『ドリトル先生の水族館』




                 第四幕  哺乳類

 先生はジュゴンのコーナーにも来ました。お隣にはマナティーもいます。動物の皆はその生きもの達を見つつ先生に尋ねました。
「ええと、何かね」
「ジュゴンとマナティーって似てるけれど」
「微妙に違うよね」
「そうだよね」
「そうだよ、同じ海牛目だけれどね」
 それでもというのです。
「違うんだよ」
「細かいところがね」
「例えばジュゴンの尾びれは三角みたいな形だけれどね」
「マナティーは丸いしね」
「他のところだってね」
「幾つか違うところあるね」
「何かとね」
「そうなんだよ、まあそれでも同じ海牛目だからね」
 それでというのです。
「同じ様なところも多いよ」
「大人しいしね」
「優しい生きもの達だよね」
「見ていてものんびりするし」
「いい感じの生きものだと思うわ」
「僕もそう思うよ。じゃあこの子達の診察もするよ」 
 ジュゴンやマナティー達もというのです。
「それじゃあね」
「よし、それじゃあ」
「今からね」
「ジュゴンさんやマナティーさんの診察もして」
「大丈夫かどうか診るんだね」
「そうするよ。じゃあ診察をはじめよう」
 ジュゴンやマナティー達のです、先生は係の人にお話してでした。
 診察をはじめました、すると。
 ここで、です。先生は係のお兄さんに言いました。
「水温が」
「ジュゴンやマナティー達のいる」
「はい、少し低い感じです」
「そうなんですか」
「この子達は熱帯の海にいますね」
「はい、それでその水温にしましたが」
「ですが少し低い感じですね」
 先生は水槽、海水になっているそれの水温もチェックしてから言うのでした。
「少しですが」
「調整はしているのですが」
「はい、ですが熱帯だと外の気温も高いですね」
「あっ、だからですね」
 係の人もここで気付いて言いました。
「ここは神戸で」
「そうです、熱帯に比べるとずっと涼しいです」
「外の気温が水にも影響して」
「それで少しなのですが」
「低くなっているんですね」
「この子達の適温にはです」
 少し低いというのです。
「そうなっています」
「そういうことですね、水温は考えていても」
「外の気温のことは、ですか」
「そこまでは頭に入れていませんでした」
 係の人はしまった、というお顔で先生に答えました。
「だから水温も低くなっていたんですね」
「外の気温の影響を受けて」
「わかりました、じゃあ水温自体をです」
「調整されて」
「少し高くします」
 そうするというのです。
「外の気温は」
「ここは、ですね」
 先生はその外、水槽の上の係の人達がそこからジュゴンやマナティー達の世話をする場所を見回して言いました。
「屋根はありますが広いですし」
「クーラーはないです」
「クーラーを付けたら予算がかかりますね」
「どうしても」
「では水温自体をです」
 それそのものをというのです。
「調整しましょう」
「それがいいですね」
「確かにこの子達は今の気温でも大丈夫ですが」
「それでもですね」
「適温でないことは確かです」
「そういうことですね」
 係の人も頷いて応えました。
「それでは」
「お願いします、他のところはです」
「問題ありませんね」
「そうです、健康そのものです」
 ジュゴン達もマナティー達もというのです。
「皆」
「それは何よりです」
 係の人も笑顔で喜ぶことでした。
「そのことは」
「そうですね、それでは」
「いや、外の気温のことも考えて」
「水温を調整してくれれば」
「いいですね」
「そうです」
 こうお話してでした、ジュゴンやマナティー達の診察も終えました。そして海牛目のコーナーを去ろうとすると。
 先生達の横に海牛目の説明が書かれている展示画を壁に観ました、皆はその中にあるステラーカイギュウという海牛を見て言いました。
「もういない動物だよね」
「絶滅したんだよね」
「乱獲されて」
「それでだよね」
「そう言われているね、ただ」
 先生は皆にそのカイギュウについてお話しました。
「まだ目撃例もあるからね」
「ひょっとしたらなんだ」
「まだいるかも知れないんだね」
「そうかも知れないんだ、北極海の方にね」
 北の寒い海にというのです。
「そう言われてるんだ」
「本当にいるのかな」
「絶滅していなくて」
「まだいるの?」
「北極の方に」
「そうかも知れないよ、とにかくね」
 またお話した先生でした。
「このカイギュウはひょっとしたらなんだ」
「いるかも知れないんだ」
「じゃあ見つかったらいいね」
「やっぱりいて欲しいからね」
「絶滅していなくて」
「僕もそう思うよ」
 先生もその絵を見ながら皆に答えました、そしてそのステラーカイギュウについて書かれている説明を見て言うのでした。
「このカイギュウは特別なんだ」
「海牛目の中でも」
「そうなんだね」
「そうだよ」
 まさにというのです。
「まず大きさだね」
「一番大きなので九メートル?」
「ジュゴンやマナティーもっと小さいよ」
「九メートルなんてとてもね」
「ないよ」
 皆まずその大きさに驚きました。
「九メートルって」
「幾ら何でも」
「うん、寒い場所に住んでいてね」
 先生が驚く皆にお話します。
「その分身体が大きかったんだ」
「鯨みたいな大きさだったんだ」
「それで海にだね」
「ぷかぷかとずっと浮かんでいて」
「海藻ばかり食べていたんだ」
「そうだったんだ、確かに身体は大きかったけれど」
 それでもというのです。
「物凄く大人しい平和な生きものだったんだ」
「そう書いてあるね」
「凄く大人しくて平和な性格だったって」
「群れの仲間を見捨てないで」
「戦うことも逃げることも知らない」
「そうした生きものだったんだね」
「そうだったんだ、そしてそのせいでね」
 ここでまた皆にお話した先生でした。
「乱獲されて」
「絶滅した」
「そう書いてあるね」
「そうした性格だったからこそね」
「かえって」
「ステラーカイギュウはずっと北極海の方にいてね」
 壁の説明文にはベーリング海峡と書いてあり地図もそこにあります。丁度アラスカとユーラシア大陸の境の辺りです。
「人を見たこともなかったからね」
「それで天敵もいなかったんだね」
「ステラーカイギュウのいた場所には」
「そうだったんだ、人に対する警戒心もなくて身を守る術も知らなかったんだ」
「ええと、海の底にだね」
 ポリネシアが説明文を読みつつ述べます。
「行くしかなかったんだ」
「そうだよ、そして仲間を庇うけれど」
「庇うだけだったんだね」
「だからどんどん捕まったんだ」
「こっちの生きものもだよね」
 チーチーはステラーカイギュウの隣の生きものの説明も読みました、そこにはペンギンそっくりの鳥の剥製もあります。
「オオウミガラスだね」
「その鳥も人を怖がらなかったんだ」
「だからかえってなんだ」
「すぐにね」
 捕まったりして、とです。先生はとても悲しいお顔で説明しました。
「そうしていなくなってしまったんだ」
「そうなんだね」
「人間は先生みたいな人もいるけれど」 
 それでもとです、老馬が言うことは。
「悪い人もいるからね」
「うん、何もわかっていない人もね」
「そうした人が来たら」
 老馬が言うには。
「僕だったら思いきり後ろ足で蹴飛ばすけれどね」
「大抵僕が吠えたりするね」
「そうそう、僕が上から襲う仕草をしたりして」
 ジップとトートーが言います。
「追っ払ってるよね」
「時には実力行使もするけれど」
「ステラーカイギュウやオオウミガラスは何もわかっていない人達のせいでね」
「いなくなったんだね」
「この地球から」
「ステラーカイギュウはまだいるって話もあるけれど」
 それでもというのです。
「そうなってしまったんだよ」
「というかこれだけ大きくて戦うことを知らなかったのね」
 ダブダブは自分から見ると本当にとてつもなく大きなステラーカイギュウの説明を読みながら思うのでした。
「逃げることも」
「隠れる位しかね」
「そんな生きものもいたのね」
「僕だって悪い奴が来たら何かするよ」
「そうしないとね」
 ガブガブとホワイティも言います。
「危ないから」
「先生と一緒にね」
「むしろそれまで発見されなかったから」
「人間の中に悪い人がいるって知らなかったの?」
 こう言ったのはチープサイドの家族でした。
「天敵もいなくて」
「そのせいもあって」
「鯱は北極海にもいるけれど」
 先生はステラーカイギュウの天敵にもなり得た生きもののお話もしました。
「ステラーカイギュウは浅い海にいてね」
「鯱とかも入って来なかった」
「そうした生きものだったからなんだ」
「天敵もいなくて」
「平和に暮らしていたんだ」
「そうだったんだ、そうしたこともあって」
 浅い海にいたことも理由だったというのです。
「天敵もいなくてね」
「警戒心もなくて」
「それで乱獲されて」
 オシツオサレツも言います。
「そしてなんだね」
「いなくなってしまって」
「そういうことだよ。地球からいなくなった生きものは多いよ」
 先生の悲しいお顔での話は続きます。
「残念なことにね」
「ステラーカイギュウもオオウミガラスも」
「他の生きもの達も」
「あとアシカもだよ」
 アシカと聞いてです、皆はです。
 びっくりしてです、こう先生に言いました。
「いや、アシカはいるよ」
「ちゃんとね」
「僕達もこれから会うんじゃない」
「日笠さんにアシカさん達のこともお願いされてるわよ」
「だからね」
「それは」
「日本のアシカだよ」
 先生が言うにはです。
「もういないよ」
「あれっ、いるじゃない」
「そうそう、だから僕達も行くんじゃないの?」
「この水族館に」
「そうじゃないの?」
「いや、ニホンカワウソのお話を思い出してね」 
 先生がここでお話するにはです。
「あの時もカワウソ君達はいたけれど」
「ああ、ニホンカワウソさん達はね」
「もういなかったね」
「他の国から来たカワウソさん達で」
「イギリスからだったね」
「そうだよ、この水族館にいるアシカ君達もそうで」
 それでというのです。
「ニホンアシカじゃないんだよ」
「日本にはもうアシカさん達いないの」
「そうなの」
「ニホンアシカは明治維新以降乱獲とかで数を減らしてね」
 そしてとです、先生は悲しいお顔のまま言うのでした。
「竹島の方にいたらしいけれど」
「ああ、日本の北西の方にあるね」
「あの小さな島ね」
「日本の島ね」
「あそこの島になんだ」
「そう、いたけれど」
 それがというのです。
「もういなくなったんだ」
「そのニホンアシカさん達も」
「そうなったんだ」
「もういないんだね」
「折角日本にもアシカがいたのに」
「元々乱獲で日本近海にいたアシカ君達がいなくなってね」
 そしてというのです。
「竹島が難しいことになって」
「いなくなったんだね」
「地球から」
「そうだよ、あとまだニホンカワウソ君達は実はまだどうなのかわかっていないんだ」
 本当にいなくなったかどうかということはです。
「いるのかどうか」
「そのことが」
「まだなんだ」
「長い間見付かっていないけれど」
「それでも」
「いるかも知れないんだよ」 
 まだというのです。
「また見付かればいいね」
「それじゃあね」
「何とか見付かって欲しいね」
「ニホンカワウソもステラーカイギュウも」
「いて欲しいね」
「希望はまだあるんだ」
 先生は皆にこうも言いました。
「人間には希望がいつもあるね」
「うん、色々なことがあってもね」
「希望は何時でもあるよね」
「希望は絶対に消えない」
「そういうものだよね」
「だからこうしたことも諦めたら駄目だよ」
 生きものがいなくなってもというのです。
「また会えるかも知れないからね」
「ニホンオオカミさん達の時みたいにね」
「あの時は本当によかったよね」
「先生の正規の大発見だよね」
「あの生きものについては」
「よかったよ、いてくれて」
 先生はニホンオオカミの生存を発見して世界的に有名にもなりました、ですが先生にとってそうしたことはどうでもよかったのです。
 ニホンオオカミがまだいてくれた、そのことについて喜んでいるのです。
「本当にね」
「そうだよね、ニホンオオカミさん達みたいなことがあるから」
「決して諦めない」
「そのことがだよね」
「大事だね」
「そうだよ、じゃあね」
 それならとお話してです、そのうえで。
 先生は皆にです、こう言いました。
「それではね」
「うん、次の生きもののところにだね」
「行くんだね」
「そうするのね」
「そうしよう、次は今のお話でも名前が出たけれど」
 その生きものはといいますと。
「アシカ君達だよ」
「この水族館のだね」
「アシカさん達のところに行くのね」
「シーライオンさん達のところに」
「そうするよ、その後は海豚君や鯱君達を診るよ」
 先生はアシカさん達の次に診る生きもの達のこともお話しました。
「そうするよ、いいね」
「うん、わかったよ」
「じゃあ今から行こうね」
「そのアシカさん達のところに」
「そうしようね」
 皆も先生の言葉に頷いてでした、悲しいお話の後で。
 皆で行きました、すると。
 アシカさん達は丁度曲芸の訓練をしていました、係の人がそのお仕込みをしていますがそこで、なのでした。
 皆は係の人を見てです、こう言いました。
「鞭持ってないね」
「色々人の言葉で言うけれど」
「うん、そうしてるね」
「もう鞭は誰も使わないんだね」
「いいことだよね」
「そう、鞭を使って教えても何にもならないんだよ」 
 先生も皆に言います。
「だからね」
「この水族館の人もなのね」
「鞭は使わないで言葉で教えている」
「そうなのね」
「そうだよ、ただね」 
 ここで先生はアシカさん達と係の人のやり取りを見て言いました。
「少し連携がいうか意志の疎通がね」
「それがなんだね」
「出来ていない?」
「そういえばそうかな」
「そんな感じね」
「係の人は日本語を話してるけれど」
 見れば黒髪に黒い目で、です。典型的な日本の人のお顔です。とても奇麗なお姉さんです。先生はそのお姉さんを見て言うのです。
「けれどあのアシカ君達は日本生まれじゃないからね」
「ええと、だからなんだ」
「アシカさん達日本語わかっていないんだ」
「そうなんだね」
「うん、ある程度わかってきていると思うけれど」 
 それでもというのです。
「あまりね」
「それでなんだ」
「意志の疎通があまり出来ていなくて」
「アシカさん達も今一つなんだ」
「曲芸が出来ていないんだ」
「そうだね、この場合はね」
 どうするべきかとです、先生は行動で示しました。
 係の人のところに来てです、穏やかな声で尋ねました。
「こちらのアシカ君達はどちらの生まれでしょうか」
「はい、西アフリカです」
 そちらの生まれだとです、係の人は答えました。
「ゴールドコーストの方の」
「あちらのですか」
「はい、そうです」
 そこの生まれだとです、係の人は先生にこうも答えました。
「そちらから来ました」
「そうですか、だからですか」
「だからとは」
「この子達は貴女の言葉がまだよくわかっていないのです」
「あっ、そうなんですか」
「貴女は日本語でこの子達に言われてますね」
「はい」
 係の人は先生に素直に答えました。
「英語も一応喋れますけれど」
「英語ですか」
「ではこの子達には英語で言った方がいいですか」
「ゴールドコーストの辺りはイギリス領でしたが」
 先生の祖国です、まさに。
「ですがもう独立して日が経っていまして」
「この子達は英語はですか」
「もうよくわからないと思います」
「そうなんですね」
「はい、ですから」
 それで、とです。先生は係の人に温和な笑顔でお話しました。
「この場合はアシカの言葉でお話された方がいいです」
「アシカ語ですか」
「実は僕はアシカ語も喋ることが出来ます」
 あらゆる動物の言語を操ることが出来る先生です、勿論アシカ語も喋ることが出来るのです。それでというのです。
「ですからそちらで宜しいでしょうか」
「アシカ語ですか」
「はい、その言葉をどうでしょうか」
「そうですね、日本語が通じにくくて英語も駄目なら」
「アシカ語ですね」
「この子達本来の言葉で話すのが一番ですね」
 係の人も言うのでした。
「そうなりますね」
「それでと思いまして」
「わかりました」
 係の人も頷いてでした、そのうえで。
 先生にお願いして先生も笑顔で応えました、後日係の人のところに先生が作ったアシカ語の日本語訳辞典が送られることになりました。
 そして先生はアシカさん達にもです、笑顔で尋ねました。
「それでいいね」
「うん、流石先生だね」
「僕達の言葉のこともわかるんだ」
「僕達まだ日本語に慣れていなくてね」
「英語は知らないんだよ」
 まさに先生の思った通りでした、このことは。
「だから係の人の言葉もね」
「わかりにくくてね」
「まだ細かいところがわからないんだ」
「日本語がね」
 実際にそうだというのです、アシカさん達も。
「どうしてもね」
「けれど僕達の言葉ならね」
「わかるからね」
「係の人が話してくれるのなら有り難いから」
「嬉しいよ、それでね」
「先生のその気配りがね」
「それは何よりだよ、僕にしてもね」
 先生も皆の話に笑顔になりました。こうしてアシカさん達の曲芸のこともお話がまとまったのです。
 アシカさん達はh家には問題はありませんでした、とても満足していました。
 そして次は鯱さんや鯨さん達というところで、です。先生達は一旦ティーライムとなりました。今日のティーセットは上段はスコーン、中段はサンドイッチ、下段はケーキとフルーツです。
 そのセットを楽しみつつ水槽の中で気持ちよさそうに泳ぐアシカさん達を見てです、先生は一緒にセットを楽しんでいる皆に言いました。
「言葉も大事だね」
「動物のね」
「その言葉もだよね」
「やり取りには大事なんだね」
「そうだよ、生きものも人の言葉がわかるけれど」
 それでもというのです。
「そのそれぞれの言葉があるからね」
「そういえば僕達もね」
「最初日本語わからなかったよ」
「先生はすらすら喋ってたけれどね」
「読み書きも出来たし」
「うん、僕達はずっとイギリスにいたからね」
 冒険にも出ていましたが基本はそうでした。
「それで英語に親しんでいたから」
「日本語はわからなかった」
「そうなんだね」
「うん、僕も日本語には苦労したよ」
 先生は大好きなミルクティーを飲みつつ少し苦笑いになりました。そのミルクティーはとても甘いというのにです。
「難しくてね」
「日本語って難しいよね」
「こんな難しい言葉ないって位に」
「英語よりずっと難しくて」
「文字が幾つもあって」
「文法も発音も英語より全然難しくて」
「あんな言葉ないよ」
 それこそというのです、動物の皆も日本語には本当に苦労したのです。
 それで先生もです、日本語にこう言うのです。
「世界で最も難しい言葉かもね」
「というか絶対にそうだよ」
「あれ以上難しい言葉ないわよ」
「日本人は英語難しいって言う人多いけれど」
「英語の方が全然まし」
「そうそう」
「例えば源氏物語もね」
 先生も読んだこの名作はといいますと。
「原文を読むより英語訳の方がずっと読みやすいんだよ」
「日本の昔の小説なのに」
「英語で読んだ方がずっと楽なのね」
「そうなのね」
「現代語訳も幾つかあるけれど」
 それでもというのです。
「僕はそちらよりも英語訳の方が読みやすいと思うよ」
「別に先生がイギリス人だからってじゃなくて」
「日本語自体が難しいのね」
「つまりはそうなのね」
「日本語はそこまで難しくて」
「そう思うよ、それでアシカ君達も困っていたんだ」
 日本語が難しくて、です。
「現地の言葉ならわかるけれどね」
「そゴールドコーストの辺りの」
「そちらの言葉なら」
「うん、そうだったけれど」
 それでもというのです。
「日本語が難しいせいもあったね」
「日本語はね」
「本当に困るよね」
「あまりにも難しいから」
「びっくりする位に」
「うん、けれどもう大丈夫だよ」
 係の人にアシカ語の辞典を渡したからです。
「後はあの人が勉強したらね」
「お互いに話もわかる様になって」
「曲芸もスムーズに練習出来て」
「楽になるね」
「なるよ、さてお茶を飲んだらね」
 そしてティーセットを食べ終えたらというのです。
「後はね」
「鯱さんや海豚さん達だね」
「皆を診るんだね」
「後で」
「そうしよう、今度はどういった事情かな」 
 その鯱さんや海豚さん達はとです、先生は考えを巡らせました。
「一体」
「何かそれぞれね」
「事情があるわよね」
「偏食だったり言葉だったり」
「皆ね」
「そうだね、水族館の中にいてもね」 
 それでもというのです。
「皆やっぱりそれぞれね」
「事情あるのね」
「困ったこととかね」
「あるのね」
「そうだね、ジュゴン君やマナティー君達もそうだったし」
 水温のこともです。
「あったからね」
「そのそれぞれの事情を解決していく」
「それが大事なんだね」
「今回は」
「そうなるね、そしてね」
 こうも言う先生でした。
「深海生物のこともあるからね」
「そうそう、ダイオウグソクムシ」
「あの生きものもね」
「相変わらず食べていないそうだし」
「何もね」
「それをね」
 是非にと言う先生でした。
「何とかしないとね」
「そうだよね」
「どうしてそんなに食べないのか」
「お話を聞いてね」
「何とかしないとね」
「だからね」
 先生はまた言いました。
「何とかしようね」
「グソクムシさんもね」
「そちらのことも」
「うん、何とか食べてもらわないとね」
 先生も言うのでした。
「流石に何ヶ月も食べていないと」
「もっと言えば何ヶ月どころかね」
「何年もだからね」
「そんなに食べないってね」
「幾ら何でもね」
「大変だから」
「うん、何とかしよう」 
 先生はグソクムシさんのことも言うのでした。
「少なくとも事情は理解しよう」
「グソクムシさんのね」
「そうしたこともね」
「深海生物の方もね。けれどね」 
 それはそれとして、とです。
「まずはね」
「うん、鯱さんとね」
「海豚さん達だね」
「お茶の後はね」
「そちらだね」
「そうしよう、じゃあね」
 そのお茶を飲んでというのです、そしてでした。 
 先生は実際にティーセットの後で、でした。鯱さんや海豚さん達の診察をはじめました。この子達のことは殆ど問題ありませんでしたが。
 鯱さんの中で一番大きな、八メートルはある子にです、先生はこんなことを言われました。
「最近気になっていることがあってね」
「何かな」
「うん、僕身体が大きいじゃない」
 鯱のプールからお顔を出してです、鯱君は先生に言うのです。男の子だから君付けになっているのです。
「これだけ大きいから」
「泳いでもかな」
「何処かに身体をぶつけないかってね」
「怖いんだね」
「怖いっていうか心配なんだ」
 そうだというのです。
「どうもね」
「そうなんだね」
「うん、僕は普通に泳いでも大丈夫かな」 
 鯱君は先生にその大きなお口、とても鋭い歯が一杯あるとても頑丈そうな顎から先生にお話します。
「このプールでも曲芸の時の水槽でも」
「ああ、水槽だとね」
「特にそうだよね」 
 動物の皆も言います。
「下手にぶつけたらね」
「ガラスが割れて」
「それで大変なことになるよね」
「そうなるかも知れないね」
「そうならないかってね」
 鯱君は動物の皆にも言います。
「僕は不安なんだ」
「大丈夫だよ」
 先生は笑顔で鯱君の心配に答えました。
「そのことは」
「ぶつかったりしないの?」
「このプールも充分過ぎる程広いし」
 身体の大きな鯱君達にとってもです。
「水槽もそうだし。それにあの水槽は特別なガラスでね」
「僕達がぶつけてもなんだ」
「大丈夫だよ」
 壊れたりしないというのです。
「そうなってもね」
「それじゃあ僕は心配しなくていいんだね」
「うん、例え君がどれだけ大きくてもね」
 それでもというのです。
「安心していいよ」
「それじゃあずっと泳いで曲芸も楽しんでおくね」
「そうしていいよ、ただ」
「ただ?」
「君はいつも泳いでて身体を動かしているからいいけれど」
 見ればこの鯱君は筋肉質です、身体は大きいですが。
「太り過ぎには注意してね」
「運動不足でだね」
「そのことには注意してね」
「僕達その傾向あるかな」
「やっぱり野生の鯱君達に比べればね」
 どうしてもというのです。
「そうなっているね」
「そうなんだ、じゃあ気をつけるね」
「そういうことでね」
 こうお話してでした、先生は鯱君の心配を取り除いてあげました。そして帰ろうとして海豚さん達のプールの横に来ますと。
 様々な種類の海豚さん達を見てです、トートーは言いました。
「どの海豚さんがどの海豚さんかね」
「わからないんだね」
「うん、バンドウイルカにカマイルカってね」
 トートーはガブガブに海豚さん達の種類からもお話します。
「色々種類があるけれど」
「海豚さん達にもね」
「けれどね」 
 それでもというのです。
「どの海豚さんがどの海豚さんか」
「トートーにはわかりにくいんだ」
「どうも海豚さん達についてはね」
 どうしてもというのです。
「難しいね」
「私達は海にいないからね」
 ダブダブも言います。
「どうしてもその辺りは難しいね」
「けれどそうしたことなら」
 ホワイティがここで見るのは。
「先生なら」
「うん、じゃあ今から話そうか」
 先生もホワイティの言葉に笑顔で応えます。
「海豚君達のそれぞれの特徴についてね」
「よく見れば結構違うかな」
「そうだよね」
 ジップと老馬はプールの中で楽しく泳いでいる海豚さん達を見てお話しました。
「大きさとかね」
「背びれの形とか色とか」
「先生はそうしたことは全部わかってるわよね」
「うん、そのつもりだよ」
 先生は微笑んでポリネシアに答えました。
「生物学者でもあるしね」
「海の方もね」
「だからわかるよ。じゃあ説明するね」
「それじゃあお願いするわ」
「これからね」 
 チープサイドの家族はオシツオサレツの背中の上に並んで停まっています、そこから先生に応えるのでした。
「海豚さん達の違いをね」
「私達にお話して」
「何かと違うのはわかるけれど」
「具体的なことをね」
 オシツオサレツも二つの頭で先生に言います。
「ちょっと僕達に説明してね」
「今からね」
「それじゃあね」 
 こうしてでした、先生は皆に海豚さん達のそれぞれの種類の特徴についてお話しました。生態の細かいところまで。
 そしてです、その先負をお話してからです。
 先生は皆にです、こう尋ねました。
「わかったかな」
「うん、よくね」
「海豚さん達っていってもそれぞれなんだね」
「何かとね」
「違いがあるんだね」
「そうなんだ、一口に海豚といっても」
 この言葉で一括りにするにはです。
「違いがあるんだ」
「言われてみればそうだね」
「よく見ればそれぞれ違いがあるね」
「そうだよね」
「それぞれの種類で」
「そうなんだ、海豚君達以外の生きものもそうだけれどね」
 海豚さん達もというのです。
「色々なんだよ」
「成程ね」
「そうなんだね」
「いや、このことも勉強になったよ」
「同じ種類の生きものでも色々な違いがある」
「種類の中に種類があるんだね」
「だから生物学では細かく区分されているんだ」
 違いがよくわかる様にです。
「どの生きものもね」
「猫かも」
「そうなのね」
「うん、特に猫君達はね」
 彼等の場合はといいますと。
「そうだね」
「同じ猫っていってもね」
「色々な種類があるから」
「スコティッシュフォールドとかペルシャとか」
「同じ猫でも全然姿形が違ってて」
「本当に種類が多いね」
「犬や鼠も然りでね」
 先生はジップやホワイティも見ました。そうしたお話をしながら海豚さん達のプールの傍から外に出ます。
「色々な姿形の種類がいるね」
「その違いをわかりやすい様になんだ」
「分けられているんだね」
「生物学だと」
「そうだよ、猫君達にしてもそうして分けられていてね」
 そのうえで、というのです。
「わかりやすい様にされているんだ」
「成程ね」
「そうした違いをわかりやすくしてるんだ」
「それも生物学なんだね」
「区分して分かりやすくする為に」
「そうだよ、だから猫君達もなんだ」
 そうして分けられているというのです。
 そしてです、先生は鯱さんや海豚さん達のコーナーから離れてです。そのうえでお話をしていくのでした。
「種類の違いがわかりやすくなっているんだ」
「じゃあ猫又も?」
「猫の種類の一つ?」
「お静さんだけれど」
「あの人も」
「ああ、猫又はまた違うよ」
 お静さんをはじめとしたその人はというのです。
「彼等は長生きした猫だからね」
「じゃあ長生きしてなんだ」
「それからなるものだったね、そういえば」
「じゃあ猫又は種類じゃなくて」
「なるものなんだ」
「そうだよ、猫又はどんな種類の猫君でもなれるんだ」
 長生きすればというのです。
「五十年位生きたらね」
「まあそれだけ長生きする猫ってね」
「普通いないけれどね」
「けれどそれだけ生きたら」
「どの猫でも猫又になれる」
「そうなんだね」
「うん、だからね」
 それでというのです。
「いいんだよ」
「というか猫又は妖怪?」
「日本で言うね」
「イギリスで言う妖精」
「それになるのかな」
「そうだよ、猫又はイギリスで言うケット=シーだよ」
 先生はこの妖精の名前を出しました。
「あの妖精だと思っていいよ」
「ああ、あの長靴を履いたね」
「後ろ足二本で歩く妖精だね」
「猫だけれど普通とは違う猫」
「その妖精と一緒なんだね」
「お静さんも」
「そうなんだ、だから猫又君は違うんだ」
 猫の種類とまた、というのです。
「妖怪、妖精の一種だね」
「そういえば京都の狐さんも」
「愛媛の狸さんもね」
「そうだったよね」
「妖怪になるね」
「日本では普通に動物もね」 
 それこそというのです。
「長生きしたら妖力、西洋で言う魔力を持ってお静さんみたいになるんだ
「尻尾が増えたりしてね」
「それで後ろ足だけで立ったりして」
「人の服を着て」
「人間にも化けられる様になって」
「人間みたいに暮らせるんだね」
「実は日本の社会でjは多いよ」
 人間の中に紛れて人間として暮らしている生きもの達がというのです。
「この国はそうした国なんだ」
「本当に不思議な国だね」
「動物が普通に人と暮らしてる国って」
「凄い国だね」
「色々不思議な国だけど」
「そのことも不思議だよね」
「そうした意味でも魅力的な国だよ」 
 先生もしみじみとして言います。
「一度住んだら離れられないよ」
「実際先生馴染んでるしね、日本に」
「この水族館もそうだけれど」
「不思議でしかも魅力があって」
「落ち着く国だよね」
「騒がしい方に入る国なのに」
 動物の皆から見るとです、日本はそうした国です。
「少なくとも僕達がずっと住んでいた場所よりはね」
「日本はずっと賑やかだよね」
「車が多くて人も多い」
「大阪なんか特にね」
「東京もだけれどね」
「それでいて落ち着くね」
「日本は」
 皆で、です。日本はそうした国だとお話します。そうしたことをお話しながらでした。他の生きもの達も診てです。
 この日の診察を終えました、先生は一旦研究室に戻ってから皆に言いました。
「じゃあ今日はね」
「うん、これで終わりだね」
「また明日だよね」
「明日また診て回るんだね」
「そうするんだね」
「そうだよ、今日は海の生きものを診たけれど」
 明日はというのです。
「川や湖の生きものを多く診るからね」
「海だけでなく川や湖の生きものもいる」
「この水族館って凄いよね」
「何かとね」
「一杯生きものがいるよね」
「だから観がいがあるんだ」
 それだけにというのです。
「この水族館はね」
「観るのも学問」
「だからだね」
「その充実が嬉しいんだ」
「そういうことなんだね」
「そうだよ、じゃあ明日もね」
 にこにことして言う先生でした。
「診ていこうね」
「僕達も一緒にね」
「そうして回って」
「また楽しもう」
「色々な生きものを診てね」 
 こうお話してでした、先生はこの日はお家に帰りました。そしてお家でこの日の充実した疲れを癒すのでした。



特に大きな問題もなく診ていけたな。
美姫 「そうね。アドバイスなんかも出しながら」
良い事だね。
美姫 「次は川や湖の生き物たちが出てくるのね」
みたいだな。どんな生き物が出てくるんだろうか。
美姫 「次回も待っていますね」
ではでは。



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