『カルメン』




                          第四幕  闘牛の場

「たったこれだけでこれだけ買えるんだよ」
 セビーリアの街で。商人達の声が聞こえる。
「どうだい、さあ買った買った」
「こっちも安いよ!」
「プログラムもあるよ!」
 そんな声も聞こえてくる。
「詳しいよ!」
「ワインだよ、セビーリアのワイン!」
「煙草は如何!」
 その商人達と客達の喧騒の中にスニーガもいた。だが今日は特に五月蝿くはない。
「オレンジをくれ」
「幾つですか?」
「一個、いや二個だ」
 そう店の親父に対して言う。
「奮発してな。おつりはチップだ」
「随分気前がいいね」
「今日は祭りだからな」
 笑顔で親父に言葉を返す。
「これも当然だ」
「そうだね。じゃあサービスしてもう一個どうだい?」
「おいおい、そっちも随分気前がいいな」
 親父の言葉にスニーガも笑みとなる。
「だがそれももらおうか」
「毎度あり」
「さあオペラグラスもあるよ」
「パンフレットはただだよ」
「そういえばだ」
 ここでスニーガはジプシー達に気付いた。既に彼より上の方に鼻薬がいっていて彼等に対してはお咎めなしとなっているのである。金もまた魔法である。
「カルメンは何処にいるんだ?」
「エスカミーリョと一緒ですぜ、旦那」
 レメンダートが笑って彼に告げる。
「だからここにはいませんよ」
「そうか」
「それで大尉さん」
 フラスキータがスニーガに対して尋ねてきた。
「何だ?」
「ホセはどうなったかわかりませんか?」
「それがこっちもそれを知りたいんだ」
 スニーガも肩をすくめてそれに答えてきた。
「何処にいるのか。村に姿を現わしたのはわかってるんだがな」
「それでどうなったんですか?」
「憲兵隊が村に行ったらもういなかった」
 彼が憮然として答えた。
「捕まったらわしが弁護して重い刑罰にはしないのだがな」
「じゃあまだ捕まっていないんですね」
「ああ」
 メルセデスの言葉に頷く。
「そうなんですか。どうしているやら」
 ダンカイロはそれを聞いてかなり心配そうであった。
「思い詰める男だから」
「それはな」
 スニーガもダンカイロと同じ危惧を抱いていた。
「ある。だからこそ早く見つけたいのだ」
「ホセが心配なんですな」
「根は悪い男ではない」
 過去はあったがそれでも言うのだった。
「だからだ。何としても」
 彼はそう考えていた。その前で子供達が騒ぎ出した。
「来たぞ!四人組だ!」
「クアドリーリャだ!」
 闘牛士における四人組のことをクアドリーリャと呼ぶのである。
「槍と帽子を高々と掲げろ!」
 子供達はまずやって来たクアドリーリャに声をかける。それと共に子供達が迂闊に前に出ないように前にいる警官にも声をかける。
「お巡りさん邪魔だよ」
「どっか言って」
「おい、わしはな」
 邪魔だと言われた警官は少し憤慨した顔で子供達に言い返す。
「御前達に何かあってはいけないようにな」
「そんなのいいから」
「チューロが来たから」
 続いてパンデリエーリョ達も来る。彼らを見ても歓声が怒る。
「見ろよあの颯爽とした姿。強い目に晴れ姿。大きくなったらああなるんだ!」
「いや、ピカドールになるんだ!」
 今度は槍を持った男達であった。やはり立派な服に身を包んでいる。
「あの姿、絶対に!」
「違う、やっぱり!」
「あれだよ!あれになるんだ!」
「あ、エスパーダ!」
 華やかな金と紅の服に身を包んでいるのはエスカミーリョであった。この舞台の主役も今ここに姿を現したのであった。
「エスカミーリョ!」
「今回も頼むぞ!」
 子供達だけでなく他の群集達の歓声にも笑顔で右手を掲げて応えるエスカミーリョであった。その腰には剣が、左手には深紅のマントと。赤く着飾ったカルメンがいた。
「エスカミーリョ頑張れ!」
「見せてくれよ!」
「カルメン」
 エスカミーリョはその歓声の中で自分の左にいるカルメンに顔を向けて声をかけてきた。
「若し俺が好きならもうすぐ御前は俺を好きになる」
「その言葉信じていいのね」
「勿論だ」
 カルメンは何故か顔は笑みでも目の奥の光は暗いものがあったがエスカミーリョは違っていた。満面に笑みを浮かべているのであった。
「それはもうすぐだ。いいな」
「わかったわ。それじゃあね」
「あの酒場で」
 エスカミーリョは闘牛場に向かう。その前にカルメンにこう告げた。そうして闘牛場に入る。するとそこでも彼は歓声に包まれるのであった。
 カルメンはその歓声を背で受けていた。その彼女にフラスキータが歩み寄って声をかけてきた。
「カルメン、忠告するわ」
「一体どうしたの?」
「早くここを離れて」
 そうカルメンに忠告するのであった。真剣な顔で。
「いいわね」
「何があったの?」
「彼がいるのよ」
 メルセデスも心配する顔でやって来た。そうしてフラスキータと同じくカルメンに忠告するのであった。
「だからよ」
「そう、やっぱりいるのね」
「わかっているのなら」
「早く」
「運命からは逃れられないわ」
 しかしカルメンは二人の言葉を受け入れずにただ呟くだけであった。
「決してね」
「運命!?」
「一体何を言っているのよ」
「ケリをつけるわ」
 それがカルメンの返事であった。
「それだけよ」
「それだけって」
「まさかあんた」
「そうよ、会ってやるわ」
 顔をあげ毅然として言うのであった。
「ホセとね。逃げることなんてしないわ」
「あんた、そんなこと言っていても」
「相手が」
「いいのよ、ここは任せて」
二人の忠告を受けようとはしない。あくまで顔を見上げて前を見据えているだけであった。
「わかったわね」
「わかったわ」
「そこまで言うのなら」
 二人も観念した。そして彼女の言葉を認めるのであった。
「任せるわ。けれど気をつけてね」
「ええ」
 一応は頷く。だが空返事である。
 皆闘牛場に入りカルメンだけになる。闘牛場から華やかな音楽が聞こえてくる。彼女の前にみすぼらしい荒れ果てた服のホセがやって来た。顔も汚れ荒れた髭を生やしている。暗い顔と目を俯き加減にカルメンの前にやって来た。そうして上目遣いでカルメンを見据えている。それに対してカルメンは相変わらず毅然として顔をあげている。そうしてきっとした顔でホセを見据えているのだった。それまで華やかに鳴り響いていた闘牛場の音楽が止まった。その瞬間にまずカルメンが口を開いたのであった。
「あんたね」
「俺だ」
 ホセは答えた。
「来ると思っていたわ。けれど逃げなかったわ」
「俺は別に悪いことをしに来たんじゃないんだ」
 ホセはまずこう前置きをしてきた。
「過去は忘れよう。そしてやり直すんだ」
「やり直すですって?」
 カルメンは動かない。動かないが眉を顰めさせた。
「無理な話ね。そんなことは」
「どういうことだ、それは」
「もう終わったのよ」
 それがカルメンの返答であった。
「あんたとはね。あたしは嘘はつかないし心が揺らぐことはないわ」
「わかってるのよ」
 カルメンはまた言ってきた。
「あんたはナイフを持っている。そのナイフであたしを殺すのに」
「馬鹿な、俺がどうして」
 ホセはそれは必死に否定する。本当に思ってもいないことだったから。
「俺がどうして御前を」
「それが運命だからよ。だから無駄なのよ」
「まだ間に合うんだ」
 ホセはカルメンの言葉を聞きはしない。ただ己の言葉を出すだけであった。
「俺は御前を愛している」
「あたしは違うわ」
「俺を・・・・・・もう愛していないのか」
「ええ、そうよ」
 はっきりと言ってきた。
「全くね」
「けれど俺は御前が好きなんだ」
 ホセは必死にカルメンに告げる。どうしてもその気持ちを抑えておくことが出来なかった。彼はもう己の心を保つことができなくなっていた。
「何でもする、何にでもなる。だから俺と一緒に」
「だから無駄よ」
 それでもカルメンは素っ気無い。
「あたしはもう」
「やったぞ!」
「ブラボーーーーーーーッ!」
 カルメンがまたホセを拒もうとしたその時。闘牛場から歓声が起こった。
「トレアドールやったぞ!」
「エスカミーリョ万歳!」
「終わったわね」
 カルメンはそれを見て闘牛場の方に足を一歩出した。それを見たホセの顔が歪む。その顔でカルメンに対して問い詰めるのであった。
「何処にいくつもりだ」
「答えるつもりはないわ」
「わかっている。あの闘牛士のところだな」
 ホセは険しい顔でカルメンに問い詰める。
「あいつのところに」
「そうよ、愛しているからよ」
「俺じゃなくてあいつをか」
「ええ、そうよ」
 カルメンはホセを見据えて言い切る。
「彼をよ。今はね」  
 その顔は真っ赤になっている。激昂しているからだ。それに対してホセの顔は蒼白になっている。その正反対な顔で言い合うのであった。
「俺はそうして御前に。捨てられるのか」
「故郷に帰るのね」
「嫌だ、俺は御前と一緒に」
「だからそれはないのよ」
 カルメンは動こうとはしない。
「何があってもね」
「じゃあ。俺はもう」
 遂にナイフを出した。カルメンの言葉通りに。しかしホセはそれに気付いてはいない。カルメンだけが気付いていることであった。
「このまま」
「万歳!」
「勝どきをもっとあげろ!」
 後ろでまた歓声が起こる。そうしてその中で二人の最後のやり取りが行われるのであった。
「これが最後だ」
「最後にするのね」
 カルメンは動かない。闘牛場に行こうと思えば行けるというのに。ホセはこれにも気付きはしないのだった。ここでも。
「俺と一緒にはならないんだな」
「その証拠に」
 指にはめていた指輪を取った。それをホセに対して投げ付けた。
「ほら、もう返すわよ!」
「糞っ!」
 指輪が額に当たり遂に激昂した。そうしてカルメンに突進しその豊かな胸を刺し貫くのであった。忽ちのうちのカルメンの胸が朱に染まった。
「これで運命のままね」
「運命!?」
「え、そうよ」
 カルメンは崩れていく。その最後に力で自分を抱いているホセに対して言うのであった。
「こうなる運命だったのよ。あんたとあたしは」
「御前はそれがわかっていて」
「ええ、愛していたわホセ」
 カルメンは青くなっていく顔で最後の言葉をホセに告げた。
「これは本当のことよ」
「愛していたのか、俺を」
 崩れ落ちるカルメンの身体を抱いて呟く。
「それで御前はこうして」
 ホセはカルメンの亡骸抱いて呟いていた。そうして最後に。
「俺に殺されたのか。俺の大事なカルメン」
 外では歓声が起こっている。ホセはその中で崩れ落ちる。運命に導かれた破滅の愛が終わった。ホセはその中で己の全てが終わったことを感じていた。



カルメン   完


                          2007・12・9



何と言うか……。
美姫 「最後には死んでしまうのね」
運命と分かっていても受け入れていたのか、カルメンは。
美姫 「みたいね。これも悲劇に分類される話しなのかしら」
どうなっているんだろうな。ともあれ、完結おめでとうございます。
美姫 「投稿ありがとうございました〜」
ではでは。



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