『コシ=ファン=トゥッテ』
第一幕 変装をして
「いや、凄いだろ」
「いや、僕の方こそ」
十八世紀のナポリのあるカフェに白いみらびやかな軍服を着た二人の若い軍人達が笑顔で言い合っていた。一人はすらりとしていて明るい顔立ちをしている。髪は黒くかなり癖の強く細いものである。目は黒くはっきりとした光をたたえている。全体的に整っている顔だ。
もう一人は茶色の髪の背の高い男で顔はやや細長い。そして目の光は青だ。黒髪の青年に比べるといささか知的な印象を受ける。そして二人の間に黒い学者を思わせる服を来た白髪の老人がいる。彼はやけに知的な、それでいて意地の悪そうな黒い光を放つ目をしている。その顔は面長で端整であり学者然としているがそれでも何処か意地悪そうなものを漂わせている。彼はそのまま二人の話を聞いていた。
「ドラベッラの美しさといったら」
「フィオルデリージも」
黒髪の青年が言えば茶髪の青年も言い返す。
「しかも貞淑で」
「おまけに操もあって」
「いやいや。それはどうですかな」
しかしここでその老学者が笑って言うのでした。
「フェランドさん」
「はい」
黒髪の青年が応えた。
「グリエルモさん」
「はい」
今度は茶髪の青年が応える。二人に声をかけたうえでまた語るのだった。
「私は髪は白いですし人生は熟知している」
「ふむ。それで」
「どうだというのですか?」
「もうこの議論は止めましょう」
笑って二人に言うのだった。
「これで」
「いやいや、ドン=アルフォンソ」
「それはどうでしょう」
しかし二人は少しむっとした顔で彼に言葉を返すのだった。
「それを言い出したのは貴方ですよ」
「二人が浮気すると仰ったのは」
「証明ですか」
「そうですよ。見せてもらわないと」
「僕達は納得しませんよ」
二人はなおも言うのだった。
「さもないと本当に」
「僕達も怒りますよ」
「またそんなことを」
「いえいえ、本当に彼女達が浮気するなんて」
「あまりいいとは言えませんよ」
こう言ってまた顔を顰めさせるのだった。
「ではどうされよというのですか?」
「その証明を見せて頂ければ」
「二人が浮気するということを」
彼等が問うのはこのことだった。二人も最早引くつもりはなかった。
「ですから是非共」
「それを見せて下さい」
「ではそれで宜しいのですか?」
「はい、それでどうやってですか?」
「まあ二人が浮気しないというのは確信していますよ」
「ふむ、それはいけません」
だがこのグリエルモの言葉でアルフォンソの目に如何にも意地悪そうなその目の光がさらに光った。それだけを見ても何かありそうである。
「私はふざけてはおりません」
「ふざけていないと」
「そうです。ただ女性はです」
グリエルモに応えて言うのだった。
「肉と骨と皮でできていて食事をしスカートをはきます」
「それは当然ですが」
「女性ですから」
グリエルモだけでなくフェランドも言う。
「しかしそれがどうしたというのですか?」
「何を今更」
「女性は操を守るもの」
アルフォンソの言葉は胸を張って何かを見るようなものになってきていた。
「果たしてそれが真実かどうか」
「ドラベッラに関してはそうですよ」
「フィオルディリージもですよ」
二人はあくまでこう主張するのだった。
「絶対にそう言えます」
「神に誓ってです」
「女性の操というものはです」
しかしアルフォンソはそんな彼等に対して思わせぶりな笑顔に対して応えるのだった。
「アラビアのフェニックスのようなものです」
「フェニックス!?」
「してその心は」
「誰もがいると言いますが実際に見た者はおりません」
こういうことだった。
「何処にいるのかさえも誰も知りません」
「ああ、それはドラベッラのことですよ」
「フィオルディリージのことですね」
まだ言う二人であった。
「それはつまり」
「何だ、すぐ側にいるじゃありませんか」
「そうですよ」
「ふむ、果たしてどうですかな」
それを聞いても平然としているアルフォンソだった。
「それは。今も昔も」
「今も昔も?」
「そして?」
「女性の操なぞある筈がないのですよ」
「ですからドラベッラこそが」
「フィオルディリージこそが」
二人とアルフォンソの言葉は完全に食い違っていた。しかも双方共自信ったぷりにその主張を突き付けあうのだった。互いに一歩も引かない。
「まあドラベッラを見ればわかりますよ」
「フィオルディリージを見れば」
「そう思われるのは結構です」
しかしここでもアルフォンソの自信は変わらないのだった。
「ですがそれを証明できますかな?」
「僕達がですか」
「そうです。彼女達が心変わりしないと。そう確信を持てますかな?」
「勿論ですよ」
「絶対にです」
二人は楽しげに笑ってまたアルフォンソの言葉に返すのだった。
「もう付き合ってるからわかりますよ」
「育ちがいいし」
まずはこう言っていく。
「思慮深いし心は広いし」
「気心は知れているしふらつかない性格ですよ」
「ですから断言できます」
「そう、何があっても」
「涙に溜息に口付けに失神」
しかしアルフォンソは二人の言葉を聞いても相変わらずの調子であった。
「そういうものしか感じませんが」
「ですから貴方はそもそも以前に何かあったのですか?」
「余程酷い失恋をされたとか」
いい加減二人もこう思ってきていた。
「ですからそんなに」
「女性の操を、二人を信じないのですか?」
「私のことは宜しいでしょう」
アルフォンソはこの二人の言葉はあっさりとかわした。まるで闘牛士のように。
「しかしです。その証明ですが」
「二人がフェニックスであるということの証明ですね」
「アラビアにいるという」
「そうです。それの証明は」
アルフォンソはあくまで二人に対して言う。
「ではしてみせましょうか」
「ええ、是非共」
「賭けますか?」
「では百ツェッキーノ」
アルフォンソは二人の問いに応えて述べた。
「それで如何でしょうか」
「千でもいいですよ」
「幾らでも」
二人は相変わらず自信たっぷりに彼に返す。
「本当に幾らでもね」
「構いませんよ」
「では千で」
アルフォンソは二人の言葉を聞いて述べた。
「それで如何ですかな」
「はい、千で」
「それで御願いします」
「そして誓って欲しいことがあります」
アルフォンソは二人が賭けに乗ったのを見てあらためて言ってきた。
「宜しいでしょうか」
「何でしょうか」
「誓いとは?」
「貴方達の恋人には言葉や身振りでこの賭けを悟らせない」
彼が言うのはこのことだった。
「それで宜しいでしょうか」
「ええ、いいですよ」
「誓います」
二人は特に考えることなくすぐに返事をした。
「軍人の名誉にかけて」
「誓いましょう」
こうして二人は誓うのだった。アルフォンソはそれを聞いてさらに言うのだった。
「そして何でも私の言う通りにやって下さい」
「はい、それもまた」
「誓いましょう」
やはり二人の言葉は変わらない。そしてそのうえで言うのだった。
「まあその千ツェッキーノで遊ばせてもらいますよ」
「御馳走を食べさせてもらいますよ」
「そう、そして宴の場で」
「女神のセレナーデを聴きたいな」
「ふむ、それではその宴に」
アルフォンソは穏やかにそのにこやかな二人に対して告げる。
「私も呼んでもらいたいのですが」
「はい、是非共」
「御呼びしますよ」
「そう。そしてその宴の場で何度も」
三人は何だかんだで仲良く話していく。
「乾杯しましょう」
「愛の女神に対して」
こうして三人は賭けをすることになった。三人共それぞれ自信に満ち溢れていた。そしてその頃。海が見えるのどかな庭園に二人の美女がいた。二人は緑の絨毯に紅の薔薇が咲き誇る庭に椅子を置いて座り二枚の肖像を見ていた。
二人共奇麗な白い絹のドレスを着ている。そして羽根が付いた帽子も白だ。服は両方共白づくめであるが片方は髪はブロンドで青い目をしていてふくよかな顔をしている。何処か子供めいた顔立ちであるが気品をその全体にたたえていた。まだ若いが充分な貴婦人である。
もう一人もまた小柄だが茶色の髪に緑の目をしていてこちらは顔が細い。鼻がやや高く顔は引き締まっている。知的な感じがそこにはある。
二人はそれぞれその肖像をうっとりとして見ている。そうして言い合うのだった。
「ねえ、グリエルモはどうかしら」
「姉さん、フェランドは?」
それぞれの恋人のことを話しているようである。
「口元が奇麗で顔全体が気高くて」
「眼差しが燃えるみたいで」
「男らしさと優しさが一緒にあって」
「優しいけれど威厳があって」
二人の言葉は続く。
「ドラベッラ、そう思うでしょ?」
「フィオルディリージ姉さんも」
二人の名前も言い合う。
「私は幸せよ。若し心が変わることがあれば」
「そうよ。生きながら愛の女神の罰を受けるわ」
「ええ、そうよ」
「きっと」
また二人で言い合うのだった。しかしここでそのブロンドの美女フィオルディリージはふと表情を曇らせてそのうえで言ってきた。
「けれど今日は」
「どうしたの?」
「何か馬鹿げたことをしてしまいそうな」
その曇った顔で話すのだった。
「何かをしたくてむずむずするような。そんな気がするのよ」
「そんな気が?」
「若しグリエルモが来たら」
妹に対しても述べるのだった。
「私がどんな悪戯をするか見ていて」
「実は私も」
ここでドラベッラも言うのだった。
「何か普段と違うわ。すぐにも結婚してしまいそうな」
「手を見せて」
フィオルディリージは妹に対して話してきた。
「手相を見てあげるわ」
「ええ、御願い」
「それじゃあ」
こうして妹の手相を見る。そのうえで彼女に告げた。
「貴女すぐに結婚するわ」
「あら、それはいいことね」
ドラベッラはそれを聞いてすぐに満面の笑顔になった。
「僥倖ね、本当に」
「ええ、本当にね」
「それにしてもよ」
ドラベッラはその満面の笑顔をすぐに曇らせてしまった。そうしてその不機嫌な顔で姉に話してきた。
「あの人達遅くないかしら。もう六時よ」
「あっ、そうね」
二人でそれぞれ時計を見て話すのだった。
「早いわね。もうそんな時間なんて」
「本当よね。あっ」
しかしここでドラベッラは声をあげた。声は晴れになっていた。
「来たわ」
「やっと来たわね」
「いえ、違ったわ」
ドラベッラの声はすぐに曇りに戻った。
「ドン=アルフォンソさんよ」
「あの人がなの」
「ええ。何か御用かしら」
ドラベッラはその彼が自分達の方に来るのを見ながら述べた。
「私達に」
「用があるから来たのでしょうね。それじゃあ」
「ええ、そうね」
出迎える礼儀として立ち上がった。そうしてそのうえでアルフォンソを出迎える。そうしてそのうえで挨拶を交えさせてそのうえで言葉を交えさせるのだった。
「こんにちは」
「こんにちは。実はです」
アルフォンソはいきなり自分から話を切り出してきた。深刻な顔と声で。
「悲しいお知らせが」
「お知らせとは?」
「悲しい?」
「そうです。お話したくとも心が痛んで口が震えて」
彼はまずこう前置きしてきた。
「言い出せません、酷い運命です」
「酷い運命!?」
「何が一体!?」
「これ以上酷いことはありません。貴女達もあの人達もお気の毒に」
「私達が!?」
「しかもあの人達もって」
二人は彼の言葉を聞いてその顔を同時に曇らせてしまった。
「もしかしてあの人が死んだとか」
「まさか」
「いえ、死んではいません」
二人に一応はこう告げる。
「御健在です」
「そう、それでしたら」
「宜しいですわ」
「しかしです」
二人が胸を撫で下ろしたのを見計らってまた仕掛けるアルフォンソだった。
「死んだようなものです」
「怪我!?」
「それとも病気!?」
「どちらでもありません。それは」
そしてここでそれをやっと話すのだった。
「出陣です」
「出陣!?」
「けれどそんなお話は」
「皇帝陛下よりの勅命です」
この皇帝とは神聖ローマ帝国皇帝のことである。当時ナポリはハプスブルク家の領土であり皇帝家は言うまでもなくそのハプスブルク家だ。時の皇帝は啓蒙君主として名高いヨーゼフ二世である。
「今すぐに」
「そんな。今は戦争も起こっていないのに」
「どうしてですか?」
「私はそこまでは知りません」
このことについては完全にはぐらかしていた。
「ですが急に決まりましたので」
「そんな・・・・・・」
「また本当に急に」
「だからです」
彼はまた二人に言ってきた。
「御二人をこちらに御呼びしました」
「グリエルモ・・・・・・」
「フェランド・・・・・・」
フィオルディリージもそれぞれ二人の名を呼んだ。二人も項垂れ悲しい顔で姿を現わすのだった。
「ドラベッラ、これも勅命だ」
「僕達も軍人だ」
一応言葉ではこう言うのだった。
「いざ武勲を挙げに行って来るよ」
「今これからね」
「ええ、待ってるわ」
「もう話は聞いているから」
姉妹も泣き崩れそうになるのをこらえて二人に告げる。
「どうか勇気を出して」
「戦場で」
「別れは辛い」
「けれど」
二人は芝居で姉妹は本気だ。しかしそれぞれその位置にはいた。
「僕達は行く」
「その間待っていてくれ」
「ええ、わかってるわ」
「きっとね」
姉妹のその泣き崩れんばかりの声を聞いて二人は内心にんまりとした。そうしてそのうえで二人の間に立っているアルフォンソに対して囁くのだった。
「御覧になられましたね」
「どうですか」
「いや、まだはじまったばかり」
しかしアルフォンソは澄ました顔でこう返すのだった。
「終わりまでわかりませんぞ」
「むむっ、もう決まっているというのに」
「まだそんなことを」
「幕は開いたばかりです」
しかしアルフォンソの言葉は変わらない。
「さあ、最後まで」
「いいでしょう。それでは」
「千ツェッキーノはその後で」
二人は余裕だった。その余裕で恋人達に顔を戻す。そうして五人はそれぞれ言うのだった。
「こうして運命は人の希望を断ち切る」
「この様な目に逢って何故人生を愛せましょう」
また二人は芝居で姉妹は本気で。アルフォンソはあの意地の悪そうな目のままである。
「誰が人生を愛せましょう」
「どのようにして」
「けれどそれでも」
「うん」
二人はそれぞれの恋人の言葉に頷いてみせる。
「きっと武勲を」
「そして剣を」
フォオルディリージが思い詰めた顔でグリエルモに言ってきた。
「貴方に万一のことがあれば私はその剣で」
「私はそうなったら悲しみで死んでしまうわ」
ドラベッラは泣きそうな顔で話した。
「だから剣はいらないわ」
「そんなことを言わないでくれ」
「そうだよ、あまりにも不吉だよそれは」
フェランドもグリエルモもここでは演技ではなあkった。
「僕達は必ず生きて帰るから」
「神が君の心の平和を守ってくれるよ」
そして今度は本気で言うのだった。
「この美しい目は運命すらも変えてくれる」
「神よ、御守護を」
心から神に祈りもする。
「例え悪い星が彼女の平安を妨げたとしても」
「その澄んだ瞳で私を見つめてくれるように」
そして二人の言葉は一つになった。
「そうすれば僕は幸せに彼女の胸の中に戻れるから」
「よし、いい感じだな」
アルフォンソは四人の様子を見ながら呟いた。
「特に二人共よくやってくれているな」
とりわけフェランドとグリエルモを見て言うのだった。
「実にいい調子だ」
「むっ!?」
「あれは」
ここで太鼓の音が聞こえてきた。マーチ調である。
「太鼓の音だ、それではいよいよ」
「出陣だ」
「船も来ておりますぞ」
アルフォンソはここで海に見える一隻の大きな船を指差してみせる。しかしそれが軍の船でないことはわかっている。何しろ本当は戦争なぞ起こる素振りもないのだから。
「さて、それではです」
「そう、行きます」
「いざ。陛下の為に」
二人は誓ってみせて。そうしてまた言うのだった。
「軍での生活はいい。毎日場所が変わる」
「今日は遠くへ明日は近くへ」
そしてこうも言っていくのだった。
「ある時は地上、ある時は海の上」
「ラッパと笛の響き、銃と砲弾の炸裂する音」
それこそがまさに戦場ではある。
「腕は高鳴り心は燃え勝利に向かう」
「それこそが軍隊での暮らしだ」
「さて、では時間です」
アルフォンソは一応その目にハンカチを当てはしている。
「皆さん」
「はい、わかっています」
「それでは」
「ドラベッラ」
「フィオルディリージ」
四人は熱い視線を交えさせそのうえで別れる。そしてやがて船が出港し姉妹は涙を流す。もっともそれはわかる人間が見れば軍艦ではないのだが。
そしてアルフォンソはここで。優しく姉妹に対して言うのだった。
「風は穏やかです」
「はい」
「あの人はそれに乗って」
「そう。ですから気に病まれることはありません」
彼もまた演じている。
「波は静かにそして神の御加護は私達の願いを聞いて頂いておりますよ」
「そうですね。それで」
「ですから気に病むことは」
「そうです」
(しかし私も中々演技ができるな)
姉妹に応えながら別のことを考えているのだった。
(さて、御二人も中々動いてくれた)
「お姉様、それでは」
「ええ」
嘆き悲しみ続ける姉妹も見る。そしてこうも思うのだった。
(ふむ。この姉妹もすぐだな。思ったより早く陥落するぞ)
「さて、それではもう」
「ええ、帰りましょう」
(しかしあの二人も気の毒なことだ)
ふと二人に同情したりもする。
(この世に存在しないものに千ツェッキーノもかけておまけに嘆き悲しむのだからな)
「海を耕し砂漠に種を撒き風を網で捕まえようとするみたいなものだ」
とにかく女性を信じてはいないのだった。
「さて、どうなるやら」
こんなことを言いながら家に帰っていく姉妹を見送る。その頃その姉妹の邸宅で黒いメイドの服に白い靴下とエプロン、それに頭飾りをつけた若い娘があれこれと働いていた。
「やれやれ、お給料はいいけれど」
ふと掃除を中断して両手を腰にやって伸ばす。見れば髪は茶色がかった黒で長く波がかっている。目の色は黒く鼻が高い。かなり整った顔をしており唇は小さく紅で肌も白く彫が深い。とりわけ目がはっきりとしていてまるで絵に描いたように美麗であった。
背は小さいがスタイルはかなりいい。その彼女があれこれとぼやいていた。
「メイドの生活は朝から晩まで働いて汗まみれ」
彼女は言うのだった。
「骨を折ってそれで三十分もかかってチョコレートを作っても」
ふと白いテーブルの上に置いてあったチョコレートを手に取ってそのうえで飲むのだった。このチョコレートは飲むチョコレートであるのだ。
「こっちはこうしてつまみ食いが精々。ちょっと困ったものね」
そんなことを言っているとフィオルディリージとドラベッラが来た。見れば二人とも涙を流している。
「お嬢様方、朝のお食事ですけれど」
「ええ」
「そうね」
「あら?」
すぐに姉妹に元気がないのを見抜くのだった。
「どうされました?一体」
「デスピーナ、剣はない?」
「毒は」
「そんな朝食のメニューはありませんけれど」
デスピーナと呼ばれたメイドはおどけて二人に返す。
「あるのはゆで卵にソーセージに白パンですけれど」
「そうなの」
「どちらもないのね」
「お昼はパスタですよ」
これは言われてもいないのに出した言葉だ。
「トマトとガーリックをふんだんに使った」
「ええ、けれど」
「今は食欲がないのよ」
「またどうして」
「今は一人にしていて」
ドラベッラが憂いに満ちた顔で言った。
「悲しい恋の終わりよ。もう窓も閉めて」
「こんなにいいお天気で?」
「光がもう辛いの。吸っているこの空気だって」
「潮風の味がしてとてもいい空気ですのに」
「私自身がたまらない。苦しみをからかうのは誰?」
「少なくとも私ではありませんよ」
嘆き悲しむドラベッラに対してデスピーナはあくまで明るい。
「それは御安心よ」
「わかってるわ。だから」
「だから?」
「今は一人にして欲しいの」
こう言うのである。あくまで。
「私を苦しめるやみ難いこの恋心。この心から去らないように」
「去らない?」
「苦しみ私が死に絶えるまで。若し命永らえたら復讐の女神に」
「エリスに。また物騒な」
「運命の恋の惨めな実例を見せてあげます。私のこの溜息の凄まじい音と共に」
「またどうしてそこまで?」
デスピーナは首を傾げながらドラベッラに問う。そのうえでフィオルディリージも見る。
「フィオルディリージ様もどうして」
「大変なことになったのよ」
「大変なこと?」
またドラベッラの言葉に首を傾げる。
「何ですか、それで」
「あの人達がナポリを出たのよ」
「何だ、そんなことですか」
フィオルディリージからそれを聞いて明るく笑い返すのだった。
「でしたらすぐお帰りになられますよ」
「それはわからないわ」
しかしドラベッラは彼女の言葉に悲しげに首を横に振った。
「それはもう」
「わからない筈がありませんが」
デスピーナにすればそうでしかない。
「そもそもどちらへ」
「戦場よ」
「あら、それは尚更結構なことですね」
ドラベッラのこの言葉を聞いてもまた笑うだけだった。
「勲章を付けて帰って来られますよ」
「死ぬかも知れないのに?」
「戦争で滅多に死にませんよ」
フィオルディリージの思い詰めた言葉にも調子を変えない。
「そんなの。銃弾とか大砲で死ぬより風邪で死ぬ方がずっと多いじゃないですか」
「大丈夫だっていうの?」
「大体戦場で先頭に立つかどうかもわからないじゃないですか」
こうも言うデスピーナだった。
「それで何で悲しむことがあります?安心していいですよ」
「けれどそれでもよ」
「何かあったらと思うと」
「はいはい、それは御聞きしました」
両手をぱんぱんと叩いてそんな姉妹を宥めてきた。
「ではこれからのことを考えましょう」
「これからのこと?」
「そうです。人は涙で生きるものではありません」
これはその通りだった。
「恋によって生きるものですよ。命短し乙女よ恋せよ」
「だからこそ悲しいのに」
「何を言っているの?貴女は」
「恋はそこいらにありますよ」
今度はこんなことを言うのだった。
「もう至るところに」
「嘘よ、それは」
「そうよ」
姉妹はデスピーナの言葉をすぐに否定した。
「私の心はあの人にだけ」
「私も。だから」
「死ぬと仰るのですか?」
「あの人がいなくなったら本当に」
「死んでしまうわ」
「やれやれですね」
二人の嘆きに今度は肩を竦めてみせる。
「恋で死んだ人なんていないのですよ」
「それは私よ」
「私なのよ」
二人はまた言った。
「絶対にそうなるわ」
「この恋が消えたら」
「男の為に死ぬなんてそんなことはありません」
デスピーナはまた姉妹に告げた。
「別の男がその嘆きを埋め合わせてくれますよ」
「他の男を愛せる筈がないわ」
「そうよ。そんなことが」
「男心なんか風の中の羽根のようなもの」
デスピーナは男心に対しても同じ調子だった。
「何処をどうしているやら。ですから女もまた」
「どうしろっていうの?」
「今日はこの男、明日はあの男」
にこにことしながら語る。
「それでいいのですよ。男はそれこそ星の数程いるじゃないですか」
「あの人は一人だけよ」
「一人しかいないわ」
「もうわかりましたから。では私は言いますよ」
少し真面目な顔になって語ってきた。
「この苦しみを解消するには」
「ええ」
「何なの?」
「軽く遊ばれることです」
遊ぶことを勧めてきた。
「他の殿方と。軽く」
「馬鹿なことを言わないで」
「そうよ」
姉妹はそんなデスピーナの言葉に眉を顰めさせてきた。
「私がそんなことはできないわ」
「何があっても」
「おやおや。御二人が何をされていても?」
「あのグリエルモはそんなことをするっていうの?」
「フェランドも」
フィオルディリージもドラベッラもそれぞれデスピーナに言い返す。
「絶対に有り得ないわ」
「天地がひっくり返ってもよ」
「男が浮気をしないと思われるのですか?」
デスピーナは二人のその主張を頭から笑い飛ばした。
「人には聞かせられないお話ですよ」
「何処がよ」
「その通りなのに」
「男は皆一つ穴の狢ですよ。そよぐ木の葉も定めない風向きも」
今度は実によく揺れ動くものを言葉に出してきた。
「男心よりはしっかりしてますよ」
「あの人は違うわ」
「それを否定するの?」
「偽りの涙に嘘の眼差し、優しい言葉に暖かい手。それは全部殿方の特技でございます」
そういったものを全部知っている言葉だった。
「自分の楽しみの為だけに女を愛してそれで軽蔑し愛を否定し」
「昔に何かあったの?」
「貴女確か十六じゃなかったかしら」
姉妹よりも年下だったりする。
「何か随分と人生経験豊富そうだけれど」
「何かナポリのおばさんみたいだけれど」
「イタリア娘は十六でこうでないと務まりませんよ」
自分のことを強引に全体に当てはめてもきた。
「それこそ男に誠意を期待するなどとは」
「無駄だっていうの?」
「モンゴル人かバイキングに憐みを乞う方がまだましです」
「モンゴル人にバイキングって」
「あんな連中に」
モンゴル人にバイキングといえば欧州の人間にとってはまさに悪の象徴である。イスラム教徒と全く同じ存在なのである。つまり恐怖でもあるのだ。
「そんな殿方達に期待しても無駄です。ですから」
「ですから?」
「同じ手口で仕返しするのですよ」
こう言ってまた浮気を薦めるのだった。
「そしてこちらの都合と虚栄心で満たすのですよ」
「何かとても納得できないけれど」
「そんなこと。とても」
「いえいえ、おわかりになられますよ」
デスピーナは確信しているようだった。
「必ずね」
「そうかしら」
「本当に?」
姉妹はその言葉を信じない。しかしそれでもだった。デスピーナは確信するその笑みで姉妹を見ていた。そのうえで項垂れてそれぞれの部屋に入る彼女達を見送りそのうえで掃除に戻っていた。
そしてここで。アルフォンソが姉妹の家に来た。まずは扉をノックする。この扉も白い。姉妹の家はその全てが白く飾られているのだ。
「静かだな。やっぱり沈んでいるな」
家の中の気配を察して呟く。
「まあ世の中は重苦しく考えてはいけないもの。軽くならないとな」
実はこれが彼の考えである。
「さて、御二人はいいとして」
ここでもう一人の存在を意識した。
「デスピーナには気をつけないとな。ここは贈り物をして味方につけるとするか」
そんなことを考えながらまずは家の中に入った。するとそこで掃除をするデスピーナと顔を合わせるのだった。彼女の顔を見てとりあえずは挨拶をする。
「やあ、今朝もお美しい」
「顔だけではなくて性格も」
こんな調子でアルフォンソにも返すデスピーナだった。
「今日も奇麗ですよ」
「そうですな。それでです」
「何か?」
「ちょっと用があるのですが」
「御用件とは?」
「まずはこれを」
懐から一枚の金貨を出してきて彼女に差し出してきた。
「どうぞ」
「くれるのですか」
「協力して頂けるのなら」
「そう。それだけ私の力が必要なのね」
「如何にも」
楽しげに笑ってデスピーナに告げるのだった。
「何ならもう一枚も」
「そっちも貰うわ。それじゃあ」
「商談成立だな」
「ええ。同盟は締結されたわ」
笑ってこうも言うのだった。
「無事ね。それで何かしら」
「お嬢様達のことだが」
「戦場に行った程度で嘆き悲しむなんてお話にならないわ」
こう言ってここでまた肩を竦めさせるのだった。
「全く。そんなことを言ったら世界は涙で満ち溢れてるわ」
「その通りだ。それでだ」
「ええ。それで?」
「貴女に協力してもらいたいことは二人をお慰めすること」
「それはもうお勧めしてるのよ」
楽しそうに笑って返すデスピーナだった。
「もうね」
「おやおや、流石にわかっているんだね」
アルフォンソはデスピーナの今の言葉を聞いて満足そうに笑った。
「いや、それなら話は早いな」
「そうでしょ。それでどうするの?」
「二日酔いには迎え酒だよね」
「ええ。まずはそれね」
デスピーナは彼にも笑って応える。
「それが一番よ」
「実は私は二人の紳士を知っていてね」
「あら、それはまた好都合なことね」
「そうじゃろ?お金持ちで御二人に御会いしたいというな」
「都合のいいことって続くのね」
「神はよきものをもたらしてくれる」
自分に都合のいいことを言うがこれは彼の信仰でもある。そして同時にデスピーナもまたそんな信仰を持っているのである。二人は似た者同士でもあるのだ。
「これに成功したら二十エキュだが?」
「同盟締結の他になのね」
「そう。それでいいかな?」
「それでその殿方達はお若くてハンサムかしら」
お金のことは聞いたので次の問題はこの二つだった。
「それはどうなの?」
「そちらも合格だよ。充分ね」
「そうなの。じゃあ一度見てみたいわね」
デスピーナはここまで話を聞いてこう述べた。
「どんな方なのか」
「うむ。実はもうこちらに御呼びしていてな」
「用意がいいわね」
「私は何でも用意周到にする主義だからな」
また笑って話すのだった。
「だからこそじゃよ」
「了解よ。御呼びして下さいな」
「それでは」
ここで懐から鈴を取り出して鳴らす。すると扉のドアからあの二人が出て来た。二人共白いターバンを巻き羽根をつけている。そのうえ濃い付け髭を顔中につけてそのうえそれぞれみらびやかなアラブの服で飾っている。フェランドは赤、グリエルモは青である。
「おお、この方がイタリアの」
「何とお奇麗な」
「イスラムの方なの?」
デスピーナは二人の変装には気付かずにアルフォンソに問うた。
「ひょっとして」
「アルバニアから来られた方でな」
「じゃあこの格好でもキリスト教徒なのね」
「そういうことだよ」
アルバニアは当時オスマン=トルコの領土だった。そこで数少ないキリスト教徒の民族だったのである。
「だからお嬢様方に声をかけても」
「問題はないわね」
「駄目かな」
「お髭が気になるけれど」
デスピーナは二人がつけている髭には目を顰めさせていた。この時代欧州の貴族達は皆髭を剃っていた。だから彼女からしてみれば異様なものだったのだ。
「それでもお顔は御二人共いいわね」
「ではいいかな?」
「まあいけるわね」
アルフォンソに対して頷いてみせる。
「いいわ、協力させてもらうわ」
「うむ、では頼むぞ」
「ええ、それにしても」
ここでデスピーナはふと思うのだった。
「この方々何処かで見たような」
「まずいな」
「気付かれたか?」
フェランドとグリエルモは今のデスピーナの言葉に顔を見合わせた。
「これはちょっとな」
「やっぱりデスピーナは鋭いか」
「まあ気のせいね」
しかし今はこう考えることにした。そうしてそのうえでまた演技を続ける。そしてここで姉妹が出て来たのだった。
「ねえデスピーナ」
「どなたかいらしたの?」
「はい、そうです」
デスピーナは姉妹に対して笑顔で答えた。
「その通りですよ」
「一体誰なの?それで」
「どなたが来られたの?」
「はい、この方々です」
デスピーナはにこりと笑って姉妹に応えそのうえで二人を手で指し示す。
「お嬢様方をお慕いし熱愛されていますよ」
「えっ、そんな」
「いけないわ」
姉妹はそれを聞いてすぐに顔を顰めさせた。
「私達はそれは」
「絶対に」
「まあまあ落ち着いて」
デスピーナはいつもの調子で笑って姉妹に告げた。
「落ち着くと色々なものが見えますよ」
「見えるも何も関係ないわ」
「さっきも何度も言った筈よ」
顔を顰めさせただけでなく口も尖らせる姉妹だった。
「それにこの方々トルコ人ではないの?」
「イスラム教徒とは絶対に」
「いえ、キリスト教徒ですよ」
「そうなのですが」
二人が言った。
「アルバニアから来ました」
「姿はトルコですが心はそこにあります」
「アルバニアから?」
「また随分と遠くから来られたのね」
二人は一応話は聞いた。
「けれどそれでもよ」
「私達は決して」
「どう思うかね」
「ええ、そうね」
アルフォンソとデスピーナは楽しそうに顔を見合わせて話すのだった。
「怒ってるけれど本当のところは」
「怪しいものだね。本当の心はね」
「おい、やっぱりな」
「そうだよな」
そして二人は嬉しそうに顔を見合わせていた。
「彼女は貞節だ」
「清らかだよ」
「私の心はあの人のもの」
「私もよ」
姉妹は必死の顔で言い切る。
「何があっても変わりはしないから」
「決して」
「まあまあ」
ここで笑って言ったのはアルフォンソだった。
「そんなに騒ぐことはありませんよ」
「アルフォンソさん」
「貴方も来られたのですか?」
「最初からいますが」
姉妹はそこまでは気付いていなかったのである。
「本当に最初からここに」
「そうだったのですか」
「気付きませんでしたわ」
「ですからお静かに」
姉妹が少し落ち着いたのを見てまた声をかけるのだった。
「ご近所が驚かれますよ」
「え、ええ」
「わかりましたわ」
彼に言われてやっと完全に落ち着く姉妹だった。ドラベッラはそのうえで彼に話すのだった。
「それでですね」
「こちらの方々ですか」
「そうです。アルバニアからの方ですが」
「それが何か?」
「何かではありません」
今度はフィオルディリージが彼に言う。
「今日だというのに」
「この方々は私の知っている人達でして」
「はい、いつもお世話になっています」
「御立派な方ですね」
二人はまたアルフォンスに合わせて芝居をするのだった。
「このナポリに来てもおかげさまで」
「苦労はしていません」
「いやいや、私はとても」
演技で謙遜しての言葉である。
「何もしていませんから」
「そうではありませんよ」
「その通りです」
また笑って話す二人だった。
「今日も朝を御馳走になっていますし」
「有り難うございました」
「それでです」
フィオルディリージは二人を不審な目で見ながら問うた。
「何の御用件でこちらに」
「はい、どうか」
「是非共」
二人はここで同時に姉妹の前に片膝をついてきた。フェランドがフィオルディリージの前に、グリエルモがドラベッラの前にである。
「どうかこの罪人を」
「ならず者をお救い下さい」
「いけませんわ」
フィオルディリージが拒む言葉で返した。
「そんなことは」
「恋という全能の神に導かれてここに」
「貴女の輝く瞳を一目見て」
フェランドとグリエルモが言う。
「その眩い光に」
「恋にやつれた蝶は」
「ですからここに」
「そして憐れみを」
「それはできません」
フィオルディリージの拒む言葉は変わらない。
「私は決して」
「私もです」
ドラベッラの言葉も同じだった。
「何があろうとも」
「この様な不名誉な言葉を口にして私達の心や耳、そして愛を汚さないで下さい」
フィオルディリージは二人に告げる。
「どなたでも私達の心を誘惑できません。私達がそれぞれの恋人に誓った貞節は例え世や運命が変わっても死ぬまで守っていきます」
「あら、強気ね」
デスピーナは彼女の言葉を聞いてもただ目を二度三度としばたかせるだけだ。
「けれど最後まで続くのかしら」
「風にも嵐にも岩が動かないように私は操も愛も守ります」
フィオルディリージの言葉は変わらない。
「私達の中には私達を慰め喜ばせる灯りがついていて死以外に私達の心の愛を変えることはありません」
ここまで言って去ろうとする。しかしであった。
「お待ち下さい」
「どうかここで」
二人はその彼女を呼び止める。立ち上がったところでアルフォンソにそっと囁く。
「ほら、こうなってるじゃない」
「千ツェッキーノ楽しみにしてるよ」
「いやいや、まだまだこれからだよ」
だがアルフォンソはまだ笑っている。そのうえでまた姉妹に話すのだった。
「まあお待ち下さい」
「待つことはありません」
「そうです」
姉妹はきっとして彼にも言い返す。
「私が申し上げることはありません」
「もう何もありません」
「この方々は私の親友ですし」
まずはこのことを話すのだった。
「それに紳士ですよ」
「紳士!?嘘ではないのですか?」
「私達の苦しみに憐れみを」
フィオルディリージが言ったところでまた言うグリエルモだった。
「お嬢様」
彼はドラベッラを見ていた。何故かフィオルディリージより自然にだ。
「貴女の目のその美しさが私を傷つけそれは愛によってしか癒されません」
「まだそのようなことを」
「例え一瞬でも御心を開かれて優しい御言葉を」
彼は言うのだった。
「さもなければ私は」
「私は?」
「もうこれで終わってしまいます」
そしてさらに言った。
「恥らわずにその美しい瞳で二つの愛の光を私の心に当てて幸福を下さい」
「幸福を?」
「そう、幸福をです」
一途な言葉で語る。
「是非。そして愛し合い貴女も幸せに。さあ御覧になって下さい」
言葉は次第に熱くなってきていた。
「この二人の立派な男達を。強く格好がよく整っています。それにこの髭も」
「髭?」
当然欧州では髭は生やされていないのでそれもいぶかしげであるが見るドラベッラだった。
「足も目も鼻もですが髭も」
また髭のことを言う。
「男の勝利とも恋の羽飾りとも何とでお御呼び下さい」
「いえ、私はもう」
しかしドラベッラは相変わらず拒む。だが。
「これで」
「そうよ。ドラベッラ」
何故か言葉が柔らかくなっていた。フィオルディリージもだ。
「御暇させてもらいます」
「早くお帰りになって下さい」
こう言って屋敷の奥に消えた。気付けばデスピーナも何時の間にかいなかった。男三人だけが残ってしまっていた。二人はここでふと言うのだった。
「よし、大丈夫だ」
「僕達は勝ったぞ」
「どうかな。だから最後の最後までわからないぞ」
アルフォンソの態度はここでも変わらない。
「まだまだな」
「まだそんなことを言うんですか?」
「もう僕達は勝ってるのに」
フェランドもグリエルモも得意そうに笑っている。
「僕達はもう勝利を収めていますよ」
「大勝利じゃないですか」
「笑っているけれど自分達で理由はわかっているのかい?」
アルフォンソは楽しそうに笑っていた。
「どうして笑っているのか」
「勿論ですよ」
「わかっているから笑うんですよ」
フェランドもグリエルモも余裕で笑い続けている。
「それだけですよ」
「お金の用意はできていますね」
「おいおい、君達はまだおしめをしているのかな?」
アルフォンソはまた笑ってみせてきた。
「これからだよ、明日の朝まで時間はあるのに」
「まあわかってますよ」
「それはね」
二人は余裕のまままた話す。
「僕達も軍人ですし」
「その誇りにかけて誓った通りに続けますよ」
「それではです」
アルフォンソはそれを聞いて二人に告げるのだった。
「ここを出て庭に行って」
「庭に?」
「あそこで?」
「そうです。そこでお待ち下さい」
「それじゃあそれで」
「行きますけれどね」
二人はそのまま向かうのだった。フェランドはそこで話した。
「僕達の恋人からの愛のそよ風は心に優しい慰めを与えてくれる。愛の夢に育まれたこの心にこれ以上に望むものはありません」
「そうだよ。じゃあフェランド」
「行こう」
もう勝利を確信してそのうえで庭に向かうのだった。しかし一人になったアルフォンソはにやにやとしてそれでまた呟くのだった。
「まあすぐにわかるさ。女性の操があるかどうかはね」
「あれ、御二人は?」
ここでデスピーナが戻ってきたのだった。
「どちらに行かれたの?」
「ああ、庭にね」
にこにことなって彼女にも話す。
「行かれたよ」
「そうなの。お嬢様方も同じよ」
「ふむ、それは都合がいい」
アルフォンソはそれを聞いてまた笑うのだった。
「実にね」
「そうね。庭に庭だから」
「そしてだ」
アルフォンソはここでデスピーナに問うてきた。
「どう思うかね?」
「どう思うかとは?」
「この劇の結末だよ」
彼が問うのはこのことだった。
「この劇は。果たしてどうなると思うかね?」
「私なら笑ってるけれどね」
こう返すデスピーナだった。
「この状況でだと」
「笑えるんだね」
「だって今の彼氏がいなくなっても次がいるじゃない」
実にあっけらかんとしている。
「そんなの。一人消えたら二人捕まえないとね」
「君本当に十六かね?」
アルフォンソもそれが少し信じられなくなった。目をしばたかせてさえいる。
「随分と恋愛経験豊富なようだが」
「十歳で告白してされて」
子供の頃からだった。
「もう三桁はいってるわよ」
「ううむ、三桁か」
「そうよ、これでわかったわね」
あらためて話すデスピーナだった。
「私の恋愛経験。このことなら誰にも負けないわよ」
「見事なものだ」
「下は八歳から」
「これは幾つの時の話だね?」
「十歳の時よ。その時十三歳の彼氏と二股だったのよ」
のっけからそれだったのである。
「それで上は七十歳までね。老若色々よ」
「ないのは女性だけか」
「そういうことよ。何でもござれよ」
「恋は天の摂理というが」
「自然の法則よ」
彼女にとってはまさにそれであった。
「嬉しくて心地よくて楽しくて面白くて」
「何でもあるのだね」
「晴れ晴れして気が紛れて喜ばしいものじゃない」
満面の笑みで語るデスピーナだった。
「それが面白くなくなって楽しみの代わりに悩みや苦しみがあったら」
「その時は?」
「それはもう恋じゃないわ」
これが彼女の恋愛観だった。
「そういうことよ」
「ではあのお嬢様方は」
「思う壺ね」
きっぱりと言い切った。
「あれじゃあね」
「ふむ。思う壺かね」
「そうだな。もう愛は見た」
「愛されたら愛するようになるものよ」
それまでわかっているデスピーナだった。
「後はもう自然に動いていくわ」
「では後は」
「私に任せて」
小柄だがわりかし以上にある胸をそらせていた。
「私は恋の鞘当では負けたことはないのよ」
「不敗かね」
「百戦百勝よ。鋼鉄の霊将と呼んでね」
「その言い方はよくないな」
「そうね。センスの欠片もないわね」
それで言葉を替えることにした。
「ここはあれね。恋愛博士ね」
「博士は私なんだがね」
「まあいいじゃない。ここは恋愛博士に任せてね」
「うむ。ではな」
「鼻先一つでどんな男も操れるわ」
どう考えても十六歳の言葉ではないが言うのだった。
「完全にね。それであの殿方達は大金持ちだったわよね」
「たんまりとな」
「それを聞いてさらに安心したわ。まずはお金だから」」
「そうじゃな。それではな」
「うむ。任せるよ」
「明日の朝にはよ」
彼女もまた勝利を確信しているのだった。
「あの殿方達は鼻歌を歌っていて私も大勝利よ」
「では庭に」
「ええ、行きましょう」
二人もまた庭に向かう。そしてその庭では。姉妹が嘆いているのだった。
「こんなことって」
「そうよ。ないわ」
ドラベッラが姉に応えていた。二人とも両手で顔をの横を覆っている。
「私の心はあの方のものなのに」
「それなのにこんな」
「苦しみに満ちた海のようなもの」
二人で言うのだった。
「今の私の運命は意地悪な星が照らしているのね」
「あの方といた時はこんな苦しみは知らなかったのに。こんなに悩まなかったのに」
「それなのに今は」
「どうしてこんな」
「ここにおられたのですか」
「探しました」
しかしここでであった。二人が庭に来たのだった。
「どうか憐れみを」
「お慈悲を」
「いけません」
「決して」
しかし二人の態度は変わらない。
「何があろうともです」
「私の心は絶対にです」
「そうですか。それなら」
「私達はもう」
二人は懐から何かを出してきた。見ればそれは黒い小瓶だった。
「これを飲んでもう」
「それで楽に」
「!?何を」
「何をなさるおつもりで?」
「決まっています、もうそれなら」
「せめてこれで」
その蓋を開ける。そして口につけようとしたその時であった。
「いかん、いかんぞ」
アルフォンソまで来た。必死な顔をしてはいる。
「まだ望みはある。だから」
「アルフォンソさんまで」
「どうしてなの?」
「アルフォンソさん、御言葉は有り難いのですが」
「もう僕達は」
二人は彼の制止を聞こうとはしない。
「何の希望もなくなりました」
「ですからお気遣いなく」
「ですから待たれよ」
しかしアルフォンソも止める演技を続ける。
「どうかここは」
「この砒素で」
「もうそれで」
「砒素!?」
「じゃあやっぱり」
姉妹は砒素と聞いて血相を変える。砒素といえば毒、これはもう常識である。
「死ぬつもりなの?」
「あの毒を飲んで」
「そうです、立派な毒です」
アルフォンソはその姉妹に顔を向けて言う。ここぞとばかりに。
「あれを飲めば本当に」
「どうしたらいいの?」
「もしかしたら本当に」
「最後に御覧になって下さい」
「私達の死を」
二人はまたここぞとばかりに言ってきた。
「捨てられた愛の惨めな結末を」
「せめて憐れみで」
「どうしたらいいの?」
「私達は」
姉妹はもうどうしていいかわからない。そして遂に二人は薬を飲むのだった。
「ああっ!」
「飲んでは」
「もう終わりです」
「これで」
二人は飲んでから無念の顔を見せてきた。
「太陽の光も暗く見えてきた」
「身体が奮えて魂も気力も抜けていく」
「唇も舌ももつれて」
「もう言うことすら」
ここまで言って庭に倒れる。アルフォンソはその彼等を仰向けにさせてそのうえで言うのだった。
「間も無く死んでしまいます」
「は、はい」
「砒素ですから」
「ですからせめてです」
そして姉妹にさらに言うのだった。
「僅かの憐れみでも。なりませんか?」
「誰か来て」
「デスピーナ、来て」
姉妹は蒼白になって必死にデスピーナを呼ぶのだった。
「早くここに」
「庭に来て」
「どうしたんですか?」
そのデスピーナが何食わぬ顔で庭に出て来たのだった。
「そんなに騒がれて」
「どうしたもこうしたもないわよ」
「大変なことになったのよ」
「あれ、亡くなられたのですか?」
ここで倒れている二人に気付いたのだった。
「またどうして」
「薬を飲んでしまったのだよ」
アルフォンソは困った顔になってみせて彼女に語った。
「砒素を」
「砒素!?またそんなものをどうして」
「恋に破れたのを悲観してだよ」
あえて姉妹に聞こえるようにして話す。この時ちらりと彼女達を見るのも忘れない。
「それでね」
「何てことなのかしら」
デスピーナも演技で嘆いてみせる。
「じゃあもう死んだのね」
「いや、まだ生きておられる」
これは言うのだった。
「しかしこのままでは」
「そうね。まずは何とかしないといけないけれど」
「どうすればいいの?」
「私達にできることはあるかしら」
姉妹は蒼白になった顔でデスピーナに問うてきた。デスピーナは彼女達のその顔を見てすぐに仕掛けるのだった。
「それではですね」
「え、ええ」
「何をしたらいいの?それで」
「支えて下さい」
こう姉妹に告げるのだった。
「どうかここは」
「支えるの?」
「そうです」
姉妹をそっと誘い込む。
「ここは。そうですよね」
「うむ、その通り」
アルフォンソもそれに応えて頷くのだった。
「心は大事ですぞ」
「けれど」
「それでも」
「それで博士」
デスピーナは戸惑う姉妹をまずは置いてまたアルフォンソに声をかけた。
「お医者様と解毒剤を」
「そうだな。ここはな」
「はい、それでは」
こうして二人はその場を後にした。こうして姉妹をわざと置いていく。残された姉妹は二人の側に立つと余計に焦る。焦りながら言い合うのだった。
「どうしたらいいの?」
「あの人を裏切ることはできない」
姉妹は顔を見合わせて言い合う。
「それでもこの人達は死にそうだし」
「お姉様、どうしたらいいのかしら」
「私にもわからないわ」
フィオルディリージも困り果てていた。
「このままじゃ死んでしまうし」
「けれどあの人は」
「何か面白いことになってきたな」
「確かに」
死にそうな筈の二人もこっそり顔を見合わせて話をする。
「お芝居でもこんな面白いものは滅多にないよな」
「そうだよ。見せてもらおうか」
「こんな悲しいことはないわ」
「こんな事件は」
姉妹は姉妹で困り果てていた。
「何が何だか。もう」
「これじゃあ」
「苦しそうよ、とても」
「本当に死にそうだし」
姉妹は全く気付いていないのだった。二人の芝居に。
「そんな状態で放り出してもあれだし」
「人としておかしいわ」
ここでドラベッラは二人の顔を少し見る。見てみると。
「あれ、この人達って」
「どうしたの?」
「見てお髭はあるけれど」
姉にもその顔を見るように勧めるのだった。
「結構男前でないかしら」
「あら、そうね」
緊張から緩和に向かっていた。
「そういえば結構。けれど」
「何て冷たくなってるのかしら」
ドラベッラがグリエルモの顔に手をやって呟く。
「それに手も」
「脈が弱くなってるわ」
フィオルディリージは脈を見ていた。しかし実際はそう思い込んでいるだけでそうではない。そうしたこともわからなくなる程焦っていたのである。
「早く誰か来てくれないと」
「お医者様は」
「何か静かになってきたな」
「そうだな」
二人はまた姉妹の様子を見てひそひそと話す。
「どうにもこうにも」
「風向きが変わったのかな」
「だとしたら問題かな?」
フェランドはそっと二人を見ながら述べた。
「このままいくと」
「死んだら泣いてしまうわ」
「何て可哀想なの」
姉妹の嘆きも強くなっていく。グリエルモもそれを見て言うのだった。
「それが問題なんだよ。同情の心が次第に愛に変わるがどうか」
「だよな。これが愛に変わると」
そんなことを危惧しているとだった。アルフォンソが戻ってきたのだった。
「やあ。お待たせしました」
「アルフォンソさん」
「お医者様は?」
「はい、こちらに」
ここで早速その医者を案内してきた。そうしてやって来たのは。
白衣に眼鏡にもじゃもじゃの鬘で武装している。しかし見てみればそれは。
「デスピーナだよな」
「間違いない」
二人はすぐにわかったのだった。
「しかし。物凄い変装だな」
「どんなセンスしてるんだ?」
「グーテンモーゲン、フロイライン」
そして当然イタリア語とは別の言葉を出してきた。
「何、これ」
「ドイツ語!?」
「何でも話せますので」
デスピーナは声色を使って話すのだった。一応男のものに聞こえなくもない。
「ギリシア語にアラビア語にトルコ語に古代ヴァンダル語」
「何でもですのね」
「しかも聞いたことのない言葉まで」
「それにスワビア語に韃靼語。何でも話せますよ」
「うむ、素晴らしい博識の方です」
アルフォンソはデスピーナの演技に感心してみせてきた。
「それではです。患者ですか」
「この御二人ですね」
「そうです。診て頂けますか」
その仰向けにされている二人を指し示して芝居を続ける。
「どうか」
「それでどうされたのですか?」
「毒を飲みました」
デスピーナは勿体ぶってその二人を見下ろしている。真相をわかったうえでだ。
「それで今この有様です」
「左様ですか」
「それで先生」
「どうなのでしょうか」
姉妹は怪訝な顔でデスピーナが化けている医者に尋ねるのだった。
「御二人はこのまま」
「まさか」
「最初に動機を知らないといけません」
やはりデスピーナは勿体ぶっている。
「その次に毒の性質です」
「毒のですか」
「それを」
「そう、つまり」
確かに本物の医者に見える程である。
「熱いか冷たいか」
「熱いかですか」
「そして冷たいか」
「多いか少ないか」
デスピーナはさらに話す。
「一度に飲んだか少しずつか。どうなのでしょうか」
「まず飲んだのはです」
ここでアルフォンソがデスピーナに話した。
「砒素です」
「猛毒ですね」
「はい、残念なことに」
まずは毒の種類を話した。
「そしてここで飲み」
「では飲んで間も無くですね」
「そして原因は恋です」
このことも話すのだった。
「そして飲み方は一気でした」
「先生、やっぱりこの人達は」
「駄目ですか?」
「お静かに」
デスピーナはまた姉妹に対して告げたのだった。
「心配したもうな騒ぎたもうな」
「は、はい」
「わかりました」
「それではです」
そして持っている黒くて大きい革の鞄からあるものを出してきた。それは。
「あれっ、それは」
「何ですか?」
「磁石です」
相変わらず勿体ぶった声である。
「メスメルの石という神聖ローマ帝国で発明され」
「神聖ローマで」
「皇帝陛下の」
ナポリを治めるハプスブルク家はその神聖ローマ帝国の皇帝なのである。
「それではかなり」
「素晴らしいものなのですね」
「そしてフランスで有名になりました」
「フランスですか」
「それはあまり」
姉妹はフランスと聞くと顔を曇らせた。フランスの王家はブルボン家でありこの時やっと手を結んだがそれでもハプスブルク家とはそれこそヴァロア家の頃から激しく対立してきていた。両家は欧州における最大の対立軸なのであった。それは英仏の関係に匹敵するものだった。
「まあそれは置いておきまして」
「はい」
「治療ですね」
「左様。まずはこうして」
その磁石を両手に持ってそのうえで二人の頭上で振り回すのだった。すると二人はそれを見て頭を磁石の動きに合わせて揺れ動かした。
「動いてる」
「揺れてるわ」
姉妹はそれを見て言った。
「向きを変えて」
「頭で地面を打ってるわ」
「さて、次はです」
ここでデスピーナは姉妹に顔を向けて告げた。
「頭を持ち上げて」
「こうですか?」
「これで宜しいですか?」
「そうです。それでいいのです」
デスピーナはフィオルディリージがフェランドの、ドラベッラがグリエルモの頭を持ち上げたのを見て満足したような声を出してみせるのだった。
「これでよいのです」
「ではこれで御二人は」
「助かるのですね」
「そうです。これでです」
デスピーナは満足した声で語ってみせた。
「御二人は助かりました」
「うむ、御見事です」
また頷いてみせるアルフォンソであった。
「流石はこのナポリで一番の名医です」
「それ程の方がここに来られて」
「それでこの方々をですか」
「そうなのです。この方も私の友人でして」
友人関係の設定をかなりいじってきていた。
「天才医師とまで言われています」
「いやいや、そこまでは」
わざと勿体ぶるデスピーナだった。
「私はただ人を救いたいだけですから」
「何と素晴らしいお方」
「まさに神の御使いですね」
「ううむ」
「僕達は死んだのか?」
ここでわざとらしく起き上がる二人だった。
「ミーノスの裁きの場の前か」
「それともエリシオンなのか?」
「いや、違うようだぞ」
「そうだな」
またしてもわざとらしく言い合う。そしてフェランドはフィオルディリージの、グリエルモはドラベッラの手をそれぞれ強く握って言うのだった。
「全ては貴女のおかげか」
「まさに女神だ」
言ってからその手を取って接吻をするのだった。二人はそれは静かに受けた。
そうしてここでデスピーナとアルフォンソがまた。姉妹に話した。
「危ないですぞ」
「確かに助かりました」
デスピーナの言葉がとりわけ真剣なふりをしている。
「ですが毒がまだ」
「けれどそれでも」
「この方々は」
「何とお優しい」
「美しい方なのか」
二人もまたあえて言う。しかしそれでも姉妹は態度自体は変えなかった。
「いえ、それでも私の心は」
「決して揺れ動くことはないわ」
「磁石の効果は素晴らしく」
デスピーナもここでまた話す。
「もう毒は消えようとしています」
「さて、面白い芝居が続くな」
「どうなっていくかな」
二人は楽しんでいた。しかしだった。
「しかし僕のフィオルディリージは」
「ドラベッラは」
二人の頑なな態度を見て喜んでもいた。
「確かだ」
「やはり僕達が勝つんだ」
このことを確信してそのうえでまた演技に戻るのだった。
「やはり貴女は女神です」
「何と美しいお心なのか」
「そう、穏やかにですよ」
デスピーナは姉妹への言葉を変えてきていた。
「今御二人はなおろうとしていますから」
「ですな」
アルフォンソもそっと援護射撃をする。
「優しく。そのままで」
「そうしてあげて下さい」
「毒は消えていっていますので」
「余計に」
「接吻を」
「御願いします」
二人も二人で調子に乗ってきた。
「さもないとまた」
「僕達の身体が」
「接吻!?」
「そんなことできません」
すぐに全力に拒否する姉妹だった。
「決して。そんなことは」
「できる筈がありません」
「御聞き下さい」
デスピーナは全てわかってまたしても姉妹に囁く。
「温かい御心で」
「ですが私は」
「そんなことは」
姉妹はあくまで拒もうとする。姉妹以外の四人はそれを見てそれぞれほくそ笑むのだった。
「さて、そろそろかな」
「はじまったわね」
アルフォンソとデスピーナは話が動いたと見ていた。
「これで後は楽になるな」
「一旦動かしたら」
「よし、いい感じだ」
「頑なじゃないか、やっぱり」
そしてフェランドとグリエルモは何もわかっていなかった。
「このまま拒んでくれれば」
「いいんだよ」
「けれど」
「まさか」
しかしここで二人は。ふとこうも思うのだった。
「本当に怒っているのかな」
「拒んでいるのかな」
これまで確信していたが今はふと疑念にも思うのだった。
「まさかとは思うけれど」
「どうなのかな」
「助かったのはいいですけれど」
「それは祝福いたします」
姉妹はまたきっとして語る。
「ですがそれでもです」
「私達の心は変わりません」
「おやおや、さらに狼狽してきたね」
「いい感じよ」
アルフォンソとデスピーナは今の姉妹の言葉にさらにほくそ笑む。
「このままこのまま」
「大路に入ったみたいね」
「どうか接吻を御願いします」
「なりません、それは」
「何があっても」
どうしても拒む姉妹を見て二人は。またしても嘆いてみせてきた。
「一度だけです」
「さもないと」
また懐に手を入れてみせてきたのだ。
「また毒を」
「生きている必要がありません」
そしてまた言う。
「是非接吻を」
「御願いします」
「そうです」
デスピーナは絶好のタイミングでまた姉妹に話した。
「ここは御二人の言葉通りにして下さい」
「そんな・・・・・・」
「それだけは」
「是非共です」
「そうですな」
良識派と思われているアルフォンソも話すのだった。
「そうしないと御二人は助かりませんから」
「私の貞節はどうなるの?」
「私の心は」
姉妹はそれを聞いてまた項垂れるのだった。
「それでどうなるの?」
「私達は」
「いや、いい流れだよ」
「やっぱり僕達の恋人だよ」
二人は姉妹の心の奥底を見ることができなかったのだ。
「さて、明日はいよいよ」
「千ツェッキーノでパーティーだな」
「二人はまだわかっていないみたいだな」
アルフォンソはその二人を見て呟く。
「もうかなり危ないのに」
「女心と秋の空」
デスピーナもわかっていた。
「必死なことは揺れ動いている証なのに」
「さて、揺れ動けばさらに揺さぶって」
「確実なものにできるわ」
「これだけ怒っているのに」
「いや、ひょっとしたら」
グリエルモはここでまた思うのだった。
「フェランド、まさかと思うけれど」
「何だい?」
「いやさ、今二人共怒ってるじゃないか」
「うん、確かに」
「それがだよ」
グリエルモの言葉は続く。
「それが変わるとしたら?」
「変わるって?」
「そうだよ。碇の焔が恋の焔にね」
「まさか」
フェランドはそれをすぐに否定するのだった。
「そんなわけないじゃない」
「気にし過ぎかな」
「そうだよ」
フェランドは笑って言うのだった。
「有り得ないって。それはね」
「いや、ひょっとしたら本当に」
「変わるっていうのかい?」
「人の心も変わるものだからね」
やはりそれはわかっているのだった。グリエルモにしろ。
「だから若しかしたら」
「ううん、まさかと思うけれど」
「僕もそうは思っているよ」
自分でもそうだとは言う。
「それでもね。ひょっとしたら」
「確かに」
ここで遂にフェランドの心も動いてしまった。
「その可能性はゼロじゃないよね」
「確実じゃないかも」
グリエルモの方が揺れ動いてしまっていた。
「本当にまさかと思うけれどね」
「だよね。本当にまさかだけれど」
「あら、二人も」
「そうみたいだね」
そしてそんな二人の心の動きはデスピーナとアルフォンソからも確認された。
「揺れてきてるわね」
「さて、これでいいな」
二人はにんまりとしていた。そうしてそのまま流れを見るのだった。四人は揺れ動き二人は落ち着いている。そんなはじまりであった。
バカな賭けをしたようにも見えるが。
美姫 「このまま二人は心変わりをせずにいられるのかしらね」
どうなるんだろうか。
美姫 「逆にこれで心変わりしたとしたら、後でどうする気なのかしらね」
うーん、何事もなく事態を収集できるんだろうか。
美姫 「どうなるのか、次回を待っていますね」
待ってます。