『ドリトル先生の競馬』




             第一幕  馬と先生

 先生はこの時お家でくつろいでいました、丁度日曜の午後で論文も一段落して居間でテレビを観ていました。
 そのテレビは競馬でしたが一緒に観ている動物の皆は言いました。
「日本にも競馬あるけれどね」
「イギリスの競馬とはまた違うね」
「日本の競馬って大衆的ね」
「どうもね」
「貴族的な感じはなくて」
「庶民の楽しみって感じよね」
「そうだね、日本の競馬はね」 
 作務衣姿で座布団の上に座ってくつろいでです、先生は氷を入れた麦茶を飲みながらそのうえで皆に応えました。
「イギリスから入ったけれど」
「また違うわね」
「カラーが違うね」
「貴族の楽しみじゃなくて」
「庶民的でね」
「そっちでね」
「娯楽にしても」 
 皆はさらに言いました。
「そこはイギリスと同じでも」
「何か全然違うね」
「雰囲気も」
「何かと」
「別ものとまではいかないけれど」
 それでもというのです。
「同じ競馬かっていうと」
「ぱっと見じゃ言えないね」
「そこまで違うのは事実だね」
「そうよね」
「そう、僕もそう思ったよ」
 先生にしてもです。
「イギリスの競馬と随分違うってね」
「賭け方もね」
「イギリスでも賭けるけれど」
「場所の雰囲気だけじゃなくて」
「賭け方すらも」
「そう、だからね」
 それでと言う先生でした。
「日本なんだなってね」
「日本の競馬ね」
「要するに」
「競馬は日本に入って日本のものになって」
「イギリスの競馬はイギリスのもので」
「日本の競馬は日本のものね」
「そういうことだね」
 先生は馬達が走るのを見ながら皆に答えました。
「やっぱり」
「それとね」
 ダブダブが先生に言ってきました。
「先生賭けごともしないよね」
「昔からそうね」
 ガブガブも言います。
「そっちは全然しないわね」
「負ける気がするって言って」
 ジップはこのことをお話しました。
「それでだね」
「まあ実際先生ギャンブルは苦手そうだね」
 トートーの見る限りではです。
「そうしたことは」
「勝負ごとは」
 ここで言ったのはチーチーでした。
「向いていないって言って」
「それは正解だね」
「そうよね」
 チープサイドの家族も思うことでした。
「そのことは」
「先生がギャンブルを最初からしないことは」
「若し先生がギャンブルをしたら」
 その時のことは老馬がお話しました。
「絶対に駄目だね」
「負けるね、絶対に」
「勝てるとは思えないよ」
 オシツオサレツが見てもです。
「先生はギャンブルは向いてないよ」
「根っからね」
「だから最初からしなくてよかったし」
 最後にホワイティが言いました。
「これからもすべきじゃないよ」
「僕もそう思うよ」
 先生ご自身も思うことでした。
「ギャンブルはしないよ」
「そうそう、それがいいよ」
「どう見ても先生に向いてないよ」
「スポーツもそうだけれど勝負ごともね」
「そっちもね」
「そうだね、若しも」
 また言う先生でした。
「僕がギャンブルに夢中になったら」
「もう負けてばかりで」
「その都度お金ばかりなくして」
「碌なことになってないわ」
「それこそね」
「自分でもわかっているから」
 だからだというのです。
「僕はしないよ、競馬もね」
 こちらもというのです。
「これといってしないし」
「こうして観てるだけね」
「それもたまで」
「競技場に行くこともしないし」
「本当にテレビだけで」
「あまり縁がないわね」
「乗馬は出来ても」
 いつも老馬の背中に乗って登下校していることにも言及しました。
「それでもね」
「これといってだね」
「やっぱり縁は薄いね」
「乗馬もスポーツだし」
「先生とスポーツはね」
「本当に縁が薄いものね」
「そうだね、僕はスポーツは」 
 競馬も含めてというのです。
「縁が薄いね」
「そうよね」
「どうしても」
「そのことは事実で」
「競馬にしてもそうで」
「たまにテレビで観るだけね」
「僕達と一緒に」
「そう、若しも」
 本当にと言う先生でした。
「僕が競技に出てもね」
「それも想像出来ないし」
「それも全く」
「もうそれは完全にスポーツだし」
「先生の体格だとね」
「競馬に出ることなんて」
 この競技にというのです。
「やっぱりね」
「違和感凄いわ」
「今も馬に乗ってる人皆すらりとしてるし」
「細くて」
「あと小柄な人が多いかな」
「競馬の競技選手は」
「そう、あまり大きいと」
 先生も皆にお話します。
「馬に乗る時重いからね」
「体格があるとそれだけ」
「背が高いイコール大きいってことで」
「それでその分体重もあるから」
「どうしても背が高いとね」
「馬が重いものを背負って競技に出ることになるから」
「その分競技の順位に関わるしね」
 それでというのです。
「競馬とかレースはね」
「体格は小さい方がいい」
「そういうことだね」
「じゃあ先生は大柄だし」
「イギリス人の中でも」
 日本人の中にいると尚更です。
「一八五普通にあるから」
「一九〇はないかしら」
「けれど大柄なのは事実だし」
「しかも太ってもいるから」
「余計にね」
「しかも乗馬をスポーツでしたこともないよ」
 先生はこのこともお話しました。
「だからね」
「もう絶対にだね」
「先生は競技には出られないわね」
「何か想像もつかないけれど」
「先生が競技に出ることも」
「本当に最初からないから」
 このことはというのです。
「やっぱり僕にスポーツは無縁だよ」
「このことは事実ね」
「実際にどうしても」
「それじゃあね」
「これからも観てるだけね」
「賭けることもしなくて」
「そう、このままだよ」
 実際にと言う先生でした。
 そして麦茶を飲みますが今度はこんなことを言いました。
「これが代用コーヒーと同じ味というから」
「あっ、麦茶が」
「麦茶って代用コーヒーの味なんだ」
「ドイツで飲まれてた」
「それの味なのね」
「そうなのね」
「いや、そう思うと」
 実際にというのです。
「代用コーヒーも美味しいのかな」
「実際に麦茶って美味しいし」
「素敵な味よね」
「特に夏に冷やしたら」
「こんな美味しいものないよ」
「じゃあ代用コーヒーにしても」
「アイスならね」
「美味しいね」
 先生ははっきりとした口調で皆に言いました。
「絶対に」
「よくまずいって言われてるけれど」
「ドイツだとね」
「コーヒーの方が美味しいって」
「それならね」
「ドイツのコーヒーの方がね」
「そう言うけれど」
 それがというのです。
「麦茶と同じ味なら」
「絶対に美味しくて」
「飲みやすいかも」
「とかくドイツでは色々言われてるけれど」
「日本だと人気が出るかも」
「夏なんかどれだけ飲まれるか」
「うん、まあホットだとね」
 熱いと、というのです。
「麦茶はね」
「ちょっと考えられないね」
「熱い麦茶は」
「冷やして飲むものだから」
「少なくとも日本だと」
 どうしてもというのです。
「ないね」
「そうよね」
「日本で熱い麦茶ってね」
「まず飲まないわね」
「麦茶は冷やして飲む」
「夏にね」
 そうしたものだからとです、動物の皆も言います。
「そうしたものだから」
「だからね」
「代用コーヒーは熱い麦茶だとすると」
「日本でもまず飲まない?」
「どうしても」
「けれど冷やして飲んだら」
「美味しいのかしらね」
 こうお互いでお話をするのでした。
「まずいまずいって言われてるけれど」
「それがね」
「冷やして飲んだら美味しい」
「アイスにしたら」
「そういうことだね」
「僕もそう思うよ、アイス代用コーヒーなら」
 それならとです、先生もお話します。
「日本ではね」
「若しかするとだね」
「今の季節は大人気になるかも知れないんだ」
「麦茶と同じ味だから」
「そうしたものだから」
「そして一緒に食べるお菓子は」
 それはといいますと。
「水羊羹とかかな」
「夏の日本のお菓子だね」
「ああいうのも美味しいよね」
「アイス代用コーヒーと一緒に食べるお菓子はそれだね」
「夏の日本のお菓子」
「そっちになるんだ」
「僕今考えたけれど」
 それでとです、先生はその麦茶を飲みつつ皆にさらにお話します、その美味しいよく冷えたお茶を飲みながら。
「熱い麦茶とチョコレート菓子は合うかな」
「いや、何というか」
「それはね」
「合わないよね」
「どう考えても」
「その組み合わせは」
「そうだね、そのせいかも知れないね」
 皆に考えるお顔でお話する先生でした。
「ドイツのお菓子、ケーキと一緒に代用コーヒーを食べると」
「麦茶の味だと」
「確かに合わないかも」
「どうしても」
「ケーキにしても」
「バームクーヘンもね」
「ザッハトルテも」
 こうしたものと代用コーヒーはというのです。
「合わないね」
「麦茶と一緒に食べても」
「そうしたものはコーヒーでないと」
「それか紅茶でないと」
「どうしてもね」
「そうだろうね、それでもうね」 
 先生はテレビの画面の中で走る馬達を観ています、観れば赤い大きな馬が凄い勢いで走っています。
 その馬を観つつです、皆に言うのです。
「代用コーヒーを飲む人はね」
「少ないんだね」
「ドイツでも」
「今では」
「そうなっているのね」
「かつてはプロイセンで飲まれていて」
 昔あったこの国でというのです。
「東ドイツでも飲まれていたんだ」
「ああ、あの国だね」
 ジップが東ドイツと聞いてこう言いました。
「ドイツが東と西に分かれていた時だね」
「もう統一して随分経ってるから」
 それでと言ったのはホワイティでした。
「かつての東ドイツも普通のコーヒーが普及しているんだね」
「西ドイツだった地域と経済格差が凄かったっていうけれど」
 それでもと言ったのはポリネシアでした。
「流石に統一から随分経つしね」
「コーヒーも普通のものになってるのね」
 ガブガブも言います。
「今では」
「というか同じドイツでも随分違っていたんだね」
「そうみたいね」
 チープライドの家族は東西のドイツの違いについてお話します。
「同じドイツでも」
「東西に分裂してから」
「それで一つに戻っても」
 それでもとです、トートーは言いました。
「色々と違っていたんだね」
「西ドイツは凄いお金持ちになっていて」
「東ドイツはそうでなくて」
 オシツオサレツも二つの頭でお話しました。
「その差が凄くて」
「統一してからコーヒーでも出ていたんだ」
「いや、西の人達が普通のコーヒーを飲んでいて」
 チーチーの口調はしみじみとしたものでした。
「東の人達が代用コーヒーって」
「酷くないかな」
 ダブダブも彼にしては珍しくどうかというお顔になっています。
「幾ら何でも」
「何でそこまで違ったのか」
 最後に言ったのは老馬でした。
「先生なら知ってるよね」
「それは経済システムが違っていたからだよ」
 先生は皆に落ち着いた顔でお話しました。
「西ドイツと東ドイツでね」
「そうだったんだ」
「同じドイツでもそこが違っていたんだ」
「国の経済の在り方が」
「そうだったのね」
「そうだよ、西ドイツは資本主義で」
 先生はまずはこちらの国からお話しました。
「東ドイツは共産主義でね」
「その違いがなんだ」
「東西の違いを分けたんだ」
「コーヒーも全く違う」
「本物と代用位に」
「これは車や服、食事や生活にも出ていて」 
 そうしたものにもというのです。
「統一された時東の人達は驚いたんだ」
「西の人達を見てだね」
「自分達と全然違うから」
「物凄く豊かだったから」
「そうだったからだね」
「そうだよ、同じドイツなのに」
 その筈なのにというのです。
「どうしてここまで違うのかってね、ガムやバナナもね」
「ガムにバナナ?」
「それがどうかしたの?」
「そうしたものが」
「一体どうかしたの?」
「東ドイツではなかったんだ」
 こうした食べものもというのです。
「それで統一された時に東の人達は喜んで食べたそうなんだ」
「ガムにバナナまで」
「そうしたものまでなんだ」
「東ドイツにはなくて」
「それでだったんだ」
「そう、だからね」
 それでというのです。
「コーヒーだってそうだったけれど」
「今はだね」
「東ドイツでもちゃんと普通のコーヒーを飲んでいるんだね」
「豊かになって」
「それでだね」
「確かに統一当初は格差が凄かったけれど」
 東西でというのです。
「もうそれがね」
「かなりだね」
「狭まってきているんだね」
「そうなってのね」
「そうだよ、まだ格差はあるけれど」
 それでもというのです。
「ドイツの人達が苦労して狭めようとした結果ね」
「何とかだね」
「ドイツの東西の格差は狭まっているんだね」
「代用コーヒーも飲める様になって」
「よくなっているんだね」
「そうだよ、まあ僕はね」
 ここでこうも言った先生でした。
「コーヒーはあまり飲まないからね」
「先生基本お茶派だからね」
「一番好きなのはホットミルクティーだね」
「イギリスにいた時から」
「今はアイスもレモンティーも飲んでね」 
 勿論アイスレモンティーも飲みます。
「日本のお茶も中国のお茶も飲むし」
「この前マテ茶も飲んでるね」
「今も麦茶飲んでるし」
「基本お茶派だね」
「そうだよね」
「うん、けれどコーヒーも飲むからね」
 今の先生はそうなのです。
「僕も今代用コーヒーのお話をしたんだ」
「そうなんだね」
「そういうことだね」
「麦茶と同じ味らしいって」
「だから冷やして飲んだら美味しい」
「日本の麦茶みたいにしたら」
「日本の夏のお菓子とも合うってね」
 こうも言った先生でした。
「実際に思うよ、けれど熱い麦茶で」
「それでケーキとか食べたら」
「確かに合わないね」
「どうしても」
「そうなるね」
「その組み合わせだと」
「まあ当時の東ドイツは」
 代用コーヒーを飲んでいたこの国ではといいますと。
「お菓子をそんなに食べていたかな」
「ガムやバナナとかがないと」
「他もどうかってなるね」
「ケーキもかなり粗末なものかな」
「ひょっとしなくても」
「そうかもね、東ドイツは共産主義国家では一番豊かな国だったけれど」
 それでもというのです。
「資本主義国家、欧州のその中では一番豊かだった西ドイツと比べると」
「貧しかったんだね」
「それもかなり」
「そうしてだね」
「格差も凄く出ていて」
「東の人達も驚いたんだ」
「そう、そして東ドイツは」
 またこの国のお話をするのでした。
「お菓子もね」
「粗末なものだったんだね」
「貧しかったから代用コーヒーも飲んでいたし」
「そこから考えると」
「お菓子にしても」
「どんなものか」
「想像がつくね、実際に西ドイツと比べたら」
 東ドイツのお菓子はというのです。
「粗末なお菓子だったよ」
「というかガムないってね」
「その時点で驚くわ」
「ガム位当時でも普通に売ってない?」
「日本でもそうだったし」
「イギリスでもそうだったし」
「それでも共産圏では」
 その中で一番豊かだったという東ドイツでもです。
「なかったんだ」
「何でもない様なお菓子が」
「そうだったんだ」
「それで他のお菓子も」
「粗末なものだったんだ」
「あることはあっても」
 それでもというのです。
「どうしてもね」
「粗末なもので」
「味もよくなかったんだ」
「じゃあそれこそだね」
「代用コーヒーと合ってる」
「そんなお菓子だったんだ」
「うん、飲みものと食べものはね」
 この二つはというのです。
「比例するのかもね」
「代用コーヒーだと粗末なもので」
「普通のコーヒーだといいお菓子ね」
「飲みものと食べものは比例する」
「考えてみたらそうなるよ」
 先生はまた言いました。
「代用コーヒーを飲むレベルならね」
「お菓子もだね」
「粗末になるね」
「普通のコーヒーじゃないなら」
「食べるものであるお菓子も」
「そうなるよ、しかし考えてみると」
 さらに言う先生でした。
「代用コーヒーも飲み方次第だね」
「全く以てそうだよね」
「麦茶そっくりの味なら」
「冷やして飲めば美味しい」
「そして日本の夏のお菓子と合うのね」
「だから日本人なら」
 先生が今いる国の人達ならというのです。
「きっと美味しく仕立ててくれるよ」
「うん、日本人ならね」
「もうそうした工夫は凄いから」
「工夫への閃き凄いからね」
「色々思い付く国だからね」
 だからだというのです。
「もうそれこそね」
「僕達以上に凄い思い付きするかも」
「この国の人達はね」
「あらゆることにびっくりする思い付きするから」
「代用コーヒーでもね」
「驚く様な閃きを見せてくれるかもね」
「そうかも知れないよ、日本人っていうのは」
 この国の人達はといいますと。
「とんでもない閃きを見せるんだよね」
「あらゆるジャンルでね」
「理系でも凄いよね」
「地道に熱心にコツコツやっていって」
「そこに閃きが加わるから」
「余計に凄いんだよね」
「天才とは何か」
 こんなことも言った先生でした。
「九十九パーセントの努力にね」
「そこに一パーセントの閃きだよね」
「この二つが合わさること」
「それだよね」
「そう、閃きはふと出て来たり思い付いたりするけれど」
 そうしたものでもというのです。
「九十九パーセントの努力の中で育まれたりもするね」
「確かにね」
「そこで得たものがね」
 まさにというのです。
「閃きになったりするから」
「じゃあね」
「日本人の地道な努力が閃きを呼ぶ?」
「それでいつもあんな閃きが出るのかしら」
「まず努力する」
「このことから」
「そうかもね、しかしね」
 先生はこんなことも言いました。
「日本人は独創性がないとかいう批判はね」
「それあるよね」
「全然違うよね」
「日本人独創性あるし」
「凄いのどんどん生み出してるじゃない」
「それは間違いだよ」
「そう、これは日本を知らないからね」
 だからだとです、先生は皆にお話しました。
「言うことだよ」
「そうだよね」
「どう考えても」
「これは日本を知らない」
「だから言っていることで」
「日本の本当のことを知ったら」
「その指摘が間違いだとわかるよ」
 先生は一着でゴールした赤い大きな馬を観ています、そして皆に対して今度はこんなことを言いました。
「今一着の馬は赤くて大きいね」
「立派な馬ね」
「サラブレッドでもとりわけ見事な体格ね」
「足も速かったし」
「特別な馬みたいだわ」
「赤兎馬みたいだね」
 先生はこうも言いました。
「そうだね」
「あっ、赤くて大きいから」
「確かにそうね」
「あの馬赤兎馬みたいだよ」
「三国志に出て来るあの馬」
「呂布や関羽が乗っていた」
「その三国志にしても」
 先生は笑顔になっています、そうして言うのでした。
「登場人物を美少女にするなんてね」
「あれ凄いよね」
「あんなのとても考えないよ」
「どうやってあんなこと考えたのか」
「戦国時代でも国家でも元素記号でもそうするし」
「擬人化も日本で凄くなって」
「美少女化なんかもするなんてね」
 本当にとです、先生は笑ったまま皆にさらにお話しました。
「普通はしないね」
「確かにね」
「そうだよね」
「そこから一大ジャンルにもなったし」
「そんな発想も出来るんだから」
「日本人の閃きは驚くものだよ」
「僕にはとても無理だよ」
 しみじみとして言う先生でした。
「ああした何でも美少女化する閃きはね、センスもね」
「あるよね」
「独特なものが」
「日本人には備わってるね」
「そしてその閃きにはね」
「僕達にはないね」
「どうしても」
 動物の皆も思うことでした。
「鉄道だってそうしているし」
「声優さんが声をあてたりしてね」
「鉄道が出来た当初誰が考えたかな」
「鉄道の美少女化も」
「それはないね、馬にしても」
 つまり競馬でもというのです。
「やっているしね」
「競走馬の美少女化だよね」
「あれも人気あるよね」
「そっちでもやったし」
「あと美少年化もしてるね」
「戦国大名や幕末の人で」
「やっているね、坂本龍馬さんなんか」
 幕末の有名人のこの人はといいますと。
「実際の写真よりもね」
「凄い美形で」
「まさに美少年」
「あと新選組もそうだね」
「実際より凛々しいかもね」
「そうしたら女の子に人気が出るらしいんだ」
 美少年化すると、というのです。
「これがね」
「そうなんだ」
「じゃあ逆にだね」
「美少女化したら男の子に人気が出るんだね」
「これ簡単な理屈だね」
「そうよね」
「うん、けれどそれを閃くことは」
 まさにというのです。
「コロンブスの卵だね」
「そうだよね」
「思いつくには苦労するよね」
「中々思いつかないわよ」
「美少女化も美少年化も」
「そのどちらも」
「どうしても」
「そこはね、それであの馬も」
 一等になった赤兎馬に似たその馬もというのです。
「そのうちにだよ」
「美少女になるかも知れないんだ」
「それでアニメにもなる」
「そうなるかも知れないんだ」
「若しかしたら」
「そうなるかもね、日本だと」 
 この国ならというのです。
「既に競争馬はなっているからね」
「イギリスじゃ絶対にないしね」
「歴史上の人物の美少女化とかも」
「競走馬もね」
「チャーチルさんを美少女とか?」
「ビクトリア女王を美少年とか」
 皆思う限り言ってみました。
「エドワード黒太子が美少女だったらどうなるかな」
「ロビンフッドは案外ありかも」
「リチャード獅子心王にしても」
「若しかしたら」
「色々考えると面白いね」
「そうだね、この発想は」
 まさにと言った先生でした。
「日本からはじまっているからね」
「流石平安時代で男の娘とか男装の麗人とか考えた国だね」
「確かとりかえばや物語ね」
「あの作品でもうやってるから」
「しかも兄弟姉妹でそうした」
「そんな凄い作品も出している国だから
「あの作品は本当に凄いよ」
 先生の言葉も唸ったものになっています。
「今なら普通でも」
「平安時代だから」
「今より千年位前?」
「そんな頃にあんな作品だと」
「相当な閃きがないと書けないわよ」
「千年位前には」
「あれを書いた人は天才だよ」
 先生はこうまで言いました。
「正真正銘のね」
「あのセンス凄いよね」
「あの時代にあんな作品書いてるなんて」
「他には自分の同性愛書いてる人もいたしね」
「日記にね」
「普通じゃないからね」
 それこそと言う先生でした。
「そんなセンスは」
「イギリスも今は同性愛に寛容だけれど」
「昔は違ったからね」
「それだけで社会的に阻害されていてね」
「犯罪にもなっていたから」
「僕はキリスト教徒だよ」
 先生はご自身の信仰のお話もしました。
「キリスト教は同性愛を禁じているけれど」
「それでもだよね」
「先生は同性愛を否定しないよね」
「先生自身はそうした趣味はないけれど」
「それでもね」
「同性愛は否定しないわね」
「恋愛はそれぞれだからね」
 そうした考えだからだというのです。
「それでだよ」
「否定しないんだね」
「これといって」
「同性愛も」
「そうだよ、日本みたいに」
 先生が今いるこの国の様にというのです。
「寛容であればいいよ」
「平安時代の日記といいね」
「それで男装や女装にもだね」
「先生は寛容だね」
「そうなのね」
「それも文化だと思うよ」
 こう言ってです、そうしてでした。
 先生達は今は競馬を見て麦茶を飲んでいました、この時先生達は穏やかでした。ですがその穏やかさは急に変わるのでした。








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