『ドリトル先生と春の花達』
第十幕 サラと桜
サラは先生のお家にお邪魔してです、その桜餅を見てまずは先生にこんなことを言いました。
「面白いお菓子ね」
「そう言うんだね」
「イギリスもお花を使ったお菓子はあるけれど」
それでもというのです。
「ここまでお花を使ってはいないわね」
「そうだよね」
「薔薇のお菓子はあっても」
サラは好きなお花の名前も出しました。
「けれどね」
「こうしたものはなくて」
「食べていいのよね」
サラは先生に尋ねました。
「そうしてもいいのよね」
「だから出したんだよ」
先生はサラににこりと笑って答えました。
「今ね」
「そうなのね、他のお菓子もなのね」
桜を奇麗に使ったお饅頭に羊羹もあります。
「あるのね」
「そうだよ」
「和風ティーセットね」
お茶は緑茶です。
「兄さんらしいわね」
「やっぱりお茶を飲む時はね」
「ティーセットね」
「そう思ってね」
「こうしてだね
「そう、出したんだよ」
まさにというのです。
「こうしてね」
「日本にいて日本のお菓子を食べても変わらないのね」
「ティーセットはね」
「そこは流石に兄さんね」
「これだけはね」
先生はちゃぶ台に向かい合って座っているサラにお話していきます、座布団の上で胡坐をかいてです。
「どうしてもね」
「欠かせないのね」
「そうなんだ、だからね」
それでというのです。
「こうして出しているんだよ」
「お茶もお菓子も」
「セットにしてね」
そうしてというのです。
「サラにも食べて欲しいんだ」
「成程ね」
「じゃあ食べてくれるね」
「さっき言った通りよ」
微笑んでです、サラは先生に答えました。
「頂くわ」
「それじゃあね」
「これからね」
こうお話してでした、そのうえで。
サラはその桜餅を手に取りました、そうしながら先生を見て再び尋ねました。
「葉っぱは取るの?」
「どっちでもいいよ、ただ葉は甘くないから」
「だからなのね」
「桜餅の甘さをそのまま味わいたいならね」
「葉は取ってなの」
「そうして食べるといいよ」
こう言うのでした。
「そうしたらね」
「そうなのね」
「じゃあね」
「ええ、取って食べてみるわ」
こう言ってです、サラは実際に桜餅の葉を取って食べてみました。そうしてから一口食べますと。
するとです、先生ににこりと笑って言いました。
「美味しいわ」
「お口に合うんだね」
「餡子よね」
「こし餡だよ」
「私そちらも平気だし」
「餡子苦手な人もいるね」
「日本以外ではね」
実はそうみたいです、日本人はよく知りませんが。
「そうよ」
「美味しいのにね」
「癖があるから、独特の」
餡子にはです。
「苦手な人は苦手よ」
「それでだね」
「私は食べられるけれど」
「食べられる人ばかりとは限らない」
「そうよ」
まさにというのです。
「兄さんもそのことは気をつけてね」
「だからサラにも勧めてね」
「強くはなのね」
「言わなかったんだ」
「餡子が苦手な人が多いというのは忘れていたけれど」
「食べろって強く言わないのは兄さんね」
先生らしいいというのです。
「そこは」
「強制は好きじゃないから」
「それでよね」
「そう、それで食べてくれたから」
本当にというのです。
「嬉しいよ」
「そうだね、けれどね」
「けれど?」
「いや、桜餅を食べたけれど」
それでもというのです。
「桜自体はどうかな」
「あっ、実はね」
「実は?」
「今主人と子供達も一緒に日本に来てるの」
「そうなんだ」
「このお家には私だけ兄さんへの挨拶で来てるけれど」
「他の人は何処にいるのかな」
今はと聞いた先生でした。
「また大阪に行ってるのかな」
「そうよ、大阪の梅田に行ってね」
そしてというのです。
「美味しいもの食べてるわ、そして明日はね」
「明日は?」
「大阪城に行くのよ」
「ああ、あのお城に」
「何でも桜が満開らしいから」
「ああ、大阪では遂になんだね」
先生は大阪城の桜のことを聞いて頷きました。
「桜が咲いたんだね」
「そうなのよ」
「神戸より大阪の方が暖かいからね」
「大阪から来たけれど」
サラもお話します。
「大阪は結構暖かいわよ」
「神戸とは違って」
「何でも例年よりも涼しいらしいけれど」
「それでもだね」
「大阪自体がね」
「暖かいからね」
「夏はとんでもなく暑いけれど」
春に暖かいのなら夏はそうなります。
「そのせいで桜も咲いてるらしいのよ」
「成程ね」
「だからね」
それでというのです。
「明日は家族で桜を観に行くわ」
「大阪城でだね」
「大阪城自体もね」
「うん、観たらいいよお城もね」
「あのお城素敵よね」
サラは大阪城についてもお話しました。
「日本のお城の中でも」
「あの天守閣だね」
「そう、あれがもうね」
何といってもというのです。
「素敵よね」
「あれはね」
まさにと答えた先生でした。
「日本のお城独特でね」
「他の国のお城の塔よね」
「そう思っていいよ、ただね」
「日本に入ってなのね」
「元々は西洋のお城の天主だったけれど」
「それが天守閣になったのね」
「天主閣からね」
呼び方は同じですが漢字と違うというのです。
「そうなったんだ」
「じゃあ元は塔なのね」
「日本の天守閣もね」
「木造の」
「そうなのね、それと日本のお城は街じゃないし」
サラはこのこともお話しました。
「独特ね」
「うん、そこもね」
「日本独特なのね」
「日本では城下町だから」
「城塞都市じゃなくて」
「言うなら砦で」
他の国で言うそちらだというのです。
「そこに天守閣があるんだ」
「それが日本のお城ね」
「そうなんだ、大阪城もだよ」
「あの立派なお城もなのね」
「姫路城もいいけれどね」
先生は同じ兵庫県にあるこのお城のお話もしました。
「大阪城もいいね」
「そうよね、それでそこの桜もね」
「観るのね」
「そうしてくるわね、家族で」
「サラに桜をどうかって言おうと思ってたけれど」
先生は昨日皆とお話した時のことを思い出しました。そのうえでのお言葉です。
「もう決めていたんだね」
「日本の桜は世界的に有名でしょ」」
「それでだね」
「私も知ってるし」
それでというのです。
「是非ね」
「大阪城でだね」
「楽しんでくるわ」
「そうしてくるといいよ、太閤さんも喜んでくれるよ」
「戦国時代の人ね」
「日本のね、その頃日本は領主ごとに分かれていたけれど」
大名の人達をサラがわかりやすい様に日本でも西洋でも使われる領主という表現で説明しました。
「その日本を統一して平和をもたらすことに貢献したんだ」
「そうした人なのね」
「織田信長さんの跡を継いでね」
「確かお百姓さんからよね」
「うん、天下人にまでなったんだ」
「天下人?」
「首相と考えて」
天下人はイギリスで言うとそうなるというのです。
「立場はそんなところだし」
「あっ、日本には天皇がおられるから」
「そう、王と同じでね」
「天皇とは別に政権を担当してるから」
「首相と考えてね」
その様にというのです。
「受け止めてくれればいいよ」
「わかったわ、太閤さんは首相ね」
「その前の信長さんも後の徳川家康さんもだよ」
「幕府を開いた人ね」
「立場を考えるとね」
そうすると、というのです。
「この人達は首相と思っていいね」
「政党を率いる」
「ううん、幕府も政党になるかな」
「私そう思ったけれど」
「そうだね、政党までは考えていなかったけれど」
「兄さんのお話を聞いてそう思ったわ」
「イギリスの感覚だとそうなるね」
「そうね、じゃあ首相の住んでいた宮殿ね」
大阪城はというのです。
「官邸みたいに」
「ああ、そうも考えられるね」
「じゃあ日本の旧首相官邸にだね」
「言って来るわ」
笑顔で言ってでした、そのうえで。
サラは桜の和風ティーセットを楽しんでそうしてでした、家族の皆がいる大阪に戻りました。
その後で、です。先生は一緒にいた動物の皆にこんなことを言いました。
「隣と言ってもいい場所なのに」
「それでもだよね」
チーチーが先生に応えました。
「大阪ではもう満開なんだ」
「というか隣町でここまで気候が違うなんてね」
トートーは不思議がっている感じでした。
「大阪と神戸で」
「神戸から大阪に行ったら気候が全然違って」
ジップは体感からお話します。
「何度行っても違う世界に思えるよ」
「日本って地域で凄く気候が違うけれど」
ここで老馬は北海道と沖縄を思い出しました。
「隣町でもそうなんだね」
「大阪と神戸なんて電車ですぐじゃない」
ダブダブはこう言いました。
「それこそあっという間に行き来出来るのね」
「こっちは寒くてもあっちは暖かい」
「不思議な位に違うね」
オシツオサレツも言います。
「それであっちはもう桜が咲いているんだ」
「こっちはこれからなのに」
「神戸と大阪で何でこう違うのかな」
「日本って不思議な国ね」
ポリネシアから見てもです。
「凄くね」
「気候のことでも不思議だよ」
「隣同士でも桜が咲いてたり咲いてなかったり」
チープザイドの家族が見てもです。
「同じ国でも離れてたらわかるけれど」
「電車や車でそれぞれ一時間もかからない場所でこうだから」
「というか神戸が寒いのは知ってるけれど」
ガブガブは先生に神戸の前の海と後ろの山とそこから降りる風のことはしっかりと聞いているのでこう言ったのです。
「大阪は何でああ暑いのかな」
「何時でも気候が全然違ってて」
最後にホワイティが言いました。
「桜にも影響するなんてね」
「大阪は海を前にした平地だからね」
それでとお話した先生でした。
「後ろに山があっても神戸よりずっと離れてるよね」
「その分街も広いよね」
「それで風で熱気も抜けなくて」
「神戸より暑いんだ」
「そうなるのね」
「人も多いしね」
神戸よりずっとです。
「関東の方が人が多いけれど」
「あっちも風吹くのよね」
「からっ風っていうのね」
「関東は風が強いから」
「人が多くて開けていても寒いのね」
「そうなのね」
「そうなんだ、大阪は風も少ないから」
神戸や関東と比べてです。
「そのこともあってね」
「暑いのね」
「そうなのね」
「そうだよ、だから桜もね」
暑い分です。
「早く咲いたんだよ」
「そういうことね」
「それでサラさんはその大阪の桜を観に行くんだね」
「大阪城で」
「そうしてくるのね」
「いいことだよ」
にこりと笑って言う先生でした。
「サラもわかってるね」
「というか世界的に有名って言ってたよ」
「そうそう、日本のお花見は」
「そこまで有名なのね」
「日本でだけじゃなくて」
「そうだね、奇麗なものはね」
先生はにこりとしたままさらに言いました。
「誰でも好きでね」
「世界的に有名になるのね」
「イギリスでもそうで」
「それでサラさんもなんだね」
「ご家族と一緒に」
「そうだね、そして僕もね」
先生もというのです。
「いよいよだね」
「和歌会までには間に合いそうだし」
「和歌会の会場以外でも満開だね」
「それじゃあその桜をね」
「僕達も観よう」
「そうしようね、サラの次は僕達だね」
先生はここでご自身だけを言いませんでした。このことも実に先生らしいことでした。そしてです。
その先生にです、皆も言いました。
「そうそう、それが先生だよ」
「皆でって言うところがね」
「僕達のことも忘れない」
「ちゃんと一緒にって考えてくれてるから」
「それがいいのよ」
「先生だけじゃない」
「自分のことだけの人じゃないから」
そうしたことは皆もよくわかっています。
「だからね」
「いつも一緒にいられるし」
「しかもそれが楽しくて」
「とてもいいのよ」
「いや、皆が一緒じゃないとね」
先生が言うにはです。
「何がいいかってなると」
「そうなるからだよね」
「先生はいつも僕達と一緒だね」
「そして僕達もだよ」
「先生と一緒にいたくなるのよ」
「実際にいつも一緒にいるんだ」
そうだというのです、そうしたお話もしましてです。
先生は学校に行って学園の中野桜の木々を見てでした、そのうえでこうしたことを言ったのでした。
「うん、遂にね」
「咲きそうだね」
「明日か明後日にはね」
「咲くね、桜が」
「そうなりそうね」
「蕾もね」
桜のそれが遂に出ています。
「出て来ていて」
「それがだよね」
「咲くからね」
「本当にいよいよだよ」
「桜が咲くね」
「今年は寒いから遅くなるかって思っていたけれど」
「これだと大丈夫ね」
いつも通り咲いてくれるとです、皆も言います。
「楽しみだよ」
「本当にいよいよだから」
「まだかなって感じで」
「とても待ち遠しいよ」
「その待ち遠しさを楽しむのもいいね」
先生もにこにことしています。
「期待してね」
「何か苦しい感じもするけれど」
「待とう待とうって思うと」
「どうしてもね」
「このことは」
「そうだけれど」
それでもというのでした。
「一つ問題なのはね」
「問題?」
「問題っていうと?」
「雨なんだよね」
先生が気にしているのはこのことでした。
「強い雨が降ったらね」
「あっ、桜落ちるね」
「折角のお花が」
「だから雨は嫌だよね」
「どうしても」
「日本の春のはじまりは雨も多いし」
だからというのです。
「困るんだよね」
「あっ、確かにね」
「日本の今の季節って雨も多いね」
「結構強い雨も降るし」
「風も出たりして」
「花びらが散るのよね」
「そうなんだよね、それがね」
どうしてもというのです。
「心配だね」
「寒さが終わったけれど」
「それでもだね」
「雨が降ればね」
「問題だよね」
「桜が咲いている間はね」
先生が思うことはといいましうと。
「降らないで欲しいね、けれど一回か二回はね」
「絶対に降るよね」
「雨は」
「それが心配よね」
「降ってそして桜が落ちることが」
「どうしても」
「落ちないで欲しいよ」
雨は降らないで、というのです。
「出来るだけ長く咲いて欲しいね」
「何か詩的な表現だね」
「じゃあその気持ちを和歌にしてみたら?」
「和歌会の時も」
「そうしてみたらどうかしら」
「そうだね」
先生は皆のお言葉に頷きました。
「他にも詠ってみるけれどね」
「英語の詩も書いていたし」
「そっちもだね」
「ちゃんとするんだね」
「そうしたことも」
「そう考えているよ、英文詩の感じも和歌に変えたら」
イギリス人として思う先生でした。
「どんな和歌になるのか」
「楽しみよね」
「そこもね」
「やってみるのね」
「やってみるの精神でね」
まさにそれでというのです。
「そうした和歌も書いていくよ」
「よし、じゃあね」
「やってみよう」
「先生のチャレンジ精神にも期待してるわよ」
「そっちも見させてもらうよ」
「期待されると困るけれど」
控えめな先生は照れ臭く笑いました。
「けれどね」
「それでもだね」
「和歌も頑張るね」
「この調子だと満開だけれど」
和歌会の時にはです。
「さて、どうなるか」
「和歌会は」
「桜の中でやるけれど」
「どれだけ雅なのかしらね」
皆もそれが楽しみです、そうしたお話をしてでした。先生達は桜達が咲くのが間もなくだということに喜んでいました。
そのうえで図書館に今書いている論文の文献を借りに行ったのですが。
そこでトミーに会ってです、こう言われました。
「先生いつもよりご気分がいいですよね」
「あっ、わかるかな」
「にこにことしてますから」
普段以上にというのです。
「ですから」
「うん、桜をを見ていてね」
「もうすぐで咲きそうだからですか」
「それでなんだ」
まさにそれが為にというのです。
「今確かに気分がいいよ」
「やっぱりそうですね」
「あと少しでね」
「桜が咲いて」
「和歌会の時はね」
あと少しですが。
「満開になるね」
「そうなんですね」
「そう、それにね」
「それに?」
「和歌会の後はね」
「お花見ですね」
「そちらも楽しめるからね」
だからというのです。
「今から楽しみだよ」
「桜は色々と楽しめますね」
「というか桜の楽しみ方を見付けてきたのがね」
「日本人ですね」
「僕達はその楽しみの中に入っているんですね」
「そうなるね」
こうトミーにお話するのでした。
「何しろイギリスにはここまで桜は咲いていないからね」
「あることにはありますが」
「ここまではないね」
「はい」
その通りと答えたトミーでした。
「だからね」
「桜の楽しみ方はですね」
「日本人が見付けたんだ」
その色々な楽しみ方をというのです。
「そうなってるんだ」
「そういうことですね」
「うん、じゃあね」
「和歌会もお花見もですね」
「楽しみにしていよう」
是非にというのです。
「僕達もね」
「はい、それで図書館では」
「本を探しているんだ」
「論文の文献をですね」
「今度はカイギュウについて書いているけれど」
「ああ、カイギュウさんだね」
ガブガブはカイギュウと聞いて言いました。
「マナティーさんやジュゴンさんだね」
「暑い海にいるよね」
そうした生きものはとです、ジップも言います。
「どのカイギュウさんも」
「僕達沖縄に行ったし」
チーチーが言うにはです。
「あっちの海にもいるんだよね」
「じゃあその時のことも活かして書くのかな」
トートーは先生を観ながら言いました。
「先生は」
「あの時は蛇さん達のことでかなりあったけれど」
ポリネシアはあのヒャンやハイのことを思い出しました、沖縄の人達でも滅多に観られない彼等のことを。
「ジュゴンさん達もいたわね」
「沖縄は本当にいい場所だったね」
ホワイティも沖縄でのことを思い出しています。
「美味しいものも一杯あって」
「そうそう、また行きたいね」
「そうよね」
チープサイドの家族も沖縄のことを思い出しています。
「機会があれば」
「是非ね」
「あっちじゃもう桜が咲いているそうね」
ダブダブが言うのはこのことでした。
「桜を早く観られるし余計にいいわね」
「冬も暖かいだろうね、沖縄は」
「あの時は暑い位だったし」
オシツオサレツも言います。
「それじゃあね」
「もう冬はない位だろうね」
「そしてその沖縄に行った時のこともだね」
老馬が先生に尋ねました。
「先生は今度の論文に活かすんだね」
「いや、カイギュウはカイギュウでもね」
それでもと言う先生でした。
「河にいるカイギュウだよ」
「あれっ、海にいるんじゃなくて」
「河にいるカイギュウさんなの」
「そちらなの」
「うん、アマゾンのね」
この河のというのです。
「マナティーだと」
「アマゾンマナティーですね」
トミーが先生に言ってきました。
「あのマナティーですね」
「うん、そうだよ」
「あのマナティーは河にいますからね」
「彼等のことを書くつもりなんだよ」
「そうなんですね」
「あそこはそうした生きものが多いからね」
「本来海にいる生きものの亜種がいますね」
アマゾン川にはです。
「イルカとかエイが」
「そう、エイもいるんだよね」
淡水産のエイです。
「他にも色々な生きものがいるけれど」
「マナティーもいて」
「彼等の論文を書くつもりなんだ」
「今度はそちらですか」
「アマゾンのことかこれまで何度も書いたけれど」
論文にです、生物学や植物学、地理学と先生はこれまでアマゾンのことを何度も書いてきたのです。
「マナティーも書くよ」
「そちらも楽しみですか」
「うん」
ここでもにこりとして言う先生でした。
「そうなんだ」
「先生は本当に学問がお好きですね」
「調べて論文に書くとね」
「それで、ですね」
「楽しめるよ」
本当に生粋の学者さんなのです、先生は。
「だから書くよ、今回もね」
「それも先生だね、けれどアマゾンはね」
「あそこは凄いよね」
「密林で暑くて雨は多くて」
「しかも怖い生きものが一杯いて」
「ちょっとやそっとじゃ行けないわ」
そうした場所なのです。
「緑の地獄っていうけれど」
「滅多なことじゃ生きられないわね」
「密林の中も河の中も」
「何処もかしこも」
「あそこに一人でいられるとなると」
先生も言います。
「仮面ライダーになれるよ」
「日本の特撮ヒーローだよね」
「あそこに一人で暮らそうって思ったら」
「自然、野生動物達と戦って」
「そうしていったら」
「うん、それこそね」
先生はこのことは冗談抜きでお話しています。
「ヒーローになれるよ」
「実際そうした仮面ライダーいたわね」
「名前がそのままで」
「とても野性的で」
「とても強かったね」
「アマゾンはそこまで過酷なんだ」
その自然環境はというのです。
「何しろ猛獣も毒のある生きものや虫も一杯いるからね」
「沖縄なんか比べものにならないね」
「流石は地球最大の秘境よ」
「アフリカのジャングルすら凌駕する」
「そうした場所ね」
「アフリカよりもね」
先生は皆とアフリカに行った時のことも思い出しました。
「凄いね」
「そうだよね」
「どう考えても」
「広いしね、ずっと」
「中の状況も」
「ニジェールとかよりもね」
遥かにというのです。
「凄いからね」
「若しあそこに行ったら」
「もう大変で」
「ちょっと油断したらね」
「もうその時点で終わりだから」
「また行く時になったら」
「気を引き締めて」
「行こうね、本当にだよ」
先生は皆に注意する様に言いました。
「その時は注意してね」
「うん、わかってるよ」
「僕達も困りたくないし」
「事前の準備はしっかりして」
「そしてね」
「計画も立てて」
「必要なものは全部持って行って」
「抜かりがない様にしてね」
そしてというのです。
「中に入ったら余計に注意して」
「軽はずみな行動は取らない様にして」
「そうして皆で行かないと」
「どうなるかわからないから」
アマゾンは本当にそうした場所なのです、ジャガーやアナコンダ、鰐にシビレウナギにピラニアと大勢の怖い生きものもいますし。
特にですい、トミーが言うには。
「蛙は食べたらいけないですね」
「ヤドクガエルはね」
先生も答えます。
「蛙は美味しいけれど」
「鶏肉みたいな味で」
「けれどね」
幾ら美味しくてもというのです。
「あの蛙君達はね」
「食べたら駄目ですね」
「猛毒があるからね」
名前通りにです。
「だから食べない様にね」
「絶対にですね」
「本当に死ぬ危険があるから」
そこまでの猛毒があるというのです。
「食べたら駄目だよ」
「ヤドクガエルは」
「すぐに彼等だってわかるしね」
「そうですね、色は奇麗で」
「宝石みたいだからね」
それでというのです。
「すぐにわかるよ」
「その辺りサンゴヘビと一緒ですね」
「そうだね、サンゴヘビは噛んできてね」
「ヤドクガエルは食べると危ないですね」
「毒のある生きものでもそこが違うね」
毒にやられるそのことがです。
「ヤドクガエルは食べない限り何もないよ」
「そうですね」
「だから観てもね」
「観るだけですね」
「そうだよ」
先生もこう言うのでした。
「奇麗だからそうした風には楽しめるよ」
「そういうことですね」
「あとアマゾンには巨大な食中花とか人食い蜘蛛はいないから」
「そうしたお話はないですね」
「うん、ないよ」
アマゾンはこれまでかなり調べられてきました、長い歳月をかけて。それでそうした動植物は見付からなかったのです。
「同じ位の危険は多いしまだ未確認の動植物も多いにしても」
「そうした動植物はですね」
「いないよ、そこまでくるとね」
「もうアニメですね」
「日本ではね」
幾ら一人で生きようと思えば特撮のヒーローになれる世界でもです。
「そうなるよ」
「本当にそこまではですね」
「いないから」
「ちゃんと認識することですね」
「アマゾンについてもね」
「幾らとんでもないところでもちゃんと調べて」
「偏見をなくしていくことだよ」
このことが大事だというのです。
「何についてもね」
「そういうことですね」
「怖い、おかしいだけじゃね」
「何にもならないですね」
「学問はそうした偏見を消していくものなんだ」
先生は学問についてこう考えています。
「神を学ぶと共にね」
「その通りですね」
「こう言うと日本人は首を傾げるけれど」
「学問は神学からはじまってますからね」
「全ての学問の源流は神学だよ」
キリスト教のというのです。
「まさにね」
「けれどこのことは」
「そう、本当にね」
「日本ではそれぞれの学問が分かれてますね」
「文学、社会学、法学、哲学、経済学、医学、理学、何でもだね」
「そこが欧州と本当に違いますね」
「欧州は本当にね」
学問は神学という源流があるというのです。
「源流があるから」
「そして学問は神のことを学ぶことでもありますが」
「そこが日本とは違うね」
「日本も宗教学がありますが」
「哲学や文学には影響を与えていても」
「全ての学問には、ではないですね」
「そうした学問ではないよ」
日本の宗教学はというのです。
「西洋の神学とは違って」
「そうですね」
「神仏というし神も宗教も一つではない」
「そのことがありますね」
「だからね」
「全ての学問が神を学ぶことという考えは」
「日本にはないね」
本当にそこはというのです。
「また別の考え方だよ」
「学問についても」
「生物学もね」
「生物学は生物学ですね」
「そう考えられているよ」
神学が源流にはないというのです。
「だからこそダーウィンの進化論も無抵抗に受け入れて理解出来ているけれど」
「これは凄いことですけれどね」
「日本人には自覚がないんだよね」
先生達から見れば本当に凄いことですが。欧州の学者さんからの視点では。
「そのことも」
「欧州では大論争でしたからね」
ダーウィンの進化論についてです。
「今も言われていますし」
「神学に反するのではってね」
「そうなんですよね」
「天動説、地動説もね」
「ガリレイやコペルニクスの」
「こちらもだったからね」
ルネサンスの頃のことです。
「ベーコンやデカルトも言っていたしね」
「それぞれの立場で」
「けれど日本ではね」
「地動説もあっさりとでしたね」
「うん、受け入れられたよ」
物凄い論争にならずにです。
「これがどれだけ凄いか」
「僕達が思っていても」
「それを全然凄くないだから」
「日本人は余計に凄いですよ」
「これは神学に捉われていないからだね」
「全ての学問の源流が神学でないので」
「神を学ぶことを意識しなくてもね」
それでもというのです。
「悪いことばかりではないね」
「そうしたことを自然に受け入れることも出来るので」
「うん、いいこともあるよ」
「そういうことですね」
「日本の学問もね」
「そうなりますね、ただそのせいか」
トミーはこうも言いました。
「学問についての考え方が全然違いますね」
「神を意識するかしないでね」
「そうですよね」
「音楽でもそうだね」
「欧州は音楽まで神からはじまっていますからね」
「そう、教会で発達してきたからね」
パイプオルガンや合唱とです。オーケストラにしても信仰についての曲が非常に多いのです。
「欧州のことを細かく学ぶとわかってくれるけれどね」
「少し学んだ位ですね」
「日本のそれと同じものだとね」
「誤解してしまいますね」
「無神論とは違うけれどね」
日本にも神様はいますがその信仰のあり方が根本から違うのです。
「欧州はあらゆるものを神が司っていて」
「日本では違っていて」
「あらゆるものに神が存在している」
「それが日本ですね」
「一神と多神の違いだよ」
「そういうことですね」
「あらゆるものにそれぞれの神様がいる国だよ」
それが日本だというのです。
「そして学問もだよ」
「それぞれの神様がいますか」
「仏様でもあるよ」
「学問の神様は天神様、菅原道真さんですね」
「うん、ただ一柱じゃないから」
学問の神様もです。
「それこそあらゆる学問に神様がいるから」
「だから学問も別系統ごとでも」
「矛盾もしないんだ」
「そうしたこともわかってきました」
トミーはやっと、という感じで先生に応えました。
「そうしたことまでわかってやっとですね」
「日本が理解出来るね」
「それとキリスト教が絶対か」
「それもだね」
「それを絶対と考えますと」
「日本も理解出来なくてね」
「ひいては学問もですね」
それ自体もなのです。
「間違えてしまいますね」
「何かを絶対とすると間違えるよ」
「そういうことですね」
「うん、では和歌会もね」
「絶対と思わないで」
「詠うよ、和歌の神様もいるし」
あらゆるものに神様が存在しているのでこちらにも神様がいるのです。
「そのことも覚えていこうね」
「はい、それで和歌の神様は」
「何か沢山いるよ」
「一柱じゃなくて」
「学問の神様も一柱じゃないし」
天神様だけでないというのです。
「和歌の神様もだよ、天神様も和歌の神様だしね」
「あの人もですか」
「うん、そうなんだ」
「学問の神様で祟り神で雷神で」
「そして和歌の神様でもあるんだ」
「天神様も凄いですね」
「こうして一つのことに沢山の司る神様がいてね」
そのうえでとお話した先生でした。
「神様も幾つものことを司ったりしているんだ」
「日本の神道は凄いですね」
「それ自体が凄いね」
「全くです」
トミーは心から思いました、そうしたこともお話してでした。いよいよ咲く桜達とそれからのことを待つのでした。
サラが先生の所に。
美姫 「本当に兄妹仲が良いわね」
良い事だね。
美姫 「確かにね。桜もいよいよ咲いたし」
そろそろ歌会かな。
美姫 「先生がどんな歌を詠むのか楽しみね」
次回も待っています。
美姫 「待っていますね〜」
ではでは。