『ドリトル先生と沖縄の蛇達』




                  第一幕  様々な気候がある国

 先生は神戸の自宅で、です。お家に来た王子にこんなことを言われました。
「先生日本の気候にどう思うかな」
「この国のかい?」
「うん、どう思うかな」
 ちゃぶ台に座って向かい側に座っている先生に尋ねるのでした。
「先生は」
「四季だね」
 こう答えた先生でした。
「何といってもね」
「日本はだね」
「うん、四季がある国だね」
 こう王子に言うのでした。
「日本というと、それに」
「それに?」
「南北に細長いからね」
 だからだとも言った先生でした。
「気候の違いが凄いね」
「それぞれの地域で」
「例えばね」
 さらに言う先生でした。
「北海道は寒いね」
「かなりね」
 王子も答えます。
「あそこは」
「そして沖縄は暑いね」
「そうだよね」
「同じ関西でもね」
 先生は今住んでいるこの地域のこともお話しました。
「大阪と神戸で随分違うね」
「神戸は涼しいね」
 神戸と聞いてです、王子は先生に答えました。
「冬はかなり寒くて」
「そうだね」
「前は海、後ろは山で」
「その二つが関係してね」
「比較的涼しいね」
「そして大阪は暑いね」
 王子は次にこの街のことをお話しました。
「あの街は」
「夏はうだるね」
「あそこは平地だからね」
「それで神戸よりもなんだ」
 先生は王子にさらにお話しました。
「暑くなるんだ、そして冬は暖かいんだ」
「過ごしやすいね」
「うん、冬はね」
 夏は暑い分というのです。
「あの街はね」
「気候と地理の関係で」
「そうなんだ」
「成程ね」
「そう、そしてね」 
 さらに言った先生でした。
「京都だとね」
「ああ、夏暑くて冬寒い」
「あの街はそうだね」
「それで有名だよね」
「盆地だからね」
 この地形だからというのです、京都は。
「そうなるんだ」
「空気が山から入って溜まって中々出ないんだ」
「それで夏は暑いままでね」
「冬は寒いままなんだね」
「ずっとそうなるんだ」
「僕夏の京都も冬の京都も嫌だよ」
 王子ははっきりと言いました。
「どっちもね」
「ははは、どっちもなんだ」
「正直言うと暑いのは平気だよ」
 王子のお国が暑いからです、それで暑さには慣れているのですが。
「けれどね」
「それでもなんだね」
「日本の暑さは湿気が凄いから」
「王子のお国の暑さとはまた違うからだね」
「あまりね」
 どうにもと言うのでした。
「日本の、大阪や京都の夏は苦手だよ」
「そうなんだね」
「関西だと和歌山や三重の夏はいいけれどね」
「海が側にあるからだね」
「周りに山、そこの緑も多いから」
「いいんだね」
「過ごしやすいけれど」
 それでもというのです。
「大阪や京都の暑さは苦手だよ、滋賀はよかったけれど」
「あそこはだね」
「琵琶湖があって涼しいから、あと奈良は」
 最後はこの県でした。
「同じ盆地だよね」
「京都とね」
「けれど京都よりずっと涼しいね」
「それは盆地の広さの関係だよ」
「ああ、京都市って案外狭いからね」
「そうだね」
「街が山に囲まれている感じで」
 それでというのです。
「奈良より暑くなるんだね」
「冬は寒くなるんだ」
「そういうことだね、奈良は北半分全体が盆地みたいだから」
「同じ盆地でも京都とは違うんだ」
「そうなんだね」
「そのこともわかったね」
「うん」
 確かなお顔で、でした、王子は先生に答えました。
「日本は同じ関西でもそれぞれで気候が大きく違うね」
「そうしたところから学んでいっても面白い国なんだ」
「地理学からも」
「うん、面白い国だよ」
「そうなんだね」
「さて、それとね」
 先生はあらためて王子に言いました。
「実はさっき沖縄の話が出たけれど」
「沖縄に行くのかな」
「うん、行くよ」
 実際にというのです。
「学会があるからね」
「また学会なんだ」
「生物学の発表会でね」
「基地じゃないんだ」
「沖縄は基地が全部じゃないよ」
 そこははっきりと断った先生でした。
「流石にね」
「テレビじゃ基地ばかりだね」
「あれはおかしいから」
「ああ、やっぱりそうなんだ」
「日本のマスコミのおかしさは際立ってるから」
「偏ってるんだね」
「世界で一番偏ってるんじゃないかな」
 こうまで言う先生でした。
「マスコミの中でもね」
「だからだね」
「沖縄っていったらね」
「基地ばかりなんだ」
「政治の中でもね」
「政治って基地だけじゃないよ」
 王子ははっきりと言いました。
「しかも基地もね」
「なくせだけだね」
「そうばかり言うのも変だよ」
「何か被害者とか言う人いるけれど」
「犠牲とかね」
「そんなことばかり言っても何にもならないよ」
 それこそと言う先生でした。
「あの話はおかしいよ」
「何か知事さんもね」
「僕もあの人はおかしいと思うよ」
「そうだよね」
「おかしな人は何処にでもいるからね」
「日本でもイギリスでもだね」
「残念なことにね」
 難しいお顔で言う先生でした。
「そうなんだ」
「変な人には注意しないとね」
「何もわかっていない人も問題だけれど」
「わかっていて騙しにかかる人はね」
「一番注意しないといけないよ」
 それこそというのです。
「残念だけれどね」
「世の中そうした人もいるってことだね」
「そうなんだよね」
「先生はね」 
 ここで動物達も言います、今も先生の周りにいます。
「結構騙されやすいんだよね」
「世間知らずなところがあって人がいいから」
「それも凄くね」
「だから先生がそう言ってもね」
「他ならぬ先生自身がなんだよね」
「騙されやすくて」
「僕達もいつも心配しているんだよね」
 こう口々に言うのでした。
「この前だってね」
「そうそう、変なセールスマンが来てね」
 ジップとチーチーがお話します。
「変なの買わされそうになってね」
「僕達がトミーを呼んで帰ってもらったんだよね」
「あれセールスマンだったの?」
 疑問符を出したのはダブダブでした。
「何か風呂敷から色々出してきたけれど」
「あれが押し売りじゃないの?」
「日本にいるっていう」
 トートーとホワイティは噂でそうした人達のことを聞いています。
「無理にものを買わせる」
「そうした人がいるっていうけれどね」
「あれっ、そうした人まだいるの?」
 老馬は押し売りという人達自体についての存在を疑っています。
「もういないって聞いたけれど」
「というか大昔よね」
「もう何十年も前の」
 チープサイドの家族も言います。
「そうした人達って」
「もうね」
「まだいるとはね」
「思えないけれど」
 オシツオサレツも二つの頭で言うのでした。
「先生が読んでた日本の昔の漫画では出て来たけれど」
「買うまで帰らないっていうね」
「あの人は何かね」
 ガブガブも言います。
「親が奥さんが子供かって泣いてたけれど」
「それ泣き落とし芸だね」
 これまでお話を聞いていた王子はこう断言しました。
「間違いなく」
「先生それに騙されそうになったのよ」
「結構あからさまな騙し芸に」
「泣き落としにね」
「ついついものを買いそうになったのよ」
「お話を聞いてたら可哀想だって思ってね」
 先生のお言葉です。
「お話を聞いていて」
「こうした人だからね」
「僕達がいないとね」
「簡単に騙されるから」
「いつも一緒にいないとね」
「心配だよ」
「そうだね、僕もね」
 また言った先生でした。
「先生は簡単に騙される人だと思うから」
「心配だよね」
「どうしても」
「騙されないか」
「そうならないか」
「そう思うよ、僕に教えてくれたけれど」
 世の中最初から騙そうとしてくる人がいることについてはです。
「先生ことなんだよね」
「テレビや新聞の嘘はわかるよ」
 先生のお言葉です。
「事実と違うことを言っているならね」
「先生の場合はそうだよね」
「僕の場合はなんだ」
「先生は学問のことならわかるんだ」
「嘘かどうか」
「けれど世の中のことはね」
 そうしたことにまつわる嘘はというのです。
「わからないというか世間知らずだから」
「それでなんだ」
「そう、普通にね」
 それこそと言うのでした。
「騙されるよ」
「言われてみると僕もそう思うよ」
「うん、先生は世事に疎いから」
「騙されるんだね」
「だから気をつけてね」
 王子もくれぐれもと言うのでした。
「いいね」
「そうするね」
「僕からもお願いするよ、ただ」
「ただ?」
「先生今度は沖縄に行くんだね」
 このことについてです、王子は先生にあらためて尋ねました。
「そうだよね」
「うん、そうだよ」
「沖縄ね」
「あそこは前にも行ったことがあるけれど」
「いいところだおね」
「暑くてね」
「日本だけれどね」
「南国でね」
 それでというのです。
「夏の気候も楽しめるよ」
「そうだよね」
「海も奇麗でね」
「じゃあ水泳も楽しめるね」
「そうだね、ただね」
「先生の場合は」
「うん、僕は水泳はね」
 それは、なのでした。先生は。
「しないからね」
「スポーツ自体がだからね」
「沖縄にいてもね」
 それでもというのです。
「それはないよ」
「そうだよね、残念だね」
「うん、興味がないからね」
 最初からというのです。
「スポーツはね」
「先生はそういう人だからね」
「大の苦手でね」
 このこともあります、先生には。
「どうしてもね」
「しないよね」
「うん、他のことをしているよ」
「沖縄に行って」
「観光地を回ったりね」
「美味しいものを食べて」
「そう、それがいいんだよね」
 沖縄の美味しいものについてすぐに答えた先生でした。
「沖縄はね」
「色々あるよね、沖縄も」
「そーきそばや足てびちとかね」
「ミミガーもあるね」
「あとステーキもね」 
 このお料理もというのです。
「安くてね」
「しかもだよね」
「美味しいから」 
 だからというのです。
「そうしたものを楽しんでるよ」
「沖縄では」
「ウナギも食べるし」
「ああ、エラブウナギ」
「それだよ」
 ウナギはウナギでもです。
「それも食べてるよ、蝉もね」
「先生も色々食べてるよね」
「色々食べてこそだからね」
「文化を理解することだね」
「そう、食文化も文化だよ」 
 そちらもというのです。
「だからね」
「食べてだよね」
「理解しているんだ」
「それもフィールドワークかな」
「うん、歩いてはいないけれど」
「実際に経験する」
「それになるよ」
 広範囲でのフィールドワークとです、先生は考えているふしがあるのです。
「こうしたこともね」
「沖縄料理も」
「そうそう、何か先生ってね」
「日本に入ってから食文化に凄い興味が出てね」
「それで食べてね」
「確かめる、楽しみながらそうする様になったんだよね」
 動物の皆も言います。
「そうなったんだよね」
「イギリスにいた時はそうしたことなかったけれど」
「それが変わったね」
「大いにね」
 まさにです、そこは。
 そしてです、先生も言うのでした。
「イギリスにいるとね」
「どうもなんだよね」
 王子が笑って言うことはといいますと。
「イギリス料理、食文化は」
「残念だけれど」
「紅茶やビスケットにね」
「ティーセットはあるけれど」
 先生は十時と三時には欠かしません、ただし日本に来てから和風、アメリカ風、中華風のそうしたティータイムを楽しむ様になりました。
「他はね」
「ローストビーフやフィッシュアンドチップス」
「あとビーフシチューかな」
「ビーフシチューはフランスというか」
 先生はビーフシチューについて言うのでした。
「欧州の何処でも食べるから」
「違うかな」
「イギリス料理と言えるか」
「そこは難しいんだね」
「どうもね」
 こう言ったのでした、王子に。
「僕が思うに」
「ううん、じゃあ」
「イギリス料理といったら」
「あまりだね」
「ビーフシチューも抜けてね」
「余計になんだね」
「うん、そうは言えないね」
 どうにもと言った先生でした。
「僕も残念だけれど」
「そこはね」
「イギリス料理はね」
「どうも弱いね」
「日本の食文化と比べると」 
 それこそと言うのでした。
「弱いね」
「それでだったよね」
「僕も食文化についてはね」
「興味が薄かったんだね」
「そうだったんだ」
 まさにというのです。
「僕もね」
「僕がすき焼きをご馳走したのがはじまりかな」
「そうなるよ」
 実際にと答えた先生でした。
「あそこでこんな美味しいものがあったってね」
「知って」
「そしてね」
 そのうえでというのです。
「こうして色々とね」
「食べてだね」
「学問にも生かしているんだ」
「楽しみつつ」
「学問は楽しむものだよ」
 先生の学問とはこうしたものです。
「絶対にね」
「心からだね」
「そうだよ、まさにね」
「心からだね」
「楽しむものだよ」
「学問は」
「難しいと考えたらいけないんだ」
 これが先生の学問についての考えです。
「楽しむものなんだ」
「どんな学問でもね」
「そうだよ」
 まさにというのです。
「医学も理学も哲学もね」
「文学もだね」
「勿論だよ、神学もね」
「神様、キリスト教についても」
「そう、楽しむものだよ」 
 こちらもというのです。
「神のことを学び研究することを」
「厳かにじゃなくて」
「そうだよ」
 まさにというのです。
「峻厳な気持ちじゃなくてね」
「楽しむものなんだ」
「そうだよ、心からね」
「ううん、神学っていうと」
「特にだね」
「真面目な学問だとね」
 王子は思っていたのです。
「考えていたけれど先生にとっては」
「そう、楽しむものでね」
 そしてというのです。
「真面目にすることは当然だけれど」
「畏まって生真面目にじゃなくて」
「そうだよ」
 あくまで、というのです。
「真面目に楽しむものだよ」
「ちょっとしたことで冒涜とか言われない?」
「言う人もいるけれど」
 それでもというのです。
「それでもね」
「先生としては」
「だって楽しまないとね」
「学問を」
「学問の深淵に入ってそして真理を追求出来るか」
「出来ないんだね」
「楽しんでいないで」
 そうしないで、というのです。
「どうして真理に至ることが出来るのか」
「学問の」
「神学も然りだよ」
「そういうものなんだね」
「うん、僕は最初からね」
「学問を楽しんでいて」
「神学もそうだったんだ」
「畏まって難しく考えずに」
「真面目に楽しむものなんだ」
 またお話するのでした、王子に。
「本当にそうすればいいんだよ」
「じゃあ僕も」
「神学もだね」
「家の宗教は違うけれど」
 それでもというのです。
「キリスト教の教えも確かに素晴らしいからね」
「そう、だからこそ二千年も残っていてね」
「あれだけの宗教になっているんだね」
「確かに歴史において問題も起こしてきたけれど」
 先生はとても公平な人です、ですからキリスト教がはじまりの問題もよく学んでいてそのうえで考えているのです。
「それでもだよ」
「いい宗教で」
「そう、それを学ぶことはね」
「いいことだね」
「そうだよ」
 まさにというのです。
「キリスト教徒でなくても」
「学ぶべきだね」
「そう考えているよ」
「聖書を読んで」
「学ぶんだ」
「そこからかな」
「神学はね、そこからはじまって」
 そしてというのです。
「常に聖書に戻るんだ」
「聖書が基礎なんだね」
「神学はね」
「聖書を何度も読むんだ」
「宗教学はその宗教の聖典をね」
「まず読むんだね」
「これはどの宗教でも同じだよ」
 キリスト教に限らずというのです。
「仏教もヒンズー教も、そして」
「イスラム教もだね」
「僕はコーランも読んだよ」
 イスラム教の聖典もというのです。
「それもアラビア語でね」
「ああ、先生アラビア語もわかるからね」
「だからね」
「原典で読んだんだ」
「そうもしてみたんだ」
「英語でも読んでるよね」
「それと共にね」
 まさにというのです。
「そうしても読んできたよ」
「アラビア語で」
「例えば天理教の教典も」
 こちらの宗教についてもというのです。
「日本語でも読んでいるよ」
「ああ、そういえば研究室にあったね」 
 王子もふと気付きました。
「コーランも天理教の教典も」
「どれもね」
「それも原語で」
「原語で読むとあらたにわかることもあるよ」
「英語で読むこととは別に」
「仏教のお経でもそうだよ」
 こちらもというのです。
「漢字になっているのではなくね」
「まさかと思うけれど」
「仏教の原語だよ」
「あの昔のインドの言葉だね」
「サンスクリット語だよ」
 この言葉が昔のインドの言葉でした、それもお釈迦様がまだ生きていた頃の古い古い時代の言葉なのです。
「それで読んでもね」
「わかるんだ、というか」
「というか?」
「先生って昔の言葉も読めるからね」
 このことに驚く王子でした。
「凄いんだよね」
「いやいや、楽しんでいるだけだから」
「言語学についても」
「それだけだからね」
「凄くないんだ」
「僕は学んで楽しんでいるだけだよ」 
 あくまでというのです。
「それだけだからね」
「凄くないんだね」
「そうだよ」
 こう王子にお話するのでした。
「僕はあらゆる学門についてそうであってね」
「凄くないんだ」
「遊ぶことと一緒だよ」
「趣味なんだね」
「そう、学門はね」
 先生にとってはなのです。
「最も楽しいそれの一つなんだ」
「ううん、だからだね」
「子供のカード遊びと同じかな」
 こうも言った先生でした。
「実際にね」
「楽しんでいるだけだから」
「全然凄くないよ」
 褒められる様なことではないというのです、勿論自慢もしません。
「だからね」
「こうしたことはだね」
「あまり言われるとね」
「恥ずかしいんだね」
「そう、だからね」
「じゃあ言わないね」
「そうしてくれると嬉しいよ」
 こう王子にも言うのでした。
「僕としては」
「そうそう、先生ってね」
「自分を凄いって絶対に思わないのよね」
「例え何をしてもね」
「そう思わないしね」
「そう言わない」
「絶対にね」
 動物の皆も言います。
「先生はそうした人だから」
「謙虚でしかも自然体」
「傲慢とは無縁だよ」
「むしろ自信がない?」
「自分にね」
「うん、言われてみると実際にね」
 王子も言うのでした。
「先生は謙虚で自信がない方だね」
「王子もそう思うよね」
「自分がもてないって確信してるし」
「女の人には縁がないって」
「固く信じているから」
「そのことは事実だよ」
 その通りと答えた先生でした。
「僕はもてないよ」
「ほら、そう言うし」
「実際に」
「鈍感だし」
「視線には全く気付かないから」
「どうしても」
「だからね」
 また言った先生でした。
「僕はそうしたこととは無縁だよ」
「絶対になんだ」
「そう言うんだね」
「何があっても気付かないで」
「そのうえで」
「だから僕は女性にもてる要素がないから」
 それこそ何一つとしてというのです。
「顔はよくないし太ってるしスポーツは全然駄目でお洒落でもないしね」
「だからそういうのじゃないって」
「全然ね」
「男の人がもてる要素はね」
「外見だけじゃないのに」
「性格なのに」
「性格も」
 このことについても言う先生でした。
「全然ね」
「ほら、そう言う」
「自信なさ過ぎ、先生は」
「先生の場合は」
「そうかな」
 自分では本当にです、先生はこうしたことがわかりません。それで動物の皆に言われてもこうした返事でした。
「僕は自分がわかっていてね」
「女の人には縁がない」
「そう言うのね」
「女の人は格好いい人を好きになるか」
 若しくはというのです。
「何といっても性格だね」
「自分で答え言ったじゃない」
 王子は先生の今の言葉でわかりました。
「実際に」
「そうそう、今ね」
「自分で言ったのにね」
 動物の皆も言います。
「それでどうしてわからないかな」
「気付かないのかな」
「恋愛小説も読んでるのに」
「どうしてかしら」
「何かあるのかな」
 本当にわかっていない先生です。
「僕が今言ったことに」
「やれやれだね」
 王子も苦笑いです。
「先生の自己認識には」
「全くよ」
「こんなので大丈夫かしら」
「私達がいなかったら」
「そう思うのが常だけれど」
「このことは特によ」
 動物の皆も苦笑いです、王子と同じく。
「果たしてどうなるか」
「本当にやれやれよ」
「サラさんも日本に来たらいつも言ってるけれど」
「困った人よ」
「まあ何はともあれね」
 ここで王子は話題を変えました、今度の話題はといいますと。
「先生、沖縄でも楽しんできてね」
「そうしてくるね」
「今度はどうした学会なのかな」
「環境についてのだよ」
「沖縄の」
「そう、今後のね」
「お話を聞いたら難しそうだけれど」
 王子は先生のお話を聞いて思い出したのでした。
「楽しんでくるんだね」
「そうしてくるよ」
「地球の環境のことも」
「そう、楽しんで学んでね」
「答えを出していくんだね」
「深刻な状況でもだよ」
 例えそうした状況でもというのです。
「諦めない、そして絶望しない」
「そうしてだね」
「学んで答えを出すべきだよ」
「先生は絶望しないんだ」
「絶望したら」
 それこそというのです。
「そこで立ち止まってしまうから」
「だからなんだ」
「そう、今度の沖縄でもね」
「楽しんで学んで」
「答えを出していくよ」
 こうお話してそしてでした、先生は王子にあらためて尋ねました。
「お茶どうかな」
「あっ、頂いていいんだ」
「遠慮は駄目だよ、だからね」
「どのお茶かだね」
「どれを飲むのかな」
「そうだね、暑いしね」
 このことから答えた王子でした。
「冷えた麦茶あるかな」
「あるよ、じゃあね」
「麦茶を出してくれるんだ」
「それと水饅頭を食べよう」
 こちらをというのです。
「おやつにね」
「水饅頭だね」
「あれはいいよ」
 このお菓子についてもお話した先生でした。
「丁度三時だしお茶にはいいよ」
「今日は麦茶でティータイムだね」
「うん、水饅頭に」
 ティータイムだからです、先生はさらにお話しました。
「水羊羹、わらび餅でね」
「三段ティーセットだね」
「ティーセットだからね」
 何といってもというのです。
「三段でないと」
「だからだね」
「これでいこう」
「それじゃあ」
「皆も一緒に食べようね」 
 こうしてでした、先生はこの日は冷えた麦茶と冷たい和菓子でティーセットを楽しみました。沖縄に行く時の囁かな一時でした。



今度は沖縄が舞台になるみたいだな。
美姫 「みたいね。でも、蛇とか出てるけれど」
うーん、どんな話になるのか。
美姫 「次回も待っていますね〜」
ではでは。



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