『ドリトル先生と奈良の三山』




               第八幕  吉野には

 先生達は明日香村でのフィールドワークを終えました、それでホテルに帰って晩御飯を食べてお風呂に入ってです。
 飲みに奈良の街に出ましたがそこで皆先生に言いました。
「奈良県って色々都あったんだね」
「明日香だってそうでこの平城京もね」
「前も話したけれど」
「まさに国のまほろば」
「そんな場所だったんだね」
「うん、日本はここからはじまった」
 奈良からとです、先生も言います。
「そう言っていいね」
「実際にそうだよね」
「奈良県はね」
「調べれば調べる程それがわかるね」
「うん、前に吉野も行ったけれど」
 そこもというのです。
「あそこにも都があったしね」
「ええと、南朝だよね」
「南北朝時代の」
「室町時代の最初の頃だね」
「朝廷が京都とその吉野に分かれていて」
「南朝方の都があったね」
「そして天武帝が最初あそこに都を置いていたんだ」 
 先生はその飛鳥時代の方のお名前も出しました。
「あの人もね。そして当時はね」
「確か滋賀県の方にね」
「都が置かれていたんだったね」
「大津宮ね」
「あそこだったね」
「そうだよ」
 まさにというのです。
「あそこにもね」
「滋賀県にも都があった時期があったんだったね」
「僅かな間でも」
「あと難波宮っていって大阪にもあって」
「後福原にも」
「兵庫県にも」
「福原にもあったし何かとね」
 先生は奈良の夜の街を皆と一緒に歩いています、そうしつつ神戸にいる時に紹介してもらったいいお店に向かっています。
「都も移っているんだ、けれどね」
「基本はね」
「この奈良からはじまっていて」
「吉野も奈良県だし」
「入れていいわね」
「そうだよ、やっぱり奈良県はね」
 まさにというのです。
「国のまほろばだよ」
「日本がはじまった場所」
「ここからなのね」
「日本がはじまって」
「今に至るのね」
「そうだよ、神武帝が九州から近畿に入って」
 そしてというのです。
「都を定めてね」
「それからね」
「古墳時代から飛鳥時代を経て」
「奈良時代になって」
「日本が形成されていったわね」
「政治的にも文化的にね」
 まさにその両方でとです、先生はこうもお話しました。
「なったんだよ」
「先生が今学んでいることね」
「大仏さんも明日香も万葉集も」
「そしてこれからの三山のことも」
「そうだよ、今万葉集のことを考えているけれど」
 論文のテーマのうちの一つのです。
「いや、とてもね」
「とても?」
「とてもっていうと」
「恋愛や日常を奇麗に詠っているんだよね」
 そうしたものだというのです。
「憂いやほのかな気持ち、喜びも悲しみも」
「そうした人の感情を」
「全部なんだ」
「そうなんだ、防人の人も庶民の人も」
 そうした普通の人達もというのです。
「家族や恋人を思ってね」
「詠っていて」
「それが素晴らしい」
「そうだっていうの」
「そうなんだ、勿論貴族や歌人や皇族の方々も」
 そうした他の社会でも詠う人達もというのです。
「詠っていてね」
「そうした人達だけじゃなくて」
「庶民の人達の歌もあって」
「そちらも素晴らしい」
「そうなのね」
「大伴家持って人が選者と言われているけれど」
 万葉集に収める歌を選んで収めた人です。
「とてもいいセンスをしてるね」
「ううん、何かね」
「万葉集って凄いんだね」
 オイツオサレツがしみじみとして言いました。
「貴族や歌人の人達が詠ってなくて」
「庶民の人の歌もあるんだ」
「しかも恋愛だけじゃないんだね」
 ジップも言います。
「日常とか家族のことも詠っているんだ」
「そう聞くと」
 ダブダブも思いました。
「つくづく凄い歌集ね」
「そんな歌集よく千数百年前にあったよ」
 チーチーにとってはびっくりすることです。
「欧州だとカール大帝より前で」
「吟遊詩人もね」
 トートーは欧州のこの人達の名前を出しました。
「まだいなかった時代でだから」
「しかも色々な人達が詠っていた」
 ガブガブはしみじみとなっていました。
「それを収めるセンスもいいね」
「大伴家持さんセンス抜群ね」
 こう言ったのはポリネシアでした。
「歌を選ぶそれが」
「何かそういうのを聞いていたら」
「私達もね」
 チープサイドの家族もお話します。
「読みたくなったわ」
「そうだね」
「じゃあ僕達も詠んでみようか」
 老馬は本気で思いました。
「先生の研究室にあったと思うし」
「うん、あるよ」
 実際にと答えた先生でした。
「そして今も持ってるよ」
「あっ、そうなんだ」
「万葉集実際に持って来ているんだ」
「そうだったの」
「用意がいいね」
「ここにね」
 鞄からその万葉集を取り出しました。
「あるよ」
「いつも読んでるんだ」
「最近そうしてるの」
「それで読んで学びながら」
「それでなの」
「そう、考えていっているんだ」
 そうだというのです。
「今もね」
「成程ね」
「そうしたことまでしてるの」
「流石先生」
「フィールドワークと本を両立させてる」
「そうなのね」
「そうだよ、文献を読んで足も運ぶ」
 その両方をしてというのです。
「学問は成り立つものなんだよ」
「そういうことね」
「だから今も詠んでるんだ」
「そうなのね」
「そうだよ、それで大化の改新の天智帝の歌もあるよ」
 この型のお歌もというのです。
「帝でね、そして額田王って人のね」
「その人どんな人なの?」
「お名前からして皇族の方よね」
「日本の」
「そうだよ」
 まさにというのです。
「女性の方で絶世の美人だったそうでね」
「へえ、そうなの」
「やっぱり皇族の方だったのね」
「それで美人であられたの」
「その天智帝と弟さんの天武帝との三角関係があったそうでね」
 恋愛、それも複雑なものだったというのです。
「天武帝は当時は大海皇子といったけれど」
「確か天智帝が中大兄皇子で」
「それぞれそうしたお名前だったわね」
「うん、そのお二方との間でね」
「額田王を巡って」
「恋の鞘当てがあったの」
「鞘当てというか取り合いというか凄いね」
 何というかというお顔でお話する先生でした。
「言い合いになってもいたらしいよ」
「そうだったんだ」
「それでなんだ」
「喧嘩にもなって」
「凄かったんだ」
「ご兄弟で」
「そうしたお話もあって」
 それにというのです。
「後山上憶良という歌人さんもいて」
「その人も恋愛の歌を詠ってたの?」
「そうだったの?」
「この人は苦しい暮らしや子供への想いを詠っていたんだ」
 そちらをというのです。
「そちらで素晴らしい歌を残しているよ」
「あっ、当時の日常も詠っていたっていうけれど」
「そちらの方を詠っていたの」
「そうだったの」
「そうなんだ、それとね」
 さらにお話する先生でした、ここでそのお店奈良のお酒が飲めるお店に入りました。そしてそこの一室に案内してもらってです。
 お酒と肴を楽しみながらとなりました、先生はここでまたお話をするのでした。
「食べものの歌もあるんだ」
「へえ、そうなんだ」
「そちらの歌もあるの」
「日常も詠ってるっていうけれど」
「そちらもなの」
「そこから当時の暮らしもわかるしね」
 先生は日本酒を飲みつつ皆にお話します。
「鰻とか沢蟹を食べていたこともね」
「ああ、鰻ね」
「鰻って昔から食べられていたの」
「そうだったの」
「そうだよ、鰻もね」
 そちらもというのです。
「当時から食べられていたんだ」
「成程ね」
「じゃあ当時から蒲焼にしてたの?」
「鰻丼を食べたの?」
「いや、どっちもなかったと思うよ」
 そこはとです、奈良の山菜の天麩羅を食べつつお話する先生でした。
「お醤油も普及してなかったし」
「たれに使うね」
「それもメインで」
「炭も金具もなかったから」
 江戸時代にはあったそういうものもです。
「お椀だって違ったし」
「だからなんだ」
「江戸時代みたいになの」
「蒲焼や鰻丼じゃなかった」
「鰻は食べていても」
「そうだよ、あと沢蟹は今も食べてるね」
「そう?」
 皆こちらの蟹についてはこう言いました。
「そっちの蟹食べてる?」
「ワタリガニとかケガニとかズワイガニとかじゃなくて」
「そっちの蟹もなの」
「今も食べているの」
「そうだよ、たにしとかもまだね」
 こちらの田んぼにいる貝類もというのです。
「食べてるよ、泥鰌とかもね」
「ふうん、そうなの」
「僕達まだ食べてないけれど」
「そちらも食べる機会あるかしら」
「沢蟹を」
「あとたにしとか泥鰌も」
「泥鰌は関東でよく食べられるよ」
 そちらでとお話する先生でした。
「あちらでね」
「ふうん、関東ね」
「あっちでなの」
「よく食べてるの」
「そうなの」
「まあ関西でも食べられない訳じゃないから」
 それでというのです。
「安心してね。それとね」
「それと?」
「それとっていうと」
「沢蟹とかたにしとかもね」
 先生はお豆腐を食べつつ皆にお話します。
「神戸でも食べらるし奈良にもそうしたお店あったかな」
「じゃあ明日にでも行く?」
「明日から三山を見て回るけれど」
「そのついでに」
「そうする?」
「そうしようかな」
 実際にというのです、皆も。
「これから」
「いいね」
「じゃあそうしてみよう」
「先生と一緒に食べてみよう」
「沢蟹とかにしも」
「出来たら泥鰌も」
「最近確かにそうした食べものは食べられることが少なくなったよ」
 ここでこう言った先生でした。
「冷凍技術が発達して海の幸が何処でも食べられる様になったしね」
「今の僕達もだしね」
「お刺身食べてるしね、鮪やハマチの」
「そう考えるとね」
「川の幸はね」
「食べられなくなるわね」
「うん、川の幸は相変わらずあるけれど」
 それでもというのです。
「日本人の下にね」
「海の幸が合っていて」
「そちらがメインになって」
「お刺身とかもね」
「食べるからね」
「それで」
「そうだね、川の幸はあたると怖いし」
 このこともあってというのです。
「食べられなくなっていったんだ」
「今は」
「そうなったの」
「それで沢蟹もたにしも」
「泥鰌も」
「昔は鮒や鯉もよく食べられていたんだ」
 そうだというのです。
「これがね」
「今以上に」
「そうだったんだよね」
「先生も前に言われてたけど」
「そうだったの」
「沢蟹とかも」
「うん、けれど思い立ったらだし」
 だからというのです。
「ここはね」
「そのお店に行きましょう」
「明日にでも」
「是非ね」
 先生も笑顔で応えました。
「そうしようね」
「それじゃあね」
「明日のお昼はそのお店ね」
「じゃあね」
「そっちも楽しみにしておいてね」
「元々奈良は山国だから」
 だからと言う先生でした。
「海の幸はないね」
「そうそう、どうしてもね」
「奈良は山に囲まれてて」
「海のない国だから」
「そこは仕方なかったわね」
「だからね」
 そのせいでというのです。
「昔は川の幸を多く食べていた筈だよ」
「そうよね」
「海の幸がないならね」
「川のものを食べるしかないから」
「だからね」
「必然的にそうなるわね」
「どうしても」
「そうだよ、そしてね」
 さらにお話する先生でした。
「こうして川の幸と一緒に飲んでもいただろうね」
「今はお豆腐や海の幸で食べてるけれど」
「山菜もあるけれどね」
「沢蟹やたにし、泥鰌を食べて」
「そうしていたのね」
「そうだと思うよ」
 こう言ったのでした。
「飛鳥時代とか奈良時代もね」
「そうよね」
「その辺りもね」
「面白いね」
「どうにも」
「そう思うよ、僕もね」
 先生もというのです。
「それぞれの時代の食文化を調べることも」
「そのこともね」
「いいよね」
「学んでいると」
「何かとね」
「さっきも話したけれど万葉集はそうしたことも書かれているし」
 当時の食文化を窺わせる歌もあるのです。
「中々面白いから」
「お味噌もお醤油もなかった時代ね」
「まだ日本には」
「けれどそれでも食文化はあって」
「皆食べていたのね」
「人間は食べないと生きていけないから」
 このことは絶対のことです。
「だからね」
「それでよね」
「じゃあ明日のお昼はそれね」
「川の幸を食べましょう」
「そちらを」
「是非ね」
 こうお話してです、そのうえで。
 先生達は皆でです、今は海の幸や山菜、お豆腐を食べました。
 そして次の日からです、まずは耳成山を見ますが動物の皆はその山を見て言いました。
「やっぱりね」
「この山おかしいよね」
「盆地の中にぽつんとあるし」
「変に低いし」
「山の高さにしては」
「そうだね、山の形にしても」
 先生も言うのでした。
「違うよね」
「普通の山とね」
「山の形もおかしいし」
「何でこんなに平たい場所にあるのかってなって」
「おかしな山ね」
「本当に」
「山にしては」
「そう、山としては」
 また言った先生でした。
「不自然だね」
「これ古墳じゃないの?」
「形もそんな感じだし」
「山にしてはね」
「おかしいね」
「こうして見ると余計に思うね」
 実際にと言った先生でした。
「この山は普通の山じゃないって」
「遠くにも見えるね」
「こうした山が」
「あの二つの山もそうよね」
「三山よね」
「そう、畝傍山と香具山だよ」
 先生はその二つの山の名前も出しました。
「やっぱり万葉集にも謡われていてね」
「昔からあって」
「それでなの」
「和歌にも謡われている」
「そうなのね」
「そうなんだ、僕もこうして見ると」
 耳成山をしみじみと見ながら思うのでした。
「この山は本当にね」
「おかしくて」
「それでだね」
「どうかって思う」
「そうなのね」
「先生にしても」
「他の二つの山も見るよ」 
 畝傍山と香具山もというのです。
「今日のうちにね」
「うん、じゃあね」
「次はどの山なの?」
「どっちの山に行くの?」
「畝傍山を見よう」
 こうしてです、畝傍山も見て香具山も見てでした。先生達はとりあえず大和三山を見て回ってでした。昨夜お話していた川の幸を食べさせてくれるお店に入りました。
 そのお店で沢蟹やたにし、それに泥鰌に鮒と鯉を食べてでした。動物の皆はこれはというお顔になって言いました。
「あっ、これもね」
「結構いいね」
「たにしも美味しいし」
「沢蟹も小さいけれど独特の味で」
「泥鰌もいいわ」
「勿論鮒も」
「そうだね、鯉は食べたけれど」
 それでもと言った先生でした。
「以前にね」
「他のも美味しいわ」
「そうそう、鮒にしても」
「どれもね」
「中々いけるわ」
「こうしたのをね」
 まさにとです、先生は沢蟹を塩茹でにしたものを食べながら言いました。
「万葉集の頃は食べていたんだ、ただ」
「うん、お醤油やお味噌も使ってるけれど」
「鯉はお刺身でお醤油に漬けてるし」
「どれもね」
「そうした調味料は使ってるわね」 
 万葉集の頃にはなかったものをです。
「それはね」
「やっぱりね」
「そこは違うわね」
「そうしたことは抜いておくべきね」
「お醤油やお味噌は」
「うん、けれど食材はね」
 調味料は置いておいてです。
「同じだよ」
「たにしにしてもね」
 ダブダブはそのたにしを楽しく食べています。
「そうね」
「ふうん、たにしってこういう味なのね」
 ポリネシアもたにしを味わいつつ言います。
「美味しいわ、これも」
「泥鰌も結構」
 トートーはこちらを食べています。
「いけるよ、牛蒡とも合っていて」
「鮒ってこんな味だったんだ」
 しみじみとして言ったガブガブでした。
「これも美味しいよ」
「何ていうか」
 ジップは沢蟹の味を食べています。
「いいね」
「そうだね、どれもね」
 チーチーも沢蟹を食べて言いました、既に他のお料理を食べています。
「美味しいいって言っていいよ」
「こうしたのなら」
 ホワイティが言うには。
「どんどん食べてもいいんじゃ」
「あたると怖いにしても」 
「それでもね」
 チープサイドの家族は今は御飯をついばんでいます、当然先生も御飯を食べています。
「そこに気をつけたら」
「美味しいものよ」
「これなら歌に謡われても当然だね」
 老馬の感想はこうしたものでした。
「食べたいってね」
「そうそう、これならね」
「いけるよ」
 最後にオシツオサレツがお話をします。
「歌に謡われるのも」
「わかるよ」
「うん、今も食べていいね」
 先生はたにしでお酒を飲んでいます、この日も奈良のお酒を飲んでいます。
「これなら」
「そうね、じゃあね」
「また三山を観て回るのね」
「そうするのね」
「そうするよ、幸い車で移動してるし」
 こちらは白鹿が特別に用意してくれたのです、運転手さんも車も実は神様の使いとそちらの持ちものなのです。
「また見て回ろうね」
「午後もね」
「そうするのね」
「一回見ても見落とすものがあるから」
 だからだというのです。
「ここはね」
「もう一回だね」
「見てね」
「もう一回学ぶ」
「そうするのね」
「学んだ時に習う」
 先生はこの言葉も出しました。
「それが学問だよ」
「一回学んで終わりじゃない」
「もう一度同じものを学ぶ」
「それが学問ってことね」
「これが学習って言葉になってるけれど」
 学んで時にこれに習う、の文章からです。
「学問もね」
「そうなのね」
「新しいことを学ぶだけじゃなくて」
「同じことを見直す」
「それも学問なのね」
「そうだよ、だからね」
 それ故にというのです。
「午後にもう一度ね」
「うん、三山をね」
「見て回ろうね」
「そうしようね」
「是非ね、あとお酒は」
 見れば先生が飲んでいるお酒は清酒です、その清酒については笑ってこうしたことを言った先生でした。
「万葉集の頃はね」
「そうそう、濁酒ね」
「そこは違うわね」
「今の時代の清酒とは」
「同じ日本酒でも」
「やっぱりね、そこは違うよ」
 どうしてもというのです。
「何かとね」
「そうだよね」
「今のお料理がお味噌やお醤油を使っているのと同じで」
「そこはね」
「違うのが当然ね」
「そこは違うよ、しかし本当にね」
 今度は考えるお顔になって言う先生でした。
「三山は不思議だね」
「全くだね」
「どの山もね」
「ぽつんと盆地の中にあって」
「広い奈良の盆地に」
「三つの山だけがあって」
「本当に不思議よ」
 動物の皆も言います。
「自然の山にはね」
「とても見えないから」
「どの山も」
「そう考えるとね」
「天然の山じゃないね」
「どう見ても」
「そう思うよ、本当にね」
 それこそというのです。
「古墳じゃないの?」
「形といい大きさといい」
「古墳にしては大きいけれど」
「それでもね」
「そうだね、あの山達を見ると」
 またお話した先生でした。
「古墳に思えるね」
「本当に誰の古墳?」
「そこも気になってきたわ」
「古墳にすると大きいし」
「結構力のある人よね」
「奈良は古墳が多いけれど」 
 それでもと言う先生でした。
「普通はね」
「どうしてもね」
「こじんまりとしてて」
「あんな大きな古墳はね」
「他にはないわね」
「大阪にね」
 先生はここでこの地域の名前を出しました。
「物凄く大きな古墳があるね」
「ええと、仁徳天皇陵?」
「あれは確かに大きいわね」
「もうピラミッドみたいで」
「とてつもないわね」
「あの古墳よりは小さいけれど」
 それでもというのです。
「それでもね」
「三山もね」
「古墳って考えると」
「やっぱり大きいね」
「とんでもなく」
「そう考えると」
 三山を古墳と考えるとです、山ではなく。
「中に入っているのは相当な人だよ」
「普通の貴族の人じゃないわね」
「皇族でもかなり位が高い」
「帝かな」
「古代の」
「そうかも知れないね」
 実際にというのです。
「あれだけの大きさだと」
「そうだよね」
「一体どういった方のお墓かしら」
「一体」
「そこが気になるわね」
「そのことを考えていこうかな」
 今回の論文ではというのです。
「そしてね」
「書いて発表して」
「白鹿さんとの約束を守る」
「そうするのね」
「そうしようね」
 こうお話してでした、先生は午後もです。
 三山を観て回りました、すると今度はこのことに気付きました。
「言われていた通りだったね」
「っていうと?」
「どうしたの?」
「うん、三山の位置はね」
 今度はこちらのお和でした。
「二等辺三角形になってるね」
「あれっ、そうだったの」
「適当な場所にあるんじゃなくて」
「その形になる様に置かれているの」
「そうなの」
「そうなんだ。あと畝傍山は元は今の二倍位大きさだったとも言われているね」
 そうもというのです、
「そうした説もあるしね」
「その配置がなのね」
「二等辺三角形で」
「このこともなのね」
「気になるのね」
「こうした配置に自然になるか」
 それはどうかといいますと。
「ちょっとね」
「ないよね」
「普通はね」
「三つの山の配置が自然と二等辺三角形になるか」
「それも盆地の中で」
「そう考えたら」
「ないね、それにね」
 さらに考える先生でした、今はその三山をそれぞれ見渡せる場所にいます。
「その配置に置いたなら」
「どうして二等辺三角形か」
「それも謎ね」
「どうしてその配置にしたのか」
「古墳達を」
「何か意味があるのかな」
 首を傾げさせつつ言う先生でした。
「出来たのは四世紀以前っていうけれどね」
「じゃあ山の地質調べてみる?」
「植物とかも」
「そうしてみる?」
「今度は」
「うん、そうだね」
 先生は皆のアドバイスに頷きました。
「それじゃあね」
「うん、是非ね」
「そうしようね」
「今日はもう遅いけれど」
「明日はね」
「そうしよう」
 こうしてでした、先生は明日は三山の地質や植物を調べることにしました。この辺り理系の学問にも強い先生ならではです。
「明日はね、けれどね」
「それでもなのね」
「どうしてもわからないことがある」
「どうしても」
「うん、何で二等辺三角形なのか」
 三山の配置がです。
「それはね」
「何か意味があるのよね」
「やっぱり」
「そうよね」
「何も意味がないとはね」
「考えられないわね」
「宗教的な理由かな」
 先生はこう考えました。
「神道のね」
「当時の神道の」
「そちらの」
「そうじゃないかな」
 こう考えるのでした。
「やっぱりね」
「ううん、そうなのかしら」
「かなり大昔の」
「それこそ飛鳥時代より前の」
「古墳時代の」
「そうなのかな、この時代はね」
 古墳時代はといいますと。
「まだまだわかっていないことが多いんだ」
「飛鳥時代と違って」
「そうなのね」
「文字もなかったしね」
 古墳時代の日本はです。
「古事記だって全文知ってる人がいて」
「そんな人いたの」
「そうだったの」
「それを口述筆記で書き残してね」
 そうしてというのです。
「今もあるんだ」
「そういえばそうだったね」
「古墳時代にはまだ日本に文字なかったんだね」
「あるという説もあるよ」
 先生はこちらも説も出しました。
「神代文字っていう文字があったとも言われているんだ」
「あれっ、文字あったの」
「そうだったの」
「その頃の日本にも」
「そうも言われてるけれど」
 それでもというのです。
「その辺りはっきりしなくて記録もね」
「あまりなんだ」
「残っていなくて」
「それではっきりしていないんだ」
「そうなんだ、だからね」
 三山を見ながら皆にさらにお話します。
「この山のこともね」
「どういったものか残ってなくて」
「しかも神様達も忘れていて」
「どうにもならないんだ」
「うん、どうしたらわかるのか」
 先生も首を傾げさせつつ言います。
「それは僕もね」
「わからないんだ」
「どうしても」
「文字として文献も残っていないし言い伝えでもね」
 そちらでもというのです。
「残っていないからね」
「残っていないとね」
「どうしようもないよね」
「それは」
「まだ文献とかが見付かっていなくて」
 こうもお話した先生でした。
「それが将来発見される可能性はあるよ」
「その場合はあるんだ」
「そうなの」
「うん、エジプトでもそうだから」
 この歴史の古い国でもというのです。
「古い資料が見付かってね」
「それでわかっていく」
「そうしたこともある」
「それで日本もなのね」
「新たなことがわかっていく」
「そうなのね」
「そう、古墳とかその中の副葬品にしても」
 そうしたものもというのです。
「まだまだ見付かっていないものもあるし」
「ああ、そうなんだ」
「古墳にしても」
「それに副葬品って埴輪とかね」
「ああしたものね」
「そう、そうしたものもね」
 本当にというのです。
「掘り出されたりするから」
「そこエジプトみたいだね」
「そうよね」
「流石にエジプトより歴史は古くないけれど」
「日本もそうしたことあるのね」
「新たに見付かったものでわかる」
「新たな歴史的事実が」
 動物の皆もこのことがわかりました。
「成程ね」
「そうしたことってあるのね」
「それで文字もひょっとしたら使っていたんだ」
「古墳時代とかも」
「うん、今の定説ではなかったとあるけれど」 
 先生は皆にこのことについてあらためてお話しました。
「神代文字が本当に使われていたら」
「若しかしたら」
「記録が残されていて」
「そこから新たなことがわかるかも知れないの」
「あの三山達にしても」
「ひょっとしたら」
「そうかも知れないよ、しかし本当にね」
 先生はここで感慨を込めて言うのでした。
「この奈良は歴史の宝庫だね」
「そうだね、奈良に明日香にあの三山って」
「歴史について色々あるね」
「それで文学も宗教もあって」
「学問においてはとても魅力的な場所ね」
「今回ここに来られて幸せだよ」
 こうも言った先生でした。
「本当にね」
「先生らしいお言葉ね」
「先生の大好きな学問を好きなだけ出来る場所だからね」
「先生にとって奈良はいい場所ね」
「本当にそうだよね」
「全くだよ、では明日もね」
 先生は皆ににこりと笑って次の日のお話もしました。
「三山を見て回ろうね、そしてね」
「そして?」
「そしてっていうと」
「明日はちょっと時間があるから」
 だからだというのです。
「橿原神宮にも寄ろうね」
「あっ、そこにもなの」
「行くんだ」
「そうしよう、幸い三山にも近いし」
 このこともあってというのです。
「行ってそして見てね」
「学ぶのね」
「橿原神宮のことも」
「そうしようね」
 こう笑顔で言ってそしてでした。
 先生達はこの日のフィールドワークを終えてそうして一緒にホテルに帰りました、明日もフィールドワークをすることをお話して。



三山に関して仮説を立てた先生。
美姫 「この仮説で行くのかしら」
これから先の調査次第かな。
美姫 「調査もちゃんとしつつも、各地で美味しい物を」
良いな。皆も楽しそうだし。
美姫 「本当にね」
次はどんな物が出てくるのか。
美姫 「次回も待っていますね」
ではでは。



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