてでした。
 先生は研究室の中で紅茶を飲みつつホフマン君とお話をしました、するとホフマン君は先生に言いました。
「最近僕達スピードが出ないんです」
「乗馬のだね」
「はい、どうも」
「練習をしてだね」
「そうです、毎日熱心に練習をして」 
 そうしてというのです。
「僕達も走って馬達も」
「熱心にだね」
「乗馬の時に走ってもらってますけれど」
「それでもなんだ」
「思う様にです」
「スピードがだね」
「はい、出なくて」
 それでというのです。
「悩んでいます」
「馬は食べているかな」
「いつもたっぷり食べています」
 馬の餌をというのです。
「夏ですがそれでも」
「夏バテにはなっていないね」
「勿論僕達も」
 ホフマン君達もというのです。
「毎日元気に食べて」
「そうしてだね」
「本当に」
 まさにというのです。
「楽しく汗を流していますが」
「そうだね、ただ夏はね」
「どうしてもですね」
「運動をしていると暑くなってね」
「その分動きが遅くなりますね」
「身体が疲れてね、冬と比べて」
 運動していると、というのです。
「特に走る時はね」
「スピードが落ちますね」
「うん、けれどだね」
「それを置いても」
 それでもというのです。
「どうも」
「そうだね、じゃあね」
「それならですね」
「これは解決案はね」
 どうもと言う先生でした。
「今ここではね」
「わからないですか」
「うん、だからね」
 それでというのです。
「実際に見せてもらえるかな」
「部活の状況を」
「そうさせてくれるかな」
「お願いします」
 これがホフマン君の返事でした。
「それじゃあ」
「では早速ね」
「今からですか」
「部活はもう終わったかな」
「今休憩中です」
「そうなんだ、じゃあね」
 それならとです、先生はホフマン君に笑顔で言いました。そうしてすぐに動物の皆も連れて高等部の乗馬部に行きました。
 そこでは皆確かに休憩中でした、物陰の中で涼みながらお水やお茶を飲んでいる子もいます。中には見事な金髪で馬達にニュージーランド訛りの英語で笑顔で話しかけている上品な感じの女の子もいます。
 その部活の状況を見て先生はホフマン君に言いました。
「馬が太っているね」
「太ってますか」
「どの馬も前に見た時より少しね」
 こう言うのでした。
「どうもね」
「ひょっとして」
「そう、その太った分がね」
「スピードが出なかった原因ですか」
「そう思うよ」
 ホフマン君に穏やかな声でお話します。
「僕はね」
「かなり走らせてますけれど」
「それでもね」
「食べ過ぎですか」
「そうだろうね」
 これが先生の見立てでした。
「これは」
「そういえば最近」
「馬達が食べていると言ったね」
「はい、頑張ってもらう為に」
「それでどうもね」
「皆食べ過ぎてですか」
「太ったんだよ、ただね」
 先生は少し考える顔でこんなことも言いました。
「何故そうなったか」
「そのことは、ですか」
「あれだね、今年の夏はもう涼しくなりだしていて」
 まずはこのことからお話します。
「そして神戸は元々涼しいね」
「そうした街ですね、日本の中では」
「それでだよ、日本の言葉であるね」
 ここで先生はにこりと笑って言うのでした。
「天高く馬肥える秋ってね」
「もう秋ですか」
「まだ暦では夏だけれど」
 それでもというのです。
「秋が見えてきたからね」
「馬達も食べて」
「少し太ったんだ」
「そうでしたか」
「君達も最近涼しくなったと思うね」
「一時に比べればそうですね」
 そう言われるとです、ホフマン君も実感しました。
「涼しくなってきました」
「そう、今年の夏も暑かったけれど」
「日本のお盆が終わって暫く経って」
「もうね」
「涼しくなってきているんですね」
「そうだよ、それで馬達もね」
「夏の時よりも沢山食べる様になって」
 考える顔での言葉でした。
「それで、ですか」
「太りだしてね」
「その分スピードが出なくなっていたんですね」
「そうだよ、ただそれもね」
 スピードが思う様に出ない、この悩みはというのです。
「次第にね」
「出る様になっていきますか」
「そうなるよ、涼しくなった分馬達も動きやすくなって」
「僕達もですね」
「必然的に運動量も増えるね」
「夏は暑くて日差しも強くて」
 ホフマン君はここでお空を見上げました、確かに最近涼しくなっていますがまだ暑くて日差しは強いことも事実です。
 それで、です。先生にお話するのでした。
「夏休みの部活は休憩も多いです」
「日射病、熱射病対策でだね」
「そうしています」
「その心配もなくなるしね」
「秋は、ですね」
「スポーツの秋ともいうよね」
 先生はこの言葉も出しました。
「運動しやすくなって」
「日本にはその言葉もありますね」
「だからね」
「このこともですね」
「あるからね」
 それでというのです。
「特に気にすることはないよ」
「そうですか」
「秋になれば」
「馬達も元の体重に戻って」
「そして君達も今以上に練習する様になるから」
「スピードもですね」
「出るよ、ただ今の部活は」
 夏の、というのです。
「絶対に今後に生きるよ」
「そうなりますか」
「うん、練習つまり努力はね」
「嘘を吐かないですね」
「絶対に秋以降にもね」
「生きてきますか」
「そうだよ、ただね」
 休憩中の皆を見てまた言いました。
「皆しっかりと休んでいるね」
「先生もそこはしっかり言われて」
「日射病、熱射病にならない様にだね」
「ちゃんと水分を摂って」
 そうしてというのです。
「休憩もと」
「それに塩分もだね」
「そちらも言われています」
「そう、本当に夏はね」
「日射病に熱射病が怖いですね」
「日本ではね」
「だからですね、僕も」
 かく言うホフマン君自身もというのです。
「ちゃんとです」
「休んでだね」
「水分も塩分も」
「それはいいことだね」
「僕はスポーツドリンクも飲んでいます」
 こちらの飲みものもというのです。
「夏はよく」
「そのこともいいよ」
「やっぱりそうですか」
「普通にお水を飲むこともいいけれど」
「それでもですね」
「スポーツドリンクはね」
 普通のお水よりもというのです。
「いいから」
「だからですね」
「君もね」
「これからもですね」
「飲んでいくべきだよ」
 スポーツドリンクをというのです。
「身体の為に」
「そうしていきます」
「あとお茶をよく飲んでいます」
 こちらの飲みものもというのです。
「日本に来てから」
「ドイツではコーヒーが主流だからね」
「そうなんです、ですが」
「日本に来てだね」
「涼茶とか麦茶とか」
「そういうものをだね」
「寮のお食事の時もいつも出ますし」
 このこともあってというのです。
「よく飲んでいます」
「そのこともいいことだよ」
「そうですか」
「お茶にはビタミンが入っているからね」
 この栄養素があるからだというのです。
「飲むといいんだよ」
「特にお抹茶が多いんですよね」
「そうだよ、英語ではグリーンティーと呼ぶね」
「あのお茶がですね」
「一番ビタミンが多いんだ」
 そうだというのです。
「お茶の中ではね」
「だからですね」
「どんどん飲むといいよ」
「お抹茶は」
「僕は紅茶の方をよく飲むけれどね」
「紅茶もビタミンありますね」
 このこともです、ホフマン君は言いました。
「お茶で」
「うん、ペットボトルでも書いているね」
「ビタミンが入っていることも」
「そう、だからね」
 それでというのです。
「紅茶もいいんだよ」
「とにかくお茶はですね」
「ビタミンが入っているから」
「だからですね」
「お茶を飲むこともいいことだよ」
 スポーツドリンクだけでなくというのです。
「飲むことも身体にとって大事だからね」
「飲んでいくことですね」
「身体にいいものをね」
「わかりました」
「あと人だけでなく」
 先生はホフマン君にさらにお話しました。
「馬もね」
「あっ、馬達も本当に」
「お水を沢山飲ませているんだね」
「さもないとです」
「馬も熱中症になったりするからね」
「ですから夏は特に」
 この季節はというのです。
「飲ませています」
「そう、人もお水は欠かせないけれど」
「馬もですよね」
「だからね」
 それでというのです。
「いいね」
「そうしていきます」
「そうしてね」 
 二人でこうお話してでした、そのうえで。
 先生は馬達を見ているとどの子も健康で先生は自然と笑顔になってそのうえで動物の皆にお話しました。
「皆健康で何よりだよ」
「どのお馬さんもね」
「毛並みもいいしね」
「身体の動きも軽快で」
「まだ暑いけれど」
「それでもね」
 皆もこう先生に応えます。
「健康で何よりだね」
「よく飲んで食べて」
「それで身体も動かして」
「休憩もしっかり摂ってるから」
「とても健康だね」
「むしろ夏でも太れる位大事にしてもらって」 
 それでと言う先生でした。
「いい感じだよ」
「夏は痩せるからね」
「基本は」
「そこが問題なんだよね」
「特に日本の夏は」
「けれどね」
「それでも太るとなるとね」
 それこそとです、皆も言います。
「そこまで大事にしてもらってる」
「それじゃあね」
「こんなにいいことはないね」
「そうそう」
「健康なのも当然で」
「この部活本当にいいね」
「人も馬も大事にしてもらってて」
 それでというのです、先生も。
「いい部活だってわかるよ」
「こうした部活が第一ってね」
「先生いつも言ってるね」
「そういう風に」
「部活は人も生きものも大事にされてて」
「ものも大事にされていて」
「雰囲気がいいことが」
 まさにというのです。
「第一でね」
「成績とかは二の次っていうね」
「先生は」
「勝つことだけとか言わないね」
「何があっても」
「まずは人や生きものやものを大事にして」
 先生は実際にお話しました。
「雰囲気がよくないと」
「駄目だよね」
「部活にしても」
「他の場所も」
「成績はその後だね」
「幾ら常勝の部でも」
 それでもというのです。
「顧問の先生が生徒をゴミみたいに扱う部活はあるね」
「あるね、暴力振るったりね」
「すぐにいらないとか言って切り捨てたり」
「そんな部活あるね」
「生徒は消耗品とかみなしてて」
「使い捨てにもする様な部活」
「そんな部活は幾ら強くても」
 先生はどうかというお顔でお話します。
「僕はだと思うよ」
「どうしてもね」
「そんな部活にいてもね」
「楽しくないね」
「苦しいだけで」
「生徒の間もギクシャクするし」
「勝利とか結果だけだったら」
 それこそというのです。
「もうそれは誰の為かってなるね」
「プロでもやっぱり過程大事だしね」
「雰囲気も」
「そうしたものがよくないと」
「チームとして悪いし」
「そう、だからね」 
 それでというのです。
「僕はこの乗馬部はね」
「いい部活だね」
「そう思えるんだね」
「人も馬も大事にされていて」
「そのうえでしっかりと乗馬をしているから」
「こうした活動でないと」
 それこそというのです。
「人も馬も育っていかないよ」
「そうそう、命があるんだから」
 トートーが言いました。
「だからね」
「そして心もあるから」
 ジップはトートーに続きました。
「そうしたことも頭に入れてやっていかないとね」
「粗末に扱われたらね」
「私達だって嫌だし」
 チープサイドの家族も言います。
「そうした扱い受けたら」
「それだけでね」
「大事にしてもらってしてこそ」
 ガブガブが言いました。
「ちゃんとなるからね」
「お水も草も食べて」
 老馬は同じ種類だけあってお馬さん達をとりわけ見ています。
「休憩もしっかり摂らないと」
「そうして練習しないと」
 ホワイティは老馬の背中から言いました。
「よくないね」
「というか」
 ポリネシアが言うにはです。
「粗末に扱われたら壊れるよ」
「機械もそうだし」
 そうなるとです、ダブダブは言いました。
「さっきものもってお話したけれど」
「何でも粗末に熱かったら」
 それこそと言ったのはチーチーでした。
「すぐに駄目になるよ」
「そんな生徒を消耗品とかゴミみたいに扱う先生なんて」
「日本には結構多いけれど」
 最後にオシツオサレツが二つの頭で言います。
「最後誰もいなくなるよ」
「そんな人についていく人いないから」
「皆の言う通りだよ、人も生きものも馬もね」
 全てと言う先生でした。
「大事にするものだよ」
「それが人の在り方よね」
「正しい」
「至らないと思って殴ったり蹴ったり罵ったり」
「駄目と思ったらすぐに切り捨てたり」
「そんな態度だとね」
「誰もついていかないから」 
 皆もこのことはよくわかっています。
「そんな先生って自分のことしか考えていないね」
「部活がいい成績だったら自分の評価や評判もよくなる」
「それだけしか考えていない人だね」
「だから生徒も使い捨てに出来るんだね」
「何とも思っていないから」
「本当に残念なことに」
 先生はとても悲しいお顔になって言いました。
「日本にはそんな先生が結構いるね」
「そうだよね」
「イギリスと比べて多いよね」
「先生の犯罪って多くない?」
「生徒の人を殴ったりとか」
「表に出るのは一部だっていうし」
「だとしたらどれだけ悪いことしてるのかしら」
 皆もそのことが気になりました、日本の学校の先生達にどれだけ問題のある人が多くてその人達が悪いことをしているのか。
「先生とは全く違う世界の人達よね」
「どう考えても」
「まるでヤクザ屋さんみたいな」
「そんな人達がいるね」
「ヤクザ屋さんはいつも警戒されて何かしたら捕まるけれど」
「先生は違うから」
 ヤクザ屋さんみたいに警戒されることはないというのです。
「先生様って言われたんだよね」
「聖職者とも」
「牧師さんや神父さんみたいに」
「そんな風にも」
「牧師さんや神父さんでもおかしな人いるのに」
「神様にお仕えする立場でも」
「そうでもない先生が聖職者とか」
 それはと思う皆でした。
「おかしいし」
「神様にお仕えしていないのに」
「何が聖職者なのか」
「それも疑問だよね」
「日本では神様や仏様のことを学んでいなくても」
 そうして心を磨いていなくてもというのです。
「聖職者ともね」
「言われていたんだね」
「それもおかしいね」
「ただ人に教えているだけだとね」
「神様にお仕えしていないなら」
「聖職者じゃないんじゃ」
「そうしていつも心を磨く様にしていないと」
 神様にお仕えする中でというのです。
「おかしいよ」
「そもそも」
「そうよね」
「そうして聖職者って言うから」
「余計におかしくなるんじゃないの?」
「おかしな人達を持ち上げるから」
「そう思うよ、僕も」
 先生にしてもでした。
「先生も選ばないとね」
「ちゃんとした人をね」
「それでちゃんと研修とか続けないと」
「迷惑するのは生徒さん達だから」
「部活でもね」
「そうだよ、おかしな先生を見付けたら」
 その場合のこともです、先生は皆にお話しました。
「ちゃんと対応をしないとね」
「処分とかだね」
「クビとかも含めた」
「そうしたことをしないと」
「やっぱり駄目だね」
「だって普通に考えて会社で人を殴ったらどうなるかな」
 この場合はというのです。
「一体」
「クビだよね」
「立派な傷害罪だよ」
「日本でもそうだよね」
「イギリスでもそうだし」
「むしろそういうことイギリスの方が厳しい?」
「むしろ」
 皆もこうお話します。
「そんなことしたら」
「それこそね」
「間違いなくクビだよ」
「そうならない方がおかしいから」
「どう考えても」
「そうだね、だから日本の学校の先生も」
 普通の会社と同じ様にというのです。
「そんな暴力振るったりする人はね」
「生徒を使い捨てにするみたいな人も」
「生徒の人達こそ迷惑だから」
「だからよね」
「そうした人はクビにしていって」
「まともな人にいてもらうべきね」
「僕はそう思ったよ、酷い先生になると」
 それこそというのです。
「普通にそうしたことするからね」
「それ自体がおかしいから」
「暴力が普通とか」
「生徒を消耗品扱いするとか」
「どう考えても異常よ」
「こうした人は当然一般社会でも問題だし」
 いうまでもなく、という口調背先生は言いました。
「若い人や子供にものを教える先生は」
「尚更だよね」
「それこそ」
「そんな酷い人は先生になったらいけないよ」
「職業は違えどヤクザ屋さんみたいだし」
「間違ってもね」
「ヤクザ屋さんは捕まるよ」
 先生は真顔でお話しました。
「悪いことをすればね」
「けれど日本ではね」
「学校の先生は捕まらない」
「それどころかクビにもならない」
「だから変な先生が残って」
「そんな部活もあるのね」
「僕はスポーツはしないけれど」
 ご自身ですることは無縁です。
「けれどね」
「先生はしっかりしてるから」
「誰にも暴力は振るわないし」
「生徒さん達を消耗品みたいに扱わないし」
「誰にも公平で優しいからね」
「人権を言う人が人を消耗品扱いする」
 先生はこの現実にも思うのでした。
「間違ってるね」
「全くだよ」
「自分が一番人権を無視してるじゃない」
「それこそ」
「それで人に人権とか言うとか」
「嘘八百だよ」
「そうした人は人権を利用しているんだ」
 それに過ぎないというのです。
「所詮ね」
「利用って」
「何それって感じだけれど」
「人権を利用って」
「そのことも酷いわね」
「自分の人権は絶対で」
 その利用の仕方はというのです。
「それでもね」
「他の人の人権はいい」
「そっちは」
「もう塵芥みたいなもので」
「どうでもいいものなんだ」
「そうした考えの人だから生徒を床で背負い投げとかに出来るんだ」
 そうした暴力を振るえるというのです。
「普通にね」
「それ死ぬよ、下手したら」
「後頭部とかぶつけたら」
「立派な傷害罪になるから」
「というか柔道の技よね背負い投げって」
「背負い投げって畳の上でするものなのに」
「僕は柔道をしたことがないけれど」
 とかくスポーツの実践とは無縁の先生です。
「これ位は知ってるからね」
「人を床で背負い投げなんか」
「もう柔道でも絶対にしたらいけないことで」
「立派な暴力で」
「他の人の人権を何とも思っていない人だから出来るのね」
「僕はそう思うよ、人も生きものも命があって心があるんだ」
 どんな人も生きものもというのです。
「そのことをよく理解しないと」
「絶対に駄目だね」
「先生がいつも言っている通りに」
「先生はちゃんと人権を知っているから」
「そうしたこともちゃんとしているんだね」
「そうする様に心掛けているよ」
 これが先生の返答でした。
「いつもね」
「そうそう、それが先生だよ」
「そうしたこともわかっていて」
「そのうえで皆に公平でね」
「とても親切なんだよ」
 皆はその先生に言いました。
「本当の紳士だよ」
「人としての在り方もわかっている」
「女性も子供も生きものも尊重していて」
「差別もしないしね」
「差別しないと言ったその口で人を全否定する様な罵倒を言ったら」
 それこそというのです。
「もう差別と一緒だね」
「罵倒も暴力だしね」
「人の心を傷付ける」
「言葉の暴力だから」
「そんなの出して差別反対と言っても」
「信じられないよね」
「そうだよ、人を踏みつけにする人は人を平等と思っていないよ」
 口でどう言ってもというのです。
「本当にね」
「人を踏みつけるとかもね」
「する先生いるんだね」
「本当に日本の学校の先生って」
「酷い人が多いんだね」
「ああした人達みたいになったら駄目で」
 先生はまた言いました。
「そうした人達を出来るだけね」
「いなくしていく」
「そうしていかないとね」
「日本の教育はよくならないね」
「悪くなる一方だよ」
「そんな先生ばかりだと」
「このことは日本の深刻な問題だよ」
 そのうちの一つだというのです。
「どんないい国にも問題があってね」
「日本にもだね」
「こうしたことはね」
「本当に酷いね」
「何とかしないといけない」
「そうした問題だよ」
 先生は心から言いました。
「本当に」
「イギリスにはイギリスの問題があって」
「日本には日本の問題がある」
「そういうことだね」
「そして日本の問題の一つがね」
「学校の先生にことだね」
「日本に来てから知ったよ」
 逆に言えば日本に来るまで知らなかったのです、その中までよく知ってはいなかったからこそでした。
「本当に」
「日本にも問題があって」
「何とかしていかないといけない」
「そうなるんだね」
「要するに」
「問題があれば」
「そうだよ」
 まさにというのです。
「正していくべきだよ」
「どんな問題でもね」
「そうしていくべきだね」
「間違いがあったら」
「それを」
「そうだよ、そしてどんな問題でも」
 それが例えどういった難しい問題でもというのです。
「解決出来ない問題はないよ」
「絶対に解決出来るんだね」
「どんな問題でも」
「それが出来るんだね」
「どんな問題でも」
「そうだよ、解決出来ない問題は」
 それこそというのです。
「この世にないんだよ」
「絶対にっていうのはないんだね」
「絶対に解決出来ない問題は」
「それはないんだね」
「そうした問題は」
「そのことは覚えておいてね」
 是非にと言った先生でした、そうしてです。
 皆で少し乗馬部の部活を見てから研究室に戻りました、そうしてからまた論文を書くのですがこの時に。
 ふとです、先生はこんなことを言いました。
「いや、いい気分転換になったね」
「高等部の乗馬部の部活を見て」
「そうしてだよね」
「そしてそのうえでね」
「ちゃんと見てね」
「そしてだね」
「気持ちが切り替わって」
 そうしてというのです。
「いい感じになったからね」
「論文もはかどるね」
「そうなんだね」
「じゃあ論文をね」
「これからも書いていくね」
「気分転嫁も出来たから」
「そうするよ、この論文を書いて」
 そうしてというのです。
「書き終わったらね」
「その時はだね」
「また次の論文にかかるね」
「そうするね」
「そうするよ、僕は学問が生きがいだから」
 それだけにというのです。
「書いていくよ」
「頑張ってね」
「それじゃあね」
「私達も応援するから」
「支えていくからね」
 こう言ってまた先生に紅茶を出します、先生はその紅茶を美味しく飲みつつ論文を書いていくのでした。








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