『ドリトル先生と悩める画家』
第六幕 寒くなってきて
先生はこの時は学園の中のお寺にいました、そこでお寺の住職さんや神社の神主さん達とお話をしています。動物の皆は境内のお庭で休んでいます。
住職さんは先生にお茶とお菓子を差し出してです、こう言うのでした。
「いえ、この季節はです」
「お忙しいですか」
「はい、何かと」
穏やかな笑顔でお話するのでした。
「冬は」
「お寺はですね」
「年末年始と」
「それで、ですね」
「何かとです」
「こちらもでして」
神主さんもお話します、住職さんと同じく穏やかな笑顔です。
「特にお正月は」
「神社はですね」
「そうです」
「お参りですね」
「それがありまして本当にです」
お正月の神社はというのです。
「大変なのです、それは今はこちらにおられないですが」
「天理教もですね」
「そうです」
やはりというのです。
「大変です、それで今は行事のことで」
「別の教会にですね」
「八条分教会に行っておられます」
「八条町にあるあの教会ですね」
先生も知っている天理教の教会です、とても可愛い娘さんが三人もいることで有名な結構な大きさの教会です。
「あそこですね」
「そうです、あそこに行事のお話をしにです」
「行かれていて」
「今はお留守です」
「そうなのですね」
「夏も忙しいですが」
この季節もというのです。
「そして冬も」
「日本の宗教はお忙しいのですね」
「何かと」
「夏はお盆に夏祭りですね」
先生は住職さんが出してくれたお茶を飲んでお団子も頂いてです、そうしつつ住職さん神主さんとお話をします。
「あと天理教も」
「おぢばがえりというものがありまして」
「十日奈良県の天理市でイベントがありまして」
「そちらで大忙しです」
「そうなっています」
「そうですね、何かおぢばがえりは」
そのお祭りのことをもお話する先生でした。
「街全体がテーマパークになるとか」
「はい、そうなんです」
街のあちこちにアトラクション等の施設が出来まして」
「沢山の人がひのきしんというボランティアに参加してです」
「物凄く賑やかになります」
「そうですね、一度行ってみたいですね」
先生は心から思って言いました。
「そのおぢばがえりにも」
「そうされるといいです」
「日本の宗教の勉強にもなりますし」
「天理教独特のもので」
「行かれると凄くいい勉強になります」
「そうですね、夏になれば」
まさにその時はというのです。
「行かせてもらいたいですね」
「そう思わますね」
「では機会があればどうぞ」
「行かれて下さい」
「夏になれば」
「そうさせてもらいます、いや日本の宗教は」
しみじみと思う先生でした。
「実に独特のものがありますね」
「そう言われますか」
「先生から見て」
「そうなのですね」
「イギリスの方から見て」
「はい、僕は宗教学者でもありますが」
この立場からお話するのでした。
「日本の宗教は日本の独自の発展と形成を為していますね、特に」
「特に?」
「特にといいますと」
「はい、こうして異なる宗教がです」
仏教と神道、この宗教がというのです。
「共存していることがです」
「凄いとですね」
「そう言われますか」
「こうしたことは欧州では中々ないですから」
だからだというのです。
「仏教の宗派同士も別にいがみ合いませんね」
「まあ基本はそうですね」
住職さんが先生に答えました。
「実際のところ」
「そうですね」
「別に宗教戦争なぞ」
「欧州の様なことは」
「なかったです、僧兵や一向一揆はありました」
「戦国時代ですね」
「はい、そうでした」
かつてはというのです。
「平安時代から戦国時代までは」
「僧兵が存在していましたね」
「そして戦国時代には一向一揆がありました」
「一向宗、浄土真宗の」
「それがあったので」
だからだというのです。
「争いがなかった訳ではないですが」
「欧州の様な極端なものはですね」
「宗派同士ではあそこまではなかったです」
僧兵同士の抗争は確かにあってです。
「このことは事実です」
「そして神道とも」
「神仏といいます」
今度は神主さんがお話しました。
「神も仏もです」
「日本ではですね」
「存在しています」
「そうですね」
「神も仏も敬うべしでし」
「数多くの神々と仏達を」
「どちらも多いですが」
その神仏の数もです。
「かなりですね」
「多いですね」
「ですがその多くの神仏をです」
「共に信仰していますね」
「そうです」
まさにというのです。
「そうしています」
「その包容力といいますか」
「多くの神仏を共に信仰していることがですね」
「日本の宗教の独自のものであり」
先生も穏やかで真面目なお顔でお話するのでした。
「素晴らしいものです」
「そうですか」
「はい、僕はそう思います」
「私達にしてみれば」
「普通ですが」
住職さんも神主さんもこう言います。
「いや、しかし」
「それでもですね」
「他の国の方からしてみれば」
「そうなのですね」
「アジアでは中国でもインドでも複数の宗教が存在していて」
そしてというのです。
「東南アジアでもそうですね」
「確かにそうですね」
「他の国でもそうですね」
「複数の宗教が共存していますね」
「多くの国で」
「同じ宗教同士でもです」
先生はこうも言いました。
「欧州では、むしろ同じ宗教同士だと尚更」
「共存が難しい」
「そうなのですね」
「今も難しいところが残っていますし」
欧州ではというのです。
「どうにも」
「数多くの対立や戦争があり」
「そしてですね」
「確かに今も残っているそうですね」
「私達もそう聞いていますが」
「正教とカトリックの対立にです」
これは東西教会の対立です、八世紀から決定的になって西欧と東欧を分けるものの一つでもあります。
「カトリックとプロテスタントの対立もあります」
「それでかなり酷いことにもなりましたね」
「多くの戦争が起こったりして」
「欧州はそうした戦争も多いですね」
「実に」
「欧州はキリスト教が心です」
まさにそう言っていいものだというのです。
「神は我々に多くの恩恵を下さってきていますが」
「それでもですね」
「人はですね」
「下らないこだわりや過ちによりです」
悔恨も感じて言う先生でした。
「多くの血を流してもきました」
「残念なことに」
「そうだったというのですね」
「多くの国で国を二つに割る様な戦争が起きたり」
それにというのです。
「異端審問が行われたり」
「日本の踏み絵とは全く違う」
「極めて過酷で残虐な」
「そう聞いていますが」
「実際にそうだったのですね」
「魔女と疑われれば終わりでした」
欧州の異端審問、それはというのです。
「何しろ家に猫が寄っていたり虫の一匹でもいれば」
「魔女と疑われた人の使い魔とされ」
「異端審問にかけられたのですね」
とても酷い拷問のある、です。
「我が国の様にまず踏み絵をさせて信仰を捨てれば助けられたのと違う」
「もう疑われれば」
「我が国でもそうでした」
先生の祖国イギリスでもです。
「やはりです」
「疑われればですか」
「それで終わりですか」
「後は酷い拷問と火炙りですね」
「それが待っていたのですね」
「そうでした、そうした状況だったので」
イギリスも含めた欧州はです。
「日本、そして他のアジアの国々も」
「そのことは素晴らしい」
「複数の宗教、神仏が共存していることは」
「そう思います、そうしたこともです」
先生はさらに言いました。
「素晴らしいことです、そしてその素晴らしいことを」
「さらにですね」
「学ばれたいのですね」
「そう感じています、ではこれからも」
「はい、拙僧達でよければ」
「お話させて頂きます」
住職さんも神主さんも笑顔で応えてでした、先生に仏教や神道のことをお話するのでした。そしてそのお話の後で、です。
先生は一旦研究室に戻りますがその先生に動物の皆がお声をかけます。
「先生は宗教も勉強してるね」
「それも色々な宗教をね」
「キリスト教だけでなくて」
「仏教や神道もね」
「確かにね」
ポリネシアが言いました。
「日本て色々な宗教があるね」
「そうだね、キリスト教だけじゃないから」
チーチーはポリネシアに続きました。
「沢山の宗教があるね」
「天理教もあるし」
ダブダブは今回はお話出来なかったその宗教のことをお話に出しました。
「他にも一杯あるんだよね」
「仏教の宗派って幾つあるの?」
ホワイティはこのことについても考えました。
「一体」
「神道の神様は八百万?」
ガブガブは神道のことをお話しました。
「物凄い多さね」
「神様が一柱じゃないことはわかっても」
ジップはキリスト教を軸にして考えています。
「神様も仏様もが凄いね」
「神も仏も敬え」
「しかも住職さんと神主さんが仲がいいなんて」
チープサイドの家族もこのことが信じられないです。
「そこに天理教の会長さんにカトリックの神父さんとプロテスタントの牧師さんも入って」
「一緒にボランティアしたりお酒飲むなんて」
「何かね」
老馬も言うのでした。
「日本って凄い国だね」
「こんなに沢山の宗教が仲良くしているなんて」
「こうした面でも凄い国だね」
オシツオサレツも二つの頭で思うのでした。
「何時見てもね」
「それが普通だなんてね」
「神父さんと牧師さんを一緒だって考えている人多いし」
日本ではとです、トートーは言いました。
「それもかなりのことだね」
「うん、違うんだけれどね」
先生も神父さんと牧師さんの違いを指摘しました。
「かなり、けれどね」
「日本ではね」
「キリスト教だから一緒って考えてるよね」
「カトリックもプロテスタントも」
「ひいては正教も」
「そこも凄いよ、日本はどの宗教も受け入れているんだ」
その中にというのです。
「キリスト教には時間がかかったけれどね」
「江戸時代は駄目だったんだよね」
「中々受け入れなかったんだよね」
「切支丹禁止とか言って」
「踏み絵もさせていたんだったね」
「さっき住職さん達とのお話で出たけれどね」
実際にというのです。
「江戸時代が終わるまではキリスト教は禁止されていたんだ」
「そして明治になってからだね」
「それが終わったんだね」
「キリスト教も信じられる様になった」
「そうなんだね」
「そうだよ、そして今に至るんだ」
そうなったというのです。
「それからね、そしてこうしてね」
「カトリックもプロテスタントもだね」
「仲良くしている」
「そうした国になったんだね」
「そうだよ、どうも仏教の宗派の違いみたいな感覚で」
先生の見たところではです。
「日本人はカトリックとプロテスタントを考えているね」
「同じキリスト教として」
「違いはないってだね」
「考えているんだね」
「そうだね、僕も最初その話を聞いてびっくりしたよ」
先生が最初日本の宗教のその考えを聞いてです。
「そんな国があるんだって」
「そのことも独特だからね、日本って」
「宗教のことでもね」
「カトリックもプロテスタントも同じって」
「そうした考えの国だって」
「うん、日本はそうした意味でも不思議な国だと思ったよ」
そのお話を聞いた時の先生の偽らざる考えです。
「本当にね、そしてその下地はね」
「仏教も神道も信じている」
「それも同時に」
「だからキリスト教もそう思える」
「そういうことね」
「そうなんだ、アジア全体のことにしても」
それでもというのです。
「日本はそのことは特に凄いかな」
「そうなんだね」
「そうした国なんだね」
「日本っていう国は」
「宗教でも不思議な国なんだね」
「そうだよ、じゃあ今からね」
「うん、三時だしねもうすぐ」
「研究室に着いたらティータイムだね」
「いつものだね」
「今日はロシア風だから」
そのティータイムだというのです。
「そちらを飲もうね」
「あのジャムを舐めながら飲む紅茶ね」
「イギリスのとはまた違う煎れ方の」
「それを飲むのね」
「そうするのね」
「そうしよう、お菓子もね」
そちらもというのです。
「ロシアのだよ」
「クッキーみたいなケーキとか」
「そういうのを食べるのね」
「何か日本に来てから」
「先生色々なティーセット楽しんでるわね」
「イギリスのだけじゃなくて」
「うん、そうなったね」
実際にとです、先生も答えます。
「紅茶の種類にしても」
「そうそう、そちらもね」
「何かと変わったし」
「この前飲んだウィンナーティーにしても」
「イギリスにいた時は飲まなかったから」
「ミルクティーのみだったからね」
イギリスにいた時のこともです、先生は言いました。
「本当にね」
「そうそう、昔の先生は」
「ロシアンティーなんてとても」
「飲むなんて想像もしてなくて」
「全然だったわね」
「そうだね、まあとにかくね」
三時になればというのです。
「飲もうね」
「紅茶を」
「ロシアのティーセットを楽しみましょう」
こうしたこともお話してでした、先生は皆と一緒に宗教のお話の後はロシア風のティータイムを楽しみました。
そしてです。
学園にいるまで論文を書いていましたが帰ろうと思って外を見るとでした。
もう暗くなっています、先生はその夜とその中の灯りを見てこう言いました。
「暗くなったしもうね」
「ええ、帰りましょう」
「もういい時間だし」
「そうしましょう」
「うん、気付いたら六時だよ」
その時間になっていました。
「お家に帰ろうね」
「そしてトミーが作った御飯を食べて」
「そうしてお風呂にも入って歯を磨いて」
「それで寝ましょう」
「そうしましょう」
「うん、今日も学園での生活は終わりだよ」
それがというのです。
「これでね」
「そうだよね、今日もね」
「学問を楽しんだね」
「宗教のことも学べたし」
「よかったわね」
「学問はいいね」
先生にとってはです、まさにこれこそはなのです。
「学べば学ぶだけいいよ」
「そうだよね」
「学べば学ぶだけね」
「先生にとっては楽しいね」
「そういうことだよね」
「そうだよ、僕は学問が好きだから」
それ故になのです。
「こうして学べるならね」
「いいんだね」
「楽しく充実して過ごせる」
「そうなんだね」
「そうだよ、楽しくなるから」
だからというのでした。
「僕は今とても幸せだよ」
「じゃあお家に帰ってもね」
「幸せな時間を過ごしましょう」
「本もあるし」
「そちらも読んで」
「そうしよう、寝るまでの間は」
先生は帰り支度をしながらでした、皆に言うのでした。
「本を読もう」
「今読んでいる本もあるしね」
「そっちも楽しんでね」
「そしてそのうえで」
「また明日もね」
「学問を楽しみましょう」
「そうしよう、さて太田君は」
ここで先生は太田さんのことも思い出しました。
「今もかな」
「やっぱりスランプを抜け出ようとしてるのかな」
「動いて」
「そうしてなのかしら」
「学園のなかにいるの?」
「絵を描いているのか何かを見ているのか」
先生は腕を組んで言いました。
「そうなのかな」
「夜もそうしてるの?」
「夜の学園の中を見たりして」
「そうしてるのかしら」
「彼ならね」
先生の見た限りの太田さんならというのです。
「そうしているのかも知れないね」
「前向きな人だからだね」
「何でもしようっていう人だから」
「そうしてるかも知れないんだ」
「夜も」
「ああした人はもう何でもするからね」
スランプから抜け出る為にです。
「前向きにね」
「だからなんだね」
「夜でもだね」
「何かをしている」
「そうしているかもなんだ」
「お家でもね、そういえば」
ここでふとです、先生は気付いたことがありました。その気付いたことは一体何かといいますと。
「彼は今何処に住んでるのかな」
「お家ね」
「そこが何処か」
「それが気になったの」
「うん、何処なのかな」
ふと考えるのでした、研究室の鍵を締めて校舎の廊下に出てからも。
「この八条町か近くに住んでいるのは間違いないけれどね」
「下宿か寮かも知れないね」
「お家じゃなかったら」
「果たして何処か」
「そのことは考えてなかったね」
「そういえば」
「うん、何処かだね」
また言った先生でした。
「一体」
「ううん、大阪とか?」
「その辺りの可能性もあるし」
「岡山かも」
「兵庫の何処かかも」
「果たして何処なのかしら」
「今度聞いてみようかな」
太田さんご本人にというのです。
「そうしようかな」
「そうしたこともスランプ脱出のヒントになるかも知れないんだね」
「今住んでいる場所も」
「それのことも」
「うん、そこに近い場所にあるものを見てもね」
実際にそうしたことをしてもというのです。
「なったりするから」
「それじゃあだね」
「ご本人に聞いてみるのね」
「それも」
「そうしよう」
こうしてでした、先生はです。
その日はお家に帰って皆とお話した通りに晩御飯を食べてお風呂に入って歯を磨いてです、寝るまで本を読んで十二時には寝ました。
そして次の日でした、皆と一緒に学校に入るとです。
丁度太田さんとお会いしました、太田さんは描きかけの絵を熱心に描いていました。その太田さんと挨拶を交えてからです。先生は昨日思ったことを聞きました。
「今は何処に住んでるのかな」
「ああ、お家ですか」
「何処なのかな」
「生まも育ちも大阪です」
「あっちなんだ」
「はい、大阪の住吉区に住んでいて」
そしてというのです。
「そこから電車で通っています」
「そうだったんだね」
「いい街ですよ」
大阪のことをです、太田さんは先生ににこにことしてお話しました。
「最高に楽しくて賑やかで」
「そうそう、大阪はね」
先生も大阪についてにこりとして応えました。
「とても楽しい街だね」
「食べものも美味しくて」
「難波なんか最高だね」
「よく行きます、梅田も」
太田さんはすっかり乗って言うのでした。
「大阪のあちこちに行ってそうして」
「楽しんできたんだね」
「今もです」
現在進行形でというのです。
「そうしています」
「自宅の周りとかも」
「はい、実家から通っていますけれど」
お家はそこだというのです。
「近くに住吉大社があって」
「ああ、あの」
「あの大社をご存知ですか」
「うん、何度か行ったことがあるよ」
「そうですか」
「関西でも屈指の社だね」
「そうです、お正月なんか凄いんですよ」
参拝する人で、です。
「あそこは」
「そうらしいね」
「子供の頃からよく行って出店でたこ焼きとか食べてます」
「たこ焼きもいいね」
「あっ、先生たこ焼きも」
「大好きだよ」
日本に来てからそうなりました。
「お好み焼きも焼きそばもね」
「じゃあ金龍ラーメンや自由軒のカレーも」
「あっ、難波のだね」
「お好きですか?」
「どちらもいいね、あと蓬莱の肉まんや餃子、それに北極のアイスキャンデーも」
そうしたものもというのです。
「好きだよ」
「あっ、先生通ですね」
「そうかな」
「何かかなりの大阪通ですね」
「ううん、日本にいてね」
「大阪のこともですね」
「何度も行ってるよ」
何しろ神戸のすぐ傍にある街です、それだけにです。
「時間があるとね」
「フィールドワークですね」
「フィールドワークだね、ただね」
「ただ?」
「フィールドワークは楽しむものでね」
学問として、というのです。
「僕も大阪は何度か行ってね」
「楽しまれていますか」
「もっと言えば何度もだね」
笑ってこうも言うのでした。
「そうしているよ」
「そうですか」
「うん、織田作之助さんや井原西鶴の資料も見ているよ」
「文学もですか」
「文学学者でもあるからね」
だからだというのです。
「そうしているんだ」
「先生は凄いですね」
「凄くないよ、学者だからね」
「当然のことですか」
「画家さんが絵を描くのと一緒だよ」
「そうなりますか」
「そうだよ、じゃあ今日もだね」
先生はあらためてです、太田さんに言いました。
「スランプから抜け出る為に」
「はい、描いて色々と観ていきます」
そうするというのです、そしてでした。
太田さんは絵を描いていきます、その太田さんを一旦お別れしてです。先生は講義の前に研究室に入りましたがそこで、です。
動物の皆がです、こう言うのでした。
「大阪の人だったんだね」
「住吉の方の」
「実家から通ってるんだね」
「そうだったんだね」
「大阪ねえ」
ホワイティは大阪と聞いてこう言いました。
「ユニバーシアードもあるね」
「そうそう、住吉大社のお話も出たけれど」
「あの大社もあるしね」
オシツオサレツは神社のお話をします。
「清明神社もあるし」
「神社も多い場所だね」
「西本願寺とか四天王寺とか」
「お寺も歴史があるものが多いわ」
チープサイドの家族はお寺のことを言うのでした。
「上本町の辺りが多いね」
「あの辺りにね」
「何といっても大阪城だね」
老馬は大阪の象徴と言えるこのお城を思い出しました。
「立派な天守閣があって」
「動物園もいいよ」
トートーはこちらのことを思い出しました。
「天王寺のね」
「真田幸村さんが戦った場所だし」
このことはポリネシアが言いました。
「あの人は格好よかったわね」
「難波に行くと本当に賑やかで」
ガブガブはこの街を思い出すのでした。
「いるだけで楽しくなるわね」
「吉本も楽しいよ」
ダブダブはお笑いが好きみたいです。
「新喜劇を生で観られるしね」
「梅田に行けば一杯お店もあるし」
チーチーは梅田のことをにこにことしてお話します。
「いいよね」
「一つ一つの場所がとても楽しいんだよ、大阪は」
最後にジップがこう言いました。
「本当にいい街だよね」
「そうだね、大阪はね」
先生もこう言うのでした。
「日本でも屈指の楽しい街だよ」
「本当にそうだよね」
「あんないい街そうないわよ」
「どの国もない街よ」
「何もかもがね」
「その通りだね、さて」
ここで先生はあらためて言いました。
「思ったことだけれど」
「その大阪がきっかけになるか」
「太田さんのスランプを抜け出すそれになるか」
「それね」
「そうだよ、どうかな」
こう皆に尋ねました。
「果たして」
「うん、どうだろうね」
「ひょっとしてと思うけれど」
「駄目かなとかも思ったり」
「わからないわね」
「そうだね、ならないかもしれないけれど」
スランプ脱出のです。
「けれどね」
「なるかもしれない」
「そうでもあるのね」
「どう転ぶかはわからない」
「ひょっとしたらね」
「そう、なるかもしれなくて」
そしてというのです。
「ならないかもね」
「何か不安定ね」
「どうにも」
「そうなのね」
「うん、しかも彼のスランプはお天気が関係してみるみたいだけれど」
前のスランプは梅雨で今は冬だからというのです。
「曇りだとよくないみたいだけれど」
「日本の冬も曇り多いわね」
「それは何処でもみたいだし」
「そう考えると大阪でも?」
「あまり効果は期待出来ないかも知れないのね」
「そうかもしれないね」
実際にというのです。
「やっぱりね、ただね」
「それでもだね」
「効果があるかもしれない」
「そこはわからないから」
「やってみるんだね」
「何もしないよりも」
こうも言った先生でした。
「やってみることだからね」
「まずはだね」
「何かをしてみる」
「何もしないよりは」
「動くべきってことだね」
「太田君もそうだね」
その人ご自身もというのです。
「動いているね」
「うん、描いて美術館に行って」
「梅雨や雨でも景色を観て」
「そうしているわね」
「いつも」
「そう、だからね」
それでというのです。
「その辺りはわからないにしても」
「やってみるんだ」
「大阪に行ってみる」
「そうするんだね」
「僕達が行くんじゃないけれどね」
ふとです、先生はこのことも言いました。
「そうだね」
「あっ、太田さんの問題だから」
「太田さんご自身が行くんだ」
「あの人がスランプだから」
「だからだね」
「そうだよ、太田君がね」
その人がというのです。
「行くことになるよ」
「成程、それじゃあお話してみましょう」
「太田さんご自身にね」
「大阪の色々な場所を巡ってはどうかって」
「そう提案するのね」
「うん、ここはね」
まさにというのでした、
「彼に提案してみるよ」
「それじゃあね」
「すぐに太田さんにお話しましょう」
「あの人ご自身に」
「そうね」
「うん、思い立ったらだよ」
まさにとです、先生はすぐにでした。
太田さんに携帯で連絡しました、そうして太田さんにそうアドバイスすると電話の向こうからこうした答えが返ってきました。
「そうですか、大阪に」
「うん、どうかな」
「いいですね」
こう答えが返ってきました。
「やってみます」
「そうするんだね」
「日曜にでも」
「例えば君の近所は住吉大社だね」
「あそこに行ってですね」
「じっくりと観ればね」
そうすればというのです。
「若しかしたら」
「そうですね、そうしてみます」
「いいヒントがそこにあるかも知れないね」
「そうします、後は」
「後は?」
「四天王寺とかも行って」
そうしてというのです。
「スランプを抜け出すヒントを探してきます」
「それじゃあね」
「何とか、それとですが」
「それと?」
「神戸でもそうします」
大阪だけでなく、です。
「スランプを抜け出るまで」
「神戸の名所もだね」
「回ってみます」
「それもいいね」
先生は太田さんの言葉を受けて感心して言いました。
「そうして動くんだね」
「そうします」
「そうしたことについても」
「そのつもりです」
「君は思ったら動くね」
「自分でもそう思います」
そうしたタイプと、です。
「ですから」
「それでだね」
「そうしてみます、奈良や京都も行けたら」
「行ってそして」
「色々と観てみます」
そうした場所の名所もというのです。
「そうしてみます」
「古都も、そういえば」
古都とご自身で言ってです、先生はこのことにも気付きました。
「大阪も兵庫もね」
「古都になりますね」
「難波宮、それに福原だね」
「そうでしたね」
「近江もそうだったしね」
滋賀もというのです。
「古都だったね」
「よくご存知ですね」
「日本の首都も変わってきているんだよね」
その長い歴史、もっと言えば平安京まではそうでした。
「何かとね」
「そうなんです、これが」
「だから大阪に都があった時もあったね」
「飛鳥時代ですね」
「あちこち移っていたね」
「それで奈良もでした」
平城京です。
「都でした」
「あそこも素晴らしいね」
「奈良もですね」
「うん、本当にね」
「奈良も行かれてるんですね」
「歴史学と宗教学、あと芸術でもね」
様々な学問のフィールドワークの為にというのです。
「行ったよ」
「そうだったんですね」
「うん、やっぱりね」
「やっぱり?」
「そうした場所を巡ることは最高だよ」
「楽しく学ぶ為に」
「とてもいいよ、大仏殿にも行って」
東大寺の、です。
「その目で見て驚いたよ」
「大きいからですね」
「よくあれだけのものを造ったよ」
「あの大仏さんが三代目なんですよね」
「そうだね、そのこともね」
「ご存知ですね」
「うん、初代はよくね」
しみじみとした口調になってです、先生は言いました。
「あの時代にあれだけのものを築けたよ」
「そのことを考えるとですか」
「これまた凄いよ、だからまた機会があれば」
「奈良にもですね」
「行かせてもらうよ」
是非にというのです、そうしたお話をです。
先生は太田さんとしました、そしてそのお話の後で、でした。太田さんは講堂に向かいました。そしてその後で、でした。
動物の皆は研究室に残ってまた論文を書く先生に尋ねました。
「奈良の大仏さんね」
「あれ立ち上がらないわよね」
「それで動いたりとかは」
「しないよね」
「ははは、そうした造りにはなってないからね」
先生もそこは笑って否定しました。
「安心してね」
「特撮みたいなことはないんだ」
「悪いことしたら立ち上がって踏み潰してくるとかないんだね」
「今にもそんなことしそうだけれど」
「周りの四つの仏像さん達も」
「四天王だね、あの像達も動かないからね」
先生はこのこともお話しました。
「そうしたことはないから」
「いや、あの大きさ見てたら」
「今にもって思うけれど」
「それはないんだ」
「安心していいのね」
「特撮みたいなことはないって」
「そう思う人は多いかも知れないけれど」
特に子供さん達に多いかも知れないとです、先生は思うのでした。そんなことを思いつつ動物の皆にお話していきます。
「それはないよ」
「だったら安心だね」
「若し僕が悪いことをしてもね」
「それはないのなら」
「踏み潰されたりしないなら」
「あの大きさは確かに凄いけれどね」
まさに特撮ものの怪獣や巨大ロボットみたいにです。
「絶対にないよ、あとね」
「あと?」
「あとっていうと?」
「明日香もまた行きたいね」
奈良県のそちらもというのです。
「明日香村ね」
「ああ、あそこね」
「奈良の前に都だったっていう」
「あの村ね」
「あそこにも行きたいんだね」
「うん、あそこも学問の場所だよ」
奈良市と同じくというのです。
「だから行きたいね」
「あそこも色々とあるね」
「鬼のまな板とかあったね」
「日本の鬼が出たっていう」
「そうした場所があるわね」
「あれは伝説で実は古墳だったみたいだけれどね」
実際に鬼がいた訳ではないというのです。
「確かにそう見えるね」
「そうそう、大きくてね」
「鬼がいたんじゃないかって」
「それで人を襲っていたのかもって」
「そう見えるけれどあそこに鬼はいなかったよ」
このことは間違いないというのです。
「そのことは安心してね」
「だといいけれどね」
「じゃあ安心してね」
「明日香村にもまた行きましょう」
「機会があれば」
「興福寺とかにも行ってね」
先生はそちらにも行こうと思うのでした。
「フィールドワークをしたいね」
「何かとだね」
「あそこでやることも多いわね」
「観て回るものは」
「学ぶにあたって」
「奈良県も京都府もそうなんだよね、日本は学ぶべき場所が多い国だけれど」
その中でもというのです。
「この二つの場所は特別だね」
「何かとね」
「お寺も神社も多くて」
「古墳とかもあったりして」
「素敵な場所ね」
「だから行きたいね、そしてそうした場所に行ってもね」
こうも言った先生でした。
「太田君にとってもいいかもね」
「スランプを抜け出るきっかけになる」
「そうなるかも知れない」
「だからなんだ」
「抜け出た後もね」
それからもというのです。
「芸術のヒントになるものが多いと思うから」
「ああ、それからもなんだ」
「スランプの後もなのね」
「それからもなんだ」
「太田さんの芸術にいいんだ」
「そうだよ、芸術は立ち止まるものじゃないから」
だからだというのです。
「先に先に」
「そうしたものだから」
「スランプを抜け出て終わりじゃない」
「だから行くべき」
「そうなのね」
「機会があればね、その時はね」
まさにというのです。
「行くといいんだ」
「いや、芸術って凄いね」
「スランプを抜けてもまだ先がある」
「そうしたものなのね」
「それで終わりじゃないのね」
「本人が芸術をしていきたいと思う限りはね」
まさにその間はというのです。
「ずっと続けられるから」
「だからなんだね」
「スランプを出て終わりじゃない」
「それからもあるってことだね」
「だから行って欲しいね」
太田さんにもはというのです。
「そう思ったよ、じゃあ僕も学問をね」
「楽しみたいだけ楽しむ」
「そうするんだね、先生は」
「これからも」
「そうするよ、やっていくよ」
こう言ってでした、先生はこの時も論文を書くのでした。太田さんは芸術を先生は学問の中に生きていました。
あっちこっちを見て周る事を勧めるみたいだな。
美姫 「それでスランプから抜け出せるかは分からないけれどね」
もし、その提案を受けたら先生たちも一緒に行くのかな。
美姫 「どうなるのかしら」
次回も待っています。
美姫 「待っていますね〜」
ではでは。