『ドリトル先生と奇麗な薔薇園』




                第五幕  薔薇に囲まれて

 先生達は実際に薔薇園に行ってティータイムを楽しみました、先生は紅茶はローズティーにしまして。
 薔薇のお花が入ったクッキーに薔薇の味のシュークリームにプティングを用意しました、そうして薔薇尽くしのティーセットにしてです。
 それを口にしつつ薔薇園を見て言いました。
「いいね」
「うん、そうだね」
「薔薇尽くしでね」
「薔薇に囲まれて薔薇を飲んで食べて」
「最高にいいよ」
「本当にね」
「普通のティータイムもいいけれど」
 それでもと言う先生でした。
「こうして薔薇尽くしもね」
「いいものだね」
「薔薇には薔薇」
「それを合わせて統一して楽しむのも」
「実に素敵だよ」
「そう思って出してもらったしね」
 先生にしてもです。
「植物園の人達に」
「植物園の中の喫茶店でね」
「幸い全部売ってたし」
「ローズティーも薔薇のお菓子も」
「全部ね」
「丁度よかったよ、しかし実にね」
 今度は薔薇も見つつ動物の皆にお話する先生でした。
「奇麗な薔薇園だね」
「赤に白に黄色に」
「ピンクに黒に紫」
「そして青い薔薇もあって」
「薔薇でない色ないんじゃ」
「それこそね」
 動物の皆もそういった花々を見て言うのでした。
「そう思うとね」
「かなり素敵な場所だね」
「こんなに色々な色の薔薇が揃っていて」
「しかもティーセットまで楽しめるんだから」
「最高の場所だよ」
 外の白いテーブルに座って言う先生でした。
「本当にね」
「そうだよね」
「それじゃあね」
「ここにいてね」
「薔薇を眺めながらね」
「ティーセットも楽しんで」
「最高の楽しみを満喫しようね」
 動物の皆も先生の周りで言います。
「皆でね」
「そうしましょう」
「それじゃあ僕達も飲むから」
「そして食べるから」
「皆でね」
「そうしようね、しかしね」
 先生はここでこうも言いました。
「虫がいなくなって薔薇も整うだろうし」
「だろうし?」
「だろうしっていうと?」
「うん、どうもね」
 ここはというのです。
「今日は香りがいいね」
「薔薇の香りが」
「それがなんだ」
「凄いいいっていうんだ」
「そう思ったよ」 
 薔薇園は薔薇の香りにも包まれています、香りは薔薇園の中に満ちていて薔薇園はその香りも楽しめる様になっています。
 その香りを感じてです、先生は言うのです。
「どうもね」
「そういえばそうだね」
「今日は香りがいいね」
「薔薇の香りが」
「いつも以上に」
「薔薇は香りも魅力だけれど」
 それでもというのです。
「今日の香りはね」
「余計にいいよね」
「先生の言う通りに」
「じゃあ今日もね」
「このまま香りを楽しんでいこうね」
「そうしようね」
「是非ね、ローズティーやお菓子の香りもいいけれど」
 ここでこんなことも言った先生でした、こちらの香りも楽しんでいるのです。
「何といってもだよ」
「薔薇自体の香りがね」
「本当にいいわね」
「今日は」
「特にいいから」
「楽しもうね」
「うん、何か薔薇の霞が見えてきたよ」
 ジップはにこりとしてまた言いました。
「お花のね」
「あっ、確かに」
 ジップのその言葉にチーチーが頷きました。
「花霞もあるね」
「そのせいで香りがいいのかしら」 
 こう言ったのはポリネシアです。
「今日は」
「そうかもね、それと」
 今度はダブダブが言います。
「花びらが舞っている様にも思えてきたわ」
「薔薇でそれはないけれどね」
 ガブガブはダブダブの言葉に応えました。
「桜と違って」
「けれど花霞があって」 
 ホワイティもその中にあります、花霞のそれの。
「そのせいでそう見えるね」
「うん、それと」
「香りのせいで」
 チープサイドの家族もお話するのでした。
「花びらが舞っている様な」
「そんな風にも思えるね」
「香りが強いとそう思えるね」
「そうだね」
 オシツオサレツも言うのでした。
「花霞は実際にあるし」
「花びらも感じるからね」
「だから花びらが舞っている様にも思えるんだね」
 老馬は周りを見回しています、薔薇園のその中の。
「そうなんだろうね」
「うん、多分そうだね」
「この香りの強さは花霞のお陰で」
「それが強いからだね」
「花びらが舞っている様にも思えるんだね」
「うん、このよさはね」
 本当にとです、先生も言います。
「今日ならではだね」
「ここに若しもだよ」
「若しもカップルが来たら」
「最高のデート場所だよ」
「素敵な場所だよ」
「そうだね、こうした場所にいたら」
 先生はまた言いました。
「盛り上がるよね」
「そうだよね」
「じゃあここにいれば」
「それじゃあね」
「普通に楽しんで」
「親密さも深まっていくね」
 動物の皆もその通りだと言います、ですがその中で幸せに過ごしてそうしてさらにこうしたことも言いました。
「植物園もそれ宣伝したら」
「来る人も多いかな」
「そうだよね」
「特に今日みたいな日は」
「それが最高だけれど」
「どうなのかしら」
「植物園は宣伝しているのかしら」
 皆でこうしたことを考えると、とです。
 ふとです、先生は皆にこんなことを言いました。
「植物園自体の宣伝は凄いよ」
「あっ、そうなんだ」
「植物園は宣伝しているんだ」
「そうなの」
「うん、宣伝していてね」
 そしてというのです。
「この薔薇園もだよ」
「宣伝しているんだ」
「それじゃあだね」
「この薔薇園にも」
「ちゃんとなんだ」
「カップルが来るんだ」
「そうだと思うよ、薔薇園だってね」
 ここもというのです。
「カップルが来るよ、こんなに奇麗で」
 それでというのです。
「しかもね」
「しかも?」
「しかもっていうと」
「他の場所もあるから」
 植物園にはというのです。
「皆来るよ」
「そうなんだね」
「じゃあ学園の学生さん達がね」
「今日も来るんだね」
「そうするのね」
「もう放課後なんてね」
 この時間になると、というのです。
「一杯来るよ」
「学生さん達がね」
「大学生の子も高校生の子も」
「中学生の子も来るね」
「カップルで」
「そうなるよ、だから僕達はね」
 先生達はといいますと。
「今日は放課後の時間に行ったらね」
「ちょっとお邪魔?」
「そうだっていうの」
「カップルで来る子達の」
「そうなるだろうね」
 笑って言うのでした。
「だから今楽しもうね」
「そういうことね」
「お友達で来る人達はそうして」
「夕方はね」
「カップルの子達に譲るのね」
「青春と恋愛を楽しんでもらおう」
 その両方をというのです。
「是非ね」
「うん、じゃあね」
「若い人達にはその時間に楽しんでもらって」
「先生はその時間は学問ね」
「そちらを楽しむんだね」
「そのつもりだよ、まあ僕が皆と一緒に来る以外にここに来ることはないね」
 確信を以て言う先生でした。
「それはね」
「ないっていうんだ」
「トミーや王子達もいるけれど」
「つまりお友達以外とここに来ることはない」
「そう言うんだ」
「そうだよ、僕がデートなんて」
 まさにそれはというのです。
「何よりも縁がないよ」
「そう思ってるからね」
「先生は先生なのよね」
「だから人間は外見じゃないでしょ」
「そうでしょ」
「いや、そうだよ」
 ご自身ではこう言い続けるし思い続ける先生でした。
「僕はね」
「どうだか」
「そこはわからないわよ」
「身近なことはね」
「実際は」
「わかるよ、しかしね」
 ここでまた言った先生でした。
「皆はそこでそう言うんだね」
「だって事実だからね」
「僕達だって嘘は言わないよ」
「動物は嘘言わないじゃない」
「だから僕達だってね」
「ちゃんと言うんだよ」
「それはわかってるよ」
 皆は嘘を言わないことはです、先生は誰よりもよくわかっています。あらゆる動物のお友達だけあって。
「けれどね」
「違うっていうのね」
「恋愛のことは」
「どうしても」
「そう、僕がもてることは」
 本当にというのです。
「ないから、それでね」
「それで?」
「それでっていうと」
「今度は何かな」
「僕のことは置いておいて」
 そしてというのです。
「カップルの皆はね」
「うん、彼等のことはだね」
「若い人達のことは」
「あの人達のことは」
「幸せを願っているよ」
 優しい笑顔での言葉でした。
「デートもね」
「他の人の幸せを願えるのはいいことだよ」
「先生の美点の一つだよ」
「嫉妬もしないしね」
「全くね」
「けれど欲がないから」
 だからというのです。
「そこは何とかしたらって思うよ」
「無欲も美徳だけれど」
「先生は無欲過ぎるから」
「すぐに今の幸せで満足っていうから」
「どうもね」
「僕達も気が気でないんだよ」
 動物の皆としてはです。
「もっとね」
「あれもこれもってなったら?」
「先生は学問が出来て衣食住が万全なら満足するけれど」
「それでもね」
「もっと上のことを望んだら」
「そうしたら?」
 こう言うのですがそれでもでした。
 先生は無欲なままです、それでティータイムの後も実際にでした。
 植物園の他の場所を巡ってそれからお昼御飯に今日はラーメンと炒飯それに水餃子と野菜炒めを食べまして。
 午後は研究をします、それで言うのです。
「今日も最高だよ」
「学問が出来てるからだね」
「今書いている論文の為の研究を」
「だからだね」
「幸せなんだね」
「うん、これ以上はない位にね」
 本当にというのです。
「僕は満足しているよ」
「そうだよね、先生は」
「それで満足だよね」
「そこまでで」
「そうだよ、生活が出来て学問をどれだけでも出来る」
 それならというのです。
「こんないいことはないよ」
「それでなんだ」
「もう満足してなんだ」
「そのうえでだね」
「幸せに過ごしているから」
「これでいいんだね」
「うん、いいよ」
 本当にと言った先生でした。
「こんないいことはないよ、ただね」
「ただ?」
「ただっていうと?」
「満足していないの?」
「ひょっとして」
「いや、僕は本当にね」 
 実際にというのです。
「これ以上はないまでに幸せだって思ってるけれど」
「ええ、私達の意見は違うわ」
「もっと求めていいと思うよ」
「これで満足しないで」
「もっともっと幸せを求める」
「そうしてもいいと思うのよ」
「人は足りるってことを知らないとね」
 先生はこの美徳を皆に言いました。
「僕はそう思うけれど」
「いやいや、幾ら何でも途方もない野望とかは駄目でも」
「先生は無欲過ぎるから」
「もっと求めてもいいんだよ」
「欲を持ってね」
「そうすればいいんだよ」
「そう思うけれどね」
 それでもというのです。
「先生は違うから」
「本当に欲がないから」
「それが駄目なんだよ」
「ちょっとだけでもいいから」
「欲を出せばいいんだ」
「そうしたら?」
「本当にね」
「うん、そうしたらね」
 いいというのです、ですがそれでも先生は欲を出しません。それでまたこうしたことを言ったのでした。
「具体的にはどんな欲かわからないんだけれどね」
「だからね、あれだよ」
「先生が縁がないって思ってる方だよ」
「そに欲を出せば」
「それでいいんだ」
「そっちの欲をね」
 皆は先生にすぐに一斉に言いました、ですが。
 そうしたことを言ってもそれでもでした、先生はこの日も先生でした。そしてお家に帰ってからはです。
 ベルサイユの薔薇を読んでこう言うのでした。
「黄金の精神だね」
「主人公のオスカルはだね」
「その心の持ち主だね」
「うん、気高くて誇らしげでね」
 そしてというのです。
「高貴な心の持ち主だよ」
「うん、そのことはね」
「本当にそうだよね」
「オスカルさんは素晴らしいよ」
「黄金の精神の持ち主だよ」
「貴族とか軍人とかじゃなくて」
「高貴そのものの方だよ」
 動物の皆もその主人公についてはこう言います。
「薔薇に相応しいね」
「薔薇の心を持つ人だよ」
「そうした人だから今も人気があるのね」
「作品も生きていて」
「そう、終わったけれど」
 それでもというのです。
「オスカルも死んだけれど」
「その素晴らしさはずっと生きているね」
「気高い薔薇の心は」
「そうだよ、アニメの主題歌もね」
 こちらのお話もした先生でした。
「素晴らしいけれど」
「オスカルさんはそのままに生きたよね」
「そして死んだね」
「そして先生は今それを読んでるね」
「オスカルさんの生き様を」
「そうしているよ、しかし何処から何処までも」
 それこそというのです。
「隙がない作品だね」
「緻密でだね」
「細かく描かれて勉強されていて」
「そして計算されていて」
「そうだよ」
 こう皆にお話するのでした。
「そこまでして描かれていたからね」
「ううん、芸術作品だね」
「もうそこまできたら」
「描くにあたって歴史とか凄く勉強してたのもわかるし」
「あの頃のフランスのことをね」
「背景や衣装も凄いし」
「一切手を抜かず描いているし」
 本当にそうしたものは全く見られません。
「こんな作品を描いて人は凄いわ」
「オスカルさんっていう主人公を生み出した人も」
「まるで実際にいた人みたいよ」
「架空の人の筈なのに」
「うん、主人公は架空の人だよ」
 実際にそうだと答えた先生でした。
「名前も設定も性格も凄くしっかりしているけれどね」
「架空の人なんだね」
「オスカルさん自身は」
「そうなのね」
「うん、アンドレも架空の人物だよ」
 この人もというのです。
「あと幾人かの登場人物はね。けれどね」
「けれど?」
「けれどっていうと」
「どうしたの?」
「オスカルさんのお家は実際にあった家だよ」
 その実家はというのです。
「当時の貴族のお家でね」
「あっ、そうなんだ」
「お家自体は実在なのね」
「オスカルさんは架空の人でも」
「お家はあるんだ」
「架空の人物を現実の世界に上手に入れているから」
 だからだというのです。
「そうなっていても違和感ないよね」
「うん、確かに」
「架空の人だとしても」
「凄く普通に入っていて」
「違和感ないわ」
「読んでいてもね」
「そこも凄いね、もうここまできたら」
 唸って言う先生でした。
「正真正銘の芸術だよ」
「漫画は芸術にもなる」
「だから馬鹿に出来ない」
「そういうことだね」
「そういうことだよ、マリー=アントワネットが赤薔薇で」
 当時のフランス王妃がというのです。
「そしてオスカルが白薔薇だね」
「その二輪の薔薇を中心としてだね」
「描かれていった物語で」
「その物語が芸術にもなっている」
「成程ね」
「漫画は文学にも匹敵する立場を得るよ」
 そうなっていくというのです。
「そして学問にもなるよ」
「漫画が学問に」
「まさか」
「そうなるなんて」
「信じられないけれど」
「そうなるの?」
「なるよ、最初は小説だってね」
 こちらの文学もというのです。
「かなり馬鹿にされていたからね」
「へえ、そうなんだ」
「小説は馬鹿にされていたんだ」
「あんなにいいものが」
「そうだったの」
「そうだよ、哲学書とかに比べてね」
 こうしたジャンルと比較されてというのです。
「物凄く低いものと思われていたんだ」
「それわからないけれど」
「小説の何処が程度が低いのか」
「どうにもね」
「僕達には」
「楽しんで読む、娯楽ということでね」
 こう思われてというのです。
「だからだよ」
「低く置かれていたの」
「そうだったの」
「楽しく読むということで」
「そう思われていて」
「そうだったんだ、けれど僕が思うに」
 先生が考えるにはです。
「人の心を打つものに高い低いはないんだよ」
「哲学書でも小説でも」
「漫画でもなんだね」
「程度の高い低いはなくて」
「どれも尊いんだ」
「そうだよ、実際に哲学書でもね」
 程度が高いと言われているこのジャンルの本もというのです。
「読んで価値あるものとないものがあるね」
「そうだね、確かに」
「高名な哲学者や思想家とされる人の本でもね」
「読んでいて何だっていう本あるね」
「実際に」
「そうだよ、もう読んでもね」
 例えそうしてもというのです。
「何でもない本があるよ。例えばね」
「例えば?」
「例えばっていうと」
「戦後の日本で凄いと言われていた思想家がいるけれど」
 ここで難しいお顔になって言った先生でした。
「この人は何を言っているかわからないという時は凄いって言われていたんだ」
「何を言ってるかわからない時は?」
「その時は凄いって言われていたの」
「けれど何を言ってるかわからないと」
「意味ないじゃない」
「そうだよね」
 皆は先生がお話するその思想家について素直にこう思いました。
「それじゃあね」
「わからないけれど凄い?」
「凄いことがわかるから凄いんじゃない」
「何を言ってるかわからないなら」
「難しいだけならね」
「そう、変に小難しい言葉を羅列して言い回っていると」
 そうしていればというのです。
「人は錯覚するよね」
「その人が何か賢いって」
「わかる人がわかることを言っているって」
「そこまで凄いことを言っている」
「だから凄いだろうっていうの」
「うん、けれどその人はね」
 先生はさらにお話します。
「誰でもわかることを言う様になるとね」
「どうなったの?」
「凄い思想家って言われていたのが」
「どうなったのかしら」
「うん、只の思想家になったんだ」
 これまで凄い凄いと言われていたのがというのです。
「そうなったんだ」
「ふうん、そうなんだ」
「誰でもわかることを言ったら」
「普通の思想家になったんだ」
「凄い思想家から」
「そうなったんだ、そして挙句にはね」
 今度は眉を顰めさせてお話した先生でした。
「沢山の人を中身での騒動やテロで殺した宗教団体の教祖を偉大な宗教家だの最も浄土に近い人って言ったんだ」
「えっ、それは酷いね」
「大勢の人を殺した人を偉大とかって」
「そんなこと言うなんて」
「おかしくない?」
「しかもその教祖の言っていることは出鱈目ばかりだったんだ」
 その教理もおかしかったというのです。
「仏教やヒンズー教やキリスト教の教理を適当に入れたね」
「そうした宗教もあるよね」
「お金儲けが目的なだけのね」
「そして権力を持ちたいとか」
「そうした宗教団体もあるけれど」
「その教祖はお金とか権力とか女の人ばかりだったんだ」
 先生にはこうした人のことがわかるのです、それだけの学識を積んできたからこそ。
「そうだったんだ、けれどね」
「その思想家さんはだね」
「偉大とか言ってたんだ」
「それおかしいよね」
「どう考えても」
「だから僕はこの人の本はその発言を読んでから全く読んでいないよ」
 先生はそうしているというのです。
「読んでも何の価値もないと思うからね」
「だからなんだね」
「先生はその人の本は読んでいないのね」
「そうしてるのね」
「そうだよ、本当に読んでもね」
 例えそうしてもというのです。
「何にも得るものはないよ」
「ベルサイユの薔薇と違って」
「全く価値はないんだね」
「その人の本は」
「哲学書でも何でも」
「そう、こうした人が書いた本を読むよりも」
 まさにというのです。
「ベルサイユの薔薇とかね」
「素晴らしいものを読むべきだね」
「漫画でも」
「そういうことね」
「僕はそう考えているんだ、小説でもね」
 こう言ってでした、先生はこの日の夜は漫画を読んでです。
 次の日は研究室で論文を書いていますがここで王子が先生の研究室に来て沢山の赤薔薇を差し出しました。
「差し入れだよ」
「あっ、いいね」
 ここで言ったのは先生でした、その赤薔薇達を見て。
「凄く奇麗な薔薇達だね」
「うん、実は沢山買ってお家で飾ってるけれど」
「僕にもだね」
「おすそ分けに来たんだ」
「これは嬉しいね」
「うん、見て素敵でね」
 ホワイティはその薔薇を近くで見て言いました。
「香りもよくてね」
「やっぱり薔薇はいいね」
「そうよね」 
 チープサイドの家族はそのホワイティのすぐ傍同じテーブルの上にいます。
「色も形も香りもよくて」
「最高のお花の一つだよ」
「しかも食べられる」
 食いしん坊のガブガブはこのことを言いました。
「凄くいいよね」
「そして王子もなのね」 
 ガブガブに続いたのはダブダブでした。
「薔薇が好きなのね」
「まあ嫌いな人はいないよね」
 こう言ったのはチーチーでした。
「薔薇は」
「お花の中でも一番素晴らしいお花の一つなのは間違いないから」
 ポリネシアも赤薔薇のすぐ近くに来ています。
「嫌いな人もそういない筈ね」
「僕薔薇が嫌いな人に会ったことがないよ」
 トートーはそうでした。
「それこそ一度もね」
「僕もないよ」
 老馬は長生きですがそうなのです。
「見たこともないよ」
「そして王子もね」
「薔薇が好きみたいだね」
 オシツオサレツは王子も薔薇も見ています、その二つの頭で。
「前もそう言ってたかな」
「そういえばね」
「好きだからお家を薔薇で満たして」
 最後に言ったのはジップでした。
「先生にも分けてくれたのかな」
「うん、大好きだよ」
 実際にとです、王子は動物の皆に答えました。
「僕も薔薇はね」
「そうだよね」
「だからお家の中も薔薇で満たしたんだね」
「そして先生にもプレゼントしてくれたんだ」
「うん、実はある人がお家に来るんだ」
 王子は皆にさらにお話しました。
「エジプトの由緒正しい家のお嬢さんがね」
「エジプト?」
「あの国の」
「そう、そのお嬢さんは薔薇が大好きで」
 その人もというのです。
「それでなんだ」
「王子は薔薇をお家の中で一杯にしてるんだ」
「そうしてその人をお迎えするの」
「そうするんだ」
「そう、クレオパトラみたいにね」
 笑ってです、王子はそのお嬢さんのお国の歴史に出て来るあまりにも有名な女王様の名前を出しました。
「僕はそうするんだ」
「クレオパトラもそうしたね」
 先生は王子の今のお話に笑みを浮かべて応えました。
「ローマの将軍アントニウスを迎える時に」
「そうだったよね」
「そう、クレオパトラは船だったけれど」
「その船の甲板を薔薇のお花で満たしてね」
「そうして迎えたね」
「そのクレオパトラみたいにね」
 まさにというのです。
「僕もそうしてみたんだ」
「素晴らしい演出だね」
「そうだよね」
「うん、古代エジプトやローマを思わせる」
「僕もそんなイメージだよ」
「本当にいいよ、ただ日本では」
 先生は今自分達がいるこの国のことを思うのでした。
「それはないんだよね」
「あっ、花びらをお家や船に満たすことは」
「しないよね」
「うん、そうだね」
 王子も頷くことでした。
「日本ではしないね」
「自然に花園とか並木道は作ってもね」
「そうしてもね」
「お屋敷や船の甲板を花びらで満たすとか」
 そうしたことはです。
「しないからね」
「クレオパトラみたいなことは」
「また違うんだ」
 そうしたことはしないというのです。
「日本の花の愛で方はね」
「そうだよね、薔薇にしても」
「最近ではお風呂に恋人と一緒に入る時に薔薇の花びらでお風呂を埋め尽くす人もいるけれど」
「そうした人は少数だよね」
「うん、それでね」
 そうした人はいてもというのです。
「やっぱり基本はね」
「見て愛でるか花瓶に入れて」
「そうして見て楽しむよ」
「それが日本人だね」
「薔薇についてもね」
「エジプトやローマとは違うね」
「ローマに負けない位の歴史がある国だけれど」
 それでもというのです。
「また違う文明だからね」
「お花の愛で方もだね」
「そうなっているんだ」
「そうなんだね、しかし日本人と薔薇は」
「あまりつながらないんだね」
「どうもね」
 王子としてはというのです。
「日本人は桜が第一でね」
「お花はね」
「梅や桃、菊があって」
 こうしたお花達が日本では多くそしてよく愛でられているというのです。
「百合や菖蒲、菫とかがあって」
「そしてだね」
「薔薇は欧州からのお花で」
 それでというのです。
「日本人にとっては大好きでもね」
「馴染みは新しいね」
「そうしたお花だっていう感じだけれど」
「それでも日本人ならね」
 この国の人達ならというのです。
「お花見みたいに愛でられるだろうし」
「桜の木のだね」
「そこでお酒を飲んだり和歌を詠んだり」
「そうしたことも出来るかな」
「僕はそう思うよ」
 その様にというのです。
「日本人ならね」
「和歌にだね」
「詩にも詠えるけれど」
「和歌といえばやっぱり日本だね」
「そうだね」
「薔薇を和歌に詠むんだ」
「王子はそうしたいかな」
 先生は微笑んで王子に尋ねました。
「薔薇で」
「どうかな。けれどね」
「それでもだね」
「日本の薔薇の愛で方もいいね」
「そうだね」
「うん、自然なまま愛するそれをね」
 桜等他の花達の様にです。
「いいと思うよ」
「そうだね」
「クレオパトラの楽しみ方もいいけれど」
「まさに美貌の女王らしくてね」
「そうだよね、クレオパトラと薔薇なんて」
 まさにというのです。
「名画の世界だよ」
「最高に絵になるね」
「そうしたものだよ」
 王子は先生に確かな声で言いました。
「こんないい組み合わせはないよ」
「薔薇は古代エジプトやローマも飾ってくれるね」
「歴史の花だね」
「本当にね」
 先生も王子のその言葉に頷います。
「薔薇にはそうした一面もあるね」
「神話にも出て来るよね」
「そう、ギリシア神話にもね」
「アフロディーテの涙がね」
 王子はその赤薔薇を観つつ言います、赤薔薇達はもう白い花瓶に入れられていて奇麗に飾られています。
「この赤薔薇になったんだよね」
「そう書かれているね」
「恋人の死を悲しんで」
「その涙が赤い薔薇になったんだ」
「そう思うとロマンティックだね」
「ギリシア神話らしいお話だね」
「そう、赤薔薇は愛の女神の心なんだ」 
 アフロディーテのというのです。
「美の花と言っていいね」
「クレオパトラだけじゃなくて」
「愛の女神のお花でもあるんだ」
「そうなんだね」
「他にもアルテミスのお話にも出るしね」
 この女神にも縁があるというのです。
「薔薇はね」
「その神様ともだね」
「うん、縁があるんだ」
 そうだというのです。
「薔薇はね」
「色々と縁があるんだね」
「そうだよ、そして我が国のね」
 ここでまた笑みになって言った先生でした。
「国花でもあるから」
「イギリスのね」
「そうした意味でも僕は好きだよ」
 こう王子にお話するのでした。
「とりわけね」
「先生のお国の花だから」
「イギリスに相応しいかな」
「そうかもね、日本は桜でね」
「イギリスは薔薇でね」
「それぞれ相応しいよね」
「うん、昨日はローズティーを楽しんだしね」
 昨日の午前のティータイムの時にです。
「それもよかったよ」
「ああ、実は僕薔薇の花びらをワインに入れて」
「そうして飲むんだね」
「この飲み方を聞いたけれど」
「それもいいね」
 先生は王子がお話したその飲み方について笑顔で応えました。
「ワインの簡単なカクテルだよ」
「そうだよね」
「うん、そして奇麗なね」
「そうした飲み方だね」
「そう思うよ、僕も今度そうして飲んでみようかな」
 ワインをというのです。
「そうしようかな」
「それもいいね、じゃあね」
「それじゃあだね」
「うん、今夜はワインを飲もうかな」
「薔薇の花びらを入れてだね」
「そのうえでね。そしてジャムは」
 パンに付けるそれはといいますと。
「薔薇にしようかな」
「いいね、薔薇のジャムだね」
「それにしようかな」
「じゃあ僕もね」
「今夜はワインだね」
「そしてパンにはジャムを付けるよ」
 そのジャムはといいますと。
「薔薇のジャムをね」
「僕みたいにだね」
「してみるよ」
「あの、王子」
 ですがここで執事さんが王子に言ってきました。
「今宵はエジプトのお嬢様と会食ですが」
「あっ、そうだったね」
 王子も言われて気付きました。
「あちらの要望でね」
「今宵はしゃぶしゃぶです」
「神戸牛のね」
「ですからジャムは」
「うん、しゃぶしゃぶといえば御飯だからね」
「しゃぶしゃぶにワインはいいとしまして」
 これはというのです。
「ですが主食は御飯なので」
「それでだね」
「ジャムは」
「うん、じゃあ今度にしようかな」
「それが宜しいかと」
 こう王子に申し上げるのでした。
「やはり」
「じゃあそうするよ」
「しゃぶしゃぶか、いいね」
 先生はしゃぶしゃぶと聞いて目を輝かせて言いました。
「あれも素敵なお料理だね」
「うん、牛肉の食べ方としてね」
「美味しい食べ方の一つだよ」
「すき焼きと並んでね」
「変な料理漫画でどっちもまずい食べ方だって言ってたけれど」 
 王子にもこの漫画のことをお話した先生でした。
「あの漫画はもう一から千までおかしな漫画だから」
「ああ、あの百巻以上続いてる新聞記者が主人公の漫画だね」
「王子も知ってるね」
「知ってるよ、主人公が気に入らないとお店の中で大声で文句を言うなんてね」
 王子は眉を顰めさせてこう言いました。
「野蛮なことこの上ないよ」
「とてもね」
「何ていうかあの漫画はね」
 それこそというのです。
「短気で下品で無教養な野蛮人ばかり出るからね」
「そうだね、登場人物がどうもね」
「普通におかしな人達ばかりだよね」
「王子の言う通り短気で下銀で無教養な人ばかり出るね」
「主人公も周りの人達もね」
「あれもおかしなことだね」
「だから僕は読まないんだ」
 この漫画をというのです。
「そうしているんだ」
「読んでも意味がないからだね」
「その通りだよ、しゃぶしゃぶはね」
「美味しいね」
「僕はそう思うよ」
 確かにというのです。
「本当にね」
「そしてそのしゃぶしゃぶをだね」
「お嬢さんにご馳走するんだ」
「うん、そういえば僕もしゃぶしゃぶは」 
 先生はここでこのことに気付きました。
「最近食べていないね」
「じゃあ先生も食べたらどうかな」
「そうだね、トミーにも言ってみるよ」
 先生は王子に笑顔で応えました、そうしたことをお話しながら今は薔薇の素敵な姿と香りを楽しむのでした。








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