『カヴァレリア=ルスティカーナ』
第二幕 果たせない約束
村の広場にも教会の清らかな曲は流れていた。村人達はそれを聴きながら飲み、そして歌っていた。
「もうそもそろ時間かな」
「そうだな」
彼等はその中で言い合っている。
「後は家で」
「家族で楽しくな」
宴は何も村人達だけでやるのではない。家族でもやるものだ。今度は夜の内輪での宴に思いを馳せていたのだ。
その中にはトゥリッドゥもローラもいた。教会での賛美歌を終えた彼等もそこで楽しく飲んでいたのだ。
「じゃあ帰るか」
「ああ」
二人は同じテーブルに座っていた。そして楽しく飲んでいたのである。
「やっぱりワインだよな」
「ああ、それも復活祭はこれだよ」
村人達は泡立つワインを飲んでいた。こうしたワインは何もシャンパンだけではない。イタリアでも北イタリアであるがモデナでは発泡性のあるワインが産出されるのである。彼等が今飲んでいるのはモデナのワインではないがそうした発泡性のあるワインであるのだ。
「真っ赤なワインだ」
「まじりっけのないワイン。これに限るよな」
「そうだな。後は家で飲もうぜ」
「かみさんと一緒に」
「楽しくな」
「私も帰ろうかしら」
ローラは周りから人が少しずつ去ろうとしているのを見てこう呟いた。
「アルフィオも帰ってるだろうし」
「彼ならここに来るさ」
トゥリッドゥはそう言って彼女を呼び止めた。これは建前で本音はもっと彼女と一緒にいたいのだ。
「心配ないよ」
「そうかしら」
「そうさ。だから皆ももっとここで飲もう」
他の村人達もそれに誘う。
「もっと楽しくね」
「乾杯!」
「乾杯!」
ローラの音頭で乾杯をする。そこへアルフィオがやって来た。
「やあ」
トゥリッドゥは彼の姿を認めて挨拶をする。
「ようこそここへ」
「ああ」
アルフィオはそれに応える。だがその顔は暗かった。
「どうですか、一杯」
トゥリッドゥは彼に杯を勧める。その泡立つワインで一杯である。
「気分よく」
「気持ちは有り難いがね」
しかしアルフィオの返事は剣呑な声であった。
「受け取れないな」
「それはまたどうして。禁酒でも?」
「いや、俺も酒は好きなんだがな」
そう前置きする。
「だがあんたの酒は。俺の胸の中で毒になってしまうかも知れないからな」
「それはまた」
トゥリッドゥはその言葉に肩をすくめてみせる。村人達もローラもアルフィオの只ならぬ雰囲気に嫌な予感を感じていた。
「何かおかしいよな」
「ああ」
彼等はトゥリッドゥとアルフィオを見ながらヒソヒソと話をしている。
「何が起こるんだ」
「まさかとは思うが」
「ねえローラさん」
女達が二人の間にいるローラに声をかける。
「教会に行かない?」
「教会に?」
「そうそう」
「早く行きましょう」
半ば強制的に彼女を立たせて連れて行く。トゥリッドゥはテーブルの側の椅子に座ったままだ。アルフィオはその前に立っている。そして睨み合っていた。
「他に何かあるのですか?」
トゥリッドゥは彼の目を見て問う。
「俺の酒を受けない以外は」
「俺にか?」
「ええ」
彼は頷いてみせた。
「何か言うことは?」
「ないね」
彼は素っ気無く、だが敵意に満ちた声で返した。
「けれどわかっている筈だ」
「確かに」
言う必要はなかった。互いの態度でそれはわかっていた。
「ではケリをつけますか」
「何時だ?」
「今にでも」
「わかった。それでは」
「はい」
トゥリッドゥはゆっくりと立ち上がった。そしてアルフィオの方へ歩いて行く。
アルフィオはその彼をまんじりと見据えている。引き下がることはなかった。
二人は抱き合った。トゥリッドゥはアルフィオの右の耳を噛んだ。
これはシチリア独特の儀式である。決闘を申し込む時にはこうするのだ。
「やはり」
「何てこった」
村人達はそれを見て嘆きの声をあげた。
「復活祭の日に」
「恐ろしいことが」
「わかったよ」
アルフィオはそれを受けてトゥリッドゥに対して言う。
「あんたの心意気がね」
「非が俺にあるのはわかっているさ」
トゥリッドゥはそれは認めた。
「だがもう後はないぞ」
「それもわかっている。けれど俺は死ぬわけにはいかないんだ」
「それは俺も同じだがね」
「犬みたいに殺されるかも知れない。けれどサンタの為に」
思わず出たのはローラではなかった。さっき罵った筈のサントゥッツァのことだった。それがどうしてなのかは彼にもわかりはしなかった。
「俺は・・・・・・」
「あんたの事情はわかった」
アルフィオは冷たい声で返した。
「だが。わかっているな」
「ああ。決闘だったら」
「どっちが生きるか」
「どっちが死ぬかだけだ。俺もシチリアの男だ、わかってるさ」
「よし」
これで決まりであった。
「そこの野菜畑の裏で待ってるからな」
「すぐに行くよ」
「銃でいいな」
「どれでもいいさ」
「よし」
二人はそう言い合って別れた。勝敗はトゥリッドゥにはわかっていた。アルフィオは村一番の銃の名手だ。トゥリッドゥも軍でそれを習ったがとても適うものではない。彼の性格からしておそらくは。
「心臓を一撃だな」
それで終わりだ。彼にはそこまでわかっていた。
ふらふらとした足取りで家に帰る。すると母親のルチーアが出迎えてくれた。
「お帰りなさい」
「うん」
トゥリッドゥは母の言葉に頷く。
「サンタには会ったかい?」
「ああ、ちょっとね」
教会でのことだった。
「ちょっと話をしていたんだけれどね」
「そうかい」
「けれど。大したことじゃないよ」
「本当かい?」
「本当さ。それよりもお酒を」
「ほら」
ルチーアはそれに応えて息子に杯を差し出した。息子はテーブルに着いていた。
「お飲み」
「うん」
トゥリッドゥはそれを受け取って酒を飲む。そして一杯やった。
「母さん、この酒はいい酒だね」
「あんたが持って来た酒さ」
「そうか、そうだったね」
それを聞いて頷く。
「美味いよ。それにかなり強い」
「強いって普通のワインだよ?」
「飲み過ぎたのかな、他で」
「そうだよ。顔が真っ赤じゃないか」
見れば彼の顔は酔った男の顔であった。しかしその目は醒めていた。
「えらく飲んだんだね」
「そうだね。ちょっと酔いを醒ましてきていいかな」
「ああ、行っといで」
その言葉に頷いてそれを自分からも勧める。
「あまり酔うと次の日が大変だからね」
「そうだね。けれどさ、その前に」
「何だい?」
彼は母の顔を見ていた。顔は真っ赤だが表情は落ち着いたものであった。
「俺を祝福してくれよ」
「祝福!?」
「ああ、俺が兵隊に行った時みたいに。駄目かな」
「駄目かなって」
息子が何故そう言うのかわかりかねていた。首を傾げる。
「一体何を」
「それでね、母さん」
トゥリッドゥはさらに言った。
「俺が帰って来なかったら」
「何を言ってるんだい?本当に」
「まあ聞いてよ」
「ああ」
母親に無理にでも聞かせる。
「帰って来なかったら。サンタを娘に出迎えて」
「サンタを」
「母さんもサンタは好きだろう?」
「勿論さ。破門されていることなんて関係ないよ」
そんなことは彼女にとっては些細なことであった。
「あんないい娘はいないよ」
「そうだよ。だから頼むね」
「あんた、本当にどうしたんだい?」
いい加減不自然に思えてきた。
「さっきから変なことばかり言って」
「いや、何でもないよ」
だがここはそう言って誤魔化す。
「酒のせいだから。それじゃ行って来るよ」
「あ、ああ」
「じゃあね」
最後に母を抱き締めた。そして重い足取りで家を後にする。それが最後であった。
「一体どうしたって」
「お母さん」
丁度トゥリッドゥと入れ替わりにサントゥッツァがやって来た。
「サンタ」
「トゥリッドゥを見なかった!?」
彼女は狼狽した声と様子で尋ねる。
「トゥリッドゥなら今出て行ったけれど」
「早く止めないと」
彼女は家を出た。
「どうしたんだい?そんなに慌てて」
「決闘よ」
「決闘!?」
「トゥリッドゥがアルフィオさんと。このままじゃ」
「ちょっと、それ本当かい!?」
驚いて問うた。
「本当よ。早く行かないと大変なことになるわ」
「場所は!?」
「確か」
サントゥッツァは記憶を探る。焦っていてそれが中々出ない。
「野菜畑の裏の」
「野菜畑の」
その時だった。その野菜畑の方から銃声が鳴り響いた。
「!?」
「まさか!」
二人はその銃声を聞いて動きを止めた。完全に固まってしまった。
「若しかしたら・・・・・・」
「お母さん、落ち着いて」
暫くして二人の前に一人の村の女が駆けて来た。息を切らしていた。
「まさか・・・・・・」
二人は彼女の姿を認めて青い顔になった。
「そこにいたのね」
その女もまた蒼白になっていた。そのうえで二人に対して言う。
「今野菜畑の裏で」
「トゥリッドゥが・・・・・・」
「ええ・・・・・・」
それが答えであった。他には何も言う必要はなかった。
「残念だけれど」
「そんな・・・・・・」
ルチーアはその場に崩れ落ちる。だがサントゥッツァがそれを支えた。
「私は悲しんでは駄目」
泣きそうな顔になってもそれを必死にこらえていた。
「全ては私のせいなのだから」
復活祭のシチリアは血で赤く染まった。遠い昔の話である。今この話は多くの人々の心に残っている。シチリアの田舎のしがない伊達男の話。命が羽根の様に軽い話。そこにあった嫉妬と後悔の話であった。
カヴァレリア=ルスティカーナ 完
2006・6・8
復活祭だったというのに。
美姫 「はっきりとした形での決着ね」
誰も幸せになっていないような……。
美姫 「今回のお話はこれでお終いみたいね」
だな。投稿ありがとうございました。
美姫 「ありがとうございました」