『ドリトル先生と和歌山の海と山』
第一幕 和歌山からのお誘い
ドリトル先生は本当に色々な学問に励んでいます、その中には宗教学もあって今は研究室でそちらの勉強をしています。
その先生にです、動物の皆が尋ねました。
「先生今度は宗教学を学んでるんだね」
「仏教の方だよね」
「今度はそっちを勉強しているんだ」
「神学じゃなくて」
「うん、キリスト教じゃなくてね」
まさにそれだとです、先生は皆に答えました。
「今はそっちなんだ」
「仏教だね」
「そっちの方を勉強してるんだ」
「今度は何かなって思ったら」
「やっぱりそっちなの」
「うん、キリスト教徒でもね」
先生の信仰は変わりません、イギリス国教会の敬虔な信者なのです。そして神学の博士号も持っています。
「他の宗教を学んで悪いってことはないね」
「そうだよね」
「色々な宗教を学ぶべきだよね」
「その学問に興味があるならね」
「先生みたいに学ぶべきよね」
「そうだよ、だからね」
それでと答えてです、先生は仏教の本を読みつつ言うのでした。
「今もこうして読んでいるんだ」
「そうなんだね」
「本を読んで研究して」
「そして論文も書く」
「フィールドワークもするんだよね」
「うん、とはいっても日本にいるとね」
先生が今いる国にです。
「仏教のお寺も多いから」
「だからだね」
「色々なお寺を巡らないといけないんだよね」
「もうどれだけ巡っても巡り切れない位に」
「そんなお国だよね」
「特に関西にいるとね」
先生が勤務している八条学園も神戸、関西にあります。
「お寺が多いね」
「神社も多いけれどね」
「やっぱり日本は関西から発展していったし」
「朝廷もあったしね」
「仏教は朝廷とも縁が深かったしね」
「そう、だからね」
それでと言う先生でした。
「もうお寺を巡っていくのも大変だよ」
「そうだよね」
「日本って神社もお寺も凄く多いからね」
「だからフィールドワークも大変だよね」
「何処に行くか最初から決めて行かないとね」
「雑然とじゃ学べないよね」
「そう、僕は今真言宗を学んでいるけれど」
ここで宗派の名前を出した先生でした。
「日本の仏教は宗派も多いんだ」
「キリスト教以上にだよね」
「カトリックとかプロテスタントよりも」
「プロテスタントの各宗派よりもね」
「ずっと多いよね」
「もうかなりの数よ」
「一体どれだけあるのかしら」
皆日本の仏教の宗派について思うのでした。
「十や二十じゃ効かないよね」
「何か色々教えも違うし」
「禅宗や浄土宗とでもね」
「勿論真言宗と他の宗派も」
「そう、真言宗は密教とも呼ばれる一派でね」
先生は皆にその真言宗のお話もしました。
「弘法大師、空海上人が開いたんだよ」
「確か日本のお坊さんの中でもかなり凄い人だったね」
「知識も法力もね」
チープサイドの家族がその空海上人のことをお話しました。
「天才だったともいうし」
「書道も凄くて」
「あちこちに伝説があるのだったかしら」
ポリネシアもお話をします。
「泉を開いたり悪いものを封じたり」
「四国の八十八ヶ所巡りもあの人由来だったよね」
ジップは四国のこのことのお話をしました。
「確か」
「あと中国にも留学して」
このことを言ったのはダブダブでした。
「凄い勉強したんだよね」
「何かその学識があまりにも凄くて」
ガブガブも言いました。
「中国でもびっくりされたとか」
「まだ生きてるとかいうお話なかった?」
「聞いたことあるよね」
オシツオサレツは今に至るこの伝説のことに言及しました。
「八十八ヶ所巡りの時とかね」
「見た人がいるとか」
「筆の誤りとかね」
トートーはその書道のお話をしました。
「字も凄く上手で」
「何かとんでもない能力の人だったんだね」
ホワイティはこう考えていました。
「学問もあって法力もあって字も奇麗で」
「そんな凄い人本当にいたんだね」
チーチーは思わず唸ってしまいました。
「一体どんな人だったんだろう」
「それでその人が真言宗を開いたんだ」
最後に言ったのは老馬でした。
「日本のこの宗派の」
「そうだよ、あとね」
先生は皆にお話しました。
「その真言宗の総本山も関西にあるんだ」
「確か和歌山だった?」
「あそこよね」
「和歌山の高野山」
「そこだったね」
「そう、高野山にあるんだ」
その真言宗の総本山はというのです。
「金剛峯寺といってね」
「そのお寺も関西にあるんだ」
「何か本当に関西って有名なお寺多いね」
「比叡山もあるしこの前行った東大寺もで」
「あと大阪にも四天王寺あるし」
「京都も一杯あるしね」
「そう、そして和歌山にはなんだ」
そこにはというのです。
「高野山があるんだ」
「その空海さんが開いた」
「そこにあるんだ」
「じゃあその高野山にも行けたらいいね」
「機会があればね」
「そうだね、本当に機会があればね」
その時はと言う先生でした。
「高野山にも入ってその中を見てみたいね」
「じゃあその機会が来るのを待とう」
「今はね」
「それで機会があればね」
「高野山に行ってね」
「そうして真言宗のことをもっと学ぼうね」
「是非ね、あと密教は他にもあってね」
先生は皆に真言宗がそうであるその密教のお話もするのでした。
「比叡山もそうだよ」
「ああ、あの山もなんだ」
「京都の北東にある」
「日本の歴史にもよく出て来るわね」
「物凄く有名な山だね」
「あの山もなんだ」
密教の宗派だというのです、仏教の中にある。
「密教の一派なんだよ」
「確かあそこは最澄さん?」
「伝教大師だった?」
「あの人が開いた山だったね」
「空海さんとは別に」
「うん、空海上人と同じ時代に生きていて交流もあったんだ」
その最澄上人はというのです。
「かつてはね」
「そうだったんだ」
「同じ時代の人だったんだ」
「それでお互いにお付き合いもあった」
「そんな人達だったんだ」
「そうだよ、どちらも凄い人なんだ」
とても素晴らしいお坊さんだったというのです。
「日本の仏教界に名を遺すね」
「その空海さんと最澄さんがいて」
「今の日本の仏教があるのかな」
「それだけ影響が大きいの?」
「やっぱり」
「そうだね、他にも重要な人が沢山いるけれど」
日本の仏教にはというのです。
「空海上人と最澄上人はね」
「その人達の中でもなんだ」
「特に重要な人達なの」
「高野山と比叡山も開いて」
「凄い人達なのね」
「そのせいかね」
ここでこうもです、先生は皆にお話しました。
「京都、都があるね」
「ああ、あそこね」
「京都は日本の昔の首都だったわね」
「それも千年の間」
「そうだったね」
「その京都にね」
まさにというのです。
「結界、霊的に守る為のそれを築く為にね」
「高野山と比叡山があったの」
「そうだったの」
「仏教では鬼、邪なものが出入りする方角があるとされているんだ」
このことからお話する先生でした。
「全部の方角を東西南北、十二の干支で十二の方角に円で分けているけれど」
「そういえばそんなのもあったね」
「中国から来た教えだったね」
「その教えが日本にもあって」
「それでなのね」
「都の結界にもその考えが入って」
「そう、それは北東と南西だけれど」
その方角だというのです。
「そこにそれぞれ比叡山と高野山があるんだ」
「鬼が出入りする方角に」
「それぞれお寺を置いて」
「そうして都に鬼が出入りするのを防ぐ」
「そうしているんだ」
「そうだよ、その南西にあるのが高野山なんだ」
まさにそこにというのだ。
「北東が比叡山でね」
「じゃあお二人はそこまで考えてなんだ」
「それぞれのお寺を置いたんだ」
「都、つまり国を護る為に」
「宗派も開いたのね」
「そうだよ、だからこの人達は重要なんだ」
日本の仏教の中でもというのです。
「空海上人と最澄上人はね」
「成程ね」
「じゃあね」
「高野山に行く時があれば」
「是非だね」
「先生も学びたいんだね」
「そう考えているよ、高野山に入ったら」
まるで少年みたいに目をキラキラとさせて語る先生でした、先生は学問についてはいつもこうした目になります。
「もう隅から隅まで見てね」
「そうしてだね」
「フィールドワークをじっくりと学んで」
「そうしてだね」
「隅から隅まで学んで」
「また論文を書くのね」
「そうするよ、そして論文を書いてね」
そのうえでというのです。
「さらにだよ」
「さらに学ぶ」
「真言宗、そして日本の仏教のことも」
「学んでいくんだね」
「そのつもりなのね」
「学問に終わりはないからね」
これはどの学問でも同じというのが先生のお考えです。
「だからね」
「それでだね」
「今回論文を書いてもだね」
「先生は仏教の勉強を続けていくのね」
「仏教学を」
「そして他の学問も」
「そうしていくつもりだよ、ただ今はね」
どうかと言う先生でした。
「一つ思うことがあるんだ」
「っていうと?」
「何かあったの?」
「思うことっていうと」
「それは」
「うん、空海上人と最澄上人が同じ時代の人達で交流もあったということはお話したね」
動物の皆にこのことからお話する先生でした。
「このことは」
「そのことには驚いたよ」
「まさか同じ時代に偉大な人が二人もいるなんてね」
「しかも交流もあったって」
「凄いね」
「うん、お二人は最初仲がよかったんだよ」
つまりお友達だったというのです。
「それが色々とあってね」
「仲が悪くなったの?」
「ひょっとして」
「そうなの?」
「そうなったんだ、最後は交流がなくなったんだ」
仲が悪くなってというのです。
「残念なことにね」
「そうだったんだ」
「最後はそうなったんだ」
「折角仲がよかったのに」
「偉大な人達が」
「徳を備えていた人達だったけれど」
かなりの修行を積んだ結果です。
「それでもね、人間だとね」
「どうしてもだね」
「感情のもつれとかあって」
「そうしてだね」
「最後は仲違いしちゃって」
「交流も絶えたんだ」
「そうだったんだ、ただ最澄さんが先に亡くなってね」
そうなってしまってというのです。
「空海さんはかなり悲しんだらしいよ」
「仲違いしても情はあったんだ」
「その学識やお人柄を惜しんで」
「そうして悲しまれたんだね、空海さんも」
「そうだったんだね」
「そうだと思うよ、人間は一時仲違いもして」
そうしてというのです。
「仲直りもして情もあってね」
「亡くなった時に残念にも思う」
「そうなるんだね」
「心があると複雑ね」
「何かと」
「僕達だってそうだね」
このことは空海さんだけでないというのです。
「何かとだね」
「そうだね、仲違いしてもね」
「それでも仲直りもして」
「仲違いしたままでもお亡くなりになったら残念に思ったり」
「そうなるわね」
「そうだね、本当にね」
こうしたことはというのです。
「人間の情だね」
「それなんだね」
「僕達にも心があるしね」
「お別れになったら悲しいし」
「残念にも思うわ」
「それで空海さんも思ったらしいよ」
最澄さんがお亡くなりになった時にです。
「残念だとね」
「複雑な関係ね」
「仲がよかったのに仲違いして」
「それでお亡くなりになったら残念に思って」
「複雑なものがあるわね」
「人間とはそうしたものだね、まあ今は最澄さんとのことは書かないよ」
それはないというのです。
「真言宗のことを書くからね」
「空海さんのね」
「じゃあ最澄さんはまた今度?」
「学んで論文を書くにしても」
「そうなるのね」
「うん、空海さんについての論文を書いたらね」
それが終わってからというのです。
「最澄さん、天台宗について書くよ」
「そうするのね」
「それじゃあ今はなのね」
「空海さんのことに専念して」
「最澄さんは次」
「そうするんだ」
「うん、それで宗教学部の先生ともお話をしているんだ」
仏教のその先生ともです。
「空海さんについてね」
「専門の先生ともなんだ」
「お話してるんだ」
「それじゃあだね」
「そちらの先生ともお話をして」
「高野山にも入って」
「本も読んでいってだね」
「論文を書くよ、しかし仏教といってもね」
今度はこの宗教自体のお話もする先生でした。
「日本の仏教と中国の仏教、タイの仏教は全く違うんだよね」
「あっ、言われてみれば確かに」
「同じ仏教でも全然違うね」
「カトリックと国教会と正教以上にね」
「全然違うわね」
「しかも日本の各宗派もかなり違うんだ」
各国で違うと共にというのです。
「真言宗と臨済宗、浄土真宗と日蓮宗でね」
「色々な宗派があって」
「それぞれの宗派でも全く違うの」
「日本の宗教は」
「そうなんだね」
「そうだよ、例えば日蓮宗は法華経に重点を置いていてね」
このお経にというのです。
「臨済宗は禅、浄土真宗や悪人正機説を唱えているしね」
「本当にかなり違うみたいね」
「そうだね」
「同じお坊さんやお寺って思ったら」
「これが」
「そして真言宗は密教なのは言ったね」
空海さんのその宗派のお話もするのでした。
「印を結んで真言、呪文になるかな。それを唱えてね」
「何か漫画であった?」
「王子が読んでいた日本の漫画に」
「陰陽道か何かみたいに」
「日本の魔法使いみたいに」
「魔法使いっていったらそうかな」
先生も否定しませんでした。
「陰陽道の陰陽師にしてもね」
「呪文を唱えるってなると」
「印はイギリスにはないけれど」
「そういえば色々な儀式もするし」
「そう考えたらね」
「そうだね、実際にね」
動物の皆は先生の真言宗についての説明にイギリスの魔法使い、映画や小説に出て来る彼等に似ていると思っていて先生もそう思っていました。
「似ているね」
「そうだよね」
「何かね」
「真言宗のお坊さんって日本の魔法使いなんだ」
「陰陽師と同じで」
「あと修験者もそうなるけれどね」
こちらの人達のお話もする先生でした。
「強いて言うなら修験者の人達はドルイドかな」
「ケルトのだね」
「先生ケルトのことも勉強してるけれどね」
「その修験者の人達はそっちなんだ」
「ドルイドなの」
「そうなるね、それで真言宗にお話を戻すとね」
あらためてそうするのでした。
「道具も持ってるし曼荼羅っていう仏教の仏様達を描いた絵も使ったりね」
「増々魔法使いだね」
「イギリスにいるね」
「そんな感じよね」
「魔法陣描くみたいな」
「そんな感じで自分の願い、望みを適える教えなんだ」
それが真言宗というのです。
「現世利益のね、修行で悟りを開くと共にね」
「何か本当に色々だね」
「日本の仏教の宗派って」
「同じ仏教でもそんなに違うんだ」
「殆ど別の宗教じゃない」
「そうなんだ、本当に同じ仏教かっていう位に違うんだ」
それぞれの宗派ではというのです。
「日本の仏教はね」
「浄土真宗は多いよね」
「八条学園のお寺もそうだったかしら」
「学園の中に仏教のお寺あるけれど」
「あそこはそうだったかしら」
「確かそうだよ、それでうちの大学の宗教学部では僧侶の資格も手に入れることが出来るんだけれどね」
学校の先生の資格や他の宗教関係者の資格と同じ様にです。
「各宗派のものがね」
「勉強すれば貰えるんだ」
「学校の先生みたいに」
「そうなるのね」
「そうだよ、だからね」
それでというのです。
「真言宗のお坊さんにもなれるよ」
「八条大学にいれば」
「ここの宗教学部に入っていれば」
「それでだね」
「真言宗のお坊さんにもなれるのね」
「日本の魔法使いに」
「そうだよ、魔法使いになれるんだよ」
ここはファンタジー的にお話した先生でした。
「勉強すればね」
「リアルで魔法使いになれるって凄くない?」
「欧州じゃ時代によっては魔法使いかって思われただけで火炙りだったのに」
「特に魔女はね」
「それが日本じゃおおっぴらになれるから」
「そこも凄いお国よね」
「そうだよ、日本では魔術みたいなのを使ってもね」
真言宗にしても陰陽道にしてもです。
「それが人を惑わす様なものでもない限りはね」
「よかったんだ」
「それで今もなのね」
「別にいいの」
「そうなの」
「そうだよ、これもお国柄だね」
日本のというのです。
「日本では魔法使いだっていうだけで何かされたことはないよ」
「魔女狩りなかったんだ」
「あんなとんでもないことは」
「イギリスでも魔女狩りあったけれど」
「日本ではなかったのね」
「そうだよ、本当に人を惑わすものでもない限りで」
そうしたものでない限りはだったというのです。
「日本ではよかったんだよ」
「というか空海さんって凄い尊敬されてたのよね」
「とても偉いお坊さんだって」
「悪い魔法使いって言われるどころか」
「そう言われてたんだよね」
「そうだよ、帝にも深く信頼されて敬愛されていてね」
何と日本の主でもあるこの方にもというのです。
「色々教えを乞われたりお話していたりしていたんだ」
「欧州じゃ魔法使いが法皇様や皇帝とお話しているものだね」
「イギリスの王様とか」
「ちょっと以上に考えられないけれど」
「それも凄いね」
「全くだよ、しかも帝つまり皇室は神道だね」
先生は日本の宗教のお話もしました。
「けれど空海さんは仏教だね」
「そうそう、神道と仏教って違うんだよね」
「違う宗教同士だよ」
「このことずっと気になってるけれど」
「日本に来てからね」
動物の皆もこのことはいつも気になっています、奈良に行った時もこのことをかなり強く意識していました。
「違う宗教同士でもね」
「日本じゃ普通に一緒にいるんだよね」
「共存していてね」
「仲いいんだよね」
「その帝にしてもね」
神道のこの方もというのです。
「何か出家されたりしてるよね」
「お坊さんになられてるよね」
「先生のお話聞いてたらね」
「それも普通に」
「そう、キリスト教で言うと日本の天皇はローマ皇帝とローマ教皇を兼ねている様な立場におられるけれどね」
日本の主であると共に神道の頂点におられる方だというのです。
「東欧の皇帝教皇主義にもなるかな」
「一つの宗教の頂点でもあるんだね」
「日本の神道の」
「それでいて出家もするんだね」
「仏教のお坊さんにもなられるんだ」
「その場合は譲位してからね」
他の皇室の方に位をお譲りしてです。
「上皇になられてね」
「それからだね」
「出家されてなのね」
「お坊さんになられるのね」
「この場合は法皇っていうんだ」
こちらの呼び方になるというのです。
「日本の歴史では結構出て来るね」
「あっ、白河法皇とか後白河法皇とか」
「平安時代の帝の方々ね」
「息子さんやお孫さんに位を譲られて」
「それで出家されて」
「そうなられるんだ、それで神道も仏教も両方信仰されるんだ」
「凄いね」
思わずこう言ったジップでした。
「二つの宗教を帝自ら同時に信仰されるなんて」
「そんな国も滅多にないわよ」
ガブガブは欧州の考えから言います。
「それもそれが普通なんて」
「魔法使いも悪くされないでね」
ダブダブはこのことから思うのでした。
「しかも仏教に色々な宗派があって」
「それの一つ一つが違っても異端にもなってないね」
トートーはこのことを指摘しました。
「これも凄いよ」
「異端ってなるとね」
「欧州じゃ魔女と同じだったからね」
オシツオサレツも欧州のことから考えるのでした。
「何されるかわからなかったよ」
「異端審問とか十字軍とかね」
「そういうのが一切なくてね」
チーチーも言います。
「宗教的に寛容なのはいいことだよ」
「うん、凄くわかりにくいけれど」
「とても寛容なのはわかるしね」
チープサイドの家族も言います。
「そのことはとてもいいわ」
「そうだよね、日本のいいところの一つだよ」
「空海さんは偉大な魔法使いでね」
ポリネシアは空海さんをこう考えていました。
「それ以上に素晴らしい人だったのね」
「そのこともわかってきたよ」
老馬は先生のお話を聞いているうちにこう思えてきました。
「段々ね」
「真言宗のことも空海さんのことも日本の仏教のことも」
最後に言ったのはホワイティでした。
「少しだけれど僕達も理解出来てきたかな」
「僕もイギリスにいた時に日本の宗教のことを聞いてわからなかったよ」
先生もそうだったというのです。
「何て不思議な国だって思ったよ」
「実際に不思議だしね」
「もう何が何かわからない位に」
「私達も暫くこの国にいるけれど」
「それでもね」
「わからないことまだまだ多いし」
「宗教のことでも」
動物の皆もしみじみと思うのでした。
「何かとね」
「わからな過ぎてね」
「訳がわからなくなることも多いし」
「このこともかなり訳がわからないよ」
「何で神道の一番偉い人が仏教も信仰出来るか」
「しかもお坊さんにまでなるなんて」
「尚且つね。この前奈良に行った時のことだけれど」
その時のお話をする先生でした。
「聖徳太子のことはお話したね」
「ああ、あの人だね」
「皇室の方で凄い能力があった人よね」
「あの人も魔法使いみたいだったよね」
「色々と出来て」
「あの人がお父上だったかな」
そうした血縁の方にというのです。
「帝に仏教を信じ過ぎて神道の信仰がおろそかになっているって注意したっていうお話もあるしね」
「あれっ、聖徳太子って仏教じゃ」
「仏教を深く信仰されていたんじゃ」
「それで四天王寺を建てられたし」
「そうした人じゃなかったの?」
「太子は確かに仏教を深く信仰されていたよ」
このことはその通りだというのです。
「確かにね、けれどね」
「それと共になんだ」
「神道も深く信仰されていたんだ」
「そういえば奈良でもそうしたお話したかな」
「そうだよね」
「太子は皇室の方だからね」
その神道の方でもあられたというのです。
「だから神道への信仰も忘れておられずね」
「おろそかにされていなかった」
「そうだったんだ」
「仏教に深く帰依しながらも」
「神道も一緒に信仰されていたんだ」
「だから神も仏も崇める様に言われたんだよ」
十七条憲法でというのです。
「そうされたんだよ」
「あの頃からなんだね」
「日本じゃ違う宗教同士が一緒にあるんだ」
「今じゃキリスト教もあるしね」
「天理教だってね」
「そうしたお国柄で高野山はね」
この山のお話に戻りました。
「仏教の観点からなんだ」
「都、国を護る意味もあった」
「そうしたお寺なんだ」
「あそこは何か中国の道教の風水でも護られているし」
「しかも神社も中に一杯あるしね」
「陰陽師の人もいたし」
あの有名な安倍晴明さんもそうでした。
「それでだね」
「比叡山とその高野山もあって」
「かなり厳重に護られているんだ」
「そうなんだ、複数の宗教の教えを何重にも入れてね」
そうしてというのです。
「護っているんだよ」
「凄いね」
「そういえば東京もお寺多いんだってね」
「神社だってね」
「あそこも風水的にかなりいいそうだし」
「あちらもそうだよ、ただ東京はね」
この街についてはです、先生は少し深刻なお顔でお話することがありました。それは何のことかといいますと。
「こう言うと日本全体がそうで僕達が今いる神戸でもあったけれど」
「地震だね」
「地震は日本の何処でもあるのよね」
「東北も九州も北陸も」
「この神戸だってそうで」
「何処でもあるわね」
「そう、本当に何処でもあるけれど」
それでもというのです。
「関東、東京の方は特に有名だね」
「関東大震災があったんだよね」
「幕末にも安政の大地震があって」
「他にも何度か大地震があって」
「そうした場所だったね」
「日本は地震がとても多い国だけれど」
このことについてだけはです、先生は日本について困ったことだと思っています。イギリスに生まれ育った先生には縁のないことだったので。
「その中でもね」
「物凄く地震が多くて」
「日本じゃ地震は鯰と関係があるって言われてるけれど」
「鯰が暴れるとか鯰が知らせるとか」
「それでよね」
「鯰も出たりするのよね」
「地震のお話にね、とにかくあそこは地震が多いんだ」
関東、東京の方はというのです。
「それが怖いね」
「宗教的な結界は凄いのも?」
「ひょっとして地震を考えて?」
「沢山のお寺や神社や風水も」
「そうなのかしら」
「そうかもね、東京の北東には日光東照宮があるけれど」
先生はまだ行ったことがありませんが知ってはいます。
「あそこもね」
「ああ、東京の鬼門だね」
「そこを護っているんだ」
「あそこは確か徳川家康さんだけれど」
「東京を護っているんだ」
「そうみたいだよ、あとね」
東京についてさらにお話する先生でした。
「裏鬼門、南東には日枝神社があるし東京につながってるそれぞれの道のところに神社やお寺があるんだよ」
「何か凄いね」
「物凄い結界を組んだ街なんだね、東京って」
「京都も凄いと思ったけれど」
「東京もなんだ」
「そうしたのは天海っていう人だけれどね」
この人だというのです。
「百二十歳まで生きたっていうお坊さんでね」
「百二十歳って」
「それ本当!?」
「昔で百二十歳って」
「今でもギネスブックに載る位なのに」
「色々言われてる人だけれどね、この人が東京の結界を考えたんだ」
仏教や神道、そして風水まで考えたです。
「そこには若しかしたら」
「地震についてもなんだ」
「考えてそのうえでなんだ」
「結界を作っていたんだ」
「そうだったんだ」
「そうかもね、東京は昔は地震だけじゃなくて火事もあったから」
このことも問題だったというのです。
「色々と大変なことがあったんだよ」
「地震だけじゃなかったの」
「昔は火事もあったんだ」
「それで街を造る時に何重もの結界を作ったんだね」
「京都みたいに」
「そう言われているよ、しかし地震については」
とにかくこの災害については深刻に考えてお話する先生でした。
「日本にいたら時々揺れるね」
「最近慣れてきたけれど」
「最初はどれだけびっくりしたか」
「結構以上に揺れるから」
「それも時々だからね」
「イギリスとは違うからね」
地震とは殆ど縁のない先生達がずっと住んでいたお国とはです。
「そこは」
「戦争より怖くない?地震って」
「そうだよね」
「神戸の地震のお話を聞いてたら」
「東北の地震とかね」
「戦争でもあんな酷いことにならないから」
「そうかも知れないね、地震は日本にいたら本当にね」
どうしてもというのです。
「避けられないよ、けれどその地震を少しでも抑えようとね」
「東京の方ではなんだ」
「とにかく何重にも結界を張ってるんだ」
「邪なものが入るのを防ぐと共に」
「地震にしても」
「そうみたいだね、そうしたあらゆる宗教の結界を張るのもね」
それもというのです。
「地震の為の可能性はあるよ」
「天海さんもそのことを知っていて」
「それでなんだね」
「そうかも知れないよ、伊達にね」
こうも言った先生でした。
「百二十歳まで生きていなかったということかな」
「そのお話信じられないけれど」
「普通の人だったのかしら」
「半分人じゃなくなっていたとか」
「何かお薬を飲んでいたとかね」
「仙人さんみたいな」
「日本は仙人さんもいたらしいし」
動物の皆は天海さんについてはこう考えるのでした。
「幾ら何でもね」
「有り得ないよね」
「流石に」
「けれど歴史に残っているからね」
天海さんのことはというのです。
「百二十歳まで生きていたってね」
「じゃあ本当のことなんだね」
「本当に百二十歳まで生きていたのね」
「凄い人もいたんだね」
「信じられないけれど」
「そう、僕もこの人のお話を最初に聞いて驚いたよ」
先生にしてもというのです。
「あの時代で百二十歳までだからね」
「さっきも言ったけれど今も相当な長寿だからね」
「百歳でもかなりなんだけれど」
「それで百二十歳だからね」
「それも医学が今よりずっと未発達な江戸時代でだから」
「余計にだね」
「当時は色々と死ぬ病が多かったよ」
今は治すことが出来てもです。
「例えば癌になったらね」
「ああ、もうそれでだよね」
「癌の摘出なんて出来ないから」
「それで死んだんだよね」
「結核とかの伝染病に罹ってもだし」
「栄養学だって未発達だったし」
「そんな中で百二十歳だからね」
医学等が今よりも遥かに未熟な時代で、です。
「驚いたよ」
「けれどそうした人もいたんだね」
「百二十歳まで生きた人が」
「その天海さんが江戸の結界を作った」
「そうしたんだね」
「そのことも覚えておこうね」
先生は動物の皆に穏やかなお顔でお話しました、そうして夜はお家でトミーが作ったおでんを食べつつ飲んでいましたが。
日本酒を飲む先生にトミーが言いました。
「先生、今は仏教の学問をされてますよね」
「うん、そうだよ」
先生はトミーに笑顔で答えました、ちゃぶ台に座ってどてらを着てそのうえで日本酒を美味しく飲みながら。
「今度はね」
「真言宗ですよね」
「そちらをね」
「じゃあ高野山なんかにも」
「行けたら行きたいね」
「そうですか、じゃあ今度行きますか?」
こう先生に言うのでした。
「今度の連休に」
「ああ、連休の時にだね」
「そうしますか?」
「そうだね、じゃあね」
「はい、王子にも声をかけて」
「そうして皆で行こうか」
「僕も行きたいですし」
トミーはおでんの中のすじ肉を串で刺したものを食べてそれをおかずにして御飯を食べつつ言うのでした。
「王子も一度行きたいって言ってましたし」
「高野山にだね」
「行きましょう、そして」
「そして?」
「ワールドサファリとかも行きますか」
「ああいいね、あそこも行ったことがないしね」
「和歌山自体なかったですよね」
先生達はそちらはまだでした。
「それじゃあですね」
「今度の連休皆で和歌山に行こうか」
「そして高野山にも入って」
「フィールドワークをしようか」
高野山をというのです。
「そうしようか」
「そうしましょう」
笑顔で応えたトミーでした、そうして王子にも声をかけてそのうえで連休に和歌山特に高野山に行くことになりました。
今度のフィールドワークは和歌山か。
美姫 「今度はどんな風になるかしらね」
楽しみだな。
美姫 「今回はどんな食べ物が出てくるのかも楽しみね」
次回を待っています。
美姫 「待っていますね〜」