『ドリトル先生と和歌山の海と山』




               第九幕  壇場伽藍

 先生達はお墓地から高野山で最も有名な場所の一つである壇場伽藍の前に来ました。その大きな木造の建物を見てでした。
 王子はしみじみとしてです、こう言いました。
「いや、いつも思うけれど日本の建物はね」
「木造でだよね」
「独特の建築様式だよね」
「中国も木造だけれどね」
「日本と中国はまた違うよね」
「そうだね、中国の建築にも独特の美があってね」
「日本もね」
 王子は先生にお話しました。
「独特のよさがあるよね」
「そうだね、この建物にしてもね」
「ここが高野山で最も大事な場所だよね」
「そうだよ、奥の院と並ぶね」
 まさにというのです。
「高野山の二大聖地だよ」
「そうなんだね」
「ここは空海さんが直接創建した場所なんだ」
 その空海さんご本人がというのです。
「曼荼羅の思想に基づいてね」
「密教のあれだね」
「そう、仏教の宇宙観がそのまま描かれているんだ」
 曼荼羅、それにはというのです。
「大きいもので二つあるよ」
「二つあるんだ」
「胎蔵界と金剛界のね」
 この二つがあるというのです。
「胎蔵界は女性、金剛界は男性とも言われているよ」
「ううん、何か難しそうだね」
「実際に僕も今学んでいるけれど」
 それでもと答えた先生でした、先生はその中に入りつつさらにお話をしました。皆で建物のその中に入って見回っています。
「やっぱりね」
「難しいんだね」
「仏教の中の密教という宗派の極意だからね」
「それが描かれているからだね」
「その極意を知るということだから」
「余計にだね」
「難しいんだ」
 こう王子と皆にお話しました。
「これがね」
「そうなんだね」
「そしてここはね」
 この檀場伽藍はというのです。
「高野山全体の総本堂でもあるんだ」
「ああ、曼荼羅の思想に基づいて建てられていて」
「そう、まさにここが中心なんだ」
「そうした場所なんだね」
「様々な銃様な行事も行われるし」
「成程ね」
「だから高野山に来たらね」
 まさにというのでした。
「僕達は先にお墓地をじっくり見たけれど」
「本当は最初になんだ」
「ここを見て回るべきだったかな」
「順番が違ったね」
「そうなったね」
「そうだね、けれど見て回るのは同じだから」
 見学、フィールドワークをすることはというのです。
「今はここをね」
「じっくりとだね」
「見て回ろうね、大堂や御影堂もね」
 そうした場所もというのです。
「見て回ろうね」
「主な場所をだね」
「勿論不動堂もね」
 そこもというのです。
「国宝に指定されている」
「ううん、国宝もあるんだ」
「それは納得出来るよね」
「うん、高野山みたいな場所ならね」
 それこそと答えた王子でした。
「国宝位普通にね」
「あるよね」
「というかこの高野山自体が国宝と言っていいんじゃない?」
 こうも思った王子でした。
「まさに」
「そうだね、それはね」
「先生もそう思うよね」
「ここまで凄い場所だとね」
「何ていうかね」
 中をじっくりと見ながらです、ジップは思いました。
「神聖な気持ちになるね、ここにいると」
「高野山に入った時からそうだけれど」
 チーチーがジップに続きました。
「ここにいるとね」
「高野山の中でも特にかな」
 ガブガブも言いました。
「神聖な気持ちになるかな」
「僕達もそうしたことを感じるからね」 
 ホワイティは空気自体が違うと感じていました。
「だからね」
「ここにずっといたら」
 トートーが言うことはといいますと。
「心が清らかになるね」
「そして修行もしたら」
「もうね」
 それこそとです、オシツオサレツは二つの頭でお話します。
「悟り開けるかな」
「密教の極意に辿り着けるかも」
「そうなったら」
 それこそと言った老馬でした。
「解脱出来るんだったね、仏教だと」
「解脱ね」
「何か夢みたいな話ね」
 チープサイドの家族はちょっと想像出来ませんでした、解脱ということについては。
「私達も出来るかしら」
「人間じゃないけれど」
「仏教は輪廻転生を繰り返すのよね」 
 ダブダブは金堂の中を見回しつつ言いました。
「そうよね」
「六界の中でね」
 ポリネスアはガブガブに続きました。
「そうなるのよね」
「じゃあ僕達もかな」
「解脱出来るの?」
「そうなるの?」
「修行をしていけば」
「こうした場所で」
「場所は何処でもいいんだよ」
 先生は皆に解脱についてもお話しました。
「それはね」
「そうなんだ」
「場所は何処でもいいんだ」
「高野山でなくても」
「何処でも」
「そうだよ、普通にね」
 ごく普通にというのです。
「どのお寺でももっと言えばね」
「お寺でなくてもいい」
「何処でもなの」
「修行していけば」
「それでいいのね」
「解脱出来るんだ」
「そうだよ、だから色々な宗派やお寺があるね」
 このこともお話した先生でした。
「そうだね」
「あっ、そうした場所でもだね」
「修行してもいいんだ」
「そうなんだ」
「高野山でなくても」
「こうした物凄く清らかで峻厳な場所でなくても」
「いいんだよ、そしてね」
 そのうえでと言った先生でした。
「究極的に言えばお寺でなくても」
「いいんだ」
「修行をしていけば」
「それで」
「お釈迦様はお寺にいなかったよ、ただね」
 それでもと言った先生でした。
「やっぱりお寺は修行するに適した場所だからね」
「それでなんだ」
「解脱に向かいやすい場所なんだ」
「涅槃に辿り着くには」
「凄くいい場所なんだ」
「そうなんだ、そして高野山は確かに凄く修行しやすい場所だよ」
 先生は今は不動堂の前にいます、勿論皆もです。
「それはわかるよね」
「凄くね」
「だから今僕達も凄く清らかな気持ちになってるよ」
「ここでずっと修行すれば」
「そうなれるかもってね」
「そうだね、それはね」
 まさにというのです。
「それだけこの高野山が修行に向いている場所なんだ」
「そういうことだね」
「そしてここでしっかり修行すれば」
「解脱も夢じゃないのね」
「そうした場所なのね」
「そうだよ、ただ解脱はね」
 このことにはこう言った先生でした。
「やっぱり凄く難しいよ」
「そうだよね」
「仏教の最大の目的だしね」
「だからね」
「凄く難しいんだね」
「そうだよ、そうそう簡単には出来ないよ」
 先生はキリスト教徒ですがこのこともわかっています、やっぱり仏教のことも学んでいるだけはあります。
「それはね、けれど何度も輪廻転生しているうちにね」
「解脱を目指すんだね」
「何度も何度も生まれ変わって」
「そのうえで」
「そうだよ、そしてね」 
 そのうえでというのです。
「その何度も生まれ変わる中でのことだからね」
「いや、長いね」
「じゃあ私達も仏教徒ならね」
「解脱を目指すの」
「そうなるんだね」
「そうした考えだね、キリスト教徒は全然違うからね」
 その宗教観がというのです。
「僕も学んでいて実感しているよ」
「そのことをだね」
「本当に何もかもが違うことを」
「キリスト教と仏教は違う」
「そのことを」
「そうなんだ、勿論仏教以外の宗教も同じだよ」
 キリスト教とは全く違うことをです。
「このことはね」
「そしてその違いを認めてだね」
「学ぶことだね」
「そのことが大事なのね」
「偏見なく」
「それが大事だよ、だから今もね」
 不動堂、その古く歴史を感じさせる建物を見つつ思った先生でした。
「よく見て回ろうね」
「フィールドワークをしようね」
「じっくりと」
「そして学んでいこうね」
「今もね」
「是非ね、しかし不動堂というと」
 先生は建物の名前から言いました。
「不動明王を思い出すね」
「仏教でも重要な仏ですね」
 トミーは不動明王と聞いて先生に尋ねました。
「そうでしたね」
「そう、密教で最高位の仏とされる大日如来の化身でもあるよ」
「大日如来が憤怒した」
「その姿でもあるんだ」
 それが不動明王だというのです。
「あらゆる魔を倒して怒りの炎で浄化するね」
「そうした仏ですね」
「明王は戦う仏でね」
 そしてというのです。
「その明王の中でも一番強く位も高いんだ」
「それが不動明王ですね」
「仏教の仏の中で一番強いかな」
「そこまでなんですか」
「他の明王や四天王、八部衆も強いけれどね」
 それでもというのです。
「不動明王は一番強いかもね」
「大日如来の別の姿だけあって」
「そう、十二天も強いけれど」
 それ以上にというのです。
「不動明王はあらゆる魔を降して清めるからね」
「どんな魔もですね」
「そうだよ、仏教は元々インドから生まれているね」 
 お釈迦様がインドで生まれたからです、お釈迦様の生い立ちについては仏教でもよく教えられています。
「そしてインドの神々が仏になってもいるね」
「そうでしたね」
「当時はバラモン教だったんだ」
「ヒンズー教の原型ですね」
「あの宗教の神々が入っていてね」
 そうしてというのです。
「不動明王もね」
「かうてはインドの神様だったんですね」
「そうなんだ、シヴァ神なんだよ」
「ヒンズー教の三大神の一柱の」
「あの神様が不動明王なんだ」
 そうだというのです。
「実はね」
「シヴァ神は破壊神でしたね」
「そうだよ、創造調和破壊のサイクルの三つのうちの一つを司るね」
「世界を一旦破壊して」
「創造に向かわせる神様ですね」
「そしてインドの神話では様々な活躍をするよ」
 それがシヴァ神だというのです。
「魔を次々に倒してね」
「いい神様でしたね」
「そうだよ」
「そして不動明王もですか」
「魔を倒しているんだ」
 この世のあらゆる魔をです。
「そうしているんだ」
「成程、不動明王のこともです」
「わかってきたかな」
「はい、シヴァ神がこの世を創造に向かわせる破壊ではなくですね」
「その要素がなくなってね」
「降魔の面が強くなったんですね」
「それが不動明王なんだ、僕が学んだ限りではね」
 そこからお話した先生でした。
「そうした仏だよ」
「わかりました、それが不動明王ですね」
「うん、ただ学問で大事なことは」
「聞くだけじゃないですね」
「自分でも本を読んでその場所に行ってね」
「学ぶことですね」
「それが大事だからね」
 トミーにこのことを言うのも忘れませんでした。
「だからトミーもね」
「はい、今度仏教の本も読んでみます」
「僕の研究室にもあるからね」
「読んでね」
「わかりました」
 トミーは先生のお言葉ににこりと笑って頷きました、そうしてです。
 今度は鐘楼に行きました、大鐘楼と呼ばれているそこに来ますと先生はここでも皆にお話をしました。
「ここは通称があるんだ」
「どんな通称なの?」
「ここも立派な場所だけれど」
「どんな風なの?」
「高野四郎というんだ」
 それがこの場所の通称だというのです。
「面白い名前だね」
「ううん、何かね」
「随分と親しみのある感じね」
「そうだよね」
「ただ鐘楼って呼ぶより」
「高野山の場所って感じがしてね」
 動物の皆も言いました。
「その方がね」
「随分とね」
「親しみが持てる感じで」
「いいわね」
「日本独自の通称だね」
 この高野四郎という通称はというのです。
「そうだね」
「うん、確かにね」
「僕達もそう思うよ」
「いい名前だね」
「高野山にあるから高野だね」
「そして名前は親しみやすい感じだね」
 四郎という昔ながらの名前だというのです。
「そこもいいよね」
「いや、ここでも日本らしさが出てるね」
「ネーミングセンスにね」
「学んでいてこれは面白いと思ったよ」
 先生はこうも思ったというのです。
「日本らしくてね」
「そうだよね」
「やっぱり高野山も日本だね」
「日本の場所だね」
「それで親しみやすくてね」
「いい通称が付いてるね」
「全くだよ、それでね」 
 さらにお話した先生でした。
「ここで鐘もあってね」
「打たれるんだね」
「お寺には絶対に鐘があるけれどね」
「高野山もそれは同じで」
「そうだよ、では次は松を観に行こうね」
 次に見回る場所のこともお話した先生でした。
「そうしようね」
「松の木?」
「松の木も観るの」
「そうするの」
「そうしようね、その松は特別な松でね」
 どういった松なのかもお話する先生でした。
「やっぱり空海さん所縁なんだ」
「あれっ、じゃあその松は千数百年前からあるのかな」
 王子は空海さん所縁と聞いてすぐにこう思いました。
「空海さん所縁って」
「そうなるね」
「松ってそんなに寿命あったかな」
「その辺りはまあ言わないでね」
 先生は笑って王子にお話しました。
「そこにそうした由来があるってことで」
「深く考えないで」
「そう、それで今はね」
「空海さん所縁の場所ってことで」
「そこに行こうね」
「それじゃあね、ただね」
 ここでこのお話もした先生でした。
「皆寒くないかな」
「ああ、高野山に入ってね」
「やっぱり寒いね」
「さっきお抹茶飲んでお菓子食べてそれであったかいけれど」
「やっぱりね」
「寒いよね」
「うん、高野山は本当にね」
 先生も実感していることでした。
「寒いよね」
「高いだけあってね」
「結構以上な寒さよね」
「九度山よりもね」
「幸村さんが入らなかった場所ね」
「ここは本当に寒いわ」
「何しろ一月の平均気温が氷点下だからね」
 高野山ではそうだというのです。
「それだけにね」
「今もこんなに寒いんだ」
「和歌山の他の場所よりもずっと」
「この寒さの中で修業するのはね」
「確かに厳しいわね」
「そうだね、けれど修行するには」 
 こうも思った先生でした。
「最適の場所なのかな」
「寒い厳しい中での修行」
「それに励むからこそね」
 まさにというのです。
「密教の奥義にも近付けてね」
「悟りにもだね」
「解脱にも達せられるだね」
「こうした厳しい場所だからこそ」
「それ故に」
「そうだろうね、ここはね」
 まさにというのでした。
「修行に最適の場所だよ、そもそも霊山だったというしね」
「最初から独自の神聖なものがあったんだね」
「空海さんが開く前から」
「じゃあ空海さんもそうした山だからこそ」
「それでここにお寺を開いたんだね」
「都の南西にもあってね」
「そうした全ての条件を考えてだろうね」
 空海さんはというのです。
「この山を選んだんだよ」
「修行のことも考えて」
「何処までも考えてのことなんだ」
「ううん、そこも凄いね」
「空海さんの深謀にもね」
「そうだね、あらゆることを考えてね」
 まさにというのです。
「空海さんはこの山を選んだんだよ」
「お寺に」
「そして今もあるんだね」
「真言宗の総本山として」
「凄い神聖な場所であり続けているんだね」
「そうだろうね、だからこそね」
 ここであの人のお話も出した先生でした。
「ハウスホーファーさんも来たんだろうね」
「あの人もだね」
「地政学者で軍人で」
「しかも神秘主義者であったともいうし」
「あの人も来たんだね」
「当時は今よりずっと交通の便が悪かったけれどね」
 今は南海電車を使えばすぐです、難波駅から直通のものもあります。それで高野山にはすぐに行けるのです。
 ですが昔はといいますと。
「こんな深い場所にあるからね」
「今よりずっと苦労してだね」
「高野山に来てたんだね、ハウスホーファーさんも」
「僕達は車で楽しみながら来たけれど」
「それでもだね」
「そうだよ、だからね」
 それでというのです。
「あの人は苦労してね」
「この高野山まで来て」
「そうして色々見ていたんだね」
「今の私達みたいに」
「そうしていたの」
「そうだろうね、調べれば調べる程変わった人だけれど」
 ハウスホーファーという人はというのです。
「あえてそこまでしてね」
「この高野山まで来ていたんだ」
「不便な交通もものともしないで」
「今よりずっとそうだったのに」
「そうなんだ」
 こう皆にお話しました。
「そしておそらくここにもね」
「来ていたんだね」
「金堂にも」
「そしておそらくお墓地にも」
「そうしていた筈だよ、しかしね」
 ここでこのお話もした先生でした。
「あの人は何が目的で高野山まで来たかはね」
「わからないんだね」
「先生も」
「そうなのね」
「それはあの人だけが知っていることだよ」
 ハウスホーファーさんだけがというのです。
「神秘的な理由であったと思うけれどね」
「オカルトとかそういうの?」
「ここは凄いパワースポットでもあるし」
「だからだね」
「来日したこともあって」
「それを機にして」
「そうだと思うんだけれどね」
 確かなことはというのです。
「はっきりとはわからないよ」
「先生は日本の宗教を学ぶ一環として来ていてね」
「僕達は観光だけれどね」
「また違うんだね」
「そうした目的では来ていなかったかも知れないんだね」
「うん、観光ではないだろうしね」
 ハウスホーファーさんが高野山に来た理由はです。
「間違いなくね」
「それはそうだろうね」
「僕達もわかるよ」
「何かお話聞いてたら観光には興味なさそうな人だし」
「神秘的なことだろうね」
「多分ね」
「うん、僕も神秘的なことには興味があるしね」
 先生にしてもそうです。
「人間はこの世にある全てのことを知っていないよ」
「神秘的なこともだね」
「否定出来る筈がない」
「根拠も全てわかっていないから」
「それをわかっていくのが学問だから」
「そうだよ、学問はね」
 まさにというのです。
「そうしたことを調べてわかっていくものでもあるから」
「まずは否定しないで」
「調べていく」
「それが大事だってことだね」
「そうなんだ、だからね」
 神秘的なこともというのです。
「まず調べることだよ、それから否定すべきだよ」
「オカルトでも何でもだよね」
「先生はいつもそうしてるね」
「まずは否定しないで調べる」
「そしてはっきりとするまでは言わないね」
「そうだよ、あと現代の科学で未来の技術を否定することもね」
 こうしたこともというのです。
「やってはいけないよ」
「科学は常に進歩するからね」
「そんなことをしても何にもならないね」
「あと現代の科学を絶対として色々否定することも」
「それも意味がないね」
「そうだよ、それは科学ではないよ」
 主張している人が科学を根拠としていると言ってもというのです。
「最早ね、しかも科学が万能かどうか」
「神様じゃないからね、科学も」
「所詮はね」
「だから科学を万能と思って言うとね」
「やっぱり駄目だよね」
「それは中世の神学を絶対として何でも言うのと同じだよ」
 こうした人達と変わらないというのです。
「もうね」
「そうだよね」
「もうそれは同じだよね」
「科学は絶対じゃないしね」
「今の科学も」
「中世の神学も絶対じゃなかったし」
「神学も中世と比べてかなり進んでいるよ」
 そうなっているというのです。
「その時の神学でこの世の全てを定めようとしたからね」
「当時の欧州は失敗したのね」
「ガリレイさんみたいなこともあったし」
「コペルニクスさんのこともあったし」
「もっと酷いことも一杯あったし」
「そうなるからね」
 だからだというのです。
「そうしたことはすべきじゃないよ」
「絶対にだね」
「こうしたことはね」
「してはいけない」
「そうなんだね」
「僕はそう考えているよ、では次はね」
 先生は次に行く場所のこともお話しました。
「女人堂に行こうね」
「うん、じゃあね」
「次はそこに行きましょう」
「その女人堂にね」
「そうしましょう」
 動物の皆も頷いてでした、そうしてです。
 今度はその女人堂に行きました、そして不動坂口にあるその一階建ての木造の建物の前に行くとでした。先生はまた皆にお話しました。
「昔は高野山は女の人は入られなかったんだ」
「女人禁制だね」
 王子がすぐに言ってきました。
「そうだったね」
「そうだよ、明治まではね」
「かなり長い間そうだったんだね」
「それで奈良の長谷寺や室生寺が代わりの修行の場所になっていたんだ」
「女の人、尼さん達のだね」
「そうだったんだ」
 こうお話する先生でした。
「そうしたお寺がね」
「そういえばああしたお寺はあれだよね」
「うん、女人高野と呼ばれていたね」
「高野山が女人禁制だったから」
「そう呼ばれてもいたんだよ」
「そうだったんだね」
「長谷寺は僕達も行ったけれど」
 奈良に行ったその時にです。
「女の人達はあのお寺に入っていたんだ」
「あそこも昔で言うと凄い場所にあったよね」
「そうだよね」
「うん、かなりね」
「そして女の人が高野山に入られるのはここまでだったんだ」
 明治まではというのです。
「昔は高野山に至る七つの入り口全部にあったけれど」
「今はここだけなんだ」
「女の人も入られる様になったから」
 それでというのです。
「今はここに残っているだけだよ」
「そうなんだ」
「では中に入ろうね」
 先生がここでも案内してでした、そのうえで。
 皆はその女人堂に入りました、そこはどういった場所かといいますと。
 沢山の仏像が祀られていました、トミーはそのうちの女の人の仏様を見てすぐにこうしたことを言いました。
「弁財天ですね」
「そうだよ」 
 先生はトミーにすぐに答えました。
「この仏様はね」
「芸術を司ってるんですよね」
「そして七福神でもあるよ」
「そのうちの一人ですね」
「弁天様とも言われてるね」
「日本ではかなり馴染みのある仏様ですね」
 こうも言ったトミーでした。
「この仏様は」
「そうだね、ただ七福神はね」
「神様と仏様が混ざった」
「何か僕達から見るとおかしいね」
「そんな感じもしますね」
「そこは日本だからね」
 この国ならではというのです。
「それもあるんだ」
「そうなんですね」
「そして弁天様は色々な場所で信仰されていてね」
 この高野山だけでなくというのです。
「大阪でも弁天町って場所があるね」
「あっ、そうでしたね」
「そして鎌倉でも信仰されているよ」
 関東のあちらでもというのです。
「白波五人男でも出て来るよね」
「弁天小僧ですね」
「そう、五人男の一人でね」
「ええと、日本駄右衛門があれだね」
「五人男のボスだったわね」
 チープサイドの家族は以前先生がお話していた白波五人男のお話を思い出しました、先生は最近歌舞伎も学んでいるのです。
「確かね」
「びしっとした中年の男の人で」
「忠信利平もいるね」
 ジップはこの人の名前を出しました。
「江戸生まれだったって言ってるね」
「赤星十三郎はその忠信の主筋だったわね」
 ダブダブはこの人のことを思い出しました。
「あの前髪立ちの人ね」
「そして赤星と同じ前髪立ちが弁天小僧」
「名前は菊之助だったね」
 オシツオサレツは二つの頭でお話をしました。
「名前もいいね」
「女装もするしね」
「最後は南郷力丸」
 トートーは待ってましたとばかりにこの人を出しました。
「元は海賊だったっていうね」
「五人共キャラが立ってるよね」
 ホワイティは挙げられたこの五人について思いました。
「弁天小僧だけじゃなくて」
「というか凄く恰好いいよね」
 ガブガブはしみじみとした口調でした。
「五人共ね」
「もう五人揃うと無敵って感じね」
 ポリネシアも絶賛します。
「この人達は」
「泥棒だけれどね」
 老馬もこのことはわかっています、五人男は悪い人達なのです。
「怪盗団、しかも戦っても強いからね」
「そしてその五人男の一人の由来にもだね」
「弁天様はなってるのね」
「この仏様は」
「そうなんだ、そう思うと面白いよね」
 動物の皆も思うことでした。
「演劇の題材にもなってるなんてね」
「そうした仏様他にもいるけれど」
「それでもね」
「そうだね、まあ空海さん自身色々な物語に出て来るし」
 この人ご自身がというのです。
「ここで祀られている弁財天もね」
「そうなっているんだね」
「空海さんみたいに」
「そういうかな」
「空海さんが先か弁財天が先かはともかくとして」
 そこは今ははっきり言えない先生でした、高野山にいるとどうしても空海さんのことが第一になるからです。
「空海さんご自身もね」
「沢山の物語に出てて」
「魔を降したり人を救ったりだね」
「泉を掘り当てたり」
「本当に色々なことをしてるのね」
「この人位そうした物語がある人もいないね」
 こうもお話した先生でした。
「日本ではね」
「ううん、他の国でもいるかな」
「いるにしても空海さんは凄いね」
「空海さんみたいに物語が多いとね」
「逸話も含めて」
「凄い人だよ、だから流石の弁財天もね」
 日本のあちこちで人気のあるこの仏様もというのです。
「空海さん程じゃないかもね」
「というか空海さんはまた別格なんじゃないかな」
 王子は考えるお顔で言いました。
「幾ら何でもね」
「物語としてもだね」
「多芸多才でね」
「しかもどれもが天才で法力も凄くてだから」
「伊達に日本の歴史上最大の天才の一人じゃないってことかな」
 王子はここでも空海さんのことを思うのでした。
「レオナルド=ダ=ヴィンチさんも凄い天才だったけれど」
「空海さんもだね」
「書道に仏教に地質学にだからね」
 まずはこの三つです。
「そしてその法力も桁違いだからね」
「そこまで凄いからだね」
「ダ=ヴィンチさんは魔を降したりはしてないからね」
 そうした逸話はありません。
「確かに凄い人だったけれど」
「物語になる位にはだね」
「一杯出来る位はね」
 そうした物語がです。
「ないからね」
「うん、それはそうだね」
「そう思うと空海さんはね」
「弁財天と比べてもなんだ」
「やっぱり違うのもね」
 それもというのです。
「当然かな」
「ここにいても感じる位だからだね」
「うん、空海さんをね」
 まさにこの人をです。
「そう思うと凄いよ」
「空海さんという人は」
「本当にね、それとね」
 さらにお話した先生でした。
「ここには神変菩薩という仏様も祀られていてね」
「面白い名前の仏様ね」
「そうだね」
「何ていうかね」
「覚えやすい名前ね」
「そうだね、そして大日如来も祀られているよ」
 この仏様もというのです。
「太陽を司っていて密教で最高位の仏様とされているね」
「その仏様もなんだ」
「祀られているんだ」
「密教の最高位の仏様も」
「そうなっているんだ」
「両方の曼荼羅でも中心にあってね」
 胎蔵界でも金剛界でもです、この仏様はどちらの曼荼羅においてもその中心に位置付けられているのです。
「太陽の化身だからね」
「この世の全てを照らすんだね」
「そうしてくれるのね」
「まさに光の化身」
「そうした仏様なの」
「そうだよ」
 動物の皆にもお話した先生でした。
「大日如来はね」
「この仏様だね」
「何か凄いお姿ね」
「後ろにまさに太陽がある様な」
「そんな感じね」
「そしてこの仏様が怒った姿がね」
 その時はといいますと。
「不動明王だよ」
「じゃあ不動明王は太陽の力なんだ」
「太陽の力で魔を降すんだ」
「だからこそ物凄く強いんだ」
「もう無敵って言っていい位に」
「そうだよ、何しろ密教で最高位の仏様の化身だから」
 それだけにというのです。
「とんでもない強さなんだ」
「そうなんだね」
「もうどんな魔も降す位に」
「そこまで強いのね」
「この大日如来の化身だから」
「そうだよ、あと大日如来は大日如来でね」
 そしてというのでした。
「釈迦如来は釈迦如来だよ」
「釈迦如来はお釈迦さんだよね」
「仏教を開いた」
「大日如来とは別の仏様で」
「別に信仰されているんだね」
「そうだよ、阿弥陀如来とも違うからね」
 大日如来と釈迦如来、阿弥陀如来はそれぞれ別だというのです。
「そこはわかっておいてね」
「何かややこしいけれどね」
「その辺りね」
「こんがらがってしまうけれど」
「別なのね」
「仏教の中でも日本の仏教はとりわけ複雑でね」
 そうなっているというのです。
「如来と菩薩、明王と天でまた違うけれど」
「仏様の中でも」
「それでもなんだ」
「如来様それぞれでも違うんだね」
「大日如来と釈迦如来、阿弥陀如来で」
「宗派によってどの如来に重点が置かれているかも違うよ」
 日本の仏教の中でもというのです。
「真言宗、天台宗を含めた密教では大日如来だけれどね」
「他の宗派ではそうとは限らないのね」
「他の如来様を重要視している宗派もある」
「そうなんだ」
「そう、お寺によっても違うしね」
 宗派だけでなくというのです。
「不動明王を祀っているお寺もあるし他の仏様だったりするし」
「そこは色々なんだ」
「そういえば僕達も色々お寺に行ってるけれど」
「確かにお寺によって違うね」
「祀られている仏像は」
「それぞれで」
「そうなんだ、本当にね」
 日本のお寺ではというのです。
「神社でそれぞれ祀られている神様が違うのと一緒でね」
「何かややこしいね」
「もう聞いてるだけでわからなくなってきそう」
「宗派やお寺によって重要視している仏様が違う」
「そして神道ともまた違ってて」
「一緒になっている部分もあったりしてで」
「これを理解しないとね」
 先生は大日如来の仏像を見ながら少し苦笑いになっていました。
「日本の宗教、そして日本のことはわからないよ」
「もう頭がこんがらがって」
「そうしてよね」
「訳がわからなくなって」
「混乱してしまうのね」
「うん、僕もそこがわかるまでに苦労したよ」
 先生にしてもというのです。
「これまでね」
「いや、日本の宗教ってややこしいけれど」
「幾つもあってそれぞれ混ざっててね」
「それがわかりにくいけれど」
「お寺もだね」
「宗派もあって」
「色々違うのね」
「そうだよ、僕達が今いるのは密教の場所だからね」
 仏教の中のです。
「そこを踏まえてね」
「今回っているんだね」
「そういうことね」
「大日如来が最高位の」
「そうした宗派をだね」
「そうなんだ、あと真言宗と天台宗でもね」
 同じ密教でもというのです。
「やっぱり違うからね」
「同じ密教でもだね」
「宗派が違うと」
「それで」
「また違うことが多いんだよ」
 同じ系列の教えでもというのです。
「プロテスタントでもそうだよね」
「ああ、キリスト教の中のね」
「同じ新教の方でもね」
「それぞれの宗派で違うわね」
「ルター派とカルヴァン派と国教会で」
「ピューリタン派もね」
「そう、むしろそれ以上にね」
 プロテスタントの宗派の違い以上にというのです。
「日本の仏教の違いは大きくてね」
「密教の中でもだね」
「真言宗と天台宗は違うんだ」
「細かいところが何かと」
「そうなってるのね」
「そうだよ、空海さんと最澄さんの違いもあってね」
 山を開いたそれぞれの人のです。
「またね」
「違うんだね」
「じゃあその違いもだね」
「先生は学んでるんだね」
「そうしてるのね」
「そうだよ、ただね」
 ここでまた言った先生でした。
「その違いを学ぶのもまた面白いんだよ」
「あれだよね」
 王子が言ってきました。
「比叡山の方が都にずっと近くて色々な文献や経典や修行する場所を整えていてだね」
「そう、学問をする場所としてね」
「凄く整ってたんだよね」
「だからあの山からは日本の歴史で多くの高僧が出ているんだ」
「そうだったね」
「高野山は空海さんがいるけれど」 
 それでもというのです。
「比叡山みたいに多くの歴史に残る高僧はね」
「出ていないんだ」
「そうなんだよ」
「これだけ立派な修行の場所なのに?」
「空海さんが凄過ぎてね」
 何しろ日本の歴史上最大の天才とも言われている人です。
「空海さんの教えを守る」
「そうした考えだったのかな」
「そうかもね、空海さんの影響が物凄くてね」
「そういえば今も生きておられるんだったね」
「そうしたお話もある位だからね」
 それでというのです。
「空海さんの影響が大き過ぎるんだろうね」
「成程ね」
「高野山も最澄さんも凄い人で影響が強く残ったけれど」
「それでもなんだ」
「空海さん程じゃないし都に近いこともあってね」
「それで学問所として発展して」
「多くの高僧を生み出したんだろうね」
 そうだろうというのです。
「やっぱりね」
「成程ね」
「さて、それともう暗くなってきたし」 
 それでとです、またお話した先生でした。
「泊まる場所に入って」
「御飯だね」
「それだよね」
「その前にもう一つやることがあるよ」 
 皆に笑顔で言った先生でした、そうして皆で高野山の中の泊まる場所に向かう前にある場所に入るのでした。



高野山を巡りながら、皆でお話。
美姫 「楽しそうで何よりね」
ちょっと難しい話とかも出たけれど。
美姫 「先生は何やら目的があるみたいね」
一体、何をするんだろうか。
美姫 「次回も待っていますね」
待っています。



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