『ドリトル先生と春の花達』
第八幕 延期の危機
先生が英語の詩も作ってみようと思ったと聞いてです、王子は先生のお家でまずは目を瞬かせて言いました。
「またどう思ってかな」
「うん、和歌会に出るけれど」
「僕も出るけれどね」
「そのインスピレーションになるかもとも思ってね」
「英語の詩を作ることでも」
「同じく詩だからね」
このことは同じだからだというのです。
「それでと思ったんだ」
「成程ね、それでなんだ」
「うん、僕は学生時代詩を作るサークルにもいたしね」
「あっ、そうなんだ」
「クラブは文科系ばかりだったよ」
この辺り実に先生らしいです。
「読書やそうしたことで楽しんでいたんだ」
「先生らしいね」
「そう言ってくれるんだね」
「うん、それで詩も作っていてだね」
「英文の詩も作ってね」
そうしてというのです。
「インスピレーションもね」
「得ようっていうんだね」
「こう考えているんだけれどね」
「そうだね、やってみたらいいんじゃないから」
王子は先生が出してくれたお茶を飲みつつ応えました。
「それもね」
「そうだよね」
「何でもやってみることだね」
「そう、やってみたらそこから何か出るかも知れないからね」
「学問はそうだね」
「一見関係ない様な分野からヒントが出たりするんだ」
そうしたことがあるというのです。
「だからいいんだ」
「色々な学問をしている先生ならではの言葉だね」
「実際にそうしてヒントを得てきたしね」
先生の学問の中で、です。
「いいと思うよ」
「じゃあそちらの詩も作って」
「英語の詩も作ってみるよ」
「先に英文で作るよね」
「まだ和歌会には時間があるからね」
先生もお茶を飲んでいます、晩御飯前にくつろいでいるので服も作務衣を気楽に着ています。
「先にね」
「英文でなんだ」
「詩を作るよ」
「こうした時はあれだね」
「あれって?」
「いや、先生が色々な言葉を使えるからだね」
英文の詩を作られることはというのです。
「というか先生のネイティブな言語だからね」
「英語はね」
「イギリス生まれだからね」
「英語から入って」
先生の語学はです。
「スコットランド、アイルランド、ウェールズとね」
「四つの言語も覚えて」
「ドイツ語もラテン語も覚えてね」
そうした言語も覚えてなのです。
「フランス語やイタリア語、スペイン語も覚えたよ」
「スペイン語が大きいね」
「そう、中南米も殆どがスペイン語だからね」
「先生は中南米でも言葉に困っていないね」
「そうなんだ、そしてロシア語も覚えたしね」
「日本語と中国語も」
「中国語は気をつけてね」
この国の言語にはというのです。
「文字はともかく発音が全然違うから」
「北京語と広東語、上海語、四川語でだね」
「そうだよ、特にね」
「特に?」
「客家語は独特なんだ」
中国語の中でもというのです。
「僕も学んでいてかなり違うんで驚いたから」
「他の中国語と比べても」
「そうなんだ、昔の中国語が残っていると言われてるよ」
「昔の中国語が」
「言葉も時代によって変わるからね」
先生はこのこともわかっています、だから日本の古典の言葉にもすぐに入ることが出来たのです。
「英語だってそうだし」
「シェークスピアとかね」
「そう、単語とかが違うね」
「それで客家語もなんだ」
「かなり違うよ、まあそれは日本も古典が凄くて」
今使っている日本語のこともお話します。
「方言とかコックニ―以上だしね」
「コックニー、ロンドンのダウンタウンの言葉だね」
「津軽や青森の言葉なんてね」
「ああ、どっちも凄いね」
「昔の鹿児島弁とかかなりだよ」
「わからないんだね」
「これは日本語かなって本気で思ったよ」
日本語を自由に喋られて使える先生でもです。
「一体ね」
「聞いていてなんだ」
「うん、どういった言語なのか」
「そこまで思ったんだ」
「あまりにも凄くてね」
「訛りがだよね」
「津軽弁とはまた違ったニュアンスでね」
訛りが強烈だというのです。
「学んでいてこれはと思ったよ」
「日本語もそうなんだね」
「うん、ただ方言で文章を書くことはないからね」
こうしたことはないというのです。
「大抵の国や人がそうだけれどね」
「昔の鹿児島弁で文章を書くことはないんだ」
「うん、日本でもあまり方言で文章を書くことはないよ」
「ダンテの神曲では書いてるよね」
「ああ、あの作品だね」
「確かトスカナ方言だよね」
「そうだよ、あの作品はその言葉で書かれているんだ」
その言葉でというのです。
「日本でも谷崎潤一郎が卍という作品で関西の女性の言葉で文章を書いているけれどね」
「そうした文章もあるんだね」
「うん、ただ和歌は違うから」
先生がこれから取り組む詩はです。
「方言で書くことばないよ」
「言うなら和歌の言葉だね」
「そう、そちらの文章で書くよ」
そうしたものだというのです。
「英語でもそうだけれどね」
「そちらもだね」
「うん、じゃあ英文で日本の美しさやそうしたものと僕の想いを含ませてね」
和歌でそうする様にというのです。
「書いていくよ」
「そちらも頑張るんだね」
「そうしてみるよ」
「ルイス=キャロルさんみたいにかな」
動物の皆は今はお部屋の中でくつろいでいました、そこで最初にガブガブが言ってきました。
「ああした感じね」
「いや、あの人は言葉遊びじゃない」
トートーはアリスのその詩について言いました。
「普通の詩じゃないよ」
「バードとなると古いけれど」
ダブダブが言ったのはこちらの人達でした。
「イギリスも詩は立派よね」
「民謡の歌詞もいいよ」
ジップはこちらが好きみたいです。
「色々と素晴らしいものがあるよ」
「マザーグースはよく読むと怖いね」
ホワイティはマザーグースにそうしたものを感じています。
「ちょっと読むと楽しいけれどね」
「言葉遊びも多いしね、イギリスの詩って」
チーチーはそこも楽しんでいます。
「言葉のテクニックをどう駆使するかもいいね」
「イングランドだけじゃないのもいわね」
ポリネシアが言うことはといいますと。
「スコットランドやアイルランドもあるし」
「ウェールズも含めて四国の詩全部がいいね」
老馬も詩が大好きです、実際に詩いついて語るそのお顔は明るいもんおです。
「歌の歌詞にもなりやすいしね」
「いや、英文の詩はね」
「本当に面白いわね」
チープサイドの家族の言葉も弾んでいます。
「遊べて真剣に詠えて」
「ああした言葉があるのっていいわ」
「そして先生もだね」
「これから英文で詩を作るんだね」
最後にオシツオサレツが二つの頭で言いました。
「先生が一番親しんでいる言葉で」
「そうするんだね」
「そうだよ、久し振りに作るけれどね」
先生も言います、英文の詩について。
「楽しみだよ」
「そうだね、それじゃあね」
「作ってみようね」
「それでどんな詩なのかな」
「和歌みたいなもの?やっぱり」
「うん、五七五七七ではないけれどね」
この三十一の言葉で詠うものではないというのです。
「英文で三十一の文字で詩にすとなると」
「ちょっと無理があるわね」
「もっと言えばちょっと以上に」
「アルファベットで単語だし」
「ちょっとね」
「そう、漢詩とも違ってね」
それともというのです。
「英語は単語と単語を合わせて文章となるね」
「だから文字ではなく単語だね」
「単語をどう使っていくかだから」
「三十一の文字で作るものじゃない」
「そこはだね」
「違うよ、けれど和歌を詠う心でね」
季節、そして人の想いの両方をです。
「作ってみるよ」
「和歌の心で英文を」
「イギリスの生まれの先生が」
「何か凄いことだね」
「滅多に出来ることじゃないわ」
「いや、それが出来るのがね」
動物の皆は驚いていますが王子はにこにことして言うのでした。
「先生だね」
「そう言ってくれるんだね」
「実際にそう思うからね」
言ったというのです。
「僕にはそうしたことは無理だね」
「いや、誰でも出来るんじゃないかな」
「そこまでイギリスにも日本にも入っていないよ」
理解しているのではないのです、先生は理解する以前にその学問や国、文化に入っていくのです。
「先生程は」
「だからなんだ」
「僕には出来ないね」
「いや、僕が出来ることはね」
「僕もかな」
「誰も出来るよ」
先生は王子ににこりと笑ってお話しました。
「それこそね」
「先生に出来ることは?」
「そうだよ、誰でも出来るよ」
「そうかな」
「僕は天才でもないし誰よりも鈍くて勘も悪いけれどね」
先生はご自身をそうした人だと思っているのです。
「やってみたらね」
「出来るんだ」
「例え何度失敗してもいいしね」
そうしたことになってもというのです。
「学問は」
「その失敗から学ぶんだね」
「僕なんてどれだけ失敗したか」
子供の頃からです、先生は詩や文章、そして実験や研究において数えきれないだけの失敗をしてきたというのです。
「わからないよ、今だってね」
「失敗ばかりなんだ」
「そうだよ、けれどね」
「出来ないんじゃないんだね」
「出来るよ」
必ずというのです。
「何度もやればね」
「出来るんだ」
「そう、何も出来ないというのはね」
この言葉はといいますと。
「何もしていない」
「そういうことなんだ」
「すれば出来るんだ」
「誰でも?」
「そうだよ、必ずね」
そうなるというのです。
「だから諦めないことなんだ」
「まずは」
「そう、諦めずにね」
まさにそうしてというのです。
「やることが大事だし最初にね」
「出来ると思って」
「失敗も恐れないでね」
まさにそうしてというのです。
「やってみるんだ、そうすれば出来るから」
「何度失敗しても」
「一度も失敗しない研究や実験はね」
それこそというのです。
「ないからね」
「だからなんだ」
「そう、王子もやってみたらいいよ」
「英文の詩をだね」
「和歌の心で作ることをね」
そうしたことをというのです。
「やってみたらいいよ」
「それじゃあね」
王子も頷いてです、先生に言いました。
「やってみるよ」
「そうしたらいいよ」
「面白いことだしね」
また言った先生でした。
「やってみたらいいさ」
「それじゃあね、ただね」
「ただ?」
「先生は詩人でもあったんだ」
「僕が?」
「実際に詩を作るからね、それに和歌も詠うから」
このことからも言うのでした。
「歌人でもあるね」
「そんなものじゃないよ」
笑ってです、先生は王子のその言葉を否定しました。
「別にね」
「そうかな」
「うん、詩人や歌人というとロマンチックだけれど」
これがというのです。
「また違うからね」
「そうなんだね」
「そうだよ、本当にね」
「そんなものかな」
「それに僕は詩や和歌では生きていないから」
「学問に生きているね」
「だから学者だからね」
それでというのです。
「そちらに専念しているからね」
「学者だね」
「そうだとは思っているけれどね」
「詩人や歌人じゃなくて」
「そちらだよ」
まさにというのです。
「僕はね」
「学者なんだね」
「そうだよ、そこはね」
「成程ね、じゃあ詩や和歌は先生にとっては学問かな」
「その中の一つかな」
「そうなるんだね」
「うん、僕は学者だからね」
それでというのです。
「文学の一環としてね」
「詩も和歌もだね」
「楽しんでいるかな」
「学者さんとして詩や和歌を行う」
「そうなるね」
「それでもいいんじゃないかな」
また言った先生でした。
「僕はそう思うよ」
「成程ね」
「誰でも楽しめばいいんだよ」
「詩も和歌も」
「楽しんでね」
「そうなんだね」
「うん、俳句もあるね」
先生はこちらもお話に出しました。
「五七五のね」
「七七がないね」
「そう、それだけないけれど」
それでもというのです。
「こちらも面白いよ」
「そうだね、和歌に似ているけれど」
「七七がないね」
「その分また違っているね」
「和歌とはね」
「そこも面白いね」
「俳句は庶民的になるね」
和歌と比べると、です。
「和歌は雅でね」
「うん、和歌は確かにそちらだね」
「その雅を楽しんでくるよ」
「そうなんだね」
「それもまた楽しいね」
「じゃあ楽しんできてね」
「実際にだね」
「そうしてくるよ」
先生は王子に笑顔で応えました、そしてです。トミーが台所から先生達に言ってきました。
「晩御飯が出来ました」
「あっ、遂にだね」
「今日は天婦羅ですけれど」
「いいね」
天婦羅と聞いて明るい笑顔になった先生でした。
「いい揚げものだよ」
「日本のフィッシュアンドチップスですね」
「というかね」
「天婦羅は天婦羅」
「独自の揚げものだよ」
それになるというのです。
「それをおつゆで食べる」
「これがいいんですね」
「そうだよ、これからね」
まさにというのです。
「そちらも楽しむよ」
「何でも楽しむのが先生だね」
王子も笑顔で言いました。
「いや、いいね」
「僕らしくてだね」
「実にね、それじゃあ僕はね」
「あっ、帰るんだね」
「実はこれから予定があって」
「予定?」
「日本の外務省の人にお招きを受けてるんだ」
そうした予定だというのです。
「それでね」
「そちらに出てなんだ」
「そうなんだ」
だからだというのです。
「それでね」
「今日はだね」
「これで帰るよ」
「お招きっていうと」
「何か日本文化を紹介したいらくして」
王子はトミーにもお話しました。
「それでね」
「今夜はなんだ」
「浄瑠璃の鑑賞会に招いてもらっているんだ」
「ああ、人形を使った」
「それにね」
だからだというのです。
「今日はこれでね」
「いいね、浄瑠璃とはね」
「先生も観たことあるかな」
「あるよ、うちの学園でもやってるね」
「大学でね」
「そちらでも観たし大阪での上演もね」
そちらもというのです。
「観たよ」
「そうなんだね」
「うん、人形劇は世界中にあるけれど」
「浄瑠璃もね」
「とても素晴らしいよ」
先生は笑顔で言いました。
「観て損はないよ」
「そうしたものだね」
「だからね」
それでというのです。
「僕も今から楽しみだよ」
「是非楽しんできてね、演目は何かな」
「曽根崎心中なんだ」
「ああ、近松門左衛門の」
「それを観るんだ」
「心中は江戸時代はかなり重い罪だったんだ」
そうだったというのです。
「けれどそれでも日本人は適わない恋に美を見てね」
「それでなんだ」
「浄瑠璃や歌舞伎にもしたんだ」
「そういえば曽根崎心中も歌舞伎になってるね」
「歌舞伎と浄瑠璃は重なる演目も多いよ」
「そうみたいだね」
「それでね」
先生は王子にさらにお話します。
「門左衛門の作品は他にもあってそちらも歌舞伎になっているから」
「それを観るのもだね」
「いいよ」
そうだというのです。
「心を打たれる筈だよ」
「じゃあ歌舞伎で観る時があったら」
「その時もだね」
「楽しませてもらうよ」
「是非ね」
こうしたお話をしてです、王子は浄瑠璃を観に行きました。そして先生達は晩御飯を楽しんだのですが。
次の日です、先生は動物の皆と学校に入りましたが朝起きてから思うのでした。
「まだ寒いね」
「これ四月?」
「日本の四月の気候?」
「寒いよ、まだ」
「三月の上旬位かな」
「それ位の寒さだよ」
「何でまだこんなに寒いの?」
先生も動物の皆も言います。
「こんなに寒い日本の春はじめて」
「雪も降って積もったり」
「幾ら神戸が涼しいっていっても」
「これは寒過ぎるわ」
「四月じゃないみたい」
「桜咲くのかしら」
「不安になってきたわ」
「そうだね、ここまで寒いとね」
先生も言います、梅や桃は咲いて若葉が木々を覆っていますがそれでも先生も不安に感じだしています。
「これはね」
「桜もだよね」
「果たしてどうなるか」
「咲くかな、いつも通り」
「果たして」
「不安になってきたね、もうここはね」
先生が言うには。
「桜や春の精霊達に頑張って欲しいね」
「是非ね」
「そうして欲しいよね」
「もうこうした状況になったら」
「頑張って欲しいわ」
「是非」
「うん、それとね」
先生はさらに言いました。
「太閤さんも力を貸してくれたら」
「太閤さんって豊臣秀吉さんだね」
「お百姓さんから天下人になった」
「大阪のお城も築いた」
「あの人だよね」
「あの人は桜が大好きだったんだ」
そうだったというのです。
「だからね」
「太閤さんにもなんだ」
「力を貸して欲しいんだ」
「桜が大好きだったあの人に」
「そうして欲しいんだ」
「うん、どうにかね」
桜がいつも通り咲く様にです。
「そうも思ったよ」
「桜や春の精霊にだね」
「太閤さんにもだね」
「働いてもらって」
「そのうえで」
「そうも思ったけれど」
こうも言った先生でした。
「太閤さんは大阪だから」
「あっ、あっちの人だよね」
「大阪城だから」
「そうだよね」
「うん、愛知の方に生まれてね」
お生まれはそちらだというのです。
「滋賀県の方にお城を築いたりして」
「そしてだね」
「大阪にお城を築いて」
「それで大阪にいたんだね」
「そうした人なんだね」
「そうなんだ、姫路城も築いたけれど」
神戸のすぐ近くにあるこのお城もというのです。
「けれどね」
「それでもだね」
「大阪の人なんだね」
「だから神戸のことになると」
「働いてくれるかどうか」
「どうなるかな、少なくともね」
先生も心から思うことでした。
「この策さがどうにかなってね」
「それでだよね」
「桜はいつも通り咲いて欲しいね」
「是非ね」
「そうなって欲しいよね」
「そう願うよ、冬の寒さは風情があるけれど」
季節のものとしてです。
「けれど春の寒いのはね」
「よくないよね」
「やっぱり春は暖かくないとね」
「困るよね」
「桜も咲いて欲しいし」
「全くだよ、ここはね」
先生が思うことはといいますと。
「教会に行ってお願いしようかな」
「神様にだね」
「お願いするんだね」
「暖かくして下さいって」
「そうお願いするんだね」
「僕はキリスト教徒だからね」
それでというのです。
「神様にお願いするよ」
「そうだね、この大学にも教会あるしね」
「是非お願いしようね」
「じゃあ今からだね」
「教会に行くんだね」
「そうしようね、ただこの大学には国教会の教会もあるけれど」
イギリスの教会です、イギリスはこの国教会という宗派が主流で他のキリスト教の宗派よりも大きいのです。
「日本は教会についてはね」
「うん、混ざってるよね」
「宗派の違い意識してないわね」
「カトリックもプロテスタントの諸宗派も」
「正教までね」
「そうなんだよね、正教は非常に少ないし」
東欧のこの宗派はというのです。
「カトリックとプロテスタントの諸宗派なんてね」
「もう全然区別ないよね」
「混ざっててね」
「神父さんと牧師さんの違いもね」
「凄く曖昧だよね」
「仏教の宗派もそうだしね」
「いや、教会といってもね」
一口にです。
「カトリックとプロテスタントで違うのに」
「それも全くね」
「プロテスタントでも宗派でね」
「それでも日本じゃ一緒だよね」
「この大学も神父さんと牧師さんよく一緒にお仕事したり飲んだりしてね」
「仲がいいしね」
「このことは聞いていたけれど」
それでもというのです。
「実際に見てびっくりしたね」
「そうだよね」
「それどころか仏教や神道の人とも仲いいし」
「一緒にお仕事したりしてるね」
「天理教の人とも」
「うん、そのせいか僕もね」
他ならぬ先生もです。
「普通にお寺や神社に参拝してるしね」
「そうだね、学校の中でも」
「神主さんやお坊さんともお話するし」
「天理教の会長さんとも」
「そうしてるしね」
「そのことも考えると」
どうにもというのです。
「僕も混ざってるかな、けれどキリスト教の信仰はあるつもりだから」
「じゃあいいよね」
「神様にお願いしよう」
「早く暖かくして下さいって」
「そうね」
「そうしようね」
動物の皆とお話をしてでした、そのうえで。
先生は実際に研究室に入る前に国教会でお祈りをしました、そうしてから研究室に行こうとしましたが。
ふとです、思い立って言いました。
「神社にも行ってね」
「お願いするの?」
「そうするの?」
「この大学の神社が学業成就、交通安全だけれど」
そうした神様を祀っているというのです。
「天神様とかを祀っていてね」
「ああ、梅の人だね」
「菅原道真さんだね」
「確か歌も謡えたよね」
「学問だけでなくて」
「うん、あの人にもお願いしようかな」
その天神様にもというのです。
「あと太閤さんも祀られていた筈だし」
「あの人もなんだ」
「祀られているんだ」
「日本の神社は神差を何柱も祀っていいからね」
一つの神社がです。
「だからお願いしようかな」
「うん、じゃあね」
「あちらに行ってみよう」
「私達も一緒に行くわ」
「そうさせてもらうね」
「悪いね、じゃあ行こうね」
こうしてです、先生は神社にもお参りしてお願いしようと思いました。クリスチャンでもお願いならいいだろうとも思って。
そして神社に入るとです、小柄な高校生位の巫女さんが神社の社の階段のところでおはぎを食べつつお酒を飲んでいました。
その巫女さんを見てです、オシツオサレツが最初に言いました。
「あの巫女さんこの神社の巫女さんだね」
「そうだよね」
「お酒大好きって聞いていたけれど」
「朝から普通に飲んでるね」
「そういえば高校今は春休みだったんだ」
ホワイティはこのことに気付きました。
「だから飲んでるんだね」
「けれど朝から飲むなんて」
「何か凄いわね」
チープサイドの家族も言います、その巫女さんを見て。
「巫女さんだから御神酒にしても」
「どんどん飲んでるわ」
「おはぎで飲んで美味しいのかな」
ガブガブはこのことが不思議でした。
「合うのかな」
「日本酒は甘いものに合わない筈だよ」
トートーがガブガブに言います。
「先生も言ってるしね」
「それでもかなり美味しそうに飲んでるわね」
ポリシアもその巫女さんを見ました。
「ごくごくって感じで」
「あの人にとっては美味しいのかな」
老馬はこう考えました。
「実際美味しそうだし」
「味覚はそれぞれだしね」
ジップはこう考えました。
「だからかな」
「まあお休みだから朝から飲んで」
チーチーはこのことはこう解釈しました。
「それでもいいかな」
「そうね、まあとにかくね」
最後はダブダブが言いました。
「今はお願いしましょう」
「そうだね、それじゃあね」
先生も頷いてお祈りをしようとしましたら。
巫女さんが先生に気付いてそれでお酒を飲むのを止めて先生に言ってきました。
「ドリトル先生じゃないですか」
「うん、今日はお祈りに来たんだ」
「寒いからですね」
巫女さんは立ち上がって先生のところに歩いてきて言ってきました。
「だからですね」
「そうなんだ」
「そうですよね、今日は日差しがいいですが」
それでもとです、巫女さんも言います。
「最近寒いですよね」
「どうにもね」
「だから早く暖かくなる様にですね」
「お祈りに来たんだ」
先生もはm子さんににこりと笑って答えました。
「桜や春の精霊や太閤さんにね」
「そして天神さんにですね」
「そうなんだ」
「ではどうぞ」
巫女さんは飲んでいての赤ら顔で応えました。
「お祈りして下さい」
「それではね」
「いや、確かに寒いですね」
「そうだよね」
「こんな寒い春ははじめてです」
巫女さんにしてもです。
「私も」
「神戸にいてもだね」
「そうなんです」
「ここまで寒いと桜も」
それもというのです。
「咲くのが遅れますね」
「そうなるかも知れないね、僕も心配してね」
「精霊にですね」
「お祈りしに来たけれど」
「神社だから神様ですね」
巫女さんはこう先生に答えました。
「日本の」
「そうなるんだね」
「はい」
その通りだというのです。
「日本は神様です」
「八百万の神様だね」
「そちらですね、お寺では仏様で」
「そうなるね」
「まあうちはさあ蔵や春の神様も祀ってますし」
「天神様と太閤さんもだね」
「祀っています」
そうしているというのです。
「他にも色々な神様をお祀りしています」
「そうだったんだね」
「この学園に関係のある神様は大抵ですね」
日本のそうした神様はというのです。
「お祀りしていますので」
「だから桜や春の神様もお祀りしていて」
「天神さんは学問。太閤さんは立身の神様として」
それぞれというのです。
「お祀りしてるんです」
「じゃあ僕がお祈りしてもだね」
「はい、どうぞ」
一向に構わないというのです。
「神様も宗教の違いは気にしませんから」
「日本の神様は凄いね」
「多いですからね」
八百万と言われるだけあってです。
「古事記や日本書紀なんかどれだけの神様が出て来るか」
「人も神様になって」
「そうしてどんどん増えてもいますし」
このこともあってというのです。
「まあ宗教の違いはです」
「どうでもいいんだね」
「日本では」
「その辺りがまた日本だね」
「日本独特ですね」
「全くだね、ではね」
これからというのでした。
「お祈りさせてもらうよ」
「どうぞ」
笑顔で応えてです、そのうえででした。
先生は今度は日本の神々にお祈りをしました、その後で巫女さんに言われました。
「困った時の神頼みで」
「こうしてだね」
「困った時は何時でも来て下さい」
「それでいいんだね」
「日本の神様は」
「そうなんです」
まさにというのです。
「皆もそうしていますし」
「ではね、ただね」
「ただ?」
「君さっきは随分飲んでいたね」
「はい、今日は日差しもいいので」
だからというのです。
「起きて足と自転車で走って」
「そうして汗をかいてだね」
「すっきりしてから飲んでいます」
そうしているというのです。
「こうして」
「成程ね」
「春休みで今日は部活もないので」
こうした条件が揃ってというのです。
「気持ちよくです」
「飲んでるんだね」
「はい」
その通りというのです。
「こうして」
「成程ね」
「一升開けて」
お酒をです。
「後はお昼御飯食べてゲームをして」
「プレステかスマホでだね」
「そうしてです」
それからというのです。
「お風呂も入ろうと」
「考えているんだね」
「そうです」
まさにというのです。
「そう考えています」
「成程ね」
「あとです」
さらに言う巫女さんでした。
「夜はもう飲まないです」
「今飲んでいるからだね」
「飲むのは一日一度にしていますので」
「だからだね」
「もう今日は飲まないです」
今飲んでいるだけだというのです。
「そうします」
「お休みだからゆっくりするんだね」
「はい、あと先生和歌会にも出られるんですよね」
「そのつもりだよ」
「でしたら」
それならというのです。
「天神さんにお願いされたのはよかったですね」
「歌人でもあった人だからね」
「歌も有名なんですよ」
学問だけでなくです。
「そちらも」
「そうだったね、梅の歌も詠っていて」
「ですからどうぞ」
「うん、じゃあ和歌会もだね」
「どうぞです」
楽しんで欲しいというのです。
「天神さんにお願いしましたし」
「安心してだね」
「参加されて下さい」
「そうさせてもらうよ」
先生はにこりとして応えました、そのうえで神社を後にしますが。
研究室に入ってです、先生は動物の皆に言いました。
「これでだね」
「うん、そうだね」
「お願いが通じたらいいね」
「神様にね」
「神道も神様にもね」
「是非ね」
「そうなって欲しいね」
皆も先生に応えます。
「天神さんに太閤さんにもお願いしたし」
「歌についても桜についても」
「早くなって欲しいね」
「そうだね、早くね」
本当にというのでした。
「咲いて欲しいね」
「春になったんだしね」
「寒いのが終わってね」
「早く暖かくなって」
「そうしてね」
「うん、僕もね」
本当にというのでした。
「そう思ってお願したし。これからはね」
「急にだね」
「暖かくなったらね」
「嬉しいことだね」
「日本の春は暖かくなるべきだよ」
今みたいに寒いのではなくてです。
「もっとね」
「そうだよね、このままだとね」
「本当に桜が咲かないし」
「遅れたらね」
「悲しいからね」
「日本の春の難しいところだよ」
何といってもというのです。
「桜がその場所のいつもの時間通りに咲かないとね」
「駄目なんだよね」
「日本人的にはね」
「どうしてもね」
「譲れないところだね」
「イギリス人の薔薇への想い以上にね」
それこそというのです。
「強いからね」
「ずっと、だよね」
「日本人って桜あってだからね」
「若し桜がないとね」
「もうどうしようもないよね」
「春って気がしないし」
「一年がはじまったともね」
思えないというのです。
「一年のはじまりはお正月だけれど」
「入学式からはじまる感じあるよね」
「一学期だからね」
「日本は一学期からはじまるから」
「だからね」
「そこは難しいよね」
「どうにも」
「入学式、始業式には桜だよ」
これがないとなのです。
「日本人の中では完全にセットだから」
「若し桜がないと」
「一年もはじまらない」
「特にここは学校だしね」
「学校の桜が始業式の時にはじまらないと」
「だからこのまま寒いと」
「困るね」
「かなりね、どうしたものかな」
本当にと言う先生でした。
「太閤さんと天神さんがお願いを聞いてくれるかな」
「そうあって欲しいね」
「そうだよね」
「そうした急に暖かくもなってね」
「桜も咲くね」
「そうなるよ、あと桜が咲けば」
その時のこともさらに言う先生でした。
「桜の花びらがお酒の赤に入って」
「あっ、それいいね」
「桜酒だね」
「それも日本の楽しみ方だね」
「花鳥風月に親しむ」
「それもいいよね」
「月見酒とね」
それと合わせてというのです。
「雪見酒、そしてね」
「その桜酒」
「秋は月見で冬は雪見で」
「春は桜」
「桜を観ていてその花びらがお酒の中に入る」
「それを飲むんだね」
「日本ならではの風流だよ」
まさにこれこそがというのです。
「だから楽しみにしているけれど」
「和歌会と一緒にだね」
「そちらもなんだ」
「けれど実際にどうなるか」
「わからないのね」
「そうなんだ、あと言い忘れたけれど」
その言い忘れたことはといいますと。
「夏もお酒で楽しめるよ」
「っていうと?」
「蛍かな」
「それかな」
「そうだよ、幸いこの学園では蛍を観る催しもあるからね」
だからというのです。
「そちらも楽しめるよ」
「いいね、蛍酒も」
「そっちのお酒もいいよね」
「じゃあ夏もだね」
「お酒を楽しめるんだね」
「この場合は日本酒だよ」
飲むお酒はというのです。
「日本の花鳥風月に親しむしね」
「そのこともあってだね」
「日本酒になるね」
「じゃあ日本酒を飲んで」
「それでだよね」
「親しむんだ、じゃあ桜が咲いたら」
その時はというのです。
「お酒も飲もうか」
「先生の大好物だね」
「すっかりそうなったね」
「昔はウイスキーとかばかりだったけれど」
「日本酒なんて飲んだことなかったけれど」
「今じゃね」
「すっかり好きになったよ」
日本に来てからです。
「そうしたお酒があるのは知っていたんだ」
「お米から作るお酒もある」
「そのことはだね」
「学問として知っていたけれど」
「飲んだことはなかったんだ」
「それが飲んでみると」
これがというのです。
「美味しくてね」
「それで飲んでるよね」
「花鳥風月も楽しみながら」
「そうしてるよね」
「そうだよ、日本はお酒もいいよ」
実にというのです。
こうしたこともお話してでした、先生は神社でお願いをしたことを思い出していました。そのお願いが適ってくれるようにとです。
和歌を作る前に英語の詩か。
美姫 「どんなのを作るのかしら」
どっちも気になるな。
美姫 「話せる言語が多いのは凄いわね」
確かにな。歌会はまだ先みたいだけれど。
美姫 「それまでに英文の良い詩が出来れば良いわね」
だな。次回も待っています。
美姫 「待っていますね〜」