『ドリトル先生の競馬』
第五幕 夏祭りと花火
先生は動物の皆にトミーそして王子と共に町の神社の中でも一番大きな八条神社のお祭りに出ました。そうしてです。
そこで左右に並ぶ出店達を見回しますが。
動物の皆はここで先生に言いました。
「先生浴衣も似合ってるね」
「作務衣だけじゃなくてね」
「何か様になってるよ」
「浴衣姿絵になっているよ」
「下駄もね」
「いや、何というかね」
先生は淡い紺色の浴衣に下駄という身なりです、その姿で皆に応えます。
「涼しくて動きやすくてね」
「その恰好もだね」
「いいっていうんだね」
「うん、かなりね」
こう皆に言うのでした。
「着物は着たことがあるけれど」
「それでもだね」
「浴衣もまたよし」
「着物の中でも」
「そう思ったよ」
「本当に似合ってるよ」
王子も先生に言ってきます、この人とトミーはいつもの洋服です。
「先生って日本の服が本当に似合うね」
「うん、生まれはイギリスでもね」
「服が馴染んでいるんだよ」
「だからだね」
「似合っているんだ」
「スーツも似合っていますけれど」
それでもというのです。
「着物も似合うんですよね」
「ここまで似合うと言われるとは思っていなかったよ」
「何か体形的にもなんですよ」
「僕は着物が似合うんだね」
「そうだと思います」
「先生は背は高いけれど」
王子が先生のその体形のことをお話します。
「太ってるし脚もそんなに長くないからね」
「着物も似合うんだね」
「そう、ただ脚は短くもないから」
「つまり中間だね」
「だからスーツも似合うんだ」
こちらもというのです。
「そこはいい体形だと思うよ」
「それは何よりだね」
「うん、じゃあ今からだね」
「お祭りを楽しもうね」
「それじゃあね」
王子は先生の言葉に笑顔で頷きました、そうしてです。
皆で出店が並ぶ中を歩きつつです、焼きそばやお好み焼き、たこ焼き、いか焼き、フランクフルト、玉蜀黍、焼き鳥等を買ってです。
そうしたものを食べてデザートとしてクレープや林檎飴、ベビーカステラ等を食べてです。神社が提供してくれている御神酒である日本酒を飲みます。
そうしてお祭りを楽しんでいると。チープサイドの家族がこんなことを言いました。
「この出店が並んでるのがね」
「いいのよね」
「日本のお祭りの醍醐味だね」
「凄くいいわね」
「美味しくて」
それにと言ったのは老馬でした。
「しかも独特の風情があるからね」
「夏になると」
「こうして楽しまないとね」
オシツオサレツは二つの頭で言います。
「飲んで食べて」
「そしてお祭りの雰囲気もね」
「花火もあるし」
チーチーはこちらのお話をしました。
「これも楽しまないとね」
「丁度ここからだと花火がよく見えるし」
ポリネシアは今自分達がいる場所を見ています、神社の中の広い場所で皆はそこに敷きものを敷いて出店で買ったものを食べて御神酒を飲んでいるのです。
「丁度いいわね」
「早くはじまらないかな」
ホワイティはそわそわとしています。
「花火も楽しみたいし」
「焦らない焦らない」
トートーがホワイティを窘めます。
「だって花火は絶対にはじまるんだし」
「この天気なら大丈夫よ」
ガブガブははっきりと言いました。
「いい花火が見られるわ」
「日本は花火もいいから」
ジップも楽しみにしています。
「どうしても待ちきれないけれどね」
「待つ間は食べればいいんだよ」
ダブダブの解決案は彼らしいものでした。
「それでね」
「そうそう、花火がはじまるまで少し時間があるし」
王子は御神酒を飲んでいます、執事さんが大量にそれこそ樽一つ分のものを持って来てくれていてそれを飲んでいます。
「ゆっくりと待てばいいんだよ」
「皆焦ることはないよ」
先生はお好み焼きを食べつつ皆にお話しました。
「花火も絶対にはじまるんだし」
「だからだね」
「それでだね」
「今はだね」
「楽しく飲んで」
「食べていればいいんだね」
「そうだよ、折角だからね」
こう言いつつ先生は今度は御神酒を飲みました、清酒のそれもとても美味しいです。
「そうしていればいいんだよ」
「焦らないで」
「そうしてだね」
「楽しんでいればいいね」
「ここは」
「そうだよ、お酒も出店の食べものもいいしね」
「いか焼きいいですね」
トミーはそちらを食べています、小麦粉と卵の生地の中に烏賊を入れていてお好み焼きみたいに焼いてソースをかけたそれをです。
「僕これが好きなんです」
「関西っていか焼き二つあるけれどね」
「そのいか焼きといかの姿焼きだね」
「そちらも美味しいんだよね」
「僕達も買ってるしね」
「いや、烏賊は」
ここで言ったのは先生でした。
「こうした時も美味しいからね」
「そうだよね」
「イギリスでは食べられるのってことからのものだけれど」
「日本じゃよく食べて」
「それで美味しいからね」
「こうしてお酒を飲みつつ食べて」
そしてというのです。
「楽しめるものでもあるよ」
「そうだね、ただいか焼きって二つあるね」
「そうだよね」
「小麦粉に入れて焼くのとね」
「丸ごと焼くのとね」
「両方あるよね」
「これは関西のことでね」
それでとです、先生は皆にこのこともお話しました。
「他の地域では違うんだ」
「そうなんだ」
「いか焼きっていっても一つなんだ」
「一つしかないんだ」
「いかの姿焼きがいか焼きで」
関西以外の地域ではというのです。
「生地を使ったいか焼きはないんだよ」
「成程ね」
「そうだったんだ」
「いか焼きは僕達が今いる関西のことで」
「他の地域ではなんだ」
「違ったんだ」
皆はそのことを聞いてしみじみと思いました。
そのうえで先生にこんなことを言いました。
「日本のこの地域色もいいね」
「食文化のそのことも」
「これまで日本のあちこち歩いて見てきたけれど」
「そういうことも面白くてね」
「いい学問が出来ているね」
「そう、こうしたものを知ることも」
先生はしみじみとなった皆にお話しました。
「学問だよ」
「美味しい学問だね、それで関西の中でも」
王子は今はたこ焼きを食べています、そうして言うのでした。
「大阪のことだね」
「うん、大阪からはじまったことだよ」
「実際にそうだね」
「大阪の食文化は素敵なものでね」
「いか焼きも二つあるんだね」
「お好み焼きや焼きそばも有名だし」
先生はそちらも見ています、いか焼きやたこ焼きと一緒に置いているそれを。
「そしてたこ焼きも生んでいるしね」
「大阪名物の一つだしね」
「こんな美味しい蛸のお料理あるなんてね」
「やっぱりいいよね」
「幾らでも食べられるし」
「おやつにもいいし」
「僕も大好きだよ、こうして食べて」
そしてというのです。
「楽しもうね」
「それじゃあね」
「どんどん食べて」
「そうしてね」
「楽しく遊ぼうね」
「そう、そして」
それにと言った先生でした、そのたこ焼きをさらに食べながら。
「もうそろそろだよ」
「あっ、花火」
「花火もあるね」
「じゃあ花火も楽しんで」
「素敵に楽しもうね」
「是非ね」
こうしたお話をしていると、でした。
先生達は花火が打ち上げられるのを見ました、するとです。
花火は次から次から打ち上げられそうして夜空に大輪が咲きました。赤や青、黄色に白に緑の様々な色の花々は咲きます。
その花達を見てです、先生は言うのでした。
「いいね」
「そうだよね」
「遂にはじまったね」
「次から次に打ち上げられて」
「夜空を飾るね」
「これを見ていると」
「日本の夏だって思うよね」
こう言うのでした、そしてです。
動物の皆も花火を見ます、そうして楽しんでいます。先生も同じでそれで微笑んでいますがその中で。
ここで、です。先生は言いました。
「花火を見て美味しいものを飲んで食べる」
「それはだね」
「うん、日本の夏だよ」
王子にも答えます。
「まさにね」
「そうだよね」
「日本の夏の中にいたら」
「こうしてだね」
「お祭りに出てね」
そうしてというのです。
「お酒を飲んで」
「出店のものを食べて」
「そしてね」
それでというのです。
「楽しむんだよ」
「そうするんだね」
「そうだよ」
「そういえば先生は」
王子はここでこうも言いました。
「お祭りも文化だって言うよね」
「うん、実際にね」
「お祭りも文化だね」
「そして宗教行事でもあるよ」
その意味もあるというのです。
「むしろ本題はね」
「それだよね」
「この夏祭りは神道のそれだよ」
「日本の宗教の」
「それだからね」
「その宗教行事にも参加してね」
それでというのです。
「楽しんでいるんだよ」
「今の僕達は」
「そう、だからね」
それでというのです。
「この花火もね」
「楽しむんだね」
「そうだよ、宗教行事としてね」
「成程ね」
「そういえば先生は」
今度はトミーが言ってきました。
「夏のもう一つのイベントには参加されないですね」
「もう一つの?」
「海水浴です」
「ああ、そちらだね」
「海の家には行かれますが」
「海の家の雰囲気は好きだよ」
そちらはいいというのです。
「飲んで食べてね」
「そうしてですね」
「楽しむよ、ビーチも眺めてね」
「そうですね」
「夏の海や空や砂浜は好きなんだ」
そうした場所はというのです。
「本当にね、ただね」
「それでもですね」
「うん、それは」
何といってもというのです。
「好きだけれど」
「泳ぐことはですね」
「僕は泳げないからね」
「そうですよね」
「そう、だから海で泳ぐことは」
「しないですね」
「絶対にね」
泳げない先生はというのです、そのこともトミーにお話します。
「その中に入って雰囲気や食べものを楽しんでもね」
「先生らしいね」
「ビーチはこの八条町にもあるけれど」
「そちらは楽しまない」
「泳がないから」
「そうなんだ、泳げないから」
動物の皆にもこうお話します。
「海には入らないよ」
「先生スポーツはからっきしで」
「水泳も出来ないから」
「だからだね」
「水泳もしないで」
「海の家にいてね」
ビーチではというのです。
「そこで食べてね」
「かき氷とかラーメンとか」
「あとカレーもだね」
「海の家はそういうものが美味しいから」
「八条町の海の家でもね」
「そうだしね」
「だから僕はそちらは好きだよ」
海の家のそうした食べものはとです、先生はケチャップとマスタードをかけたフランクフルトを食べつつお話しました。
「海の家の雰囲気もね、けれど」
「本当に先生は泳げない」
「そういうことだよね」
「どうしても」
「だから海には入らない」
「ビーチではそれが肝心だけれど」
「スーツでね」
つまり先生の普段の服装でというのです。
「海の家にいるね」
「先生サンダルとかも履かないしね」
「アロハシャツに膝までのズボンとかも」
「そうした姿にもならないし」
「今みたいに浴衣や作務衣にはなっても」
「パジャマも着てね」
「けれどね」
そうした服装にはなってもというのです。
「どうしてもね」
「そうした格好にはならないね」
「水着なんてもう絶対にだし」
「そもそも一着も持ってないし」
「ジャージすらだし」
「僕は運動をしないから」
とにかくこのことは先生の中では絶対のことなのです。
「だからね」
「もうそこは仕方ないね」
「水着の女の子を観たいって人もいるけれど」
「そっちもだよね」
「先生には縁がないし」
「ははは、スポーツにね」
先生は焼きそばをお箸を上手に使って食べつつ言いました。
「女の子はね」
「縁がないっていうんだ」
「そちらは」
「そうだったいうんだ」
「そうだよ、本当にね」
実際にというのです。
「女の子もだしね」
「それでなんだ」
「そんなこと言うんだ」
「もてないって」
「ここでも」
「実際にもてたことがないからね」
この気持ちは相変わらずです、本当に先生はご自身は女の子とは全く縁がないと思っているのです。
「一度も」
「そう言うけれどね」
「それでもだよ」
「僕達は違うと思うよ」
「先生にしても」
「そのことは」
「そうだよ、だから僕はね」
それでもというのです。
「一度もね」
「ビーチに行っても」
「海に入らないで」
「それでね」
「女の子も見ないんだね」
「見ることはないよ」
自分でもてないと思っているからだというのです。
「そうするよ」
「何ていうか」
「そうした考えがね」
「先生らしいけれど」
「そこは変えてみたら?」
「発想を転換して」
「いや、だから僕はもてないから」
またこう言う先生でした。
「発想の転換もね」
「それもないんだね」
「女性には縁がない」
「そうだっていうんだね」
「あくまで」
「そうだよ」
「まあ外見だけ見ない人はいるよ」
王子もその現実は指摘しました。
「やっぱりね、けれどね」
「内面を見る人もいるんだね」
「そうだよ、いるよ」
先生にこのことをお話するのでした、そうしてまたお酒を飲んで身体に酔いがさらに巡っていくのとを感じつつ言うのでした。
「ちゃんとね、ここにいる皆がそうだし」
「女の人もだね」
「そうだよ」
まさにというのです。
「そうした人がいるから」
「そのことは僕もわかっていてね」
「お友達だね」
「そうした人でね」
あくまでというのでした。
「僕を交際相手と考える人は」
「いないんだね」
「一人も」
「今そうで」
「これまでもそうだったし」
「これからもだね」
「僕は皆がいるしトミーと王子がいて」
それでというのです。
「家族でいてくれているしね」
「奥さんはいいっていうのね」
「そこまでは願わない」
「もう家族に囲まれているから」
「寂しくないから」
「これでいいのね」
「そうだよ、寂しくないしね」
それでというのです。
「もうこれ以上の幸せは望んだら駄目かとも思うし」
「そこがね」
どうもと言ったのは王子でした、御神酒の日本酒がとても美味しいので次から次にゴクゴクと飲んで楽しんでいます。
「先生のよくないところかな」
「王子もいつもそう言うね」
「だってね、今の時点でだよ」
「充分過ぎる程だね」
「幸せって言うから」
それでというのです。
「そしてそれ以上は求めないから」
「よくないんだね」
「もっと幸せになってもいいよ」
「そうですよ、先生ご自身が言っておられますよ」
トミーも御神酒を飲みつつ先生にお話します。
「人の幸せには限りがないと」
「何処までも幸せになれるとだね」
「言っておられますし」
「僕もだね」
「もっとですよ」
今以上にというのです。
「幸せになっていいですし」
「いい人と結婚して」
「そうなってもいいですし」
トミーは先生にさらに言いました。
「相手の人もです」
「いるかな」
「絶対にいますから」
「僕はそうは思えないけれどね」
全く、です。
「どうにも」
「もてないとですね」
「思うからね」
「それはですよ」
「発想を変えてだね」
「それで周りを見てみたらどうでしょうか」
こう言うのでした。
「先生も」
「そうだといいけれどね」
「花火を見るのもいいですが」
花火は次から次にあがって奇麗な姿を見せ続けています、音が鳴ってそうして夜空に奇麗な花が咲いています。
「女の人もですよ」
「見ることだね」
「本当に人は外見ではないですし」
大事なのは心だというのです。
「それで先生よりずっと駄目な人も結婚していますよ」
「そうそう、中には酷い人いるよ」
「奥さんや子供に暴力振るったりね」
「働かずに借金してそれでも偉そうに言ったり」
「何も正しいことを学ばないでね」
「お酒や麻薬に溺れたり」
「ギャンブルばかりするとか」
動物の皆はそうした人を挙げていきます。
「そんな人いるじゃない」
「けれどそんな人でも結婚してるよ」
「そうして奥さんや子供さん泣かせてね」
「自分は平然としているからね」
「そんな人と比べたら先生なんて」
「どれだけいい人か」
「その先生なら」
それこそというのです。
「結婚出来るよ」
「出来ない筈ないよ」
「だから安心してね」
「ちょっと傍を見ればいいのよ」
「それでいいかな、しかしね」
それでもと言う先生でした。
「僕がもてないことは事実だしね、今もね」
「相手がいない?」
「そう言うんだ」
「やれやれね」
「私達がいつも言ってることなのに」
動物の皆は一切気付かない先生に困ってしまいます、ですがそれでも先生は気付きません。こうしたお話をしつつ出店のものを食べて御神酒を飲んでです。
花火を楽しんでいますと後ろから声がしました。
「先生ですか?」
「その声は」
振り向くとです、そこにはです。
ホフマン君がいました、白いシャツに青いジーンズがよく似合っています。その右手にはフランクフルトがあります。
「君だね」
「はい、先生もお祭りに来られたんですね」
「それでこうしてね」
「飲んで食べてですね」
「花火も楽しんでいるんだ」
先生はホフマン君ににこりと笑って答えました。
「この通りね」
「そうなんですね」
「そして君もだね」
「はい、さっきは出店のフライドポテトを食べました」
「ジャガイモだね」
「潰しているのが一番好きですが」
ジャガイモはというのです。
「フライドポテトも好きなので」
「買って食べていたんだ」
「それで今はフランクフルトを」
これをというのです。
「食べています」
「そうしているんだね」
「はい、それで」
見ればホフマン君の左手には紙コップがあります、その中には。
「お酒も飲んでいます」
「御神酒の日本酒だね」
「こちらも飲んで」
そうしてというのです。
「楽しんでいます」
「そして花火もだね」
「いや、日本の花火はいいですね」
「凄く奇麗だね」
「芸術ですね」
先生ににこりと笑ってこうお言いました。
「本当に」
「そうだね、こうして見ていると」
「それで、ですよね」
「僕も心からそう思うよ」
芸術品、それだというのです。
「本当に」
「そうですね」
「うん、そしてこうした日本の夏をね」
さらに言う先生でした。
「楽しむこともね」
「いいことですね」
「夏バテは気力も大事だから」
「楽しい思いをしてですね」
「英気を養うこともね」
このこともというのです。
「大事だよ」
「そうですよね」
「だからね」
「はい、今もですね」
「じっくりとね」
まさにというのです。
「楽しんでね」
「出店のものもお酒も花火も」
「全部ね」
「わかりました」
こう言ってでした、そのうえで。
ホフマン君は先生と別れて少し離れた場所に行ってそこで立ったまま花火を観はじめました。その彼を見てです。
先生は目を細めさせてこんなことを言いました。
「やっぱりね」
「やっぱり?」
「やっぱりっていうと」
「いや、彼はさっきジャガイモのお話をしたけれど」
ホフマン君のことをお話するのでした。
「潰したものが一番好きなんだね」
「そうそう、ドイツはジャガイモを潰すわね」
ここで言ったのはガブガブでした。
「切るよりも」
「茹でて丸ごと食べるとか」
ホワイティも言います。
「それはあまりしないね」
「茹でたジャガイモの皮を剥いてそこにバターを乗せて食べても」
チーチーはこの食べ方のお話をします。
「かなり美味しいけれどね」
「烏賊の塩辛と海胆を乗せてもいいね」
老馬はこちらの食べ方に言及しました。
「北海道のね」
「けれどドイツだと」
ポリネシアもこのことを知っています。
「潰して食べるのよね」
「そうして食べたら実際美味しいし」
「しかも食べやすい」
チープサイドの家族もこの食べ方は好きな様です。
「いい食べ方なのは事実だね」
「味付けもしやすいし」
「それで彼も言ったんだね」
ジップの口調はしみじみとしたものでした。
「ドイツの食べ方が一番だってね」
「それでもフライドポテトを食べたら」
それならとです、トートーは思いました。
「美味しかったみたいだね」
「満足した感じだったね」
「そうだね」
オシツオサレツも二つの頭で言います。
「フライドポテトもジャガイモだしね」
「ドイツでも食べるしね」
「そしてフランクフルトも食べてたし」
最後にダブダブが言いました。
「ここでドイツを満喫出来ていたみたいだね」
「うん、お酒も飲んでいたし」
先生も応えます。
「それならだね」
「そうだよね」
「いい気力回復になってるかな」
「今日のことは」
「そうなっているかな」
「そうみたいだね、しかしさっきの話題だけれど」
先生は皆にまた言いました。
「ビーチに行くこともいいかな」
「泳がないにしても」
「それでもだね」
「ビーチに行って海を見るのもいいし」
「海の家で食べることもいいし」
「それもいいね、今度の日曜日なんていいかな」
先生は笑顔で言いました。
「日本の海はお盆までだけれどね」
「お盆過ぎるとね」
「海月が物凄く多くなってね」
「誰も海に行かなくなるわね」
「プールになるね」
「プールでも僕はやることは変わらないけれどね」
泳がなくて水着にもならないというのです。
「景色を楽しんでね」
「そして食べる」
「それだよね」
「そうなるよね」
「本当に」
「そうだよ、海を楽しもうね」
こう言うのでした。
「是非ね」
「そしてそのうえでね」
「楽しんでいくね」
「アイスクリームやかき氷も」
「そちらもだね」
「楽しみたいね、そういえばこのお祭りの出店もでかき氷があったね」
先生はふとこのことを思い出しました。
「そうだったね」
「かき氷は絶対にあるね」
「日本のお祭りには」
「夏のそれはね」
「それはしっかりあるよね」
「このお祭りでも」
「だからね」
それでというのです。
「後で皆で食べようか」
「酔い醒ましにもなるし」
「しかも甘くてよく冷えるし」
「日本の夏の風物詩の一つだし」
「食べましょう」
「そうしようね、ただ昔は」
こうも言った先生でした。
「かき氷というか氷はとても高かったんだよね」
「そうそう、暑い場所だとね」
ここで言ったのは王子でした。
「氷は貴重で有り難いものだけれど」
「そうだよね」
「けれどすぐ溶けるだけに」
「昔はね」
実際にというのです。
「このことは」
「とてもね」
「そう、だからね」
「先生もだね」
「今はとても安いけれど」
「お水凍らせて」
先生は言いました、
「それで出来るからね」
「後はシロップかけてね」
「それで出来るっていう」
「簡単で安い」
「そんなものだね」
「そう、けれどね」
それがというのです。
「昔はだよ」
「凄く高かったね」
「そうだったんだよね」
「かつては」
そうだったというのです。
「それがね」
「昔は」
「物凄く高価で」
それでというのです。
「むしろお酒とかよりもね」
「ずっと高くて」
それでというのです。
「貴重なものだったんだよ」
「そうだね、そう考えたら」
「かき氷を安く食べられる」
「凄い贅沢だよね」
「そういえば古典とかでも」
トミーも言ってきました。
「氷を夏に楽しめたら」
「凄い贅沢だったってあるね」
「そうでしたね」
「それこそお殿様とかね」
「そうした人達の楽しみでしたね」
「そうだったけれど」
先生は今は飲みつつ言いました。
「それが」
「今ではですね」
「そのとてつもない贅沢がね」
それこそというのです。
「何でもないものになったよ」
「そうですね」
「イギリスは寒いし氷もね」
「日本程使わないですね」
「うん、だからよくわからないけれど」
「昔の日本では」
「夏の氷は」
それことというのです。
「とんでもないご馳走だったんだ」
「そうだったんですね」
「そう、そして」
それでというのです。
「今から僕達はね」
「そのご馳走をですね」
「楽しもうね」
「それじゃあ」
こうお話してでした、そのうえで。
皆でかき氷も食べました。見ればそれぞれ苺やレモン、メロン、ブルーハワイ、お抹茶等をかけています。
先生は苺を食べていますがそこで言いました。
「かき氷の王道というと」
「苺になるよね」
「それが基本だよね」
「何といっても」
「そうだよね」
「うん、皆今日はそれぞれのシロップをかけているけれど」
それでもというのです。
「やっぱりね」
「第一は苺だよね」
「アイスクリームやソフトクリームのバニラね」
「それにあたるし」
「苺だね」
「これが第一だよ」
「そう、何というか」
それこそというのです。
「苺が第一で」
「その他のものはね」
「その次ね」
「檸檬とかブルーハワイは」
「そうしたものは」
「甘ったるいと言えるけれど」
苺のシロップの甘さ、それはというのです。
「それでもね」
「その甘ったるさがかえっていいよね」
「かき氷のあっさりさと合わさって」
「本当にいいのよね」
「最後は氷が溶けて飲む感じになるけれど」
「それもまたね」
「いいね、だから日本の夏祭りの出店にはね」
こうした時はというのです。
「かき氷は欠かせないね」
「そのうちの一つだね」
「やっぱり」
「こうして楽しむと」
「本当にいいね」
「うん、それと」
そしてと言うのでした、先生は。
「これを食べてね」
「他の出店のものも御神酒も飲んだし」
「じゃあね」
「花火を最後まで観て」
「それからは」
「お家に帰ろうね、あと御神酒も」
こちらもというのです。
「いいね」
「うん、本当にね」
「いい日本酒だったわね」
「幾らでも飲める感じで」
「とても飲みやすくて」
「素敵な味だったよ」
「日本酒といっても色々だれど」
それでもというのです。
「いい御神酒だったね」
「そういえば」
ここで王子が言ってきました。
「御神酒って日本酒だけじゃないよね」
「日本酒がイコールになっているけれど」
「それでもだね」
「神様に捧げられたらね」
それでというのです。
「基本はね」
「どのお酒でもいいんだね」
「極論すればワインでも」
「赤ワインでもかな」
「そう、そのお酒でも」
それでもというのです。
「駄目ということではないよ」
「そうだよね」
「けれど日本で日本の宗教だと」
「日本酒になるんだね」
「他のお酒はね」
どうにもというのです。
「合わないとされるね」
「そうだよね」
「日本酒がほぼ確実になっているけれど」
「その実は」
「他のお酒でもいいんだ。それに日本酒にしても」
先生はその日本酒のお話もしました。
「今は清酒だね」
「澄んだお酒だね」
「そう、これがね」
「昔はどうか」
「そう、昔はね」
「清酒はなかったね」
王子はその御神酒になっている清酒を飲みつつ応えました。
「そもそも」
「そう、だから全部ね」
「濁酒だったね」
「そのお酒だったんだ」
「そうだったね」
「そこはね」
本当にというのです。
「違っていたんだ」
「そうだったね」
「そこはね」
「じゃあ今の清酒だけというのも」
「昔は違ったから」
「じゃあ日本酒、清酒でなくても」
「それが絶対かと定められているかというと」
このことはというのです、先生は今はかき氷の最後を本当に飲みながらそのうえで王子にお話をしました。
「それがね」
「また違うんだね」
「少なくとも法律にはね」
「なっていないね」
「けれどこれが日本酒以外だと」
「またしっくりいかないね」
「ビールじゃ何かが違うね」
「そしてワインでも」
こちらでもというのです、先程お話に出た。
「それが例え白ワインでもね」
「違うね」
「そう、だから」
それでというのです。
「やっぱりね」
「御神酒はだね」
「日本酒なんだ」
「日本のお酒だからね」
「それが濁酒でも清酒でも」
この違いはあってもというのです。
「お米で造ったお酒でないとね」
「御神酒にならないんだね」
「どうしてもね」
「成程ね」
「そしてね」
「そして?」
「ここには信仰もあるんだ」
神事であるだけにというのです。
「日本のね」
「というとお米への」
「日本人の主食は何か」
「何といってもお米だね」
「日本人は意識していなくてもね」
「お米への信仰があって」
「それでなんだ」
このことがあってというのです。
「それでなんだ」
「お米のお酒でないとだね」
「御神酒にならないんだ」
「成程ね」
「そう、そして」
先生は王子にさらにお話しました。
「僕達もこうしてね」
「飲んでいるんだね」
「今ね」
「そういうことだね」
「これも神事なんだよ」
御神酒を飲むこともというのです。
「じゃあ日本の神々に感謝しながら」
「御神酒を飲んだし」
「花火もね」
「最後までだね」
「楽しもうね」
こう言って花火を見続けるのでした、先生達は今は神社でそうして楽しんでいました。これもまた先生達の夏でした。