『コシ=ファン=トゥッテ』




                                第二幕  見事な大団円 

 朝デスピーナがチョコレートを摘み飲みしていたその部屋で。フィオルディリージとドラベッラは困り果てた顔をしていた。その横にはデスピーナが立っている。
「ささ、チョコレートを」
「ええ」
「有り難う」 
 大きな窓のすぐ側の席に向かい合って座る姉妹はまずはそのチョコレートを受け取る。白いカップに注ぎ込まれたその黒いチョコレートが見える。
 しかし姉妹はそれに手をつけず。ただそこに俯いて座っているだけであった。デスピーナはそれを見てそと声をかけるのであった、狙ったタイミングで。
「おや、どうされました?」
「どうって」
「それは」
「ですからですよ」
 またここぞとばかりに言うデスピーナだった。
「迷えばです」
「迷ってはないわ」
「私もよ」
 姉妹は少しムキになってデスピーナの今の言葉に言い返した。
「そんなのはとても」
「ないわよ」
「私はお嬢様方の忠実な友人ですよ」
「ええ、それはわかってるわ」
「私もよ」
 姉妹は何だかんだでデスピーナを信頼し好きである。これはデスピーナも同じで実のところ三人はそれぞれ親しい間柄なのであったりする。
「それはわかってるわ」
「頼りにしてるわ」
「では私が言いたいことはわかりますね」
「わかっているからこそよ」
「それだけは」
 やはりここでも拒む姉妹であった。
「駄目なのよ、何があっても」
「神に誓って」
「神は寛大ですよ」
 デスピーナはドラベッラが神の名を出すとここでも仕掛けた。
「必ず許して下さいますよ」
「ではどうしろというの?」
「それで」
「ですから」
 そしてまた言うのだった。
「恋は楽しむものですよ」
「また言うのね」
「その言葉を」
「どんなチャンスも逃がさずに」
 このこ考えは変わらないのだった。
「心変わりも操を守るのもその時次第ですよ」
「その時代次第って」
「やっぱりいい加減なのじゃ」
「殿方を上品に惹きつけそれで信用し過ぎないように」
 デスピーナの言葉は続く。
「あれもこれも召し上がられて」
「まるでお菓子じゃない」
「あれもこれもって」
「そう、恋は甘いお菓子のようなもの」
 そのタイミングでチェリーパイを出してみせてきた。
「ささ、これもどうぞ」
「あっ、有り難う」
「それじゃあ」
 姉妹はその出されたパイを見ながら礼を述べる。見れば少しずつではあるが彼女達はチョコレートも飲みはじめているのであった。
「とにかくですよ」
「ええ」
「どうすればいいの?」
「楽しむことです」
 またこう言うデスピーナだった。
「恋を」
「貴女はそう言うけれど」
「私達はそれは」
「誰でもできることです」
 デスピーナの方が一枚上であった。
「そう、誰にでも」
「とんでもないこと言うわね」
「そうやって私達を悪の道に誘うの?」
「女の勝利の為には御二人もやられることです」
 今度出したのは女の勝利だった。
「殿方達は出陣されています」
「だからこそ貞節でいないと」
「余計にそうでなければ」
「兵隊さんがしていることをするだけです」
 また兵士のことを話すのだった。
「それだけです。つまり新兵を募集してです」
「それでは神が怒られるわ」
「天におわす神が」
「ここは地上ですよ」
 またしても姉妹の言葉をあっさりと返してしまった。
「ですから私を信じて下さい」
「こういう時の貴女は危険だから」
「信じると何かいつも悪いことをしてしまっている気がするわ」
「それは気のせいです。宜しいですか?」
 姉妹の言葉は受け流され続けている。
「あのアルバニア人の方々はお嬢様方を好きなのですよ」
「それはそうでしょうけれど」
「私達は」
「自分を好いてくれる人を嫌ってはなりませんよ」
 そうしてまたしても己の恋愛観を語ってみせる。
「そう、何人でも」
「何人でもって」
「やっぱり貴女十六歳ではないんじゃないの?」
「れっきとした十六歳ですよ」
 しかし本人はこう言う。
「その花の十六歳の言葉ですが」
「私の十六の時はこんなのじゃなかったけれど」
「私も」
 姉妹から見てもデスピーナはかなりとんでもないところがあった。
「貴女の過去がかなり気になるけれど」
「何があったのかしら」
「そう、その私の言葉です」
 その言葉を受けたうえでまた話す。
「お金持ちで紳士で優しい。アルフォンソさんの仰るように」
「素晴らしい方だというのですね」
「つまりは」
「そういう方に冷たくしてはいけません。何があっても」
「何があっても」
「じゃあ少しは」
 また揺れ動く。しかしこれこそがデスピーナの願う方向だった。
「優しくしてあげないといけないのね」
「少しだけなら。いいかしら」
(まんざらではないみたいね)
 そしてこのことはデスピーナに読まれていた。
(じゃあ後は丁寧に仕込んでいって)
「グリエルモを裏切って」
「あら、そんなこと言っていませんよ」
 フィオルディリージの言う裏切りというのは否定する。
「私は一言も」
「けれど私達があの人達と仲良くなったら」
 ドラベッラも言う。
「フェランド達が」
「それには安全な方法がありますよ」
 それを知らないデスピーナではなかった。
「それも確実な方法が」
「確実な方法!?」
「そんなのがあるの」
(前から思っていたけれど少し世間知らず過ぎるわね)
 姉妹のそうしたところについても考えた。
(まあそれだからこそ誘導し易いわね)
「その方法はです」
 内心の言葉を隠してまた姉妹に話す。
「アルバニア人の方々が私達に会いに来るものだと世間に思わせることです」
「そんなことできるの?」
「私はいつも数人の殿方をお付き合いしていますので」
 胸を張っての主張だった。小柄だが胸はある。
「それで誰も不思議には思いませんよ」
「けれどあの御二人は」
「あつかましいから」
 接吻を求めた時のことを思い出しての言葉だった。
「あの時だって接吻を求めてきたし」
「そんな人達なのよ」
(そんなの常識でしょうに)
 また心の中で呟くデスピーナだった。接吻なぞ彼女にとっては普通である。
(まあいいわ)
「あれは薬のせいですよ」
 心の中の言葉は隠し続けまた話す。
「それで目が回って動転してのことですよ」
「だからなのね」
「あの時は」
「そうです」
 強引にそういうことにしてしまった。
「慎み深く行儀がよく控えめで優しくて」
「よい方なのね」
「本当は」
「ですから少しでもお話をされることです」
(それで話は終わりよ)
 心の中の言葉は相変わらず本音の言葉だった。
(もうそれでね)
「女は十五になれば世の中のことは一通り知らないといけませんよ」
「一通りなのね」
「そうです。悪魔の尻尾は何処にあるのか」
 フィオルディリージに対して述べる。
「善いことと悪いことの区別は何か。恋人達をくすぐる手管も知らなくては」
「いけないの?」
「そうです。作り笑いに嘘泣きができないと」
 やはり彼女の得意なのはこれだった。
「言い訳も上手くできないと。一瞬のうちに百人の男に気を配り」
「百人!?」
「それはまた凄いわね」
「目配り一つで千人の男に意を伝え美男でも醜男でも全ての男に気を持たせ」
 つまり彼女の付き合った男には色々いるということだ。
「慌てずに自分を隠して赤くならずに嘘をつけないと」
「駄目だというの?」
「女はそうでないと」
「玉座の上の先の陛下の如く」
 マリア=テレジアのことである。ハプスブルク家中興の祖として知られ十六人の子を持つ偉大な母親でもあった。神聖ローマ帝国の実際の主だったのだ。
「男性を導かなければ」
「陛下の如く」
「あのように」
「そうです。先の陛下はお見事でした」
 彼女の夫フランツ=シュテファンは確かに神聖ローマ帝国皇帝だったが実際は妻が国内及び国外の政治を行っていた。美男子でもあり他の女性に気を向けることもあったが常に妻にそのことを察知されてそのうえで知らないうちに浮気を防がれ続けていたのだ。
「あのようにです」
「そうね。陛下のようになら」
「私達も」
「流石に陛下の御名前を出すと効果抜群ね」
 これまたかなりの論理のすり替えだったが二人を乗せることはできた。
(さて、後はかなり楽ね)
「ではお嬢様方」
 ここまで話したうえでにこりと笑って姉妹に告げた。
「私はこれで。洗濯をしてきますね」
「ええ、御願いね」
「頼んだわ」
「はい、それでは」
 一礼してから去るメイドを見送ってから。二人はまた顔を見合わせて話すのだった。
「どう思うの?貴女は」
「デスピーナはね」
 ドラベッラはフィオルディリージの言葉に応えて述べた。
「ああいう娘じゃない」
「十五にって。その時からあれだけわかってたのね」
「百人や千人って」
 彼女の白髪三千丈も読めなかった。
「そこまで知ってるっていうのは」
「何なのかしら」
「それでもとにかくよ」
 フィオルディリージの言葉は厳しい。
「あの娘の言葉を聞いたらよ」
「大変なことになるのね」
「あれは誘惑を」
 顔を顰めさせ妹に告げる。
「聞いたら駄目よ」
「けれどあの娘は悪いことじゃないって」
「人の噂になるのは悪いことよ」
「デスピーナに会いに来ているって噂でも?」
「駄目よ、それでも」 
 姉はあくまでお堅い。
「それでもね」
「わからなかったらいいお話でないの?」
 しかし妹は言うのだった。
「それで。噂になってもあの娘に会いに来たってことで」
「けれど実際に会うのは私達よ」
「変わらないわよ」
 妹の方が先に心が動いていた。
「ちょっと遊んだら今のこの塞いだ気持ちも晴れるわ」
「そうなの?」
「それに操に傷がつくわけでもないし」
「少しお話しただけならね」
「そういうこと」
 しかしここから全ては崩れていく。姉妹はこのことがわかっていなかった。
「それならいいでしょ。どうかしら」
「貴女の好きなようにすればいいわ」
 フィオルディリージは今はこう言うのに留めた。
「それでね」
「あら、姉さんは乗らないの?」
「後で大変なことになるのは嫌よ」
 こう述べて顔を顰めさせる。
「罪を犯すことは」
「気をつけていれば大変なことにもならないし罪も犯さないわ」
 やはりわかっていないドラベッラだった。
「けれど相互理解を進めるならよ」
「そうした場合には?」
「ええ。お姉様はどちらがいいの?」
 じっと姉の目を見て問う。
「あの二人のナルシスのうちどちらが」
「ちょっとわからないわ」
 フィオルディリージは首を傾げてそのうえで妹に言葉を返した。
「貴女が先に選んで」
「実はもう決まってるの」 
 ここで少し笑って述べるのだった。
「もうね」
「それで誰なの?」
「あの背が高くて茶色の髪の人よ」
「あの人なの」
「ええ、あの人」 
 こう述べるのだった。
「あの人がいいと思うのだけれど」
「じゃあ私は黒髪の人ね」
 それぞれグリエルモとフェランドを選ぶのだった。
「そうなるわね」
「甘い囁きにはふざけたお答えで」
「溜息には溜息の真似で」
 ドラベッラもフィオルディリージはそれぞれ言う。
「愛しい人、私は死ぬなんて言って」
「私の宝と言って」
「それで気晴らしをすればいいのよ」
「そういうものなのね」
「あっ、こちらでしたか」
 そしてまたここでアルフォンソが部屋の中に来た。姉妹は扉の方のチャイムには気付かなかったのだ。
「御二人共こちらにおられたんですね」
「あらっ、アルフォンソさん」
「今日はよく来られますね」
「そうです。すぐにお庭に来て下さい」
 こう告げるのである。
「喜びがそこにありますよ」
「喜びがですか」
「はい、そうです」
 肩で息をしていた。どうやら走ってきたようである。
「音楽に歌に。輝かしい光景です」
「!?何なのかしら」
「わからないわよね」
「ええ」
 フィオルディリージにもドラベッラにもわかりかねた。
「お庭で何が?」
「それにしても今日のうちのお庭はとても騒がしいわ」
「魅力がそこにあります。ですから」
 とにかく姉妹を庭に連れ出した。まるでそれぞれの背中を押すようにして。そうして出てみた庭には。小舟が船着場にあった。そしてそこからは。
「またあの人達が」
「今度は色々な人達と一緒ね」
 フェランドとグリエルモが小舟から降りてきていた。そうして多くの歌手や演奏者達を従えていた。そうしてそのうえで姉妹に対して優しく歌うのだった。
「優しい風よ手を貸してくれ」
「私の望みに手を貸して」
「この溜息を、この心を女神の下に届けてくれ」
 こう歌うのだった。
「風よ、この悩みの種は何度も聞いたろう」
「それをあの人達に全て繰り返して欲しい」
「優しい風よ手を貸してくれ」
 後ろにいる歌手達も同じ歌を歌う。その歌がまず姉妹を出迎えたのだった。
「何、これ」
「この歌は」
「いやいや、御見事」
 アルフォンソは目が点になっている二人の横でにこにことして拍手していた。
「お疲れ様」
「いえいえ、それでは」
「これを」
 そして歌手や演奏者達は今度は花束の篭を持って来た。そうしてそれで庭のテーブルの上を飾るのだった。テーブルは瞬く間に美しい様々な花達で覆われてしまった。
「何ですか、これは」
「歌に花は」
「あらあら」
 そしてまたデスピーナが出て来た。
「またいらしたのですね。今度は派手なことで」
「いや、いとしい人の為なら」
「この程度は」
 フェランドもグリエルモもこう彼女に返す。それぞれの胸を抑えながら。
「頭の一番上から足の爪先まで震えています」
「恋をすれば手足もその恋に縛られ」
 また言うのだった。
「それでつい」
「言葉が出ないので」
「私からも御願いです」
 アルフォンソは呆然とする姉妹に対して述べたのだった。
「どうかここはせめてお声を」
「まあ少しなら」
「少しだけなら」
 二人はそれだけなら、ということにして前に出るのだった。心が。
「困ったな」
「そうだな」
 しかしここでフェランドとグリエルモはその調子を変えてきたのだった。
「いざとなったら」
「言葉が」
「それは大変です」
 アルフォンソはこれまた二人の側に立って演技をした。
「言葉が出ないのですか」
「どうにもこうにも」
「何と言えば」
「そうですか。わかりました」
 アルフォンソは俯いてしまった彼等の言葉を受けて頷くのだった。
「それではです」
「!?」
「私達に?」
「そうです」
 姉妹に顔を向けての言葉だった。
「一歩だけ。御二人は緊張して言えませんので」
「それで私達の方から」
「そうなのですか」
「はい、どうか憐れみを」
 また姉妹に告げた。
「どうかここは」
「それは」
「けれど」
「言葉がどうしても出ない」
「どうしよう」
「御願いします」
 アルフォンソは二人に味方して再び困惑している姉妹に告げた。
「御赦しを」
「一言だけでも話したいのに」
「心が強張ってしまって言えない」
 二人もここぞとばかりに言う。
「困った、これは」
「どうしたものか」
「この御二人の為にも」
 アルフォンソの姉妹への言葉が続く。
「どうか御願いします」
「それでは」
 そしてここで出て来たのはデスピーナだった。一応姉妹の側にはいる。
「御二人に代わって私が返事を」
「貴女が?」
「私達の代わりに」
「そうです。それではです」
 一歩本当に前に出て言うのだった。
「済んだことは済んだこと。過去は忘れましょう」
「えっ、過去を」
「忘れよと?」
「そうです、その奴隷の印の手枷は解いて私に腕をお貸し下さい」
「えっ」
「それって」
 姉妹は今の彼の言葉に唖然とする。
「私達は別に」
「そんなことは」
「これでいいわ。二人はもう」
「そうか。では私達の仕事は終わった」
 アルフォンソの言葉は見合いの仲人そのままだった。
「ここは退散しよう」
「そうですね。それでは」
さて、どうなるかな」
 ここでは小声でデスピーナのところに来て囁いた。
「あの娘さん達がどうなっていくのか見ものだな」
「そうね。これで落ちないと悪魔より尊敬できるわ」
 二人はにやにやとしてその場を後にした。これで四人だけになった。
 四人だけになると。まずはフィオルディリージが言うのだった。
「いいお天気ですね」
 まずは天気の言葉からだった。
「今日は」
「そうですね」
 フェランドが笑顔でそれに応える。
「少し暑いですけれどそれがまた」
「木も奇麗で」
 ドラベッラは木を見て話をしていた。
「緑が豊かで」
「実もいいですが葉がまた」
 グリエルモは彼女に向いていた。
「いい感じで」
「はい、とても」
「このお花のいいこと」
 フィオルディリージはフェランドに庭の端に咲くすみれを見せていた。
「あちらにもありますよ」
「そうですね。すみれもとても多い」
「少し歩きますか?」
 フィオルディリージから勧めたのだった。
「お庭を」
「はい、それでは」
 フェランドも微笑んで彼女の言葉に応える。
「どんなことでも貴女の仰るままに」
「まあ、それ程までに」
「いよいよだね」
 フェランドはここでそっとグリエルモに囁くのだった。
「正念場だよ」
「確かに」
 グリエルモも彼の言葉に頷く。
「頑張るようにな」
「わかってるよ」
「何をお話されているのですか?」
「彼にしっかりとお仕えするようにと」
 こうフィオルディリージに述べた。
「そう伝えたのです」
「そうだったのですか」
「はい、ではお散歩を」
 フェランドから言ってきたのだった。
「行きましょう」
「はい、それでは」
 二人は横に並んで庭の木立の間に入って行った。そして残された二人も。
「では私達も」
「そうですね・・・・・・うっ」
 しかしここで急に胸を抑えて苦しみだすグリエルモだった。
「どうされたのですか?」
「胸が急に」
 当然これも芝居である。
「痛みだして」
「毒のせいね」
 ドラベッラはそれを聞いてすぐに察した。
「それでこんなに」
「残酷な恋の火山でより強い毒を飲んでしまいました」
 そしてここでこんなことを言うグリエルモだった。
「その為に」
「ではかなり御身体が」
 屈み込むグリエルモの背中に手を添えて気遣う。
「熱いのですね。少し扇いだら」
「そういえば二人は」
「何処かに行きました」
 グリエルモはそれははっきりとわかっていた。だがあえてドラベッラの口から聞いたのである。
「けれど何処に」
「そうですか。ですが貴女は」
「私は?」
「酷い方です」
 不意にドラベッラを責めてきたのだった。
「とても。酷い方です」
「一体何を」
「私を見て笑っているのですから」
 こう言うのである。
「私はそのせいで死にます」
「死ぬ?またですか」
「そうです。そうでなければ」
 そして己の中に話に誘い込んでいく。
「同情の印を見せて下さい」
「ええ、わかりました」
 ドラベッラは彼の勢いに押されて答える。
「私にできることなら」
「本当ですね?」
「神に誓って」
 ここまで言ってしまった。
「絶対に」
(本気かな?)
 グリエルモは今の彼女の言葉を聞いて心の中で呟いた。
(まさか)
 しかしだった。それでも芝居は続けた。
「それではです」
「はい」
「これを」
 そう言って懐から差し出してきたものは。
「これをどうぞ」
「これは?」
「ペンダントです」
 見ればそれはハートのペンダントであった。それを差し出してきたのである。
「どうかこれを」
「ですがこれは」
「心です」
 また言うのだった。
「私の心です」
「貴方のですか?」
「そう、貴女への熱と悩みと苦しみに満ちた心の象徴です」
「ですがこれは」
 見たところ金と銀で造られている。それを見て思うことはであった。
「こんな高価なものは」
「受け取って頂けますか?」
「いえ」
 しかしドラベッラは首を横に振るのだった。しかも強く。
「貴方は酷い人です」
「何故そう仰るのですか?」
「私のように貞淑な女を誘惑しようとは」
(果たしてどうかな)
 グリエルモはそんなドラベッラを見て心の中で呟く。
(山が動いたんじゃないかな。だったら僕も軍人の名誉にかけてもっと攻めてみるか)
「愛しています」
 そしてこの言葉を出したのだった。
「貴女を」
「なりません」
「私は貴女のものです」
 また言うのだった。
「どうか」
「私を殺すのですか?」
 ドラベッラの顔が思い詰めたものになる。
「そんなことを言って」
「では一緒に」
 グリエルモも思い詰めた顔になって言ってきた。
「愛しい貴女と。それならばいいですか?」
「それは」
「どうか。だからこそ」
 ここでまたそのペンダントを彼女の前に見せて。そして囁く。
「このハートを貴女に。ですからどうか」
「いえ」
「どうか。何処までも共に」
「そこまで仰るのですね」
「そうです」
(悪いな、フェランド)
 ここでまた心の中で呟く。
(このままいってもな。悪く思うなよ)
「それは偽りではありません」
「そこまで仰るのなら」
 遂にそれを受けるのだった。ペンダントを。そして。
「これを」
「有り難うございます」
「けれど。私は」
 思い詰めた顔でまた言うドラベッラだった。
「私のものは上げられないわ」
「何故ですか?」
「もう私のものではないから」
 こう言うのである。
「だから」
「貴女のものではないと」
「そうです」
 グリエルモに対しても告げる。彼がグリエルモと気付かないまま。
「その通りです」
「それではです」
 グリエルモは半ば本気になってその彼女に問うた。
「貴女の胸で高鳴っているものは」
「若しも貴方が」
 ドラベッラはここでは彼のその言葉に合わせてきた。
「私に下さったのならこの胸で高鳴っているものは」
「それは何故か」
「どうしてこれだけ胸が」
 二人で言い合いはじめた。
「高鳴っているというの?」
「それは私も私のものではないから」
「では私は」
「そう、私は」
 ドラベッラもグリエルモも互いを見詰め合って話をする。
「自分は自分のものではなく」
「貴方のもの」
「そう、貴女のもの。だから」
 グリエルモは一歩前に出てそうして。そのペンダントをドラベッラの首にかけようとする。ところがであった。
「ここは」
「それでは」
 彼はそれを受けてそっと彼女を後ろ向きにさせた。そうしてそのうえでまた優しく言ってきた。
「何を?」
「これを」
 その後ろからかけさせたのだった。
「こうしてはどうですか?」
「後ろからなのね」
「奇麗な首だ」
 うっとりとしてドラベッラに囁く。
「そして貴女のペンダントは」
「はい」
 また向かい合っていた。グリエルモのペンダントはドラベッラの首にあり彼女のペンダントは彼の手の中にあるのだった。入れ替わりになっていた。
「私のものに」
「それは私が」
 ドラベッラはうっとりとして彼の手からそのペンダントを受け取って。そうしてそのうえで自分の手で彼の首にかけるのだった。その首に。
「こうして」
「有り難うございます」
「それでは私は」
「そう、私は」
 二人で言い合いそうして。
「このまま愛と心を交えさせて」
「新しい喜びと」
「甘い悩みと共に」
 二人は腕を組み合いそのうえで何処かへと消えた。そうしてそのうえで消えるのだった。
 そしてその頃フェランドは海辺の野原でフィオルディリージを追っていた。
「お話を聞いて下さい」
「いいえ」
 しかし彼女はフェランドを避ける。そうして野原の中を舞い続けている。
「なりません、それは」
「何故ですか?」
「貴方は酷い方です」
 拒む目でフェランドに言うのだった。
「私の心の平和を乱して」
「ですが私は」
「どうされるというのですか?」
「貴女を幸せにできます」
 これまた一途に言うフェランドだった。そしてフィオルディリージは何時の間にか彼の言葉を立ち止まって聞いていた。
「必ず」
「嘘です」
「御願いです、少しだけでいいんです」
 演技であるが必死であった。
「こちらを見て下さい」
「なりません」
 それすらも拒むフィオルディリージだった。
「それだけは。なりません」
「それならばです」
 ここでフェランドは無意識のうちに。駆け引きに入っていた。
「貴女がより優しい瞳で見て下さらないと駄目です」
「優しい瞳で」
「そうです」
 こう言うのである。
「どうか、私を見て」
「それはできません」
「ではその溜息は」 
 また駆け引きを仕掛けるのだった。
「何なのですか?」
「えっ!?」
「貴女は私の涙に耐えられない。優しい愛の気持ちにあがらうことはできない」
 こう言うのである。
「優しい愛の気持ちにあがらうことができない」
「それは嘘です」
「あの顔、あの溜息の仲から優しい光が私の中に射し込む」
 フェランドの言葉は続く。
「貴女は私の熱い望みに答えてくれた。もう貴女は優しい愛にほだされている」
「私にはそれは決して」
「しかしです。貴女は逃げて黙り」
 ここで言葉を変えてきたのだった。
「私の訴えを聞き流す。それは儚い望みです」
「そんなことを望まれても」
「貴女はまた僕に死を与えるのですか?」
 ここまで言って姿を消そうとする。フィオルディリージはそれを見て一人呟くのだった。
「行ってしまう。いえ」
「それでは私は」
「行かないで。いえ」
 迷いながら言うのだった。
「行ってしまった方がいいわ。私の弱さを見せなくて済むから」
 呟きを続ける。
「こんな試練を私に与えて。けれどそれは私の罪に相応しい報いよ」
 キリスト教の原罪意識であった。
「こんな時にどうして殿方の溜息なんか聞かなくてはならないの?」
「これで」
 フェランドは一礼して去る。フィオルディリージは何とか踏み止まった。
「人の嘆きを弄ばなくてはならないの?恋は正しくこの心に罰を与えるのね」
 こう思い込む。
「私の心は燃えてこの熱は清らかな愛でなくなってしまう」
 さらに呟きを続ける。
「この恋は狂った、苦しく。悔惜に満ちた軽はずみなものなのだから」
 そして言うのだった。
「グリエルモ、許して。この恋する過ちを。この木立と木陰に何時までも隠してしまいたい」
 一人になりさらに想いを強くさせていた。
「私の情熱と操はこの邪な望みを断ち切って私に恥と恐怖を与える記憶を追い払ってくれるわ」
 そしてこうも言った。
「この空虚な薄情な心は一体誰を裏切ったの?貴方の純潔にはよりよい報いがあるべきなのに」
 ここまで言いそのうえで野原を後にするのだった。その時フェランドは庭で一人になっていたグリエルモと話をしていた。その服の上着の前をはだけさせていた。
「やあ、グリエルモ」
 フェランドはにこやかに友人に挨拶をした。
「やったって?」
「僕達の勝利だよ」
「あれっ、そうなのか」
「ああ、フィオルディリージは貞淑そのものだよ」
 こう彼に話すのだった。
「完全にね」
「減点は?」
「一切ないよ」
 胸を張って言う。
「もうね。満点だよ」
「ほう、それは」
「話を聞きたいかい?」
 そして自分から言ってきた。
「よかったら話すけれど」
「是非共」
 グリエルモもそれにすぐに乗った。
「聞かせてくれるかな」
「うん、それじゃあ」
 グリエルモの言葉を聞いたうえで話をはじめる。その話は。
「庭で散歩しようということになって腕を貸して歩きはじめ」
「怪しくないかい?」
「それでまあ世間話をしたうえで話題が恋の話になって」
「それで?」
「わざと唇を震わせて涙を流し足元で死ぬと言ってやったのさ」
 口元に笑みを浮かべての言葉だ。
「そうしたらね」
「うん、それで?」
「最初はふざけてからかってきて」
 それでまた言う。
「話が変わってきて」
「それから?」
「こっちに同情する様子を見せてきて」
「おい、それはまずいんじゃないのかい?」
「それで砲撃を加えたんだよ」
 この辺りの言葉が実に軍人であった。
「あの人は愛しいグリエルモには鳩の様に貞淑だったよ」
「ははは、そうに決まってるさ」 
 グリエルモはそれを聞いて満面の笑みになった。
「フィオルディリージはそうなんだよ」
「僕に肘鉄を食わせて追っ払って逃げ出したんだ」
「よしよし」
「僕が証人になるけれど」
 こうまで言う。
「彼女は完全だよ。難攻不落だ」
「いいニュースだ、最高の気分だよ」
 グリエルモはここまで聞いて最高級のワインに酔いしれたような顔になっていた。
「有り難う。もう僕は満足だ」
「で、ドラベッラは?」
 フェランドは自分の恋人に対して尋ねたのだった。
「どうなんだい?勿論大丈夫なんだろうね」
「大丈夫かって?」
「疑ってはいないけれど」
 言いながらも少し引き攣った顔になっていた。
「全然ね。けれどどうなんだい?」
「疑いを持っていればね」
 しかしここでグリエルモは言うのだった。
「よかったんだけれど」
「えっ!?どういうこと?」
「どういうことって言われても」
「ああ、言っただけだから」
(尾ひれを付けて言ってやろうかな)
 少し意地悪な気持ちにもなるグリエルモだった。
「気にしないでくれ」
「まさかとは思うけれど」
「世の中疑ってみることも必要だよな」
「じゃあ早く言ってくれ」
 いい加減我慢できなくなっていたフェランドだった。
「ゆっくりと絞め殺されるのは勘弁だ」
「ではブラド四世のように串刺しは?」
「あれも御免だよ」
 あのルーマニアの専制君主である。あまりにも酷薄な統治と処刑を好んだのでこの時代においてもよく覚えられている人物なのである。
「絶対にね」
「そうか」
「からかってるんだろう?」
 次はこう言うフェランドだった。
「僕を。そうだろう?」
「自信はあるのかい?」
「彼女は僕しか愛してはいないんだ」
 無理矢理断言する感じだった。
「そう、絶対に」
「じゃあこれを見せるけれど」
 グリエルモは自分の首にあるそのペンダントを見せるのだった。
「これは何かわかるかい?」
「それはドラベッラの」
 ぎょっとした顔になって出た言葉だ。
「じゃあ本当に」
「そういうことさ。これでわかったね」
「よくわかったよ」
 彼は忌々しい顔でグリエルモに答えた。
「嫌になったよ」
「そうだろうな。まあ落ち着け」
「これを落ち着いていられるものか」
 フェランドは歯噛みして言うのだった。
「ドラベッラは僕を裏切ったんだ。それでどうして」
「だから落ち着くんだ」
 グリエルモはまた彼を制止した。
「怒っても何にもならないぞ」
「じゃあどうすれば」
「どうすればと言われると」
 グリエルモも困った顔になってしまった。
「ちょっとな。答えがない」
「それじゃあどうしようもないのか」
「まああれだ」
 しかしグリエルモはここで言いはじめた。
「女性諸君、君達はよく浮気をする。だから本当のところ恋人諸君の嘆きを聞いて僕は同情しているよ」
「同情で救えるのかい!?」
「救えないね。僕は君達女性諸君が大好きだ」
「それは僕だってだ」
「そう、これは誰も知ってるし毎日それを見せているし友情の印で捧げている」
 こう言っていく。しかしだった。
「だが」
「だが!?」
「そうやって沢山浮気されると本当にがっかりする。僕は何度も剣を抜いて君達の名誉を守ったのに」
「僕だってそうだ」
 グリエルモだけでなくフェランドも言う。
「それなのに」
「何度も何度も僕の心と弁舌で救ったのか。けれどそうやってすぐに浮気するのは厄介な悪い癖だよ」
「厄介どころじゃないよ」
 フェランドの言葉も必死なものになっていた。
「本当に。こればかりは」
「君達は優しくて魅力的で神から頂いた頭から爪先までの優雅はまさに宝」
 グリエルモはそれは認める。
「けれどそれなのに君達は浮気をする。全く信じられないが僕は君達女が大好きだ」
「僕もだよ」
 フェランドは今度は口を尖らせてきた。
「けれどすぐ浮気をする、恋人達が文句を言うのも当然だ」
「今僕は非常に怒ってるよ」
 フェランドはそれを隠そうともしない。
「理性と感情が酷く対立して混乱している。これではアルフォンソさんに笑われるかな」
「そうやって怒るのが余計に悪いぞ」
「そうだな。じゃどうするべきか」
「僕もやるべきなのか」
 こう思いはじめるのだった。
「やはり」
「おお、ここにいたんだね」
 そのアルフォンソがここで来たのだった。
「どうだい?流れは」
「最悪ですよ」
 フェランドはその顔を思い切り顰めさせて彼に言い返した。
「貴方のおかげでね」
「いやいや、そうではないよ」
 しかしアルフォンソはにこやかに笑って述べるだけだった。
「決してね」
「何でそう言えるんですか」
「フォオルディリージさんにしろわからないよ。いや」
「いや?」
「確実に裏切るね」
 にこやかに笑って断言するのだった。
「保証していいよ、この私が」
「いやいやアルフォンソさん」
 ここでグリエルモが笑って彼に言ってきた。
「フィオルディリージに限ってそれはないですよ」
「そう思っているんだね?」
「思ってますよ。ですから」
 そしてここで言うのだった。
「千の半分ですから五百ツェッキーノを」
「さて、それはどうかな」
「どうかなとは」
「明日の朝まで時間はたっぷりあるじゃないか」
 この主張を変えようとはしない。
「そうじゃないかい?」
「勝負は勝ったようなものですけれど」
「軍人の約束ではないのかい?」
 さりげなく二人の急所を突いてもみせる。
「わかったら明日の朝まで待つんだ」
「明日の朝までですか」
「それまで」
「そうだ」
 二人に対して告げるのだった。
「いいね」
「まあそこまで仰るのなら」
「僕達も」
「木の枝にいる小鳥を売る人間についてどう思うかね?」
「そんな人間いませんよ」
「っていうかそんなことやったら詐欺師ですよ」
 二人はそれが他ならぬ自分達であったこと、あることはわかっていない。
「まさか。そんな」
「絶対にいませんよ」
「そういうことだよ。じゃあ明日の朝までな」
「わかりました」
「とりあえずお昼ですけれど」
「うむ、では三人で食べよう」
 アルフォンソが二人を誘った。
「さて、何がいいかね?」
「そうですね。スパゲティでも」
「食べますか」
「ではそれだ」
 この時代のスパゲティはナポリかローマでしか食べられなかった。チーズをまぶしてそれで手で取って食べていたのである。食べる前にその手を顔の上まで掲げるのが食べ方である。
「三人で食べよう。美味しくな」
「ワインでも飲んで気を晴らして」
「楽しく明るく」
 フェランドは憮然として、グリエルモは明るく、そしてアルフォンソはにこやかに。三人でスパゲティを食べに行くのであった。そのナポリ名物の。
 そして姉妹は彼女達の部屋で二人向かい合っていた。そうしてそのパスタを食べながらデスピーナの話を聞いているのだった。
「それはいいことですね」
「貴女はそう思うの?」
「最初から申し上げている通りですよ」
 デスピーナは二人の側に立ってにこやかに笑っている。彼女はもう昼食を食べたのか明るい顔だ。姉妹はトマトや茸、それにガーリックのソースの幅の広いパスタを食べていた。
「ところでそのパスタですが」
「確かマッケローニだったわよね」
「はい」
 ドラベッラの言葉ににこやかに笑って答える。
「昔のパスタです。如何ですか」
「ええ、美味しいわ」
「ソースもいいわね」
 フィオルディリージも言う。二人は白い陶器の食器の上にパスタを入れそのうえで銀のスプーンを使ってそのマッケローニを食べているのだった。
「これも昔ながらのなのね」
「ソースも」
「そうです、ちょっと再現してみました」
 笑って答えるデスピーナだった。
「味見してみましたがかなり」
「そう。いつもながら流石よ」
「見事よ」
「ドラベッラ様、おめでとうございます」
「おめでとうなのね」
「それはそうですよ」
 満面の笑顔でまたドラベッラに言う。
「一人前になりましたから」
「一人前なの」
「そう。恋をしてこそですからね」
「最初は誘惑されまいって思ってたけれど」
 早速おのろけに入るのだった。
「けれど口はうまいし態度はいいし」
「それで?」
「あの悪魔の誘惑にかかったら石の心を持っていても駄目よ」
「わかってこられましたね」
 デスピーナは彼女の言葉にさらに微笑むのだった。
「私達娘っ子は恋のチャンスは少ないんですよ」
「けれど貴女は」
「その数少ないチャンスをものにしてるんですよ」
 自分ではこう言うのだった。
「苦労して」
「苦労してるの」
「してますよ、それはもう」
 胸を張っての言葉であった。正直説得力には著しく欠けていた。
「それはもう」
「そんな苦労はしたくないわ」
 しかしフィオルディリージはこう返す。
「絶対に」
「あら、フィオルディリージ様はまだで」
「あの二人もアルフォンソさんも天罰を受けるわよ」
 マッケローニを食べながらデスピーナに抗議してきた。
「私も貴女も」
「私も?」
 デスピーナは今の彼女の言葉にきょとんとした顔を作ってみせて己を指差す。
「私もですか」
「そうよ、悪いことばかり吹き込んで」
 口は尖らせてはいるが何故か目の光はそれ程咎めてはいない。
「おかげで私は」
「あら、それは結構なことですね」
 もうここまで聞いただけでわかってしまうデスピーナだった。
「順調ですね」
「というと姉さんも」
 ドラベッラもデスピーナの言葉でわかってしまった。
「あの黒髪の方に」
「抑えてるのよ」
 隠すことはできなくなってしまっていた。
「それでもよ」
「それじゃあ私はあの栗色の髪の方で姉さんは黒髪の方で」
「何言ってるのよ、ドラベッラ」
「相手が見つかったじゃない、よかったじゃない」
「貴方にはフェランドさんがいるでしょ」
 けれどフィオルディリージはムキになって妹に言い返す。
「何を馬鹿なことを言ってるのよ」
「馬鹿なことって」
「そうじゃない。あの人達は戦場に言ったのよ」
 フィオルディリージはまだこのことを覚えていたのだ。
「それでどうしてそんなに明るいのよ」
「姉さんに七万回もキスしたい気分よ」
 しかしドラベッラの言葉は変わらない。
「本当にね」
「本当にもじゃなくて二人はね」
「けれど姉さん。戦場に行ったのよ」
 ドラベッラはこのことを姉に言うのだった。
「戦死しないって言えるの?」
「それは」
「そうでしょう?若しあの人達が戦死したら」
 妹は言葉を続ける。
「残された私達はそうなるのよ」
「生きていたらどうするのよ」
 姉はもう一つ考えられるケースを出した。もっともどちらかしかないのであるが。
「その場合は」
「その場合はもうあの人と一緒にトルコに行ってるわ」
「ムスリムの国に!?」
「キリスト教徒も大勢いるそうよ」
 これは本当のことである。オスマン=トルコは極めて寛容な国でありキリスト教徒も大勢いたのである。無論ムスリムに様々な特典が与えられてはいたが。
「だったらそれでいいじゃない」
「一日で考えがこんなに変わるなんて」
「それが女ってものなんでしょうね」
 ドラベッラはあっけらかんとして返した。
「デスピーナも言ってるけれど」
「その通りですよ」
 ここでそのドラベッラとデスピーナがにこりと笑い合って言葉を交えさせた。
「こんなことで驚いてどうするのですか」
「そうよ姉さん」
 二人はそのうえでフィオルディリージに対して言うのだった。
「女は多くの恋を経て奇麗になっていくのよ」
「ですから十五になれば」
「いえ、私は勝つわ」
 しかしフィオルディリージはその気持ちを退けようと思うのだった。
「絶対に。何があっても」
「それは無理ですよ」
「そうよ」
 デスピーナもドラベッラも彼女の今の言葉を信じようとしない。
「必ず敗れますわ」
「断言できるけれど」
「いえ、私はやるわ」
 フィオルディリージも引こうとしない。
「何があっても」
「降参した方がいいわよ、姉さん」
 ドラベッラは悪戯っぽく笑ってまた告げた。そうしてそのうえで姉に対して言うのだった。
「恋は小さな泥棒、蛇みたいなもの。心に安らぎを与えたり奪ったり」
「悪党だっていうの?」
「まあ聞いて」
 楽しく笑いながら姉にさらに言う。
「恋は私達の目を通して心に道をそけあっという間にその心を縛って自由を奪ってしまうのよ」
「それじゃあやっぱり」
「けれど恋の為すがままにさせれば甘い美しい思いができます。けれど」
 ここで言葉を変えてきた。
「逆らえば惨めな思いがやって来るのよ。だから」
「だから。どうするの?」
「若しも恋が胸に忍び込んだら後は任せればいいのよ」
「そんな軽薄な」
「けれど私はそうするわ」
 実際にもうそうしてしまっているドラベッラだった。
「そういうふうにね」
「ではお嬢様」
「ええ。食べ終わったし」
「はい、散歩を為されては如何でしょうか」
 見れば二人はもうマッケローニを食べ終えていた。ワインもだ。デスピーナはそれを見て早速食器をなおしはじめた。仕事もかなり早く的確だ。
「そのうえでシェスタでも」
「そうね。それかあの人とまたお話をして」
「ええ、どうぞそのように」
「じゃあ姉さんお先に」
「どうぞ」
 二人は上機嫌で部屋を後にする。残ったのはフィオルディリージ一人だった。一人になった彼女は項垂れたまま呟くのだった。
「皆で私を誘惑するのね。けれど負けないわ」
 そのことをあらためて決意するのだった。
「ドラベッラとデスピーナに本心を言ったのはまずかったけれど。それが若しあの人の耳に入ったら」
 自分の迂闊さも呪うのだった。
「二度と会いたくはないわ。今度あの人を家に入れたらデスピーナを怒って。誘惑する殿方なんて最低よ」
 ここまで言ってふと。デスピーナを呼ぶのだった。
「デスピーナ、ちょっと来て」
「はい、何でしょうか」
 鈴が鳴るとすぐに戻って来たのだった。
「御呼びですか?」
「この鍵を持ってね」
 ここで鍵を一つ彼女に差し出すのだった。
「それで洋服箪笥を開けて」
「はい、箪笥を」
「それであの人のサーベルを二つ」
 まずはそれであった。
「それに帽子と軍服を二個、二着それぞれ持って来て欲しいのよ」
「どうされるのですか?」
「訳は聞かないで」
(あらあら)
 デスピーナは彼女の言葉を聞いて内心笑った。
(これはまた面白くなってきたわね。このお嬢様もいよいよ)
(これしかないわ)
 フィオルディリージもフィオルディリージで心の中で呟く。
(ドラベッラも目が覚めればいいけれど。私達は戦場へ)
(無駄に決まってるのに)
 フィオルディリージは深刻に、デスピーナは陽気に心の中でそれぞれ呟き続ける。
(それ以外に私達が操を守る方法はないのだから)
(もう楽しめばいいのに)
「わかったわね」
「はい、お嬢様」
 心の中で笑いながら真面目に頷くのだった。
「それではすぐに」
「あとは郵便用の馬を」
「馬もですか」
「ええ、六頭。すぐにね」
 それも頼むのだった。
「御願いするわ」
「はい、それでは馬も六頭すぐに」
「最後にドラベッラもよ」
 妹も呼ぶのだった。
「私が呼んでるって伝えて。いいわね」
「また随分と物々しいですね」
「そうでもしないと駄目だから」
 ついついどうしてなのかも言ってしまうフィオルディリージだった。
「だからよ」
「では今すぐに」
「御願いね」
「それでは」
 心の中でにこにことしながらその場を去る。フィオルディリージはその小さな軍師を見送りながらまた一人呟くのだった。
「フェランドさんの服が一番いいわね」
 こう呟くのだった。
「ドラベッラはグリエルモの。それが似合うわよね」
「おお、そうなんだよ」
 ここで声をあげたのはアルフォンソだった。実は彼はずっと物陰から姉妹を見ていたのである。そこにデスピーナも一緒にいた。当然あの二人もだ。
「ほら、フィオルディリージは最後まで陥落しないぞ」
「じゃあ僕だけなのか」
 グリエルモは喜んでいてフェランドは歯噛みして今にも地団駄を踏みそうである。
「全く。僕は何て不幸なんだ」
「だから明日の朝まで待っているんだ」
 アルフォンソはこう言ってそんな彼を宥めるのだった。
「いいね」
「よくはありませんよ」
「けれど明日の朝までだ。そうしたらわかるから」
「その言葉偽りはないですよね」
「勿論だよ」
 それは確実だと保障するアルフォンソだった。
「私は芝居はするが嘘は言わないからな」
「じゃあ信じさせてもらいますよ」
「うむ。しかし今の彼女の服の選択は」
「見事に選ばれたわ」
 デスピーナも当然ながらそれを見ている。そのうえでアルフォンソと共に笑うのだった。
「いい感じよ。そうなのよ」
「そうそう。彼女もわかってきたみたいだな」
「わかったって何がなんだろうな」
「さあ」
 フェランドとグリエルモにとって今の二人の言葉は理解できないものだった。
「ただ服を選んだだけじゃないか」
「そうだよな」
「そう、その服を選んだことが重要なんだよ」
 だがアルフォンソは二人にもこう言うのだった。
「それがな。大事なんだよ」
「やっぱりわからないな」
「そうだよな」 
 二人は相変わらず首を捻り合う。
「どういうことなんだ?」
「意味がわからないが」
「相性だよ」
 アルフォンソはまた言った。
「まあそれもおいおいわかるかも知れないよ」
「何が何だか」
「けれど明日の朝までだから」
 とりあえず従うことにしたのだった。そしてその間にフィオルディリージは。
「髪飾りを取ってそのうえであの帽子を被って」
 もう出ようと考えていた。
「それであの人のところに」
「ではフェランド君」
「うん」
 フェランドはアルフォンソの言葉に頷きそのうえでそっとフィオルディリージのところに向かった。その間フィオルディリージは真剣な面持ちで言っていた。
「私はもうすぐあの人の腕に抱かれるのだわ。あの軍服を着ていたら私が誰なのかわからないでしょうけれど」
 こう言うのである。
「けれど私だとわかった時にあの人はどれだけ喜んでくれるかしら」
「ですが私は」
 ここフェランドが彼女の前に出た。
「悲しみのあまり死んでしまいます」
「また貴方なのですか?」
「そうです」
 思い詰めたふりをしてフィオルディリージに告げる。
「私です」
「帰って下さい」 
 すぐにきっとした声で彼に言い返した。
「もうすぐに」
「いえ、それ位なら」
 しかしフェランドも引かない。
「私の胸を一思いに剣で」
「そんなこと仰らないで下さい」
 こう言われると困り果てた顔になるフィオルディリージだった。
「私はもう」
「ですから私は」
 ここでさらにフィオルディリージの側に来たのだった。彼女も何時の間にか立っていてそのうえで彼と対するのだった。
「この眼、この声が」
「声が」
「そうです。そして心が」
 フェランドはじっと彼女の目を覗いて言うのだった。
「欲しいのです」
「私はそれは」
「御願いです」
 よろめく彼女をさらに攻める。
「どうか私の想いを」
「ですからそれは」
「受け止めて頂けないのなら私は」
「そんなこと仰らないで下さい」
 フィオルディリージも遂に言ってしまった。
「そんなことは」
「では宜しいですね」
「・・・・・・はい」
 そして遂にこくり、と頷いてしまうのだった。
「もう私は貴方のものに」
「ではこちらへ」
「はい」
 部屋の右手に向かう。そこから庭に向かうのだった。
「甘い愛の悩みも」
「喜びの溜息も」
 二人の言葉が合わさる。
「全ての苦しみを救う慰めとなります」
「ですから二人で」
 こうして二人は部屋を後にするのだった。そして今度はグリエルモが地団駄を踏むのだった。
「今のは何だ、何なんだ」
「まあ落ち着くんだ」
「これが落ち着いていられますか」
 宥めるアルフォンソにも感情を露わにさせている。
「この髭も変装も取って彼女の前に出てそれでもう」
「ううむ、これはいかん」
 アルフォンソも彼が激怒しているのを見てとりあえず離れた。
「暫く言わせたいだけ言わせておくか」
「やあ、只今」
 ここでフェランドが戻ってきた。やはり彼もその上着の前をはだけさせている。
「僕の方も終わったよ」
「それは何よりだね」
 にこにこと爽やかな顔をしているフェランドに対してグリエルモは今にも爆発しそうだ。二人の立場が完全に逆になってしまっていた。
「それで彼女は?」
「フィオルディリージのことかい?」
「そうだよ。何でこうなるんだ」
 彼女が自分を裏切ったと激怒し続けていた。
「全く。世の中はどうなっているんだ」
「僕だって同じ気持ちだよ」
 そしてそれはフェランドも同じであった。
「さっきは僕で今は君じゃないか」
「それはわかったが僕の気は収まらないんだ」
 実際今にも剣を抜きそうである。
「この気持ちをどうすればいいんだ」
「いい案があるのだが?」 
 ここでアルフォンソが言ってきた。
「いいかね」
「えっ、それは一体」
「何ですか?」
「結婚するんだよ」
 彼はここでこう言うのだった。
「結婚だ。どうかね?」
「冗談じゃありませんよ」
 グリエルモがすぐに顔を顰めさせてそれに反論した。
「そんなことするのなら地獄行きの舟に乗りますよ」
「僕は火山に飛び込みます」
 フェランドも顔を顰めさせて言う。
「そんなことをする位なら」
「全くです」
「では一生結婚できないのだが」
 アルフォンソはあくまで拒もうとする二人にここでこう言うのだった。
「それでもいいのかね?」
「えっ、一生って!?」
「まさか」
「いや、実際のところあの姉妹はかなりいい娘達だ」
 ここではじめて姉妹を褒めるアルフォンソだった。
「滅多にいないいい娘達だよ」
「まさか」
「それは」
「世の中もっともっと酷い女は幾らでもいる」
 真顔になってこのことを話すのだった。
「幾らでもな」
「まあ話には聞きますけれどね」
「悪い女のことは」
「だったら彼女達にしておくのだ」
 彼はまた二人に告げた。
「それに君達はあの娘達が好きなんだろう?」
「ええ、極めて残念ですが」
「その通りですよ、全く以って」
 そしてフェランドもグリエルモもこれはその通りだった。
「どうしても離れられません」
「忌々しいことですけれど」
「ではそれを受け入れることだ」
 アルフォンソは達観したような声でその二人に告げた。
「あの姉妹だって人間さ。特別な存在じゃない」
「人間なのですか」
「天使でも女神でもなく」
「そう、人間なのだよ」
 二人への言葉はさらに理知的になっていく。
「君達と同じな。全く同じなのだよ」
「僕達と同じ」
「人間なんですか」
「そう。では話を元に戻す方法を考えよう」
 さながら魔術師のような言葉になってきていた。
「実は今晩もう考えていたんだよ」
「今晩ですか?」
「じゃあ明日の朝までというのは」
「そうだよ。一度に二組の結婚式を挙げたいと考えていたんだよ」
 ここではじめてわかる種であった。
「それをしようとな」
「そうだったんですか」
「そんなことを」
「その前にだよ」
 アルフォンソの言葉は続く。
「覚えてもらいたい詩がある」
「詩!?」
「ここで詩ですか」
「そう、それさえ覚えてもらえば君達は幸せになる」 
 二人を交互に見ながらの言葉だ。
「男は女を悪く言うが私は許す。例え一日に千回浮気をしたとしても人はそれを悪徳と呼び悪習と言うが」
「何かこれは」
「あの二人の」
「しまいに振られる男達は女のせいにせず自分のせいにするべきだ。何故なら老若美醜を問わず。さあ」
 ここで二人に強く言ってきた。
「この言葉を一緒に」
「この言葉!?」
「それは一体」
「コシ=ファン=トゥッテ」
 この言葉を出すのだった。
「女は皆そうする、だ」
「女は皆そうする」
「この言葉をですね」
「いいかい。では一緒に」
「はい」
「それじゃあ」30
 呼吸を合わせる。そうして。
「女は皆そうする」
「女は皆そうする!」
「女は皆そうする!」
 二人は叫んでいた。爆発するように。こう叫び合ったその直後に。これまた絶好のタイミングでデスピーナが彼等のところに戻ってきたのだった。
「それでどうされたのですか?」
「今から私が言うようにしてくれないか」
「何でしょうか?」
「まずはだね」
 あれこれとデスピーナに話すアルフォンソだった。一日は終わりに近付こうとしていた。
 夜の庭。そこに演奏の楽士達が集められそれぞれ席が置かれている。そうして鯨油の匂いがたちこめそこに灯りが灯されている。四人分のテーブルも用意されている。デスピーナはその中でこれまた実に陽気な調子で言っていた。
「さあ皆さんまずは火を点けて下さい」
「はい、それじゃあ」
「この鯨油に」
「鯨油って本当に有り難いわ」
 デスピーナはその鯨油を入れたランタンを見ながら微笑んでいた。
「安いしすぐに使えるし。まるでこれからの時代を見せてくれてるみたいね」
「そうですね。確かに」
「おかげで灯りを随分多く使えるようになりましたよ」
 これまた呼ばれた手伝いの者達も彼女の言葉に頷く。
「松明とか蝋燭よりも明るいし」
「おまけに安い」
「さてさて、それでは」
 彼女は自分もテーブルを飾りつけながら言う。
「あとは主役の登場だけれど」
「おやおや、早いね」
 ここでアルフォンソが場に来てその準備が順調なのを見て微笑んだ。
「これはいいよ。何事も早いのはいいことだよ」
「お仕事は早く的確に」
 デスピーナは自信に満ちた笑みを口元と目元に浮かべて述べた。
「遊びはじっくりと時間をかけて」
「そういうことだね」
「そういうことよ。それでチップは弾んでもらってね」
「そっちも期待していいと思うよ」
「むしろそうさせるのよ」
 やはりお金のことも忘れないのだった。
「明るい歌に陽気な音楽も用意してね」
「さて、フィオルディリージさんとドラベッラさんも幸せだよな」
「全くだよ」
 手伝いの者達は事情を知らず口々に言うのだった。
「こうして晴れて結ばれるんだからな」
「幸せ者だよな」
「全くだよ」
 こんなことを話しながら準備を終えた。手伝いの者達はお金やお土産を気前よく貰ってそのうえで去り歌手や楽士達が演奏をはじめる。その中で遂に主役の四人がやって来た。
「いい音楽ね」
「ええ、そうね」
 白い花嫁の衣装を着飾った姉妹がそれぞれ言い合う。
「この曲を聞いて余計に」
「幸せを感じるわ」
「私もです」
「無論私もです」
 二人もここで言う。
「この宴の中で結ばれるとは」
「何と幸福なのか」
「デスピーナにはお礼をしないとね」
「そうね」
 姉妹はデスピーナのことも話すのだった。
「ここまでお膳立てしてくれたんだから」
「絶対にね」
「じゃあいよいよ」
「式に」
(しかしな)
 グリエルモはここでふと思うのだった。
(ここにあるワインが毒ならな。この姉妹に相応しいんだけれどな)
(しかしアルフォンソさんは)
 フェランドも思う。
(何を考えてるのかな、本当に)
 わかりかねているとここでそのアルフォンソが四人のところにやって来た。そうしてそのうえで彼等に対してにこやかに言うのである。
「それでは皆さん」
「はい」
「いよいよですね」
「そうです。全ては整いました」
 穏やかに四人に告げるのだった。
「あとは婚姻の証書を持った公証人が来ますので」
「ではすぐに公証人の方をこちらに」
「是非共」
「わかりました。それでは」
 アルフォンソはそれに応えてすぐに人を呼んだのだった。
「ベッカヴィヴィさん」
「はい」
 すぐにその人が出て来た。それは黒い服にもじゃもじゃの茶色の髪に眼鏡をかけた小柄な男だった。縁の大きな帽子までしている。
「御呼びですか?」
「こちらです」
 アルフォンソはこう言って彼を案内する。しかし彼の声はよく聞けばデスピーナのものであった。
「こちらにその結婚をする相手がいます」
「そうですか。それではです」
「何処かで見たような気がするな」
「そうだな」
 フェランドとグリエルモは彼、実は彼女を見て言い合うのだった。
「誰だったかな」
「この声は」
「皆さんの幸多い未来を祈りつつ」
 しかしデスピーナは芝居を続ける。
「私こと公証人ベッカヴィヴィは」
「はい」
 そしてアルフォンソがそれに応えるのだった。
「毎度の公証人らしい威厳を以ってこちらに参りました」
「それは何よりです」
「法の定めるところにより」
 デスピーナの芝居は続く。
「まず咳払いをし」
「どうぞ」
「こほん」
 実際に咳払いもしてみせる。
「それでは読みましょう」
「誰かに似てるわよね」
「そうよね」
 フィオルディリージもデスピーナもそれに気付いたのだった。
「何処かで見たような」
「しかも間近で」
「誰だったかしら」
「私が作りましたこの証書」
 デスピーナは四人の詮索を遮るようにして言葉を続ける。
「これにより婚姻が整えましたるは」
「はい」
「それは」
「フィオルディリージとセンブローニオ」
 フェランドの偽名である。
「その実の妹の」
「私ね」
「ドラベッラとティチオでありますな」
「はい、そうです」
 今度はグリエルモが頷く。
「私です」
「この四人。まずは」
 デスピーナは実は白紙の証書を見ながら続けていく。
「女性達はフェラーラ出身」
「そうです」
「その通りです」
 姉妹がその問いに答える。
「男性達はアルバニア出身」
「仰る通りです」
「如何にも」
 今度は二人が答える。
「私達はアルバニア出身です」
「そこから来ました」
「そうして結納として結納金並びに持参金を」
「それももう」
「わかっています」
 四人はそれぞれ頷きそのうえで。まずは姉妹が前に出るのだった。
「じゃあサインを」
「させて下さい」
「いよいよだな」
「そうね」
 ここでアルフォンソとデスピーナはそっと言い合うのだった。
「さて、これからが肝心だ」
「どうなるかしら」
 二人が言い合ったところで、であった。海の方から。
「軍タ衣生活は素晴らしい」
「えっ!?」
「あれは!?」
 姉妹はその歌声にぎょっとした顔になるのだった。
「あの歌はまさか」
「あの人達が」
「毎日場所を変える」
「今日は遠くへ明日は近くへ」
 歌が続く。
「ある時は地上に、ある時は海の上に」
「まさか。そんな」
「もう戻って来るなんて」
「何でこんなところで?」
「聞いてないぞ」
 これはフェランドとグリエルモだった。
「どういうことなんだ?」
「これは」
「皆さんお静かに」
 しかしここでアルフォンソが彼等に話す。
「どうかお静かに」
「アルフォンソさん」
「どうされるのですか?」
「私に任せて下さい」
 こう話すのだった。
「大変なことですな」
「あの歌声はやっぱり」
「そうですね」
「軍の歌です」
 アルフォンソは今度は姉妹に対して述べるのだった。
「軍が戻ってきました」
「まさか今日出て」
「それで今日戻って来るなんて」
「軍とはそういうものです」
 しかしアルフォンソはここでも平然としていた。
「何時出て何時戻るかわかりません」
「それは知っていましたけれど」
「それでも」
「まあ落ち着いて下さい。御二人も戻って来ているかも知れません」
「嘘・・・・・・」
「そんな・・・・・・」
 姉妹はそれを聞いてさらに青い顔になるのだった。
「それじゃあ私達は」
「どうなるの?」
「あっ、おられますね」
 アルフォンソは何処からか望遠鏡を出してきていた。そうしてそのうえで海の方を見て言った。
「御二人は」
「僕達がか」
「向こうにいるのか」
 二人はそれを聞いてまた話す。
「ここにいるんだけれどな」
「じゃあお芝居だな」
「今港に上がられましたよ」
「じゃあすぐにここにも」
「来るのね」
「どうしましょう、それじゃあ」
「何をすればいいの?」
 姉妹はそれを聞いてさらに焦る。その焦りのまま二人にも言う。
「どうかすぐに隠れて」
「ここは」
「隠れる?」
「私達が」
「そうよ」
「すぐに」
 こう彼等に話すのだった。
「見つかったら大変よ」
「何もかもがお仕舞いよ」
「ですから落ち着いて下さい」
 しかしここでアルフォンソがまた言う。
「ここは焦ってもどうにもなりません」
「は、はい」
「御願いします」
 姉妹はまさに藁にすがる思いだった。
「ここはどうか」
「是非共」
「さあ、今のうちに」
 アルフォンソは焦る姉妹を横目に二人に声をかけた。
「着替えておくことだ」
「元の僕達に戻る」
「そうだね」
「そう、その通りだ」
 アルフォンソは彼等にも話すのだった。
「さあ、早くあっちへ」
「うん、それじゃあ」
「行って来るよ」
 こうして二人は着替えに向かう。姉妹はその間も狼狽することしきりだった。
「考えても考えても」
「困ってしまうばかり」
 姉妹の焦りは続いている。
「どうにもこうにも」
「若し嘘がばれたら」
 そんなことを言っている間にだった。二人が軍服になって戻ってきた。ところが二人の軍服も帽子も外套も奇麗なもので剣の柄もピカピカとしている。だが狼狽することしきりの姉妹は全く気付いてはいない。
「やあ、只今」
「すぐに戻って来れたよ」
 二人はにこやかな笑みを作って焦ったままの姉妹に対して告げてきた。
「君達のところにね」
「元気だったかい?」
「おお、二人共無事で何よりだ」
「戦争は回避されたよ」
「政治の方で話がついたみたいで」
 こうアルフォンソに話す。そもそも戦争なぞなっていないから当然である。
「おかげでもう帰って来れたよ」
「一日だけだったけれど楽しい船旅だったよ」
「そうか。それは何よりだ」
「うん。それにしても」
「君達はどうしたんだい?」 
 二人はここで顔を真っ青にさせている姉妹に顔を向けるのだった。
「何か凄く焦っているようだけれど」
「どうかしたのかい?」
「嬉しさに混乱しているんだよ」
 アルフォンソはこう取り繕う演技をした。
「それはな」
「それでなのか」
「それで」
「心臓が今にも止まりそう」
「どうにかなってしまいそうよ」
 姉妹は実際に心臓の鼓動を止めることができなくなっていた。顔から冷や汗がしきりに流れて止まることがない程であった。そこまで狼狽していた。
「どうしたらいいの?」
「このままじゃ本当に」
「とりあえず荷物をね」
「置かせてよ」
 二人はこう言って荷物を置こうとすると隣の部屋に向かう。そこでデスピーナが化けているその偽の公証人の姿を見るのであった。
「あれっ、この人は」
「見たところ公証人かな」
「まずいわ」
「いよいよ」
 姉妹は二人がデスピーナを見つけたのを見てさらに青い顔になる。もう真っ白だった。
「あの人が見つかったらもう」
「何の言い訳もできないわ」
「いいえ、公証人ではありません」
 しかしここでデスピーナが言うのだった。
「私はそうではありません」
「そうではない?」
「では一体」
 二人はこれは演技ではなかった。本気で彼女の変装に気付いてはいないのだった。
「誰なのですか?」
「貴方は」
「デスピーナですよ」
「えっ、デスピーナ!?」
「嘘だろ、それは」
 今度も本気で言った言葉だ。
「デスピーナだなんて」
「そんなことが有り得るものか」
「いえ、本当です」
 しかし彼女はここで帽子を取りそれから鬘と眼鏡も外してみせる。するとそこに出て来たのは紛れもなくデスピーナ本人であった。
「この通り」
「何がどうなんだか」
「もう」
「おや?」
 二人が困惑しているとところでまたアルフォンソが仕掛けた。わざと書類を落としてそのうえで二人に対して言うのであった。
「これは一体」
「んっ!?」
「これは」
 見れば結婚証書だった。しかもそこに姉妹がしている筈のないサインまである。二人はそれを見て今度は姉妹に対して言ってきた。
「これは何なんだい!?」
「結婚証書に見えるけれど」
「ご、御免なさい」
「許して」
 姉妹はもう泣き崩れるしかなかった。
「私達は過ちを犯したわ」
「貴方達を裏切って」
「裏切り!?」
「何をしたんだ」
 二人はわざと強い声で彼女達に問うた。
「一体何を」
「このサインは」
「それはその」
「私達は」
「まあまあ」
 ここでまたしても助け舟を出すふりをしてアルフォンソが出て来たのだった。
「彼女達を責めないでくれ」
「アルフォンソさん」
「また貴方がですか」
「そうだ。まずは落ち着いてくれ」
 こう二人に話すのだった。
「いいかね」
「はい、それじゃあ」
「お任せします」
「それにしても公証人がデスピーナだなんて」
「どういうことなのかしら」
 姉妹はここで首を傾げるのだった。
「何かあるような」
「秘密が?」
「さて、こちらに」
 その間にアルフォンソは二人をあのアルバニア人達が隠れた場所に導くのだった。
「どうぞ」
「あそこは」
「あの人達が」
 姉妹はアルフォンソが指差したその場所を見てまた顔を蒼白にさせる。
「どうしてあそこに?」
「これじゃあ私達は本当に」
 もう今にも卒倒しそうだ。そうして出て来たのは。
 二人だった。あのアルバニア人二人だ。そうして彼等はここで話すのだった。
「お嬢様、アルバニアより参りました」
「このペンダントを」
 二人で言うのだった。ここで。
 そして今度はデスピーナに顔を向けて。笑って言うのであった。
「磁石のお医者様にも」
「心から感謝の言葉を」
「えっ、お医者様って」
 これに驚いたのは姉妹だけではなかった。デスピーナもだった。
「どういうことなの!?」
「もう何が何だか」
「話がわからないわ」
「世の中の全てが狂ってしまったの?」
 姉妹はもう何が何だかわからなくなっていた。そうしてその中でまたアルフォンソが出て来て言うのだった。
「まあまあ」
「まあまあじゃありません」
「どういうことなんですか?」
 まずは姉妹が彼に問うのだった。
「これは一体」
「何が何なのか」
「まず私は皆さんを騙しました」
「そうだよ」
「本当にね」
 二人は何時の間にかあの変装を解いていた。そうして完全に元の士官に戻っていた。
「おかげで地団駄を踏まされたよ」
「全く」
 顔を顰めさせてアルフォンソに抗議する。
「僕は深く傷ついたよ」
「僕もだよ」
「しかし皆さんに知恵を授けることができました」
「知恵をですか?」
「そうです。知恵です」
 こう四人に話すのである。
「生きる為の知恵です」
「これが知恵ですの?」
「どういうことなの?」
 姉妹はまだわからないのだった。
「知恵がどうとか」
「何がなのか」
「人は過ちを犯します」
 アルフォンソが話すのはこのことだった。
「それを見ることができたのですから」
「過ちを犯すとは」
「どういうことなんですか?」
 二人も彼に問うてきた。
「一体全体」
「それは」
「ですから完全な貞節なぞなく人は時として揺れ動くのです」
 彼は二人だけでなく姉妹にも話していた。
「そして過ちを犯します」
「それが今ですか」
「今なのだと」
「そうです。ですがそれを知ってより賢くなれた筈です」
 自分を囲む四人とデスピーナに話し続ける。
「これで。さあ後は」
「後は?」
「それぞれの婚姻を」
 これを勧めるのである。
「それで全ては幸せに終わりますぞ」
「幸せにって」
「じゃあ私達は」
「これで」
「一緒になれるのね」
 フェランドにフィオルディリージ、それとグリエルモとドラベッラが話していく。
「何はともあれ」
「これで」
「何か夢みたいなことだけれど」
 デスピーナはその中で呟いていた。だがその目は困惑から解き放たれ微笑んでさえいる。
「それでもいいわ。また別の人に仕掛けるから」
「さて、皆さん」
 アルフォンソは四人をそれぞれのカップルにしてまた話す。
「物事の良い面を知る人は幸せです」
「幸せであると」
「そうなのですね」
「そうです。そして」
 四人に応えながら言葉を続けていく。
「様々な事件と変動の中で常に理性で自分を導くことができる人は」
「どうなのでしょうか」
「他の人が泣くようなことでもその人には笑いの種になります」
 これが彼の言いたいことだった。
「世の中を風が吹き荒れていてもその人は平然としていられます」
「それが今なのですね」
「そういうことです」
 つまり今日のことがそれなのだった。
「ですから今日は幸せに終わりましょう」
「そうですね。色々ありましたけれど」
「それでも」
 フェランドもフィオルディリージも。グリエルモもドラベッラも。それぞれ顔を見合わせて微笑むのだった。デスピーナも楽しそうにそんな彼等を見て。アルフォンソを中心にとりあえずこの騒がしい一日を幸せに終えるのであった。


コシ=ファン=トゥッテ   完


                            2009・5・23



一応、ハッピーエンドなのかな。
美姫 「騙した方も騙された方も納得しているんなら良いんじゃないの」
不実故に騙されたと責めれず、騙したが故に怒れないと。
美姫 「難しい所ね」
でも無事に終息したし良かったかな。
美姫 「こういう話だったのね」
面白かったです。
美姫 「投稿ありがとうございました」



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