『ドリトル先生と二本尻尾の猫』




                 第九幕  日笠さんとは

 お静さんは動きはじめました、ですが。
 二日程静かでした、それで。
 ジップが研究室で先生にこう言いました。
「何かね」
「うん、お静さんだね」
「どうなったのかな」
 こう尋ねるのでした。
「今のところは」
「多分ね」
「多分?」
「今はまだね」
「動いていないのかな」
「いや、囁いていてもね」
 それでもというのです。
「お二人がね」
「まだ、なんだ」
「動いていないのだと思うよ」
 先生はこう読んでいるのでした。
「とりあえずはね」
「そうなんだ」
「うん、囁いてもね」
「すぐに動くかっていうと」
「そうである人とそうでない人がいるから」
「あの子達はなんだ」
「動かない人達なんだろうね」
 それで、というのです。
「まだね」
「動きがないんだ」
「お静さんにしてもね」
「必死かな」
「そう思うよ、今は多分」
 先生は本棚の本を整理しつつお話します、ジップ以外にも皆揃っています。
「囁き続けているよ」
「そうなんだね」
「だから僕達はね」
「今はだね」
「待とう」
 これが先生のお考えでした。
「お静さんからの報告をね」
「それからなんだ」
「うん、僕達はお静さんからお話を聞いて」
 そのうえでというのです。
「動こう」
「それじゃあね」
「今は本を読んでね」
「そしてだね」
「お茶を飲んでね」
 先生の大好きなこれもなのでした。
「楽しもうね」
「そうするんだね」
「どちらにしても待つしかないのなら」
「イライラするよりは」
「気楽にした方がいいよ」
 そうして、というのです。
「それで待てばいいからね」
「そこは先生らしいね」
 ジップは笑って先生にこう返しました。
「とても」
「そう言ってくれるんだ」
「実際にそうだから」
 それで、というのです。
「言うよ」
「そうなんだね、じゃあ」
「今はだね」
「気楽にね」
「お静さんを待って」
「この本を読もうかな」 
 こう言って先生が本棚から出した本はといいますと。
 ポリネシアは先生の左肩にとまってそのうえでその本のタイトルを見てでした、こう先生に言いました。
「ああ、その本は」
「うん、芥川龍之介だよ」
「日本の作家よね」
「羅生門だよ」
 タイトルにはっきりと書かれていました。
「最近この人の本も読んでいてね」
「それでなのね」
「この作品もね」
「買ってそして」
「読むんだ」
 そうしているというのです。
「他の作品も読んできたけれど」
「その羅生門も」
「一回読んだけれどね」
「また読むのね」
「そう、一回読んだだけじゃわからないところもあるから」
 それで、というのです。
「また読むよ」
「成程ね、先生は生まれついての学者ね」
「学者かな、僕は」
「本物のね」
「そう言ってくれると嬉しいよ」 
 その本を手にしてです、先生はお静さんにお礼を言いました。
「僕もね」
「だって日本はね」
 お静さんは曇ったお顔で言いました。
「本当の意味での学者さんが少ないから」
「僕もそのことはね」
「わかるわね」
「どうしてか日本の学者さんはね」
「あまり質がよくないでしょ」
「酷い人が多いね」
 先生はお静さんにもこのことを言いました。
「あんまりにもね」
「前の戦争が終わってからね」
 それこそというのです。
「急に悪くなったのよ」
「僕もそう思うよ」
「嘘を言っても何も思わない人がね」
「多いね」
「日本の困ったところよ」
 非常にとも言うのです、そうしたお話をしてです。
 そうしてでした、先生達はそうしたことをお話してです。
 そのうえで、です。ご自身の席に座ってこんなことを言いました。
「けれどこの人はね」
「芥川さんね」
「そうした人達とは違って」
「誠実なのよね」
「うん、心にもない嘘を言い回ったりしないね」
 今の日本の学者の人達の様に、というのです。
「自分の良心に忠実だよ」
「そこがその人のいいところなのよ」
「最後の方は可哀想だけれどね」
「自殺したからね」
 お静さんもそのことは悲しそうに言いました。
「この人も」
「うん、自殺した作家さんは他にもいるね」
 先生はお静さんにこうもお話しました。
「日本には」
「そう、太宰治さんとかね」
「その人と芥川さんが似てるかな」
 ここでこう言った先生でした。
「そう思ったけれど」
「自殺したから?」
「そのこともあるけれど」 
 先生は首を少し傾げさせつつ述べました。
「作風、いや作風の変化の流れとかが一脈通じるというか」
「そんな風に思うのね、先生は」
「そう思うけれど」
「そうね、それはね」
「お静さんもそう思うかな」
「二人共お顔もいいし」
 芥川さんも太宰さんもというのです。
「写真見たら美男子でしょ」
「あっ、二人共ね」
「芥川さんも太宰さんもね」
「確かに整った顔立ちをしてるね」
「私はまずお二人のお顔に惚れたのよ」
 そうなったというのです。
「奇麗だって思って」
「どちらの人もお静さん好みなんだ」
「かなりね、今で言うとイケメンね」
 現代の言葉も出すお静さんでした。
「二人共ね」
「ふうん、お静さんって結構」
「そうよね」
 動物の皆も少しのろけた感じになっているおしずさんを見て言いました。
「面食いっていうか」
「美形好き?」
「人間の男の人の」
「そうよね」
「嫌いじゃないわよ」
 お静さんは動物の皆にもこう答えました、
「実際にね」
「ああ、そうなんだ」
「やっぱりね」
「人間の美形の人好きなんだ」
「イケメン好きっていうか」
「そうなのね」
「うん、好きだから」
 またこう言うお静さんでした。
「特に醤油顔がね」
「醤油顔?」
「何、それ」
「お醤油をかけたお顔かしら」
「何かそれってね」
「あまりね」
「あっ、醤油顔というのは日本的な美男子ってことだよ」
 醤油顔と聞いていぶかしんだ皆にです、先生がお話しました。
「二十五年前位に日本にあった言葉だよ」
「そんな言葉もあったの、日本に」
「へえ、面白いわね」
「というかね」
「調味料と顔立ちを合わせるって」
「日本独自っていうか」
「変わってるわね」
「うん、これはね」
 また言う先生でした。
「他にもあって」
「他にも?」
「他にもっていうと」
「まだそうしたお顔があるんだ」
「そうなのね」
「そうだよ、ソース顔とかマヨネーズ顔とか結構あったんだよ」
 こうもお話する先生でした。
「ケチャップ顔、タバスコ顔ってね」
「何か日本人って」
「そうした言葉まで出してたなんて」
「いや、ちょっと」
「イギリスとはまた違ってね」
「凄いね」
「あらためて驚いたよ」
 こう唸って言う皆でした。
「日本語の絶妙さ?」
「調味料と顔立ちを合わせて言うそのセンス」
「いや、お見事」
「もう使ってないのが残念な位だよ」
「日本人の言葉のセンスは凄いんだよ」
 先生も真剣にです、皆にお話します。
「歌舞伎なんかでもね」
「ああ、日本の演劇だね」
「あの派手な衣装とメイクで演じる」
「言い回しと動きがかなり独特な」
「あれだね」
「うん、歌舞伎の題名も凄くセンスがいいんだ」
 先生はこちらのことも言うのでした。
「僕も観て驚く位にね」
「それじゃあなんだ」
「先生もなんだ」
「日本人のそうしたセンスがなんだ」
「好きになってるんだね」
「興味が尽かないよ」
 学者として、といった言葉でした。
「幾ら勉強してもね」
「というか先生よく知ってるわね」 
 お静さんは研究室の一室に座りつつ唸る様にして先生に答えました。
「いや、凄いわ」
「凄いかな」
「外国から来た人が醤油顔とか普通に知ってるなんてね」
 それこそ、というのです。
「はじめて見たわ」
「そこまでなんだ」
「先生はやっぱり凄い学者さんよ」
「そんなに凄いかな」
「ええ、言語学者としても凄いわ」
 実際先生は八条大学に来てからそちらでも有名になっています。その学識と見解の素晴らしさが認められているのです。
「じゃあその芥川さんの本も」
「作品の中の言葉もだね」
「そう、普通にわかるわね」
「大正時代の言葉も面白いね」
「そこでそう言うのがね」
 それこそ、というのです。
「先生らしいわ」
「学者として」
「ええ、お人柄もいいし」
 先生のそのこともお話するお静さんでした。
「本当にいい人が来てくれたわ」
「それで今回のことも頼めた」
「それでだね」
「そのこともいい」
「そう言うのね」
「うん、とてもね」
 またお話するのでした、動物の皆に。
「有り難いわ、神様と仏様達のご加護ね」
「そこはね」
「ちゃんとね」
「日本だね」
「神様仏様っていうのが」
「見事ね」
「実はね、この二日間お嬢様と彼に囁くだけじゃなくて」
 それに加えて、というのです。
「神社とお寺、キリスト教の教会と天理教の教会全部にお参りしてたのよ」
「あらゆる宗教のだね」
「この学園丁渡全部あるじゃない」
 お静さんはまた先生に答えました。
「神社から全部ね」
「うん、宗教関係も強い大学だから」
「それでなのよ」
「全部にお参りして」
「それでお二人のことをお願いしていたの」
 そうだったというのです。
「幸せになれる様にってね」
「ううん、お静さんっていい猫だね」
「そうだね」
 先生も動物の皆もお静さんのそのことを聞いて唸る様にして言うのでした。お静さんの心根をよく知ったからです。
「ご主人思いで」
「お参りしてお願いまでしてね」
「凄いよね」
「そこまでするなんてね」
「困った時にとも言うじゃない」
 その時の神頼みというのです、仏様にもお願いしているにしても。
「あらゆる神様と仏様にお願いしてるのよ、キリスト教もカトリックの神父さんだけじゃなくてプロテスタントの牧師さんにもお願いしてるから」
「それいいの?」
「それまずくない?」
「幾ら何でもね」
「カトリックとプロテスタント両方にって」
「幾ら何でも」
「ちょっとね」
 動物の皆はお静さんのその行動にどうかと返しました。
「何か日本じゃ普通だけれど」
「僕達それが信じられないから」
「いいのかなって思って」
「それで驚いてるんだ」
「今もね」
「ああ、日本じゃ全然変わりないのよ」
 カトリックもプロテスタントもです、それこそ。
「どっちもね」
「それが日本の特徴だね」
 先生もお静さんにこう言うのでした。
「宗教の宗派に然程違いはないね」
「ええ、神父さんと牧師さんでもね」
「そうだね、欧州じゃ違ったけれど」
「相当血生臭かったの?」
「そうだったからね、イギリスでも」
「日本だと宗派が違ってもね」
「仏教でもだね」
「あんなに壮絶に殺し合うことは」
 それは、というのです。
「ないわよ」
「そこまでは」
「というか欧州の方がね」
 日本で生まれ育ってきているお静さんからしてみればなのです。
「極端っていうか」
「宗派の違いで揉めることが」
「ええ、何か違うわ」
 こう言うのです。
「むしろね」
「それだね、宗派の違いで戦争にまでならないことは素晴らしいことだよ」
 先生も頷いて言います。
「殺し合いもないよね」
「お坊さん同士が説法が過ぎて殴り合いになることはたまにね」
「それ位ならね」
「何でもないわね」
「暴力はよくないことだけれど」
 先生は暴力が嫌いです、他の人を殴ったりしたことは一度もありません。罵ったことすらない人ですから。
「それでもそれ位で済んでるのなら」
「いいことだね」
「まだね」
「ならいいよ」 
 こうお話するのでした。
「本当にね」
「それで私もなの」
「神社もお寺も巡って」
「神父さんにも牧師さんにもお願いしたわ」
「あらゆる神様のお力を借りて」
「お願いするわ」
 絶対に、というのです。
「そして何としても」
「お二人をだね」
「結び付けてもらうわ、縁結びの神様にもお願いしたし」
 また言うのでした。
「囁いていくわ」
「それでもこの二日はだよね」
 ここでこう言ったのはホワイティでした。
「お二人は動かなかったんだね」
「中々ね、そっと頭の中に向けて囁いているけれど」
「妖力を使って」
「そうなの」
 まさにそうして、というのです。
「それでそうしてるけれど」
「まだなんだ」
「二人共ね」
 それこそ、というのです。
「今一つ勇気がなくて」
「そうなんだ」
「あと一歩なのよ」
 お静さんの言葉もかなり切実です。
「そこで踏み出してくれないの」
「困った流れだね」
「これをどうするのか」
「それがだね」
「いや、どうしたものか」
 それこそ、というのです。
「まあそれであと一歩だから」
「このまま囁くんだね」
「ええ、そうするわ」
 先生にも答えます。
「あと一歩だから」
「よし、じゃあね」
「任せておいてね」
「じゃあ二人がお話して」
「デート出来た時はね」
「僕達は、だね」
「見ていてね」
 隠れて、というのです。
「ここは」
「わかったわ、それじゃあね」
 先生も頷きます、そしてなのでした。
 先生はお静さんにお任せすることにしました、それが今の先生の決断でした。その決断の後でなのでした。
 先生はお静さんにお茶を出しました。そのお茶は。
「あっ、緑茶ね」
「うん、日本のお茶だよ」
「先生確かに日本のお茶も好きね」
「どんどんそうなってきてるね」
 先生ご自身もこう答えます。
「紅茶が一番にしても」
「それでもだね」
「日本のお茶も」
「どんどん好きになってきて凝ってるよ」
「お抹茶も飲んでるわね」
「こぶ茶や麦茶もね」
「じゃあ玄米茶は」
「あれもいいね」
 非常にというのです。
「とても」
「そうだね、ただ」
「ただ?」
「日本のお茶は凄い種類だから」
 それが、というのです。先生もその緑茶を飲みつつお話します。
「それがね」
「どうかというのね」
「いや、普通にね」
 それこそ、というのです。
「どれを飲むべきか迷うよ」
「買う時も」
「そう、その時もね」
 本当にというのです。
「どれを買おうか迷って困るよ」
「それだけ日本人がお茶を愛しているってことね」
「茶道もいいね」
「正座が辛くても」
「あれは日本の最高のティータイムだよ」
 それこそ、というのです。
「いや、本当に」
「正座になれるとね」
「もっといいんだね」
「正座もそのうち慣れるわ」
 座っているうちに、というのです。
「だから毎日座っていればいいよ」
「いや、そこまではね」
「座る気はないのね」
「辛いからね」
 正座がというのです、イギリス人に先生にとっては。
 そうしたお話をしてでした、そのうえで。
 お静さんはお茶をご馳走になってから研究室を後にしました。そして先生も動物の皆といい時間になってからです。
 お部屋を後にしました、ですが研究室のある棟を後にしたところで。
 そこで、です。日笠さんがでした。
 先生のところに来てです、こんなことを言ってきました。
「こんにちは、先生」
「あっ、日笠さんこんにちは」
「今からそちらにお邪魔しようと思っていたのですが」
「動物園で何かあったのですか?」
「いえ、そうではないのですが」
 それでもというのです。
「ただ、お話がありまして」
「動物園のこと以外で」
「はい、そうです」
 それで、というのです。
「ですが今から」
「はい、帰ります」
「そうですか」
 そう聞いてです、日笠さんはとても残念そうなお顔になりました。ですがそれでも先生にお顔を向けて言いました。
「今度の日曜ですが」
「日曜日ですか」
「お食事にでも行きませんか?」
 こう先生に言うのでした。
「いいレストランを知っていまして」
「レストランですか」
「はい、イタリア料理の」
 そのお店にというのです。
「パスタがとても美味しい」
「あれっ、これって」
「そうだよね」
「どう見てもね」
「日笠さんからのね」
「先生へのね」
 動物の皆はここで気付きました。
「これって」
「それじゃあ」
「うん、ここはね」
「先生もね」
「是非共」
「如何でしょうか」
 日笠さんは先生にまた言いました。
「日曜の夜に」
「そうですね、お静さんの状況次第ですが」
「お静さん?」
「猫の方です」
 流石に猫又とは言えないのでこう表現するのでした。
「その方からお願いをされていまして」
「猫の飼い主の方からですか」
「飼い主の方のことを」
「?猫からですか」
「はい、そうです」
「何かよくわかりませんがとにかく日曜は」
「あっ、夜は多分大丈夫です」
 それは、というのです。
「学生さんのデートなので」
「何か余計にお話がわからなくなりましたがとにかく大丈夫ですね」
「はい、お食事でしたら」
「ではお願いします」
 微笑んでそうして答えた日笠さんでした。
「日曜の夜に」
「それでは」
 こうしたことをお話してなのでした。 
 日笠さんは先生とお食事を一緒にすることになりました、トミーはこのお話もお家で聞いてそして言うのでした。
「あっ、それはいいですね」
「うん、折角のお誘いだからね」
 先生もトミーに笑顔で答えます。
「だから日曜の夜はね」
「晩御飯はですね」
「いらないよ」
 そうだというのです。
「あちらで食べるから」
「イタリア料理ですね」
「イタリア料理いえばね」
「パスタやピザですね」
 トミーはこの二つのお料理を挙げました。
「他にも美味しいものは一杯ありますが」
「この二つが特にだね」
「有名ですね」
「それじゃあ」
「その二つを楽しまれますね」
「そうなるかな」
「そういえばお店は何処ですか?」
 トミーは先生のそのことも尋ねました。
「それで」
「駅前だったか」
「駅前のイタリアンレストランですね」
「確かそうだったよ」
「ああ、あそこですか」
 トミーはこれだけ聞いて頷きました。
「あそこなら砕けたお料理です」
「フルコースとかじゃなくて」
「フルコースもありますけれど」
 それでもというのです。
「あそこは居酒屋みたいな感じで楽しめますよ」
「気楽にだね」
「好きなお料理を注文して」
「それでワインだね」
「そちらを楽しめます」
「いいね、それじゃあ」
 先生はトミーのお話をそこまで聞いて頷きました。
「行って来るよ」
「楽しまれて下さい」
「是非ね、いやイタリア料理はいいね」
 今度はこんなことを言う先生でした。
「オリーブにガーリックで」
「チーズも欠かせないですね」
「トマトはそれ以上にね」
「栄養のバランスもいいんですよ」
「トマトが多いから」
「はい、ですから僕もよく作りますよね」
 トミーは先生ににこにことしつつお話しました。
「スパゲティとか」
「ああ、ナポリタンだね」
「あれは日本のスパゲティですから」
 トミーは先生のこのこともお話しました。
「イタリアのではないですよ」
「そうだったね、日本の洋食だね」
「そのうちの一つです」
「そうだったね」
「しかしこれがなんですよ」 
 トミーはにこりと笑って先生にお話するのでした。
「最高に美味しいです」
「そうだね、あれも凄く美味しいね」
「そしてパスタに欠かせないものは」
 それはといいますと。
「ガーリックです」
「ナポリタンもガーリックを入れるとね」
「味がさらによくなるんですよ」
「段違いにだね」
「さらにチーズもありますと」
 パスタに上からかけるのです。
「さらにいいですね」
「そうだね、まあとにかくね」
「行ってらっしゃい」
 こうお話してでした、先生は日笠さんと一緒にそのイタリア料理のレストランに行くことになりました。そして。
 その次の日でした、お静さんは猫の姿でお昼に先生の研究室に来てでした。そのうえで新たな報告をしてきたのでした。
「先生、やったわ」
「やったっていうと」
「ええ、いい状況になってきたわ」 
 そうなったというのです。
「お嬢さんがね」
「彼とお話が出来たんだね」
「しかもね」
 それに加えてというのです。
「デートの約束もね」
「あっ、そこまでなんだ」
「そう、決まったのよ」
「それはいいね」
「いや、やっとよ」
 お静さんは割烹着にシックな丈の長いスカートの洋服といった格好で前足を組んでそのうえで言うのでした。
「苦労したかいがあったわ」
「そうだね、お疲れ様」
「いやいや、まだはじまったばかりよ」
「デートがだね」
「そう、そこからなのよ」
「告白まで成功させて」
「それでやっとほっと出来るのよ」
 こう言うのでした、先生に。
「だからお疲れ様っていうのはね」
「告白が成功してからだね」
「言ってね」
「ではその言葉は後にするよ」
「お願いね、告白までいけたら」
 そこまで辿り着ければとも言うお静さんでした。
「絶対にいけるから」
「相思相愛だから」
「うん、出来るわ」
 こう言うのでした。
「そこまでいけばね」
「相思相愛は強いね」
「告白して駄目だったらこんなに悲しいことはないわ」
「そうみたいだね」
 先生はこのことについては今一つ晴れない感じでした。
「どうやら」
「あれっ、先生は」
「そう、告白はね」
「経験なかったわね」
「一度もね、デートも告白も」
 先生には本当に縁のないことでした。
「ないから」
「そうだったわね」
「けれど失恋は見てきたよ」
 のことについてはです、先生は悲しいお顔になって言いました。
「それで凄く辛い経験をしてきた人をね」
「そこで絶対にしたらいけないことはね」
「周りがだね」
「人の失恋は絶対にネタにしない、からかったり囃し立てない」
 そうしたことはとです、お静さんは強く言うのでした。
「例え軽い気持ちでもね」
「それをしたらね」
「相手はさらに傷つくし」
 それに、というのです。
「言われた方は絶対に忘れないから」
「恨みを買うね」
「余計なね」
 まさにというのです。
「だからね」
「失恋した人は慰めてあげるか」
「それが無理ならね」
「そっとしてあげないとね」
「失恋を囃し立てられて人間が変わった人も見てきたのよ」
 お静さんはこのことはかなり真剣に言いました。
「もう見ていられない位にね」
「人が変わったんだ」
「凄く暗くなって。立ち直ってもね」
「暗いものを抱えたままなんだ」
「心に受けた傷だから」
「そう、心に受けた傷はね」
「治りにくいのよ」
 それこそです、身体に受けた傷よりもです。
「しかも膿みやすいから」
「心が膿んでそれが残ったんだね」
「そうした人もいたのよ、囃し立てた相手のことをずっと覚えていたし」
「恨んでいたんだね」
「先生も恨みとか買いたくないわよね」
「そんなことは絶対に思わないよ」
 先生が誰かから恨みを買うことはありません、そしてそれと共にこうしたことも絶対に思わない人なのです。
「まして人を傷つけることは」
「しないわよね」
「人の心の傷はえぐったら駄目だよ」
 このことをです、先生は自分の心に強く刻んでいるのです。
「それは深刻なトラウマになるよ」
「トラウマね」
「トラウマにトラウマを刻み込んだら」
「心が膿むのね」
「その人立ち直ったんだよね」 
 お静さんが知っている自分の失恋を周りに囃し立てられた人のこともです、先生はお静さんに尋ねたのでした。
「そうだよね」
「出来たけれどなのよ」
「心の傷は完治していなくて」
「心に暗いものを抱えたままよ」
「可哀想だね」
「軽い気持ちで言ってもね」
 からかったり囃し立てたりすることがです。
「それは言われた方はね」
「深刻な傷になるね」
「だから失恋はね」
「絶対にからかったりしない」
「相手を傷つけるし自分も恨みを買う」
「いいことは何もないね」
「そうよ、軽い気持ちが大変なことになるのよ」
 世の中ではままにしてあるものです。
「その人特撮ものの悪役みたいな性格になったし」
「日本の特撮もののだね」
「普段は明るいけれど反面凄く卑劣で残忍で陰湿で執念深い人になったの」
「明らかに失恋とそれを言われ続けたトラウマだね」
 先生はどうしてそうした人になったのか、すぐにわかりました。
「それだけ傷ついてきたんだね」
「誰にも助けてもらわなかったし」
「余計に辛いね」
「それで人が変わったの」
 そうした人になったというのです。
「自分が嫌いな相手には凄く残忍な人になったの」
「それでその人も他人を傷つけてるんだ」
「嫌いな相手にはね」
「悲しい話だね」
「そうしたことにもなるから」
「うん、言わないことだよ」 
 人の失恋の話はです。
「それは絶対にね」
「守らないとね」
「僕もそのことはわかっているつもりだよ」
 恋愛の経験が全くない先生でもです。
「これは人として当然のことだよ」
「心の傷は抉らない」
「それが一番だよ」
「そういうことよね」
「うん、けれどあの子達は」
「お互い好きだからね」
 まさにです、相思相愛だからです。
「いけるわ」
「そうだね」
「デートしてムードを作って」
「告白までいければ」
「後は大丈夫よ」
 お静さんはそこからの流れは大丈夫だと確信しています、それで先生にも言うのです。
「お二人の新たなはじまりを見守ってね」
「そうさせてもらうよ、それでだけれど」
 今度は先生からお静さんに尋ねました。
「その日は何時かな」
「デートのね」
「うん、何時なのかな」
「日曜よ」
 お静さんは先生にはっきりと答えました。
「日曜に行くから」
「そう、日曜なんだ」
「そうなの、日曜に八条テーマパークに行くから」
「あの遊園地だね」
「あそこはいい場所よ」
 その八条テーマパークはというのです。
「日本一の遊園地よ」
「あそこは日曜凄く混んでるらしいね」
「いつも親子やカップルで一杯よ」
「最近日本ではテーマパークは苦戦しているらしいけれど」
「ええ、それでもね」 
 その八条テーマパークはというのです。
「あそこは違うのよ」
「いつも人で一杯なんだね」
「そう、だからね」
「あそこの経営は大丈夫なんだね」
「設備の充実が凄いのよ」
 お静さんは先生に確かな声でお話します。
「もうびっくりする位に」
「そこまでなんだね」
「先生はまだ行ったことがないのね、あそこには」
「うん、動物の皆と行ってもいいけれど」
 ここで、でした。先生はです。
 その動物の皆を見てからです、お静さんに答えました。
「何か違うかなって思って」
「それでなのね」
「妹が言っているんだ、いつも」
「あっ、先生妹さんがいて」
「そうなんだ、結婚して子供もいるね」 
 そのサラがというのです。
「その妹がテーマパークとかはね」
「家族かカップルが行く場所って言ってるのね」
「そうなんだ、だからね」
 独身で交際相手がいない先生はです。
「行っていないんだ」
「そうなのね」
「そうなんだよ、面白そうだとは思うけれど」
「仕方ないわね、それじゃあ」
「けれどだね」
「そう、先生も今回はね」
 日曜のお二人のデートの時はです。
「来てね」
「そのうえで見守らせてもらうよ」
「お二人は私が何とかするから」
 そして、というのです。
「周りはね」
「僕と動物の皆でだね」
「見守ってくれて。何かありそうなら」
「露払いはこっちでするよ」
 先生はお静さんに笑顔で答えました。
「任せてね」
「頼りにしてるわね」
「それじゃあね」
「先生達がいてくれたら百人力よ」
 それこそ、というのです。
「私は私のやることに集中出来るわ」
「そしてだね」
「最高に幸せなはじまりにするわ」
「告白が成功して終わりじゃないね」
「それで一つのハッピーエンドだけれどね」
 それでもというのです。
「そこからまたよ」
「はじまるからね」
「そう、だからね」
 お静さんは先生に確かなお顔でお話します。
「こう言ったのよ」
「二人の交際がはじまるってことだね」
「恋愛ものだと結婚とかしてハッピーエンドになるじゃない」
「オペラでは多いね」
「けれどそこからなのよ」
 はじまる時はというのです。
「むしろね」
「その通りだね」
「お二人のそれからはそれからでお助けするわ」
 お静さんはもうそこからのことも考えています、そして。
 そうしたことをお話してでした、お静さんはです。
 先生にです、にこりと笑って言いました。
「じゃあね」
「今回はこれでだね」
「報告が終わったから」
 それで、というのです。
「これでね」
「帰るんだね」
「そうさせてもらうわ」
「そう、それじゃあね」
「日曜ね」
 その時にというのです。
「お会いしましょう」
「ではその時まで」
「ええ、あとね」
「あと?」
「先生もうお昼食べたの?」
 お静さんはここで、です。先生にこのことを尋ねました。
「そこはどうなの?」
「もう食べたよ」
 先生はお静さんのその問いににこりと笑って答えました。
「それで帰ってきたところだったんだ」
「そうだったのね」
「うん、焼きそば定食をね」
「あら、いいものを食べたわね」
「ここの学生食堂は美味しいからね」
 だからというのです。
「満足させてもらtったよ」
「味のことは」
「あと量もね」
 そちらのこともというのです。
「満足させてもらったよ」
「ならいいわ、やっぱりね」
「まずは食べないとね」
「そう、はじまらないから」
「朝も食べてお昼も食べて」
「晩も食べてね」
 三食しっかり食べてこそとです、お静さんもそのことはしっかりと言うのでした。
「そうしないとね」
「元気が出ないね」
「そうよ、わかってるのならいいわ」
 食べることの大切さがです。
「いいのよ、しかも身体にいいものを食べる」
「そのことも大事だね」
「そうよ、焼きそば定食っていうけれど」
「御飯と野菜が一杯あったよ」
「お野菜、果物もしっかりと食べないとね」
 それこそというのです。
「よくないわ」
「そう、バランスよく食べないとね」
「健康によくないからね」
「何かお静さんってそういうところ厳しい?」
「それはね、ずっとあの家にお仕えしてお料理も作っているから」
 だからだとです、お静さんは左の前足をしっかりと動かしつつ先生に答えました。それは家政婦めいたお話の仕方でした。
「だからね」
「そうしたこともだね」
「いつも頭の中に入れてるの」
 そうだというのです。
「バランスよく健康のいいものを食べてもらう様にって」
「出来た人だね」
「人ではないわよ」
 お静さんは先生の今のお言葉には笑って答えました。
「私はね」
「猫又だね」
「そう、猫よ」
 その猫のお姿での言葉です。
「だから出来た猫ね」
「この場合はね」
「もっと出来る猫になるわ」
「現状に満足せずに」
「あの家にずっとお仕えするから」
 それも代々のです。
「もっともっと出来る猫になるわ」
「頑張ってね、ただ」
「ただ?」
「それは尻尾がどれだけ増えてもかな」
「勿論よ、九本になってもね」
 その尻尾がです。猫の最高位の尻尾の数です。このことは狐さん達と一緒です。
「私はあの家の猫よ」
「ずっとだね」
「猫はお家について」 
 そしてというのです。
「それにね」
「人にもだね」
「つくものなのよ」
「お静さんもだね」
「勿論よ」
 お静さんはこうも言うのでした。
「私はあのお家の猫よ」
「永遠に」
「そうよ、百年も二百年もね」
 こうお話してでした、お静さんはどろんと消えました。これでお静さんとのお話を終えてからなのでした。先生はです。 
 動物の皆にです、こう言いました。
「日曜が楽しみだね」
「うん、いよいよだね」
「いよいよだね」
「デートだね」
 皆がここで言います。
「その時だね」
「いよいよ」
「はじまるね」
「運命の時が」
「そうだね、僕達のやることは」
 先生も皆に応えて言います。
「何かっていうとね」
「あの子達を見守って」
「何かあれば僕達で対処する」
「そのことだね」
「そうすることだね」
「そう、やっていこう」
 こう言うのでした。
「しっかりとね」
「うん、じゃあね」
「日曜はね」
「お二人の邪魔になるものはね」
「私達でね」
「対処していこう」
「それが僕達の仕事だよ」 
 また言う先生でした。
「今回のね」
「僕達のそれぞれの能力を活かして」
「そのうえで」
「あの子達を守って」
「恋を適えようね」
「それにね」
 ここで老馬が先生に言いました。
「先生もね」
「僕もなんだ」
「そう、夜のことだよ」
 老馬が言うのはこのことでした。
「夜は先生ご自身がね」
「僕がなんだ」
「日笠さんと楽しくね」
 笑って先生に言うのでした。
「やってきてね」
「あれっ、楽しくって」
「いや、お食事に行くんだよね」
「ああ、そういう意味でだね」
「そうだよ、楽しく過ごしてきてね」
「失礼のない様にするよ」
 こうも言う先生でしたが。
 皆はです、先生のそのお返事にいささか残念になってそれで言うのでした。
「まあね」
「先生もね」
「何時かはね」
「きっとね」
「いい人とね」
「幸せになれるよ」
 皆は少し呆れながらも優しい笑顔でお話するのでした、こうしたことには本当に全く関係のない先生なのでした。



すんなりとデートとまではいかなかったけれど。
美姫 「どうにか、そこまでこぎつけたわね」
お静の日々の努力だな。
美姫 「で、その日の夜には先生の方も」
こちらは日笠さんが頑張ったな。
美姫 「そうよね。依頼の方で時間が大丈夫かちょっと心配だけれどね」
日曜日は一体どうなるのか。
美姫 「次回も待っていますね」
ではでは。



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