『ドリトル先生と奇麗な薔薇園』




                第十幕  花の舞台

 先生は動物の皆にトミーそして王子と一緒に舞台を観に行きました、王子の後ろにはいつも執事さんが控えています。
 その執事さんについてです、先生は言いました。
「侍従さんですよね」
「はい」
 その執事さんが答えてくれました。
「本来の役職の名前は」
「そうですね」
「はい、ですが」
 それでもと言う執事さんでした。
「皆そう呼んでくれています」
「執事さんとですか」
「そうなのです」
「王宮で働いてくれているからね」
 それでとです、王子もお話しました。
「役職も実際にね」
「侍従さんだね」
「そうなんだ、僕付きのね」
 こうお話します。
「侍従さんなんだ」
「そうだよね」
「けれど皆ね」
「執事さんとだね」
「呼んでるし僕もね」
 王子ご自身もというのです。
「執事さんってね」
「呼んでるんだ」
「そうなんだ」
 実際にというのです。
「昔から今もね」
「成程ね」
「うん、けれどね」
「けれど?」
「別に何も困ってないしね」
 王子もというのです。
「これといってね」
「だから執事さんとだね」
「これからも呼ばせてもらうよ」
「私もです」
 その執事さんも言ってきました。
「執事さんと呼ばれることは」
「気に入っておられますか」
「妙に面白い感じがしまして」
 それでというのです。
「特に日本に来てから」
「イギリスにおられた時よりも」
「はい、日本では執事さんのお店もありますね」
「メイド喫茶の様にですね」
「執事喫茶もありますので」
「だからですか」
「妙に面白く感じていまして」
 それでというのです。
「気に入っています」
「そうですか」
「それに日本では侍従さんといいますと」
 執事さんは王子のすぐ後ろの席に控えています、先生達はもう劇場の観客席に座っています。王子は先生の左隣にいてトミーは右隣にいます。そして動物の皆も周りにいます。
「日本の皇室ですね」
「あちらですか」
「間違えられると恐れ多いので」
「恐れ多いですか」
「エンペラーですから」
 日本の皇室はというのです。
「ですから」
「それで、ですか」
「日本の宮内庁の方と間違えられますと」
「あれっ、おかしくない?」
 ここで動物の皆が言いました。
「王子はれっきとした一国の後継者だよ」
「将来王様になるし」
「前から思っていたけれど」
「王子って日本の皇室には低姿勢だよね」
「他の人達にはフレンドリーで」
「日本の皇室には何で腰が低いの?」
「執事さんも」
 それがどうしてかと思う皆でした。
「どうしてかな」
「日本の皇室って天皇陛下だったね」
「そうそう、英語じゃエンペラーさね」
「皇帝だよ」
「王様と皇帝って違うの」
「それもかなり」
「これが全然違うんだよ」
 王子は皆にはっきりと言いました。
「同じ君主でもね」
「へえ、そうなんだ」
「そこまで違うんだ」
「王子が敬って執事さんが恐れ多いと言う位に」
「そこまでの方々なんだね」
「そうだよ、だから日本で侍従さんと間違えられると」
 日本の宮内庁に勤めているこの人達と、です。
「大変だしね」
「だからです」
 それでとです、執事さんも言ってきます。
「私は今はです」
「執事さんとだね」
「呼ばれる方がいいんだ」
「そうなんだね」
「そうだよ」
「そう、王と皇帝は全く違うんだ」
 先生もこのことをお話します。
「皇帝は一つの文明の統治者、複数の民族と宗教の上にあってね」
「あれっ、それじゃあね」
「イギリスの王様はね」
「複数の民族と宗教に上にあっても」
「文明の上にはないからね」
 それでと気付いたのでした、動物の皆も。
「王様であっても皇帝じゃないんだ」
「昔は七つの海を支配する大国の王様だったのに」
「そう、そして皇帝は他の人を王に任命出来るだ」
 そうしたことも出来るというのです。
「ローマ皇帝も中国の皇帝もね」
「そして日本の天皇も」
「それが出来るんだ」
「日本の中ではね」
 それが出来るというのです。
「出来て実際にかつて皇室の方で王に任じられた人もいるよ」
「長屋王でしたね」
 トミ―が奈良時代の人の名前を出しました。
「あの人とか」
「国を治めてはいないけれどね」
「それでもですね」
「そう、日本の天皇陛下もね」
「王を任じることが出来るんですね」
「だから僕なんてね」
 王子がまた言いました。
「日本の皇太子殿下とは立場が違うんだ」
「全くなんだ」
「そうなんだ」
「皇帝は王の上におられる方なんだ」
 動物の皆にも答えます。
「そのこともあってね」
「執事さんは侍従さんとは呼ばれずに」
「執事さんと呼ばれて」
「それでいいんだ」
「はい」
 今度は執事さんが答えました。
「そうなのです」
「成程ねえ」
「その辺りの事情もわかったよ」
「色々難しい理由もあるんだね」
「そうなんだ、あとベルサイユの薔薇で出て来るのはね」
 今からはじまるこの舞台ではといいますと。
「王様だよ」
「ルイ十六世だね」
 ガブガブが言ってきました。
「あの人だったね」
「何か可哀想な人だね」
 ホワイティはしみじみとした口調で言いました。
「悪い人じゃないのに」
「そう、時代に流されてね」
 ポリネシアはホワイティに応えて言いました。
「最後はギロチン台送りなんて」
「あの人も王妃様も悪い人じゃないよ」
 ジップもこう言います。
「別にね」
「そんなに愚かでもないと思うし」
「そうよね」
 チープサイドの家族もこう思っています。
「特にね」
「時代の犠牲者だね」
「あんな時代じゃなかったら」
 それこそと言ったチーチーでした。
「あんなことになっていなかったよ」
「間違いないね」
 トートーも言います。
「とんでもないことが次から次に起こる時代だったから」
「あんな時代だったから」
 ダブダブも悲しく思うのでした。
「あんなことになったのね」
「あの時代って沢山の人が死んだんだよね」
「そうそう、革命の中でね」
 オシツオサレツも二つの頭で言います。
「何か百万位死んだとか」
「物凄い数だよ」
「いいものだったのかな、革命って」 
 最後に言ったのは老馬でした。
「フランスで起こったあれは」
「難しいね」
 実際にとです、こう言ったのは先生でした。
「ああした歴史の流れは必然だったにしても」
「急激過ぎてね」
「死んだ人が多過ぎた」
「そうだったっていうんだね」
「そう、それでね」
 先生は皆にさらにお話をしました。
「いいかっていうと難しいね」
「一概にそう言うのは」
「そうなんだね」
「どうしても」
「うん、時代の急激な流れの中で死んだ人や失われたものが多過ぎるから」
 先生も考えていることでした、それも心から。
「市民や民主主義に時代が向く大きな要因であってもね」
「それでもだね」
「その中であれだけの人が死ぬと」
「いいとは言えない」
「そうなんだね」
「うん、そう思うとね」
 本当にというのです。
「いいものとは言えないね」
 フランス革命自体はというのです。
「オスカルは民衆の側に立って戦ったけれどね」
「バスチーユ襲撃だね」
 ここで王子が応えました。
「あの時にだったね」
「作品の最後の場面だね」
「あの襲撃は革命の重要な場面の一つだね」
「そうなんだけれれど」
 それでもと言う先生でした。
「やっぱり無益な血も流れたんだよ」
「あの襲撃では」
「そうだったの」
「うん、そもそも監獄長の人は民衆を攻撃するつもりはなかったんだ」
 襲撃された人達はというのです。
「それでああして襲われたから」
「ううん、じゃああの事件もなんだ」
「いい事件じゃないんだ」
「物凄く象徴的に言われているけれど」
「無駄な血が流れた事件って言っていいんだ」
「ナポレオンが起こした一連の戦争でも沢山死んだけれど」
 革命の後のその時代でもです。
「それでもね」
「あの革命でもなんだ」
「沢山の人が死んで」
「それでなんだ」
「いいことじゃなかったんだ」
「革命は言葉は恰好いいよ」
 それ自体はいいというのです。
「けれどあの革命でもロシア革命でもどれだけの人が死んだか」
「アメリカの独立革命も戦争だったしね」
「沢山の人が死んだのは事実だしね」
「イギリスもね」
「清教徒革命は犠牲者が多かったし」
 動物の皆はフランスやロシア以外の国の革命のことも思うのでした。
「中国の代々の易姓革命だってね」
「その都度大変なことになってるし」
「何か革命ってね」
「よくないんだね」
「革命は劇薬だよ」
 先生は革命をこう表現しました。
「だから社会を急激に変えてもね」
「副作用もある」
「そうしたものなんだね」
「そしてそう考えるとね」
「決していいものじゃないんだ」
「比較的流れた血が少なくて済んだ日本の革命でもだよ」
 その革命はといいますと。
「明治維新でもね」
「ああ、あれね」
「日本が江戸時代から一気に変わった」
「あの時だよね」
「幕末の」
「かなりの人が死んでいるね」
 先生は日本の明治維新のお話もしました。
「黒船が来てから」
「民衆の人達の犠牲は殆どなかったけれど」
「凄く沢山の人が死んだよね」
「日本を何とかしようとした人が」
「本当に沢山の人達が」
「そう、吉田松陰も死んで橋本左内も死んで」
 まずはこの人達を挙げた先生でした。
「坂本龍馬も死んでいるね」
「武市半平太だって」
「そして近藤勇だってね」
「色々な人が死んだね」
「あの時に」
「あの人が生きていたらって思うことが多いみたいだね」
 先生は明治維新のことをさらに思うのでした、もっと言えばそれに至る幕末の動乱期のことをです。
「坂本龍馬にしてもね」
「あの人が一番かな」
「凄く恰好いいしね」
「薩長同盟を結ばせたし」
「海援隊も組織したしね」
「見事な革命家だったよ」
 先生は坂本龍馬をこう表現しました。
「あの人はね、そして実業家でもあったしね」
「何か坂本龍馬を革命家って言いますと」
 トミーは首を少し傾げさせて思うのでした。
「日本の人達は違和感を感じるみたいですね」
「その様だね」
「はい、どういう訳か」
「志士と呼ぶよね」
「日本の人達はそうですね」
「あの人だけでなく他の幕末の勤皇派の人達は」
「革命家と呼ばずに」
「志士と言うね」
 それが日本の表現だというのです。
「けれど僕達から見るとね」
「やっぱり革命家ですね」
「だからチェ=ゲバラもね」
 キューバ革命で活躍したこの人もというのです、キューバと言う国でも革命が起こって国が変わったのです。
「坂本龍馬を尊敬する革命家として挙げていたんだ」
「そうだったんですね」
「うん、それでね」
 だからだというのです。
「あの人もね」
「革命家として尊敬していましたね」
「坂本龍馬をね」
「ですが当の日本では」
「坂本龍馬は志士だよ」
 この立場の人達だというのです。
「革命家と呼ばれると違和感を感じるよ」
「そうですね」
「うん、けれど本当にね」
「革命は」
「血が流れ過ぎるものだよ、そしてね」
 さらにお話をする先生でした。
「それをよしとするから」
「革命で人が沢山死んでも」
「それがいいってだね」
「そう言うんだね」
「行き過ぎは付きものだってね」
 沢山の人達が死んでもというのです。
「それでよしとするから」
「怖いね」
「社会を一気によくする為にだよね」
「沢山の人達が死んでもいい」
「そう言うんだ」
「そうだよ、だからフランス革命でもあれだけ死んだんだ」
 百万とも言われる人達がというのです。
「清教徒革命もかなりの人が死んだしね」
「そうよね、クロムウェルの手によって」
「反対派には容赦しない人だったから」
「アイルランドにも攻め込んで」
「王様だって処刑したし」
 フランス革命の様なことはイギリスでもあったのです。
「そう思うとね」
「イギリスも同じよね」
「沢山の人が死んだってことは」
「否定出来ないわよね」
「どうしても」
「それで僕は思うんだ、革命よりもね」
 それで一気に社会を変えるよりもです。
「いつも社会をチェックして問題のある場所を一つずつね」
「なおしていく」
「そうして徐々になのね」
「社会を変えていけばいい」
「それが先生の考えなのね」
「そうだよ、そうしていけば沢山の人達も死ななくて済むから」
 だからだというのです。
「徐々に変えていけばいいんだ」
「その社会を」
「そうしていけばいいんだ」
「その考えに至ったんだ、名誉革命みたいにいけば理想だけれど」
 無血革命であったこの革命の様にです。
「清教徒革命はクロムウェルが独裁政治を敷いて余計にまずいことになったね」
「ええ、王様の力が強かった時代よりも」
「クロムウェルは権力を握ったから」
「しかもクロムウェルって凄く厳しい人だったし」
「さっき言った通り反対派には容赦しない人だったから」
「清廉潔白で自分にも他人にも厳しい人だったのよね」
「そうした人はかえって危ないんだ」
 クロムウェルみたいな人はというのです。
「ロベスピエールだってそうだったしね」
「フランス革命の独裁者だね」
「あの人もそうだったの」
「清潔で倫理観は強かったけれど」
「それがかえってなの」
「そうして他の人にも厳しいとだよ」
 どうしてもというのです。
「ああしたことになるんだ」
「独裁者になって」
「無理にでも自分の理想を成し遂げようとして」
「それでなの」
「ああしたことになるの」
「そうだよ、多くの人を犠牲にしてしまうんだ」
 革命の時にというのです。
「個人的には尊敬すべき人でもね」
「革命の中で力を持つと」
「ああしたことになってしまうんだ」
「沢山の人を犠牲にしてしまう」
「そうなのね」
「それが悲しいことだよ、人間として世の中のね」
 先生は達観しつつも悲しい感じになっていました。
「オスカルはひょっとしていい時に死んだかもね」
「あそこから革命は大変なことになるし」
「そのことを思えば」
「オスカルはいい時に死ねたの」
「そうなの」
「それも奇麗にね。薔薇は美しく散るというけれど」
 ベルサイユの薔薇のアニメの主題歌のタイトルです、先生はこの言葉もここで思い出して言うのでした。
「実際にオスカルはね」
「美しく散れた」
「そうなるんだ」
「あのバスチーユで」
「若しあれからも生きていたら」
 若しオスカルがそうなっていたらといいますと。
「ひょっとしてだよ」
「死んでいました?」
「結核以外のことで」
 トミーも王子も先生に尋ねました。
「オスカルさん結核だったけれど」
「当時は助からない病気だったですし」
「それより前にね。ジャコバン派に目をつけられるか動乱の中で戦死するか」
 そうなってというのです。
「あんな奇麗に死ねなかったかもね」
「王様や王妃様みたいにギロチンに送られたり」
「そうしたことも」
「あったかもね、そして嫌なものを沢山見たと思うよ」
 あのまま生きていてもというのです。
「あの革命は血生臭くて人間の嫌な面もかなり出ていたからね」
「百万人も死んでたらね」
「やっぱりそうよね」
「血生臭いよ」
「人間の嫌な面かなり出た筈よ」
「そう、かなり暴力的だったんだ」
 先生は動物の皆にフランス革命の真実をお話しました。
「だってバスチーユだって襲撃だよね」
「話し合いじゃなくてね」
「もう監獄に雪崩れ込んだんだよね」
「それじゃあね」
「かなり暴力的じゃない」
「どう見ても」
「ギロチンで人をどんどん処刑していったしね」
 このことについても言う先生でした。
「それもあってもない様な裁判の後すぐにね」
「酷いね」
「全然いいものじゃないじゃない」
「その中に無実の人いたよ」
「というか王様や王妃様も死刑になる様なことした?」
「してないよね」
「してないわよ」
「そう、革命に反対したとみなされたらね」
 もうそれでだったというのです。
「死刑だったからね」
「ギロチン台送りね」
「人を殺したりとかしていなくても」
「もうそれが最大の罪で」
「容赦なくだったの」
「そう、清教徒革命もクロムウェルが絶対の正義になっていったけれど」
 革命が進む中でというのです、先生はこの清教徒革命についても残念そうな悲しそうなお顔でお話します。
「あの時よりも酷かったんだ」
「じゃあ全然よくないじゃない」
「革命に反対するって思われただけで死刑とか」
「滅茶苦茶じゃない」
「どうかしてるわよ」
「だからオスカルさんもね」
 この人もというのです。
「この世でそうしたものを見なくて済んだから」
「よかったかも知れないんだ」
「バスチーユで死ねて」
「それも奇麗に」
「革命には賛成していても」
 それでもというのです。
「オスカルさんはそんなことで人を殺めるかな」
「革命に反対しているってだけで」
「自分と考えが違うだけで」
「そんなことをする人か」
「作品を読んでいる限り違うから」
 決してと言う先生でした。
「高潔で器も備えていたからね」
「心も広くて」
「だから民衆の人達のことも考えられる様になった」
「そうした人だったわよね」
「確かにそうだね」
「そう、啓蒙思想の人だったんだ」
 それがオスカルさんだったというのです。
「視野が広くて教養もあってね」
「だからこそ民衆のことも考えられて」
「薔薇にもなったんだ」
「あの奇麗なお花に」
「そうだよ、そうした意味で薔薇だったんだ」
 心、それがというのです。
「あの人はね、だからね」
「革命がああなっていって」
「民衆の為というよりも革命の為になって」
「それで沢山の人達が罪なく殺されていって」
「どんどん暴力的になっていくことには」
「耐えられなかっただろうね、それに本当にあの人もね」
 オスカルさんご自身もというのです。
「絶対にロベスピエールに危険視されていたから」
「その独裁者だよね」
「沢山の人をギロチンに送った」
「その人だね」
「そう、クロムウェルみたいに高潔だったけれど」
 それでもというのです。
「さっき言ったけれどこの場合高潔だとね」
「かえって危ないのね」
「潔癖過ぎて他の人のことを認められなくなるから」
「クロムウェルみたいなことをしたのね」
「しかももっと酷く」
「オスカルさんは元々貴族で王妃様の傍にいたからね」
 近衛隊の指揮官としてです、このことは物語の序盤にあってとても奇麗な絵柄で描かれているのです。
「そのことでね」
「ううん、革命の敵になるんだ」
「民衆の為に戦った人でも」
「そうなんだ」
「そうだよ、本当にそれだけでね」
 まさにというのです。
「死刑になっていたよ」
「とんでもないね」
「純粋に民衆のことを想うオスカルさんまでなんて」
「もう滅茶苦茶も滅茶苦茶」
「正義も何もないよ」
「そうだよ、革命だけが正義になっていたんだ」
 フランス革命の頃のフランスはです。
「そうなっていったんだ」
「ううん、そう思うとね」
「本当にオスカルさんはいい時に死ねたかも」
「バスチーユで」
「そうだったかも」
「ナポレオン登場まで生きていられなかったね」
 先生の予想ではです。
「結核でもあったし」
「若しロベスピエールに警戒されなくてもね」
「結核もあったしね」
「それなら」
「絶対にロベスピエールや彼が率いているジャコバン派に間違っているって言っていたしね」
 そう言えばどうなるのかは言うまでもありません、独裁者であるロベスピエールと彼の同志達にそんなことを言えば。
「死を恐れずに」
「そしてギロチン台送りね」
「そうなっていた」
「間違いなく」
「そうなっていた可能性も高いし」
 それでというのです。
「いい時に死ねたかもね」
「まさに薔薇は美しく散る」
「そうなれたのね」
「バスチーユで死ねて」
「それで」
「そうも思えるよ、嫌なものを見ずに民衆の為に戦って死ねたから」
 先にアンドレを失っていました、ですがそれでもというのです。
「それも前のめりにね」
「本当に美しく散れたね」
「あの主題歌の様に」
「あの主題歌はまさにオスカルさんだった」
「あの人の人生を歌っていたのね」
「そうだったんだ、そして死ねたと思うと」 
 先生のお顔はしみじみとしたものになっていました。
「幸せな人だったよ」
「というかね」
 ここで言ったのはジップでした。
「革命って名前はよくても」
「実際は本当に酷いね」
 チーチーも言いました。
「さっきお話した通りにね」
「沢山の人達が死ぬんだね」
 ガブガブは普段とは違って項垂れている風になっています。
「無実の罪で」
「そう思うと起こらないに越したことはないね」
 ホワイティもこう言います。
「そこに暴力があるなら」
「名誉革命みたいなものでないと」
 老馬は自分達のお国の革命を思うのでした。
「駄目だね」
「社会が一気によくなるかも知れないけれど」
「その中で沢山の人が死ぬなら」
 どうかとです、オシツオサレツは言いました。
「よくないね」
「フランス革命にしても他の革命にしても」
「どうも人が起こすんじゃなくて成り行きでなっていく感じもあるけれど」
 ダブダブは先生のお話からこのことを感じていました。
「起こっていいものではないのは確かね」
「それをしきりに起こそうって人達もいたけれど」
 ポリネシアはそのフランス革命のお話からこのことがわかったのです。
「いいことじゃないわね」
「というか暴力はよくないよ」 
 トートーはこの時点から言うのでした。
「そもそもね」
「そうそう、暴力はよくないよ」
「無制限なそれはね」
 最後にチープサイドの家族がお話します。
「関係ない人まで死んで」
「色々なものが壊されるから」
「そうだよ、実際にフランス革命でフランスは多くの人命とものを失ったよ」 
 そうなってしまったというのです。
「だから革命前の方がずっとよかったって言う人もいるんだ」
「そこまでなのね」
「あまりにも沢山の人が死んで」
「沢山のものが壊されたから」
「だからなんだ」
「革命前の方がよかったかもってなるんだ」
「そうだよ、僕もね」
 かく言う先生ご自身もというのです。
「そもそも暴力は否定しているね」
「うん、先生のいいところの一つだよ」
「暴力を否定しているのは」
「そのことはね」
「そう、暴力で何かをしようとしたら」
 それこそというのです。
「悲劇と惨劇が伴うよ」
「そうですね、ただ日本では」
 トミーは先生の言葉に難しいお顔で応えました。
「どうも」
「その暴力革命をだね」
「まだ考えている人達がいますね」
「共産主義にしようとね、日本を」
「そうですよね」
「沖縄とかの基地反対運動があるね」
「あれはですね」
 先生が実際に沖縄で見たそれはというのです。
「まさに」
「そう、そうした人達の運動だよ」
「もう公道を占領したり救急車を止めたりやりたい放題ですね」
「近寄ったら物凄いしね」
「暴力的ですよね」
「彼等の殆どは沖縄の人でもないし」
 他の地域から来ているというのです。
「あちこちに出て来るね、沖縄だけじゃなくて」
「はい、原発前でも何かデモがあると」
「大体同じ人達だけれどね」
「あの人達はですね」
「まだそう考えているよ」
「暴力革命をですか」
「そう、口では平和とか環境を叫んでいるけれど」
 基地や原発の前でというのです。
「実際はそういうことはどうでもいいんだ」
「その実はですね」
「頭の中にあるのはね」
「共産主義ですか」
「それしかないと思うよ、そして共産主義はね」
「暴力革命ですね」
「それで以て行うものだからね」
 そうした考えだというのです。
「ロシア革命でもそうだったしね」
「じゃあ若しもだよ」
 王子がここで言いました。
「日本でああした人達が多くなったら」
「うん、暴力革命を起こそうとするよ」
「そうなるよね、やっぱり」
「昔はもっと多くて実際にね」
「暴力で世の中をどうにかしようとしていたね」
「学生運動とかそうだね」
「あの時の人達が今でもなんだ」
「ああして叫んでいるだ」
 基地や原発の前でというのです。
「ずっとね」
「平和だとか言いながら」
「実は全く違う人達なんだ」
「暴力でどうにかしようっていう人達で」
「ああしているんだよ」
「何かああした人達はね」
 王子は腕を組みました、そうしてこう言ったのでした。
「もう絶対にね」
「それこそだね」
「うん、薔薇とか似合わないね」
「オスカルさんと違うね」
「オスカルさんも確かに剣を取ったよ」
 力、その道を選んだというのです。
「革命の為にね、けれどね」
「わかるね、オスカルさんは」
「理性があったよ」
「そう、それは武力なんだ」
「理性がある力はだね」
「そうだよ、暴力は理性がない力なんだ」
「制御されない力だね」
「人は自分の身を守ったりしないといけない時とかは戦う必要があるよ」
 その時はというのです。
「その時は理性がある力で戦うんだ」
「武力でだね」
「そう、確かな心がある力だよ」
「そして確かな心がない力は」
「そこに私利私欲とか狂気しか感情しかないとね」
 そうであればというのです。
「そのうえで使う力は暴力なんだ」
「そしてあの人達の力は」
「暴力だよ」
「フランス革命でもだね」
「オスカルさんとジャコバン派は違うんだ」
 そうだというのです。
「オスカルさんは武力を使って民衆の為、フランスの未来の為に戦ったけれど」
「ロベスピエールやジャコバン派は」
「理想に燃えていて高潔だっただろうけれど」 
 それでもというのです。
「もう革命の為の革命、狂気に陥っていてね」
「それでだね」
「暴力を使っていたんだ」
 そうなるというのです。
「そして日本のあの人達もね」
「暴力をだね」
「用いているんだよ」
「そして暴力革命をだね」
「言っていたし今も実はね」
「狙っているんだ」
「そうだよ、暴力革命って言葉を堂々と言うとか」
 先生は否定の言葉で以て言いました。
「僕にとってはね」
「全く受け入れられないものだね」
「そうだよ」
 先生にとってはです、暴力を否定する先生にとっては。
「そもそも僕は武力だって用いられないね」
「うん、先生フェシングや射撃はね」
「全く駄目だよ、どちらも持ったことは持ったことがあるけれど」
「それでもね」
「殆どなかったよ」
 そもそもスポーツが大の苦手の先生です、それでそうしたことが出来る筈がありません。これはレスリングやボクシング等格闘技も同じです。
「それじゃあね」
「とてもだね」
「武力も用いられないよ」
「そして暴力はさらに」
「否定しているからね」
「だから先生はね」
「ああした人達とはね」
「相容れられないね」
「とてもだよ、あの人達は自分のことしか考えていないしね」
 日本で騒いでいるあの人達はというのです。
「僕とは違うよ」
「うん、先生が正しいよ」
 王子は先生にはっきりと答えました。
「僕はそう思うよ」
「そうだとすると嬉しいよ」
「それにね」
「先生はね」
 さらにお話をする王子でした。
「その心に薔薇があるね」
「僕に?」
「うん、とても奇麗で確かな心だからね」
 それでというのです。
「オスカルさんとは違う薔薇だけれどね」
「そうなのかな」
「そうだよ、オスカルさんは白薔薇だったみたいだけれど」
「僕の心にもなんだ」
「薔薇があるね」
「それはどうしてかな」
「とても奇麗で確かな心だからだよ」
 王子は先生のそのお心をはっきりと感じました、それでこう先生ご自身に言うのです。
「そう思うよ」
「そうだといいね」
 先生は王子のお言葉に笑顔で応えました。
「僕も」
「うん、先生の薔薇は」 
 それはといいますと。
「何かな」
「さて、どんな薔薇かな」
「それはまだはっきり言えないけれど」
 王子は先生を見つつお話をします。
「先生のお心にも薔薇があるよ」
「そうなんだね」
「うん、じゃあいよいよかな」
「あっ、もう開演だよ」
「その時間だね」
「そうだよ」
 先生は王子だけでなく他の皆にもお話しました。
「いよいよね、それじゃあね」
「今からだね」
「舞台を観ようね」
 ベルサイユの薔薇の舞台をというのです。
「そうしようね」
「待ってました」
「それじゃあね」 
 動物の皆も応えます、そうしてでした。
 皆でベルサイユの薔薇を観ました、舞台では実際に薔薇や他のお花の造花がふんだんにそれこそ花吹雪の様に使われ香水の香りもして。
 とても華やかな舞台でした、それで動物の皆も言いました。
「お金のことを考えてね」
「それでやっていた舞台でも」
「何かね」
「凄くよかったね」
「華やかな感じだったわ」
「うん、凄くよかったね」
 観終わった先生も満足している感じです。
「華やかな舞台だったね」
「まさにベルサイユの薔薇」
「豪華絢爛な舞台だったよ」
「お金を節約していたっていうのに」
「それでも」
「やっぱりあれだね、お花を使うとね」
 例えそれが造花でもというのです。
「それだけでね」
「華やかになるのね」
「それだけで」
「特に薔薇を使えば」
「そうなるのね」
「そうだね」
 先生はまた皆に答えました。
「ああした風にね」
「まさに先生のアドバイスのお陰ね」
「今回にしても」
「本当にそうね」
 動物の皆は先生にこぞって言いました。
「こうした時って本当にね」
「先生の知恵って生きるわね」
「学問や芸術のことは」
「本当にそうね」
「僕は絵画や演劇は自分ではしないけれどね」
 先生ご自身ではないです、確かに。
「けれどそれでもだね」
「うん、先生って芸術にも詳しいじゃない
「学問のことなら何でも」
「それが芸術にも生きるから」
「だからいいんだと思うわ」
「そうなんだね、僕自身は意識していなくても」 
 実際に先生ご自身は芸術のセンスがあるとは思っていません、とはいっても実はこちらは普通に出来ます。スポーツとは違って。
「それでもね」
「学問が生きるのよ」
「芸術についてもね」
「とにかく先生はあらゆる学問に通じているから」
「文系でも理系でもね」
 医学だけでなく本当に様々な学問に通じています、それが先生です。
 そしてその学問の知識がなのです。
「芸術関係のアドバイスにもなっていて」
「それでいいのよ」
「だからこの舞台でもお花を使うことを出せて」
「成功させられたのよ」
「そうなんだね、そう思うと」
 本当にという先生でした。
「僕はこれからも学問をしていくべきだね」
「それが人の助けにもなるから」
「自分も学問をしていて楽しいから」
「だからだね」
「うん、本当にね」
 こう皆に答えるのでした。
「そう思ったよ」
「それじゃあね」
「これからも学問頑張ってね」
「どんどんね」
「そうしていってね」
「そうさせてもらうよ、さて」
 舞台のカーテンコールを観つつです、先生はまた皆に言いました。
「これで舞台も終わったし」
「うん、カーテンコールも終わったら」
「そうしたらね」
「お家に帰ろうね」
 そうしようというのです。
「その後でね」
「そうそう、カーテンコールまではね」
「劇場にいないとね」
「その最後まで観てね」
「帰るものよね」
「そうだよ、素晴らしいものを観せてもらったら」
 その時はというのです。
「そのお礼にもね」
「是非共ね」
「拍手をして」
「その好演や演出を讃えるべきね」
「そう、そして舞台裏の人達の活躍もね」
 それもというのです。
「全部を讃えようね」
「その為にもね」
「拍手を続けよう」
「そして声援もね」
「最後の最後まで」
「それが終わってからね」
「家に帰ろうね」
 こう言ってでした、そのうえで。
 先生は皆と一緒にカーテンコールを観て拍手を贈りました、そうしてからお家に帰ってそのうえでお家に帰ってくつろぐのでした。








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