『ドリトル先生と奇麗な薔薇園』




               第七幕  日本と薔薇

 先生は今は研究室で論文を書いています、勿論動物の皆も一緒ですがその皆が先生にこんなことを言いました。
「和歌には薔薇ないよね」
「平安時代の和歌とかにね」
「万葉集は奈良時代だけれどないし」
「勿論平安時代の和歌にもよね」
「この前話したと思うけれどね」
 論文を書きつつです、先生は皆に答えました。
「実際にそうだね」
「そうだよね」
「和歌に出るのは桜や桃、梅が多いね」
「あと菊」
「そうしたお花だね」
「菖蒲や菫や紫陽花や皐も合いそうだけれど」
 それでもというのです。
「薔薇はないよね」
「どうもね」
「うん、薔薇と和歌はね」
 どうしてもというのです。
「関係がね」
「薄いよね」
「どうしても」
「欧州の詩と違って」
「文学でも薔薇が出るのはね」
 それはといいますと。
「比較的新しいね」
「日本人はお花かなり好きだけれどね」
「藤なんかも好きよね」
「けれど薔薇になると」
「日本古来のものって雰囲気はないわね」
「漫画でもね」
 こちらのジャンルでもというのです。
「ベルサイユの薔薇のお話を前にしたけれど」
「少女漫画ね」
「少女漫画とかで出て来るわね」
「それもかなり」
「そんなイメージよね」
「そして昔の日本を舞台にした漫画だと」
 少女漫画でもというのです。
「どうしてもね」
「うん、ないね」
「どうにもね」
「そうした漫画でも昔の日本が舞台だと」
「どうしても」
「そう、ないんだよね」
 本当にと言う先生でした。
「背景とかに出ることも」
「源氏物語に薔薇とか」
「枕草子でも伊勢物語でも」
「あと戦国時代でもね」
「薔薇が出るのは考えられないわ」
「どうしても」
「うん、戦国時代でも薔薇はね」
 先生はこちらの世界の薔薇のお話もしました。
「縁がないよね」
「織田信長さんと薔薇とかね」
「全然連想しないね」
「武田信玄さんでも上杉謙信さんでも」
「伊達政宗さんでも」
 本当にどの戦国大名にも薔薇は合わないというのです。
「どうにもね」
「勿論江戸時代でもだし」
「幕末だってね」
「新選組で薔薇とか飾ったから」
「坂本龍馬さんでも」
「龍馬さんに薔薇だね」
 そう言われてです、先生は想像しようとしてみました。薔薇に囲まれているあの着物に靴の恰好の坂本龍馬さんをです。
 ですがどうしても想像出来なくてこう言いました。
「うん、全くね」
「想像出来ないよね」
「薔薇と一緒にいる龍馬さんとか」
「どうしても」
「あの人と来ればお花より海だしね」
 坂本龍馬さんならというのです。
「あとやっぱり日本人だからお花だと菊とか桜かな」
「そんな感じだよね」
「あと新選組は桜?」
「散る感じが日本の武士道で」
「そうなるかな」
「そうだね、けれど薔薇になると」
 幕末でもというのです。
「合わないね」
「色々なお花が合うお国なのに」
「薔薇となるとね」
「着物とか十二単には合わないわね」
「そして日本の鎧や刀にも」
「日本の鎧や刀は芸術だよ」
 はっきりと言い切った先生でした。
「まさにね」
「うん、そうだよね」
「日本の鎧や刀は本当に恰好いいわ」
「芸術の域に達してるね」
「あんな恰好いいものもそうそうないよ」
「けれど薔薇には合わないだろうね」
 日本の鎧や刀はというのです。
「勿論華道にも茶道にもお寺や神社にもね」
「つまり何にも合わない?」
「日本文化に薔薇は」
「どうしても」
「うん、昔の日本にはね」 
 先生はまた言いました。
「薔薇はないね」
「明治以降?」
「それも限られた状況かしら」
「洋館には合うよ」
 こちらにはというのです。
「日本でもね」
「あっ、明治以降の」
「ああした建物にはね」
「薔薇は合うわね」
「うん、まあ大正の頃の袴少女にはやっぱり桜とかになるけれど」
 この服にはというのです。
「けれど洋館には合うね」
「そうだよね」
「日本の洋館には薔薇も合うね」
「ああした建物には」
「そう思うよ、そうだね」 
 ここでこんなことを言った先生でした。
「薔薇と洋館の和歌ならね」
「出来る?」
「かなり新しい和歌になると思うけれど」
「それが出来るんだ」
「和歌は別に昔の趣の日本だけを詠うものじゃないだろうし」
 それでというのです。
「薔薇も詠っていいんだ」
「そして洋館も」
「そちらも」
「そうだと思うよ」 
 こう皆に言う先生でした。
「僕はね」
「そうなんだね、あとね」
「日本の洋館って日本の建物だよね」
 ここでチープサイドの家族が言いました。
「イギリスやフランスの建物じゃないよ」
「日本の建物だよ」
「中にいてもそうなんだよね」
 トートーもこう言います。
「日本の洋館は欧州の家と違うよ」
「湿気とか季節の寒暖への対処が出来てるわ」
 ポリネシアもこう指摘しました。
「日本の洋館は」
「日本の洋館は欧州のお家の外見と内装なんだけれど」
 それでもと言うダブダブでした。
「やっぱり日本のものなのよね」
「完全に欧州のものか」
 はっきりと指摘したチーチーでした。
「違うね」
「うん、欧州のお家あんなに湿気とか寒暖の違い考えてないから」
 ジップもそこはわかります。
「もう別のお家になってるよ」
「地震のことも考えているから」
 ホワイティは残念ながら日本に付きもののこの災害のことをお話しました。
「そこも違うね」
「完全に日本のお家だね」 
 老馬も断言します。
「日本の洋館は」
「そうだよね、王子の今のお家だってね」
 ガブガブは王子が日本で住んでいるそのお家を思い出しました。
「日本の中にあるって感じだし」
「うん、本当にね」
「日本の洋館は完全に日本の中にあるよ」
 最後に言ったのはオシツオサレツでした。
「他のどの国にもない建物だよ」
「畳やお布団がなくてもね」
「その通りだよ、日本に建てる中でね」
 まさにその中でとです、先生は皆にお話しました。
「日本で換骨奪胎されてね」
「日本の建てものになったわね」
「日本のお家に」
「そうなったね」
「お料理や服と一緒だね」
 そのことはというのです。
「日本に入る中で日本のものになったのは」
「もう欧州のものじゃない」
「日本のものね」
「日本人はそう思っていなくても」
「もうそうなってるのね」
「僕はそう思うよ。それとね」 
 さらにお話をする先生でした。
「薔薇もそうした場所には合うからね」
「日本の洋館という建てものには」
「そして日本のそうしたものには」
「合うのね」
「だから洋館や薔薇を和歌で詠っても」 
 例えそうしてもというのです。
「いい筈だよ」
「そうだよね」
「それもまたよしよね」
「本当に」
「そう考えているよ、僕は」
 先生は論文をかくその手を動かし続けつつ皆にお話しました。
「今もね」
「そうだね、しかしね」
「先生ってそうした考え柔軟だね」
「和歌で洋館や薔薇を詠っていいとか」
「イメージに合わないって否定しないから」
「別に柔軟でもないよ」
 そこは笑って否定する先生でした。
「僕もね」
「そうかしら」
「充分柔軟だと思うけれど」
「そうよね」
「もっと柔軟ならね」
 それこそというのです。
「平安時代や奈良時代の日本でも薔薇をと言うと思うよ」
「いや、それは幾ら何でも」
「合わないと思うから」
「それはないわよ」
「流石にね」
「そこをそう言えるのが日本人だったりするから」
 このことは少し真面目に言う先生でした。
「日本人の発想は本当に凄いからね」
「誰かが日本人は独創性に欠けるって言ってたけれど」
「全然違うよね」
「何でそんな発想が、って思うことばかりで」
「どんな発明家でもびっくりするみたいな」
「そんな閃きばかりで」
「うん、だからね」
 それでというのです。
「日本人の発想はもう違うから」
「他の国の人達とは」
「だから薔薇と平安時代も」
「ひょっとしたら」
「出来るかもね」
 そうした組み合わせもというのです。
「それも見事にね」
「じゃあ光源氏と薔薇とか」
「そんな誰もが考えなかった組み合わせを出す人がいるかも」
「そうかも知れないのね」
「ひょっとしたら」
「そうかもね、そしてね」
 さらに言う先生でした。
「奈良時代だってそうだね」
「前に僕達も奈良に行ったけれど」
「その奈良の文化の中に薔薇ね」
「赤や白の奇麗な薔薇」
「その中で恋愛を語るのかしら」
「それもあるかもね。あの奈良の神社仏閣や三山の中に薔薇があってね」
 そしてというのです。
「その中で飛鳥時代や奈良時代の人達が愛を育むこともね」
「あるのね」
「ううん、何か不思議な光景だね」
「ちょっと想像しにくいわ」
「どうにも」
「その想像しにくいものを想像してしまうのが日本人だから」
 先生もこのことがわかってきたのです、日本に住んできて。
「だからね」
「それでだね」
「日本人なら出来るかも知れないんだ」
「薔薇を昔の日本の中に置くことも」
「そうかも知れないよ」 
 こうしたことを皆にお話した先生でした、そしてです。
 その日の三時のティータイムは和風のものでしたがお抹茶に苺大福に三色団子に和風ゼリーといったものでしたが。
 ゼリーの中の花びらを見てです、動物の皆は言いました。
「これは梅?」
「梅のお花?」
「赤や白でとても奇麗ね」
「ピンクのもあるし」
「うん、この和菓子にしても」
 先生はそのゼリーを見つつ皆にお話しました。
「お花が中にあるね、そしてひょっとしたら」
「薔薇もだね」
「和菓子の中に入るかも知れない」
「そうかも知れないんだ」
「そうも思うよ、だって苺大福だって」
 このお菓子も見て言う先生でした。
「餡子と苺の組み合わせを思い付くかな」
「こんなの普通思いつかないよ」
「洒落になってない位美味しいけれど」
「誰が考え付いたか知らないけれど」
「とんでもないものだよ」
「そう、そのとんでもないものに薔薇が加わることも」
 それもというのです。
「ないとは言い切れないね」
「それはね」
「確かにそうね」
「日本人ならね」
「それも考え付くかもね」
「その発想があるからね」
 だからこそというのです。
「日本のお菓子でもね」
「薔薇が入るかも知れないんだね」
「将来は」
「それも美味しく」
「その可能性はいつもあるよ、それにしても」
 ここでお抹茶、熱いそれを一口飲んで笑顔で言う先生でした。
「お抹茶は何時飲んでも美味しいね」
「先生お抹茶も大好きになったわね」
「他のお茶もだけれど」
「麦茶とか梅茶とか玄米茶も飲む様になって」
「他には烏龍茶やレモンティーも飲む様になったしね」
「イギリスにいた時とはまた違ってきたわね」
「うん、イギリスにいた時はミルクティーだけだったよ」
 本当にそれしか飲んでいなかったのです、イギリスにいた時は。
「本当にね」
「けれどそれがね」
「もうだね」
「日本に来てから」
「色々なお茶を飲む様になったね」
「そうなったよ、世界中のお茶を飲む様になったよ」
 このことについてもにこにことお話する先生でした。
「有り難いことにね」
「そうだよね」
「そこも変わったよね」
「何ていうかね」
「先生そこも変わったね」
「うん、このお抹茶を飲むと」
 先生はまた一口お抹茶を飲んで言いました。
「禅、詫び寂びを感じるね」
「日本独自の感覚だよね」
「この国で生まれて育まれてきた」
「それを感じるね」
「お茶は日本でも凄いからね」
 素晴らしい文化になっているというのです。
「こうして飲んで味を楽しんでね」
「眠気も覚ましてね」
「お茶にもその効用があるし」
「そうしてだよね」
「また書くよ、帰る時間になるまでね」
 まさにその時間までというのです。
「そうするよ」
「うん、頑張ってね」
「今日も論文書いてね」
「今書いている論文をね」
「学者は論文を書くものだからね」
 学問をしてというのです。
「僕はこれからも書いていくよ」
「先生凄く書いてるね」
「色々な論文を」
「そうしているよね」
「うん、今言ったけれど学者だからね」
 このお仕事だからだというのです。
「頑張っていくよ」
「資料を調べて読んでいってね」
「検証もして」
「現地も歩いて」
「そして書いていってるね」
「そうだよ、この論文を書いたら」
 その後はといいますと。
「また次の論文を書くよ」
「その論文を書いたら」
「もうすぐにね」
「そうするのよね」
「そうだよ、一つ書いたらね」
 それならというのです。
「また次の論文だよ」
「そこでそう言うのが先生よね」
「本当に勤勉よね」
「というか先生ってこんな勤勉だった?」
「イギリスにいた時は違ったわよね」
 もう人の病院か動物の病院かわからない位の病院にいた時はです。
「もう全然だったじゃない」
「サーカスや郵便局をやってたけれど」
「論文とかはね」
「全然関係なかったわね」
「書くこともなかったし」
「うん、なかったしね」
 先生自身その前のことを思い出して言うのでした。
「そこも変わったからね」
「日本に来てから」
「本当に変わったし」
「何ていうかね」
「うん、色々なお茶を知って論文も書いて」
 そうなってというのです。
「僕は日本に来てよかったね、健康にもなったしね
「脂肪率減ったしね」
「あと血糖値も下がったし」
「コレステロールもよくなったし」
「成人病の危険はぐっと減ったわ」
「そうなんだよね、イギリスにいた時よりずっと歩く様になったし」 
 お家から大学に通学して大学の中も色々歩いて食生活も変わってです。
「お酒は飲んでるけれどね」
「全体的に飲む量減ったから」
「イギリスにいた時は朝からだったけれど」
「それがイギリスだからね」
 もっと言えば欧州です、欧州ではお酒はお水みたいに朝から飲んでも特に問題はないのです。ドイツやイタリアやフランスもそうです。
「それでお酒をかなり飲んでたけれど」
「今じゃ夜だけでね」
「朝やお昼はお茶飲んでるから」
「それもかなり飲んでるし」
「お酒以上に」
「だからだよ」
「それで余計に健康になってるね」
 お茶を飲む量が増えたお陰でもあるというのです。
「お茶は身体に凄くいいからね」
「そうそう、ビタミンも多いしね」
「他にも薬効があるし」
「だからいいんだよね」
「お茶を沢山飲むと」
「そうだよ、だからこうしてね」
 また一口お茶を飲んで言う先生でした。
「健康になっていくんだ」
「そうだよね」
「味も楽しんでね」
「学問の助けにもして」
「飲んでいくんだね」
「そうしていくよ、お抹茶もう一杯飲むよ」
 今飲んでいるものだけでなくというのです。
「そうするからね」
「僕達も飲もうかな」
「それがいいわね」
「このお抹茶とても美味しいし」
「だったらね」
「京都のお茶だよ」
 そこの産だというのです。
「これはね」
「京都の宇治だね」
「宇治茶ね」
「あそこのお茶ね」
「そうだよ、日本のお茶は他にもね」
 さらにお話をする先生でした。
「静岡も有名だけれどね」
「そうそう、あそこもね」
「お茶有名よね」
「あそこは蜜柑とかお蕎麦も有名だけれど」
「お茶もなのよね」
「静岡は凄く豊かな場所でね」
 日本の中でもというのです。
「お茶でも有名なんだ」
「戦国大名で言うと今川義元さんね」
「あの人もその豊かさから栄えてたけれど」
「静岡って本当にいい場所なのね」
「豊かで」
「うん、海の幸もあるしね」
 静岡にはというのです。
「しかも富士山もあるしね」
「何でもあるのね」
「静岡ってそんなところなのね」
「素敵な場所なのね」
「そうだよ、それでお茶も有名で」
 それでというのです。
「美味しいんだよね」
「そうよね」
「あのお茶も素敵で」
「先生もお好きよね」
「そうだよ、静岡のお茶もあるから」
 この研究室にというのです。
「また飲もうね」
「また今度ね」
「そして今は宇治のお茶を飲んで」
「そのうえで楽しみましょう」
「是非ね、いやあお抹茶を飲むと」
 実際におかわりの用意をする先生です、お抹茶なので茶道の茶道具を使って淹れていますがそこで、です。
 先生はここでこんなことを言いました。
「すっきりするね、あとこうした時は何でもね」
「何でも?」
「何でもっていうと?」
「茶道の作法にはこだわらなくていいみたいだよ」
 こうしてティータイムとかで飲む時はというのです。
「茶道で飲む時以外はね」
「茶道は作法だしね」
「だからだね」
「その時はしっかりとして飲む」
「作法を守って」
「そうだけれど今はくつろいで飲んでいるからね」
 ティータイムとしてです。
「別にね」
「茶道の作法を別にしなくて」
「普通に淹れて普通に飲む」
「それでいいんだね」
「そうみたいだよ、じゃあね」
 それならと言ってです、そしてでした。
 先生は丁寧ですが作法にはこだわっていない仕草でお茶を淹れてそうして二杯目のお抹茶を飲みました、その後で。
 先生はまた論文を書きました、お仕事が終わってからお家に帰るとトミーが出してきたお料理はといいますと。
 サラダに薔薇の花びらが入っていました、そしてデザートのパンケーキにたっぷりと塗られているジャムもでした。
「薔薇のジャムだね」
「最近先生が薔薇と縁がありますので」
「王子にも貰ったしね」
「だからです」
「その薔薇を使ってなんだ」
「サラダにも入れて」
 その為サラダはかなり華やかでした。
「そしてジャムにもしたんだな」
「そうしてみました」
「成程ね、薔薇のジャムもね」
「いいですよね」
「うん、素敵な香りでね」
 ただ甘いだけでなくです。
「いいと思うよ」
「そうだね、それじゃあ」
「はい、楽しんで召し上がって下さい」
「そうさせてもらうね。それじゃあね」
「それじゃあ?」
「今日はお酒はまだ飲んでいないけれど」
 それでもというのです。
「ワインにしようかな」
「パンケーキと一緒に食べますね」
「そうしようかな」
「ではワインは」
「ロゼだよ」
 この色だというのです。
「そちらにするよ」
「やっぱりそうなりますね」
「うん、薔薇だからね」
 まさにこれだからというのです。
「そのワインにするよ」
「ではワインにも薔薇を入れますか」
 トミーは先生に合わせてこうも言いました。
「そうしますか」
「ロゼのワインにだね」
「はい、薔薇の花びらを入れますか」
「そうだね、じゃあそうしようか」
「それじゃあ」
 こうしてでした、トミーは先生にロゼのワインを出しました。そのグラスに薔薇の花びらを入れてです。
 ワインを入れました、そうして飲むワインは。
「不思議なカクテルだね」
「薔薇も入った」
「うん、花びらを入れただけだけれど」
 ただそれだけでもというのです。
「とても不思議なカクテルになっているよ」
「薔薇の香りもしてですね」
「それがほのかに味にも影響してね」
 そうなっていてというのです。
「面白いカクテルになっているよ」
「それじゃあそのワインを飲みながら」
「パンケーキをいただくよ」
 薔薇のジャムをたっぷりと塗ったそれをというのです。
「是非ね」
「それじゃあ」
「うん、じゃあね」
 先生は薔薇のワインと薔薇のジャムが塗られているパンケーキも食べました、ですがそこでなのでした。
 お風呂に入る時になってです、動物の皆にこんなことを言われました。
「じゃあ次はね」
「お風呂に薔薇の花びらを入れる?」
「そうして入る?」
「それはどうかしら」
「それはいいよ」
 別にとです、先生は皆に笑って返しました。
「流石にね」
「そうなんだ」
「それはいいんだ」
「別に」
「うん、それは女の人がするもので」
 そうしたものだと考えているからだというのです。
「だからね」
「しないんだ」
「先生は」
「うん、そうしたことはしないで」 
 そうしてというのです。
「普通にお風呂に入るよ」
「そうするんだ」
「じゃあそれですっきりして」
「そうしてだね」
「また論文書いて」
「それで寝るんだ」
「そうするよ」
 先生はそう言って薔薇のお風呂ではなく普通のお風呂に入ってその後も論文を書きました、そして次の日にもです。
 研究室で論文を書いていましたがふとでした、皆にこんなことを言いました。
「少し外に出ようか」
「研究室を出てなの」
「外をお散歩するの」
「うん、今日の午前中は講義もないしね」
 時間はあるというのです。
「少し気分転換にね」
「論文行き詰ってるの?」
「何か困ってるの?」
「いや、あと少しで完成するよ」
 今書いている論文はというのです。
「それはね」
「じゃあ順調なんだ」
「順調に書けてるの」
「そうだよ、ただきりがよくなったから」
 書いているうえでというのです。
「それでね」
「これからなんだ」
「ちょっと気分転換を入れて」
「それであらためて書きたいってことね」
「そうだよ、ここはね」 
 先生が行こうと思う場所はといいますと。
「高等部のお庭に行こうか」
「ああ、あそこも奇麗だし」
「だからなのね」
「うん、あそこに行こうか」
 こう言ってです、そのうえで。
 先生は動物の皆と一緒にその高等部のお庭に行きました、するとそこにも奇麗な薔薇達が咲いていました。
 それで、です。先生は言いました。
「ここにも薔薇があるね」
「園芸部の子達が手入れしているそうね」
 ダブダブが言ってきました。
「高等部のね」
「随分奇麗にお手入れしているね」
 ホワイティもその咲き誇る薔薇達を見ています。
「歯も茎も整っているし」
「花壇だってね」
 老馬は薔薇園の傍にあるそちらを見ました。
「奇麗だしね」
「真面目に活動してるのね」
 このことがよくわかったポリネシアでした。
「この学園の高等部の園芸部は」
「チューリップだって奇麗だったし」
「この薔薇達にしても」
 チープサイドの家族もその薔薇達を見ています。
「お花だけじゃなくてね」
「全体が整っていてね」
「この整い具合は素敵だね」
 にこりとして言うチーチーでした。
「いや、本当に」
「お花が奇麗なだけじゃなくて」
 ここで言ったのはトートーでした。
「歯も茎も整えられてるね」
「傷んでいるお花も葉もなくて」
「本当に手入れがいいよ」
 オシツオサレツは二つの頭で観ています。
「毎日真面目に手入れしている」
「そのことがわかるね」
「そのせいか香りもいいし」
 ジップのお鼻ではとてもよくわかることです、他の生きもの達よりも。
「素敵な場所だね」
「ここに来てよかったね」
 最後にガブガブが言いました。
「気分転換に」
「そうだね、ただ大学じゃないからね」
 同じ八条学園の中にあってもです。
「あまり来ることはないね」
「うん、先生もね」
「学園の関係者だから自由に出入り出来るけれど」
「それでもね」
 そこはというのです、そして。
 先生は高等部の薔薇園の少し離れた場所にある洋館を観て言いました。
「あそこの洋館はいいね」
「昨日お話したけれどね」
「まさに薔薇と洋館」
「日本のそれがあるね」
「見事な調和が」
「絵になるね、洋館と薔薇はね」
 しみじみとして言う先生でした。
「本当に絵になるよ」
「日本の中でね」
「素敵な絵になってるよね」
「まさに」
「そうだね、だから僕も考えているんだ」
 洋館も薔薇もどちらも観ながら言う先生でした。
「和歌でもどうかなってね」
「それ冒険だけれどね」
「学問も冒険しないと進歩しないしね」
「時として大きく前に踏み出さないよ」
「蛮勇を承知でね」
「僕は蛮勇とは縁がないみたいだけれどね」
 いつも穏やかな紳士である先生が蛮勇というものと関係があるのかどうか。それは言うまでもないことです。
「けれどね」
「それでもだよね」
「冒険はしてきたしね」
「だったらね」
「和歌についても」
「あえて詠ってみようかな」
 こう言うのでした。
「和歌と洋館を」
「川柳とかじゃなくて」
「あえてなのね」
「和歌にするのね」
「そうしてみるよ、最近本当に薔薇と縁があるし」
 だから余計にというのです。
「詠んでみようかな」
「うん、いいと思うわ」
「じゃあ先生頑張ってみて」
「先生和歌も詠うしね」
「それだったら」
「そうしてみるね、しかし本当に薔薇といっても」
 こうも言った先生でした。
「種類が多いね」
「あっ、そういえば」
「ここで咲いている薔薇植物園の薔薇達とは違う種類よ」
「赤や白があるけれど」
「それでもね」
「そう、また違う種類だね」
 植物園の薔薇達とはというのです。
「ここの薔薇達は」
「うん、そうだよね」
「この薔薇達は何かね」
「結構観る種類ね」
「育てやすい種類だね」
 薔薇達の中でもというのです。
「やっぱり高校生の部活だからね」
「そんな育てることが難しい薔薇はね」
「やっぱり育てられないわよね」
「高校生の子達には」
「そうだね、どうしてもね」
 その辺りはというのです。
「植物園ではプロが育てているからね」
「そうそう、植物についてのね」
「それがお仕事の人達が育てているから」
「育てるのが難しいと言われている薔薇でもいいけれど」
「それでもね」
「けれど高校生の子達だと」
 こうした子達はといいますと。
「まだまだプロじゃないから」
「卵と言っていいからね」
「薔薇でも育てることが難しいと」
「育てにくいから」
「だから簡単な種類にしているね」
 植えて育てることがというのです。
「やっぱりね」
「うん、そうだね」
「高校生の部活に合わせてね」
「ちゃんと薔薇を選んだのね」
「そういうことになるね、そしてこうした種類でも」
 育てることが楽な種類でもというのです。
「奇麗な薔薇が咲くよ」
「そうだよね」
「もう満開でね」
「とても奇麗よ」
「何度観ても」
「そう思うよ、僕もね」
 先生は薔薇達を観つつ言うのでした、そしてです。
 その薔薇達を観てからです、そのうえで研究室に戻ろうとしましたがふとその途中でお空を見上げますと。
 お天気が悪くなっていました、それでこんなことも言いました。
「降りそうだね」
「うん、何か今日はね」
「お天気が悪いわね」
「どうにも」
「雨が降って」
 そしてと言う先生でした。
「薔薇が雨に濡れたか」
「あっ、それもね」
「奇麗よね」
「雨に濡れた薔薇も」
「それもね」
「雨の中で薔薇を観ても」
 そちらもというのです。
「いいね」
「洋館と一緒にね」
「それも絵になるわね」
「実際に」
「そう思えるよ、僕も」
 先生は暗くなってきたお空を見上げつつ思うのでした。
「薔薇と雨もね」
「それもまたよし」
「絵になる」
「詩的ね」
「素敵だね、しかし僕は英文の詩よりも」
 イギリスで生まれ育って来たのです、言うまでもなく先生一番親しんでいる言語は英語で詩も英語のものです。
「最近は和歌とかね」
「日本の詩の方にね」
「親しんでるよね」
「どうも」
「自分でもそう思うよ」 
 こう皆に答えます。
「そうだってね」
「そうだよね」
「日本に来てからね」
「日本の歌も聴くし」
「そのせいでね」
「そうなってきたよ、それで薔薇が咲いたってね」
 ふとこの歌にも言及した先生でした。
「あの歌も聴いたしね」
「あの歌いい歌だね」
「悲しいけれどそこから得られるものがあって」
「それでね」
「薔薇は咲いて散ったけれどね」
 それでもというのです。
「それを見ていた男の子の心に宿る」
「そう思うといい歌よね」
「悲しいけれどハッピーエンドになって」
「素敵な歌だね」
「あの歌も聴いたし」
 日本に来てです。
「だからね」
「日本の歌にも親しんでいて」
「詩にもね」
「そうなってきてるのね」
「そうなってきたよ、ただふとね」 
 先生はまた歩きだしています、うかうかしていると本当に雨が降ってきてそれに遭ってしまいそうだったからです。
「ブリテンの民謡も聴きたくなる時もあるよ」
「イングランドやスコットランドの」
「アイルランドやウェールズの」
「イギリス全土の歌をね」
「イギリスは連合王国だからね」
 動物の皆が挙げた四つの国々から成っています。
「その四国それぞれのね」
「歌を聴きたくなるよね」
「確かにね」
「時々でも」
「お国の歌を」
「そうもなるよ」
 日本にいてというのです。
「それでCDも持っているけれどね」
「じゃあ聴く?」
「研究室に帰ったら」
「ブリテンの民謡聴くの?」
「そうするの?」
「そうしようかな」
 実際にというのです。
「和歌もいいけれどね」
「ブリテンの民謡もいいから」
「だからね」
「それで聴くのね」
「そうしようかな、日本にもかなり入っているしね」
 ブリテンつまりイギリスの民謡はというのです。ここではアイルランドも入っています。
「それならね」
「あっ、そうなんだ」
「日本にもブリテンの民謡入ってるの」
「そうだったの」
「蛍の光がそうだよ」
 この歌がというのです。
「皆聴けばわかるよ」
「あれっ、そういえば」
「蛍の光って歌はね」
「まだね」
「聴いたことないよ」
 動物の皆はまだこの曲を聴いていませんでした。
「それじゃあ」
「その曲聴けるかしら」
「そう出来るかな」
「うん、研究室にあるよ」
 その蛍の光が収録されているCDがというのです。
「ちゃんとね」
「それじゃあね」
「その蛍の光聴かせてくれる?」
「研究室に帰ったら」
「是非」
「それじゃあその曲を聴いてから」
 そしてと答える先生でした。
「それからね」
「うん、民謡聴こう」
「ブリテンの民謡をね」
「皆でね」
「そうしようね、ブリテンの民謡はいいよ」 
 先生は優しい笑顔で言うのでした。
「穏やかで優しい感じでね」
「そうそう、聴いてるとね」
「凄くいいのよね」
「森や川、妖精が感じられてね」 
 つまりブリテンにあるものが感じられるというのです。
「いいよね」
「全くだね」
「じゃあ研究室に帰ったら民謡聴きましょう」
「そうしましょう」
「蛍の光もね」 
 皆で楽しみにしながら研究室に帰りました、そして実際に先生は研究室に入るとすぐに蛍の光のCDをCDプレーヤーに入れました。








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