『ドリトル先生と悩める画家』




                 第十二幕  青い空と黄金色の太陽

 先生はこの日太田さんに大学の美術部の部室に案内してもらいました、行く途中に動物の皆はお空やキャンバスを見つつ言いました。
「もう雪もすっかり溶けたね」
「そうよね」
「お天気も晴れていてね」
「気温は低いけれど」
 それでもというのです。
「今日は快適よ」
「この感じだと暫くこの天気が続くね」
「うん、お天気や空気の感じだと」
「そうだね」
 動物の皆は彼等が感じ取ることをお話していきます。
「二月が終わったら三月で」
「三月のはじめはまだ寒いにしても」
「そろそろ春が見えてくるわね」
「このお天気が暫く続いた後で」
「そうなるわね」
「そうだね、太田君にとっては救いの晴れだね」
 先生も青く澄んだお空を見上げて笑顔で言いました。
「このお天気は」
「雨じゃなくてだね」
「晴れなのね、太田さんの場合は」
「そうなのね」
「そうなるね」
 部室に行く途中の道を歩きながらお話をするのでした。
「まさに。じゃあ今からね」
「太田さんの絵をね」
「観るのね」
「スランプを脱出した絵はどんなものか」
「これから」
「そうだよ、果たしてどんな感じかな」
 先生は少し微笑んで言いました、左右の木々にはもう木の葉はなくて空気は澄んでいて草は霜が溶けています。アルファルトやコンクリートも見ているだけで冷たそうです。
「太田君の今の絵は」
「あの人の絵は独特だね」 
 チーチーが言いました。
「絵の具を沢山使って色使いもはっきりしてて」
「描き方も戦っている感じだし」
 ポリネシアは先生の横を飛んでいます。
「キャンバスとね」
「描くの速いね」
 それこそとです、ダブダブも言います。
「筆の動きも」
「まるで短距離ランナーだね」
 ジップが見たところです、太田さんの描き方はそう見えるのです。
「それかチーターさんか」
「動きが止まらないのはそうね」
「実際によね」
 チープサイドの家族もお話します。
「太田さんの筆は一旦動くと」
「もう中々止まらないわ」
「まさに格闘」
「あの人の描き方と絵のj感じは」 
 オシツオサレツは先生の横で前後の頭で言いました。
「並のスポーツじゃないね」
「カロリー消費も凄そうだよ」
「本当にスランプだったのかしら」
 ガブガブは太田さんのこれまでの描き方、それに積極的に動き回っていたのを思い出して考えるのでした。
「あの人は」
「ご本人が言うにはそうなんだろうね」
 老馬は太田さんご自身の発言から述べました。
「やっぱり」
「ううん、じゃあスランプを脱出した絵はどんなのか」
 最後にトートーが老馬の背中から言いました。
「今から見せてもらおうね」
「そうそう、是非ね」
「一体どんな感じなのか」
「見せてもらいましょう」
「これからね」
 他の皆も言ってでした、そのうえで。
 皆は先生にです、それぞれのお口でこうも言うのでした。
「それじゃあね」
「先生、今から行きましょう」
「太田さんの絵を観にね」
「そうしましょう」
「そうだね、果たしてどんな絵なのか」
 先生も言います。
「見せてもらおうね」
「そう、これからね」
「一体どんな絵なのかね」
「美術部の部室にお邪魔して」
「そうしてね」
 皆も言ってでした、そのうえで。
 美術部の部室の前に来ました、先生は美術部の部室の扉をノックしました。するとすぐにでした。
 扉が開いて中から太田さんが来ました、太田さんは先生達ににこりと笑って言ってきました。
「来てくれて有り難うございます」
「うん、今からだね」
「はい、僕の今の絵を観て下さい」
 スランプを脱出したそれをというのです。
「そうして下さい」
「それじゃあね」
「どうぞ中に」
 美術部の部室の、というのです。
「今も丁度描いていました」
「そうなんだね」
「今部室は僕だけです」
「まだ朝だしね」
 一限目もまだです。
「人もいないね」
「はい、実は今日は六時に起きてすぐにです」
「大学に来てだね」
「朝御飯も描きながら食べていました」
 そうだったというのです。
「そうして描いてます」
「成程ね」
「じゃあ何はともあれ」
「うん、今からね」
「中に入って下さい」 
 太田さんは先生にあらためて言いました。
「そうして下さい」
「じゃあお言葉に甘えてね」
「どうぞ」
 こうしてでした、先生達は太田さんに美術部の部室に入れてもらいました。美術部の部室は広く椅子が沢山あってあちこちにキャンバスや石膏があってです。 
 隅の方に描きかけと思われる絵がありました、太田さんはその絵の前に来て先生達に言いました。
「これがです」
「君が今描いている絵だね」
「そうです」
 先生ににこりと笑って答えるのでした。
「それを観てもらいたくて」
「ふうん、この絵なんだ」
「相変わらず凄い勢いで描いてるみたいだね」
「そうね」
 動物の皆はその絵を観て言いました、とはいっても彼等の言葉は動物の言葉を知らない太田さんにとっては意味不明なものです。
「絵の具が絵から浮き出ていて」
「筆の後まであって」
「派手な色使いで」
「もう凄いわね」
「こうした絵です」
 太田さんは動物達の言葉を鳴き声かなと思いつつ先生にお話しました。
「僕の今の絵は」
「うん、戎祭りの出店だね」
「あの境内を描きました」
 実際にというのです。
「画像も撮っていますし」
「それを観ながらだね」
「描いていますけれど」
「うん、いい感じだよ」
「スランプ脱出出来ていますよね」
「出来てるね」
 実際にとです、先生は太田さんに微笑んで答えました。
「いい感じでね」
「それは何よりです、それで」
「うん、スランプのことだね」
「今回は脱出出来ましたけれど」
「これからだね」
「またお天気が悪い状況が続きますと」
 そうなってしまえばというのです。
「またですね」
「そう、スランプになるだろうね」
「やっぱりスランプになると辛いですから」
 それでというのです。
「もう出来るだけです」
「スランプになりたくないね」
「はい」
 実際にというのでした。
「もう」
「それならね」
「何かいい解決案がありますか?」
「うん、お天気のことは人ではどうしようもないけれど」
「それでもですね」
「他の場所を明るくすればいいんだよ」
 これが先生の解決案でした。
「そうすればね」
「といいますと」
「君のお部屋や着ている服、持っているものの色を変えればいいんだ」
「そうすればいいんですか」
「そう、青空や黄色それに金色もいいね」
「青空にですか」
「明るい青にね、そしてお日様の色のものにすればね」
 そうすればというのです。
「いいと思うよ」
「お部屋や服を」
「そうだよ」
「成程、実は今までそうしたことは」
「考えてこなかったね」
「そうでした」
 太田さんは先生にこのことをお話しました。
「とても。ですが」
「うん、これからはね」
「そうしたこともですね」
「考えていくといいよ」
「そうすればですね」
「スランプに最初からね」
 太田さんがまたなるかと心配しているこれもというのです。
「ならないと思うよ」
「お天気は仕方がなくても」
「そう、お部屋や服、グッズを明るい色にするとね」
「ならないんですね」
「そうしたものはいつも目にするね」
「はい」
「それじゃあね」
 先生は太田さんに温和な声で言いました。
「そうしていったらいいよ」
「わかりました」
「そうしたら冬、そして梅雨もね」
「そうした季節でもですね」
「スランプにはなりにくいよ」
「そうですか」
「そしてね」
 そのうえでというのです。
「君はいつも明るくね」
「描けるんですね」
「そうだよ、ただいつも高いテンションだとね」
「疲れますか」
「そう、だからね」
 それでというのです。
「休むことも必要だよ」
「よく寝ることですね」
「そうすることも大事だよ」
「わかりました、実はです」
「よく寝ているんだね」
「そうしています」
 こうしたことは忘れていないというのです。
「毎日」
「それは何よりだよ、僕もね」
「よく寝られてますね」
「そうしてるよ。毎日しっかり寝ないと」
「絵を描くどころじゃないですね」
「そう、だからね」
 だからというのです。
「僕もよく寝ているよ」
「それは僕もよく守っています」
「それは何よりだよ」
「寝ているから体調もいいですし」
「絵もだね」
「描けます、そして」
 それにというのでした。
「これから講義まで描きます」
「講義が終わってもだね」
「ここに戻って描きます」
 そうするというのです。
「今日も」
「あれっ、それってこれまで通りじゃないの?」
「そうだよね」
「太田さんスランプの時もずっと描いてたよ」
「あちこち回ってもいて」
「そうしていたから」
 その時のことを思い出すのでした。
「そう考えるとね」
「これまで通りよね」
「何も変わらないじゃない」
「スランプの時も」
「いや、違うよ」
 先生はいぶかしむ皆にお話しました。
「そこはね」
「あれっ、違うの?」
「一緒じゃないの?」
「これまでとね」
「そこは」
「気分の問題だよ」
 それだというのです。
「そこは」
「太田さんのだね」
「太田さんの気分の問題なんだ」
「気持ちは沈んでいるか上向いているか」
「それの」
「これまでの太田君はスランプで描いて色々巡っていてもね」
 それでもというのです。
「気持ちが晴れていなかったんだ」
「けれど今はなんだ」
「気持ちが晴れて動いているから」
「そこが違うから」
「だからだね」
「これまでとは違うんだ」
「同じことをしていても気分が違うとね」
 スランプかそれを脱出出来た時はというのです。
「また違うんだよ」
「ううん、だからなんだ」
「今の太田さんは違うんだね」
「そうだよ。何はともあれね」
 先生はさらに言いました。
「今の太田君は絵も違うよ」
「あれっ、そう?」
「変わらないよね」
「うん、これまでの様子もそう思ったけれど」
「絵はそれ以上よ」
「前と一緒じゃ」
「どいう違うの?」
 皆首を傾げさせて言うのでした。
「前もこんな絵だったよ」
「そこは何も変わらないじゃない」
「何処はどう違うのか」
「全然わからないわよ」
「何がどうなのか」
「一体」
「いやいや、前とは全く違うよ」
 ですが先生はこう言うのでした。
「前は暗がりの中にあった感じが今ではお日様の下にあるよ」
「そうかな」
「そう見える?」
「いや、先生はそう言うけれど」
「ちょっと」
「何も変わらないんじゃ」
「それこそ前と」
 皆先生の言葉に首を傾げさせます、とにかくです。
 皆が見る限り太田さんの絵は前とは同じに見えます、ですが先生が言うのは違うのです。見違えるまでになったというのです。
 それで、です。また言った先生でした。
「この調子でいけばいいね」
「そうですか」
「そう、このままね」106
 太田さんにも言うのでした。
「いけばいいよ」
「じゃあおl部屋や服を変えて」
「スランプにも気をつけて」
「そうしてですね」
「やっていけばね」
「冬や梅雨で曇りが続いても」
「もうスランプにはならないよ」
 お部屋や服を明るくすればというのです。
「そうなるよ」
「そうなんですね」
「あと君の場合は積極的にね」 
 こうも言った先生でした。
「絵を描いたりあちこち観て回ってるね」
「実はそれはいつもで」
「そう、そうすることもね」
「いいことなんですね」
「スランプの時だけじゃなくていつもね」
「そしてそれを続けることもですね」
「いいことだからね」
 このこともお話するのでした。
「だからね」
「これからもですね」
「こちらも続けるといいよ」
「わかりました」
 確かな声で、です。太田さんは先生に答えました。
「それじゃあそうしていきます」
「そういうことでね、やっぱり君のスランプはね」
「天候に影響を受けているんですね」
「このことは間違いないからね」
 お話を聞いても状況を見てもです。
「だからお部屋や服、アクセサリーに気をつけると全く違うよ」
「明るくですね」
「そう、要するにね」
「そこまでは考えていませんでした」
 これまではとです、太田さんは先生に答えました。
「ですがこれからは」
「そうしたこともだね」
「やっていきます」
「そういうことでね、あと絵だけれど」 
 今度は太田さんのその絵を見て言いました。
「浮世絵の影響があるね」
「この大学の美術館で観ていた」
「うん、あれの影響があるね」
「自分でもそう思います」
「やっぱりそうだね」
「はい、浮世絵の鮮やかな配色を見ていて」
 そしてというのです。
「あらためていいなって思いまして」
「影響を受けたんだね」
「浮世絵はいいですね」
「うん、アバンギャルドだね」
 先生はも浮世絵について笑顔でお話しました。
「歌舞伎もそうだけれど」
「あの頃の日本の芸術はですね」
「アバンギャルドって言ってもいいしパンクと言ってもいい」
「そんなセンスですね」
「そう思うよ、あのセンスは素晴らしいよ」
 浮世絵や歌舞伎に見られる江戸時代の日本の芸術文化のそれはというのです、先生は笑顔で賞賛しています。
「あれだけの芸術を見ていると」
「影響を受けるのもですね」
「当然だしそしてね」
「いいことですね」
「そう思うよ、僕は」
「実際にそうですね、ちょっと他の日本の芸術も」
 そちらもというのでした。
「これから勉強していきます」
「平安時代とかも」
「あらゆる時代のです、そうしてです」
「絵を描いていくんだね」
「そうします、とにかくこれからも勉強して」
 太田さんは目をきらきらとさせてです、先生に言いました。
「描いていきます」
「そうしていくといいよ」
「はい、楽しんでいきます」
 太田さんの顔はとても明るいものでした、窓の外から見える久し振りのお日様と同じだけ。そうしてまた絵を描くのでした。
 先生はその太田さんにお別れの言葉を言ってまた何かあったら研究室に来て欲しいとも告げてです、研究室に戻りました。そして研究室に入りますと。
 動物の皆がです、先生にこのお部屋でも言いました。
「太田さんスランプ脱出出来たの?」
「そうだったの?」
「それが出来ていたの?」
「うん、スランプのトンネルから抜け出ていたね」
 先生は皆に穏やかな声で答えました。
「有り難いことに」
「そうなの?」
「あれで?」
「そうは見えなかったけれど」
「雰囲気は確かに前よりさらに明るかったにしても」
「前も明るかったしね」
「スランプだったっていう時も」
 皆は首を傾げさせて口々に言いました。
「どうもね」
「あまりね」
「変わりないんじゃ」
「別にね」
「太田さんは」
「スランプだった時と」
「いや、間違いなくね」
 先生はこう言うのでした。
「彼はスランプを脱出したよ、絵にもそれが出ていたよ」
「そう?」
「だから前とあまり変わらないわよ」
「僕達が見る限りは」
「特にね」
「前と同じ絵なんじゃ」
 皆の言うことは変わりません。
「絵の具の使い方もタッチも」
「画風もね」
「何がどう違うのか」
「前と今で」
「いや、前とは本当にね」
 それこそというのです、先生は。
「違ってきてるよ」
「ううん、私達にはわからないけれど」
「先生にはわかることなんだ」
「芸術は」
「そういうもの?」
「そうなるかな、彼の画風はゴッホに近くてね」
 それでというのです。
「僕はゴッホが好きだから」
「それでなの?」
「太田さんの絵もわかるの」
「そうなの」
「うん、ゴッホも日本の浮世絵に影響を受けたけれどね」 
 そうして鮮やかで大胆な色使いになったと言われています。
「太田君も然りでね」
「ああ、浮世絵のお話してたね」
「さっき実際にね」
「ゴッホさんと同じく」
「そういうことなの」
「うん、そして彼はゴッホみたいにね」
 十九世紀のこの画家さんと同じく、というのです。
「鮮やかな色使いと大胆な描き方が持ち味だけれど」
「その持ち味がなんだ」
「スランプの時よりもなんだね」
「よくなっている」
「そうなんだ」
「うん、彼はスランプのトンネルを抜けたんだ」
 まさにというのです。
「その第一歩を踏み出したところだよ」
「そういうことなのね」
「幾ら言われても私達にはわからないけれど」
「先生がそう言うならね」
「やっぱりそうなのよね」
「うん、君達もいい絵ってあるよね」
 首を傾げさせてばかりの皆にです、先生はあらためて尋ねました。
「そうだね」
「うん、あるよ」
「私達にもね」
「やっぱり色々とね」
「あるわよ」
「僕は今の日本の平安時代の絵が好きだよ」
「あれいいね」
 最初にオシツオサレツが言いました。
「十二単がよくてね」
「特に女の人がいいね」
「アメリカのポスターも悪くないよ」
「独特のセンスがあるわね」
 チープサイドの家族はこちらがお気に入りみたいです。
「迫力があって」
「観ごたえがあるわ」
「昔の中国の水墨画は別格だよ」
 トートーはしみじみとした口調で言いました。
「白と黒だけでよくあそこまで描けるね」
「ダ=ヴィンチよくない?」
 ダブダブはイタリアの偉大な画家の名前を出しました。
「僕モナ=リザが好きなんだ」
「私はミケランジェロかしら」
 ガブガブはダ=ヴィンチと同じルネサンスの画家が好きです。
「最後の審判なんて最高よ」
「僕はベラスケス?」
 ホワイティが出したのはスペインの画家でした。
「あの絵が好きなんだけれど」
「マグリットかしら」
 ポリネシアが好きな画家はといいますと。
「現実にはない世界を描くって素敵よ」
「ダリがいいね」
 老馬もスペインの画家の名前を出しました。
「あの不気味さがかえってね」
「僕はルノワールの色が好きだよ」
 ジップの言葉はにこにことした感じでした。
「中間色みたいなあれがね」
「僕は宗教画ならどれでも」
 最後にチーチーが言いました。
「昇天の絵が特にね」
「そう、芸術はね」
 本当にと言う先生でした。
「それぞれだからね」
「それでなのね」
「一概には言えない」
「どの絵がいいか、わかるかとか」
「そうしたことは」
「そうなんだ、僕も合わない絵があるよ」
 先生自身もというのです。
「どうにもね」
「そういうものなの」
「太田さんの絵はわかっても」
「それでもなんだ」
「漫画やライトノベルのイラストにしてもね」
 普段皆が観るものもというのです。
「やっぱりね」
「合う合わないがあって」
「どうしても」
「そういうのがあって」
「それぞれなのね」
「そうだよ、飲みものでもそうだよね」 
 今は玄米茶を飲んで言う先生でした。
「例えば僕はお茶は何でも好きだけれど」
「コーヒーはちょっと苦手よね」
「お茶と比べると」
「そうだよね」
「うん、ウイスキーでも飲めるものと飲めないものがあるよ」
 このお酒にしてもというのです。
「だからね」
「飲みものと同じで」
「芸術もなのね」
「それぞれの好みがある」
「そういうものなの」
「そうだよ、だから本当にね」
 玄米茶をとても美味しそうにです、先生はお話しながら言うのでした。
「わかるわからないは皆それぞれなんだよ」
「だから僕達は太田さんのスランプ脱出がわからなかった?」
「そういうこと?」
「太田さんや先生とセンスが違うから」
「だから」
「そうだよ、例えばヒトラーは美大を落ち続けたけれど」
 そして巡り巡って独裁者になったのです。
「彼は決して絵は下手じゃなかったんだ」
「何でもかなり上手だったのよね」
「芸術のセンスはあったのよね」
「あの時の親衛隊の服デザインしたとも聞いてるし」
「決してセンスがない訳じゃなかったの」
「そう、ただ当時のウィーンの美大の教授の人達のセンスとは違っていたんだ」
 ヒトラーの芸術のセンスはです。
「そうだったんだ」
「そしてその結果なんだ」
「ああして独裁者になったのね」
「画家じゃなくて」
「そちらになったのね」
「今思うとね」
 ヒトラーがいなくなってかなり経ってからです。
「ヒトラーが当時のウィーンの美大の人達とセンスが合っていたら」
「独裁者にならなかったかもね」
「ひょっとして」
「ああしてね」
「画家さんになっていて」
「そうして生きていたかも知れないんだね」
「うん、しかも頭はよかったからね」
 ヒトラーのこのことについても言うのでした。
「美大の教授になっていたかも知れないね」
「どんな難しい本でも読めたのよね」
「ドイツ語だけじゃなくて英語、フランス語、イタリア語も話せて」
「しかも一度聞いたことは忘れない」
「そんな人だったのね」
「だから美大に受かっていれば」
 若しそうなっていればです。
「能力自体はとんでもなかったから」
「大学の教授さんにもだね」
「なっていたかも知れないのね」
「そうなっていたら」
「ドイツはどうなっていたかわからないけれど」
 それでもというのです。
「ヒトラー自身にとってはね」
「よかったかも知れないんだね」
「画家さんになれていて」
「それで」
「そうかも知れないね」
 先生は遠い目になって言いました。
「ヒトラーがしたこともその考えも僕は好きじゃないけれど」
「それでもね」
「確かにそう思うわね」
「若しヒトラーが画家になれていたら」
「あの時のウィーンの美大の先生達のセンスに合っていたら」
「そうも思うよ」
 しみじみとして言った先生でした、芸術のセンスの違いからヒトラーが辿った人生を思うとです。そしてです。
 先生は玄米茶を飲み終えた後でこうも言いました。
「それでだけれど」
「それで?」
「それでっていうと?」
「今日時間があったらね」
 そうだったらというのです。
「また美術館に行こうかな」
「うん、いいんじゃない?」
「学問の為にもね」
「そうしていいんじゃない?」
「今日もね」
「そうしようかな。この大学は色々巡れる場所があるけれど」
 動物園に植物園、水族館に図書館、博物館にです。博物館には鉄道博物館といったものさえあります。
「太田君がスランプを脱出出来たし」
「それでだね」
「今日は美術館だね」
「美術館に行くのね」
「そうするのね」
「そうしようかな、皆と一緒にね」
 お茶のお代わりを自分で入れて言うのでした。
「楽しもうかな」
「それじゃあ時間があったら」
「その時はね」
「そうしようね」
「今日はそちらね」
「何かこの大学にいたら」 
 先生は二杯目のお茶を飲みつつほんわかとしたお顔でこうも言いました。
「色々な学問が出来るね」
「色々な人もいるし」
「そうした人ともお会い出来てね」
「色々とね」
「人生の学問も出来るわね」
「そうだね、人生自体が学問でね」
 そしてというのです。
「この大学にいるとね」
「その人生の学問も出来る」
「そうした場所よね」
「そう思うよ」
 実際にというのです。
「この大学は特にね」
「芸術についてもで」
「そういうところもいいね」
 こうしたことをお話してです、先生はいいというのでした。そして実際にこの日美術館に入って絵や彫刻を観ていますと。
 ふとです、美術館員の人が先生にこんなことを言ってきました。
「先生は芸術についても」
「はい、論文も書かせてもらっています」
「そうでしたね」
「この前も書かせてもらいました」
「そうでしたね、ではです」
「それでは?」
「実は論文の依頼をしたいのですが」
 こう先生に言ってきたのでした。
「宜しいでしょうか」
「論文のですか」
「はい、芸術学部と美術館で一緒に出している誌がありまして」
 それでというのです。
「次に出すそちらにです」
「僕もですか」
「書いて欲しいのです」
「それで何の論文についてですか?」
「はい、先生のお好きな芸術を」
「何でもいいのですか」
「何時の時代のどの国の誰のものでもです」
 それこそというのです。
「いいです」
「そうですか」
「はい、それでは」
「何を書かれますか?」
「そうですね、この前実はお話をしまして」
 それでというのでした。
「浮世絵にしましょうか」
「日本のですね」
「はい、そちらで宜しいでしょうか」
「はい、先生が書きたいと思われるものなら」
 それならというのです。
「そちらをお願いします」
「そういうことで」
「先生も浮世絵がお好きですか」
「素晴らしい芸術だと思います」
「そうですね、ですが江戸時代は」
 その浮世絵はといいますと。
「まさに巷に出回っていた」
「そうしたものでしたね」
「町人のものでした」
「格式があるとは思われていませんでしたね」
「北斎も歌麿も写楽もです」
 有名な浮世絵の画家達もというのです。
「当時はです」
「幕府に召抱えられたり等はですね」
「ありませんでした」
「そうでしたね」
「そうした本当に所謂大衆のものだったんですよ」
「しかしその大衆のものがです」
 先生は美術館員の人、若くてハンサムな男の人にお話しました。
「あそこまで素晴らしいことがです」
「そのことがですか」
「これまた江戸時代の日本文化の素晴らしいところです」
「そう言われるのですね」
「江戸時代程大衆文化が花開いた時代はそうはありません」
「そうなのですね」
「世界的にも」
 こうも言うのでした。
「それも二度もでしたね」
「元禄文化に化政文化ですね」
「そうです、ですから」
「それで、ですか」
「そこまで考えますと」
 まさにというのです。
「浮世絵も然りです」
「大衆文化だからこそですか」
「素晴らしいです、あれだけ素晴らしいものが一部の人達だけの娯楽でなく」
「多くの町人の人達のですね」
「娯楽、そうしたものでの芸術であったことがです」
「素晴らしいというのです」
「そのことを書かせてもらいます」
 是非にというのです。
「論文に」
「それではお願いします」
「幸い今書いている論文の後は空いていますので」
 論文のお仕事が入っていないからというのです。
「ですから」
「すぐにですか」
「今書いている論文が書き終われば」
 その時にというのです。
「すぐにかかります」
「有り難うございます、それでは」
「はい」
 こうして先生は次の論文のことも決まりました、そしてそのうえで。
 先生は実際に今書いている論文を書き終わってからでした、すぐにその浮世絵の論文を書きはじめたのですが。
 またご主人のお仕事で日本に来ていたサラにこう言われました。
「あら、またなの」
「そう、論文を書いているんだ」
 先生は浮世絵の本を読みつつサラに答えました、お家のちゃぶ台に座って向かい合ったうえで。
「今度は浮世絵のね」
「兄さん日本に来てからずっとよね」
「論文を書いているね」
「イギリスにいた時なんて」
「それこそだったね」
「論文を書くことなんて」
 それこそというのです。
「なかったのに」
「それが変わったね」
「本当にそうね」
「いや、こうして論文を書いてるとね」 
 先生はサラににこにことしてお話しました。
「やっぱりいいね」
「兄さんの性に合ってるのね」
「そうだね、やっぱり」
「論文書いてちゃんと毎日お仕事して」
「充実してるよ」
 実際にというのです。
「本当にね」
「それは何よりよ」
「サラもそう言ってくれるね」
「ええ、ただね」
「ただ?」
「兄さんはすぐに満足するのよね」
 こう言うのでした。
「何でも」
「ああ、もうこれでいいって」
「そうよ、すぐにね」
 本当にというのです。
「幸せならそれでいいって」
「それ以上の幸せは求めない」
「昔からずっとそうだから」
「それは悪いことかな」
「悪いことじゃないけれど」 
 サラは先生に言うのでした。
「もっと欲があっていいのよ」
「欲が?」
「もっともっと幸せになりたいとかね」
「そう思っていいんだ」
「そうよ、野心というかね」
「そうした気持ちをなんだ」
「持ったら?」
「僕が野心ね」
 そう言われるとです、先生は微妙なお顔になりました。そのうえでサラに対して微笑んで言ったのでした。
「じゃあ今よりも美味しい紅茶を飲みたいとか」
「それが兄さんの野心?」
「もっといい論文を書きたいとか」
「そういうの?」
「医師として沢山の人を助けたい」
「そういうのは野心じゃないでしょ」
 サラは先生にやれやれといったお顔で応えて言いました。
「全然」
「違うかな」
「最初のは願望、後の二つは向上心じゃない」
「野心じゃないんだ」
「最初のはメーカーの人の努力、後の二つは兄さんの努力でなるものでしょ」
「そうだね」
「努力はいいけれど」
「野心はなんだ」
「また別のものよ」
 そうなるというのです。
「だからね」
「また違うんだ」
「そうよ、兄さんは本当に無欲だから」
「今のままでだね」
「満足するから。けれど人が困っていたら」
「うん、僕に出来ることならね」
「助けたいって思うのはね」
 その気持ちはというのです。
「いいわ」
「それはいいんだね」
「幸せを求めることはね、あと何でも大学でスランプだった学生さんに協力していたそうね」
「ああ、そのことだね」
「それでその学生さんスランプ脱出出来たの」
「彼の努力でね」
「画家さんって聞いたけれど」
 サラはこのことについても言及しました。
「今はいい絵が描けてるのね」
「そうだよ」
「それは何よりね。そういえばね」
 サラは微笑んでこうも言いました。
「今度バーミンガムでピカソの絵画展があるの」
「ピカソの?」
「そうなの、今度主人と子供達と一緒に行って来るわ」
「ピカソはね」
 この画家さんについてです、先生は少し微妙なお顔になって言いました。
「難しいね」
「兄さんピカソは苦手?」
「いや、ピカソの絵は色々な画風があるから」
「ゲルニカみたいな絵だけじゃないわね」
「だから一概に言えなくてね」
 それで、というのです。
「難しいんだよ」
「そうなのね」
「けれど観に行くならね」
 それならというのです。
「そうしたことも勉強になるから」
「行くといいのね」
「そうしたらね、じゃあ僕も日本でピカソ展があれば」
 その時はというのです。
「行こうかな」
「そうしたらいいわ」
「それが僕の今の野心かな」
「それは野心じゃないわよ」 
 サラは先生に笑って返しました。
「願望よ」
「やっぱりそうなるんだ」
「そうよ、そこはね」
 笑って言うのでした、そしてそのうえで先生と一緒にお茶を飲みながら太田さんのお話も聞いてそれは先生のいいところだと言うのでした。


ドリトル先生と悩める画家   完


                           2017・1・12



太田さんもどうにかスランプを抜け出せたし。
美姫 「今回は特に何かをしたという事ではなかったけれどね」
話し相手になったりしたのは良かったかも。
美姫 「ともあれ、無事に解決したみたいだしね」
今回も楽しませてもらいました。
美姫 「投稿ありがとうございました」
ありがとうございます。



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