『ドリトル先生と悩める画家』
第一幕 学園の美術館
今日も日々を充実して過ごしているドリトル先生は三時のティータイムも楽しんでいました、ご自身の研究室で学生さん達と一緒に飲んでいますが。
その先生にです、学生さん達は口々に言いました。
「先生のところのお茶は美味しいですね」
「何か味が違います」
「お茶の葉とお水がいいんですか?」
「淹れ方が」
「いや、別に変わらないよ」
先生は学生さん達に答えました、研究室には動物の皆も一緒ですが彼等は今はそれぞれ研究室の隅で気持ちうよくお昼寝をしています。
「普通の日本で売っているお茶でね」
「お水もですか」
「普通の水道水ですか」
「じゃあミルクもですね」
「お砂糖も」
「全部市販のものだよ」
学生さん達に笑顔でお話します。
「本当にね」
「そうなんですか」
「そうは思えないですけれど」
「美味しいですよ、本当に」
「先生の淹れてくれるお茶は」
「それはこれのせいかな」
ここで、です。先生はお茶と一緒に楽しんでいるティーセットを見ました。いつも通り三段で置かれています。
「ティーセットがね」
「ああ、シュークリームにケーキに」
「それにフルーツサンドですね」
上段、中段、下段でそうなっています。今日のセットはこの組み合わせです。
「ティーセットと一緒だからですか」
「美味しいんですか」
「そうなんですか」
「そうだと思うよ、やっぱり紅茶はね」
これはというのです。
「お菓子と一緒に飲むのが美味しいからね」
「それだけで飲むよりもですか」
「お菓子と一緒に飲む方がいい」
「ずっと美味しいんですね」
「そうだと思うよ、甘いものと一緒に飲むと」
そうするとというのです。
「紅茶は美味しいんだ」
「そういうことですね」
「だから先生と一緒に飲む紅茶は美味しいんですね」
「いつもお菓子とセットなので」
「だからこそ」
「そうだろうね、あとね」
さらにお話する先生でした、先生も当然ティーセットを楽しんでいます。
「何といっても日本はお水がいいね」
「それはよく言われますね」
「他の国と比べていいって」
「軟水ですから」
「だからだと」
「硬水でも味が違うね」
他の国の硬水とはというのです。
「どうも」
「ううん、お水はやっぱり大事ですよね」
「特に飲みものについては」
「お水がいいとお茶の味もよくなる」
「そうなりますよね」
「うん、僕は今ではね」
それこそというのです。
「日本の紅茶をイギリスの紅茶よりずっと美味しく感じるよ」
「本場のものよりもですね」
「ずっと美味しいんですね」
「先生もそう感じてるんですか」
「うん、今ではね」
こうお話しつつ飲みます、そしてです。
ここで先生にです、学生さん達がこんなことを言ってきました。
「あと先生最近ですが」
「日笠さんとお話してませんか?」
「この研究室でも」
「そうされていませんか?」
「うん、日笠さんはお友達だよ」
すぐに答えた先生でした。
「いいね」
「あれっ、そうなんですか」
「日笠さんはお友達なんですか」
「そうなんですか」
「そうだよ」
こう答えるのでした。
「他のどういった関係なのかな」
「いや、そう言われますと」
「何といいますか」
「あの、それはですね」
「ちょっと」
皆どうにもというお顔で先生に応えます。そのうえで困ったお顔でこうも言ったのでした。
「先生も源氏物語お読みですよね」
「古今和歌集とかも」
「古典にもそうしたお話多いですから」
「そうしたお話も読まれてますから」
「そこから少しです」
「お考えになっては」
「?何をかな」
そう言われても気付かない先生でした。
「一体」
「まあよくお考えになって下さい」
「先生ならっていう人結構いると思いますから」
「そのご性格なので」
「日笠さんもそうですし」
「先生は人気がありますから」
「好いてもらっていることは有り難いね」
先生はお友達が多いことを感謝してます、ですがそのことには感謝していてもそれでもなのです。
「僕も嬉しいよ」
「先生嫌いな人はまずいないですが」
「それでも何といいますか」
「そこはです」
「どうにも」
皆も困ってしまいました、そしてです。
学生さん達でお顔を見合わせてです、やれやれといったお顔で苦笑いをしたうえでそうして先生にあらためて言いました。
「そういうことで」
「そうしたことはおいおいということで」
「先生も頑張って下さいね」
「これからも」
「皆何を言ってるのかな」
本当にわからない先生でした、きょとんとしたお顔になっています。
「今は」
「まあそれは終わりということで」
「それで宜しくお願いします」
「じゃあ今はです」
「お茶を飲みましょう」
「お菓子も食べて」
「どっちも一杯あるからね」
先生はこのことには笑顔で応えました。
「楽しんでね」
「はい、そうさせてもらいます」
「いつも有り難うございます、ご馳走になって」
「今日もですし」
「感謝してます」
「ははは、感謝はいいからね」
それは笑っていいとした先生でした。
「皆で楽しむものだし今日も楽しんでね」
「そう言ってくれますか、それじゃあ」
「お言葉に甘えて」
学生さん達は先生の優しさにも触れました、そのうえで紅茶もお菓子も楽しみます。ですが学生さん達が帰ってです。
先生と動物の皆だけになってそうして今度発表する論文を書きはじめているとです、先生に動物の皆が言ってきました。
「先生やっぱり駄目だよ」
「学生さん達への対応は合格だけれどね」
「日笠さんのことは不合格」
「落第ものだよ」
「落第?僕はいつも体育は追試を受けていたけれど」
先生は論文を書きながら皆に応えます。
「他の科目はそんなことなかったけれど」
「だからそういうのじゃなくて」
「源氏物語とか言われたじゃない」
「古今和歌集とかね」
「それでわからない?」
「何がかな」
やっぱりわかっていない先生です。
「悪いのかな」
「悪いっていうか駄目だよ」
「そういえば先生の学生時代ってどうだったの?」
「本ばかり読んでたみたいだけれど」
「女の子とお話したことあったの?」
「うん、幸いいつも人が傍にいてくれてね」
学生時代は実際にどうだったのか、先生も皆にお話します。
「お友達には恵まれていたよ」
「女の人にも?」
「そうだっていうんだ」
「実際になんだ」
「そうだったんだ」
「うん、レディーのお友達も多くてね」
先生は確かにスポーツは全く駄目です、ですがとても優しくて穏やかで公平な人だからです。それでなのです。
「よくしてもらったよ」
「その女の人達の中で何か言ってくる人いなかった?」
「私達の予想では結構いたと思うけれど」
「何処かに行こうってお誘い受けたり」
「プレゼントされたりとか」
「あっ、何度もあったよ」
先生は穏やかな声で答えました。
「ケーキを貰ったり。博物館を一緒に行ったり」
「それでどうしたの?」
「それで終わりだったのかな」
「そこから先に進まなかったんだね」
「先生のことだから」
「うん、一緒に遊んだりもしたけれど」
それでもというのです。
「お友達でいてくれてよかったって思ってるよ」
「うん、やっぱり不合格」
「先生って学生時代から先生だね」
「お友達だって思うこと自体がね」
「もう駄目だよ」
「駄目っていうけれど僕は確かにお友達になってくれる人は多いけれど」
それでもというのです。
「この外見でしかもスポーツは全然駄目だから」
「もてないっていうんだね」
「女の人は好きになってくれない」
「恋愛対象じゃない」
「そうだっていうんだね」
「そうだよ、だから今も独身なんだよ」
あくまでこう考えている先生です。
「自分のことは自分がわかっているからね」
「自分のことは自分が一番見えないよ」
「先生一度自分を見詰めなおしたら?」
「そうしたらきっとわかるから」
「そうしたら?」
「ちょっとね」
「先生は駄目過ぎるよ」
皆は自分達が見ている先生のことから先生に言うのでした。
「恋愛についてもね」
「とにかく今のままじゃ駄目だよ」
「先生もてないってことじゃないから」
「先生がそう思っていてもね」
「いや、僕はもてないから」
それはとです、先生はまた言いました。
「子供の頃からそうだったからね」
「どうだか」
「もう先生はそうしたことは全くだから」
「何ていうかね」
「そこを理解しないとね」
「日笠さんも可哀想だよ」
「何で日笠さんが可哀想なのかな」
先生はそう言われてもわかりません、首を傾げさせるばかりです。
「僕日笠さんに悪いことしたかな」
「悪いことはしてないよ」
「ただね、駄目過ぎるだけでね」
「そうしてずっと気付いてこなかったんだね、先生は」
「そうしたことについては」
「そうしたテーマの小説の論文を書いても」
「皆何を言ってるのかな、とにかくね」
あらためて言う先生でした。
「また論文書くよ」
「何の論文なの?そういえば」
「先生の今回の論文は何がテーマなの?」
「どんな学問の論文なのかな」
「シェークスピアだよ」
イギリス文学の代表の一つです。
「ロミオとジュリエットについて書いているんだ」
「恋愛ものの定番だよね」
「それの論文書いてるんだね」
「じゃあ頑張ってね」
「ただ、ちゃんと読んでね」
そしてというのです。
「そして勉強してね」
「そうしてよね」
「いや、本当にね」
「恋愛を学んでね」
「ロミオとジュリエットもそうだけれどね」
先生は二人の若い恋人達に深いものを見て悲しいお顔で言うのでした。
「家同士のしがらみ、政治的対立で報われないなんてね」
「あってはならない」
「そう言うんだね」
「先生にしても」
「うん、あと恋愛に階級とかが入ることもね」
それもというのです。
「僕はよくないと思うよ」
「欧州はまだ階級があるからね」
「イギリスは特にそれが強いかな」
「貴族と平民だね」
「その違いはあるね」
「うん、日本はそういうことがかなり希薄だから」
階級というものがというのです。
「そのこともいいと思うよ」
「あっ、そういえば確かに」
「日本は恋愛に階級は殆ど関係しないね」
「職業とかもね」
「あまり考慮されないね」
「そのことはいいと思うよ。お互いに好きならね」
それならというのです。
「それでいいと思うよ」
「結ばれるべきだね」
「ロミオとジュリエットみたいにならないで」
「幸せになるべき」
「そうだっていうんだね」
「僕はそう思っているよ」
実際にというのです。
「本当にね」
「その通りだよね」
「先生そうしたことはわかってるよね」
「恋愛自体についてはね」
「しっかりした理解も考えもあるね」
「そうしたことはね」
動物の皆もそれはわかりますが。
「けれどね」
「自分のことにはだからね」
「やれやれだよ」
「私達も気が気でないわ」
「全くだよ」
こうしたことをお話するのでした、そうしたことをお話しながらです。先生は帰る時間まで論文を書いてお家に帰るとトミーが作った晩御飯を皆と一緒に食べてそれからお風呂に入って歯を磨いてから寝ました。そしてです。
次の日です、王子が研究室に来て先生に言ってきました。
「先生は美術にも造詣があるよね」
「うん、芸術も学問だからね」
それでとです、先生は王子に答えました。
「ルネサンスの芸術や江戸時代の日本の浮世絵とかね」
「詳しいよね」
「論文も書いたりしているよ」
「論文を書ける位なら」
王子は先生の言葉を聞いて頷きました。
「それじゃあお願い出来るかな」
「というと」
「実はこれからこの学園の美術館を回りたいけれど」
「僕にだね」
「うん、ルネサンスや江戸時代のね」
「芸術をだね」
「説明して欲しいんだ」
こう先生に言うのでした。
「それでお願いに来たんだけれど」
「あっ、丁度今は予定もないから」
先生は王子に笑顔で応えました。
「それじゃあね」
「今からだね」
「一緒に美術館に行こう」
「それじゃあね」
「皆どうかな」
先生は今も研究室で一緒にいる動物の皆にも声をかけました。
「これから」
「よし、行こう」
「丁度先生に何処か行こうって思ってたし」
「それじゃあね」
「今から行こう」
「美術館までね」
「そうしようね」
皆も笑顔で応えてでした、そしてです。
動物の皆も一緒にです、美術館に行きました。そして美術館の紅の絨毯の床を進みつつです。動物の皆は先生に浮世絵を見つつ言うのでした。
「カラフルだよね」
「浮世絵の色使いってね」
オシツオサレツも言います。
「鮮やかっていうか」
「原色をふんだんに使ってね」
「絵のタッチも独特だけれど」
チーチーも絵を観ています。
「色使いが凄いんだよね」
「パンクというかアバンギャルドっていうか」
ガブガブはこう表現しました。
「奇抜な奇麗さね」
「歌舞伎そうだけれど色使いが凄いんだよね」
トートーは学園の劇場でも上演される日本の伝統舞台のお話もします。
「赤も白も黒も青も黄色も全部使ってね」
「模様や配色は滅茶苦茶目立ってて」
ダブダブは歌舞伎役者の浮世絵を観ています、それは暫というとんでもないまでに異様なお侍の絵でした。
「こんなの他の国にないよ」
「ピエロよりも凄いわ」
ポリネシアはお国の芸人さんのことを思い出しました。
「この色使いは」
「どうやったらこんな色使いを思いつくのか」
ジップは首を傾げさせています。
「それがわからないよ」
「芸術は爆発っていけれど」
「こんな爆発はそうないわね」
チープサイドの家族も言います。
「鮮やかで派手で」
「それでいて調和が取れていて」
「派手に奇麗だけれどね」
ホワイティは今は先生の頭の上にいます。
「ただそれだけじゃないね」
「浮世絵を見ていると」
最後に老馬が言いました。
「この世のものには見えないよ」
「そう、浮世絵というか江戸時代の文化はね」
先生は歌舞伎も含めて皆にお話します、先生は今は富士山の浮世絵を観ています。夕暮れの中にある赤い富士山をです。
「日本文化の爛熟期の一つでね」
「色合いもなの」
「こんなに派手なの」
「浮世絵といい歌舞伎といい」
「そうなの」
「庶民文化が豊かになっていてね」
そしてというのです。
「徹底的に派手になってね」
「それでいて調和が取れていて」
「奇麗だね」
「まさにパンクかな」
「これは」
「うん、パンクかというとね」
それはとです、先生は皆のその言葉に応えました。
「そうなるかもね」
「歌舞伎なんか凄いから」
「もう派手派手」
「けれどそれでいて調和があって」
「不思議よ」
「ただ派手なだけで収まらないのがね」
まさにというのです。
「浮世絵や歌舞伎なんだ」
「そうなんだね」
「とんでもなく派手だけれど調和もある」
「そんな芸術なんだね」
「それが江戸時代の芸術なんだ」
「そうだよ」
その通りとです、先生はまた答えました。
「これは安土桃山時代の派手な芸術が庶民文化に入ってね」
「ああ、戦国時代の後のだね」
王子が先生に応えました。
「安土城とかの」
「そう、残念ながら現存はしていないけれどね」
「あの派手な天主閣がだね」
「庶民文化に入っていって」
「ああなったんだ」
「花火とかそうだね」
先生は日本のそれもお話に出しました。
「色々な色が派手に出ているけれど」
「調和があるね」
「あれもその一つでね」
「江戸時代にああなったんだ」
「そう、派手だけれどね」
そのそれぞれの色も配色もです。
「調和がある」
「そうなっていったんだね」
「元禄時代辺りからそうなっていってね」
「それからなんだ」
「江戸時代の文化は長い爛熟の時代にあったんだ」
「江戸時代が終わるまで?」
「そうだよ、元禄文化からはじまり」
そしてというのです。
「享保や寛政、文化文政の時代も幕末もね」
「ずっとだね」
「長い長い爛熟期にあって」
「こうした浮世絵も出て」
「そう、歌舞伎も出てね」
そしてというのです。
「落語や浄瑠璃、小説も一杯出たんだ」
「何か凄いね」
「そうだよ、江戸や大坂だけじゃなくて地方もそうでね」
「あっ、そうなんだ」
「農村でも落語とかが行われていたんだ」
「そうだったんだ」
「庶民文化だからね」
何といってもそうした文化であるからだというのです。
「一部の限られた人達だけが楽しんでいなくて」
「沢山の人がなんだ」
「楽しんでいたんだ」
「そうだったんだ」
「江戸時代は日本の黄金時代の一つだよ」
こうまでです、先生は日本の江戸時代について言いました。
「平和で豊かで文化が栄えた」
「素晴らしい時代だったんだ」
「そうだよ、この浮世絵にも出ているね」
先生は今度は花火の浮世絵を見ています、黒い夜空に赤や青、白の大輪が幾つも咲いていてとても奇麗です。
「絵の具一つでもね」
「ああ、絵の具も」
「それが自由に使えるにしても」
ただそれだけでもというのです。
「それなりの豊かさが必要だからね」
「そうだね、絵の具がないとね」
「カラフルな絵は描けないね」
王子も納得して頷きました。
「そうなるね」
「筆も紙もね」
「そういうことだよ」
「成程ね」
「江戸時代の文化は当時の日本の豊かさと美的感覚が生み出したんだ」
「浮世絵にしても歌舞伎にしても」
「そうだよ、歌舞伎は凄いよ」
先生のお言葉はしみじみとさえしています。
「王子も観てるよね」
「うん、この前京都の偉い学者さんに招待されてね」
「そしてだね」
「南座って場所で観たよ」
「それは何よりだね」
「これをね」
三兄弟が互いに見合っている絵でした、王子はその絵を指し示してそのうえで先生にお話します。
「通しっていう凄く長い上演だったよ」
「これは平安神宮の前だね」
先生はその三兄弟が見合っている絵を観てです、王子に答えました。
「菅原伝授手習鑑だね」
「長いタイトルだね」
「歌舞伎のタイトルは大抵こうなんだ」
「長いんだね」
「そしてとても奇麗な漢字と日本語の読みを題名にしているんだ」
「この絵の作品も」
「そう、奇麗な舞台だったね」
「凄かったよ、三兄弟共着ている服も化粧も派手で舞台もね」
「どれもだね」
「奇麗でね、言い回しとかも」
それまでというのです。
「招待されてよかったと思ったよ」
「それは何よりだね」
「歌劇や京劇やミュージカルと比べてもね」
「引けを取らないね」
「凄かったよ、最後まで観て感動してね」
そしてというのです。
「泣きそうになったよ」
「王子にとって貴重な経験だったよ」
「そうなっているんだね」
「感動して泣きそうになっているならね」
それ程までならというのです。
「その通りだよ」
「そうなんだね」
「うん、王子は日本文化が好きになったね」
「そうだと思うよ」
自分でもというのです。
「いや、よかったよ」
「じゃあ浮世絵もだね」
「いいと思うよ、ただね」
それでもというのです。
「まだ自分でも浮世絵への理解が浅いと思ったからね」
「僕にだね」
「教えて欲しいと思って」
それでというのです。
「来てもらったんだ」
「僕の説明は役に立ってるかな」
「凄くね」
「こうしたものが生まれる下地が当時の日本にあって」
「生まれたもので」
「こうして残っているんだ」
「絵のタッチもだね」
王子は今度は浮世絵のそれも観て先生に言いました。
「北斎や写楽もあるけれど」
「うん、どちらも独特だね」
「歌麿も」
見れば三人の絵もそれぞれあります、この美術館にはそうした人達の絵も飾られています。とても大事そうにそうなっています。
「これはセンスかな」
「それぞれの画家のね」
「そしてそのセンスが受け入れられる」
「それもまた当時の日本なんだ」
「成程ね」
「懐が広くて豊かだから」
「受け入れられているんだ、そして北斎はね」
先生は北斎の絵を観ています、今度は。
「九十歳位まで生きていたけれど」
「当時では物凄い長生きだよね」
「今でもその方だね」
「そうだよね」
「けれどあと十年生きていたら本当の画家になれたって言ってたんだ」
「十年って」
そう聞いてです、思わずこう返した王子でした。
「百歳じゃない」
「そうだよ」
「百歳まで描いでなんだ」
「本当の画家になりたかったんだ」
「とういうかそれまでは本当の画家じゃなかった」
「そう言っていたんだ」
そうだったというのです。
「北斎はね」
「とんでもない話だね」
「そうした話も残っているんだ」
葛飾北斎という人にはです。
「実際に」
「そんなお話もあるんだ」
「富士山の絵で有名だけれど」
「ええと、三十六景」
「その絵でね」
「そうしたお話もあるんだね」
王子も聞いて頷きます、そして動物達は富士山について言うのでした。
「ここの浮世絵でもあるしね」
「富士山ってよく絵とかになるよね」
「日本人って富士山好き?」
「それもかなり」
「そうだよ、富士山は特別な山なんだ」
先生は動物の皆に富士山のことをお話しました。
「霊山とも言われていてね」
「へえ、そうなんだ」
「そこまでの存在なの」
「ただ日本で一番高い山じゃなくて」
「そんな山なんだ」
「そうだよ、昔から歌にも歌われていてね」
そうしてというのです。
「特別な存在なんだ」
「富士山はそうなんだね」
「日本人にとっては」
「それだけ特別な山なんだ」
「霊山って言われる位に」
「信仰の対象になっているよ」
そこまでだというのです。
「霊山と言われるだけあってね」
「日本の神様がいる場所なんだ」
「つまりは」
「そうだよ、そうも思われているんだ」
日本の人達にというのです。
「高くて登るのは大変らしいけれどね」
「そうそう、実は僕富士山に登ったことがあるんだ」
王子がここで先生にこのお話をしてきました。
「頂上までね」
「富士山のなんだ」
「うん、登ったよ」
先生に笑顔でお話します。
「時間をかけてね」
「大変と聞いてるけれど」
「かなりね、上の方は空気も薄いし」
「そうだね、雲よりも上の高さにあるからね」
「けれど登ったよ」
「頑張ったね、王子も」
「途中辛くて何度も諦めそうになったけれど」
それでもというのです。
「最後までね」
「登ったんだね」
「その時の達成感は最高だったよ」
「そうなんだ、それじゃあね」
「先生もだね」
「いやいや、僕はいいよ」
先生は王子の笑っての問い掛けに慌てて応えました。
「そうしたことは」
「スポーツだからだね」
「そうだよ、しかも僕はいつもこの服装だね」
スーツ姿に帽子です、靴も革靴です。
「これじゃあ登山もね」
「出来ないっていうんだね」
「特に富士山はね」
高くて険しい山への登山はというのです。
「難しいよ」
「まあそうだろうね」
「うん、本当に富士山への登山は」
「しないんだ」
「これからもすることはないと思うよ」
「やれやれだね、けれど先生は冒険とも縁があるから」
だからだとです、王子は先生に笑顔を向けてお話しました。
「ひょっとしてね」
「富士山にもなんだ」
「行くことがあるんじゃないかな」
「そうかな」
「先生はそう言ってこれまで世界のあちこちに行ってるしね」
「そうなんだよね、月に行ったこともあるし」
先生も言われてこれまでの冒険のことを思い出します。
「王子のお国にも行ったし」
「そうだったね」
「日本もあちこち行ってるしね」
北海道も愛媛も沖縄もです、京都にも行ったことがあります。
「だからね」
「富士山にもね」
「言われてみればあるかも知れないね」
「可能性はゼロじゃないよ」
「そうだね、じゃあその時は」
「頑張ってだね」
「富士山の頂上まで登ろうか」
こう言うのでした。
「その時はね」
「僕達も一緒だからね」
「何があってもそうだから」
「困った時はお互いに助け合って」
「そうしてやっていこうね」
動物の皆もその先生に言ってきます。
「皆一緒にいるから」
「だから頂上まで助け合っていこうね」
「いつもみたいに」
「そうしましょう」
「そうだね、皆がいてくれるんだね僕には」
先生は動物の皆のその言葉にも笑顔で応えました。
「じゃあその時はね」
「宜しくね、先生」
「皆で頑張りましょう」
「頂上までね」
「登るのなら最後まで」
「そうだね、頑張って行こう」
先生も富士山を登る時のことをここで考えました、そのうえでの言葉です。
「じゃあね」
「やっていこうね、その時は」
「皆で助け合って」
「いざ頂上まで」
ここでも動物の皆に言ってもらえる先生でした、そうしたお話をしながら今は王子とその皆と一緒に美術館の中を巡るのでした。
今回は美術館へ。
美姫 「タイトルからすれば、画家さんと知り合う感じだけれど」
果たして、どうドリトル先生が関わるのか。
美姫 「非常に気になる所よね」
だな。先生は芸術の方はどうなんだろうか。
美姫 「次回も待っていますね」
ではでは。