『ドリトル先生と奇麗な薔薇園』




                第十一幕  先生のお心の薔薇

 先生はお芝居を観た次の日です、朝起きて御飯を食べてから登校して研究室に入ってから動物の皆に尋ねました。
「昨日のお話だけれど」
「お芝居?」
「よかったわね、昨日のお芝居」
「本当に素敵だったわ」
「いや、お芝居自体のことじゃなくてね」
 先生は朝の紅茶を飲みつつ皆に言うのでした。
「王子に言われたことだよ」
「ああ、何か言われてたね」
「先生のお心にも薔薇があるってね」
「オスカルさんみたいに」
「そう言われていたね」
「うん、その時にね」
 まさにというのです。
「僕の心にも薔薇があるってね」
「言われてたね」
「そうだよね」
「先生のお心に薔薇がある」
「そうだよね」
「そう、そしてね」
 それでというのです。
「僕の心はどんな薔薇なのかな、そもそもね」
「先生のお心に薔薇があるか」
「それはどうなのか」
「そのこと自体がなのね」
「そうだよ、どうもね」 
 それでというのです。
「僕みたいな人間の中に薔薇みたいな奇麗なお花があるのかな」
「あると思うよ」
「先生のお心にはね」
「ちゃんと薔薇があると思うわ」
「王子が言った通りにね」
 まさにとです、動物の皆は先生に言いました。
「それならね」
「ちゃんとあるよ」
「まさに高貴な心がね」
「薔薇みたいな」
「そうかな、僕はね」
 先生は皆の言葉に首を傾げさせつつ応えました。
「とてもね」
「だからそう言ってもだよ」
「先生自身はそう思っていてもね」
「実際は違うから」
「先生の心はとても奇麗だよ」
「誰よりもね」
 動物の皆は先生に言うのでした。
「だから王子もああ言ったんだよ」
「先生の心にも薔薇があるってね」
「オスカルさんみたいにね」
「僕はオスカルさんみたいに高貴な心はないよ」
 あの人とは違うというのです。
「あの人は何ていうか義侠心があるよね」
「そうそう、それがあるんだよ」
「どうしてあの人が高貴かっていうとね」
「義侠心も大きいよね」
「それがあることも」
「そうだね、けれど僕はね」
 どうしてもというのです。
「義侠心はないと思うけれど」
「あるよね」
「先生にも義侠心が」
「ちゃんとね」
「それがあるよ」
「確かにね」
「いざって時は助けてくれるじゃない」
 皆は先生のことがわかっています、それでこぞって言うのです。
「そちらに歩いて行って」
「それで助けてくれてるじゃない」
「誰が困っていても」
「そうしてくれてるから」
「そういうのが義侠心だよ」
「人を見捨てない」
「絶対にそうしたいことがね」
 先生に言うのでした、義侠心は確かにあるとです。
 それで、です。先生はその皆に言うのでした。
「あるかな、僕は勇気はね」
「ないっていうんだ」
「そう言うんだ」
「うん、ちょっとね」 
 どうにもというのです。
「僕に勇気とか義侠心とは縁がないよ」
「いや、武器を持ってとかじゃないよ」
「オスカルさんみたいに」
「そういう義侠心じゃないから」
「そのことは言っておくよ」
 皆はそこはちゃんと言いました。
「先生は戦う人じゃないから」
「武器とか鎧とかとは無縁じゃない」
「軍医さんは出来るけれどね」
「そうしたことじゃないよ」
「だから困っている人を決して見捨てない」
「僕達動物にだってそうじゃない」
 人に対してだけではありません、先生の博愛主義は人では人種や宗教や職業や性別は一切関係ないですがそれは動物達についてもなのです。
「それこそまさに義侠心だよ」
「そうじゃないの?」
「先生には義侠心が確かにあって」
「それが先生の心を奇麗にしているんだよ」
「そしてその心に薔薇を宿らせているんだ」
「そういうことなのかな、けれど僕は欠点だらけなんだれど」
 慢心しないのですが先生はその反面自信がある方でもありません、それで皆にここまで言われても思うのでした。
「それでもかな」
「うん、そうだよ」
「先生よりも王子の方がわかってるんだ」
「勿論私達だってそうだし」
「トミーもそうだよ」
「それにサラさんだって」
 先生の妹であるあの人もというのです。
「結婚してイギリスにいたままでも先生に時々会いに来るじゃない」
「お仕事のついでにしても」
「それは先生が好きだからだよ」
「先生のお心がね」
 確かに先生の病院が動物だらけになって人のお客さんが来なくなってたまりかねてお家を出てしまいましたが。
「だから会いに来てるし」
「わざわざ先生のお家まで来て」
「それはサラさんも先生が好きだからだよ」
「先生のお心がね」
 義侠心があってそこから出る勇気も備えている先生がというのです。
 それで、です。先生にさらに言うのでした。
「先生は凄くいい人だから」
「自信を持っていいよ」
「そのお心ならね」
「薔薇も備わっているよ」
「ちゃんとね」
「ただね」 
 ここでホワイティがこんなことを言いました。
「先生の心にあるのはどんな薔薇か」
「うん、それはね」
「ちょっとわからないわね」
 チープサイドの家族も言います。
「ちょっとね」
「具体的にどんな薔薇かは」
「薔薇といっても色々だから」
 ダブダブもこう言います。
「赤薔薇、白薔薇だけじゃないし」
「この学園の植物園に行くとどれだけあるか」
 ジップはあの植物園の薔薇園のお話をしました。
「色だけでも相当にあるからね」
「そうそう、薔薇と一口に言ってもね」 
 チーチーはジップに応えました。
「多いからね」
「その中のどの薔薇か」
 首を傾げさせたのはポリネシアでした。
「言えないわね」
「はっきりとは言いにくいね」
 トートーもこう言います。
「今のところは」
「先生は派手な人じゃないから」
 そのお心もと言う老馬でした。
「赤薔薇とか白薔薇じゃないね」
「ピンクはないね」
「うん、それは絶対にないよ」
 このことを言ったのはオシツオサレツでした。
「ピンクは女の人の色だし」
「先生にも似合わない色だしね」
「何の色の薔薇なのかは」
 ガブガブも首を傾げさせるのでした。
「ちょっと言い切れないね」
「そうなんだよね、これが」
「いざどの薔薇かっていうと」
「先生は派手じゃないし」
「男の人だし」
「それに色々なものが中にあるから」
「はっきり言えないよ」
 具体的にどんな薔薇かはというのです、先生のお心にある薔薇は。
「立派な人でね」
「奇麗な心なのは事実だけれど」
「それでも具体的にどんな薔薇かっていうと」
「言いにくいね」
「どの薔薇でもいいよ」
 先生は考え込む皆に微笑んで言いました。
「僕はね」
「そう言われてもね」
「何かこうして考えていくと」
「どの薔薇なのかってなるし」
「オスカルさんだったら白薔薇だったしね」
「王妃様は赤薔薇で」
 動物の皆はベルサイユの薔薇からも考えるのでした。
「けれどね」
「先生は具体的にどの薔薇か」
「そう考えるとね」
「ちょっとまだね」
「はっきり言えないよ」
「そうなのかな、まあどんな薔薇でも僕はいいよ」 
 紅茶の最後の一口を飲んで言う先生でした、先生の水分補給はお水よりもお茶特に紅茶が多いです。
「皆の言葉を受け入れるよ。じゃあお茶を飲んだし」
「うん、じゃあね」
「今からね」
「また論文ね」
「それにかかるのね」
「そうするよ、今度は恐竜についてだよ」
 そちらの論文を書くというのです。
「それを書くからね」
「へえ、恐竜なんだ」
「恐竜についての論文を書くの」
「そうするの」
「うん、恐竜はロマンがあるね」
 先生は皆ににこやかに笑ってお話しました。
「そうだね」
「うん、確かにね」
「恐竜にはロマンがあるよ」
「太古のロマンっていうか」
「その大きさと外観でもね」
「そうだね、その中のカモノハシ竜について書くんだ」
 こちらの恐竜についてというのです。
「トラコドンとかイグアノドンとかね」
「ああ、そうした恐竜についてなの」
「今から論文書くんだ」
「執筆開始ね」
「そうするよ、しかしイグアノドンはね」
 この恐竜についてこんなことを言う先生でした。
「最初は四本足で歩いていると言われていてね」
「最初はなの」
「そう言われていたんだ」
「うん、それが二本足になってね」
 恐竜の研究が進む中でそう言われたのです。
「それで最近じゃまた四本足じゃなかったかってね」
「言われてるの」
「戻ったんだ」
「そうなったんだね」
「そうなんだ、恐竜についても学問は日々進歩していてね」
 それでというのです。
「その姿も研究が進むにつれてなんだ」
「変わったりするんだ」
「そうなっているんだ」
「歩き方とかまで」
「変わっていくんだ」
「果たして本当はどうだったのか」
 それはというのです。
「はっきりわかるまでに時間がかかるよ」
「ううん、すぐにはわからなくて」
「その姿の予想もなんだ」
「わかるまで色々変わるんだ」
「イグアノドンみたいに」
「こうだって言われても変わるしね」
 その姿がというのです。
「骨格を組んでもね」
「成程ね」
「そこを学んでいくのも学者ってことだね」
「そういうことだね」
「そうだよ、じゃあ今から書いていくよ」
 恐竜についての論文をというのです、そうして先生は紅茶を飲んでから論文を書きはじめるのでした。
 この日も十時にはティータイムを楽しんでお昼御飯も食べましたが講義もあったりして充実した一日でした、そうして三時になって。
 先生は講義が終わってからのティータイムを終えてから皆に言いました。
「ちょっと気分転換も兼ねてね」
「それでだね」
「何処かに行くのね」
「うん、朝に僕の心の薔薇のことを話したから」
 それでというのです。
「植物園に行こうか」
「それで薔薇園にだね」
「行って薔薇を観るのね」
「そうしようっていうのね」
「うん、どうかな」
 こう皆に提案するのでした。
「これからね」
「いいね」
「じゃあ今から行こう」
「薔薇園にね」
「それで薔薇を観ましょう」
「是非ね、薔薇に何かと縁があるね最近」
 こうも思った先生でした。
「面白いことに」
「うん、先生が薔薇園の虫の問題を解決してね」
「それから何かとね」
「舞台の演出にも協力したし」
「そう思うとね」
「最近先生薔薇と縁があるわね」
「実際にそうだね」
 動物の皆もその通りだと答えます。
「不思議というか面白いというか」
「そうなってるね」
「これも何かの縁かな」
「そうしたものかしら」
「うん、縁があるからね」
 それならばとです、先生は皆に応えました。
「こうして薔薇と関わるんだろうね」
「これも神様のお導きね」
「偶然の様でそうね」
「そういうことなのね」
「そうだね、偶然は実は偶然じゃない」
 先生は微笑んで言いました。
「神様のお導きだよ」
「そうだよね」
「それじゃあそのお導きに従って」
「薔薇に縁があるから、最近は」
「薔薇を観に行きましょう」
「そうしようね」
 先生は立ち上がりました、そうして皆と一緒に薔薇園に行きました。そこで様々な色の薔薇達を観ますが。
 その薔薇達を観てです、動物の皆は言うのでした。
「ううん、やっぱりね」
「先生がどの薔薇なのかは」
「ちょっと言えないね」
「具体的には」
 どうにもというのでした。
「赤?白?黄色?」
「青かな」
「紫や黒かも」
「ピンクはないと思ったけれど」
「それもあるかな」
「実は」
 こう思うのでした。そして。
 緑の茎や葉を観てこうも言い合いました。
「何か緑もね」
「うん、あるかも」
「ひょっとしたら」
「お花じゃなくてね」
「ひょっとしたら」
 ただ棘は観ていません、先生のお心には棘といったものは誰が見ても全く見られないからなのです。
 それで棘はないと思いましたがそれでもです。
「ただね」
「それでもよね」
「薔薇があるのは確かで」
「じゃあどんな薔薇か」
「こうして観てみると」
「具体的にはね」
「はっきり言えないわね」
 どうにもと言うのでした、そしてその皆に先生はといいますと。
 穏やかな笑顔で、です。こう言うばかりでした。
「また言うけれどね」
「どんな薔薇でもなのね」
「いいっていうのね」
「先生としては」
「どんな薔薇でも受けるの」
「どの薔薇も好きだからね、いや」
 先生はこう言い換えました。
「全ての薔薇が、そしてお花がね」
「先生は好きね」
「そう言うよね、先生なら」
「その博愛主義が先生だよ」
「まさにね」
「うん、こうした場合一つだけ選ばないといけないかというとそうじゃないね」
 選ばないといけない場合は先生も選びます、ですがそうでない場合は先生は持ち前の博愛主義が出るのです。
 それで、です。先生は言うのでした。
「どの薔薇かは言えないよ」
「そうだね」
「先生は普通にね」
「こうした時はそう言うよね」
「一つの薔薇だと贔屓になるしね」
「僕は贔屓は好きじゃないからね」
 これもまた先生のお考えのいいところです、先生は誰かを贔屓したりすることは絶対にない公平な人なのです。
「誰かが贔屓されて邪険にされると嫌だよね」
「どうしてもね」
「そんなのはお断りよ」
「僕達だってそうだよ」
「邪険にされたくないよ」
「だからだよ」
 それ故にというのです。
「僕は贔屓は絶対にしない様にしているんだ」
「その心も薔薇なんだよね」
「本当に高貴だからね」
「贔屓は絶対にしないんだ」
「それもいいことだよ」
「うん、学生時代見てきたしね」
 その贔屓をというのです。
「いいものじゃなかったからね」
「うん、誰かを贔屓したら誰かが除けられるから」
「除けられると嫌だしね」
「そこからやっかみとかも起こるし」
「本当によくないわね」
「だから僕は贔屓をしない様にしているんだ」
 学生時代に見たものからというのです。
「そうして気をつけているんだ」
「そうそう、僕達もそうしていくよ」
「誰も贔屓しないわ」
「何があってもね」
「皆もそうしてくれると嬉しいよ、それで今もね」
 薔薇達についてもというのです。
「贔屓はしないよ」
「だからどの薔薇もいい」
「言われたことを受け入れる」
「そうするのね」
「そうするよ、今はね」
 まさにと言ってです、先生も薔薇園の薔薇達を観ます。先生はどの薔薇にもそれぞれの奇麗さがあっていいと言うのです。
 そうして薔薇を観つつこんなことも言いました。
「薔薇も時代によってね」
「変わってるんだね」
「今も」
「そうなのね」
「そうだよ、青い薔薇もなかったしね」
 今はありますがそれでもです。
「その他の薔薇達もだよ」
「品種改良とかしていって」
「それでだね」
「変わっていったんだね」
「それで今に至るんだ」
「今の薔薇達に」
「そうだよ、薔薇も変わるんだ」
 時代によってです。
「クレオパトラが観ていてローマの人達が愛した薔薇はね」
「今の薔薇とは違う」
「薔薇は薔薇でも」
「また違う薔薇なんだね」
「そうだと思うよ、他のお花も変わるしね」
 時代によってというのです。
「薔薇達もだよ、人間も生きものも変わるし」
「薔薇も然り」
「そういうことね」
「そうだよ」
 こうお話するのでした。
「時代によってね」
「薔薇も変わっていて」
「今は今の薔薇だね」
「品種改良されていって」
「そうなっているのね」
「僕達だってそうだしね」
 人間も生きものもというのです。
「今のイギリス人と昔のイギリス人は違うね」
「あっ、そういえば」
「昔のイギリス人はケルト人でね」
「そこにアングロサクソン人が移住してきて」
「それで混血したしね」
「あと貴族の人はフランスからの人が多いしね」
「ウィリアム征服王から」
 動物の皆もこのことは知っています、何しろイギリスに生まれて長い間あの国に住んでいたのですから。
「そうしてだったからね」
「イギリス人も変わっていったし」
「これ大抵の国でだよね」
「昔の人と今の人は違うね」
「そう、アメリカだってそうだね」
 この国もというのです。
「イギリスからの移民がはじまりでもね」
「色々な国の人が入ってきたからね」
「もう世界中から」
「独立の頃のアメリカ人と今のアメリカ人は違うわね」
「やっぱり混血もしてるし」
「中国人だってそうだよ」
 今度はこの国の人達を挙げた先生でした。
「封神演義の頃から混血していってね」
「時代と共に変わっていったのね」
「北や西や南の人達と混血して」
「そうなっていったのね」
「そうだよ、長い歴史の中でね」
 この国もそうだというのです。
「混血していったしね、欧州は殆どの国でそうだしね」
「あっ、昔のギリシア人と今のギリシア人は違うね」
「ローマ人と混血したし」
「スラブ人も来たりバイキングもね」
「トルコ人も入ったし」
「日本人だって混血しているからね」
 今先生達がいるこの国の人達もというのです。
「縄文人と弥生人の混血でね」
「そこからだよね」
「アイヌの人達とも混血したし」
「あと他の国から来た人達ともね」
「混血してるしね」
「そう、人も時代によって変わって皆もだしね」
 次に動物の皆の話題に移った先生でした。
「例えば馬だってね」
「昔はポニーみたいに小さい馬が多かったのよね」
「モンゴルの馬だってそうだしね」
「日本の道産子もその流れよね」
「そう、サラブレッドは品種改良されていってね」
 そうしてというのです。
「ああした風になったんだ」
「確か元はアラビアの馬?」
「あの馬だったね」
「あの馬が元になって」
「それでだったね」
「そうだよ、汗血馬っていたね」
 この馬の名前も出した先生です。
「中国の古典に出て来る」
「ああ、あの馬がだね」
「汗血馬がなんだ」
「サラブレッドの元なんだ」
「そうだよ、サラブレッドはね」
 まさにというのです。
「アラビアの馬からはじまってるしね」
「昔はいなかった馬だね」
「品種改良の結果」
「そうだったんだね」
「あの馬にしても」
「どの生きものもなんだよ」
 本当にというのです。
「君達皆ね」
「老馬さんだけじゃなくて」
「僕達全員もなの」
「それじゃあね」
「私達にしても」
「ご先祖様達とは違っているわね」
「そうだよ、犬も豚も他の皆もね」
 まさにというのです。
「違うからね」
「ううん、それじゃあね」
「僕達もご先祖様と変わっていて」
「そしてこれからもね」
「変わっていくのね」
「そうだよ、若しサラの子供達が日本人と結婚したら」
 その時はというのです。
「やっぱり変わるね」
「イギリス人と日本人のハーフになって」
「変わっていくわね」
「それじゃあね」
「うん、そうなるからね」
 だからだというのです。
「万物は流転するっていうけれど」
「それは薔薇も然りで」
「人間も僕達も」
「そうなるね」
「そして先生もね」
 ここで皆は先生に言うのでした。
「変わっていく?」
「そうなってみたら?」
「変わっていくのを実践していったら?」
「人間がそうなっていくのをね」
「先生自身がね」
「僕が?どういうことかな」
 そう言われてもご自身のことはわからない先生でいsた。
「一体」
「そこで一体っていうのね」
「それが先生なんだよね」
「ここで気付いてくれないのが」
「どうにもね」
「いや、本当にわからないよ」
 皆が言っていることがと言う先生でした。
「皆が今何を言っているのか」
「いや、だからね」
「そこは違うんだよ」
「もっと自分のことを見ようね」
「冷静にね」
「ううん、冷静に見ても」
 それでもと言う先生でした。
「そして考えてもわからないけれど」
「まあね、先生はそうした人だからね」
「こうしたことにはからっきしだってね」
「もうわかってるから」
「僕達も少しずつ進めていくよ」
「絶対に後退はさせないから」
「何があっても」
 こう言うのが皆でした、そうしたお話もしましたがやっぱり先生と周りの人達はほのぼのとしています。
 そしてそのほのぼのとした中でお家の中でトミーに聞いた先生でした。
「今日の晩御飯は何かな」
「はい、今日はカレーライスですよ」
「あっ、カレーなんだ」
「シーフードカレーです」
 トミーは先生ににこりと笑って答えました。
「それを作っていますから」
「ううん、シーフードカレーだね」
「はい、先生お好きですよね」
「大好きだよ、海老や烏賊や貝が入っていてね」
「勿論お魚も入れていますよ」
「楽しみにしているよ」
「あまり煮ていないですから」
 ここでこうも言った先生でした。
「シーフードカレーは」
「そうそう、シーフードはね」
 ここで言ったのはポリネシアでした。
「あまり煮たらよくないのよね」
「煮込み過ぎたら固くなるんだよね」
 トートーも言います。
「シーフードって」
「お肉は煮込めば煮込む程柔らかくなってね」
 ホワイティはお肉のお話をしました。
「味も出るけれどね」
「シーフードはね」
 どうかと言うジップでした。
「煮込み過ぎたらよくないんだよね」
「そうだよ、味が出ても」
 それでもと言うガブガブでした。
「固くなるからね」
「煮込み過ぎたらよくないのよ」
 ダブダブも言いました。
「これがね」
「そこは気を付けないと」
「味に問題が出るから」
 チープサイドもその固くなることを指摘します。
「煮込み過ぎた駄目だから」
「注意しないとね」
「トミーもそこがわかってるね」
 老馬も言います。
「ダブダブ直伝のお料理の腕が」
「それであえてあまり煮込まない」
「そうしているんだね」
 オシツオサレツが二つの頭で言いました。
「シーフードカレーについては」
「他のカレーと違って」
「そうだよ、ブイヤベースみたいにね」
 それでとです、トミーは動物の皆に答えました。
「あえてそうしているんだ」
「やっぱりそうだよね」
「海老とか烏賊とかお魚だからね」
「貝も入ってるし」
「お魚は煮込むとばらけるしね」
「あえてそうしないで」
「そう、作っているよ。それとね」
 さらにお話したトミーでした。
「カレーの味付け自体も考えているから」
「ああ、シーフードカレー用の」
「そのカレールーだね」
「シーフードに合うルーを買ったんだ」
「そうなんだ」
「いや、そこは大して変えていないんだ」
 買ったルーはというのです。
「そこはね」
「あっ、そうなんだ」
「そこは同じなんだ」
「じゃあ何を考えたの?」
「どうしたの?」
「隠し味とか考えたんだ、それとね」
 トミーのお話は続きます。
「魚介類の臭みはね」
「あっ、それはだね」
「それは注意しないとね」
「シーフードの匂いは独特だから」
「余計にね」
「そうして作っているからね。もうすぐしたら出来るよ」
 そのシーフードカレーがというのです。
「だから待っていてね」
「うん、楽しみにしてるよ」
「じゃあ今日はそのシーフードカレ―を食べてね」
「楽しもうね」
「是非ね、あとね」
 トミーはさらに言いました。
「サラダも作ってるからね」
「あっ、サラダもあるんだ」
「それもあるんだ」
「そちらも」
「そうだよ、シーフードサラダだよ」
 サラダはこちらのサラダだというのです。
「こちらも楽しみにしておいてね」
「うん、そっちも楽しみだね」
「シーフードカレーにシーフードサラダ」
「ヘルシーだね」
「しかも美味しいからね」
「そうだね、日本に来てからね」
 先生もカレーとサラダを食べることを楽しみにしています、それでにこにことしてこう言うのでした。
「僕達はシーフードも食べる様になったね」
「そうだよね」
「シーフードカレーもそうだしね」
「シーフードサラダも然り」
「勿論日本のお料理もだし」
「シーフード沢山食べる様になったよ」
「烏賊や蛸なんてね」
 日本では普通に食べているこうしたものもです。
「イギリスではね」
「食べられることすら知らない人いるから」
「お化けみたいに思ってる人もいるし」
「実際ゲームとかのモンスターで出ても気持ち悪い」
「そう思うだけでね」
「食べられてしかも美味しいなんてね」
 そう思うことはというのです。
「ないからね」
「そうそう」
「イギリスではそれもないから」
「まさか烏賊や蛸が食べられて」
「おまけに美味しいなんてね」
「神戸では明石焼きがあるけれどね」
 蛸のこのお料理を出した先生でした。
「僕はたこ焼きも大好きだよ」
「大阪名物のね」
「あれも美味しいよね」
「簡単な様でそれでいて物凄く美味しい」
「よくあんなお料理考えたわ」
「全くだよ、そしていか焼きもね」
 こちらの食べものについてもです、先生はにこにことしてお話をします。
「いいよね」
「あっ、いか焼きって二つあるよね」
「そうそう、二つあるね」
「そのまま焼いたのと小さく切って小麦粉の生地や卵と一緒に焼くのと」
「二つあるね」
「そうだよね」
「これは関西、特に大阪のことなんだよね」
 先生は皆にいか焼きのこともお話しました。
「実はね」
「そうなのね」
「これが実はなのね」
「日本でも関西のこと」
「いか焼きが二つあるのは」
「うん、そのまま焼いた方は姿焼きとかいうね」
 そのままタレを漬けて焼いたものはというのです。
「こっちも屋台でよく売ってるね」
「生地で焼く方もね」
「どっちもよく屋台であるわね」
「それで皆よく食べてるね」
「たこ焼きにしても」
「うん、そして他のシーフードもよく食べるしね」
 先生はにこにことしてさらに言いました。
「牡蠣だって色々な食べ方があるしね」
「イギリスの牡蠣の食べ方ってね」
「どうもね」
「あまりないのよね」
「日本みたいに色々は」
「そうなんだよね、だから牡蠣にしてもね」
 この貝類にしてもというのです。
「色々と食べられるのがいいよね」
「勿論他のシーフードもね」
「沢山食べられるから」
「本当にいいよね」
「シーフードでは一番かも」
「豊富な種類を色々なお料理で食べられるから」
「イギリスも海に囲まれている国だけれど」
 それでもと思う先生でした。
「どうもね」
「シーフードに疎いわね」
「というかお食事自体にね」
「どうも疎い国だから」
「それもかなり」
「そうだね、日本に来て日本のお料理を食べたら」
 それこそというのです。
「イギリスの食べものは食べられないかもね」
「イギリスのお料理だってそうだし」
「日本で作ったら凄く美味しいし」
「だったらね」
「日本にいたいよね」
「これからも」
「そうだね、じゃあ今日はシーフードカレーを食べて」
 そしてというのです。
「近いうちにいか焼きやたこ焼きも食べようね」
「是非ね」
「そうしましょうね」
「それもお腹一杯」
「そうしましょう」
 皆も先生に笑顔で頷きます、そうしてシーフードカレーを食べますが先生は剥かれた海老に注目しました。
「これは車海老だと思うけれど」
「はい、そうです」
 トミーは一緒に食べながら先生に答えました。
「それを入れてみました」
「実は車海老は王子の好物なんだよ」
「あっ、そうなんですか」
「王子も日本に来てシーフードが好きになってね」
「それでなんですか」
「特に海老が好きになってね」
「車海老もですか」
「大好きなんだ、元々オマール海老が好きだったけれどね」
 あのザリガニにとてもよく似た海老がというのです。
「日本に来てからはね」
「車海老が大好きになったんですね」
「そうなんだよね」
「それは知りませんでした」
「うん、王子はシーフードカレーは食べるかな」
「食べると思いますよ」
 トミーは先生にまた答えました。
「王子のカレー好きですし」
「そしてシーフードも好きならだね」
「食べると思います」
「じゃあ王子に伝えるよ」
 是非にと言う先生でした。
「シーフードカレーに車海老を入れても美味しいってね」
「それはいいことですね」
「美味しいものは皆で食べないとね」
 先生はにこりと笑ってこうも言いました。
「だからね」
「そこでそう言うのが本当に先生ですね」
 トミーも先生の今のお言葉ににこりとなりました、そのうえで言うのでした。
「らしいですよ」
「そうかな」
「はい、最近先生のお心にも薔薇があるって言われていますね」
「皆言うね」
 動物の皆だけでなくトミーにしても王子にしてもです、本当に先生は最近そうしたことをよく言われます。
「どうにもね」
「やっぱりありますね」
「僕の心には」
「その奇麗なお心に」 
 薔薇、それがあるというのです。
「そう思いました」
「それじゃあどんな薔薇かな」
 先生はトミーに若布とレタスが中心になっていてフレンチドレッシングをかけてあるサラダを食べつつ先生に尋ねました。
「僕の心にある薔薇は」
「そう言われますと」
「返事に困るかな」
「はい」
 どうにもと答えたトミーでした。
「ですがそれでもです」
「僕の心にはだね」
「薔薇がありますよ」
「どんな薔薇にもね」
「奇麗なお心ですから」
「そのことは間違いないんだね」
「僕もそう思います」
 確かにというのです。
「本当に」
「ううん、僕に薔薇は似合わないと思っているけれど」
「外見からそう思われるんですね」
「野暮ったいからね」
 太っていてお顔立ちもよくはないからというのです。
「昔からね」
「だからですか」
「そう思っているけれど」
「いえ、お心ですよ」
「内面がなんだ」
「はい、先生はとても素晴らしいですから」
 何が素晴らしいかもお話するトミーでした。
「お心が、そしてそのお心にです」
「薔薇があるんだね」
「そういうことですよ」
「そうだといいけどね」
「はい、それと」
 さらにお話するトミーでした。
「今日のデザートですが」
「うん、何かな」
「ヨーグルトです、そしてそのヨーグルトの中に」
 トミーは先生に笑顔でお話しました。
「赤薔薇のジャムを入れています」
「ここでも薔薇だね」
「はい、ブルガリアみたいですね」
「あそこはヨーグルトと薔薇で有名だからね」
「あの国を思い出しました」
「実際にそうだね、じゃあブルガリアのことも思いながらね」
 先生はトミーに笑顔で応えつつ言いました。
「デザートも楽しもうね」
「そうしましょう」
「是非ね、しかし薔薇はね」
「本当にいいですよね」
「うん、観ても奇麗で香もよくて」
「食べられますし」
「本当にいいよ」
 あらゆる意味で素晴らしいお花だというのです。
「あのお花はね」
「僕もそう思います」
「そうだね、じゃあデザートにね」
「ヨーグルトを食べて」
「最後まで楽しませてもらうよ」
「そうして下さいね」
 トミーも笑顔です、ただ。
 ふと皆がカレーを食べている居間のテレビを観ると少し不機嫌になりました、それはどうしてかといいますと。
「今日は駄目ですね」
「阪神だね」
「カープに負けていますね」
「今日はね」
「何か」
 こうも言ったトミーでした。
「阪神はカープには弱いですね」
「どうもね」
「負け越してますしね」
「今年もね、調べたらかなりのシーズンでね」
「カープには負け越してるんですね」
「不思議なことにね」
「相性ですかね」
「そうかもね、試合ごとの負け方も酷いしね」
 ただ負けるだけでなくというのです。
「もう毎シーズンこうだからね」
「チームに対する相性ってあるんですね」
「特に阪神はそれが顕著みたいだね」
「はい、今七回ですけれど十点取られて」
 そのうえでなのです。
「こっちは一点も入っていませんから」
「惨敗だね」
「そう言っていいですね」
「打つ気配もないし」
 阪神の方がです。
「これじゃあね」
「今日は負けですね」
「そうなるよ、これはね」
「残念ですね」
「うん、巨人には勝てても」
 それでもというのです。
「カープにはこれじゃあね」
「ちょっと困りますね」
「優勝出来てもね」
 それでもと思う先生でした、薔薇のことも気になりますが阪神のことも気になってしまうのでした。









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