『ヘタリア大帝国』
TURN30 左遷
ヒムラーはガメリカに潜り込ませている諜報部員から報告を受けていた。彼が独自に雇いそのうえで調査させている親衛隊の陰のメンバーだ。
その彼からだ。ヒムラーはこの報告を受けていた。
「成程。ガメリカではサイボーグやアンドロイドを戦争に導入しようとしているのか」
「はい、生身の将兵の損害を出すよりはその方が利があると判断してのことだそうです」
「成程ね。ガメリカの若者を消耗するよりも」
「その様です。どうやら」
「面白いな。確かに人材を消耗するよりはね」
「サイボーグやアンドロイドを使った方がいいですね」
「俺もそう思うよ。それではね」
ヒムラーはここで一つの判断を下した。それは。
「ガメリカのその計画の詳細を調べてくれるかな」
「そのうえで、ですね」
「そう。盗むんだよ」
ヒムラーは軽い笑みで諜報員に告げた。
「そうしてくれ。詳細は俺に伝えてくれ」
「わかりました。それでは」
「後何かガメリカで他にあったかな」
「リンカーンやトルーマンといった」
「?聞いたことがあるな」
そうした名前を聞いてだ。ふとだった。
ヒムラーの目がぴくりと動いた。そのうえで諜報員にこう言った。
「確かどっちもガメリカの凶悪犯だったな」
「殺人や様々な凶悪犯罪を繰り返した者達ですね」
「その彼等がどうしたんだい?」
「一斉に死刑が執行されるそうです」
諜報員は一見して軍とは全く関係ないことを述べた。
「その様です」
「成程ね」
「その話も聞きましたが」
「ううん。そうだな」
ヒムラーは自分の席、親衛隊長の席に座ったままだった。
考える顔に述べてだ。こう言ったのだった。
「その凶悪犯の連中の脳味噌でも貰おうかな」
「脳をですか」
「凶悪犯罪を起こす人間の心理構造とかを知りたいと思ってたんだ」
「それはどうしてでしょうか」
「凶悪犯への対処も政治家の務めだからね」
親衛隊長ではなく内相としてだ。ヒムラーは政治にも携わりだしていたのだ。彼はレーティアに直々に内相に任じられていたのである。
「だからこそね」
「では死刑が執行された直後に」
「彼等の脳味噌を手に入れてくれるね」
「死体は死刑執行の後無縁の死体として墓場に投げ捨てられます」
「じゃあその時に頼むよ」
「凶悪犯の脳を」
「死体ごとでもいいからね」
とにかく脳を持って来て欲しいとだ。ヒムラーは言った。
「そうしてくれるかな」
「はい、それではそのことも」
「ドクツも総統閣下が立たれるまで凶悪犯罪者が多かったからね」
「そうですね。それもかなり」
「ハールマンとかね」
具体的な名前もだ。ヒムラーは出した。
「あのいかれた殺人鬼は理解不能だよ」
「少年を陵辱しその肉を食べていた」
「内相でもあるからね、俺は」
内政の最高責任者だ。それ故にだというのだ。
「ああした連中を何とかしないといけないからね」
「さもないとドクツの治安が成り立たないですね」
「それにここだけの話そうした犯罪者を取り締まり抑えることが俺の得点になるんだよ」
レーティアの評価もあがるというのだ。
「このままじゃ俺は頭打ちなんだよ」
「総統閣下のお傍には宣伝相がおられますが」
「あの女がいる限り俺は今以上になれない」
ヒムラーの眉がぴくりと動いた。確かに整ってはいる。
しかしそこにあるものは決して重くはない。軽薄でかつ小才めいたものを見せながらだ。彼は己の腹心であるその諜報員に言ったのだった。
「そしてそれが。わかるな」
「我が教団の為にもなりますね」
「そう。ドーラ教をドクツの国教にするんだよ」
ヒムラーは諜報員に彼等の目的も話した。
「その為にも今は得点をあげないとな」
「ではその様に」
「それと凶悪犯なら生贄にしても何も問題はないからな」
ヒムラーは彼等に人権を見ていなかった。元々彼にはそうした発想は僅かだが。
「では今からね」
「お任せ下さい」
「まあ。生贄を手に入れるのもサイボーグやアンドロイドの兵を手に入れるのも」
「親衛隊、いえドーラ教にとっての利になりますね」
「その為にも頼むよ」
こうした話をだ。ヒムラーは腹心と話をしていた。その話の後でだ。
彼は何でもないといった顔で普通の親衛隊の同志達の前に出てだ。こんな話をした。
「君達にも名誉が与えられることになったよ」
「名誉!?それは一体」
「隊長、何でしょうか」
「うん、それはね」
ヒムラーはレーティアの忠実な信者の顔で彼等に語る。
「我々は正規軍に組み込まれることになったよ」
「何と、我々がですか」
「正規軍に組み込まれるのですか」
「ではそのうえで我々は」
「戦争に参加できるのですね」
「武勲を期待しているよ」
ヒムラーは仮面のままで語る。
「君達の活躍がドクツを勝たせるからね」
「はい、それでは」
「戦います」
こう話してだった。彼等はヒムラーに誓って右手を掲げて叫んだ。
「ジークハイル!」
「ハイルアドルフ!」
「レーティア総統万歳!」
ヒムラーも応える。ヒムラーの表の顔はレーティアの忠実な家臣だった。
だがその彼を見てだ。グレシアは己の腹心達に宣伝相の執務室でこう言っていた。
「ヒムラーのことをどう思うかしら」
「親衛隊長ですか」
「そして内相にもなられましたね」
「ええ、あの男のことよ」
やや忌々しげにだ。グレシアはこう述べた。
「どう思うかしら」
「そうですね。どうもあの方は」
「怪しいところが多いです」
「経歴を調べましたが士官学校中退以降の経歴が不明です」
腹心の一人がこのことを話す。
「親衛隊長として出て来るまでのそれがわかりません」
「それね。何をしていたのかしらね」
グレシアは眉を顰めさせていた。
「何処で何をね」
「一応養鶏場をやっていましたが」
「殆どそこにもいなかったわね」
「はい」
その通りだとだ。その腹心はグレシアに答えた。
「収入はそこからありましたが」
「具体的に何をしていたかが不明ね」
「そうです。各地を飛び回っていたようですが」
「レーティアが出て来るよりも前からね」
グレシアはこのことにも要点を見出していた。
「そうしていたわね」
「そうです。親衛隊は急に結成されています」
「そこも謎なのよ。士官学校での人脈も使わずに」
これに加えてだった。
「養鶏場の経営者だけれど畜産の人脈もね」
「それも使わずにです」
「あそこまでなるとなると」
グレシアはまた眉を顰めさせていた。そのうえでの言葉だった。
「親衛隊みたいな巨大な組織を創り上げたのよ」
「ただならぬ運営能力があるのでしょうか」
「どうかしらね」
真剣に悩む顔でだ。グレシアは述べた。
「確かに士官学校に通ってたから統率も学んでいるでしょうけれど」
「閣下、ですが」
別の腹心が言ってきた。
「内相の場合は親衛隊の面々は至って純粋に総統を崇拝されています」
「ええ、彼等に悪意はないわ」
「はい、問題は親衛隊ではないですね」
「やはり問題はあの男よ」
ヒムラー、彼に他ならないというのだ。
「その親衛隊の面々を手足の様に動かしているけれどそれが」
「まさにですね」
「何か得体の知れない、女王蟻と言うべきかしら」
「女王蟻?」
「といいますと」
「あの男が女王蟻でね。親衛隊の面々はその彼に盲目的に従っているっていうか」
ヒムラーと親衛隊の関係をグレシアはこう例えた。
「そんな感じよね」
「言われてみれば確かに」
「親衛隊はそうなっていますね」
「女王蟻と兵隊蟻」
「それに近いですね」
「ソビエトもそんな感じだけれど」
グレシアはカテーリンとソビエト人民のこともこう評した。
「親衛隊もね」
「それにです。親衛隊の地位はあがってきています」
「それが問題です」
「やがて宣伝相の地位を脅かすのでは」
「そうなりませんか」
「私のことはどうでもいいわ」
そんなことはだとだ。グレシアは自分のことはこれで終わらせた。
だが自分のことはいいとしてだ。こういうのだった。
「問題はレーティアにね。取り入ろうとしているわね」
「はい、確かに」
「そしてご自身の地位を上げようとされていますね」
「少しでも総統に近付こうとしています」
「どうやら」
「怪しい男よ。あの男は」
グレシアはヒムラーをまたこう評した。
「油断ならないわ。レーティアに近付けられないわ」
「ではどう為されますか?」
「親衛隊長に対しては」
「このまま総統のお傍に置けないとなると」
「具体的には」
「そうね。北欧でエイリスのスパイが工作しているという噂があるから」
ここでグレシアは言った。
「あそこに送ろうかしら」
「スパイ対策ですね」
「その名目で」
「とりあえずレーティアの傍から。このベルリンから離してね」
そしてだというのだ。
「そのうちにマンシュタイン提督達と一緒に手を講じるわ」
「軍の重鎮であるあの方と」
「あの方とですか」
「ええ。そうするわ」
こう言うのだった。
「とりあえずは北欧よ」
「わかりました。ではですね」
「親衛隊長を北欧に向かわせることを」
「そのことを総統に申し上げますか」
「今から」
「このことも。やはりね」
グレシアの目が光っていた。政治家の目の輝きだった。
その輝きのままだ。彼女は言うのだった。
「マンシュタイン提督と。それにロンメル提督ともね」
「しかしロンメル提督は隊長のご友人ですが」
「それでもですか」
「ええ、国の大事かも知れないかしら」
だからだとだ。グレシアは言うのだった。
「あの二人とも話をするわ」
「軍の、ドクツの重鎮であるあの方々と」
「お二人とですか」
「そうするわ」
こう腹心達に話してからだ。そのうえでだ。
グレシアはマンシュタイン、そして彼女にとっては都合よくベルリンにレーティアへの戦況報告の為一時戻ってきていたロンメルと三人でだ。ヒムラーのことを話すのだった。
グレシアはまずはだ。こうそのロンメルに尋ねたのだった。
「貴方のお友達についてだけれど」
「ヒムラーですか」
「ええ。どう思うかしら」
「正直に申し上げて宜しいでしょうか」
ロンメルはまずはこう前置きしてきた。
「今ここで」
「お願いするわ。どう思うかしら」
「何か変わったと思います」
鋭い目の光でだ。ロンメルはグレシアに答えた。
「以前の彼とはどうも」
「具体的にどう変わったというのかしら」
「陰が。隠している様なものがあります」
それをだ。彼は言ったのだった。
「陰があるといいますか」
「陰、ね」
「妙です。最近それに気付いてきました」
「ロンメル元帥はそう思うのね」
「はい」
その通りだとだ。ロンメルはまた答えた。
「以前は明朗闊達な男だったのですが」
「ロンメル提督の見方はわかったわ。じゃあ」
続いてだった。グレシアはマンシュタインに顔を向けて彼にも問うた。
「マンシュタイン提督はどう思うかしら」
「妙な男ではあります」
マンシュタインは重厚な声で答えた。
「経歴にも謎が多く行動にもです」
「謎が多いわね」
「はい、実に」
そうだというのだ。
「士官学校を中退した理由からです」
「妙なものがあるわね」
「これは私の見たところですが」
前置きからだ。マンシュタインは述べた。
「奸臣やそうした感じがします」
「そうね。私も二人と同じ意見よ」
警戒する目になっていることはグレシア自身もわかっている。
そしてその目でだ。こう二人の元帥に述べた。
「とりあえずレーティアの傍から離すべきね」
「はい、妙な感じが否めません」
「それでいいかと」
ロンメルとマンシュタインも頷いた。二人の重鎮達の考えは一致していた。
「北欧に離しこれ以上の権限は与えない」
「そうしましょう」
「よし、わかったわ」
二人の元帥の言葉も受けてだ。グレシアは決断を下した。
そしてそのうえでだ。こう言ったのだった。
「じゃあヒムラーは一時北欧に行ってもらうわ」
「まさかと思いますがね」
古い友人であるロンメルは複雑な感情をその顔と声に見せていた。
「悪い奴じゃなかったですから」
「なかった、なのね」
「士官学校の頃は真面目で気さくな奴でした」
それがかつての、ロンメルが知っているヒムラーだったというのだ。
「後輩の面倒見もよくて。ですから」
「私もそうした人間であって欲しいけれどね」
悪人でないに越したことはないというのだ。
「けれど北欧の後はね」
「バルバロッサ作戦に参加してもらいますか」
「これは絶対よ。バルバロッサ作戦にはドクツの命運がかかっているわ」
グレシアの顔は曇った政治のものから厳しい戦争のものになった。
「敗れる訳にはいかないわ」
「まずはソビエトを倒してですね」
「そのうえで欧州に生存圏を確立させましょう」
ロンメルだけでなくマンシュタインも言う。
「その為にもですね」
「ソビエトとの戦いには全力を注ぎ込まなければなりません」
「親衛隊もあれば最初から投入するつもりだったけれど」
グレシアはまたロンメルを見て話す。
「できればロンメル元帥とプロイセン君達もね」
「バルバロッサ作戦にですね」
「参戦してもらいたかったけれどね」
グレシアはレーティアと同じ考えだった。
「仕方ないわね。アフリカのことがあるから」
「一刻も早くスエズを占領してそこからソビエトに入りたいですが」
「それは可能かしら」
「確かに攻めてはいます」
これは事実だった。しかしだった。
「スエズの守りは堅固です。そうおいそれとは」
「攻略できないわね」
「戦力の関係もありますがそれ以上に」
「イタリンが、なのね」
「はい。総帥を含めて善人ですが」
だがそれでもだというのだ。
「戦争については」
「まあねえ。イタリアちゃんだからね」
グレシアは仕方ないわね、といった苦笑いになって述べた。
「あの子達は戦争は苦手だから」
「あれがまたいいのですが」
マンシュタインはここではぽつりと述べた。だがだった。
「しかし。共に戦う場合は」
「全く頼りにならないのよね」
「とりあえず攻めていきますので」
ロンメルはグレシアにこのことは約束した。
「スエズを攻略したならば」
「そこからソビエトに入ってね」
「そうします。カフカスを狙います」
「ソビエトは広いから」
多くの星域を持っている。ソビエトは最も多くの星域を持っている国家でもあるのだ。
「レーティアは短期決戦を挑むつもりよ」
「即座にモスクワを攻略するのですね」
マンシュタインがグレシアに具体的な作戦を尋ねた。
「ドクツから全軍で攻め込み」
「そうなるわね。総司令官は貴方で」
他ならぬだ。マンシュタインがそれを務めるというのだ。
「トリスティン提督にベートーベン提督」
「そして親衛隊ですね」
「後か祖国君達、残っている国家全てでね」
攻めると言うのだった。そしてだった。
グレシアはあらためて二人の元帥に告げたのだった。
「ではそういうことでね」
「はい、バルバロッサやスエズの準備と共に」
「親衛隊長の処遇もその様に」
「進めるわよ」
こう言ってだ。そのうえでだった。
グレシアからレーティアに話した。このことを。
「どうかしら。それで」
「ヒムラーを北欧に向かわせるのか」
「親衛隊の主力もね」
「バルバロッサ作戦開始までには時間がある」
まずはこのことから言うレーティアだった。
「今親衛隊を北欧に送っても問題はない」
「そうでしょ。だからなのよ」
「北欧の治安は万全にしておきたい」
こうした政治的判断も出た。
「それではだな」
「ええ、それじゃあいいわね」
「わかった」
レーティアは頷いた。こうしてだった。
ヒムラーは正式に北欧に派遣されることになった。ていのいい一時的な左遷だった。だがヒムラーはそれを受けても平然としてだ。こう僅かな腹心達に話した。
「かえって好都合だな」
「北欧だからですか」
「それ故にですね」
「ああ、だからだよ」
余裕綽々の感じのいつもの軽い顔での言葉だった。
「北欧にはあれがいるらしいからな」
「サラマンダーですね」
「あれがいますね」
「その噂がありますね」
「そうさ。だからだよ」
こう言ってだ。ヒムラーはその左遷を快く受けた。この話を聞いてだ。
グレシアは己の席からだ。こう言ったのだった。
「何でにこにことしてるのかしら」
「内相ですか」
「北欧に行かれるというのにですね」
「ええ、左遷なのよ」
それはヒムラーもわかっている筈だ。彼とて愚かではないからだ。
「それでどうしてなのかしら」
「そうですね。おかしいです」
「何故あそこまで明るいのか」
「サ船であることは間違いないのに」
「それがどうして」
「まるでね」
グレシアの勘が動いた。レーティアをも見出したその勘が。
「北欧に待ち望んでいるものがあるかの様にね」
「北欧は極寒の地ですが」
「雪と氷の星域です」
「そこにあるといえば何でしょうか」
「それは一体」
「アルビルダ王女みたいな可愛い娘はいるけれど」
グレシアは美女、美少女はいると述べた。
「けれどそれでもね」
「何かが違いますか」
「それでも」
「ええ、美女以上の何か」
また言うグレシアだった。
「それがあるみたいね」
「問題がそれが何か、ですね」
「一体何なのか」
宣伝省のスタッフ達も首を傾げていた。
そしてそのうえでだった。彼等も首を捻って述べた。
「とにかく北欧への一時左遷は決まりました」
「ではそのままいきましょう」
「とりあえずは」
「ええ。少なくとも今ベルリンに置くよりはいいわ」
自分の地位を脅かされることも気になるがそれ以上にだった。
レーティアにさらに取り入り何かをするのではないか。その危惧からだった。
グレシアはヒムラーを北欧に送った。そうしたのだった。
そのヒムラーは北欧に入るとすぐにだ。真の意味の腹心達にこう囁いた。
「じゃあいいな」
「はい、氷の中を調査して」
「そのうえで」
「伝承の通りならここにいるんだ」
このだ。北欧にだというのだ。
「いや、隠れているんだ」
「あの大怪獣が」
「ここに」
「まあバルバロッサ作戦には間に合わなくてもね」
それでもだというのだった。
「あれは我々にとっての最大の切り札になるからね」
「そうですね。ソビエトに対しても」
「そして他の国々に対しても」
「俺は正直なところあの戦争はどうでもいいんだ」
バルバロッサ作戦の成否、それはだというのだ。
「ドクツが勝とうが負けようがね」
「大事なのはそうではありませんね」
「別のことですね」
「そうさ。我がドーラ教がどうなるか」
問題はそこだというのだ。
「それが問題なんだよ」
「総統閣下はドーラ教を弾圧されています」
「それが問題です」
腹心達は顔を曇らせてヒムラーにそっと囁いた。
「カルト教団とみなして」
「そのうえでそうされていますので」
「やれやれだよ。ドーラ様を信仰されないとはね」
「はい、由々しきことです」
「まさにドーラ様こそが最高にして唯一の神だというのに」
「あの娘への懐柔をしたかったんだがね」
ヒムラーは今本性を出した。レーティアへの忠誠心を。
「一時ってことだね」
「それはバルバロッサ以降ですか」
「それからになりますね」
「そうよ。それからだよ」
こうも言うのだった。
「もっとも。さっきも言ったけれど俺はね」
「バルバロッサの成否は問題ではない」
「そうなのですね」
「若し今のドクツが倒れてもどうにでもなるさ」
バルバロッサにドクツの全てがかかっているというのが他のドクツの高官達、国家元首であるレーティアも含めて共通した考えだった。
だがその中でだ。ヒムラーだけはこう言うのだった。
「俺の場合はね」
「そうですね。我々にしてはですね」
「それでも構いませんね」
「もう一人のあの娘。ソビエトのね」
今度はカテーリンだった。
「あの娘もこれがあればね」
ヒムラーは手袋を取った。その手には。
赤い石があった。カテーリンのものと同じものがあった。その石を見ながらだ。
ヒムラーは満足している顔で笑ってだ。こう腹心達に言ったのである。
「どうにでもなるさ」
「はい、我々が居座るべき国家も」
「そこもですね」
「ソビエトに勝てばそのままドクツのあの娘を洗脳していく」
バルバロッサ作戦が成功すればだというのだ。
「そしてソビエトが勝てばね」
「ソビエトのあの娘をですね」
「洗脳しますか」
「そうすればいいだけさ」
何でもないといった口調だった。
「じゃあいいね」
「はい、それでは」
「そうしましょう」
「俺のこの石と」
ヒムラーはまた見た。己のその右手を。
そしてそのうえでだ。こうも言ったのだった。
「ここに眠るサラマンダーがあれば」
「誰も手を出せませんね」
「例えレーティア=アドルフでもカテーリンでも」
「そうさ。出来る筈がないさ」
自信に満ちた声だった。倣岸なまでの。
「じゃあ早速探すか」
「はい、それでは」
「そうしましょう」
こうした話をしてだった。彼等は。
氷の中を調べていった。だがこのことは。
レーティア達は気付いていなかった。無論グレシアもだ。
レーティアはバルバロッサ作戦の計画を進める中でだ。こうグレシアに尋ねたのだ。
「北欧のヒムラーだが」
「ええ。彼がどうしたのかしら」
「北欧で真面目に仕事をしているそうだな」
「そうね。治安回復に務めているわ」
グレシアもそう見ていた。気付いていなかった。
「その様ね」
「いいことだ。やはりヒムラーは政治家の適正もある」
人間のそうした適正は見ていた。ヒムラーのその能力、資質は見抜いていたのだ。しかし彼の裏の顔、本性については全く見えていなかったのだ。
それ故にだ。今は能天気なまでに言ったのである。
「内相の仕事を任せていて問題はない」
「そうね。政治力はあるわね」
「元々軍人畑だがその才能はあるのだな」
「それはいいけれどね」
グレシアもヒムラーの政治力は把握していた。しかしだった。
「まあ。レーティアはね」
「私が?何だ」
「いえ、仮面は知っているかしら」
ここでだ。グレシアは真面目な顔でレーティアに問うた。
「仮面はね」
「仮面?急に何だ」
「人の素顔よ。素顔のことはね」
「人には表の顔と裏の顔があるということか?」
レーティアもこの歳で一国の国家元首になった訳ではない。その勘も尋常なものではない。
だがまだ若い、幼いと言ってもいい。
それでだ。彼女は気付かずに言ったのである。
「そのことだな」
「そうよ。そのことは知っているかしら」
「知っている。今まで色々なものを見てきた」
レーティアはここで過去を思い出した。己のその過去を。
「私もまたドクツに、いやオーストリアにいたからな」
「この前までドクツもオーストリアも酷いものだったからね」
「敗戦により全てを失った」
このことをだ。レーティアはグレシアに忌々しげに述べた。
「敗北で全てを失った我々はエイリスとオフランスにさらに徹底的に搾り取られた」
「それこそ檸檬の種までね」
「何もかも奪われた。生きる糧さえも」
「ドクツにあるのは絶望と」
「失業と餓えだけだった」
まさにだ。あるものは暗闇ばかりだったのだ。
「その中で誰の心も荒み」
「嫌なことばかりだったわね」
「絶望は人の心の闇を露わにしてしまう」
レーティアは今このことを言った。
「仮面の裏をな」
「私が言うそのことをだというのね」
「善人だと思っていたのにだ」
これもだ。レーティアの過去だった。
「人を騙し裏切りだ」
「そしてよね」
「そうだ。生きる為に、だがそこからだ」
「醜い裏の顔を誰もが出していたわね」
「それがかつてのドクツだった」
絶望の中でだ。そうしたものも露わになったのである。
「私の家族もその中で皆死んでいった」
「お父様もお母様もよね」
「エヴァもだ」
レーティアは泣きそうになった。グレシア以外には見せない顔だった。
そしてその顔でだ。こうも言ったのだった。
「私の目の前で痩せ細ってだ」
「そしてだったのね」
「死んだ。ミルクが飲みたいと言って」
「誰も妹さんを助けなかったのね」
「私はエヴァの為に。少しのミルクでも手に入れようとして」
そしてだ。何をしようとしたかというのだ。
「街中、当時私達が住んでいた街を駆け回って助けをこうた。だが」
「誰もだったのね」
「冷たく突き放され断られただけだった」
突き飛ばされ倒れ込む。レーティアはその過去も思い出した。
「そしてエヴァは遂にだ」
「貴女の目の前で」
「死んだ・・・・・・小さく冷たい手だった」
妹が死ぬその手をだ。握ったがそれでもだったというのだ。
「力もなく。弱々しい手だった」
「貴女も。見てきたのね」
「私は全てを失った。誰も助けてはくれなかった」
それがだ。レーティアが見てきたものだった。
「私は見たのだ」
「人の仮面の裏を」
「見た。御前が言うそのものをだ」
「そうね。私が間違っていたわ」
レーティアのそのあまりにも辛い過去、その話の前にだ。
グレシアは納得したのだ。それも確かに仮面の裏だった。しかしだった。
この時グレシアも気付いていなかった。レーティアは人の裏の顔、仮面の裏は確かに知っていた。しかしその仮面の裏は決して一つではないということに。
このことに気付いていなかった。それは生粋の邪悪と言うべきものだということを。
気付かないままだ。グレシアは言うのだった。
「貴女がわかっているのならね」
「ああ・・・・・・」
レーティアは何とか涙を堪えながら小さく頷いた。
「そうしてもらえば嬉しい」
「御免なさい、変なこと言ったわね」
レーティアのその心を気遣っての謝罪だった。
「もう絶対に言わないわ。二度とね」
「そうしてくれるか」
「そうするわ。じゃあ」
「じゃあ、か」
「これから苺ジュースでもどうかしら」
レーティアを気遣ってだ。彼女の好物を勧めたのだ。
「それを飲むかしら」
「苺ジュースか」
「そうよ。今からミキサーにかけて作るけれど」
「そうだな。それよりもな」
レーティアは幾分か気持ちを取り戻してそのうえでグレシアに答えた。
「チョコレートがいいな」
「あれね」
「食べる方だ」
そちらのチョコレートをだというのだ。
「飲むのはココアだな」
「それでいいのね」
「一緒に食べないか?」
レーティアはグレシアにもチョコレートとココアを誘った。
「そうしないか」
「そうね。ただね」
「ダイエットか」
「チョコレートが好きなのはわかるけれど」
苺ジュース以上のだ。レーティアにとっては大好物なのだ。だがチョコレートは菓子である。グレシアがここで注意するのはこのことだった。
「カロリーには注意してね」
「ダイエットか」
「そう。太めのアイドルもいるけれどね」
「ムッチリーニ総帥はそうした節制はされていないそうだな」
「元々太らない体質でしかも胸にいくみたいね」
「また随分有り難い体質だな」
「まあそういう人もいるけれどね」
だが、だ。レーティアはどうかというのだ。
「レーティアは気をつけないと駄目よ」
「チョコレートにもか」
「あと肉食も駄目よ」
これも禁じるのだった。
「レーティアは元々お肉は好きでないけれどね」
「肉食は太るからな」
これはレーティアもわかっていた。
「だからな。それはな」
「守ってね」
「あと魚も食べていない」
肉だけではないのだ。レーティアの菜食主義は徹底していた。
「料理にラードも使っていない」
「本当に徹底してるわね」
「しかしそれでいいのだな」
「ええ、そうあるべきよ」
それで正しいとだ。グレシアもレーティアに話す。
「お酒も飲まないしね、レーティアは」
「ビールも駄目だったな」
「あれも太るのよ」
ドクツ人の大好物のだ。それもだというのだ。
「だから厳禁よ」
「わかっている」
「とにかく。気をつけることは何でもね」
「気をつけるに越したことはないか」
「貴女はアイドルでもあるから」
ファンシズム、まさにそれの具現者なのだ。
「頼んだわよ」
「チョコレートもか」
大好物に制限がかけられるとなってだ。レーティアは苦い顔になっていた。
「やれやれだな」
「どうせなら砂糖を入れないチョコレートはどうかしら」
「そんなものはただ苦いだけだ」
カカオの苦さ、それだけがあるというのだ。
「美味いのか」
「いえ、美味しくないでしょうね」
「それでは意味がない」
難しい顔で言うレーティアだった。
「甘くないチョコレートなぞな」
「本当にレーティアは甘党よね」
「駄目か?それは」
「人の好みはそれぞれだからね」
それでだとだ。グレシアはこう言った。
「まあそれでもね。太るってことはね」
「頭の中にいつも入れておかないといけないな」
「そういうことよ。太めアイドルになりたくないならね」
「私が太るとな」
自分でもだ。レーティアはわかっていた。
それでだ。こう言うのだった。
「どうも今一つ似合わないな」
「貴女は今が一番いいのよ」
「そうなのか」
「小柄で胸がなくて」
「いや、胸がないことはまずいのではないのか?」
「甘いわ!」
急にだ。グレシアは強い声になった。
そしてだ。こう言ったのだった。
「貴女は何もわかってないわね。胸はね」
「大きくないと駄目ではないのか?」
「巨乳には巨乳の、貧乳には貧乳の素晴しさがあるのよ」
「そうなのか」
「ええ、そうよ」
グレシアは胸、その豊かな胸をぶるぶると振るわせながら胸を張って豪語する。少なくともその胸はレーティアのそれを圧倒している。
「じゃあ聞くけれど貴女は大柄な男の人しか好かれないと思うかしら」
「ドクツは比較的大柄だが」
ドクツ陣の特徴の一つだ。
「しかしそうでもないだろう」
「そうね。小柄な人でもいいという娘はいるわね」
「私がマンシュタインと共に歩く」
ドクツ軍人の中でもとりわけ大柄な彼の名前が出る。
「どう思う」
「大人と子供ね」
「私は背にはそれ程コンプレックスを持っていないが」
胸とは違っていた。このことについては。
「しかしマンシュタインと共にいるとだ」
「背が違い過ぎるわね」
「困る。そういうことだな」
「そうよ。だから小柄な男の人がいいという人もいるのよ」
そしてだというのだ。
「胸も同じよ」
「そうなるのだな」
「ええ、そうよ」
また言うグレシアだった。
「わかったら。いいわね」
「胸が小さいこともか」
「貴女のチャームポイントと認識することよ」
「そうなるのだな」
「ムッツリーニさんみたいなタイプもいるけれどね」
胸の大きいだ。グレシアと同じく。
「それでもだからね」
「ならいいのだがな。しかしだ」
「しかしっていうと?」
「私はあの人は嫌いではない」
レーティアは今度はムッチリーニについて話した。
「むしろ好きだ」
「それもかなりよね」
「正直北アフリカの件が呆れたがな」
「予想を遥かに超える弱さだったわね」
「全く。あの時は焦った」
さしものレーティアもだ。そうなったのだ。
「だがそれでもだ」
「悪い人じゃないのよね」
「ユリウス提督もな。あれでな」
「イタちゃん達もね」
グレシアはイタリア達にはとりわけ親しみを見せてにこにことして言った。
「悪人じゃないのよね」
「むしろ明るくて楽しい善人だな」
「どう?イタリンとの同盟のことは」
「これからも継続したい」
あまりメリットがないように思えてもだった。レーティアはこの選択肢しか選ぶつもりはなかった。
「ドクツとしてな」
「提督達も祖国君達も同じ考えだからね」
ドイツもだ。何だかんだ言ってだ。
「安心していいわ。祖国君ちょっと来て」
「何だ?」
呼ばれてすぐにだった。そのドイツが来た。国家である為自分の国の中では自由に行き来できるのだ。それ故にすぐに来たのである。
「呼んだか」
「ええ。祖国君はイタちゃん達をどう思うかしら」
「困った奴等だ」
実際にそうした顔になり目を閉じてだ。ドイツはこうグレシアに答えた。
「弱いにも程がある。いい加減だしな」
「それでも嫌いかしら」
「いや、嫌いではない」
ドイツも正直に答える。
「むしろ好きな方だ」
「ほらね。祖国君もこうでしょ」
「わかりやすいな、実に」
レーティアも言う。そのドイツを見て。
「祖国君はイタリア君達と昔から親交があるからな」
「そうそう。お友達だからね」
「そのことは否定しない」
ドイツもだった。イタリアについてはこう言うのだった。
「目を離せない奴だ」
「不思議だな、イタリンは」
レーティアは自分の執務机で首を振りさえした。
「あれだけ弱く困るがそれでも嫌いになれない」
「愛嬌があるのよ。無邪気で」
「そうだな。ではこれからもな」
「ええ。あの総帥さんともイタちゃん達ともね」
「仲良くやっていこう。祖国君もそれでいいな」
「無論。異論はない」
ドイツはドクツの敬礼で応える。三人は誰もイタリアを嫌ってはいなかった。むしろ親しみを感じながらだ。彼等との同盟を大切にしていくのだった。
TURN30 完
2012・6・8
ヒムラーがこそこそと動き回っているな。
美姫 「とは言え、既に何かあるというのは勘付かれているわね」
そこの辺は流石はグレシアと言った所だな。
美姫 「でも、今回の人事は逆にヒムラーにとっては有利になったみたいだけれどね」
幾らなんでもそこまでは分からないだろうしな。
美姫 「ここからどうヒムラーが動いていくのかよね」
だな。次回も待っています。
美姫 「待ってますね〜」