『ドリトル先生と奇麗な薔薇園』
第三幕 解決のヒント
先生は朝起きて新聞を見て苦笑いで言いました。
「阪神は相変わらずだね」
「昨日も広島に負けましたね」
トミーが先生に朝御飯を出しつつ応えました。
「そうでしたね」
「うん、それも大差でね」
「七点差でしたね」
「これで広島には三連敗だよ」
「それも甲子園で」
「どうもね」
その苦笑いでこうも言う先生でした。
「阪神は巨人に負けるよりもね」
「広島に、ですよね」
「うん、負けるんだよね」
こうしたチームだというのです。
「どうにも」
「それも大差ですからね」
「いつもね。調べてみたらね」
それこそともお話する先生でした。
「これが毎年なんだよ」
「シーズンの成績のよし悪しに関わらず」
「そうなんだ」
広島東洋カープ相手にはというのです。
「負け越しているんだよ」
「それも凄いですね」
「巨人をライバル視していてもね」
阪神といえば巨人です、そのライバル関係は日本ではとにかく誰でも知っている位有名なことです。
「けれどね」
「阪神が本当にどうにかすべき問題は」
「広島とのことだよ」
そのいつも負け越していることこそというのです。
「これをどうしかしないと」
「幾ら強くても」
「そう、完璧じゃないよ」
「本当に強いチームじゃないですね」
「まさにね」
その通りと答える先生でした。
「本当にそれからだよ」
「それを言う阪神ファンの人は少ないですね」
「神戸も阪神ファンの人が多いけれどね」
関西だからです、とはいっても最近では阪神ファンは全国に広まっています。
「それでもね」
「巨人ばかり言いますよね」
「僕も巨人のことが気になるけれど」
「それでもですよね」
「うん、どうにかしようと思ったら」
阪神を本当の意味で最高に強いチームにしようと思ったらです。
「広島に勝ち越すことだよ」
「そうなりますけれど」
「また負けたからね」
「巨人には今年まだ一敗もしてないのに」
「昨年は一敗しかしていなくてね」
「広島にだけ負け越してですから」
「そこをどうにかしないと」
先生は段々深刻なお顔になってきました、阪神のことを真剣に想うが故に。
「阪神は真の意味で最強のチームじゃないよ」
「というか阪神って案外ころって負けるよね」
「そうそう、いつもね」
「強いけれどね」
「信じられない負け方したりね」
「ミスが失点にかなりの確率でつながるしね」
動物の皆もここで言います、皆先生より早起きしてそうしてもう御飯を食べる為にスタンバイしているのです。
「こっちのチャンスが潰れるとね」
「その次のイニングで相手チーム決勝点入れたり」
「ここぞって時にホームラン打たれたり」
「エラーはタイムリーエラーだったりね」
「何かあるチームだね」
先生も感じていることでした。
「阪神はね」
「というか祟りあるんじゃ」
「祟られてるんじゃ」
「それで負けてるんじゃない?」
「変なことが起こったりね」
「そうも言われているね」
ここでこんなこともお話した先生でした。
「ケンタッキーのおじさんの呪いとか」
「ああ、あれだね」
ガブガブはそのお話を聞いて言いました。
「ずっと昔の日本一の時のことだよね」
「ケンタッキーのおじさん道頓堀に入れたのよね」
ダブダブも言います。
「ファンの人が道頓堀に飛び込んでる時に」
「ああ、あのお話だね」
トートーはこのお話を知っていました。
「近くのケンタッキーのお店のあのおじさん入れたのよね」
「何かあれだよね」
ジップも知っているお話でした。
「当時大活躍していた人に似てるから一緒に入れてあげようってなって」
「バースだね」
ホワイティも皆もその人の名前を知っています。
「あの最高の助っ人だよね」
「バースに似てるとか言って入れたら」
ポリネシアが言うことはといいますと。
「そのまま浮かんでこなくて」
「それからずっと呪われてるんだよね」
「阪神におかしなことばかり起こって」
チープサイドの家族もこうお話をします。
「ずっと最下位だった時期もあったり」
「スキャンダルが続出したり」
「それで今もここぞって時に負けたりするとか」
「そんなお話だよね」
オシツオサレツも二つの頭でお話します。
「ケンタッキーのおじさんのお話って」
「確か」
「何ていうかね」
老馬もしみじみとして言います。
「そのせいでああっていうのは」
「阪神らしいと言えばらしいかな」
チーチーは考えながら言いました。
「このことも」
「けれどね」
「そんな呪いのせいでああだってしたら」
「どうもね」
「何それってお話だよ」
「そうだね、まあ阪神はそのお話以前からだけれど」
そうした信じられない負け方やこちらのミスが確実に決定的な敗北につながっているというのです。
「甲子園に魔物がいるともいうし」
「ああ、言うね」
「高校野球の時から」
「そういえば」
「そんなこともあるね」
「そうよね」
動物の皆はこのお話も知っていました。
「それで阪神にも影響してるとか」
「阪神の本拠地甲子園だし」
「あと夏にはその甲子園使えないし」
「高校野球の時には」
「どうしてもね」
「うん、そうしたこともあるから」
それでというのです。
「阪神はああなのかな」
「深刻な問題ですね」
トミーも阪神ファンになっているので思うのでした。
「これはまた」
「そうだよね、僕もそう思うよ」
「魔物にケンタッキーのおじさんですね」
「その二つが大きいね」
「夏の高校野球もですね」
「それもね」
こちらの問題もというのです。
「本当に」
「それで広島にもだとすると」
「困ったことだよ」
「阪神が勝ちますと」
トミーは真剣なお顔で言いました、今日の朝御飯は納豆です。そしてメザシや梅干しもちゃんと出ています。
「皆元気が出ますからね」
「日本全体がね」
「はい、それでお仕事にも励んで」
「そうしてね」
「日本全体がよくなりますよね」
「そうなんだ、阪神が強い年は絶対にね」
それこそというのです。
「日本も景気がいいんだよ」
「そうなんですよね」
「そして日本の世界での位置を考えると」
「日本が元気だとですね」
「特に太平洋に影響するんだ」
日本が縁の下で支えているこの広大な地域にというのです。
「凄くね、だからね」
「是非ですね」
「うん、阪神は勝つべきなんだよ」
「太平洋地域は世界の半分ですし」
「その半分がしっかりしているとね」
「世界にもいいですし」
「だからね」
是非にと言う先生でした。
「阪神はね」
「勝った方がいいんですね」
「巨人が勝ってもね」
「あっ、何の影響もないですね」
「いいことはないんだよ」
それこそ何一つというのです。
「景気もよくならないしね」
「日本も元気にならないですし」
「そう思うとね」
「巨人よりも阪神ですね」
「そうだよ」
その通りと答えた先生でした、ここで皆で朝御飯を食べはじめます。
「まさにね」
「本当にそうですよね」
「阪神が勝ったら日本そして世界にも影響するよ」
「そうですよね」
「だからね」
「阪神は強くあるべきですね」
「全くだよ、巨人は本当にね」
新聞では何と横浜に四十点取られて惨敗しています、しかも今シーズンの勝率は一割八分代という有様です。
「弱くていいけれど」
「阪神はですね」
「世界にもいい影響を与えるからね」
「強くない駄目ですね」
「そう思うよ」
こうお話しつつです、先生達は朝御飯を食べました。
そしてです、学校に入るとでした。
先生は講義をした後でご自身の研究室に戻ってから植物園のことを考えました。
そしてです、こう言いました。
「今度は農業科に行こうかな」
「高等部のね」
「そこに行くんだ」
「そうするんだ」
「うん、そうしようかな」
皆にも答えます。
「ここは」
「ふうん、それじゃあだね」
「今からだね」
「またあの森の道を通って」
「そうしてだね」
「その時は」
「うん、行ってね」
そしてというのです。
「植物園のことでのヒントを探そうか」
「それじゃあね」
「今から行こうね」
「そうしようね」
「今から」
「うん、それじゃあね」
皆も頷きました、こうしてでした。
先生達は今度は高等部の農業科に行きました、するとこちらも大学の農学部程ではありませんでしたが。
かなり充実していました、田んぼもビニールハウスもあります。そして畜産の施設も充実しています。
その中で厩舎を見てです。皆は言いました。
「いい厩舎だね」
「よくお掃除もされてるしね」
「馬草も新鮮だし」
「いいね」
「本当にね」
「うん、この学園は乗馬部もあるけれどね」
先生も応えて言います。
「それで普通科の厩舎は見たことがあったけれど」
「ここの厩舎もね」
「いいよね」
「うん、そうだね」
「ここの厩舎もね」
「かなりいいよ」
「そして馬は」
先生は厩舎にいるその馬も見ました、ここにいる馬はといいますと。
「道産子だね」
「北海道のお馬さんだね」
「小さいけれど力が強くてね」
「とてもしっかりしてるのよね」
「うん、道産子がいるなんてね」
先生はその道産子達を見て目を細めさせています。
「いいね」
「あっ、ドリトル先生じゃない」
「はじめまして」
その馬としては小さいですが確かに身体つきはしっかりしていて頑丈そうな道産子の子達も先生に挨拶をしてきました。
「ここにははじめて来たのかな」
「この厩舎の傍には」
「そうなのかな」
「農業科に来たこともあまりなかったけれど」
先生は道産子達に答えました。
「ここに来たのはね」
「はじめてなの」
「そうなんだね」
「先生は」
「うん、そうなんだ」
こうお話するのでした。
「本当に」
「そうですか」
「それじゃあじっくり見ていってね」
「中に入ってもいいし」
「これを機会に親睦を深めましょう」
「宜しくね、しかし本当にね」
今度は厩舎の中を隅から隅まで見て言った先生でした。
「この厩舎は奇麗だね」
「皆が奇麗にしてくれているんだ」
「学生の皆がね」
「だからだよ」
「虫も少ないね」
先生はこのことにも気付きました。
「そうだね」
「うん、実は蜻蛉が多くてね」
「この厩舎の近くにお池があってね」
「そのお池はヤゴが多くてね」
「だから蜻蛉も多いんだ」
「蜻蛉が多いとね」
だからと言う線でいした。
「蜻蛉が虫を食べてくれるから」
「だからここは虫が少ないんだ」
「厩舎にもよく入ってくれてね」
「それで蚊とか蠅を食べてくれるからね」
「成程ね、これは意識してだね」
先生はどうしてこの厩舎とその周りに蜻蛉が多いのかわかりました。
「お池にヤゴを放っているのかもね」
「そうしてなんだ」
「そのヤゴが成長した蜻蛉に虫を食べさせてなんだ」
「僕達が駒rな愛様にしているんだ」
「そうなんだ」
「そうかも知れないよ、あと蜘蛛も多いかな」
先生はふと傍の壁に蜘蛛が一匹いたのを見て言いました。
「そうかな」
「あっ、結構多いよ」
「この辺りは蜘蛛もね」
「ジョロウグモもクサグモもね」
「あとジグモもいるし」
「そちらも多いのよ」
「じゃあ蜘蛛も多くなる様にしているのかな」
この八本足の虫によく似た生きものもというのです、蜘蛛は昆虫ではないことは図鑑でも書かれています。
「これは」
「ああ、蜘蛛もね」
「悪い虫食べてくれるから」
「数いるとね」
「有り難いわよね」
動物の皆も頷きます。
「道産子さん達を困らせる虫もいるけれど」
「その虫を食べてくれる虫もいる」
「食物連鎖の中でね」
「そうした虫もちゃんといるね」
「そうした虫が多くなる様にしているかな、これは」
ここでまた言う先生でした。
「農業科の先生に聞いてみようかな」
「実際にそうなのか」
「そのことをだね」
「聞いてみるんだね」
「そうしようかな」
こうしてです、先生は実際に近くで学校の中を見回って異常はないかチェックしていた農業科の教頭先生に尋ねました。すると教頭先生もすぐに答えました。
「はい、実は」
「そうしてるんですか」
「そうしてです」
「害虫を駆除しているんですか」
「蜻蛉や蜘蛛を育てて」
「そしてですね」
「ヤゴや子蜘蛛を自然の中に放っています」
お池等にです。
「そうしています」
「だからですね」
「はい、農業科には結構蜻蛉や蜘蛛が多いんです」
「彼等に害虫駆除をしてもらっていますか」
「どちらも役に立ってくれています」
蜻蛉も蜘蛛もというのです。
「そうしてです」
「害虫が少ないですか」
「蚊や蠅が」
「それはいいことですね」
「あと雀は駆除していません」
教頭先生は先生と一緒にいるチープサイドの家族も見ながらお話をしました。
「特に」
「お米を食べてもですね」
「それはあれです、音や案山子で対処しています」
「昔ながらのやり方ですね」
「確かに雀はお米を食べますが」
折角の収穫をです。
「ですがそれでもです」
「それ以上にですよね」
「害虫を食べてくれますので」
だからだというのです。
「彼等は特にです」
「駆除をしないで」
「食べてもらっています」
その害虫達をというのです。
「そうしてもらっています」
「それはいいことですね」
先生もお話を聞いてにこりとなりました。
「農学部のアイガモ農法と一緒ですね」
「そうですね、うちは主に虫ですが」
「農薬よりもですか」
「勿論農薬も使っていますが」
「それと一緒にですね」
「農薬は多少弱くして」
そのうえでというのです。
「蜻蛉達を増やしてです」
「害虫を駆除していますか」
「蜻蛉はいいですよ」
笑顔でお話する教頭先生でした。
「いつもお空を飛んで蚊や蠅を捕まえて」
「そして食べてくれるからですね」
「有り難いですよ」
「そして蜘蛛もですね」
「そうです、実はです」
ここでこんなこともお話した教頭先生でした。
「今日本では獣害が問題になっていますね」
「猪や鹿が田畑を荒らしてですね」
「はい、何かと」
「それは何故かというと」
「彼等に天敵がいなくて増え過ぎて」
「それで餌を求めてですね」
「田畑に出て来ています」
日本で起こっている問題の一つです。
「昔は彼等にも天敵がいました」
「ニホンオオカミですね」
「先生が再発見してくれた」
「昔は日本全土にいましたね」
「はい、山に」
日本の山のあちこちにです。
「そうして獣を狩ってその分獣害を抑えてくれていました」
「日本では狼は有り難い存在でしたね」
「田畑を荒らす獣を食べてくれるんですから」
農耕がとても大きな重点を占めていた日本なら尚更です。
「それならです」
「そんな有り難い獣はいなかったですね」
「はい」
その通りというお返事でした。
「まさに」
「そうでしたね」
「ですからニホンオオカミがいなくなり」
本当に絶滅したと思われてです。
「そしてでした」
「獣害が増えたのですね」
「猟師の人達もいてくれますが」
「人手の問題もありますしね」
「この問題もありまして」
「やはり獣を食べてくれる存在が必要ですね」
「それも自然の中に」
生態系にというのです。
「本当に今日本は獣害が問題です」
「何かとですね」
「そうです、田畑において」
「そしてそのことからですか」
「我が校では虫はそうして対処することにしています」
蜻蛉や蜘蛛を養殖して外に放ってというのです、お話をする先生達の周りにも蜻蛉が数匹すいすいと飛んでいます。
「こうすれば自然にですから」
「虫が減りますね」
「お池にボウフラもいますが」
蚊の幼虫です、これが成長して蚊になるのです。
「ヤゴ達が食べてくれますし」
「このこともいいことですね」
「はい」
まさにというのです。
「お池にいるボウフラの段階でも食べてくれるので」
「そのこともいいことですね」
「あと実は」
「実は?」
「ミズグモも養殖していまして」
「あのクモもですか」
ミズグモと聞いてです、先生は思わず声をあげました。
「かなり奇麗なお水でないといないですよね」
「ミズカマキリやタイコウチも。大学の農学部の協力を受けて」
「そうしてですか」
「要職してです」
「お池にですか」
「放ってもいます」
「水棲昆虫もとは」
先生は驚きを隠せないお声のまま教頭先生に応えました。
「凄いですね」
「はい、こうした昆虫もいると、ですね」
「素晴らしいと思いまして」
そうしてというのです。
「養殖を進めています」
「そうですか」
「タガメもそうですし」
「あの昆虫もですか」
「そうしています」
「素晴らしい、宜しければまたこちらにお伺いしても宜しいでしょうか」
「どうぞ」
教頭先生は先生に笑顔で答えてくれました。
「そうされて下さい」
「それでは」
「はい、とにかく今はです」
「昆虫には昆虫ですね」
「我が校ではこうしています」
「いいことですね」
「ただ教訓も忘れていません」
その忘れていない教訓はといいますと。
「マングースのこと等です」
「ああ、沖縄の」
「あれは残念な状況ですね」
「はい、僕も沖縄に行ったことがありますが」
先生もマングースのことをお話します、実はマングースは沖縄には最初はいない生きものなのです。
「マングースは蛇を食べることで有名ですが」
「それでもですよね」
「はい、沖縄はハブです」
「ハブの害が問題になっていて」
「ハブ問題解決の為にマングースを持ち込んだら」
これがだったのです。
「ハブを食べずに天然記念物を襲って」
「大変なことになっていますね」
「コブラは襲うのに」
インド等本来いる場所ではそうですが。
「ハブを食べないで」
「鼠もですね」
「ヤンバルクイナ等を襲うので」
沖縄にいる稀少な生きもの達をです。
「問題になっていますな」
「困ったことに」
そうだというのです。
「何かと」
「それで、ですね」
「このことを教訓として」
そうしてというのです。
「ことにあたっています」
「成程」
「こうしたことは机上の学問ですと」
教頭先生は先生にこうもお話しました。
「よく間違いが起きて」
「沖縄のマングースの様になりますね」
「外来種の持ち込みは特に」
「そういえば日本では他にも」
「ブラックバスやブルーギルもでしたね」
「深刻な問題になっています」
こちらのお魚のこともというのです。
「ザリガニや亀もですが」
「アメリカザリガニが多くなりミドリガメも増えて」
「日本本来の種類よりも多くなったり」
「そうしたこともあるので」
「はい」
それでというのです。
「困ったことになっています」
「それでなのですね」
「はい」
まさにというのです。
「最近ではワニガメ等もいる始末です」
「ペットを無責任に捨てたのでしょうね」
「そのせいか」
「そうした生きものも増えていますね」
「そうなっています」
「ペットを捨てることは危険です」
先生はこのことは真面目にお話しました。
「我が国でも問題になっていまして」
「イギリスでも」
「そうなのです、ピューマ等猛獣を捨てて」
「猛獣ですね、本当に」
ピューマと聞いてです、教頭先生も驚いています。
「ワニガメも大変ですが」
「ピューマは余計にですね」
「そんなものを無責任に捨てると」
「それで社会問題になっていました」
「そうなるのも当然ですね」
「ですから日本のこの問題は僕もわかる気がします」
先生にしてもというのです。
「我が国のこともありますので」
「そうでしたか」
「ブラックバスやブルーギルは本当に困ってますよね」
「そうです、食用にと考えていましたが」
「それがですね」
「どうも無責任な釣り人達が自分達が釣る為にです」
「日本各地に放流したそうですね」
先生はこのことも知っていました。
「その結果として」
「それで増えてしまい」
「日本全体にいる様になって」
「生態系を乱しています」
「そうでしたね」
「どうしたものか」
本当に困ったお顔で言うのでした。
「このことは」
「それですね」
「はい、どうすべきか」
「今どの人も頭を悩ませていますね」
「まことに、このことも教訓にしまして」
「蜻蛉や蜘蛛をですね」
「養殖して放っています」
こう先生にお話するのでした。
「今も」
「そういえばどの蜻蛉も蜘蛛も在来種ですね」
「日本に昔からいる種類です」
「そして数もですね」
「多過ぎない様にしています」
「多過ぎても問題ですからね」
「その場合は鳥達に食べられますが」
その蜻蛉達がです。
「それでもあまりです」
「多過ぎない様にですね」
「養殖して放っています」
「そうでしたか」
「そうしますと本当に減りました」
害虫達がというのです。
「それも飛躍的に、例えば草刈等をしていても」
「その時にですね」
「私達や学生諸君の上に蜻蛉達が飛んでくれて」
「害虫達を食べてくれるので」
「有り難いです」
まことにというのです。
「本当に」
「そうですね、お仕事をしていても蚊に襲われると」
「困りますから、あと夜は」
この時間帯はといいますと、蚊が一番活発に動き時です。
「実は蝙蝠達が出てくれています」
「蝙蝠ですか」
「虫ではないですが」
「この学園には蝙蝠も出ますか」
「実は生息していまして」
夜行性の空を飛ぶ哺乳類の生きものもというのです。
「それで出てくれて」
「蚊を食べてくれるんですね」
「有り難いです、ですがこの前」
ここで苦笑いになってお話した先生でした。
「ルーマニアから留学してきている子がそのお話に仰天しました」
「あっ、ルーマニアといえば」
「吸血鬼ですね」
「ドラキュラ伯爵のお国ですね」
「はい、ですから」
このことがあってというのです。
「元々東欧は吸血鬼のお話が多くて」
「蝙蝠は吸血鬼の使い魔だったり吸血鬼が変身したりしていますからね」
「吸血鬼かって驚いていました」
「日本では違いますけれどね」
「どちらかというと福です」
こちらになるというのです。
「そちらの方の獣とです」
「考えられていますね」
「はい、そしてブラジルからの留学生の子も驚いていました」
「ブラジルではチスイコウモリですね」
「日本にもいるのかと」
「あの蝙蝠は実は珍しいですからね」
血を吸う様な蝙蝠はです。
「実は」
「ブラジル等だけで」
「はい、蝙蝠も種類は多く」
先生もよく知っています、流石はあらゆる生きもの達とお友達ではありません。だから蝙蝠のことも知っているのです。
「様々なものを食べ」
「血を吸う種類は」
「あの蝙蝠だけで」
「生息地域もですね」
「限られています」
中南米の一部だというのです。
「日本には生息していません」
「はい、しかしです」
「ブラジルにはいるので」
「日本にもかと驚いていました」
「そうだったのですね」
「はい、そして」
さらにお話する教頭先生でした。
「私も彼等に説明しました」
「日本の蝙蝠のことを」
「本当に日本ではです」
「蝙蝠はかえって有り難い生きものとしてですね」
「考えられています、吸血鬼の要素もなく」
そうしてというのです。
「血もです」
「吸いませんね」
「はい」
そうだというのです。
「これが」
「そして狂犬病もないですね」
チスイコウモリは血を吸う際にこの恐ろしい病気を感染させることがあります、だから恐れられているのです。
「チスイコウモリからは」
「そうです、日本ではもう狂犬病は」
「なくなったと言っていいですね」
「かなり気をつけています」
飼い犬達への予防接種も気をつけてです。
「本当に」
「そうですね、しかし蝙蝠までいて」
「夜も蚊が減っています」
こう先生にお話するのでした、そしてその他にも色々とお話をしてです。
先生は教頭先生と別れて研究室に戻りました、その途中に動物の皆が言いました。
「いや、蝙蝠もいるんだ」
「そうなのね」
チープサイドの家族が最初に言いました。
「この学園には」
「動物園にもいるけれどね」
「それで夜になると出て来て」
ガブガブも言います。
「蚊を食べてくれるんだね」
「蚊は夜に一番元気になるからね」
ジップもこのことに困っています、特に夏に。
「うちでも蚊取り線香とか出すけれど」
「それでも食べてくれる生きものがいたら」
トートーも言います。
「それに越したことはないね」
「そうそう、害虫を食べてくれるならよ」
ダブダブもそれならと言い切ります。
「こんな有り難い存在はないわ」
「だから高等部の農業科では蜻蛉や蜘蛛を増やしてるのね」
ポリネシアの口調は感心しているものです。
「いいことね」
「人手よりも生きものの手を借りる」
ホワイティの考えはしっかりしています。
「それ確かにいいね」
「うん、合理的っていうかね」
チーチーはあえてこの表現を使いました。
「頭のいいやり方だよ」
「あれだね、アイガモ農法と同じだね」
老馬は昨日農学部で見たものを思い出しました。
「害虫を食べてもらうのなら」
「害虫は農薬より食べてもらう」
「有効な手なのは間違いないよ」
オシツオサレツも二つの頭でお話します。
「実際にね」
「これはいいね」
「そうだね、本当にね」
先生も皆のお話に頷きます。
「僕もそう思うよ」
「うん、考えてるよね」
「無闇に農薬を使い過ぎるよりもね」
「虫に任せる」
「虫には虫で」
「そして蝙蝠さん達もいてくれてるし」
「そうした生きもの達の力も借りる」
皆しみじみとした口調で言うのでした。
「本当にね」
「何かといいね」
「蜻蛉があれだけ飛んでるとね」
「確かに蚊も蠅もいなくなるわ」
「うん、いいことを学ばせてもらったよ」
先生はにこにことして言いました、そしてです。
皆のです、こうも言ったのでした。
「それで今日のお昼だけれど」
「うん、何を食べるの?」
「先生は今日は」
「何を食べるのかしら」
「虫のお話をしたけれど」
それでもというのです。
「また別のを食べるよ」
「まあこの学園も虫料理はないけれどね」
「そういうのは」
「色々なお料理があっても」
「それでもね」
「そうだよね、それで食べるのは」
それは何かといいますと。
「サラダとミネストローネにするよ、マカロニを沢山入れた」
「あっ、いいね」
「お野菜がたっぷり入った」
「あれを食べるの」
「とても大きな鱈のムニエルとね」
こちらもというのです。
「そしてデザートはフルーツの盛り合わせにするよ」
「いいわね」
「じゃあそのメニューを楽しんで」
「美味しく栄養補給ね」
「そうするよ、勿論皆もだよ」
今も一緒にいる動物の皆もというのです。
「僕と同じものを食べるよね」
「勿論だよ」
「皆でミネストローネ食べましょう」
「当然サラダとムニエルも」
「最後のデザートも」
「ミネストローネにはチーズをたっぷり入れよう」
このことについてもお話する先生でした。
「熱いその中にね」
「いいね、チーズがミネストローネの中に溶けて」
「とてもいい味になるよ」
「何か聞いているだけでね」
「今から楽しくなってきたよ」
「そうだね、しかしこの学園のムニエルは」
このお料理のことにもお話をした先生でした。
「オリーブオイルで焼いているね」
「そうそう、塩胡椒と使ってね」
「あっさりと味付けしてね」
「おソースかけてるね」
「こちらも美味しいんだよね」
それも凄くというのです。
「いい味だよ」
「そうだよね」
「日本人好みの味っていうか」
「凄く食べやすくて」
「とても美味しいわよ」
「そうなんだよね、そしてフツーツはね」
最後のデザートはといいますと。
「林檎やオレンジ、パイナップルにね」
「それに?」
「苺もだよ」
このお野菜もというのです。
「昨日も食べたけれどね」
「今日もだね」
「美味しく頂くんだね」
「そうするのね」
「そうしようね」
こう皆に言うのでした。
「是非ね」
「うん、それじゃあね」
「皆で全部楽しみましょう」
「サラダもミネストローネもムニエルも」
「最後のデザートまで」
「今日も楽しくね。しかしいつも沢山食べていても」
それでもとも思う先生でした。
「イギリスにいる時より体重も脂肪率も減るなんてね」
「血糖値も安定してるしね」
「コレステロールだって低くて」
「血圧も適度だし」
「先生凄く健康よ」
「これは日本の食事のお陰だね」
こう結論付ける先生でした。
「しかもお酒を飲むのは夜だけになったしね」
「あっ、確かに」
「イギリスにいた時は朝からエールも普通だったけれど」
「周りも皆そうだったし」
「日本じゃ飲むのは夜だけだし」
「お水も美味しいしね」
「お茶だってね」
先生が大好きなこの飲みものもです。
「お砂糖あまり入れなくなった?」
「イギリスにいた時よりも」
「そのせいもあるかしら」
「それに毎日学校に行って歩いてるし」
「運動もしてるし」
スポーツは全くダメな先生でもです。
「そうしてるせいかしら」
「そのお陰もあって先生痩せたのかも」
「イギリスにいた時はずっと病院にいたけれど」
「自宅兼のね」
つまり当時の先生は引き篭りに近かったのです、お客さんが来なくなってしまったその病院の中で。
「その時と比べたら」
「出勤してこうして歩いて」
「そうしてるし」
「毎日お風呂にも入って」
「そのせいかね」
そうしてというのです。
「痩せて健康になったね」
「そうだね」
「イギリスにいた時よりも」
「食事もヘルシーになったし」
「日本のお食事を食べてね」
「そうだね、特にお野菜とお魚を食べることが多くなったね」
トミーも実際そうしたお料理を増やしています。
「お刺身だって食べるしね」
「あれいいよね」
「あんな美味しいお魚の食べ方ないわ」
「噂には聞いてたけれど」
「噂以上の美味しさで」
「そうだね、お酒にも合うしね」
このことも嬉しい先生でした。
「素敵な食べ方だよ」
「欧州にもカルパッチョあるけれど」
「昔のローマでも食べていたそうだし」
「それでもお刺身は日本ね」
「この国ならではだよ」
「僕もそう思うよ、ただね」
ここで皆にこのこともお話した先生でした。
「お刺身は元々中国のお料理だからね」
「あっ、そうなんだ」
「あの国のお料理だったんだ」
「そうだったの」
「そうだよ、昔の中華料理は生ものも食べていたんだ」
今と違ってというのです。
「火を多く使う様になったのは宋の時代からでね」
「それまではなの」
「お刺身食べてたの」
「中国でも」
「そうだったんだ」
「そうだったんだ、その宋の時代を書いた水滸伝でもね」
この小説でもというのです。
「お刺身が出ていたしね」
「へえ、そうだったんだね」
「中国でもお刺身食べていたんだ」
「それで小説にもなんだね」
「食べる場面が出ているんだ」
「今も海岸の方では食べているし」
そうしていてというのです。
「最近再び食べる様になったよ」
「ふうん、変わってきているんだ」
「中国でも」
「お刺身を食べるんだ」
「そうしてるの」
「そうだよ、それでね」
さらにお話した先生でした。
「お刺身も最初はなんだ」
「中国からで」
「中国でも昔はお刺身食べていて」
「今また食べる様になった」
「そうなんだね」
「そういうことなんだ、じゃあまたね」
先生は皆にまたお話しました。
「お刺身を食べよう、そしてね」
「今はね」
「お魚はムニエルね」
「それを食べましょう」
動物の皆も応えます、そして。
先生は笑顔で皆にこうも言いました。
「昨日のことと今日のことは僕にとっていいヒントになるかも知れないと思ったよ」
「ヒント?」
「植物園のことで?」
「そうだよ、最高のね」
ここでも笑顔でした、先生は植物園の問題に光明を見出したのです。