『カルメン』




                          第三幕  岩山
 闇に包まれた木の一本もない岩山。ここに時折銃を持った男達の影が見える。
「誰もいないな」
「ああ」
 そんな話をしながら見回りをしている。あまりいい素性の者ではないらしく言葉遣いが荒っぽい。
「向こうへ着けばかなり儲かるな」
「もう少しの努力だな」
 そんな話をしていた。そこに銃を持ったホセがやって来る。
「ああ、ホセ」
「交代の時間だな」
「ああ、そうだ」
 見れば無精髭を生やし地味な色の荒い服を着ている。あの黄色い軍服はもうなかった。
「後は俺が見る。休んでくれ」
「わかった、じゃあな」
「後は任せたぜ」
 仲間達はホセに別れを告げてその場を後にした。ホセは一人で見回りに入る。その中で彼は呟くのだった。
「あちこちが綱渡りなのがこの仕事だな」
 今の仕事のことを呟いている。
「儲かるがそれだけの危険がある。雨が降ろうが進むだけ、向こうに兵隊がいてもだ。度胸がないと務まらないものだな、ジプシーの仕事というものは」
 そんなことを呟いている。するとそこにカルメンがやって来た。
「カルメン」
「見回りなのね」
 カルメンは素っ気無い調子でホセに対して言うだけだった。余所余所しい態度のホセに対して。
「じゃあ頑張ってね」
「それだけなのか?」
 去ろうとするカルメンに対して問う。
「それだけなのか?俺への言葉は」
「だったらどうだっていうの?」
 やはりカルメンの言葉は冷たい。
「あんたに関係ないでしょ」
「いや、関係ある」
 ホセは追いすがってカルメンに対して言う。
「もう俺のことは愛していないのか?」
「付きまとわれるのが嫌いなのよ」
 その鋭い目を顰めさせて告げる。
「ただそれだけよ」
「酷い女だ」
 ホセはその一言にしょげかえって呟く。
「そうよ。酷い女よ、あたしは」
 その言葉を悪びれずに受け入れてみせる。
「それはそうとホセ」
「どうしたんだ?」
「最近しきりに村の方を見ているわね」
 今彼等がいる山の麓には小さな村がある。ホセは時間があるとよくその村を見下ろしている。カルメンはそのことに気付いていたのである。それでホセにそれを問うたのだ。
「何かあるの?あの村に」
「あの村が俺の故郷なんだ」
 ホセはその村がある方に顔を向けてカルメンに言う。
「そこにミカエラがいる」
「ミカエラ!?誰よそれ」
「俺の幼馴染みさ」
 感慨を込めて述べた。
「俺を今でも待ってくれているだろうな」
「そうなの」
「そしてお袋も」
 母のことも言葉に出した。
「いるんだ、俺のことをずっと待って」
「じゃあそこに行けばいいじゃない」
 カルメンは感慨に耽るホセに冷たく言い放った。
「それで帰れば?」
「またそんなことを言う。本当に」
「だから酷い女なのよ」
 そこまで言うとホセに背を向けてその場を後にする。ホセはそのカルメンに追いすがってまだ何か言おうとしたがそれは止めた。そうして仕方ないといった様子でまた見回りに戻るのであった。
 その頃焚火の周りに皆が集まっていた。ダンカイロとメルセデスがカード遊びに興じていた。
「何か今日は面白くないな」
「そうだな」
 レメンダートはダンカイロのその言葉に頷いた。
「どうしたものか」
「じゃあ占いなんてどうかしら」
 ここでフラキスータが提案してきた。
「占いか?」
「ええ、色々とね」
「じゃああたしもやらせて」
 それを聞いてメルセデスも話に入って来た。四人であれこれと話すのだった。
「これから何が起こるのか」
「それをね」
「じゃあそれをするか」
「ああ」
 レメンダートは特に反対することもなくダンカイロの言葉に頷くのだった。彼としても退屈しているので特に反対する理由はなかったのだ。
「じゃあはじまりね」
「何を占おうかしら」
「それじゃあさ」
 ここでカルメンが戻ってきた。そうして皆に対して言う。
「あたしが占っていいかしら」
「カルメンが?」
「ええ。どうかしら」
「そうね。それじゃあ」
「どうぞ」
 フラスキータとメルセデスは顔を見合わせたがカードをカルメンに渡すことにした。そうして自分達の側に座ったカルメンに対して問うのであった。
「何を占うのかしら」
「大金持ちの御爺ちゃんと結婚するとか」
「永遠の恋とか」
「おいおい、それは駄目だよ」
 ダンカイロは二人の女の言葉に笑って言うのだった。
「ホセがいるのに」
「そうだったわ」
「そうだったわね」
「ええ、今のところはね」
 カルメンは二人の言葉ににこりともせず言葉を返した。
「けれど」
「ここはあれだろ」
 レメンダートはカルメンの言葉をよそに笑って話しだした。
「王宮に住むとか大勢の手下の親分になるとかな」
「だったら俺は金にダイアモンドに宝石だ」
 ダンカイロもそれに続いて笑って言う。
「そういうのがいいな」
「それもいいけれど」
 だがカルメンは彼等の話には乗らない。真面目な顔でカードを切る。そうして誰にも言わないことを占うのだった。彼女だけがわかることをであった。
「ダイアにスペード。つまりは」
 出て来たカードを見て呟く。
「死ね。まずはあたしで」
 自分のことだ。
「そして彼ね。二人共死ぬのね」
 だがそれをみても驚きはしない。平然と受け止めていた。
「カードが教えることは運命。ならそれでいいわ、運命はどうしようもないから」
「やけに暗いな。どうしたんだ?」
 レメンダートがカードを切り終えたカルメンに対して問うた。
「何かあったのか?」
「別に」
 だがカルメンはその問いには答えない。誤魔化すだけだった。
「何でもないわ、気にしないで」
「そうか。ところでダンカイロ」
 レメンダートはここでリーダーに対して声をかけた。
「何だ?」
「ここの税関の方は大丈夫なんだろうな」
「ああ、大丈夫だ」
 彼はニヤリと笑って仲間の言葉に答えた。
「そっちはもう抱き込んである」
「そうか。じゃあ安心だな」
「ああ。明日の朝に出発だ」
 そうしてこう言うのだった。
「いいな、明日は」
「大儲けで宴会をして」
「派手に騒ぎましょう」
 皆でそんな話をする。彼等は彼等で騒いでいた。カルメンだけは何処か達観した顔になっていたが。
 その頃彼等が今いる岩山に。一人の男に連れらて青い服の少女が来ていた。案内人の男は周囲を警戒しながら少女を案内していた。
 少女はミカエラだった。フードで顔を隠しているがそこにある顔は思い詰めたものであった。その顔で彼女も辺りを警戒しながら歩いていたのだった。
「ここだよ」
「ここなんですね」
「ああ、密輸団はここにいる」
 案内人はそうミカエラに告げる。
「そう。ここにあの人がいる」
 ミカエラはその言葉を聞いて呟く。その顔には固い決心があった。
「それなら」
「本当にいいんだね?」
 案内人はミカエラに顔を向けて尋ねた。
「ここから先は一人でだけれど」
「はい」
 そう言われてもその顔にある決意の色は薄れることはなかった。
「構いません。その為に来たんですから」
「じゃあ後はね」
 案内人は自分はすぐに帰ろうとしていた。
「神の御加護があらんことを」
 十字を切ってその場を後にする。一人になったミカエラは一人自身を励まして呟くのであった。その固い決意に満ちた顔で。
「何が出ても恐れることはないわ、私は平気」 
 自分で自分を励ます。
「空元気は駄目、怖くて死にそうでも」
 そう自分に語る。
「こんな場所で一人きりだけれど主よ、私に勇気を」
 そうして主に祈る。
「あの女からホセを取り戻してみせるわ。何があっても。だから主よ、私に御加護を」
 必死に主に祈りながら先に進む。すると岩陰から誰かが出て来た。
「止まれ、誰だ」
「その声は・・・・・・まさか」
 すぐにわかった。夜の闇の中で姿ははっきり見えなくとも。
「ホセ!?ホセなのね」
「俺を知っているのか!?」
「そうよ。だって私は」
「御前はまさか・・・・・・むっ」
 だがここでまた誰かが来た。ホセはそちらに顔を向けた。
「話は後だ。何処かに隠れていろ」
「え、ええ」
 ミカエラはそれに頷く。そうして彼の言うままに岩陰に隠れた。すると彼女と入れ替わりになるようにエスカミーリョが姿を現わしたのであった。
 ホセは彼に向けて発砲した。エスカミーリョは足元に銃弾が当たったのを見て肩をすくめて言うのだった。
「おいおい、もう少しで次の闘牛に出られなくなるところだった。勘弁してくれないか」
「御前は誰だ」
 ホセはその言葉には答えずに逆に問い返した。
「税関の者か?」
「違うさ、闘牛士さ」
 自分のところにやって来たホセに対して答えるのであった。
「グラナダのね。名前はエスカミーリョ」
「今売り出し中の闘牛士のか」
「おお、私の名前を知っていてくれているようだね」
 エスカミーリョはそれを聞いて機嫌をよくさせた。
「それはなによりだ」
「その闘牛士が何の用なんだ?」
 彼の目の前まで来た。そうしてあらためて問う。
「こんなところまで」
「惚れた女に会いに来てね」
 明るく気さくな感じの笑顔を作ってみせて答える。
「それでなのさ」
「女か。誰だ?」
「ジプシー女だよ」
「ジプシー女」
 ホセはそれを聞いて顔を曇らせる。だが夜の中なのでそれがわからないのを助けにしてまた彼に問うのであった。声も押し殺しながら。
「それで名前は」
「カルメン」
「何っ!?」
 その名前を聞けば冷静ではいられなかった。血相を変えて問う。
「カルメンに何の用だ」
「もう頃合いだと思ってね」
 ホセがどうして激昂しているのかわからなかったがまた答えた。
「頃合い!?何のだ」
「カルメンには恋人がいたな」
「いるの間違いだ」
 ホセはそれをムキになって否定する。彼にとっては必死である。
「それは」
「話には聞いているさ。彼女の為に軍を脱走した兵隊がいる」
 ホセのことだがまさか目の前にいるのが彼だとは思ってもいなかった。
「お互い夢中だったらしいがもうそろそろだからね」
「だからそれはどういう意味だ」
「知らないのかい?カルメンの恋は半年だ」
 彼は言うのだった。
「カルメンの恋は半年と続かないのさ。それが彼女なんだよ」
「あんたはその半年だけでいいのか」
「結構なことだ」
 そうしたことは達観して遊ぶのがエスカミーリョの考えであった。少なくともホセとはそこが違う。
「私もそうだからね。半年経てばね」
「しかしだ」
 ホセは感情を何とか押し殺してまたエスカミーリョに言った。
「相手はジプシーの女だぞ」
「それはもうわかっている」
 何を今更といった感じであった。
「高くつくぞ、それでもいいんだな」
「望むところだ」
 エスカミーリョはそう言われても全く臆するところはなかった。
「金にも何にも困ってはいない。それでは何で支払えばいいのかな」
「剣だ」
 ホセはこう言うと腰にかけてある剣を抜いた。
「御前も持っていないのならもう一本あるが」
「ふむ。ということはだ」
 エスカミーリョはここまでのホセの言葉を聞いて楽しそうに言ってきた。
「ではあれか。その兵士とは君のことか」
「だとしたらどうするんだ?」
「そうではなくてはな」
 だがエスカミーリョはそれを聞いても動じない。楽しそうに笑うだけであった。
「恋を手に入れるには決闘が付き物だ。つまりそれが今だ」
「わかったのならどうするんだ?剣なら」
「それはもうこっちで持っているさ」
 エスカミーリョは腰にある剣を抜いてきた。そうしてそれを構える。闘牛士の構えであった。
「こうしてね」
「やるというんだな」
「如何にも。しかし君のその構えは」
「何だ?」
「ふむ。ナバラのものか」
 ホセの剣の構えを見てすぐにそれがナバラのものであると見抜いた。
「すぐ側の生まれなんだな」
「その通りだ。御前のはマタドールか」
「そうさ。私のそれは兵士のそれとは違う」
 エスカミーリョの声と目が鋭くなった。
「決闘のものだ。常に死と背中合わせの」
「それは兵隊も同じことだ」
 ホセも負けてはいない。先に剣を出したのは彼だった。
「くっ」
「ふむ、かなり筋がいいな」
 エスカミーリョは今のホセの剣捌きを見て言う。
「中々やるようだな」
「俺の剣をかわしたのか」
「危ういところだったがね。かわさせてもらったよ」
「だが。次はないぞ」
「そうだろうね。それなら」
 エスカミーリョも本気になる。声にそれが出ていた。
「私も参る」
「来い、せめて一撃で仕留めてやる」
 二人の間に火花が散る。だがそこに。カルメン達がやって来たのだった。
「止めるんだね、ホセ」
「カルメン」
 カルメンはすぐに二人の間に入る。それにダンカイロ達もつづく。こうして両者の決闘はとりあえずは分けられることになったのであった。
「また今度か」
「悪いがそうしてくれ」
 ダンカイロがエスカミーリョに対して言った。
「もうそろそろ出掛けなければいけないからな」
「わかった。だがその前にだ」
「まだ何かあるのか?」
「私の仕事を果たさせてくれ」
 そうダンカイロ達に言うのだった。
「今度のセビーリアの闘牛に来て欲しいのだ。そこで私の腕前を堪能してくれ」
 そう言うとすぐにカルメンを見る。
「是非共。そして」
 その目を見て身構えるホセに対しても言う。
「何の心配もなくね。ではこれで私の仕事は終わりだ」
「帰るのか」
「ああ。言っておくが私は警察とは仲が悪くてね」
 笑って暗にここでのことは言わないと言ってきた。
「それじゃあこれでね」
「ああ、またな」
「セビーリアでね」
 ダンカイロ達はエスカミーリョに別れを告げる。彼はそれを受けて悠然とその場を後にする。彼のことはこれで終わりだったがホセは憮然とした顔のままであった。
「なあホセ」
 そんな彼にレメンダートが声をかける。
「落ち着いてな。何があってもな」
「わかっているが」
「そうしてくれ。ん!?」
 ここでレメンダートは岩陰に誰かがいるのに気付いた。
「そこにいるのは誰だ?」
「ああ、ミカエラだ」
 ホセが彼に言う。
「ミカエラ!?」
「俺の村の娘だ。もういいぞ」
 ミカエラに出るように言う。
「俺がいるから安全だ」
「ホセ」
 ミカエラは出て来るとすぐにホセの側までやって来た。そうしてまずは彼に抱きつくのであった。それから彼に言葉を伝えてきた。
「やっと言えるわ」
「言える?何を」
「私は貴方を迎えに来たのよ」
 ホセから一旦離れて彼に告げる。
「俺をか」
「そうよ。お義母さんが危篤なのよ」
「母さんが」
「だから。すぐに村に帰って来て」
 訴えかける目で彼を見上げて言うのだった。
「さもないともうすぐ」
「しかし俺は」
「行けばいいじゃない」
 カルメンは迷いを見せたホセに素っ気無く告げた。
「そのまま村に帰ればいいわ」
「カルメン、じゃあ御前はもう」
「早く行けばいいのよ」
「くっ、そのままあの男と」
 ホセにはわかっていた。だから行きたくはなかった。正確に言えば行かねばならないという気持ちと残りたいという気持ちが戦っていた。だがここでダンカイロ達も言うのだった。
「行った方がいい」
「そうよね」
「あんた達まで」
「なあホセ」
「これは本当に言うのよ」
 ダンカイロ達四人は優しい顔と声でホセに告げてきた。
「この仕事はあんたには向かない」
「ずっと我慢していたんでしょう?」
「村に帰ってその娘と一緒になった方がいい」
「軍には謝って罪を償ってからね」
「だが俺は」
 それでもホセはそれに従おうとはしない。それだけ必死だったのだ。
「このままここに」
「ホセ、御願い」
 ミカエラはそんな彼にすがる。
「お義母さんはもう今日か明日かわからないのよ」
「そんなになのか」
「だから。御願い」
 必死に彼にすがる。
「だから」
「くっ、わかった」
 ここまで言われてはどうしようもなかった。彼としても。
「帰ろう。御前と一緒に」
「ええ」
「だが。覚えておいてくれ」
 ダンカイロ達、いやカルメンを見据えた。冷たい目の彼女に対して言うのだった。
「俺は絶対戻るからな」
「ホセ!」
「わかっているさ」
 またミカエラの言葉に顔を元に戻す。
「これでな」
「トレアドール、構えはいいか」
 ここで遠くからエスカミーリョの歌声が聞こえてきた。
「戦いながらも忘れるな。恋が御前を待っているぞ!」
「俺に待っているのは」
 ホセはミカエラと共に山を降りていた。エスカミーリョのその歌を聞きながら呟く。
「死だ。それ以外にはない」
 何となく呟いた言葉であった。だがそれでもその言葉は。彼自身が気付かないままその回りに取り憑いてしまった。そうして彼の影となってしまったのであった。



うーん、脱走兵となってまで共に行ったというのに。
美姫 「飽きられるなんてね」
とりあえずは村へと戻るみたいだけれど。
美姫 「また戻ってくるつもりなのかしら」
タイトルはカルメンだから、主役はそっちだろうし、その可能性もあるのかな。
美姫 「本当にどんな結末になるのかしら」
次回も待ってます。



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