『ドリトル先生と和歌山の海と山』
第七幕 高野山に着いて
高野山に着くとです、皆は口々に言いました。
「遂に着いたね」
「今回の旅の最大の目的地に」
「色々回ったけれどね」
「遂に来たわね」
「高野山に」
「そうだね、来たね」
先生も皆ににこりとして応えました。
「高野山に」
「そうですね、ただ」
ここでトミーが先生に言いました、皆で高野山の中を進みながら。
「ここは思ったよりも」
「どうしたのかな」
「いえ、寒い感じがしますね」
「ああ、九度山よりもだね」
「聞いていたよりも」
お肌で感じると、というのです。
「寒いですね」
「そうだね、僕もそう思うよ」
「寒くて清潔な感じがします」
こうした感覚も感じるというのです。
「どうにも」
「流石と言うべきかな」
こう言ったのは王子でした。
「空海さんが開いただけにね」
「霊山だね」
「聖地だよね」
王子は先生に言いました。
「ここは」
「そう言っていいね」
「都を守護する場所の一つで」
「そう、比叡山と共にね」
「ここにいると」
本当にと言う王子でした。
「心が清められる感じがするよ」
「こうしているだけでね」
「自然とね」
「少しずつでも心が奇麗になる」
「そんな感じがするわね」
動物の皆も言いました。
「不思議なことに」
「ここにいるとね」
「他の神社仏閣と同じで」
「そんな風に思えるわ」
「これが空海さんの山なのね」
「そうだね、山自体がね」
まさにと答えた先生でした。
「聖地でね」
「だよね、やっぱり」
「ここはそうした場所よね」
「山自体がお寺なのよね」
「このことも比叡山と一緒だったわね」
「比叡山は延暦寺でこの高野山は金剛峯寺でね」
そのお寺としての名前もお話した先生でした。
「あちらは天台宗、こちらは真言宗だよ」
「同じ仏教でね」
「宗派が違ってて」
「仏教の中の密教で」
「また違うんだよね」
「そうだよ、どっちも密教でね」
仏教の中でというのです。
「そしてね」
「宗派が違って」
「それぞれだね」
「比叡山と高野山にあって」
「京都を護ってるんだよね」
皆も先生からのお話を聞いて頷きました。
「昔はあそこが日本の首都だったから」
「首都を護る為にだね」
「それぞれあったんだよね」
「今もあるけれど」
「そう、比叡山は丑寅の方角でね」
その方角のお話もする先生でした。
「北東、鬼が出入りするね」
「そこを比叡山が護っていて」
「鬼が都に出入りするのを防いでいた」
「そうだったんだよね」
「そして高野山だね」
「この山もだね」
「そう、ここは南西でね」
干支でもお話する先生でした。
「未申だよ」
「そこからもだね」
「鬼が出入りするからね」
「空海さんはお寺を置いたんだったね」
「まさにこの高野山に」
「そうなんだ、丑寅から鬼が入ってね」
先生は詳しいお話もしました。
「未申から鬼が出る」
「そう言われていたんだね」
「まさに」
「その二つの方角から出入りしてくる」
「だから都を護る為にね」
「空海さんと最澄さんがそれぞれお寺を開いたんだね」
「そうだったんだよ、京都はそうした護りが凄いんだ」
霊的なものがというのです。
「東京もそうだけれど」
「ああ、あそこもだね」
「東京の方もだね」
「あそこも凄いんだね」
「京都と同じで」
「日本のこの考えは中国からきていてね」
それでというのです。
「もうかなり盤石なものになっているんだ」
「中国の五行思想に、だよね」
「神道に仏教も入っていて」
「その三つの宗教をミックスさせて」
「それで都を護ってるんだよね」
「そうなんだ、京都も東京もね」
それぞれというのです。
「それで東京なんかは凄いんだよ」
「そういえばあの街は」
王子がすぐに気付きました。
「何度も大火事や地震があったね」
「そう、街が崩壊する位のね」
「そうだよね」
「空襲もあったしね」
先生は戦争のお話もしました。
「何度も焼け野原や廃墟みたいになったんだよ」
「江戸時代からだよね」
「十万もの人が死んだ火事もあったよ」
「地震もだね」
「地震が一番多いね」
東京はこれが本当に怖いのです、もっとも先生達他の国から来た人達については日本全体がそうなのですが。
「あそこは」
「関東大震災とか」
「あの地震は有名だね」
「もう東京がとんでもないことになった」
「ああした地震もあったしね」
「あそこは本当に色々あったね」
王子が知っている限りでもです。
「それでもなんだね」
「そう、何度も復興してきたね」
「そしてそれは」
「おそらくそうした結界が影響しているんだ」
風水や神道や仏教を合わせたそれがです。
「霊的な意味で言うとね」
「そうなんだね」
「そして京都もね」
あの街もというのです。
「千数百年の歴史があるけれどね」
「その間戦乱があったりして」
「色々なことがあったね」
「応仁の乱とかね」
「けれどずっと都だったね」
「それは何故かというと」
「そう、東京と同じ理由だと思うよ」
東の今の首都と、というのです。
「結界があるからね」
「その結界にも護られていて」
「何度も色々なことがあったけれど」
「今もあるんだね」
「そうだと思うよ、あそこもね」
まさにというのです。
「結界に護られている街なんだ」
「そうなんだね」
「首都はその国の中心だね」
今度はこのことについてお話した先生でした。
「そうだね」
「うん、だから首都に何があるとね」
「国にすぐに影響するね」
「政治がおかしくなってね」
「だからまず首都を護る」
「霊的な意味でそうするなら」
「比叡山や高野山は必要だったんだよ」
どうしてもというのです。
「都を護る為にね」
「空海さんも考えていたんだね」
「最澄さんもだよね」
「そうしたことまで考えられる人達だったんだ」
「お二人共日本を代表する高僧だからこそ」
「そうだね、しかしね」
ここでこうも言った王子でした。
「同じ時代にお二人も高僧が出るなんて」
「奇跡みたいだっていうんだね」
「そう思ったよ、空海さんも凄いけれど」
「最澄さんもだよ」
「凄い人だよね」
「それは比叡山を見てもわかる筈だよ」
「あの山だね」
王子も応えました。
「まさに」
「うん、僕はまだ行っていないけれどね」
「本とかであるしね」
「それを読んでもね」
行くよりは、ですが。
「わかるよ、一回行ってみたいけれど」
「じゃあ機会があればね」
「あそこにも行くよ」
そうするというのです。
「是非ね」
「そうだね、先生らしいね」
そう思うことがというのです。
「そこは」
「そう言ってくれるんだね」
「うん、ただね」
「ただ?」
「比叡山にしてもね」
「そこを開いた最澄さんもだね」
「やっぱり凄い人なんだね」
「比叡山は長い間日本の知性の中心地でもあったんだよ」
都を護ると共にです。
「多くの書や経典を収めていてね」
「それを持っていて教えもだね」
「伝えていたからね」
「長い間そうだったんだね」
「沢山の有名な僧侶の人が出ているしね」
その比叡山からです。
「その比叡山を開いたのがね」
「最澄さんだね」
「空海さんとも知己の間柄だったしね」
「それが凄いんだよ」
「同じ時代に二人の高僧がおられたことが」
「奇跡みたいだよ」
こうしみじみと思う王子でした。
「こんなことってそうはないんじゃないかな」
「そうだよね、言われてみたら」
トミーも王子の言葉に頷きました。
「それはね」
「そうないよね」
「うん、ないよ」
実際にと答えるのでした。
「考えてみたらね」
「だよね、本当にね」
「奇跡だよ」
「空海さんだけでも最澄さんだけでもね」
それこそというのです。
「滅多に出る人達じゃないから」
「その国にね」
「空海さんなんてね」
王子はこうも言いました。
「天才というかもう信じられない人だよ」
「知識も徳もあって」
「それで書道も凄かったっていうし」
「何か泉とかも掘り当てたとかね」
「そんなお話もあるから」
「物凄い人だよ」
それこそというのです。
「今で言うと超人と言ってもいいね」
「ニーチェのですか?」
「仏様を信仰しているけれどね」
こうトミーに返しました。
「ニーチェの超人は神は死んだ、自らがだということだったけれどね」
「凄い資質を備えていたという意味で、ですか」
「空海さんは超人と言ってもよかったよ」
そこまでの人だったというのです。
「調べれば調べる程ね」
「そうした人だったことがわかるんですね」
「そうなんだ、あと空海さんは即身仏になったけれど」
「あの生きながらですね」
「そう、なるものだよ」
自分で食べることと飲むことを絶って念仏を唱えつつ成るものです。
「それになられたけれど」
「それは僕も知っています」
「魂はまだこの世にあるとも言われているよ」
「死んでいなくて」
「生きておられてね」
そうしてというのです。
「ご自身のやるべきことをされているとも言われているよ」
「そうなんですね」
「僕も最初この話を読んだ時は驚いたよ」
「まだ生きておられて」
「じゃあ即身仏も」
「そう、何でもここではね」
この高野山ではというのです。
「空海さんのお世話をする人もおられるとのことだし」
「じゃあ」
「本当に生きておられるかも知れないよ」
「そうですか」
「凄いお話だね」
「本当に」
トミーも驚きを隠せませんでした、そのお話には。
「僕もそう思います」
「そうだね」
「あれっ、そうしたお話は他にもあったよ」
王子がここで言いました。
「天理教にね」
「あの宗教にもだね」
「あの宗教も教祖さん今も生きているんだよね」
「中山みきさんはね」
「そう言われているよね」
「うん、ただ少し違うのはね」
先生は天理教のお話もしました。
「中山みきさんはお身体がなくなったんだよ」
「現身がだね」
「なくなったんだよ」
「身体がね」
「それで残ったのはね」
それはといいますと。
「魂だったんだよ」
「魂がこの世にあってだね」
「この世と人々を助けて回ってるんだよ」
「あの宗教ではそうだったね」
「そう、そこが違うんだ」
空海さんとはというのです。
「空海さんはお身体はあるからね」
「即身仏になって」
「そうなっているからね、ただ魂がまだこの世におられているということではね」
「同じだね」
「そうなるかもね、空海さんと中山みきさんも」
このお二人はというのです。
「どうやらね」
「何ていうかね」
王子は先生のお話を聞いて思いました、その思ったことはといいますと。
「仏教も天理教もね」
「魂の在り方がだね」
「凄いね、キリスト教とは違うし」
「アフリカの宗教ともだね」
「また違うね、アフリカは精霊信仰が多いしね」
「色々な神々が信仰されているね」
「キリスト教やイスラム教以外にね」
こうした宗教もあるのです、アフリカには。
「それとそうした信仰もあるけれど」
「それでもだね」
「うん、仏教や天理教のこうした魂の在り方はね」
「独特でだね」
「素晴らしいね、じゃあひょっとしたら」
ここでこうも思った王子でした。
「僕達もここにいたら空海さんにお会い出来るかな」
「あっ、そうなったらいいね」
「面白いよね」
動物の皆は王子のお話にお顔をぱっと明るくさせました。
「空海さんにお会い出来たらね」
「今も生きておられるなら」
「是非お会いしたいよ」
「実際にどんな人だったか」
「ひょっとしたらね」
ここで言ったのはチーチーでした。
「凄く強そうな人だったりしてね」
「格闘家みたいなね」
ジップはチーチーのその言葉に乗りました。
「そんな人だったかも」
「こんな凄いところにお寺開いたし」
こう言ったのはガブガブでした。
「絶対に頑丈な身体だったよ」
「そういえばあちこち歩いて回ったのよね」
ポリネシアも空海さんについて思いました。
「ダウジングもやってたんだから」
「そうだとしたらね」
ダブダブも言います。
「少なくとも文学青年って感じじゃなかったわよね」
「逞しくて男らしい人?」
「そうだったのかしら」
チープサイドの家族も空海さんについてお話しました。
「頑健なお身体で」
「それで運動も出来て」
「書道家かって思ったら」
ホワイティは空海さんが達筆だったことから言います。
「実は登山家だったのかも」
「山登りが得意だったのは間違いないね」
トートーはそれは確実としました。
「ここまで来てお寺を開いたんだから」
「お坊さんって雑用することも多いしね」
このことを指摘したのは老馬です。
「筋肉ある人ばかりで」
「大体宗教家の人はそうだね」
「ご自身で色々動かれるんだよね」
オシツオサレツも言います。
「だからね」
「空海さんもかな」
「厳しい修行もしてるしね」
王子も言います。
「密教だと余計に」
「じゃあね」
「やっぱり空海さんって逞しい人だったんだ」
「天才学者、宗教家って思ったら」
「筋肉ムキムキだったんだ」
「そうした人だったの」
「そうかもね、さもないとね」
先生も空海さんについてお話します、山の中に様々なお寺の建物があるその中を皆と一緒に進みつつ。
「この山を普通に歩いたり日本各地を歩いて泉や温泉を次々掘り当てたり出来ないね」
「あとですね」
トミーも言いました。
「唐、中国にも渡っていますね」
「うん、船でね」
「遣唐使として」
「当時の航海は今とは全然違うよ」
「もう命懸けでしたね」
「だから鑑真さんも決死の思いで日本に来たんだよ」
奈良の唐招提寺のこの方もというのです。
「そして空海さんもね」
「決死の思いで、ですね」
「唐に渡っていて唐の中も歩き回っているし」
「あの広い国も」
「だからね」
「やっぱり相当頑健な人だったんですね」
「そうだと思うよ」
先生もこう見ていました。
「足腰は相当だったよ」
「そうだったんですね」
「キリストも実は逞しかったというしね」
「あの方は元々大工さんですしね」
「うん、宗教家は文弱でなくてね」
「実はですね」
「逞しい人が多いんだよ」
これは今もです、さっき雑用のお話が出ましたがそうしたことをしていて身体を動かしているからです。
「ましてや当時のことを思うと」
「余計にですね」
「逞しかった筈だよ」
「そうですか」
「しかも修行もしてるね」
先生もこのことを頭の中に入れています。
「厳しい修行をね」
「滝に打たれたりして」
「そんなことはやっぱりね」
「身体が丈夫でないと出来ないですね」
「密教は修行から力を授かるという目的もあるしね」
そうした教えもあるというのです。
「だから余計にね」
「修行をしていて」
「身体も凄い筈だよ」
「よくわかりました」
トミーもここまで聞いて頷きました。
「僕も」
「うん、そう思うと本当にね」
「空海さんは実はですね」
「相当に逞しい人だった筈だよ」
「お身体が頑健で」
「強かったんだよ」
「そういえば長寿でもありましたし」
空海さんのことも頭にあるトミーでした。
「健康でsいかも」
「頑健でね」
「逞しい人だったんですね」
「そう思うよ、僕も」
「そして頭はですね」
「天才と言うしかない人だったんだよ」
そちらは言うまでもないというのです。
「学識、法力共凄くてね」
「しかも書の腕もあって」
「今で言うとチートだね」
この言葉も出した先生でした。
「まさにね」
「そう言うべき人だったんですね」
「うん、しかしチートっていうと」
この言葉については少し微妙なお顔になって言う先生でした。
「何かゲームで改造コードや編集を使った」
「そうして能力を無茶苦茶高くするんだよね」
「特殊技能一杯付けたり」
「国力を有り得ない位に高くしたり」
「そうして遊ぶのよね」
動物の皆も言ってきます。
「学校の中で学生さんがお話してるね」
「大学でもゲーム研究会がしてるし」
「そうした遊びをね」
「何かこっちが無茶苦茶強くなってね」
「どんな敵もやっつけられて」
「シュミレーションで弱い筈の勢力ではじめても」
「楽勝でクリア出来るってお話してたわ」
こうしたお話も大学にいると聞けるのです。
「それで空海さんもなのね」
「改造コードや編集使ったみたいな人だったのね」
「何かそう言うと織田信長さんや坂本龍馬さんみたいね」
「そうよね」
「そうだね、まあ僕から見たらね」
先生から見た空海さんはといいますと。
「大谷投手クラスに凄い人だよ」
「あの人も凄いね」
「まさに超人だよ」
「あんな凄い人そういないよ」
「ダルビッシュさんや田中さんも凄いけれど」
「あの人もね」
「その大谷投手みたいな人だよ」
先生が思う空海さんはです。
「もう何でも出来そうなね」
「というか大谷投手って凄過ぎて」
「もう何ていうかね」
「あんな人が怪我なくて普通に活躍したら」
「優勝間違いなしよ」
「そうだね、日本に来て空海さんのことを知って驚いたけれど」
それと共にというのです。
「大谷投手にもね」
「驚いたよね」
「こんな人いるのかって」
「投げたら一六五キロだして一四七キロのフォーク投げて」
「打ったらホームラン年二十本」
「怪物だよ、あの人」
「空海さん並の人だよ」
「どっちが凄いかって聞かれるとジャンルが違うけれどね」
仏教や書道、ピッチャーとバッターでです。
「それでもね」
「大谷投手は空海さん並」
「そこまで凄い人なんだね」
「ちょっとやそっとで出ない様な」
「そんな人なんだね」
「若しもだよ」
王子が笑ってこんなことを言いました。
「今空海さんがおられたらどうなのかな」
「うん、凄い学者さんか宗教家でね」
「書道も出来て地質学者でもあって」
「ダウジングも出来たしね」
それで地質学者も出来るというのです。
「しかも退魔師でもあったしね」
「おまけに登山家で」
「色々凄い人だったろうね」
「今でもだね」
「学問や書道だけでも凄かったから」
この二つだけでもというのです。
「普通の人の何分の一の時間でしかも普通の人より遥かに確かに難しい学問を修めてもいるしね」
「それで日本に唐の仏教の教義を持ち帰ったんだよね」
「そうした功績もあってね」
「それで書道もなんだ」
「凄かったからね」
何しろ筆の誤りの語源ともなった位です。
「学者さん、書道家さんとしてだけでね」
「そのどちらかだけでもだね」
「凄かったしね」
「そこにだよね」
「そう、地質学に退魔も出来てだから」
「その退魔のことも伝説が多かったんだ」
「そうみたいだよ、物語としてね」
まさにというのです。
「残っているよ」
「そうなんだね」
「こちらは真実か真かわからない部分が多いけれどね」
「そこは安倍晴明さんみたいだね」
「そうだね、ただ相当な法力があったのは間違いないから」
「日本の歴史上屈指の」
「そうした人だったからね」
それこそとお話する先生でした。
「退魔も出来たのは間違いないから」
「ううん、僕と同じ人間には思えないよ」
王子はしみじみと思いました。
「大谷投手もだけれどね」
「そうだね、僕もだよ」
「努力したらなれるかな」
空海さんみたいな人にというのです。
「果たして」
「そうだね、やっぱり人間はね」
「努力しないとだね」
「少なくともどうしようもないよ」
「空海さんみたいな人になるには」
「本当の天才は九十九パーセントの努力とね」
それこそというのです。
「後はね」
「一パーセントの閃きだね」
「両方がないと駄目だけれど」
それでもというのです。
「まずはね」
「九十九パーセントの努力だね」
「あとの一パーセントはね」
閃き、それはといいますと。
「神様が授けてくれるから」
「九十九パーセントの努力の中で」
「だからエジソンもあそこまで出来たんだよ」
この言葉を残したこの人もです。
「多くの発明が出来たんだよ」
「そうだったんだね」
「そして天才はその努力を努力を思わない」
「趣味とかそんな感じでしているんだ」
「完全に没頭してね」
その努力にです。
「そう思わないんだ、モーツァルトがそうだね」
「音楽家のだね」
「あの人はいつも作曲していたからね」
それこそそうしていないと苦しい位だったといいます。
「だからね」
「それでだよね」
「天才だったんだよ、もっとも六歳から作曲していたのは」
「有り得ないよ」
動物の皆が言ってきました。
「そんなことは」
「空海さんも六歳でとかないよね」
「モーツァルトさんみたいに」
「そんな有り得ないことは」
「ちょっと以上に」
「それでずっと作曲していたとか」
「やっぱり凄過ぎるよ」
動物の皆が見たモーツァルトさんはそうでした。
「あの人は閃きが一パーセントどころかね」
「最初から百パーセントあったんじゃない?」
「そこに作曲していないと苦しい位の努力があって」
「百パーセントの努力かな」
九十九パーセントの努力ではなくです。
「音楽についてね」
「そこまでだったのかな」
「ううん、モーツァルトさんはね」
「また違う人かな」
「音楽だけにしても」
「まああの人は元の才能が格別だったね」
先生が見てもです。
「どう考えてもね」
「だよね」
「六歳から作曲してね」
「それで数多くの様々なジャンルの曲を残してるけれど」
「駄作なしだからね」
「歌劇でも端役なしだし」
「そんな人は本当にね」
それこそというのです。
「最初から才能が半端じゃなくて」
「それでだよね」
「努力も怠らなかったから」
「その努力を努力と思わず」
「だから天才なんだね」
「そうだよ、あの人はね」
それこそというのです。
「別格かな、それで空海さんにお話を戻すけれど」
「どの分野でも才能があって」
「その才能を努力で開花させて」
「それであそこまでの人になったんだ」
「そうなのかな」
「そう思うよ、才能は多く持っていたんだよ」
閃き、それをです。
「それと共にね」
「あらゆる分野で努力して」
「そうしてなんだ」
「あそこまで凄い人になったの」
「超人って言っていいまでの人に」
「そうだろうね、しかしね」
ここでまた言った先生でした。
「僕も努力したらね」
「空海さんみたいになれるか」
「そう思うのね」
「うん、王子と同じくね」
まさにというのでした。
「思うよ、そして僕が一番無理なのは」
「運動だね」
「先生そっちの才能はないからね」
「そもそも九十九パーセントの努力も考えてないし」
「そちらにはね」
「そうなんだよね、運動はね」
先生はこちらについては困った笑顔でした。
「もうどのジャンルもね」
「観ることは好きだけれどね」
「それでもだよね」
「いざ自分でするとなると」
「どうしてもね」
「しないよね」
「そうだよね」
「うん、苦手だしね」
それに加えてです。
「することもね」
「つまり好きならだね」
「そちらの天才になれるんだね」
「好きこそものの上手っていうけれど」
「その通りだね」
「そう、空海さんは学問も書道も好きだったんだ」
ここで言う学問は宗教も入ります、そして信仰も。
「それでね」
「どちらも凄かったんだね」
「その努力自体が」
「凄い人だったんだ」
「そうだったんだね」
「そうだよ、そしてね」
さらにお話した先生でした。
「才能もあったからだよ」
「天才は何か」
「その分野が好きなことが第一なんだね」
「そもそもね」
「そういうことだね」
「そうだよ、そしてね」
さらにお話する先生でした。
「いつもやっているとね」
「空海さんみたいになれる」
「そうなんだね」
「いや、そう思うとね」
「好きになることが大事で」
「そして努力を続ける」
「閃きは神様が与えてくれる」
「そういうことだね」
「そうなるよ、しかし思うことは」
それはといいますと。
「僕は空海さんみたいな登山家にはなれないね」
「うん、そもそもなる気がないから」
「だったら仕方ないね」
「先生は運動は苦手だしね」
「自分がすることに興味はないから」
「だからだよ、じゃあ今からね」
ここでお話を変えた先生でした。
「高野山を見て回ろうね」
「うん、そうしようね」
「ここは色々見て回る場所あるよね」
「それじゃあどんどん見て回ってね」
「勉強していこうね」
「そう、学問をしようね」
笑顔で言う先生でした。
「そして勿論座禅とかもさせてもらおうね」
「あっ、座禅もなんだ」
「それもなんだ」
「先生させてもらうんだ」
「王子もトミーも」
「そう、座禅は何度かさせてもらっているけれど」
日本に来てからです。
「実に気持ちがいいよ」
「先生よく言ってるよね」
「座禅はいいものだって」
「肩を叩かれたりしないし」
「そんなことはなくて」
「あれはね、別にね」
漫画等でそうした場面があってもです。
「何もないんだよ」
「そうなの」
「別になんだ」
「叩かれたりしないんだ」
「ちょっと何かあったら叩かれると思ったら」
「そうじゃないんだ」
「そんな風はないよ」
本当にと言った先生でした。
「別にね、それで座禅の間はね」
「その間は?」
「間はっていうと?」
「何をしてるの、先生達は」
「ただ座ってるだけじゃないよね」
「無になっているというかもう空と一つになるというか」
先生は仏教的なお話をしました。
「そんな感じだよ」
「ううん、何かよくわからないけれど」
「とりあえず深くは考えないで」
「考えることを止めて」
「そうして神秘的な中に入るんだ」
「そうだよ、ただ座りそうして無に入るんだ」
そうなるものだというのです。
「僕もまだ座禅は何回かしかしていないけれどね」
「お坊さんは毎日してるんだよね」
「それこそ」
「毎日座禅をして」
「そうして修行をしているんだよね」
「そうなんだ、僕達は今度は体験だよ」
そうした形で座禅を組ませてもらうというのです。
「別に修行でもないよ」
「そうなんだ」
「じゃあ座禅をしてもね」
「体験みたいなもので」
「そこから何かに入ることもないんだ」
「うん、無我の境地に至ったりね」
仏教で言われるその境地にです。
「魔障が見えたりとか禅の極意に至ったりとかもね」
「そこまではいかないんだね」
「体験位だと」
「密教の極意とかにも」
「別に辿り着かないんだ」
「そうだよ、まあそうしたことは考えないでね」
今の先生達はというのです。
「高野山自体を学んでいこうね」
「うん、それじゃあね」
「色々回っていこうね」
「何かと回る場所が多くて大変そうだけれど」
「回っていこうね」
動物の皆も先生に応えました、そうして皆で実際に色々な場所を回ることにしました。空海さんが開いたその場所の中を。
高野山に到着か。
美姫 「空海から話が色々と広がっているわね」
みたいだな。皆、楽しめているようで良かったけれど。
美姫 「これから色々と回るみたいね」
だな。それは流石に次回みたいだが。
美姫 「どうなるのかしらね」
次回も待っています。
美姫 「待っていますね」
ではでは。