『ドリトル先生と日本の鉄道』




               第四幕  鉄道と軍隊

 先生はこの日も鉄道博物館に通っていました、その中で。
 一緒にいる動物の皆が今は鉄道の歴史のコーナーで写真と一緒に壁に書かれているものを読んでいる先生に言ってきました。
「先生前に軍隊のお話してたよね」
「ドイツのことで」
「ドイツが出来る時にプロイセン軍が鉄道を上手に使ったって」
「沢山の人やものを沢山一気に運んだって」
「そうして勝ったってね」
「うん、その通りだよ」
 まさにと答えた先生でした、鉄道の歴史を読みながら。
「プロイセンはそうして勝ったんだよ」
「オーストリアにもフランスにも」
「鉄道で輸送や移動を行って」
「それでだよね」
「戦争に勝ったんだね」
「何処にどう線路を敷いて車両を走らせるか」
 それをというのです。
「考えてね」
「それでなんだね」
「戦争に勝ったいってドイツという国を作り上げた」
「まさにそうだね」
「うん、けれどね」
 ここでこうも言った先生でした。
「これが出来たのはね」
「何かあったの?」
「プロイセンの鉄道について」
「一体何があったの?」
「一人凄い人がいたんだ」
 先生は皆にその人もお話もしました。
「その時に少し名前を出したかも知れないけれど」
「そうだったかしら」
「誰か名前出した?」
「そうだったの?」
「そう、モルトケっていう人でね」
 この人がというのです。
「プロイセン軍の参謀総長で」
「参謀っていうと作戦とか考える人だね」
「言うならば軍師だね」
「今の軍隊でもいるよね」
「その人が鉄道を敷いていく様にしてね」
 プロイセンや関係国の中にです。
「そして一気になんだ」
「鉄道で人や兵器を持って行って」
「それで攻めていって」
「そして勝っていったんだ」
「そうだよ、これまでは馬や歩いて進んでいたけれど」
 軍隊はそうして移動していたというのです。
「ものも運んでね、けれどね」
「それが鉄道だと」
「馬や歩きよりもずっと速くて」
「しかも沢山のものが運べる」
「だからよかったんだ」
「一日四十キロ進むにしてもね」
 先生は軍隊の行進の速度もお話しました。
「鉄道だったらどうかな」
「ううん、当時は蒸気機関車だね」
「今の電車よりは遅いにしても」
「四十キロなんて一時間もかからない?」
「しか沢山の人やものも運べるし」
「歩かないから人も疲れないね」
「沢山の利点があってね」
 それでというのです。
「鉄道を上手に使ってね」
「プロイセン軍は勝っていったんだね」
「モルトケという人がそうさせて」
「それでなんだ」
「そうだよ、これまでそこまで鉄道を戦争に有効に使った人はね」
 まさにというのです。
「いなかったんだよ」
「モルトケさんがはじめてだったんだ」
「そういえば当時鉄道は最新技術で」
「まだまだ馬だったね」
「馬が主流の時代だったね」
「そこを変えたんだ」 
 鉄道を軍隊の移動や輸送の主流にです。
「そして勝ったんだ、ただね」
「ただ?」
「ただっていうと?」
「これで終わりじゃなかったんだよ」
 先生は皆にさらにお話しました。
「鉄道自体が兵器にもなっていったしね」
「移動や輸送の手段じゃなくて」
「鉄道自体がなんだ」
「兵器にもなっていったんだ」
「列車砲っていう兵器があったんだ」
 それがというのです。
「そうした兵器がね」
「列車砲っていうと」
「大砲を乗せた列車ね」
「それね」
「そうだよ、線路の上を走ってね」
 そうしてというのです。
「砲撃を行う」
「そうした兵器もあったんだね」
「攻撃する場所も変えられるし」
「これならね」
「かなり使えるね」
「そう、だから列車砲は存在したんだ」
 こう皆にお話するのでした。
「ただ線路の上しか移動出来ないからね」
「あっ、それだとね」
「普通の大砲より不便だね」
「いささかね」
「線路の上しか動けないんなら」
「だから今はないんだ」 
 この列車砲はというのです。
「自衛隊にもないしね」
「うん、見たことないよ」
「自衛隊でそうした兵器はね」
「大砲も沢山持ってるけれど」
「列車砲っていうのはね」
 線路の上を走る大砲と言われると皆見たことがありません、それで先生に対してもこう答えたのです。
「ないね」
「そんな兵器はね」
「本当に見たことがなくて」
「今はじめて聞いたよ」
「そうした兵器があったって」
「そうなんだ、けれど昔はそうした兵器もあったんだ」
 列車砲というものがというのです。
「そしてね」
「使われていたのは事実だね」
「昔は」
「鉄道自体も兵器になっていたんだ」
「攻撃する場所に持って行くにしても」
 ここからお話した先生でした。
「大きなものだとパーツごと、ばらばらの状態で運んで」
「ああ、大砲の部分とか」
「あと列車の部分も」
「車の部分もあるし」
「あと線路も必要だね」
「全部運んでいってそして線路を敷いて」
 そしてというのです。
「列車砲を組み立ててね」
「凄い手間かかるね」
「人もお金もかかりそうね」
「攻撃の度にそんなことをしていたら」
「それこそ」
「そうだよ、まさに原寸大の鉄道模型みたいなもので」
 こう例えた先生でした。
「凄く大変だったんだ、そのこともあってね」
「列車砲は使われなくなったんだ」
「大砲は今も使われているけれど」
「そうなんだね」
「そうだよ、使うには大変でね」
 このこともあってというのです。
「なくなったんだ」
「そうなんだね」
「確かに今はないしね」
「僕達軍隊のことは詳しくないけれど」
「そんなものがあったんだ」
「そうだよ、そしてね」
 さらに言った先生でした。
「プラモデルにもなっているよ」
「ふうん、そうなんだ」
「プラモデルにもなっていて」
「それで売られてもいるのね」
「そうだよ、第二次世界大戦の時のドイツ軍は巨大な兵器も結構造っていて」
 それでというのです。
「他にも大きな自走砲とか造っていたんだ、カール自走砲とかね」
「それで列車砲もなんだ」
「造っていたのね」
「そうだったんだね」
「一次大戦の時にも列車砲は使っていたけれど」
 この戦争の時もというのです、先生にとってはこの戦争は祖国イギリスが戦ったものなのでよく知っています。
「二次大戦の時もね」
「ドイツ軍は使っていたんだ」
「しかも巨大な兵器の一つとして」
「そうだったんだね」
「そうだよ、要塞攻撃とかに使っていたんだ」
 この目的にというのです。
「物凄い威力があったんだ」
「けれど凄くだね」
「使うことが大変で」
「それで今はないんだね」
「ミサイルがあるしね」
 先生はこの兵器を出しました。
「あれがね」
「ああ、あれね」
「ミサイルだと攻撃も楽だしね」
「列車砲よりもずっと」
「自衛隊も使っているしね」
「もうミサイルを使ったら」
 それこそというのです。
「すぐに攻撃出来るからね」
「だからそちらになったんだね」
「ミサイルが主に」
「そうなったんだ」
「今はね」
 そうだったというのです、こうしたことをお話してです。
 先生は鉄道博物館のその鉄道の歴史を読んでいきました、読んでいってそうしてでした。自分の研究室に戻りましたが。
 先生はまたです、列車砲のお話をしました。
「もうない兵器だけれどね」
「列車砲はね」
「そんな兵器もかつてはあった」
「鉄道も兵器になっていたんだ」
「人間は色々なものを色々な目的に使って」
 そしてというのです。
「軍事でもだね」
「そうだね、いいか悪いかは別にして」
「人間はあらゆるものを色々な目的に使うね」
 オシツオサレツが二つの頭で言ってきます。
「何かと」
「中にはびっくりする使い方もあるね」
「列車砲なんてのもびっくりだけれど」
 ポリネシアも言います。
「人間はそうしたものも考えるってことね」
「そうだね、発想は色々なんだね」
 ホワイティもこう言いました。
「兵器についても」
「移動や輸送に使うだけじゃなくて」
 ジップはモルトケのことから考えました。
「兵器にも使えるんだね」
「最初に考えた人凄くない?」
 ダブダブはこう思いました。
「列車に大砲を乗せてみたらどうかとか」
「これもコロンブスの卵だね」 
 老馬はダブダブにこう言いました。
「まさに」
「それがプラモデルにもなるし」
「世の中面白いわね」
 チープサイドの家族も思いました。
「今もお話に残っているし」
「使うには大変でもね」
「そうした鉄道模型もあるのかな」
 ガブガブはプラモデルにあるという先生のお話から思いました。
「列車砲の」
「あったら面白いね」
 トートーはガブガブに同意している感じです。
「そうした鉄道模型も」
「そうだね、蒸気機関車の鉄道模型はあるけれど」
 先生もこう言いました。
「そうした鉄道模型があってもね」
「いいよね」
「プラモデルでもあるんなら」
「そうした鉄道模型があってもね」
「いいわね」
「鉄道模型は奥が深くて」
 それでというのです。
「色々なものがあるけれどね」
「鉄道博物館のも凄いけれど」
「あれもまたね」
「けれどね」
「列車砲があってもいいわね」
「僕もそう思うよ。若しもね」
 さらに言う先生でした。
「列車砲の鉄道模型があって動くのを見たら」
「ううん、凄いね」
「そういうのも見たい?」
「そうよね」
「そうだね、鉄道模型は動かすことも楽しみだから」
 作って飾る、それだけでなくです。
「だからね」
「列車砲が動いても」
「それもいいね」
「じゃあね」
「そうしたものを見てもいいね」
「そうも思うよ。ただ日本ではどうもね」
 ここで今自分達がいる国のことをお話しました。
「列車砲はあまり使っていなかったみたいだね」
「そうなんだ」
「昔の日本軍は」
「列車砲はあまり使っていなかったんだ」
「ドイツ軍が有名だけれどね」
 それでもというのです。
「日本軍はね」
「そうだったんだ」
「使う兵器と使わない兵器があって」
「日本軍は列車砲はあまり使っていなかったんだね」
「どうも日本の地形が影響しているみたいだね」
 日本で列車砲があまり使われなかったことにはです。
「四方を海に囲まれていて山が多いね」
「それじゃあ列車砲を使いにくい?」
「守るにしても」
「それでも」
「そうした国は海軍で守る方がいいからね」
 つまり軍艦でというのです。
「だからね」
「列車砲はあまり使わなかったんだ」
「守る為に」
「軍艦を使っていたんだ」
「それに攻めるにもね」
 こちらの目的でもというのです。
「さっき言った通りね」
「線路を敷いて列車砲を組み立てて」
「使う度にそうしないといけないから」
「大変だから」
「それで使わなかったんだ」
「とにかく手間と時間とお金がかかるから」
 列車砲で攻撃するにしてもです。
「だからだよ」
「日本軍では余計に使われなかったんだね」
「日本も大きな大砲あったけれど」
「そうした大砲は海軍で使っていたね」
 こちらでというのです。
「そうだったね」
「ああ、戦艦のね」
「大和とかに使っていたんだね」
「大和の大砲って凄かったんだね」
「とんでもない大きさで」
「そうだよ、十八インチ砲でね」
 そのサイズはといいますと。
「センチにしたら四十六センチのね」
「物凄く大きな大砲だね」
「その大砲を使ってだね」
「日本の戦艦は戦っていたんだね」
「巨大な大砲をそちらに使って」
「そうだよ、これなら海の何処でも使えるね」
 大砲を戦艦に乗せると、というのです。
「海岸を攻撃するのにも使えるし」
「それだといいよね」
「日本を守るには軍艦に乗せた方がいいね」
「列車砲を造るよりも」
「日本の場合はその方がいいね」
「そういうことだよ、しかし日本の戦艦は」
 今度はこちらのお話をする先生でした。
「凄かったね」
「その大和だね」
「とんでもなく大きくてね」
「今も言われている位に」
「凄かったんだったね」
「ドイツ軍も巨大な兵器をよく建造していたけれど」
 それでもというのです。
「日本軍の軍艦もね」
「大きくて」
「凄かったのね」
「イギリス軍の戦艦よりもだよ」
 先生はここでも自分の国のお話をしました。
「大きくて大砲もね」
「イギリスのものよりも大きくて」
「列車砲はなくても」
「そちらを建造していったんだ」
「そうだったんだ、しかしね」
 さらにお話する先生でした。
「その戦艦もね」
「うん、今はないよね」
「ああしたとても大きな大砲を積んだ軍艦は」
「今はないわね」
「ミサイルがあるからね」
 ここでもこの兵器の名前を出す先生でした。
「だからね」
「戦艦もなくなったんだね」
「列車砲もなくなって」
「そうなっていったんだね」
「そうなんだ、まあ列車砲がなくなっても鉄道はあるし」
 これはというのです。
「そして戦艦がなくなってもね」
「船はあるね」
「それ自体は」
「鉄道もあって」
「その歴史の中にはそうしたものもあった」
 ここでは学者として言う先生でした、口調もそうなっています。
「そういうことだね」
「列車砲も歴史なんだね」
「鉄道のその中にあるんだ」
「そうしたものなのね」
「だから博物館の説明でもあったよ」
 先生がさっき見て読んだその中にというのです。
「ちゃんとね」
「ああ、鉄道の歴史の中にはそうしたものもあった」
「そのことを書いていて」
「それでだね」
「その中にあったんだ」
 学者として落ち着いてお話する先生でした。
「そうしたものもね」
「そして今はだね」
「そうした兵器はあったと学んでいる」
「先生もそうしているんだね」
「そうなるね。そして今はね」
 今度は現在のお話をするのでした。
「兵器で使われることはないね」
「軍隊の移動や輸送には使われているよね」
「そちらはあるよね」
「今も」
「それはあるね、やっぱり多くの人やものを速く動かせるから」
 それでというのです。
「モルトケさんの頃からね」
「今もだね」
「軍隊には使われるね」
「自衛隊では使われていなくても」
「そうだよ、そしてリニアモーターカーが出来たら」
 その時はというのです。
「まさにね」
「そうだよね」
「軍隊の移動や輸送もね」
「もっと速くなるわね」
「使おうと思ったら」
「そうなっていくね」
 絶対にというのです。
「これからは」
「軍事にも使えるのは確かだね」
「リニアモーターカーにしても」
「だから余計に重要なんだね」
「そうした意味でも」
「そうだよ、若しもだよ」
 ここでこうもお話した先生でした。
「銀河鉄道を軍隊が使ったら」
「宇宙戦艦みたいに」
「ああして宇宙を進んで」
「そうして動いていけるんだ」
「それが出来るかもね、まあああした鉄道はね」
 銀河鉄道はというのです。
「今は完全に夢だよ」
「小説か漫画のね」
「そうした世界だね」
「まだ」
「若し乗れたらどれだけ素晴らしいかって思うけれど」
 それでもというのです。
「流石にね」
「今の人類の技術では」
「流石にまだだよね」
「スペースシャトルやそうした時代だし」
「宇宙に出ること自体が相当なことだから」
「まだまだ夢だよ、けれど若しかしたら」
 自分で言った夢は現実になるということを心の中で思いつつです、そのうえで動物の皆にも言うのでした。
「実現するものだね」
「そうそう、夢はね」
「空想で終わるものじゃないから」
「だからだね」
「銀河鉄道にしても」
「現実になるかも知れないよ。空想科学で終わったら人類は進歩しないよ」
 今の時点の科学の知識だけで漫画やアニメの設定をこれは駄目、あれは無理と言うだけでは何にもならないというのです。
「それは科学でも何でもなくてね」
「ただのいちゃもん?」
「そんなもの?」
「結局何も生み出さない」
「そんなものなのね」
「そうだよ、茶々入れと一緒だよ」
 科学の進歩という大きな流れから見ると、というのです。
「そんなものは小さいしね」
「何も生み出さない」
「つまらないものだね」
「そう考えるよりどうしたら出来るのか」
「そう考えるべきだね」
「そうだよ、だから銀河鉄道もね」
 この宇宙を行き来する鉄道もというのです。
「実現出来るかも知れないからね」
「それで宇宙を旅して」
「軍隊もだね」
「銀河鉄道で人やものを運ぶ」
「宇宙で出来るかだね」
「宇宙船はある、そして銀河鉄道もとなると」
 それでというのです。
「どれだけ凄いか」
「そうなるね」
「それじゃあね」
「鉄道は宇宙でも使えるかも知れない」
「そのことに期待してだね」
「技術を進歩させていくべきだよ」
 鉄道のそれもというのです。
「リニアモーターカーもそうだけれどね」
「それで終わりじゃなくて」
「銀河鉄道もだね」
「軍隊のこともあるし」
「進歩させていくべきだね」
「日本ではまだまだ軍事にアレルギーを持っている人がいるけれど」
 それでもというのです。
「わかるね」
「うん、国を守る為にはね」
「災害が起こった時とかそうだよね」
「軍隊じゃないとって時多いよ」
「災害救助なんてね」
「日本は台風や地震が本当に多い国なんだよ」
 ここでもこのことについてお話する先生でした。
「その度に自衛隊の人達に動いてもらわないといけないのに」
「それならだよね」
「軍事にアレルギー持ってもね」
「それでもだよね」
「何にもならないね」
「意味がないね」
「そう、だからね」
 それでというのです。
「鉄道についてもね」
「災害救助の為にすぐに移動するなら」
「国民の人達を救って守る為なら」
「鉄道を軍事にどう使えるかを考えるのも大事だね」
「そうだね」
「そう、どうしても市民団体の救助活動じゃ限界があるんだ」
 先生はこの現実も指摘しました。
「しかも市民団体の中にはね」
「悪質な団体いるよね」
「自分達の手柄ばかり考えたりとか」
「そんな団体もあるからね」
「やっぱりこうした時はね」
「軍隊が一番なんだよね」
「持っているものと組織力が違うからね」
 このことか大きいからだというのです。
「若しもだよ」
「鉄道が使えたら」
「軍隊がそれを使ってだね」
「人やものを一気に被災地に送ったり」
「そうしたことも出来るよね」
「だからだよ。空も海もあるけれど」
 それだけでなくというのです。
「ちゃんとね」
「鉄道もだね」
「軍隊が使うことも考える」
「それは大事なことなんだね」
「そうだよ、戦争がどうとか言う以前に」
 それよりもというのです。
「災害や国防のことを考えて」
「それでだね」
「どうして人を助けられるか」
「国を守れるか」
「そう考えてだね」
「色々考えていくべきだね」
「それが大事だよ。基地の前で騒ぐよりも」
 そうしたことをするよりもというのです。
「どうしたら災害が起こった時人を助けられるか」
「それがだね」
「大事だね」
「そうしたこと自体が」
「そもそもね」
「それが大事だよ、本当にね」
 まさにというのです。
「日本ではこうした話をするとね」
「抵抗がある人がいるよね」
「その基地の前で騒いでいる人達とか」
「何かといて」
「困ったことになってるわね」
「そうだよ、それはね」
 まさにというのです。
「建設的でもないしね」
「災害の時とか迷惑だよね」
「被災している人達にとっては」
「神戸でもあったしね」
「私達が今いる街でも」
「あの時は自衛隊の出動が遅れたね」
 先生は阪神大震災の時のお話もしました。
「知事さんが自衛隊を動かさなくて」
「それで犠牲者が増えたよね」
「政府の対応も遅れて」
「それでよね」
「色々あるよね」
「だから」
 それでというのです。
「軍隊もね」
「ちゃんとね」
「考えていかないと」
「災害の時助かる命が助からなかったりするから」
「アレルギーとか持ったら駄目だね」
「全くだよ」
 先生はまた言ったのでした。
「犠牲者を増やしたらいけないからね」
「その知事さんの責任大きいね」
 トートーはしみじみとして言いました。
「沢山の人が死んだんなら」
「命は大事だよ」
 チーチーもこう言います。
「自分の考えよりも公を優先しないと」
「それで日本にはそうした人多いね」
「その基地の前にいる人達とか」
 チープサイドの家族もこうお話します。
「平和平和って言ってね」
「そうした行動に出るんだよね」
「そうした人達って人権とかも言うけれど」
 ダブダブもこのことは知っています。
「人の命守らないと人権じゃないでしょ」
「被災した人達がどうなってもいいの?」
 老馬はそこが疑問でした。
「自衛隊がどうとか言って動かなくて」
「市民団体じゃ本当に限界があるからね」
 そこを指摘したホワイティでした。
「どうしても」
「軍隊は組織力も持っているものも人の数も全然違うから」
 市民団体とはです、ポリネシアは言いました。
「震災の時は軍隊、日本だと自衛隊よ」
「しかもああした人達って自分達と違う意見に不寛容だね」
「それも凄くね」
 オシツオサレツはこのことが気になりました。
「沖縄の基地の前で凄く暴れていたけれど」
「反論しようものなら何されたか」
「しかもこうした人達って被災地に行かないよね」
 実父はこの現実を指摘しました。
「行く人もそりゃいるけれど」
「それで自衛隊がどうとか言うのは」
 ガブガブは首を傾げさせました。
「おかしいよね」
「どうしてか日本はそうした人達もいるんだよ」
 先生も具門に思うのでした。
「自衛隊が嫌いでね」
「それであれこれ言うんだね」
「何かをしようとしたら」
「自分達は何もしないのに」
「騒がしく言うんだね」
「そうだよ、ああした人達よりも」
 遥かにと言う先生でした。
「自衛隊の人達の方が役に立っているよ」
「世の為人の為にね」
「本当にそうだよね」
「ああした人達って毎日デモしているだけで」
「何もしないからね」
「毎日デモしていることも不思議なんだよね」
 先生はこのことも指摘しました。
「本土から沖縄に行ったりするね」
「それも平日のお昼にデモしているけれど」
「あの人達お仕事何?」
「普段何している人達なの?」
「それも不思議だよ。ある自衛隊の批判ばかりしている学者さんは」
 その人はといいますと。
「北朝鮮に行ったりしているし」
「あの国の軍隊って自衛隊より遥かに凄いよね」
「自衛隊って一億二千万の日本の人口で三十万もいないよ」
「けれどあの国は二千二百万で百万以上の軍隊だよね」
「これかなり大きいよ」
「しかも先軍政治よね」
「日本の比じゃないじゃない」
「けれどあの国には何も言わないんだ」
 自衛隊のことは言ってもです。
「不思議なことにね」
「そんな人の言うことは信じられないね」
「どうもね」
「あの国の方がおかしいじゃない」
「それでどうしてあの国には言わないの?」
「自衛隊のことを言っても」
「だから僕もこうした人達の言うことは信じないんだ」
 先生にしてもです。
「おかしいからね」
「学者として見てだよね」
「どう考えても矛盾しているよね」
「自衛隊は駄目で北朝鮮の軍隊はいいとか」
「どっちが問題かは言うまでもないのに」
「これは日本の皇室についても同じだからね」
 自衛隊だけでなくです。
「日本の皇室は駄目で北朝鮮の独裁体制はいいんだ」
「あの世襲制のも?」
「共産主義で世襲なのに」
「これ凄くおかしいのに」
「共産主義じゃ本来有り得ないのね」
「共和国なのに全然違うし」
「どう考えてもおかしいからね」
 先生が見てもです。
「だから僕もね」
「ああした人達はだね」
「信じないんだね」
「どうしても」
「そうなんだ。おかしいにも程があるからね」 
 それ故にというのです。
「信じないんだ、ただ本当に軍隊と鉄道はね」
「そのことはだね」
「ちゃんと考えていくべきだね」
「日本でも」
「どうして使うべきかも」
「そう思うよ、災害は起こるものだから」
 どうしてもというのです。
「台風や地震でも鉄道が動いたり川を氾濫させないことも大事で」
「それでだよね」
「災害が起こったら」
「もうその時はね」
「自衛隊の人にすぐに被災地に行ってもらって」
「物資を届ける為にも」
「鉄道も大事だよ」
 あらためて言うのでした。
「船も飛行機もヘリもトラックもあっても」
「使えるものは全部使うべきだしね」
「災害の時は特に」
「人の命もかかってるし」
「それじゃあね」
「鉄道も大事だからね」
 心から言う先生でした、そうしたお話をしてでした。お家に帰るとトミーにこんなことを言われました。
「大学と高等部に鉄道研究会ありますよね」
「ああ、部活でね」
「はい、八条学園には」
「随分熱心に活動しているらしいね」
「鉄道の写真とか撮ったりして」
 それにというのです。
「あと鉄道模型もです」
「造っているんだね」
「そうみたいです」
「どっちも真剣にする趣味だけれど」
 それでもと言った先生でした。
「お金もかかるね」
「アルバイトしたりしてみたいですよ」
「活動資金を手に入れているんだ」
「大学の方は着ぐるみのアトラクションに出たり」
 こちらのアルバイトをしたりしてというのです。
「そうしてです」
「お金を稼いでだね」
「活動しているみたいですよ」
「凄い情熱を感じるね」
「はい、八条学園は色々な部活がありますが」
「鉄道の方もだね」
「情熱を向けている人がいますね」
 現実にというのです。
「本当に」
「そうだね、その情熱はね」
 まさにと言う先生でした。
「頭が下がるよ」
「日本では鉄道好きな人も多いですね」
「鉄道マニアだね」
「鉄っちゃんもいますね」
「日本人の国民性だね、昔からいたしね」
 日本にそうした人達はというのです。
「江戸時代の時から」
「そんな昔からですか」
「大名行列を観る人達がいて」
「大名行列をですか」
「江戸城にどう入るか、家紋や歩き方や行列の規模はどうか」
「そうしたことをですか」
「観て楽しむ人達がいてね」
 それでというのです。
「本も出ていたんだ」
「大名行列の為に」
「そう、家紋とかを書いているね」
「それも凄いですね」
「そして今もね」
「そうした趣味が受け継がれていて」
「鉄道でも他のことでもね」
 その人の趣味の分野にです。
「凄い情熱を向けている人もいるんだ」
「そうなんだね」
「そうだよ、そしてね」
 それでと言う先生でした。
「この学園でもね」
「鉄道研究会の人達は」
「凄い情熱を向けているんだよ」
 鉄道にというのです。
「何から何まで研究して」
「知識にして」
「写真も撮って模型も造って」
「何か先生みたいですね」
「そちらの知識と情熱は僕以上だよ」
 鉄道に関するそれはというのです。
「本当にね」
「それじゃあ」
「うん、僕もね」
 まさにというのです。
「彼等には負けるよ」
「そうですか」
「彼等の情熱は桁が違うから」
 それだけにというのです。
「僕も負けるよ」
「先生以上ですか」
「そうだよ、しかしね」
「しかし?」
「彼等もやっぱり鉄道博物館に出入りしているのかな」
 ここでこうも考えた先生でした。
「鉄道好きなだけに」
「絶対そうだと思いますよ」
 トミーは先生にすぐに答えました。
「あの人達の趣味を考えますと」
「やっぱりそうだね」
「はい、あそこはです」
 まさにというのです。
「鉄道好きの人達にとっては」
「夢みたいな場所だね」
「ですから」
「彼等もだね」
「あの鉄道博物館には絶対」
「何度もだね」
「通っていると思います。八条学園の学生さんは入館料いらないですしね」
 このことは学園の中にある動物園や水族館等の施設も同じです。学生さんは学ぶものなのでそうした場所を無料で開放しているのです。このことは学園に勤務している人や教師の人達も同じで先生もなのです。
「ですから」
「それでだね」
「何度もあの博物館に行って」
「学んでいるんだね」
「そうしていますよ」
 絶対にというのです。
「行くのも楽しいですし」
「だからこそ」
「先生も何度も行かれてますし」
 かく言う先生ご自身もです。
「それで、ですよ」
「彼等もだね」
「むしろ先生よりも足しげく」
「情熱の為せることだね」
「まさにそうですね、しかし」
「しかし?」
「日本人のその情熱は昔からですか」
 このことには驚いているトミーでした。
「今ではなくて」
「江戸時代からね」
「筋金入りですね」
「凄いものだね」
「そこまでだったとは」
「大名行列を観ることが趣味の人達は」
 先生はトミーにあらためてその人達のことをお話しました。
「江戸城の傍に集まったりしてね」
「観ていたんですね」
「桜田門に入る時とかね」
「大名行列の人達の方も」
「そうだよ、観られていることを意識してね」
「あえてですね」
「観せていたんだよ」
 そうしていたというのです。
「格好よく、華やかにね」
「面白いですね」
「そして寛容だね」
「はい、観るなって言うどころか」
「観せていたんだからね」
「いいものですね」
「長い間泰平の時代が続いたからね」
 江戸時代はそうでした、大坂の陣そして島原の乱から長い間戦いというものがなかった時代だったのです。
「それでなんだ」
「そうしたこともですね」
「生まれていってね」
「日本人のマニア心も」
「育てられたんだろうね」
「江戸時代が平和だからですか」
「平和でしかも文化が栄えてね」
 そうした時代だったからだというのです。
「趣味も色々花開いて」
「マニアもですね」
「生まれたんだよ」
「そうでしたか」
「それがいいね、そして今もね」
「そのマニア心が生きていて」
「それでなんだ」
 まさにというのです。
「鉄道にも生きているんだ」
「面白いですね」
「そして鉄道研究会もあるんだね」
「とにかく凄い情熱らしくて」
 それでというのです。
「もうその知識と持っているものは」
「恐ろしいものなんだね」
「はい、あそこから鉄道博物館に行く人も多いですし」
「趣味が高じてだね」
「そうもなっています」
「ううん、それは本格的だね」
「一度お話をされてもいいと思いますが」
「そうだね、そこまで凄いなら」
 それならとです、先生も頷いてでした。
 先生はその鉄道研究会についても思いました、ですがここで先生ご自身もあらためて思ったのでした。
「しかし日本人のマニア心はね」
「恐ろしいですか」
「頭が下がるよ」
「江戸時代からの国民性でも」
「凝って凝ってね」
「徹底していますね」
「その徹底さたるや」
 こう言うのでした。
「世界に例がないね」
「先生が見てもですね」
「別格だよ、鉄道に関しても」
「何か鉄道は特にみたいですね」
「マニア心を刺激するのかな」
「そうかも知れないですね」
「車でも何でもあるけれど」
 それでもと言った先生でした。
「鉄道は特にだね」
「そうした傾向は確かにありますね」
「イギリスを越えているよ」
「まさにですね」
「何かが違う国だよ」
 しみじみとして思う先生でした、とかく日本人のマニア心が凄いものだと心から思いもしたのでした。








▲頂きものの部屋へ

▲SSのトップへ



▲Home          ▲戻る