『ドリトル先生と悩める画家』




                 第五幕  霧と雨

 朝起きてです、トミーは先生にすぐに言いました。
「今日は寒いですから」
「うん、冷えるね」
「霧が凄いですよ」
「霜が降りてないんだ」
「はい、そちらじゃなくて」
 窓を開けて外を見てです、トモーは起きたばかりの先生にお話します。トミーはパジャマですが先生は浴衣です。
「霧が凄いです」
「どんな感じかな」
 先生も窓の方を見ました、そしてこう言いました。
「確かに凄いね」
「そうですよね」
「日本でもこんな深い霧が出るんだね」
「イギリスの霧みたいですね」
「そうだね」
 先生は窓の外を見つつまた言いました。
「手を前に出したらね」
「手の先が見えなくなりそうですね」
「そんな深い霧ですね」
「いや、こんな霧だとね」
 先生は考えるお顔でこうも言いました。
「学校に行く時は注意しないとね」
「その時までに晴れたらいいですね」
「いや、晴れないだろうね」 
 先生は窓を見つつトミーに答えました。
「ちょっとね」
「深いからですか」
「この深さだとね」
「じゃあ登校の時は」
「注意して行くよ」
 実際にというのです。
「危ないからね」
「じゃあ僕も」
「そうそう、トミーもね」
 先生はトミーに応えて彼にも言いました。
「登校の時は気をつけてね」
「そうします」
「車とか多いしね」
「日本の車は多いですから」
「イギリスよりもね」
「電車も多くて車も多い」
「交通が発達しているだけにね」
 まさにそれだけにです。
「イギリス以上にね」
「どちらも」
「そう、だからこそね」
「車には気をつけて」
「登校してね」
「そうさせてもらいます」
 トミーは先生にはっきりと答えました。
「その時は」
「そうしてね、じゃあまずは」
「はい、朝御飯です」
 トミーは先生ににこりと笑って言いました。
「これから」
「そうだね」
「今朝は御飯とめざしと納豆とお味噌汁ですよ」
「あっ、いいね」
「それに海苔と梅干です」
 こちらもあるというのです。
「楽しんで下さい」
「うん、納豆がいいね」
 先生は納豆に笑顔で言うのでした。
「御飯に凄く合うからね」
「はい、あっさりした味で」
「そうそう、見掛けによらずね」
「だから朝には最適ですね」
「そう思うよ、僕も」
「じゃあ今朝は」
「御飯に納豆をかけて」
 そうしてというのです。
「食べるよ」
「そうしてですね」
「霧に気をつけて」
 そしてというのです。
「登校するよ」
「皆と一緒に」
「そう、それは忘れないからね」
 そこは絶対にでした、先生にとっては。
「研究室まで行くよ」
「そうされて下さいね」
「是非ね、じゃあ皆と一緒に」
「御飯を食べましょう」
 何につけてもです、先生は皆と一緒に納豆もある朝御飯を食べてでした。そのうえで歯を磨いてお顔も洗ってです。登校しました。
 その登校の時もです、霧が深くて動物の皆も言うのでした。
「ここまで霧が深いとね」
「車が本当に怖いね」
「自転車が来ても怖いから」
「注意しないと」
「皆離れたら駄目だよ」
 先生は皆に注意しました。
「それだけで危ないからね」
「そうね、イギリス並に霧が深いから」 
 ガブガブは周りを見回しながら言いました。
「離れたら迷子にもなりそうだし」
「迷子になったら」
 それこそとです、ダブダブも言います。
「もうどうなるか」
「車道に間違って出たら」
 チーチーもその時のことを考えました。
「車が来て」
「だから皆普段より気をつけよう」
 トートーも周りを見回しています、そのよく回る首で。
「先生の傍にいようね」
「先生が一番危ないしね」
 ホワイティはその先生の左肩にいます。
「僕達で注意しないと」
「いい先生、信号の光や車のライトは見えるから」
 ポリネシアも先生に言います。
「気をつけてね」
「匂いとかは僕に任せて」
 ジップは自慢のお鼻をくんくんとさせています。
「危ない気配も匂いからわかるから」
「耳もあるよ」
 老馬が耳をピンと立たせて言いました。
「どんな音も聞き逃さないから」
「目もあるよ」
「それも沢山ね」
 チープサイドの家族は皆で周りを見回しています。
「ちゃんとね」
「だからそっちも安心してね」
「先生を守るからね」
「僕達皆で」
 最後に言ったのはオシツオサレツですが先生の横にいます。
「この深い霧の中でもね」
「安心してね」
「何か守ってもらって悪いね」
 少し苦笑いになって応えた先生でした。
「いつもだけれど」
「いいのいいの、家族だから」
「それに先生も今周り見てるし」
「僕達の為に」
「だから一緒だから」
「お互い様よ」
 こう先生に答えるのでした。
「一緒だよ」
「一緒に助け合ってね」
「それで学校まで行こうね」
「研究室まで」
「研究室まで行けば大丈夫だからね」
 先生はまずそこに入ることを考えていました、そのうえで先に進んでいきます、
「皆で行こうね」
「うん、じゃあね」
「まずはそこまで行きましょう」
「そして研究室まで入れば一休み」
「そうなるわね」
「中に入ったらお茶を飲もう」
 研究室、その中にというのです。
「そうしようね」
「お茶は何かな」
「やっぱり紅茶?」
「それとも烏龍茶?」
「いや、お抹茶にしよう」
 今日のお茶はというのです。
「そちらにね」
「ああ、日本のお茶に」
「それにするの」
「あの緑のお茶に」
「何か飲みたくなったんだ」 
 だからだというのです。
「だからね」
「うん、じゃあね」
「お抹茶飲みに行きましょう」
「是非ね」
「これから」
「そういうことでね、行こうね」
 こうお話してでした、そしてです。
 先生は周りによく気をつけながら皆と一緒になって登校しました。無事に皆で大学のキャンバスまで入ってです。
 ご自身の研究室がある校舎に向かいますが塔の近くで、でした。
 太田さんを見ました、今は周りを観回している太田さんを見て声をかけました。
「おはよう」
「あっ、先生おはようございます」 
 太田さんも挨拶を返してくれました。
「今からですか」
「研究室に入るけれど」
「そうですか」
「今もかな」
「はい、今は描いてる絵がありますのでキャンバスを出していませんが」 
 それでもというのです。
「霧の風景もです」
「観てだけ」
「勉強にしています」
「天候が違えばね」
「同じ場所でも違いますから」
「そうだね、お昼と夜でもね」
「全く違うものになります」
 例え同じ場所でもです。
「ですからこうした時こそです」
「観ているんだね」
「そうしています、そして」
「スランプから」
「抜け出る様にしています」
「相変わらず前向きだね」
「スランプを抜け出る為には動けですから」 
 だからというのです。
「ですから」
「成程ね」
「それで観てです」
 そしてというのです。
「あらためて」
「絵にだね」
「します」
 確かな声で言うのでした。
「また」
「今の絵が完成したら」
「一つの絵はです」
「最後までなんだね」
「描く様にしています」
「絵は完成させる主義なんだ」
「はい」
 このこともです、太田さんは強く言いました。
「一度描いたなら完成させないといけないですね」
「うん、論文もね」
 先生はご自身のお仕事のお話から答えました、学者さんとして。
「一度書いたらね」
「完成させないと駄目ですよね」
「さもないとね」
「それは為したことにはならない」
「一度やったら最後だよ」 
 それこそというのです。
「やり遂げる」
「そういうものですね」
「君もそうした考えなんだね」
「そうです、子供の頃完成させなかった絵がありました」 
 太田さんはこのことは残念な、後悔するお顔で先生にも他の皆にもお話しました。
「クレヨンで描いていた頃ですけれど」
「幼稚園や小学校低学年の時だね」
「小学校一年でした」
 まさにその時のことだというのです。
「一度描いてそのまま一週間程ほったらかしにしてました」
「一週間だね」
「他の絵を描いていましたがその絵に気付いて」
 一週間してというのです。
「それで描きたての絵を見て凄く悪いことをしたと思いまして」
「だからなんだ」
「すぐにその絵を完成させました、ですが」
「それでもなんだ」
「悪いことをしたという気持ちは残っていまして」
「だから今も」
「一度描いた絵はです」
 それこそというのです。
「完成させる様にしています」
「そうしたことがあったんだ」
「こうお話すると大したことじゃないですね」
「いや、君にとっては大事なことだね」
「その時に絵が言っている様に聞こえまして」
 太田さんはその時のこと、自分が覚えているそのことを思い出していました。そのうえで先生にもお話するのです。
「早く描いてくれって」
「絵がだね」
「そう言っている様に思えて」
「絵が君に訴えかけていた」
「そうでした」
「日本の信仰だね」
 先生は太田さんがそう感じた理由を察してです、太田さんご自身にお話しました。
「それは」
「神道ですね」
「うん、精霊信仰に近いあらゆる存在に神や魂が宿る」
「絵にもですね」
「実際に絵が君に訴えかけていたんだろうね」
「絵に心があって」
「キリスト教では神がそうされるけれどね」
 神があらゆるものに存在しているからです、神々ではなく神というキリスト教の考えも踏まえてのお話です。
「神道ではそうだね」
「絵に宿っていた心が僕に訴えかけてくれて」
「君はその絵を描けたんだ」
「そしてその時にです」
 まさにというのです。
「僕は一度描きはじめた絵はです」
「最後までだね」
「描く様にしています」
 例えスランプの中でもというのです。
「それも描けるなら立ち止まらずに」
「描いていくんだね」
「最後まで」
 まさにというのです。
「そういう風にしています」
「じゃあ今の絵は」
「また霧が晴れたら」
 その時はというのです。
「描くよ」
「そうするんだね」
「そうします」
「そして今は霧の大学の中を観て」
「スランプを抜け出られたらって思ってます」
 こう先生にお話しました。
「そのヒントを得て」
「ヒントはあらゆる場所にある」
「そうですよね」
「うん、学問にしてもね」
 またこちらからお話する先生でした。
「思わぬところでヒントを得たりするからね」
「そうですよね」
「ニュートンとかね」
 先生はお国の偉大な物理学者の名前も出しました。
「あの人も万有引力の発見はね」
「林檎ですね」
「そう、林檎が木から落ちるのを見てね」
「そこからヒントを得ましたね」
「そうだよ、だからね」
「ヒントはですね」
「あらゆる場所にあるんだ」
 まさにというのです。
「芸術についても」
「学問と同じで」
「そう、だから君の今の行動もね」
「いいですね」
「そう思うよ」
 太田さんにです、先生はにこりと笑ってお話しました。
「それもまたね」
「とにかく動いて」
「そうしてだね」
「スランプを抜け出ます」
 意気込みもある言葉でした。
「絶対に」
「それでは寒いからね」
「風邪にはですね」
「注意してね」
「スランプの時に身体を壊すと」
「余計によくないから」 
 だからというのです。
「普段以上にしんどいよ」
「精神状態も影響しますか」
「そう、病気はね」
「だからですか」
「スランプや欝の時こそね」 
 まさにというのです。
「風邪とかには注意しないとね」
「だからですね」
「霧の水分で身体が冷えない様に」
「程々にですか」
「むしろもうね」
「建物の中に入って」
「暖かくした方がいいよ」
「わかりました、じゃあ講義まで部室にいます」
 太田さんはこう先生に答えました。
「そうします」
「じゃあ部室で」
「絵を描きます」
 その時もというのです。
「そうします」
「今も描くんだ」
「はい、そうしないと気持ちも落ち着かないですから」
「だからなんだね」
「描きます」
 そうするというのです。
「スランプから抜け出る為にも」
「ううん、太田君は本当に前向きだね」
「そうして自分を奮い立たせてもいます」
 あえて前に進んで、です。この場合は美術館や霧の景色を観たり絵を描くことです。そうしたことをしているのです。
「落ち込むとよくないって思ってまして」
「それも無理していないかな」
「というかそうしないと」
「落ち込んでそのまま動けなくなるからかな」
「どうも僕はそんなタイプなので」
 だからというのです。
「あえてそうする様にしています」
「そうなんだね」
「じゃあ今から」
 太田さんは先生にあらためて言いました。
「描いてきます」
「うん、じゃあね」
「また」 
「またね」
 お別れの挨拶もしてです、先生達は太田さんと別れました。太田さんはその足で芸術学部の校舎に向かい先生は医学部の方に向かいました。
 そして研究室に入ってコートをコート掛けに掛けてです、お部屋の暖房を入れてから動物の皆が淹れてくれたミルクティーを飲みつつ言うのでした。ご自身の席から。
「あれだけ前向きだとね」
「何かスランプもね」
「すぐに抜け出られない?」
「そんな気したけれど」
「どうなのかしら」
 動物の皆も応えます。
「そう思うけれど」
「僕達もね」
「あれだけ前向きならね」
「ご自身でスランプを抜け出られるんじゃ」
「そうじゃない?」
「ところがそうはいかないのがね」
 先生は少し首を傾げさせてまた言いました。
「スランプなり鬱病なりなんだよ」
「前向きでもなんだね」
「自分自身がそうでも」
「中々抜け出られない」
「そうしたものなんだ」
「そうなんだ、自分で抜け出ていないと思っていたら駄目だし」
 それにというのです。
「自分がそう思っても周りがね」
「そうなんだ」
「スランプってそうしたものなんだ」
「難しいものなんだね」
「ややこしいね」
「うん、人間の心の問題いはね」
 それこそとです、また言った先生でした。
「とても複雑なんだ」
「スランプにしても」
「そうしたものなんだ」
「ほら、野球選手でも最多勝とか首位打者になっても」 
 そうしたタイトルを獲得出来る程の成績を挙げてもです。
「自分が悪いって言えばね」
「駄目なんだね」
「そうしたものなんだね」
「それでもスランプだったりするんだ」
「タイトルを取っても」
「そうだよ、ラグビーサッカーでもイングランドやスコットランド代表になっても」
 今度はラグビーやサッカーのお話をしました。
「本人が調子が悪いって言うこともあるね」
「タイトルと同じで」
「代表になっても」
「そういうものなんだね」
「そうなんだよ、そして自分が絶好調って思っても」 
 そう思って動けていてもです。
「周りがそうじゃないって言ったり」
「歌手で結構あるよね」
「何かね」
「周りが不調だ不調だって言ったりね」
「そんなことあるね」
「批評家がそう言えばね」
 本人でないこの人達がです。
「スランプになったりするね」
「色々なるんだね」
「何か本当に」
「難しいね、スランプって」
「周りが思ってなくても自分がそう思ってたり」
「自分がそう思ってなくても周りが思う」
「そう考えると難しいね」
「多分僕から見るとね」 
 先生は批評家ではないですがこう言うのでした。
「太田君はスランプじゃないよ」
「絵の出来はわからないけれど」
「どんどん描けてたよね」
「ゴッホに似た絵をね」
「ああした感じの絵がね」
「芸術はね、感性だからね」 
 こんなこともお話した先生でした。
「ゴッホの絵なんかもね」
「癖あるよね、ゴッホって」
「絵の具を大量に使っててね」
「タッチも描き殴るみたいな感じで」
「自画像なんかもね」
「丁寧さを無視したっていうかね」
 そんな画風だとです、皆も言います。
「そんな絵だから」
「駄目だって言う人も多いだろうね」
「何だこの絵はとか」
「普通に言われるかも」
「実際にゴッホの絵は好き嫌いが分かれるよ」 
 先生も言います。
「この世を去る間際に評価されだしてきていたけれど」
「それでもなんだね」
「生きている頃からなんだ」
「評価は分かれていたんだ」
「そうだったんだね」
「これはピカソやダリなんかもそうだね」
 こうした特に個性が強い人の絵もというのです。
「評価が分かれるね」
「芸術ってそうなんだね」
「それぞれの感性なんだね」
「それに基づいて評価するものなんだ」
「シャガールにしても」
 先生はこの画家のこともお話に出しました。
「落書きみたいだって言う人もいるからね」
「落書きって」
「そんなものなの?」
「確かシャガールって有名だよね」
「それもかなり」
「けれどそう言う人もいるんだ」
 シャガールのその絵を観てです。
「僕は芸術についてはそうしたものだと思いつつ学んで論文も書いているんだ」
「そうなんだね、先生は」
「芸術は感性なんだね」
「その人それぞれの」
「そうしたものなのね」
「だから僕が太田君の絵を観ても」
 これも実際に観てのことです。
「スランプかどうかわからないよ」
「じゃあ太田さんと同じ感性の人がわかる?」
 こう言ったのはトートーでした。
「つまりは」
「そうなるのかな」 
 ホワイティも首を傾げさせます。
「芸術については」
「芸術って難しいね」 
 ジップもホワイティのお隣で首を傾げさせています。
「どうにも」
「僕達じゃわからなくて」
 太田さんに合う感性でないからとです、チーチーも言います。
「そうした人達だけがわかるんだ」
「もどかしいっていうか難しいっていうか」 
 ダブダブの言葉です。
「いつも以上にどうしていいかわからないことだね」
「哲学なのかしら?これって」
 こう考えたのはポリネシアでした。
「自分で思っていても他の人が思っていてもとか」
「もうそう言ったらきりがないよ」
「自分を含めた誰かがスランプって言えばスランプって」
 オシツオサレツは二つの頭を共に傾げさせています、右と左に。
「もうどうしようもないじゃない」
「何なの、それって」
「わかる人がわかって」
「わからない人はわからない」
 チープサイドの家族もお互いにお話をします。
「それで誰かが言えばスランプ」
「そうなるなんて変なお話ね」
「ううん、これはどうしたらいいのかしら」
 ガブガブが言います。
「この件は」
「太田さんと太田さんの感性が理解出来る人の問題?」
 最後に言ったのは老馬でした。
「つまりは」
「うん、ここで大事な言葉があるんだ」
 先生はここまでお話してそのお話の核心とも言える言葉を出しました。
「デカルトの言葉だけれど」
「ええと、確かフランスの鉄j学者?」
「数学者でもあったわね」
「天動説を秘かに指示していたっていう」
「あの人ね」
「うん、我思う故に我あり」
 この言葉を出したのでした。
「この言葉だよ」
「つまり太田さんがどうか」
「あの人がどう思うかなの」
「それが一番大事なの」
「そういうことなの?」
「周りの言葉も大事だよ」
 それもというのです。
「けれど批評家は結局批評家でしかないんだ」
「画家さん自身じゃない」
「その人自身じゃない」
「感性もなのね」
「その人自身のものなの」
「感性が近かったり合っていてもね」 
 それでもというのです。
「その人じゃないんだよ」
「あくまでその人なんだ」
「その人がどう思うかなんだ」
「スランプかどうかは」
「その問題なんだ」
「そうだよ、そこが大事だからね」
 だからというのです。
「一番大事なのは太田君がどう思うかだよ」
「スランプを抜けたと」
「そう思えればいいの?」
「さっきそれでもってお話になったけれど」
「それでも」
「そう、スランプから脱出したってね」
 まさにというのです。
「自分ではっきり認識したら」
「それでなんだ」
「スランプを脱出した」
「それでなるんだ」
「そうしたものなんだ」
「そうだよ、それがスランプなんだよ」
 まさにというのです。
「自分がどう思うかだよ」
「それが答えなんだ」
「我思う故に我ありで」
「自分がスランプを完全に抜けたって思えば」
「そうなるんだ」
「北斎も言ってたしね」
 日本の浮世絵画家のお話もするのでした。
「あと十年生きていたら本当の画家になれたってね」
「つまりずっと本当の画家じゃなかったんだね」
「九十歳まで描いていても」
「そうだったんだ」
「あと十年だから百歳だよ」
 そのお歳になっていればというのです。
「北斎の場合もね」
「じゃあ一番大事なのは自分自身」
「それが芸術でなんだ」
「スランプもそうなのね」
「結局は自分自身なのね」
「本当に自分自身だよ」
 何といってもというのです。
「芸術、そしてスランプは」
「太田さんがスランプを抜けたって核心したら」
「まさにその時は抜けたってこと」
「そうしたものなの」
「つまりは」
「結局はね、芸術家の感性はその人の感性」
 その創作する人のです。
「だからだよ、果たしてどうなのかだよ」
「太田さんが完全に抜けたって思えば」
「完全にだね」
「その時が太田さんのスランプが終わった時」
「そうなるの」
「うん、そうなるよ。そして太田君は」
 その人はといいますと。
「とにかく前向きだよ」
「霧の景色も観ていたしね」
「本当に前向きよね」
「芸術に対して貪欲っていうか」
「凄く前を見ている感じで」
「芸術に生きている」
 先生はこうも言いました。
「そうした人だね」
「じゃあ将来は画家さんかしら」
「そうなるかしら」
「あの人も」
「ゴッホみたいな」
「うん、それだけで食べていくことは難しいかも知れないけれど」
 それでもというのです。
「いい芸術活動を続けていけるかも知れないね」
「熱意故に」
「それがあると」
「うん、そうも思ったよ」
 先生の口調はしみじみとしたものになっていました、そしてそうしたことをお話してでした。先生はここで窓の外をふと見ました。
 するとです、霧からでした。
「雨だね」
「ええ、降ってきたわね」
「しとしととした雨が」
「静かな雨だね」
「降ってきたわね」
「こうした静かな雨もね」
 どうにもというのです。
「風情があるね」
「何か柳や松のところに降るとね」
「余計に風情があるわね」
「そうね」
「そうしたところだと余計に」
「日本の草木にはそうした雨が合うのかな」
 先生は窓の外の雨を見つつまた言いました。
「やっぱり」
「そうなのかしらね」
「日本の草木には静かな雨」
「それが合う」
「言われてみれば」
「短歌や俳句でもね」 
 日本の詩でもというのです。
「そうしたものがあったかしら」
「雨と草木を歌った歌」
「そういえばありそうね」
「それもかなり奇麗かも」
「確かあったね、和歌はね」
 この歌、日本の文学の一つも思い出した先生でした。
「景色と恋愛を短い言葉の中に見事にミックスさせていてね」
「奇麗なのね」
「そのミックスがまた」
「そうなのね」
「あの芸術はね」
 まさにとです、先生は皆が淹れてくれた二杯目の紅茶を飲みつつまた言いました。
「日本の美を歌ったもう一つの美だよ」
「雨と草木を」
「そうした歌もあるのかしら」
「そしてそこに恋愛も混ぜる」
「そうしたものなの」
「うん、確かそうした歌もあったから」
 先生は日本文学のお話もしました。
「和歌にはね」
「やっぱりそうなんだ」
「雨と草木と恋愛」
「それを歌った和歌もあるだね」
「日本には」
「和歌に歌われているものはね」
 先生はしみじみとして話すのでした。
「そこにある、それでいて最高の美というかね」
「そうしたものなのね」
「短い言葉の中にあるのは」
「あんな短い詩なのに」
「それでああしてなの」
「ああした表現をするのね」
「和歌集を読んでいると」
 古今和歌集等をです、先生は和歌の論文も書いていましてそちらにもかなり詳しいのです。
「美麗な気持ちになれるよ」
「源氏物語みたいな」
「ああした本を読んだみたいな」
「そんな気持ちなのね」
「そうなるのね」
「うん、和歌もまた日本の心だよ」
 こうも言った先生でした。
「これからもどんどん読んでいきたいね」
「先生詩も好きだしね」
「歌の作詞されたのも好きだしね」
「いい文章はどの国のものでも聴いてね」
「楽しんでるね」
「ダンスは出来ないけれど」
 こちらは全然駄目です、先生は本当に身体を動かすことは駄目です。
「歌は好きだね」
「曲も詞もね」
「どちらもね」
「そうよね」
「日本のものもね、実はAKBもね」
 こうしたアイドルの曲もというのです。
「好きだね、歌うことはないけれど」
「あれっ、そういえば」
「先生って歌も歌わないわね」
「どうにも」
「ダンスもしないしね」
「歌も歌わない」
「詩を作ることも」
 そうしたことはです、動物の皆も気付きました。
「しないね」
「自分では」
「そうよね」
「自分ですることはね」 
 どうにもと言う先生でした。
「しないよ、苦手なんだよね」
「論文は書くけれどね」
「歌ったり作ったりはしない」
「そうなのね」
「自分では」
「うん、やっぱり僕は学者なのかな」 
 それも生粋のと思うのでした。
「書けるのは論文とかでね」
「短歌とかもなのね」
「書けない」
「そうなの」
「学校の授業で詩を作ったことはあったけれど」
 それでもという口調での言葉でした。
「やっぱり書くのならね」
「論文なのね」
「そちらが第一」
「先生にとっては」
「そうなんだよね、論文はどんどん書けるんだ」
 そちらはというのです。
「書けば止まらない感じで進むけれど」
「詩とか小説になると」
「どうにも」
「そうなんだね」
「僕としてはね、しかし本当にね」
 また窓の外を観て言う先生でした。
「静かな雨だね」
「風もなくて」
「風情のある雨だね」
「日本の冬の雨」
「そんな感じで」
「いい雨だね、ただ日本の雨はね」 
 こうも言った先生でした。
「台風とかは凄いね」
「あれは凄いわね」
「日本の台風は」
「インドのサイクロンも凄かったけれど」
「こっちもね」
「一緒のものだしね」
 台風とサイクロン、その両者はというのです。
「結局は」
「そうそう、結局はね」
「あちこちに出るああしたものはね」
「結局同じよね」
「ハリケーンもタイフーンも」
「結局のところは」
「そうだよ、そして日本の台風もね」
 こちらもというのです。
「凄いからね」
「確かに凄いよね」
「日本の台風もね」
「大雨に大風でね」
「とんでもない破壊力があるね」
「だから被害も多いんだ」
 台風のそれはです。
「日本でもね。ただね」
「ただ?」
「ただっていうと?」
「大きさによるから」 
 台風のそれにというのです。
「それはね」
「ああ、それはそうだよね」
「サイクロンでもそうだし」
「地中海でも起こるけれどね」
「それでもね」
「台風も大小がある」
「そうなんだ、だから大型の台風が起これば」
 そうして日本に上陸すればというのです。
「大変なことになる場合があるんだ」
「だから日本は凄く注意してるんだね」
「台風のことも」
「地震の対策が凄い国だけれど」
「台風もそうしているのね」
「そうなんだ、台風は梅雨から秋まで来るね」
 おおよその季節はです。
「日本ではね、僕達も遭ったね」
「そうそう、何度かね」
「日本に来てから実際に遭ってるね」
「あれがね」
「とんでもないよね」
「そう、日本の台風の怖さは」
 それこそというのです。
「皆も知っている通りだね、ああした雨もあるんだ」
「日本ではね」
「そうなのね」
「そうだよ、ああした雨もあるんだ」
 先生はあらためてお話しました。
「荒れ狂う大雨もね」
「こうした静かな雨ばかりじゃないね」
「冬も嵐になったりするし」
「そしてそうした時はね」
「こんなものじゃないわね」
「そうだよ、そして今のこの雨はね」
 冬の静かな雨、その雨を見つつの言葉です。
「ゆっくりとしているね」
「そうだよね」
「風情があるね」
「じゃあこの雨を見て」
「今は静かな時を過ごそうね」
「そうしよう、冬の雨もまたいいものだよ」
 先生の目は静かなものになっています、そうして紅茶を飲みつつ論文を書いて講義にも出ました。学者さんとしての生活は先生にとって実にいいものです。
 そして後になってです、太田さんが傘をさしてその日雨のキャンパスの中を歩いていたと聞いて言うのでした。
「それもスランプを抜け出る為だね」
「雨の景色も見てだね」
「そうして何かを得ようとしているのね」
「霧だけじゃなくて」
「雨もなんだ」
「そうだね、身体には気をつけるべきだけれど」
 それでもと言う先生でした。
「その熱意は凄いね」
「何とか自分でスランプを抜け出ようとする」
「それはね」
「私達が聞いてもね」
「凄いわね」
「そうだね、けれどそれでも中々ね」
 これがというのです、そうして熱心に自分で動いていても。
「抜け出られない時は抜け出られない」
「それがスランプなんだね」
「どうしても」
「だからこそ難しい」
「そうしたものなのね」
「そうなんだよね、けれどその熱意は」
 雨の日もあえて外の景色を見て何かを得ようとするその姿勢はというのです。
「きっと実るよ」
「そこまでしてたらね」
「何かが得られるね」
「自分からそこまで動いていたら」
「やっぱり」
「神が授けて下さるよ」
 神様の存在をここで言ったのでした。
「必ずね」
「神は自ら動くものを助けられる」
「そういうことね」
「つまりは」
「だからなのね」
「そう、神様は見ておられるからね」
 だからこそというのです。
「そうなるよ」
「そうね、神様はおられるから」
「それ故にね」
「太田さんもスランプを抜け出られる」
「そうなるわね」
「必ずね、では僕は教会に行った時は」
 先生もキリスト教徒なのでこのことは忘れていません、学園の中の教会に赴いて礼拝もちゃんとしています。
「太田さんのことを祈るよ」
「そうそう、それを忘れていたわ」
「神様へのお祈りをね」
「大切なことを忘れていたわね」
「どうにも」
「うん、太田君とは多分宗教は違うけれど」
 それでもというのです。
「それは忘れてはいけないね」
「その通りだね」
「それはちゃんとしてね」
「忘れないでしないと」
「神様へのお祈りは」
「教会には時間があれば通っているけれど」
 特に日曜日はです、そうしています。
「それでもね」
「太田さんのこともね」
「これからお祈りしましょう」
「皆で」
 動物の皆も言います、そしてなのでした。
 先生達は教会に行くことも決めました、太田さんのこともお願いする為に。



すぐにはスランプからは抜け出せないか。
美姫 「でしょうね。こればっかりは仕方ないかもね」
だな。先生もアドバイスしているし。
美姫 「お祈りもしてくれているしね」
どうなるのか。
美姫 「次回も待っていますね」
ではでは。



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