『ドリトル先生と奇麗な薔薇園』




               第六幕  演劇部のリハーサル

 先生はお家でトミーにしゃぶしゃぶのことをお話しました、するとトミーは先生にこう言いました。
「はい、それならです」
「あっ、作ってくれるんだ」
「いえ、しゃぶしゃぶは作るっていうか」
 トミーは先生の作るという言葉に笑って応えました。
「お肉とお野菜をお湯に通すだけですよね」
「うん、そうだよ」
「それじゃあ作るっていうか」
「食べるかな」
「お野菜は食べやすい大きさに切りますけれど」
 それでもというのです。
「食べるかっていいますと」
「違うっていうんだ」
「はい、僕は」
 そうだというのです。
「そう思いますけれど」
「ううん、そうなるかな」
「はい、ですが」
 それでもと言うトミーでした。
「最近しゃぶしゃぶ作ってないですからね」
「そのことはその通りだよね」
「丁度いいですね、じゃあ牛肉やマトンで」
「あっ、マトンもなんだ」
「はい、いいですよね」 
 こう先生に聞き返すのでした。
「マトンも」
「うん、いいね」
 先生も笑顔で応えます。
「マトンもね」
「そうですよね」
「日本人はあまり食べないけれどね」
「匂いがどうもっていう人が多くて」
「やっぱり美味しいよ」
 トミーににこりと笑って言います。
「安いしカロリーも低いし」
「健康的ですからね」
「とてもいいよ」
「というか日本人ってね」
「お魚と羊があったら」
 チープサイドの家族がここでお話をします、皆今も先生の周りにいて一緒にくつろいでいるのです。
「お魚選ぶ人が多いわ」
「大抵の日本人がそうだね」
「食堂でもお魚料理凄く多いけれど」
 こう言ったのはジップでした。
「羊は和食でほぼないね」
「他の国のお料理ばかりだね」
 ガブガブは八条学園の食堂で見る羊料理を思い出しました。
「シシケバブとか」
「そうよね、世界各国から人が集まる国だから羊料理も多いけれど」
 ポリネシアも言います。
「日本の羊料理ってないわ」
「すき焼きとかしゃぶしゃぶでも牛肉だしね」
 ホワイティはそうしたお料理に使うお肉のことを指摘しました。
「大抵はね」
「マトンをしゃぶしゃぶに使うことは」
 チーチーもこう言います。
「日本では決してメジャーじゃないね」
「日本での羊料理って」
 あえてと言った老馬でした。
「あれだね、ジンギスカン鍋位かな」
「他はこれといってないんじゃ」
 トートーも思うことでした。
「日本の羊料理って」
「本当に羊に馴染みのない国だね」
「そうだね」
 オシツオサレツも二つの頭で言います。
「こちらのお肉には」
「イギリスから来た僕達から見れば」
「そうだね、凄く色々なものを食べる国だけれど」
 それでもというのです。
「羊は今一つ馴染みがないままだね」
「魚料理のバリエーションはびっくりしますが」
 トミーはこちらのお料理からお話をします。
「羊の方はどうしても」
「あまり食べないお国だね」
「そうですね、ですが」
「うん、マトンのしゃぶしゃぶもね」
「いいですね」
「そちらも食べよう」
「牛肉だけじゃなくて」
 こちらのお肉も買いますがそれでもというのです。
「そうしようね」
「是非共、あとお野菜も買いますから」
 こちらも忘れないトミーです。
「お肉もお野菜も」
「どちらもだね」
「ふんだんに食べていきましょう」
「そうしようね」
 こうして先生は近いうちにしゃぶしゃぶを食べることになりました、そうしたことをお話してからでした。
 ふとです、先生はお家の中で論文を書きつつこんなことを言いました。
「今薔薇戦争の論文を書いているけれど」
「ああ、イングランドの王位継承戦争だね」
「ヨークシャー家とランカスター家に分かれて争った」
「赤薔薇と白薔薇の」
「あの戦争だね」
「イギリス人の僕から見てもね」
 書きながら首を傾げさせて言う先生でした。
「訳がわからないね」
「物凄くややこしいんだよね」
「どうにもね」
「関わっている人達の関係が複雑で」
「血縁関係とかが」
「うん、もうそれこそね」
 まさにと言う先生でした。
「誰が誰と誰の間の子供でね」
「どの陣営にいて誰と結婚して誰の親になったか」
「それで何をしたのかね」
「物凄く複雑に入り組んでいて」
「それでわかりにくいのよね」
「欧州の貴族の血縁関係は複雑だけど」
 王族の方々も当然その中に入っています。
「その中でもね」
「あの時のイングランドはね」
「特にだよね」
「血縁関係が複雑で」
「もう無茶苦茶に入り組んでいて」
「訳がわからないのよね」
「どうにも」
「そうなんだよ」
 これがというのです。
「だから書くにあたってもね」
「その辺りの認識が大変なのね」
「戦争に関係している人達それぞれの把握が」
「それだけでも大変で」
「困るのね」
「うん、薔薇戦争は前も調べたことがあるけれど」
 それでもというのです。
「把握だけでも大変だよ」
「源氏物語よりも大変?」
「あのお話も人間関係複雑だけれど」
「しかも登場人物多いし」
「それでもなの」
「うん、もうね」
 それこそというのです。
「何度調べても大変だよ」
「そうみたいだね」
「とにかく難しいんだね」
「関係の把握だけでも」
「それだけでも」
「そうなんだ、イングランド王家の血縁の複雑さは百年戦争の頃からだったけれど」
 フランスとの長きに渡る戦争です、教科書でも有名です。
「それがね」
「薔薇戦争になってだね」
「その複雑さが頂点に達して」
「もう何が何だかわからない」
「そこまでになるのに」
「そうなんだよね、もうね」
 あまりにも複雑でというのです。
「理解するのが大変だよ」
「先生でもそうなら」
「歴史学者でもある先生が」
「理解出来る人は少ないでしょうね」
「イギリス人でも」
「うん、これはじっくり腰を据えて勉強しないとね」
 それこそというのです。
「わからないよ」
「もうごちゃごちゃし過ぎていて」
「血縁関係や行いが」
「しかも薔薇戦争って長かったしね」
「三十年位やってなかったかしら」
「そう、もうイングランドが真っ二つになったし」
 文字通りにです。
「赤薔薇と白薔薇に分かれてね」
「それでその結果ね」
「デューダー朝が立ったんだよね」
「あのエリザベス一世も出た」
「そうなんだよね」
「この複雑な戦争をどう理解していくか」
 そのことがというのです。
「そこからだからね」
「この複雑さがね」
「もうややこしくて」
「血縁関係滅茶苦茶過ぎるよ」
「何でここまでなったのかしらって思うわ」
「うん、政略結婚とか色々あってね」
 そうしてというのです。
「その結果ね」
「あんな風になったのね」
「もう無茶苦茶わかりにくく」
「ハプスブルグ家みたいな」
「あんな風に」
「ハプスブルグ家はね」
 このお家のお話もする先生でした。
「あそこはまさに政略結婚の家だからね」
「それで大きくなったお家だから」
「複雑よね」
「当時のイングランド王家みたいに」
「うん、ただスペイン系のハプスブルグ家はね」
 先生はこちらのハプスブルグ家について悲しいお顔になってお話をしました、歴史のことからそうなりました。
「近親婚のせいかね」
「あっ、絶えたのよね」
「あっちの血が」
「そうよね」
「そうなったんだね」
「オーストリア系は今も残っているけれど」
 同じハプスブルグ家でもです。
「フェリペ二世も出ているあちらのハプスブルグ家はね」
「もうないんだよね」
「最後の王様にお子さんがいなくて」
「そのせいで」
「物凄くね」
 先生はまた言いました。
「ハプスブルグ家の人同士で結婚して」
「それでだよね」
「何か血が濃くなってか」
「生まれてもすぐに亡くなったり」
「何処か異常があったりして」
「それでそちらのハプスブルグ家は絶えてしまったんだ」
 スペインのハプスブルグ家はというのです。
「だから今はオーストリア系の人達ばかりなんだ」
「ハプスブルグ家は」
「あのお家も血縁関係は複雑だけれど」
「残っているのはオーストリア系ね」
「あちらの方々ね」
「うん、政略結婚は貴族ではよくあるけれど」
 それでもというのです。
「あまり血が濃くなるとどうもね」
「スペインのハプスブルグ家みたいに」
「血が濃くなり過ぎて」
「それでね」
「その結果誰もいなくなるとかあるから」
「だからね」
「気をつけないといけないのね」
「近親婚の弊害は諸説あるけれど」
 それでもというのです。
「遺伝があるのは確かだよ」
「スペインのハプスブルグ家には遺伝の影響が出たんだね」
「近親婚の結果」
「そうなったのね」
「そうなるね、当時のイングランド王家もね」
 薔薇戦争の頃のあのお家もです。
「家同士の結婚が重ねられていっていたね」
「それであんなにややこしくなって」
「学問もしにくくなったのね」
「イギリス史で一番複雑なお話?」
「ひょっとして」
「そうかも知れないよ、しかしこの論文もね」
 その薔薇戦争の論文もというのです。
「絶対に書き終えるよ」
「先生論文途中で止めたことないしね」
「絶対に最後まで書き終えて発表してるわね」
「どんな学問の論文も」
「そうしてるわね」
「うん、二週間か三週間でね」
 そのペースでというのです。
「一つ書いてるね」
「そうだよね」
「先生調べるのも書くのも速いから」
「大体そのペースで発表してるね」
「そして薔薇戦争の論文も」
「ちゃんとだね」
「書いていくよ、しかしこの戦争のことを説明するのは」
 どうにもというのです。
「本当に難しいよ」
「血縁関係、人間関係が複雑過ぎて」
「しかも出て来る人が多くて」
「陣営が大きく分けて二つでも」
「異常にわかりにくいんだよね」
「うん、本当に難しいよ」
 書きつつ首を捻る先生でした。
「同じ名前の人がいたりすることもあるし」
「それあるわよね」
「欧州ではね」
「だからエリザベス一世とかエリザベス二世とかね」
「そうした何代目かって表現使われるのよね」
「欧州は名前が少ないからね」
 姓はともかくとしてです。
「だからね」
「名前が同じ人がいたり」
「世代や陣営が違っても」
「そうしたこともあるから」
「余計に難しいのよね」
「うん、日本の学生の子に言われたこともあるよ」
 先生が今いるこの国の人達でもというのです。
「欧州は同じ名前の人が多いってね」
「姓は多くても」
「確かに名前は少ないのよね」
「ヘンリーとかチャールズとかね」
「ウィリアムとか」
 イギリスの名前ではこうなっています。
「女の人だとキャサリン、エリザベス」
「マーガレットとかね」
「そうした名前が多くて」
「どうしても何世ってなるのよね」
「うん、日本は名前も姓もね」
 そのどちらもというのです。
「かなり多いよね」
「物凄く多くない?」
「こんな名前あるのってびっくりする時もあるよ」
「逆に覚えにくくて」
「困る位だよ」
「こっちはこっちでね」
 日本は日本でというのです。
「覚えるのが大変だよ、天皇陛下なんか百何十代だから」
「全部覚えてる人少ないわよね」
「あれだけ長くて続いてる方々全員とか」
「神武帝から今上陛下までね」
「百何十代だから」
「物凄く覚えにくいよ」
 こう言うのでした、動物の皆も。
「確かに薔薇戦争は覚えにくいけれど」
「日本の皇室もね」
「凄いことになってるよね」
「あそこはその意味でも格が違うよ」
 唸って言う先生でした。
「日本の皇室についての学問はかなりのものだよ」
「複雑で長くて」
「どうしてもね」
「学びにくいよね」
「そう思うよ、僕もね」
 薔薇戦争もそうだけれど、というのです。
「日本の皇室はかなり凄いよ」
「その複雑さも」
「歴史は長いし」
「そういえば南北で分かれた時期もあったね」
「南北朝時代ね」
「鎌倉時代から分かれていて」
「うん、それで内乱にもなったよ」
 この辺りイングランドと似ているとも思いつつお話した先生でした。
「ただ、日本の皇室は薔薇じゃないからね」
「うん、菊だね」
「日本の皇室は菊だね」
「それで国の象徴にもなってるし」
「日本の皇室は菊だね」
「そう、このことはね」
 本当にというのです。
「イングランドと違うよ」
「そうだよね」
「イングランド、そして今のイギリス王家もね」
「お花は薔薇だから」
「そこは違うね」
「うん、しかし薔薇は平和の為のお花であるべきだよ」
 先生はしみじみとした口調になっていました。
「それを旗印に戦争をするのはね」
「やっぱりね」
「悲しいことよね」
「どうしても」
「そんなことがあって欲しくないわね」
「薔薇は観て香りも愛でるもの」
「そして食べて楽しむものでもあるから」
 だからだとです、動物の皆もお話します。
「戦争の旗印になるとね」
「やっぱり悲しいよね」
「どうしても」
「そうなることは」
「そう思うよ、戦争よりもね」
 本当にとです、先生はまた言いました。
「平和の象徴であって欲しいね」
「薔薇はね」
「奇麗なお花であるだけに」
「それだけに」
「そう思うよ、これは薔薇だけでなくね」
 先生が思うにです、先生は平和主義者でもあります。とても温厚な人なので戦争も喧嘩も好きではないです。生まれてから一度も喧嘩をしたことがありません。
「他のお花もだよ」
「平和の象徴であるべきだね」
「どのお花にも好戦的な要素はないけれど」
「そのことに相応しくね」
「お花は平和の象徴であるべきだね」
「何といっても」
「そう思うよ」 
 先生としてはというのです。
「どのお花もね」
「じゃあお花で世界がもっと満たされると」
「ひょっとしてね」
「人類は平和になるかしら」
「今以上に」
 ふとこう思った皆でした。
「今も世界では戦争があるけれど」
「全体的に減っているっていってもね」
 昔に比べるとです、昔の世界はもっと戦争が多かったです。
「それでも少ないに越したことはないし」
「だったらね」
「世界にお花がもっと多いと」
「今以上に平和になるかしら」
「そうかも知れないね。お花を観ているとね」
 どうしてもというのです。
「人は争う気を失うね」
「あっ、確かに」
「お花を観てるとそれだけでね」
「人は争う気をなくしていくわ」
「平和な気持ちになるよ」
「そうだね、だからね」
 それ故にというのです。
「是非ね」
「お花はね」
「もっとだね」
「多くあるべきだね」
「この世界に」
「そうも思うよ、勿論薔薇もね」
 このお花もというのです。
「見ていたら心が安らかにもなるから」
「華やかになるだけじゃなくてね」
「そうもなるから」
「だからね」
「是非共ね」
「うん、平和の象徴に使いたいね」
 こう言うのでした、そしてです。
 皆で色々とお話をしました、そしてまた薔薇を観てそれと共に薔薇のティーセットを楽しみたくてです。
 この日の午後植物園の薔薇園に動物の皆と一緒に行きました、ですが。
 今薔薇園では若い人達が朗読をしていました、その朗読は日本語でしたが先生はどの作品の朗読かすぐにわかりました。
「真夏の夜の夢だね」
「あっ、シェークスピアの喜劇ね」
「日本語での朗読ね」
「昔の英語じゃなくて」
「日本語でそうしてるのね」
「うん、シェークスピアは世界中で読まれてるから」
 そこまで有名な作品ばかりなのです。
「日本ではそうだよ」
「日本語で読まれてるね」
「そうだよね」
「ここは日本だから」
「日本語訳になるね」
「そうだね」
「うん、この文章は」
 その日本語の朗読を聞いてまた言った先生でした。
「福田恒存さんの訳だね」
「福田恒存さん?」
「どんな人?」
「日本の英文学で有名な人だったんだ」 
 皆にその福田恒存という人の説明もしました。
「確かな教養と文章力、識見を持った人でね」
「凄い人だったの?」
「そうだったの?」
「二十世紀の日本を代表する知識人の一人だよ」
 こうまで言っていい人だったというのです。
「保守派の重鎮でもあってね」
「それでなんだ」
「シェークスピアの日本語訳でも知られているんだ」
「そうなのね」
「うん、非常に多くの現代語訳の作品も残しているんだ」
 シェークスピアのそれのというのです。
「文庫本にもなっていてそれぞれの解説も凄いよ」
「ううん、そんな人だったんだ」
「そんな人が日本にいたんだ」
「シェークスピアの現代語訳を沢山書き残した」
「そうした人が」
「日本のシェークスピア研究の権威だったんだ」
 そうでもあったというのです。
「日本の保守系言論人の重鎮でもあったしね」
「色々凄い人だったんだね」
「何かと」
「そんな人が日本にいたんだ」
「そうだったんだ」
「そう、その人の訳だね」 
 今の朗読はというのです。
「日本語の」
「ううん、薔薇園でシェークスピアの朗読なんて」
「素敵なことしてるわね」
「イギリスの国花にイギリスの古典」
「それがあるから」
「そうだね、日本語の朗読は」
 本当にというのです。
「これもまたいいね」
「そうだよね」
「僕達も聞いているといいと思うよ」
「他の国の言葉でのシェークスピアもいいね」
「昔の英語だけじゃなくて」
「シェークスピアの作品は本当に素晴らしい作品だから」
 それでとお話する先生でした。
「どの言語で訳しても素晴らしいんだよ」
「昔の英語のままでなくても」
「どの言語でもなんだ」
「シェークスピアは素晴らしい」
「そうなんだね」
「そうだよ、それが本当に素晴らしい作品なんだよ」
 こうもお話した先生でした。
「イギリス文学は世界的に有名な作品、作家が多いけれど」
「各国の言語で翻訳されていて」
「そしてなんだ」
「読まれてるんだね」
「今みたいに朗読もされていて」
「そうだよ、じゃあ彼等は彼等でね」
 朗読をしている人達とは別にというのです。
「僕達も楽しもうか」
「うん、お茶を飲もうね」
「ローズティーを」
「そしてティーセットは薔薇のお菓子達」
「それで楽しみましょう」
「そうしようね」
 先生達は皆でティータイムの用意をしました、そしてです。
 そのお茶やお菓子を楽しんでいるとです、ふとでした。
 先生はにこりとしてこんなことを言いました。
「シェークスピアを聴きながらのティータイムもいいね」
「まさにイギリスって感じね」
 ダブダブが応えました。
「そう思えるわね」
「そうだね、日本では桜や梅に和歌に俳句」
 トートーは日本のお話をしました。
「お茶はお抹茶で茶道になるから」
「薔薇とティーセット、シェークスピアが一緒だとね」
 ポリネシアもこう言います。
「イギリスって思えるわね」
「うん、日本語のシェークスピアでもね」
「シェークスピアだから」
 チープサイドの家族はシェークスピアならと思うのでした。
「イギリスだしね」
「それならいいね」
「そうだね、このままね」
「ずっとこの中にいたくもなるね」
 オシツオサレツの二つの頭は実際にこう思っていました。
「幸せな感じがして」
「それでね」
「こうしてイギリス尽くしを楽しめるなんてね」
 老馬はイギリスにいた時のことを思い出しています。
「思わなかったけれど素敵だね」
「ううん、日本にいてイギリスをここまで味わえるなんて」
 ホワイティの口調はしみじみとしています。
「思わぬ嬉しいサプライズだよ」
「しかも美味しくね」
 ダブダブは紅茶とティーセットのお話をします。
「味わえるからね」
「イギリスって食べもののイメージかなり悪いからね」
 チーチーもこのことをよくわかっています。
「世界最悪とか言われるし」
「実際に日本にいる方がイギリス料理ずっと美味しいし」
 最後に言ったのはジップでした。
「料理のことは否定出来ないね」
「僕達は日本でアレンジされたイギリスを満喫しているんだね」
 先生はこのことについて思うのでした。
「けれどこれがね」
「うん、いいよね」
「最高だよね」
「日本でアレンジされたイギリスも」
「結構以上に」
「日本語のシェークスピアもいいしね」
 最高にというのです、そしてです。
 先生達は薔薇園もティータイムも朗読も楽しみました、そして先生が紅茶の最後の一口を飲んでからです。
 薔薇園を後にしようとすると朗読をしていた人達の中から茶色の髪の毛と緑の瞳、彫のあるお肌の白い人が先生達のところに来て先生にお声をかけてきました。
「ドリトル先生ですね」
「はい、そうですが」
「私は八条大学で英語の講師をしているジョン=オーフェルという者ですが」
「ジョン=オーフェルさんですか」
「リバプール出身で今は日本に住んでいまして」
「この大学で、ですね」
「英語を教えています」
 こう先生にお話するのでした。
「そして今もです」
「シェークスピアの朗読をですか」
「学生さん達と共にしていました」
「そうだったんですね」
「真夏の夜の夢の」
「日本語でしたが」
「はい、あの朗読は今度の舞台の練習の一環でした」
 このこともお話するオーフェルさんでした。
「そうでした」
「左様でしたか」
「はい、そして」
「そして?」
「今度舞台で発表します」
 その真夏の夜の夢をというのです。
「その予定です」
「では彼等は大学の演劇部ですか」
「そうです、そして私は演劇部の顧問もしています」
「そうだったのですか」
「実は英語劇の案もありました」
 オーフェルさんはこのこともお話しました。
「ですがそれはです」
「されなかったのですか」
「色々な国の人やお子さんも舞台を観に来ると思いまして」
 それでというのです。
「英語劇ではなく日本なので」
「日本語劇にされましたか」
「はい、それに」
 さらにお話するオーフェルさんでした。
「素晴らしい日本語訳の作品があったので」
「福田恒存さんのですね」
「本当に素晴らしいです」
 オーフェルさんは先生に確かなお声で答えました。
「あの人の訳は」
「だからですか」
「これもまたよしと思いまして」
 それでというのです。
「この作品にしました」
「そうでしたか」
「それで上演はです」
「日本語の演技で」
「行いますので」
「ではその時は」
「先生も宜しければ」
 オーフェルさんは先生にこうもお話しました。
「観に来られて下さい」
「わかりました、それでは」
 先生も笑顔で応えます、そしてです。 
 オーフェルさんは先生にこんなことも言いました。
「しかし福田恒存さんは本当に素晴らしいですね」
「現代語訳だけでなくですね」
「はい、それにです」
「教養が凄いですね」
「考え方がしっかりしていますし」
「識見も備えていて」
「真の学者、知識人です」
 そう思うというのです。
「あの人は」
「伊達に戦後日本の知識人ではないですね」
「こう言っては何ですが」
 オーフェルさんは少し微妙なお顔になってこうも言いました。
「戦後日本最大の思想家と言われている人は」
「よくないですか」
「私の日本語への勉強がまだまだ足りないせいかも知れないですが」
 それでもというのです。
「何を書いているかわからないです、しかも」
「わかる様になるとですか」
「変なことばかり書いている様な」
「はい、難しい言葉は幾らでも使えますよね」
「日本語でも」
「そうです、そんな言葉や文章ではです」
 それこそとお話する先生でした。
「最初からです」
「変なことを書いていたのですか」
「あの思想家のことは僕も知ってますが」
「おかしな人ですか」
「テロを起こし権力や富び美女を求めていたカルト教団の教祖を偉大な宗教家と言ってましたし」
「ひょっとして」
「はい、日本で昔ありましたね」
「あの騒動ですか」
 オーフェルさんも知っていました、その人のお話は。
「鳥の様な名前の宗教団体でしたね」
「あの騒動は酷かったですね」
「はい、そしてあの団体の教祖は」
「とんでもない人でしたね」
「教理も行動もでしたね」
「まさにカルトでしたが」
「その教祖をですね」 
 オーフェルさんは呆れて言いました。
「偉大だと言っていましたか」
「そうでした」
「愚かですね」
 こうまで言い切りました。
「あの教理、行動はまさに偽物です」
「偽の宗教ですね」
「本当にお金や権力だけを求めていた」
「そうしたものですね」
「あの教祖は欲の塊です」
「しかしその思想家はそうしたことが一切わからず」
 先生もお話します。
「その様なことを言っていました」
「しかしそうした人でもですか」
「はい、戦後日本最大の思想家と言われていました」
「おかしな話ですね」
「そうですね、正直この人はです」
「どうでもいい感じですね」
「僕は一切読む必要性を感じていません」
 その思想家の本はというのです。
「その発言を読んでから」
「そうですね、では私も」
「読むだけ時間の無駄かと」
「何を書いているのかわからないですし」
「ですが福田恒存さんは違いますね」
「非常に素晴らしい文章とシェークスピアへの学識と論理です」
 オーフェルさんも太鼓判を押しました。
「非常に」
「そうですね」
「ですから今回の舞台の文章に選びました」
「脚本の原本に」
「そうしました」
「素晴らしいことです、あの人のシェークスピアは」
 さらにお話する先生でした。
「これ以上はないまでにいいです」
「左様ですね」
「はい、しかしです」
「しかし?」
「どうもですが」
 先生はここで薔薇園を見てオーフェルさんにお話した。
「真夏の夜の夢と薔薇ですか」
「それは合わないですか」
「イギリスということなら相応しいですが」
「あの作品のお花はですね」
「菫ですね」 
 こちらのお花というのです。
「そうですね」
「はい、実は先日の朗読の練習ではです」
「菫の方で、ですか」
「やってみました」
 そうだったというのです。
「あのお花で。ですがティターニアや妖精達のイメージをお話していますと」
 作品の中で出てくる彼等のことをというのです。
「学生達も私も彼等のイメージは」
「薔薇とですか」
「なりました、森の中でのお話ですが」
 真夏の夜の夢はです。
「恋愛ですね、しかも大騒動の末のハッピーエンドですが」
「そうした恋愛ですと」
「お花ですと」
「薔薇ですか」
「そうした結論に辿り着いたので」
 だからというのです。
「今日は薔薇園で朗読をしていました」
「成程、そうですか」
「それも一種類ではなく」
 薔薇のそれもというのです。
「色とりどりの。幻想的で華やかな」
「この薔薇園の様に」
「それで、です」
「この薔薇園で朗読をされていましたか」
「そうでした」
「わかりました、そう言われてみますと」
 まさにと答えた先生でした。
「薔薇もです」
「真夏の夜の夢という作品にはですね」
「合いますね、それも」
「この薔薇園の様にですね」
「色とりどりの薔薇がある幻想的な場面ですと」
 本当にというのです。
「妖精に相応しいですね」
「そうですよね」
「薔薇は恋愛の花という考えは」
 先生はオーフェルさんに微笑んでお話をしました。
「どの国でもありますね」
「そうですよね」
「薔薇の騎士という楽劇もありますし」
「リヒャルト=シュトラウスでしたね」
「あの作品も素晴らしいですね」
「私もあの作品は大好きです」
 薔薇の騎士と聞いてです、オーフェルさんは先生に笑顔で答えました。
「ウィーンという街も好きですが」
「ウィ―ンを舞台としているあの作品も」
「素敵な恋愛劇です」
「はい、僕もCDとDVDを持っています」
「それは何よりです」
「華やかで美しくそれでいて」
「悲しい作品ですね」 
 オーフェルさんは先生に応えて言いました。
「あの作品は」
「誰も死なない作品ですが」
「それでいて作品の中で」
「少しずつ、何かが死んでいきますね」
「そうした悲しさもある作品ですね」
「あの作品に出て来る薔薇は本当の馬鹿ではありません」
 先生は薔薇の騎士についてさらにお話しました。
「求婚に使われる銀の薔薇」
「銀で造った造花の薔薇ですね」
「その薔薇があの作品の薔薇です」
「そうでしたね」
「あの薔薇がです」
 非常にとお話する先生でした。
「素晴らしいです」
「全くですね」
「はい、とかく薔薇はです」
「恋愛ですね」
「それを表していることが多いです」
「そして真夏の夜の夢でも恋愛はテーマの一つなので」
「あの作品に薔薇をイメージするのよ」
 それもというのです。
「あながち間違ってはいないです」
「そうなりますね」
「はい、そして今日の朗読は非常にです」
「実り多いものになりますか」
「そうなると思います」
 先生はオーフェルさんに笑顔でお話しました。
「是非お励み下さい」
「それでは」
 オーフエルさんも笑顔で応えました、こうしたお話もしながらです。先生はオーフェルさんと薔薇のお話もしてです。 
 オーフェルさんとお別れをしてからご自身の研究室に戻りました、するとそこで動物の皆に言われました。
「薔薇の騎士ねえ」
「あれは確かに名作よね」
「私達も先生と一緒に観たけれど」
「あんな素敵な歌劇はそうそうないわ」
「楽劇となってるけれど」
「歌劇って言ってもいいわね」
「音楽も脚本も登場人物もね」
 その全てがというのです。
「最高に奇麗で素敵でそれでいて悲しくて」
「喜劇の要素もあったりして」
「それでね」
「見応え聴き応えもあるし」
「本当に素敵よね」
「あの作品は」
「そうだね、僕も大好きだよ」
 先生はばら戦争の論文を書きつつ答えました。
「実際に、ただ」
「ただ?」
「ただっていうと」
「いや、あの作品は凄くね」
 こうも言ったのでした。
「妖しい魅力があるね」
「あっ、多分それはね」
「主人公の一人がが男の子ってなっててもね」
「演じる人は女の人だから」
「そのせいでね」
「凄く魅力的なんだね」
「それで」
「そうだね、男装の麗人だね」
 ここでこう言った先生でした。
「だから妖しい魅力があるんだね」
「それってベルサイユの薔薇と一緒だね」
「あの作品もオスカルさん男装の麗人だし」
「そう思うとね」
「薔薇の騎士もそうだね」
「男装の麗人が出ていて」
「その魅力があるんだね」
 二人でお話するのでした。
「何というかね」
「男装の麗人って薔薇のイメージあるの?」
「そうかしら」
「それで妖しい魅力があるのかな」
「そうなのかな」
「そうだね、あの作品ではね」
 先生は薔薇の騎士のお話をさらにしました。
「あの登場人物は完全な男の子だけれど」
「そうした設定だよね」
「けれど演じる人は女の人なんだよね」
「そこはしっかりと決められていて」
「絶対だから」
「その魅力がね。凄いんだよね」
 本当にというのです。
「僕もそう思うよ」
「成程ね」
「だからあの作品にはそうした魅力があって」
「皆観るんだね」
「男装の麗人の魅力があるから」
「そうだね、確かに薔薇にはね」
 先生は考えながら言っていきます。
「男装の麗人というキーワードもあるのかもね」
「そうなんだね」
「妖しい魅力として」
「そうしたものもあるのかしら」
「薔薇はただ奇麗なだけじゃない」
「香りも素敵なだけじゃないのね」
「そう、食べられるうえに」
 さらにと言う先生でした。
「不思議な位妖しい魅力があるのかもね」
「だから愛されているのかな」
「人々にここまで」
「ベルサイユの薔薇にしても薔薇の騎士にしても」
「そして薔薇戦争でも」
「そうかも知れないね、そう思うと余計にね」
 まさにと思ってお話する先生でした。
「薔薇は本当に不思議なお花だよ」
「本当にそうよね」
「しかも棘もあるしね」
「奇麗な薔薇には棘がある」
「そうも言うし」
「そう、その棘のこともね」
 薔薇には付きもののこちらのこともというのです。
「薔薇の特徴でね」
「触ると確かに痛いけれど」
「それで気をつけないといけないけれど」
「それでもね」
「それもまた薔薇の魅力の一つね」
「棘も」
「そうだよね、本当に考えれば考える位ね」
 まさにというのでした。
「薔薇は魅力的なお花だよ」
「本当にそうね」
「何かとね」
「素敵なお花よね」
 皆も言います、本当に薔薇はその魅力で人を魅了しているのでした。








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