『ドリトル先生の林檎園』
第四幕 学会の後で
先生は学会での発表を終えてから他の人達の発表を聞いて論文を読みました、そうして学会が終わった後で動物の皆に松本市の街中を歩きつつお話しました。
「やっぱりね」
「やっぱり?」
「やっぱりっていうと?」
「うん、日本の農業は素晴らしいね」
皆に学会に参加して感じたことをお話するのでした。
「本当にね」
「ううん、それね」
「日本の農業は色々言われてるけれど」
「素晴らしいのね」
「先生が見たところ」
「実はね」
ここでこうも言った先生でした。
「日本は世界屈指の農業国でもあるし」
「えっ、そうなの」
「食料自給率低いっていうけれど」
「違ったの」
「そうだったの」
「それは統計の取り方にもよってね」
それでというのです。
「最近の統計の仕方だとね」
「自給率も低くないの」
「そうだったんだ」
「そういえばスーパーで日本産の農作物多いね」
「他の国からのものも多いけれど」
「日本産の方がずっと多いわ」
「お肉やお魚だって」
皆も言われて気付きました。
「もうね」
「日本のものばかりね」
「牛肉も高級なのは和牛だし」
「お魚だって日本近海で獲れたものが多くて」
「お野菜や果物だってそうだし」
「お米は特に」
「そう、最近までね」
日本の農業はというのです。
「食料自給率が低くて駄目とか言われていたけれど」
「実は違っていて」
「かなりいいのね」
「その実は」
「日本の農業は素晴らしいのね」
「技術は最新のものでね」
それでというのです。
「耕地面積辺りの収穫高もいいし」
「農作物の質もいい」
「お野菜や果物にしても」
「美味しいしね、実際に」
「だからいいのね」
「そうだよ、何と世界屈指の農業国でもあるんだ」
日本はそうだというのです。
「全収穫高でもね」
「ううん、じゃあ今まで言われていたことは何?」
「日本の農業は駄目だっていうそれは」
「農業が衰退してるとか言われていたけれど」
「漁業とかもね」
「何か必死にそう言いたかった人がいたかも知れないね」
先生は首を傾げさせつつ皆にお話しました。
「何らかの理由で」
「理由でっていうと?」
「それは何?」
「一体何?」
「何で日本緒能牛は駄目ってしたいの?」
「どういう理由で?」
「そこまでは僕もわからないけれど」
それでもと言う先生でした。
「そこはね」
「何らかの理由でなんだ」
「言いたい人がいたんだ」
「それで言っていたんだ」
「何らかの理由で」
「そう、けれどよく調べたら違っていて」
日本の農業の実態はというのです。
「日本の農業は世界屈指だったんだ」
「その実は」
「何か凄いお話だね」
「日本の農業は技術は最新で収穫高もよくて」
「質もいいんだね」
「そう、素晴しいから」
だからだというのです。
「その素晴らしいものを伸ばしていくべきだよ」
「もっともっとよくする」
「そのことがいいのね」
「いいものをもっとよくしていく」
「そうしていくべきね」
「そう思うよ、例えば林檎にしても」
先生達が今いる長野県のそれはというのです。
「決して質は悪くないね」
「そうだよね」
「何処が悪いのってお話でね」
「食べて凄く美味しいし」
「スーパーや八百屋さんに行ったら一杯あるし」
「それじゃあね」
「林檎も駄目じゃないよ」
先生は松本市に来た時に食べた林檎のティーセットの味を思い出していました、そしてまた食べようとも思いました。
そしてです、こうも言ったのでした。
「あんなに美味しくて一杯あるから」
「そうだよね」
「それじゃあね」
「決して悪くないわね」
「日本の農業は」
「林檎を見てもわかるね」
「そう、ただ白を黒と言って」
事実を違うと主張してというのです。
「それを周りに言い回ればね」
「周りは信じるよね」
「本当のことを知らないで」
「何度も何度も聞いてるとね」
「自然とね」
「言う人の声が大きくてしかもその数が多いと」
ただ言い回るだけでなくというのです。
「もうね」
「それでだよね」
「皆信じちゃうよね」
「それが本当のことだって聞いて」
「それでね」
「それがテレビや本や新聞からだと」
目にして聴いて、そうしたものならというのです。
「最近まで自給率が低いとね」
「言ってばかりで」
「それで皆思い込んでいたのね」
「事実は違っていても」
「それでも」
「確かに殆ど輸入している農作物はあるよ」
先生もこのことは否定しません。
「けれどね」
「沢山の農作物はだね」
「ちゃんと日本でも沢山作っていて」
「それで売られてるから」
「実は違う」
「そういうことね」
「そうだよ、日本は世界屈指の農業国であることはね」
このことはというのです。
「本当のことだからね」
「ううん、凄いね」
「日本は工業だけじゃないんだね」
「農業もいい」
「そうした国なのね」
「そのことは覚えておかないとね、そういえば」
ここでまた言った先生でした。
「一つ面白いことがあってね」
「面白いこと?」
「っていうと何?」
「面白いことって」
「何があるの?」
「うん、日本は緯度がかなりあるから」
それでというのです。
「北海道では寒冷地の作物が採れるね」
「ああ、ジャガイモとかね」
「魚介類だってそうだね」
「寒い場所のものが獲れるね」
「北海道で美味しかったわ」
「楽しめたよ」
「そして沖縄ではね」
今度はこの県のお話をするのでした。
「暑いところの作物が採れるね」
「そうそう、これがね」
「また美味しかったね」
「マンゴーとかパイナップルとかね」
「あと海の幸も沖縄独特のものだったし」
「日本の広さでこうしたことはね」
本当にというのです。
「あまりないからね」
「そういえばそうだね」
「日本位の広さでこれだけ色々な種類の農作物がある国ってないね」
「ジャガイモもサツマイモも採れるし」
「苺もマンゴーも採れる」
「そんな国ないね」
「だからね」
それでというのです。
「僕も面白いって思うんだよ」
「そうだよね」
「そんな国もそうそうないから」
「農業だってね」
「面白いね」
「このことも学会で発表されていたよ」
論文としてというのです。
「面白い論文だったよ」
「林檎だってそうだしね」
「日本ならではだよね」
「こちらにしても」
「そうだよね」
「そう、林檎が採れてメロンもマンゴーも」
様々な種類の果物がというのです。
「採れる国だよ、勿論お野菜もね」
「ジャガイモはね」
ダブダブがこちらのお話をしました。
「基本寒い場所のものだからね」
「そしてサツマイモは暑い場所」
ポリネシアも言います。
「全く正反対よ」
「その正反対のお芋がね」
「どっちも日本にあるわね」
チープサイドの家族も言います。
「同じお店に売っていて」
「普通に食べられているし」
「そういうことを見てもね」
トートーは考えるお顔になっています。
「日本は独特だね」
「日本位の広さの国でそれは」
今度はホワイティが言いました。
「そうそうないね」
「寒い地域と暑い地域があるから」
このことについてです、ジップはよく考えました。
「そうしたこともあるんだね」
「そう考えると面白いね」
老馬も思うことでした。
「このことは」
「面白いっていうか」
ガブガブが言うことはといいますと。
「日本の農業は気候を上手に使っているということね」
「そうだね、それぞれの地域のね」
「気候を上手に利用してるね」
最後にオシツオサレツが二つの頭でお話します。
「そうしたことまでね」
「他の国と一緒で」
「そうだよ、そこもまたね」
実にと言う先生でした。
「面白いんだよ」
「そうだよね」
「それで先生は学会でそうしたことも学んだんだね」
「いい学会だったね」
「先生にとっても」
「とてもね、さて後は」
学会のことを思いつつ言う先生でした。
「長野県を見て行こうね」
「木曽や上田や諏訪や川中島」
「そうしたところを巡ってね」
「それでだね」
「色々学ぶんだね」
「今度は歴史を」
「そうなるよ、まずは木曽かな」
そちらだろうというのです。
「木曽義仲さんのね」
「源平の戦いの時の人だね」
「先生が前にお話してくれたね」
「頼朝さんとのこととかで」
「そうしてくれたね」
「あの人と直接戦ったのは義経さんだけれどね」
この人だったというのです。
「義経さんはよく思っていなかったそうだよ」
「義仲さんと戦うことを」
「そうだったんだ」
「そうだよ、同じ源氏同士だし」
同じ一族だったからだというのです。
「平家という共通の敵がいたから」
「それで争っていたらね」
「やっぱりどうかって思うよね」
「どうしても」
「そのことは否定出来ないね」
「本当に源氏は身内同士で争う一族で」
先生はまた悲しいお顔になりました、そのうえでの言葉でした。
「平家や奥州藤原氏と争う前に」
「まずだね」
「源氏同士で争ってきた」
「そうした家だったんだ」
「そうだよ、そしてその平家も奥州藤原氏も根絶やしにするから」
捕まえた人は全員そうしてきたというのです。
「余計にいい印相はいね」
「どうしてもそうなるよね」
「そんなお家だとね」
「まず身内で争ってね」
「それで敵も根絶やしってなったら」
「日本だと特にね」
「多くの国の歴史でもこうしたお話は多いけれど」
それでもというのです。
「源氏はそうしたことが特に好まれない日本でやったし」
「しかも義経さん人気あるし」
「余計にだよね」
「頼朝さんは不人気で」
「今も評判が悪いんだね」
「そういうことだよ」
まさにというのです。
「前にお話した通りにね」
「そうだよね」
「その辺り理由があるよね」
「不人気はそれなりにね」
「あるよね」
「そうだよ、そして木曽義仲さんも」
先生はこの人についてあらためてお話しました。
「問題はあったけれど」
「同情されるものがあるんだね」
「最期が悲しいだけに」
「それだけに」
「そうなんだ、都での行いは褒められたものじゃなかったけれど」
それでもというのです。
「最期が悲しいとね」
「やっぱり同情するよね」
「どうしてもね」
「人情として」
「そうなるね」
「それに僕は義仲さんが悪人とは思っていないよ」
先生は少し悲しそうなお顔で言いました。
「決してね」
「そうなんだ」
「義仲さんは悪い人じゃなかったんだ」
「色々言われているけれど」
「実は」
「うん、粗野だったとか不作法だったとか言われるけれど」
このことはといいますと。
「都の人達から見てだよ」
「義仲さんはずっと木曽にいたのよね」
「だから木曽義仲っていうのね」
「本当の苗字は源だけれど」
「生まれ育ったところが木曽だから」
「そう、木曽の山の中でずっと住んでいたから」
だからだというのです。
「言うなら野生児かな」
「そうなるんだ」
「野生児だったんだね」
「山の中で生まれ育った」
「だから都の作法とか知らなかったんだ」
「そもそも武士だよ」
義仲さんという人はです。
「都のお公家さん達でもないからね」
「そうしたことも考えると」
「やっぱり義仲さんが色々知らなくてもね」
「仕方ないことなんだ」
「どうしても」
「そうだよ、義仲さんは木曽の武士だったんだ」
都のお公家さんではないというのです。
「しかも率いていた軍勢は結構寄せ集めだったし」
「まとめるのは難しかったんだ」
「義仲さん自身の軍勢は置いておいて」
「それで色々と問題があって」
「義仲さんが悪く言われているんだ」
「そんなところがあるんだ」
先生は悲しいお顔のまま言っていきます。
「平家物語はその辺り書いていないんだ」
「平家物語は有名だけれどね」
「義仲さんも出番があって」
「それでもなんだ」
「決して義仲さんのありのままを書いていないんだ」
「悪く書いているんだ」
「そんなところがあるのは事実で」
それでというのです。
「僕は史実も調べたけれど」
「義仲さんは決して悪人じゃない」
「ただ木曽にいた武士なんだね」
「それだけの人なんだね」
「そうなんだ、むしろ飾らなくて自分をありのままに出す人だったんだ」
それが木曽義仲さんだというのです。
「政治家というよりも武将でね」
「軍人さんで」
「そうした人だっただけで」
「悪人じゃなかったんだ」
「そうなんだ、僕としては」
こうも言った先生でした。
「義仲さんとはお会いしたいね」
「若しお会い出来たら」
「その時はだね」
「義仲さんとお会いして」
「それでお話とかもだね」
「したいと思うよ」
実際にというのです。
「これは清盛さんもだけれどね」
「清盛さんもいい人だったって言ってたね、先生」
「実は優しい人だったって」
「家族にも家臣にもそうだった」
「思いやりのある人だったって」
「そんな人だったから沢山の人がついてきたんだよ」
こう皆にお話しました、清盛さんのことも。
「義仲さんだって最期まで仕えた人達がいたし」
「若し本当にどうしようもない人なら」
「そんなことないしね」
「確かに平家って身内は殆ど殺し合ってないし」
「先生が言うには」
「保元の乱ではあったけれど」
身内同士の争いがというのです。
「その後はね」
「そうしたことはなくて」
「最後までお家はまとまっていて」
「それで源氏と戦っていった」
「そうだったんだ」
「家督争いとかはあっても」
それでもというのです。
「殺し合いまではなかったからね」
「殺し合わないだけましよね」
「身内同士でそんなことがないだけ」
「やっぱりそうしたことあったら酷いから」
「周りから見ても」
「そう、だから僕は源氏より平家の方が好きかな」
どちらかというと、というお顔でした。
「そして清盛さんがね」
「先生頼朝さん好きじゃないしね」
「そのことははっきりわかるよ」
「自分でも言ってたしね」
「そうしたことを」
「悪い人とはね」
決してというのです。
「本当に思わないからね」
「義仲さんと同じで平家物語じゃ悪く書かれていても」
「やっぱり物語は物語で」
「史実を読むと悪い人じゃない」
「だからだね」
「そうなんだ、物語は面白くて」
それでというのです。
「読んでいて楽しいしこれも学問だけれど」
「文学だよね」
「そうだよね」
「だから先生も読んでるよね」
「平家物語も」
「だからいいけれど」
それでもというのです。
「史実はまた違うんだ」
「物語と史実はだね」
「また違うんだね」
「そこをわかっていないとね」
「駄目っていうんだね」
「そうだよ、物語に罹れていることを全部史実と思うと」
こうしたことをすると、というのです。
「駄目なんだよ」
「そういうことだね」
「つまりはね」
「先生もそのことがわかってるから」
「それでだね」
「今こう言うんだね」
「そうなんだ、平家物語の清盛さんは悪人だけれど」
物語を通じての悪役とです、先生は思っています。
「けれどね」
「その実はだね」
「清盛さんは悪人じゃなくて」
「実はいい人なんだね」
「木曽義仲さんも物語と違う人だね」
「そう、物語は物語で」
遠くを見る目になって言う先生でした。
「史実は史実なんだよ」
「その違いをわかっておかないとだね」
「間違えるんだね」
「清盛さんも義仲さんも誤解する」
「物語みたいに悪人と思ってしまうんだね」
「そうだよ、ただ頼朝さんは」
この人はといいますと。
「平家物語でも史実でもね」
「いい人じゃないんだね」
「あの人については」
「まず身内を殺して」
「敵を根絶やしにする人で」
「そうなんだ、いい人とはね」
到底というのです。
「思えないよ、陰気な人だね」
「史実でもそうなんだね」
「頼朝さんの場合は」
「先生が言うには物語と史実は違っているけれど」
「頼朝さんは違うんだ」
「敵は絶対に許さないで陰気な人なんだ」
「そうなんだよね、織田信長さんみたいなところもね」
そうしたところもないというのです。
「ないしね」
「先生が言うには信長さんは降った敵は許してるしね」
「先生が言うには」
「敵を根絶やしにまではしないから」
「だから頼朝さんよりずっといいんだ」
この人についてはというのです。
「本当に、じゃあ明日はね」
「木曽だね」
「木曽義仲さんの地元に行くんだね」
「そうするのね」
「そうしようね」
こう言ってでした、先生は実際に次の日動物の皆と一緒に木曽に行きました。その木曽に行くとでした。
松本市よりもずっと木が多かったです、それで動物の皆はその木を見回して先生に口々に言うのでした。
「本当に多いね」
「ここは木が多いね」
「木曽の木だね」
「地名にある通りだね」
「そう、この木は木曽の名産でね」
沢山あるそれがというのです。
「売られてもいるんだよ」
「木はお家にも紙にも使うしね」