『ドリトル先生と和歌山の海と山』
第十二幕 夢の中で空海さんと
皆はキャンピングカーで高野山から神戸まで戻っています、車は高速に入ってそのうえでなのでした。
神戸にひたすら向かっています、その中で。
王子は晩御飯のお弁当を食べつつ自分と同じお弁当を食べている先生に言いました。
「いや、思ったよりもね」
「速くだね」
「お家に着けそうだね」
「そうだね、じゃあお家に着いたら」
その時のこともお話する先生でした。今は和歌山から凄い勢いで大阪に向かっています。風景はまだ和歌山ですが大阪には確かに向かっています。
「もうね」
「お風呂に入ってだね」
「ゆっくりと休むよ」
「寝るよね」
「うん、やっぱりね」
「人間寝ないとね」
「駄目だし僕もね」
先生は体質としてなのです。
「じっくり寝ないとね」
「駄目だよね」
「うん、調子がよくないから」
だからというのです。
「毎日ね」
「よく寝る様にしているね」
「そうなんだ」
まさにというのです。
「だから今夜もね」
「よく寝るんだね」
「そうするよ、あとね」
「あと?」
「いや、これまでの旅ではね」
先生のそれではというのです。
「特に不思議なことはなかったね」
「あっ、先生の旅ってね」
王子も長い間先生と一緒にいるのでこのことはよくわかっています。
「いつもね」
「うん、不思議なことが起こるよね」
「不思議なところに行ったりね」
「月だってそうだしね」
「そう思うとね」
まさにというのです。
「今回の旅はね」
「普通にはじまってね」
「普通に終わりそうだね」
「そうだね、後は安全にね」
事故なぞなくにというのです。
「そうしてね」
「神戸に着くだけだっていうんだね」
「今回は大阪も行かないしね」
それでというのです。
「このことは少し残念かな」
「王子は大阪好きだね」
「大好きだよ」
それこそと答えた王子でした、お弁当を食べながら。
「本当に」
「そうだよね」
「あんないい街はそうはないよ」
「賑やかで庶民的で活気に満ちていて」
「美味しい食べものが一杯あってね」
それでというのです。
「最高の場所だよ」
「そうなんだね」
「先生も大阪好きだよね」
「否定するどころかね」
「大いに肯定するね」
「あんな楽しい街はないからね」
だからとです、笑顔で答えた先生でした。
「だからね」
「それでだよね」
「うん、大阪にもまたね」
「行くよね」
「そうするよ」
先生は王子に笑顔で答えました。
「あの街にもね、そしてまた四国にも行きたいね」
「あっ、四国はでしたね」
トミーもお弁当を食べています、そうしつつ先生にお話しました。
「あちらも」
「そう、空海さんに縁があるね」
「空海さんの出身地でもあって」
「それでね」
まさにというのです。
「八十八ヶ所巡りもあるんだよ」
「そうでしたね」
「ああ、四国は前に行ったね」
ジップがここで言ってきました、勿論動物の皆も楽しく食べています。
「愛媛にね」
「あの時も色々あったね」
チーチーの口調はしみじみとしたものでした。
「坊ちゃんに狸さんにね」
「川獺さん達にね」
ガブガブも彼等を思い出しました。
「一杯色々なことがあったね」
「あちらは四国だし」
こう言ったのはホワイティでした。
「それで空海さんとも縁があるのね」
「そういえば八十八ヶ所の話あの時したかな」
「どうだったかな」
オシツオサレツはこのことはあまりはっきり覚えていませんでした。
「一体」
「松山のことはよく覚えてるんだけれどね」
「あの時は松山のことで頭が一杯でね」
老馬もその時のことを思い出します。
「そのことまで考えが行かなかったよ」
「空海さんのこともあの時はよく知らなかったわ」
ダブダブはこのことを残念に思いました。
「どうにもね」
「今回の旅で教えてもらったし」
今言ったのはポリネシアでした。
「八十八ヶ所のことも詳しく聞いたのは今回だしね」
「けれど次はね」
トートーはその時こそと思うのでした。
「そうしたことも頭に入れて四国に行きたいね」
「そうだね、八十八ヶ所巡りはお遍路といってね」
それでとです、先生は皆にお話しました。
「今も行われているよ」
「実際に八十八の場所を巡るの」
「そうしていくの」
「四国の中にある」
「そう、本当に八十八ヶ所あってね」
そうしてとお話する先生でした。
「四国を一周することになるんだ」
「お遍路として周りながら」
「そうしてなんだ」
「あちこちを巡って」
「そのうえで」
「そうだよ、そしてね」
そのうえでというのです。
「修行にもしているんだよ」
「ああ、歩いてだね」
「そうした場所を巡っていって」
「そうしてなんだ」
「修行にもなっているんだ」
「これもまた修行なんだ」
そうだというのです。
「真言宗のね」
「高野山に入るだけじゃないんだ」
「あそこで修業するだけじゃなくて」
「四国でお遍路をしてもなんだ」
「修行になるのね」
「そうなんだ」
まさにというのです。
「だからわざわざそれをする人もいるんだよ」
「今もなんだ」
「じゃあ四国に行けば」
「その時はだね」
「お遍路をしている人も見るんだ」
「そうなんだ」
「愛媛でもその人達はいたよ」
先生は覚えていて今お話しました。
「ちゃんとね」
「そうだったんだ」
「実は」
「愛媛にもいたの」
「お遍路の人達が」
「そうだよ、そしてね」
さらにお話する先生でした。
「愛媛から他の場所にも行くんだよ」
「そこからなんだ」
「さらになのね」
「愛媛以外の場所にも行って」
「八十八の場所を巡るの」
「そうなんだ、お遍路の人は独特の恰好をしていて」
先生はその人達の身なりのお話もしました。
「白くてお坊さんみたいなね」
「ああ、托鉢の時の」
「街でお経を唱えてる人時々いるわね」
「あの人達みたいな服装で」
「それで回るのね」
「そうなんだ」
このこともお話した先生でした。
「だから僕達も若しもだよ」
「お遍路に出た時は」
「仏教のお坊さんの恰好をして」
「そうしてだね」
「八十八の場所を巡るんだね」
「そうなるよ、ただ宗教的にね」
仏教だからだというのです。
「僕達はどうかな、出来るかな」
「出来るんじゃない?」
「日本だしね」
「お遍路の人多分真言宗じゃない人いるよ」
「日本の宗教だとね」
「それもあるよ」
「そうだね、日本だからね」
今回は先生が思うのでした、皆に言われて。
「そうしたことは極めて寛容だから」
「いけるんじゃない?」
「先生達がお遍路をしてもね」
「あと僕達もついていっても」
「そうしてもね」
「そうかもね、まあお遍路はね」
そちらはと思った先生でした。
「かなりの時間が必要だから」
「四国を歩くとなると」
「それこそね」
「かなりの時間がかかるね」
「あの島を一周となると」
「だからね」
時間の問題ではというのです。
「ちょっとないね」
「そうだよね」
「今回みたいな時は連休で行けるけれど」
「それでもね」
「四国を歩いて一周となると」
「時間がないよ」
まさにと言った先生でした。
「ちょっとね」
「そうだよね」
「まあフィールドワークでいけるかも知れないけれど」
「それでもね」
「時間はかなり必要だから」
「滅多に行けないね」
「うん、あとお遍路の時はね」
その時はとです、また言った先生でした。
「髪の毛は剃るからね」
「あっ、お坊さんみたいに」
「そうなるの」
「髪の毛についても」
「することがあるんだ」
「そのことは別にいいね」
先生としてはです。
「剃ってもまたね」
「生えるしね」
「先生髪の毛のことはあまりこだわらないし」
「外に出る時は整えてるけれど」
「ヘアスタイルに凝る方でもないしね」
「だからね」
それでとです、また言った先生でした。
「このことは特にいいけれどね」
「それでもだね」
「問題は時間だね」
「時間をどう取るか」
「お遍路については」
「そうなんだよね、まあ機会があればだよ」
またこう言う先生でした。
「お遍路に出る時はね」
「そうだよね」
「それじゃあね」
「また時間があれば」
「そうしようね」
「そうなるね、あとお遍路をしている人達がね」
先生はさらにお話をしました。
「空海さんを見たとかいうお話もあるよ」
「ううん、まだ生きているにしても」
「それでもね」
「お遍路にも行ってるとか」
「それはないんじゃ」
「幾ら何でも」
「僕もそう思うけれどね」
それでもというのです。
「けれどあるかもね」
「そうも思うんだ」
「先生にしても」
「ひょっとしたらって」
「そういう風に」
「うん、魂がね」
空海さんのです。
「高野山から出られてね」
「そうしてなんだ」
「お遍路に出ている人達を見守っている」
「そうもしているんだ」
「四国で」
「そうかも知れないね、こうしたお話は天理教にもあるからね」
日本で生まれたこの宗教でもというのです。
「学園にも教会があるね」
「うん、先生もあの教会によく行ってるね」
「それで天理教のお話も聞いてるね」
「それでだね」
「天理教でもなんだ」
「そうしたお話があるんだ」
「これは前にお話したけれど」
それでというのでした。
「あの宗教でもそうだね」
「あっ、そうだね」
「あの宗教の教祖様は身体はなくなったんだね」
うつしみをお隠しになったと天理教では教えています。
「そして魂がね」
「この世に残って」
「この世と世界の人達を助けてるんだね」
「そうなんだ、天理教の方が後に出て来たけれど」
平安時代初期の空海さんと比べてずっとです。
「けれどね」
「魂が残っているということはね」
「一緒なんだね」
「そして空海さんの魂が」
「お遍路に出ている人達も見守っている」
「高野山だけじゃなくて」
「そして日本もだろうね」
こうもお話した先生でした。
「何しろ高野山は日本を守護するお寺だから」
「ああ、日本のね」
「都の裏鬼門を護る」
「だからだね」
「日本を守護する為にも」
「日本のあちこちを回っているかも知れないんだね」
「天理教の教祖様と一緒にね」
中山みき、この方と同じ様にというのです。
「そうかも知れないよ」
「成程ね」
「そうかも知れないんだね」
「そう思うと空海さんって凄いね」
「魂はまだこの世にあって」
「日本を守護しているのなら」
「かなりの徳のある人だったからね」
それだけにというのです。
「仏教の教えによるとね」
「その可能性もあるんだね」
「じゃあお遍路でも」
「そして他のことでも」
「空海さんを見るかも知れないね」
こう言う先生でした、そしてです。
高速道路を進み大阪市内に入ったところで今度はこうしたことを言いました。
「もう大阪だよ」
「あっ、もうなんだ」
王子は大阪市内に入ったと聞いて声をあげました。
「本当に今日は早いね」
「そうだね」
「帰る時はね」
「何か行く時よりもね」
「速い感じがするね」
まさにというのです。
「どうにも」
「そうだね」
先生はお弁当のおかわりを食べています、王子もトミーも執事さんも動物の皆も食べられる人はどんどん食べています。
「僕もそう思うよ」
「実際に速く進んでいるけれどね」
「思っているよりもだね」
「凄くね」
まさにというのです、王子も。
「そう思えるよ」
「そうだよね」
「この調子だとね」
「神戸もね」
「すぐだね、僕達の家は神戸の西の端にあるけれど」
横に長いこの街のです。
「この調子だとね」
「すぐだね」
「うん、そうだね」
「お家に帰ったら」
また言う先生でした。
「お風呂に入るしね」
「それもゆっくりとだね」
「うん、ゆっくりと湯舟に入ってね」
そうしてというのです。
「旅の疲れを取って」
「寝るんだね」
「もう飲むこともね」
お酒が好きな先生もというのです。
「今日はね」
「しないんだ」
「そのつもりだよ」
まさにというのです。
「それで休むよ」
「じゃあ僕もそうしようかな」
「王子もだね」
「うん、今日はお風呂に入ったら」
王子のお家に戻ってです。
「そうしてね」
「ゆっくりと休むね」
「お酒を飲まないでね」
「そういえば最近毎日飲んでるしね」
旅行に行く前からです。
「だから余計にね」
「お酒を飲まない日もだね」
「作ってね」
そうしてというのです。
「肝臓も休めないとね」
「そうだよね」
「さもないとよくないよ」
お身体にというのです。
「そのこともあるしね」
「だから余計にだね」
「今日は飲まないで」
「お風呂に入ったら寝るね」
「そうするよ」
「そうした日があってもいいですよ」
トミーも先生のお言葉に頷いてきました。
「そうしてです」
「身体をいたわるんだね」
「そうしましょう、むしろイギリスにいた時よりもです」
お酒を飲む量はというのです。
「お酒を飲む量は減ってますし」
「そうみたいだね」
「はい」
確かにというのです。
「何しろイギリスにおられた時は朝からビールでしたから」
「お水みたいに飲んでいたね」
「むしろお水は飲まないで」
「ビールと紅茶ばかりだったね」
「それかエールか」
ビールでなければというのです。
「そうした状況だったので」
「その時と比べたらだね」
「お酒を飲む量は減っています」
「そうなんだね」
「休肝日も出来ましたし」
今日はそうなろうというその日もというのです。
「そうなっていますし」
「余計にだね」
「いいことです」
「よし、じゃあ今日は余計にね」
「休肝日にされますね」
「そうするよ、休んで」
お酒を飲むことをというのです。
「今日はゆっくり休むよ」
「それじゃあお風呂に入って」
「寝ようね」
「そしてまた明日ですね」
「そうさせてもらうよ」
笑顔で言う先生でした、そして皆で一緒に神戸まで帰ってです。王子は先生達をそのお家まで届けてです。
それからです、こう言ったのでした。
「じゃあ僕達もね」
「お家にだね」
「戻るからね、また学校でね」
「うん、またね」
先生達は王子と笑顔で手を振り合ってお別れをしました、そうしてお風呂に入って歯を磨いてから寝ました。
その日の夜です、先生は寝ているとふと誰かから声をかけられました、目を覚ますとそこはあの高野山の中でした。
ご自身が高野山の中にいるのを確認してです、先生はまずは首を傾げさせました。
「あれっ、高野山に戻ったのかな」
「夢の中ですよ」
さっき先生に声をかけた穏やかで優しい感じの男の人の声がまた言ってきました。
「今は」
「あっ、そうなんだね」
「はい、それで先生」
声はまた先生に声をかけてきました。
「宜しいでしょうか」
「何かな」
「はい、お話をしたいのですが」
ここで先生の前に一人の仏教のお坊さんが現れました、僧衣も袈裟も古い時代のものですがとても奇麗なもので大柄でしっかりとした身体つきの男の人でした。
そのお坊さんを見てです、先生はすぐにわかりました。
「弘法大師ですか」
「はい、空海です」
何と空海さんでした、空海さんは先生ににこりと笑って答えてくれました。
「先生とお話がしたくて参りました」
「僕の夢の中に」
「夢もまた世界の一つですね」
「現身はこの世界の半分で」
「はい、夢の世界はですね」
「もう半分でしたね」
「江戸川乱歩さんのお言葉ですね」
空海さんは先生に笑顔で応えました。
「そうでしたね」
「二十世紀の日本の推理作家の」
「あの人ともお話をしたことがあります」
「そうだったんですか」
「はい、そしてなのですが」
「僕にどうして会いに来てくれたのか」
「そのことをお話しに参りました」
空海さんの口調はとても穏やかです、その穏やかな口調のまま先生にお話するのでした。お二人は高野山の中を共に歩きながらお話をしています。
「拙僧が生きていると言われていましたね」
「聞いていることなので」
「その通りです」
「だから今もですね」
「先生の夢の中にお邪魔しています」
そうだというのです。
「この様に」
「そうでしたか」
「はい、確かに拙僧は即身仏となり」
「お身体はですね」
「高野山にありますが」
それでもというのだ。
「魂は違いまして」
「今もこの世におられてですね」
「高野山に入る僧達、出入りする信徒や観光客を見守り」
「お遍路もですね」
「それに励む人達も見守っていてです」
さらにお話する空海さんでした。
「日本もです」
「守護しておられるのですね」
「そうさせてもらっています」
まさにというのです。
「高野山はその為の寺ですし」
「都の裏鬼門だからですね」
「そうです、最澄殿と共に」
「伝教大師ともですか」
「生前はいざかいもありました」
ここで遠い目になり先生にお話した空海さんでした。
「先生もそのことはご存知ですね」
「はい、当初は親しく」
「最後はです」
「それが絶えてしまいましたね」
「私も愚かでした」
このことを悔やんでのお言葉でした。
「帝の寵愛を受け優れた弟子が来てくれて」
「それで、ですか」
「天狗になっていました」
「空海さんの様な方が」
「私もまだまだ修行が足りなかったのです」
「そうでしたか」
「あの方もそう言っておられます、しかし今は」
どうかといいますと。
「再びです」
「交流が戻ったのですね」
「魂が身体から離れてから、そして共にです」
「日本を護られていますか」
「そうさせて頂いています」
「お二人が共にそうされておられるとは心強いですね」
先生は空海さんのお言葉を聞いて日本は幸せな国だとも思いました。
「非常に」
「私だけではないですが」
「他の方々もですか」
「仏門の徒だけでなく神職そして公家の方々に武士と」
「多くの人がですか」
「上総介殿もですよ」
「織田信長さんも」
上総介と聞いてすぐにわかった先生でした、その人が誰かも。
「あの人もですか」
「今は我々と共にです」
「日本を守護されてるのですか」
「そうです、靖国の英霊達や幕末維新の志士の方々も」
「多くの人達がですか」
「日本を守護しているのです」
空海さんや最澄さんだけでなくです。
「そして拙僧はです」
「今もです」
「修行を続け」
そのうえでというのです。
「生きています」
「高野山もお遍路の人達も日本も守護する為に」
「そうさせて頂いています」
「そうですか」
「先生がお考えの通りです」
「そのことは確かだとですね」
「お話させて頂く為に参上しました」
まさにというのでした。
「こちらに」
「わざわざ有り難うございます」
「いえいえ、ではこれからもですね」
「はい、僕は学問を続けます」
先生は横に並んで歩いてくれている空海さんに微笑んでご自身のことからの思いをお話したのでした。
「そうしていきます」
「あらゆる学問をですね」
「学んでいきたいです」
「そうですか、では」
「仏教のこともです」
「学ばれますか」
「キリスト教徒ですが」
「いえいえ、それは構いません」
宗教の違いはとです、笑って答えた先生でした。
「特に」
「日本の考えですね」
「はい、日本ではそうですね」
「仏門にいても神職にあってもですね」
「互いを学べる国であり」
「信じることもですね」
「いいのですから」
だからだというのです。
「それで、です」
「このこともですね」
「構いません」
こう先生に答えるのでした。
「特に」
「そうですか」
「ですからこれからもです」
「学問に励みその中で」
「仏教も学んで下さい」
こちらもというのです。
「是非」
「ではその様にさせて頂きます」
「そうして学問の道を歩まれて下さい、それとですが」
空海さんはここで先生のお顔を見てです、こうも言ったのでした。
「先生は非常に素晴らしい運勢もお持ちですね」
「自分でも幸運だと思います」
先生は空海さんに笑顔で答えました。
「動物の皆もトミーも王子もいてくれますし」
「学問に励めて友人にも恵まれていて」
「そしてお仕事もありますので」
それで満足な生活も出来るからだというのです。
「ですから」
「それで、ですか」
「はい」
空海さんに満面の笑顔で答えた先生でした。
「キリスト教の神様にこれ以上はない幸運を頂いていると感謝しています」
「そうですか、ただ」
「ただ?」
「先生にはそれ以上の幸運がありますね」
こう先生に言うのでした。
「良縁があるかと」
「良縁ですか」
「拙僧はこの時代の僧侶ではないので縁がありませんでしたが」
こう前置きしてのお話です。
「しかしです」
「それでもですか」
「そうしたことはわかりますので」
良縁自体はというのです。
「それで見させて頂きましたが」
「僕にはですか」
「はい、良縁がありますね」
そちらの運もというのです。
「ですからこれからのことにご期待下さい」
「まさか」
先生はこのことについては空海さんにも笑って言うのでした。
「僕は女の人にはです」
「もてないのですか」
「そうしたことはこれまでです」
先生がご自身で思うにはです。
「なかったです、ですから」
「これからもですか」
「それだけはないです」
笑ったままでの返事でした。
「本当に」
「そうですか、しかし」
「空海さんがご覧になられたところでは」
「かなりの良縁があります」
そうだというのです。
「相に出ています」
「僕の顔の」
「そうです」
まさにそこにというのです。
「ですから」
「是非ですか」
「このことは信じて下さい」
「では」
「これからのこともです」
空海さんは先生にあらためてお話しました。
「学問に人生に」
「幸運もあるので」
「ご期待下さい、ではまた高野山に来られたら」
その時はというのです。
「お会いしましょう」
「それでは」
夢の中で空海さんに笑顔でお別れの挨拶をしてです、先生はここで目が覚めました。そして朝御飯を食べながらです。
皆にこのことをお話するとです、まずはトミーが言いました。
「そうですか、それはですね」
「空海さんは本当にね」
「今も生きておられるんですね」
「魂はね」
「そうですね、そして」
さらにお話するトミーでした。
「先生は運勢もですね」
「とてもいいとあってね」
「良縁もですね」
「空海さんに言ってもらってもね」
まさにあの人にでもというのです。
「こればかりはね」
「信じられないんですね」
「とてもね」
それこそというのです。
「ないよ」
「いや、空海さんの言われた通りですよ」
トミーは納豆をかけた御飯を食べつつ先生に答えました。
「先生には良縁がです」
「あるんだね」
「絶対に」
「そうかな」
「僕もそう思いますよ」
「というかない筈ないよ」
「そうそう」
動物の皆も言います、一緒に御飯を食べながら。
「それはね」
「先生は気付いていないけれど」
「すぐそこにあるよ」
「ちょっと見ればわかるから」
「私達いつも言ってるけれど」
「もうそれでね」
「空海さんの言ったことがわかるわよ」
こう先生に言うのです。
「まさにね」
「もうそれだけでね」
「先生は本当に良縁があるから」
「期待していてね」
「というか流石空海さんだね」
老馬はしみじみとして言いました。
「本当に」
「そうだね、人相見も出来るなんてね」
「噂通りの方ね」
チープサイドの家族も思いました。
「天才っていうだけあって」
「凄いね」
「まあそれ位はかな」
こう言ったのはチーチーでした。
「先生から聞いたお話を聞くとね」
「それ位は出来る人ね」
ポリネシアも空海さんについてはこう思うのでした。
「あの人は」
「それで人相見位はってことだね」
「そうだね」
オシツオサレツも二つの頭で言います。
「普通に出来る」
「そうなるね」
「その空海さんが太鼓判を押すなら」
まさにと言ったダブダブでした。
「私達も嬉しいわ」
「よし、じゃあね」
今言ったのはホワイティでした。
「先生もアタックだね」
「幸いプレゼントもあるし」
ジップはないなら買ってと言うつもりでした。
「それならば」
「よし、じゃあね」
トートーも言います。
「先生今日は学校に励んで行こうね」
「そうそう、学校に行って」
ガブガブもわかっています、先生と違って。
「すぐにプレゼントだよ」
「その為に一杯買ったんですから」
トミーも先生に言います。
「今日もですよ」
「皆が言っている意味がわからないけれど」
本当にわかっていない先生です、それも全く。
「とにかく今日学校に行ったらね」
「お土産をあげる」
「親しい人達に」
「そうするのね」
「是非ね」
こう言ってでした、そのうえで。
先生はまずは朝御飯を食べることにしました、その時にも梅干しがあってその梅干しを食べてこうも言いました。
「今もあるね」
「うん、梅干しはね」
「高野山で買ったやつだよね」
「まさにそれね」
「神戸に帰っても食べられるんだね」
「梅干しを」
「そうだね、これはね」
実にと言った先生でした。
「和歌山の梅干しだよ」
「その梅干しも食べて」
「元気に学校に行きましょう」
「元気出してね」
「そのうえで」
「そうしようね、梅干しはね」
しみじみとした口調でその梅干しを食べつつ言う先生でした。
「食べると元気も出るからね」
「そうだよね」
「梅干しって食べると元気も出るのよね」
「美味しいだけじゃなくて」
「元気も出る」
「そうした意味でも素晴らしいね」
「だからね」
それでというのです。
「今朝も食べようね」
「はい、僕も食べますね」
トミーもここで梅干しをお箸に取ろうとします、ですが。
中々掴めません、それで戸惑って言うのでした。
「あれっ、何か」
「掴みにくいんだね」
「さっき納豆を食べたせいですね」
「納豆のねばねばでね」
あの独特の糸のせいでというのです。
「やっぱりね」
「はい、どうにもです」
「掴みにくいんだね」
「これは困りました」
「そうした時はまずはね」
お味噌汁を飲んでお話する先生でした。
「こうしてね」
「お味噌汁で、ですね」
「お箸をお味噌汁の中に入れて」
そうしてというのです。
「ぬめりを取るとね」
「いいんですね」
「そうすればいいよ」
「じゃあそうさせてもらいます」
「朝に納豆に梅干しにね」
それに卵焼きに海苔もあります。
「これはいいね」
「そうですよね」
「いい朝御飯だよ」
「日本の」
「何か僕もね」
食べつつ思う先生でした。
「どんどん日本に馴染んできているね」
「そうですね、何か今の先生は」
「今の?」
「完全に日本人になっていますよ」
そうした風になっているというのです。
「本当に」
「そうなんだね」
「お箸の使い方も上手ですし」
見ればちゃんとした持ち方で器用に使っています。
「食べる姿勢も」
「それもなんだね」
「もう完全にです」
「日本人のものになっているんだね」
「それも礼儀正しい」
ただ日本人みたいでなくというのです。
「そうしたです」
「それは何よりだね」
「ではですね」
「うん、今もね」
「納豆も梅干しも卵焼きもですね」
「海苔もね」
こちらもというのです。
「食べてね」
「学校に行かれますね」
「そして皆にお土産を届けるよ」
「日笠さんにもですね」
「そうするよ」
こう言った瞬間にでした、先生の携帯から着信の音楽が鳴りました。日本の曲であるさくらさくらです。
それを見るとです、日笠さんからのメールでして。
「高野山はどうでしたかとね」
「日笠さんからですか」
「メールがあったよ」
「じゃあすぐにですね」
「うん、楽しかったってね」
携帯の文字を打ちはじめつつ言う先生でした。
「連絡をするよ」
「それは何よりよ」
ここでサラがお部屋に入ってきて先生に言ってきました、見ればいつものサラの服装です。昔ながらのイギリスのレディーの服です。
「今着たけれどね」
「ああ、サラおはよう」
「おはよう、それでね」
さらに言うサラでした。
「その日笠さんって人にもはね」
「サラはまだ会ってないよね、日笠さんとは」
「確かね、けれどね」
サラは先生にすぐに答えました。
「お話は聞いてるから」
「そうだったね」
「ええ、だからね」
お部屋に入ってから言うサラでした。
「いいわね、日笠さんにはね」
「お土産をだね」
「真っ先に贈るのよ、それも他の人よりずっといいものを」
「お土産はもう買ってるよ」
先生は席に座ったサラにのどかに答えました。
「高野山でもね」
「他の人よりもずっといいものよね」
「皆に言われてね」
そしてと言う先生でした。
「そうしたよ」
「皆はわかってるわね」
ここで先生は、と言わないのがサラの優しさでしょうか。
「ちゃんと、じゃあいいわね」
「日笠さんにだね」
「そう、今から学校に行くのよね」
「そうだよ」
「研究室に入る前にね」
もうそれよりも早くというのです。
「いいわね」
「動物園の日笠さんのところに行って」
「そしてよ」
まさにというのです。
「お土産を直接渡すのよ」
「僕の手でだね」
「これでさらによくなるから」
「よくなるって何が?」
「そのうちわかるわよ、全く兄さんは昔からこうなんだから」
プリプリと怒って言うサラでした。
「私も苦労するわ」
「病院が動物の皆ばかりで人の患者さんが来なくてね」
「そっちの苦労じゃないの」
「じゃあどういう苦労かな」
「それがわから駄目なのよ」
先生はというのです。
「本当にね、とにかくね」
「学校に行くとだね」
「まず日笠さんによ」
「お土産をだね」
「直接届けるのよ」
「それじゃあそうするね」
先生は全くわからないままサラに頷きました、そのうえでサラの分のお土産を手渡してそうして言いました。
「これはサラの分だよ」
「あっ、有り難う」
自分のお土産には笑顔になったサラでした。
「頂くわね」
「お菓子もあるし他のもあるよ」
「そうなのね」
「梅干しもあるからね」
「あのすっぱいお漬けものね」
「楽しんでね」
「ええ、ただ梅干しはイギリスではね」
どうにもと返すサラでした、微妙なお顔になって。
「食べるのが難しいわね」
「ははは、イギリスのお料理には合わないからね」
「けれど和食を食べる時もあるし」
「お家でそれを食べる時にでもね」
「頂くわね」
「そうしてね、ご主人と子供達と一緒にね」
笑顔で言う先生でした、そうして朝御飯を食べてまずは日笠さんのところに行くのでした。
ドリトル先生と和歌山の海と山 完
2018・1・11
今回の旅も無事に終わったか。
美姫 「最後の最後に不思議な体験をまたしたわね」
だな。でも、悪い事じゃなかったし。
美姫 「確かにそれは良かったわね」
で、例によって妹にも念押しされてるな。
美姫 「本当に異性関係だけは非常に疎いわね」
頑張れ、日笠さん。
美姫 「今回のお話も楽しませて頂きました」
投稿ありがとうございました。