『ドリトル先生と春の花達』




              第一幕  日本の春

 春になりました、するとトミーはお家で先生にこんなことを言いました。
「日本の春はいいですね」
「うん、独特のね」
「奇麗さがありますね」
「冬は冬でよかったけれど」
 ちゃぶ台に座ってお茶を飲みつつトミーに応えるのでした。
「それでもね」
「春はですね」
「待ち望んでいただけにね」
「来てくれた」
「そんな感じがするね」
「そうですよね」
 トミーもお茶を飲みながら応えます。
「だから余計にいいですね」
「はい、それでなのですが」
「それでっていうと」
「うん、春だからだよね」
「実は今日の御飯はです」
 その季節だからというのです。
「筍御飯をしようかなと」
「そう考えているんだね」
「どうですか?」
 トミーは笑顔で先生に尋ねました。
「筍は」
「いいよね、あれは」 
 先生はトミーに笑顔で答えました。
「ああして竹を食べるなんてね」
「日本や中国のことで」
「イギリスにはないからね」
「竹自体が」
「うん、ないからね」
「それでその竹を御飯に入れて食べる」
「いいよね」
 先生はトミーににこにことしてお話します。
「あの食べ方も」
「じゃあ今晩はそれとです」
「他にもだね」
「春キャベツを炒めて」
 そしてというのです。
「あとお魚を焼きます」
「焼き魚だね」
「はい、春の」
「いいね、日本の春だね」
「梅干しも出します」
「あっ、梅もなんだ」
「はい、春ですから」
 だからだというのです。
「梅も出します」
「春に咲くからかな」
「梅の花が」
「それで梅干しも出すんだね」
「そうします」
「いいね、それじゃあね」
 梅干しと聞いてこう言った先生でした。
「御飯の後はね」
「梅干しで、ですね」
「飲むよ」
 にこにことして言うのでした。
「お酒をね」
「日本酒ですね」
「それを飲むよ」
「あっさりとした飲み方ですよね」
「うん、日本酒と梅干はね」
 この組み合わせで飲むことはというのです。
「最高の組み合わせの一つでね」
「飲みやすいんですね」
「そうだよ、だから今日はね」
「そうして飲まれますか」
「身体にもいいしね」
 梅干しが身体にとてもいいからです、先生はお医者さんなのでこのことも頭に入れて言っています。
「最高の肴の一つだよ」
「梅の実が実るのは雨の時ですけれどね」
「だから梅雨だよ」 
 梅の雨、そう書くというのです。
「六月に実るからね」
「いい名前ですね」
「そうだね、まあそれでもね」
「花が咲く今にですね」
「梅干しを食べるよ」 
 その梅の実をというのです。
「そうしてお酒を飲むよ」
「風流も楽しむ」
「そうするよ」
 こう言って実際にでした、先生は筍御飯や春キャベツを楽しんでからでした。お酒を飲みますが。
 梅干しを食べてです、笑顔で言いました。
「いや、本当にいいね」
「そうなんですね」
「うん、春の飲み方の一つだよ」
 こうまで言うのでした。
「梅干しで日本酒を飲むのもね」
「だから今こうしてですね」
「楽しんでね」
 そしてというのです。
「満喫するよ」
「先生、二日酔いには気をつけてね」
「それはね」
 周りにいる動物の皆が先生に言ってきました。
「まあ先生お酒に強いけれどね」
「飲み過ぎると誰でもそうなるからね」
「それには気をつけてね」
「そうしてね」
「二日酔いになったね」 
 朝起きてです、その時はというのです。
「お風呂に入るよ」
「その時はだね」
「二日酔いになったらだね」
「朝にお風呂に入って」
「それですっきりするんだ」
「二日酔いにはそれが一番だからね」
 お風呂がというのです。
「イギリスじゃお風呂は滅多に入らなかったけれどね」
「シャワーだからね、イギリスは」
 ジップが言ってきました。
「大抵ね」
「湯舟には殆ど入らないね、確かに」
 チーチーも言います。
「サウナもね」
「あっさりしてるけれど」
 ガブガブが言うには。
「それじゃあ二日酔いはなくならないわね」
「だからだね」
 ダブダブも言います。
「お風呂の方がいいね」
「日本はお水もいいし」
 ポリネシアは日本のこのお話をしました。
「お風呂に入ってもいいのよね」
「イギリスはお水が少なくて質もよくなくて」
 このことを残念に思うトートーでした。
「日本みたいにいかないから」
「けれどここは日本だから」
 ホワイティは日本のことを言いました。
「お風呂も楽しめるわね」
「じゃあね」
「二日酔いになったらね」
 チープサイドの家族も言いました。
「お風呂に入る」
「それで解消ね」
「それじゃあ今日はだね」 
 老馬は先生に尋ねました。
「じっくりと飲むんだね」
「まあ先生はあまり二日酔いにならないけれど」
「大丈夫だと思うけれどね」
 最後にオシツオサレツが二つの頭で言います。
「若し二日酔いになっても」
「お風呂に入ればいいね」
「うん、だからね」
 梅干しを食べて飲みながらです、先生は皆に応えました。
「そうするよ」
「うん。じゃあね」
「今日はそのまま楽しんで」
「それで寝て」
「朝はお風呂だね」
「お風呂に入って」
 その時のことも言う先生でした。
「一旦お湯で汗を流して」
「一旦出て冷たいシャワーを浴びてだね」
「身体を冷やして」
「それから湯舟に入ってまた汗を流す」
「それを繰り返していたら」
「うん、お酒も抜けているよ」
 二日酔いのそれもというのです。
「だからそうするよ」
「まあ先生は乱れないですからね」
 酔ってもと言うトミーでした。
「暴れることも笑うことも泣くことも」
「うん、幾ら飲んでもね」
「酔い潰れなくて」
「そうした体質なんだ」
 先生は酔っても変わらないのです。
「そのこともあってだね」
「はい、僕は安心してます」
 先生がお酒を飲むことについてです。
「至って」
「それは嬉しいね」
「はい、ただ」
「ただ?」
「日本酒は飲み過ぎますと」
「糖尿病だね」
「それの心配がありますから」
「だから毎日は飲んでいないよ」
 そうしているというのです。
「僕もね」
「色々な種類のお酒を飲まれて」
「日本のお酒だと焼酎もね」
 それもというのです。
「飲んでいるね」
「はい」
「ワインやビールもね」
「ウイスキーやブランデーも」
「とにかくね」
「日本酒だけだとですね」
「身体によくないから」
 だからというのです。
「飲み過ぎ自体がよくないにしても」
「日本酒は糖尿病だね」
「それが怖いからね」
「どうしてもだね」
「毎日はよくない」
「そういうことだね」
「そう、美味しいけれどね」
 実際に美味しく飲む先生でした。
「それでも毎日はよくないよ」
「ワインとかの方がいいのかな」
「あっちのお酒の方がいい?」
「そうなるの?」
「飲むならね」
「それなら」
「うん、日本酒やビールよりもね」
 さらにというのです。
「ワインがいいんだけれど」
「飲みたい時がある」
「そういうことだね」
「先生はどんなお酒も飲めるからね」
「だから余計にだね」
「そうなんだ、それとね」
 さらに飲みながら言う先生でした。
「この梅干しがまたいいんだよね」
「日本酒と合って」
「よく食べられて飲められる」
「先生の好きな組み合わせの一つだね」
「だから今も飲むんだね」
「そうなんだ、春だからってことで飲んでるけれど」
 実はというのです。
「そうなくてもね」
「飲んでるよね、その組み合わせで」
「そうしてるよね」
「普段からね」
「その組み合わせでも」
「そうしてるよ、さて今日は」
 杯に自分でお酒を入れつつ言います。
「一升開けたらね」
「それで、ですね」
「うん、止めるよ」
 こう言うのでした。
「今日はね」
「大体一升ですよね」
「日本酒はね」
「ワインは二本で」
「それが僕の適量だね」
「それはいつも変わらないですね」
 どんな季節でもです。
「それでもう夜に飲まれる様になりましたね」
「イギリスだと朝にも飲んでいたね」
「エールとか」
「そうしていたけれど」
 それがというのです。
「変わったね」
「日本に来られて」
「日本じゃお酒は夜に飲むものだからね」 
 見れば作務衣を着ている先生です、作務衣の上にどてらを着ていてそれが凄く似合っています。
「僕もそうなったよ」
「朝に食欲ないからエールはないですね」
「日本ではね」
「だからですね」
「うん、こうしてね」
「夜に飲むようにしていますね」
「そうだよ」
 日本に来てからというのです。
「そうしているよ」
「そうですね」
「うん、それとね」
 さらに言う先生でした。
「こうして日本酒も知ったしね」
「それが一番大きいですか?」
「そうかも知れないね」 
「それじゃあね」
 二人でお話してです、そのうえで。
 先生は今は楽しく飲みました、そして翌朝起きるとこうトミーに言いました。
「二日酔いにはなっていないけれど」
「それでもですね」
「お風呂に入りたいね」
 そうした気分だというのです。
「今はね」
「じゃあ入れますね」
 トミーは先生にすぐに応えました。
「そうしますね」
「悪いね」
「いえいえ、じゃあすっきりして」
「それから学校に行くよ」 
 そうするというのです。
「これからね」
「わかりました、それじゃあ」
 トミーはすぐにお風呂を入れて先生は入りました、そのうええで動物の皆と一緒に学校に行きましたが。
 ここで、です。動物の皆は研究室に入って論文を書きはじめている先生にこんなことを言いました。
「静かだね」
「今は学生さんも少なくてね」
「春休みでね」
「普段と違うね」
「うん、夏休みも春休みもこうでね」 
 先生も応えて言います。
「今は静かだね」
「うん、何か普段と違ってね」
「違和感あるよね」
「特に高等部や中等部を見ると」
「とりわけそう思えるね」
「人のいない学園程寂しいものはないよ」
 こうも言った先生でした。
「本当にね、ただね」
「先生はやることがあるよね」
「春休みでも」
「そうだよね」
「そうだよ、だからこうして登校してね」
 そのうえでというのです。
「論文を書いているんだ」
「そうだよね」
「しっかりと書いてね」
「そしてだよね」
「また次の論文を書くんだね」
「そうするよ、あとね」
 論文を書きながら皆にお話する先生でした。
「講義がないから論文を書く時間も多くて」
「それでだね」
「次の論文にも順調に移れるから」
「だからだね」
「そう、時間的な余裕があるから」
 だからだというのだ。
「お昼食べたらお花見に行こうかな」
「お花見?まだお花咲いてないよ」
「そうだよね」
 動物の皆はお花見と聞いてです、彼等の間でお話をしました。
「桜はまだだよ」
「それでお花見ってね」
「ちょっと早くない?」
「もっと後だよ」
「いや、桜じゃなくてね」
 先生が今言うお花はといいますと。
「梅や桃だよ」
「ああ、そっちなんだ」
「そっちのお花を見るんだ」
「そうするんだ」
「うん、そうしよう」
 こちらのお花のお花見をというのです。
「そうしようね」
「それもいいね」
「梅や桃を見るのもね」
「それはそれで風流があるね」
「春のお花は桜だけじゃないからね」
「日本人は桜が大好きだけれど」
 先生が見てもはっきりわかる位にです。
「それでもね」
「他のお花も好きだよね」
「梅や桃もね」
「そうだよね」
「そういったお花もね」
「だからね」
 また言った先生でした。
「僕達も日本にいるしね」
「日本の人達と一緒にだね」
「お花を楽しむ」
「そうするんだね」
「是非ね、日本は四季それぞれにお花がある」
 このことをにこにことして言う先生でした。
「これもまたいいよね」
「そうだよね」
「春だけじゃなくてね」
「夏も秋もだし」
「ひいては冬もでね」
「四季のお花を楽しむのもね」
 それもというのです。
「日本にいる醍醐味だよ」
「ううん、桜を第一にして」 
 ダブダブが言うにはです。
「日本人は春は梅や桃も楽しむんだ」
「あと菊や蒲公英も楽しんでるね」
 トートーがダブダブに応えます。
「そういったお花も」
「お花は木に咲くものだけじゃないからね」
 チーチーも言います。
「だからそうしたお花も楽しむんだね」
「日本人って菊も好きだよね」 
 ホワイティはこのお花に注目しています。
「何かと飾ってね」
「皇室のお花だしね」
 ジップはこのことを指摘しました。
「日本のね」
「それで蒲公英なんかは」
 ガブガブは言うには。
「食べられるから余計にいいのよ」
「あっ、梅も桃も桜も実が美味しいわ」
 ポリネシアは木の実のお話をしました。
「どれもね」
「うん、そうしたこともいいし」
「日本の春のお花は」
 オシツオサレツはそういった果物の味を思い出しています、すると二つの頭が自然と笑顔になります。
「確かに蒲公英も食べられるしね」
「しかも栄養豊富だし」
「僕蒲公英好きだよ」
 老馬の目も笑顔になっています。
「見るのも食べるのもね」
「そう思うと春はいいよね」
「実りのはじまりだよね」
 最後にチープサイドの家族が言います。
「お花が咲いてね」
「それが実になるんだから」
「そうだね、春はね」
 とかくと言う先生でした。
「いい季節だよ」
「暖かくもなって」
「それも余計にいいしね」
「それじゃあね」
「春を楽しもう」
「お昼もね」
「そうするよ、是非ね」
 こうも言ったのでした、そしてです。 
 先生達はお昼の後外をあるきました、そしてそこででした。
 学園の中の梅や桃の花を見てです、そのうえで。
 蒲公英や菊も見ます、その黄色い菊達を見てでした。動物の皆は目を細めさせて言いました。
「ううん、日本だね」
「日本の春だね」
「そうだよね」
「それを感じさせてくれるね」
「いい季節だね」
「そうだね、日本の春の花の一つだね」
 まさにというのです。
「それでさっきお話にも出たけれど」
「日本の皇室のお花だね」
「そのことも大きいよね」
「日本人にとってね」
「そうだよね」
「うん、日本の皇室はね」
 先生はこのとても古い歴史と伝統を持つ方々のお話もしました。
「僕達が想像も出来ない昔から存在していてね」
「歴史と伝統があって」
「菊にもその歴史と伝統がある」
「そうなんだね」
「そうだよ、だからそういうのもあるから」
 それでというのです。
「じっくり見ていて損はないよ」
「ううん、ただ奇麗なだけじゃなくて」
「歴史や伝統もある花なんだ」
「日本においては」
「そうしたお花なんだ」
「そうだよ、そして蒲公英はね」
 こちらのお花はといいますと。
「親しみやすいね」
「そうそう、あのお花はそうだよね」
「野に咲いていてね」
「結構あちこちに咲いていて」
「やがて実を飛ばしてね」
「親しみやすいものだよね」
「そのお花それぞれに魅力があるんだ」
 そうだとです、先生は目を細めさせて言うのでした。
「蒲公英も然りだよ、そしてどのお花も楽しむ」
「それが日本だね」
「日本人のお花への接し方だね」
「そうなのね」
「そうだよ、それとね」
 さらに言う先生でした。
「後はね」
「後は?」
「後はっていうと?」
「うん、和歌だけれど」
 先生はこちらのお話もしました。
「和歌では桜も謡われているけれど」
「他のお花もなんだ」
「謡われているんだ」
「梅や桃もね、特に梅がね」
 このお花がというのです。
「謡われているんだ」
「ああ、梅ね」
「そういえば天神様が謡ってた?」
「菅原道真さんが」
「そうしてた?」
「そうだよ、あの人も謡ってたよ」
 その梅の歌をというのです。
「あの人の歌で一番有名なものじゃないかな」
「そうなんだね」
「実際にそうなのね」
「梅は菅原道真さんも謡ってて」
「他の人もなんだ」
「よく謡っているよ、人気があったんだ」
 和歌にというのです。
「今もよく見られているしね」
「そこまで人気のあるお花なんだ」
「それも昔から」
「日本人の好みにあった」
「そうしたお花なんだ」
「そうだよ」
 実際にというのです。
「梅もね」
「桜と同じで」
「昔から愛されていて」
「謡われていたんだ
「そうなんだ」
 こう皆にお話するのでした。
「あのお花もね、そしてもう少ししたら」
「いよいよだね」
「桜だね」
「桜が咲くね」
「そうなるんだね」
「そう、何といってもね」
 待ちに待ったという感じでの言葉でした。
「日本人の第一のお花はね」
「桜なんだね」
「どのお花よりもだね」
「桜がいいんだね」
「日本人にとっては」
「そうだよ、梅や桃や菊や蒲公英も好きだけれど」
 それ以上にというのです。
「何といってもね」
「桜なんだね」
「日本人にとっては」
「桜が第一で」
「あのお花があってこそなんだ」
「だから何処にもあるんだ」
 それこそというのです。
「桜がね」
「そうなんだね」
「あのお花があるんだね」
「日本人は桜が一番好きだから」
「それでだね」
「うん、日本人の桜好きはね」
 それこそというのです。
「イギリス人の薔薇好き以上かも知れないね」
「そこまでなんだね」
「イギリス人の薔薇好きもかなりだけれどね」
「日本人の桜好きはそれ以上」
「そうかも知れないんだ」
「だからこの学園にもね」 
 八条学園にもというのです。
「桜の木が植えられているんだ」
「一体どれだけ植えられているのかな」
「この学園ただでさえ木が多いけれど」
「桜が特に多いけれど」
「一体どれだけあるかな」
「桜の木がね」
「ううん、千本はありね」
 桜の木がというのです。
「多分にしても」
「千本もあるんだ」
「そんなになんだ」
「大学だけでね」
 先生が勤務しているそこだけにしてもというのです。
「高等部や中等部、それに動物園とかを入れると」
「もっとなんだね」
「桜あるんだね」
「そうなんだね」
「うん、特に植物園はね」
 そちらはといいますと。
「大学以上にあるだろうね」
「千本桜以上なんだ」
「そこまであるんだ」
「千本もかなりだけれど」
「もっとなんだ」
「そうだと思うよ」
 それこそというのです。
「あそこもね」
「植物園に桜のコーナー置いてね」
「あそこで和歌会とかしてね」
「春になるとね」
「そんなこともするよね」
「あれもいいね、だからね」
 先生は目を細めています、そのうえでの言葉でいsた。
「あの和歌会も楽しみだよ」
「そうだよね」
「先生も参加してるよね」
「和歌会に」
「そちらもだね」
「うん、去年からね」
 実際にそうしているのです、先生も。
「楽しまさせてもらってるよ」
「そうだよね、けれど」
「先生和歌の経験は?」
「あまりないんじゃ」
「そうだったんじゃないの?」
「イギリス人だしね」
「和歌には疎いんじゃ」
「そこはチャレンジだよ」
 笑顔で答えた先生でした。
「何でもやってみることだよ」
「和歌もそうなんだ」
「まずやってみる」
「チャレンジだね」
「それが大事なんだ」
「失敗してもいいんだ」
 例えそうなってしまってもというのです。
「まずはね」
「やってみることなんだ」
「失敗してもいい」
「それでやってみる」
「そうしてみるべきなんだ」
「何でもやってみないとはじまらないからね」
 それこそというのです。
「だから和歌も謡ってみたんだ」
「イギリス人でもだね」
「謡ってみて」
「それで去年も参加して」
「今年も?」
「そのつもりだよ」
 是非にという返事でした。
「僕もね」
「じゃあもう少ししたらだね」
「先生は和歌会に参加するんだ」
「そして桜を観ながらなんだ」
「和歌を詠むんだ」
「そうだよ、しかし日本人は贅沢だよ」
 こんなことも言った先生でした。
「とてもね」
「あれっ、日本人って贅沢なんだ」
「和歌を詠むだけでも?」
「そうなるの?」
「だって満開の桜を観ながら和歌を作るんだよ」
 それがというのです。
「筆を使って紙の札に書くんだよ」
「ううん、その風流w満喫する」
「それが贅沢なんだね」
「言われてみればそうだね」
「日本人って贅沢かもね」
「そうした楽しみを満喫するなんてね」
「平安神宮なんか行ったら」
 京都のそこにです。
「もうそれこそだよ」
「四季のお花に和歌を満喫していて」
「それ以上の贅沢はない」
「そうした場所なんだ」
「これだけそうした意味で贅沢な国はないかもね」
 それこそというのです。
「僕が思うに」
「そこまでなんだね」
「日本のお花はいい」
「そして和歌も謡える」
「それが最高の贅沢だっていうんだね」
「立派なお屋敷や宮殿はね」
 そうしたものはといいますと。
「何処でもあるね」
「うん、どの国にもね」
「建築しようと思えば出来るね」
「それはそれでね」
「普通にあるね」
「どの国も」
「けれどお花はどうかというと」
 それはといいますと。
「国によってはあまりない国もあるね」
「うん、砂漠とかね」
「そうした場所が多い国もあってね」
「そうした国はお花が少ないわね」
「残念ながら」
「そうした国もあるし」
 それにというのです。
「こうして木のお花も野のお花も多彩な国はね」
「他になくて」
「しかもそのお花達を見て詩を存分に謡う」
「そうしたことはだね」
「他の国にはあまりないんだ」
「そうした楽しみ方を満喫出来るなんて」
 それこそというのです。
「日本ならではの贅沢でね」
「滅多に出来ない」
「誰でもだね」
「そうしたものなんだ」
「そう思うよ、本当にこの贅沢はね」 
 それこそと言う先生でした。
「日本ならではの最高の贅沢だよ」
「そしてその贅沢をだね」
「先生も楽しむのね」
「そうするんだね」
「是非ね、あとね」
 笑顔でさらに言う先生でした。
「もう一つの贅沢も満喫したいね」
「あっ、お茶ね」
「お茶だよね」
「十時と三時のティータイム」
「それは欠かせないわね」
「うん、これもね」
 先生が大好きなティータイムもというのです。
「欠かすことは出来ないね」
「どうしてもだよね」
「先生にとってそれは絶対だね」
「十時と三時に飲まないと」
「それこそ」
「僕は力が出ないんだ」
 先生はにこりと笑って皆に言いました。
「日本に来てからミルクティーだけじゃなくなったけれどね」
「日本のお茶も中国のお茶もレモンティーも飲むしね」
「その時々で違う様になったね」
「ティーセットにしても色々になって」
「そこは変わったわね」
「うん、けれど十時と三時に楽しまないと」
 それこそというのです。
「どうしようもないよ」
「それじゃあそちらも楽しんで」
「そちらの贅沢も満喫する」
「そうするのね」
「そうさせてもらうよ、そう考えるとね」
 先生の笑顔は変わりません、そのうえでの言葉です。
「僕は贅沢者だね」
「日本の春も楽しんで」
「そしてティータイムも楽しむ」
「だからだね」
「先生は贅沢者なんだね」
「そうだよ、最初から皆がいてトミーもいて」 
 そしてというのです。
「こうして本を読めて学問も好きなだけ出来るから」
「そうしたこともあってだね」
「先生は贅沢なんだ」
「贅沢者だったの」
「自分でもそう思うよ、お酒も食事もお風呂も楽しんでるし」
 そうしたものもというのです。
「僕は本当に幸せ者で贅沢者だよ」
「それじゃあだね」
「和歌会にも参加させてもらう」
「そうするんだね」
「参加願いも出して許可も得たし」
 もう既にというのです。
「そちらも楽しみだよ、じゃあ十時になったら」
「ええ、そちらの贅沢もね」
「皆で楽しみましょう」 
 動物の皆も応えます、そしてでした。
 皆で笑顔でティータイムも楽しむのでした、先生は本当にご自身の幸せを神様に感謝しつつそれを楽しんでいました。



今回のお話は春。
美姫 「花見とかの季節ね」
だな。先生も言っているし。
美姫 「和歌もやるみたいだしね」
今度はどんな話になるんだろう。
美姫 「次回も楽しみです」
次回を待っています。
美姫 「待っていますね」



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