『アルジェのイタリア女』




             第二幕  イタリア女の機知


 イザベッラが宮殿に来たことは一つの騒ぎであった。宮殿の中はもうその話でもちきりだった。
「離婚されるという話は本当かな」
「旦那様がか?」
「ああ、それでリンドーロを御后様にな」
「まさか」
 だがそれはすぐに否定された。
「知ってるだろ?」
 そして皆こそこそと話をはじめた。
「旦那様のことは」
「そうだがな」
 誰もがそれはわかっていた。わかっていないのはエルヴィーラだけだ。
「しかしな、あのイタリア女」
「どうしたんだ?」
「凄い美人じゃないか」
「確かに」
「可愛らしい外見だな」
 それは皆認めていた。
「旦那様も今回こそは」
「さて、それはどうかな」
「違うっていうのか?」
「当たり前だろ、旦那様は何といってもだな」
「それはそうだけどな」
 もう言うまでもないことであった。
「だから大丈夫だって」
「そうかな」
「そうだよ、安心しなって」
「ううん」
「どうかな」
「やっぱりまずいんじゃないのか?」
「またえらく心配性だな、おい」
「だってよ」
 そんなヒソヒソ話が宮殿の中で続けられる。それはズルマとハーリーの耳にも入っていた。
「上手くいってるわね」
 二人はこの時ズルマの部屋にいた。召使であるがエルヴィーラの信任が篤い為こうして部屋も与えられているのである。二人は南方の果物を食べながら話をしていた。
「いい流れよ」
「そうなのか」
 ズルマは窓の方にいた。そしてハーリーはテーブルに座ってその上に置かれているオレンジを食べていた。ズルマはナツメヤシである。
「見事なまでに」
「わしにはそうは思えないけれどな」
 だがハーリーはそうは思っていなかった。
「この流れはどうも」
「心配なの?」
「このまま旦那様がその気になったら」
「だからそれはないわよ」
 ハーリーにそう返した。
「絶対にね」
「絶対にか」
「アッラーに誓うわ」
 ズルマはそこまで言った。
「それは有り得ないから」
「だといいがな」
「だって私がいるし」
 ここでニヤリと笑った。
「そうそう簡単には御后様を不幸にはさせないわ」
「御妃様も幸せだね」
 ハーリーは不敵に笑うズルマを見て言った。
「そこまで言える召使がいて」
「いい方だからね」
 ズルマは言う。
「だから私も何とかしてあげたいのよ」
「そうなのか」
「そうよ」
 二人はそんな話をしていた。その時イザベッラとリンドーロは宮殿の端で二人話をしていた。
「まさかこんなところにいるなんて思わなかったわ」
 イザベッラはリンドーロを見て言った。
「正直驚いたわ」
「僕だってそうだよ」
 リンドーロも言う。
「異郷で君と出会うなんて」
「これこそ神の御導きね」
「そうだね。けれど」
 リンドーロの顔は晴れはしなかった。
「これからどうすればいいかな」
「これから?」
「だってさ、ここはアルジェだ」
 彼は言う。
「僕達は奴隷なんだよ」
「そうね」
「そうねって」
 平然とした様子のイザベッラに不安を覚えた。
「奴隷だから」
「かといってムスリムになるわけにもいかないでしょ」
「それはね」
 こくりと頷いた。
「問題外だ。そうしたらそれこそ僕達は無理矢理違う相手と結婚だ」
「まあ実際にはないでしょうけど」
 イザベッラもムスタファのことには気付いていたのだ。
「けれど早くイタリアに帰らないと」
「うん」
「こんなところにいたら結婚なんて夢のまた夢」
「折角お互いの両親を説き伏せたのに」
「さもないと全てが水の泡よ」
 彼等にも悩みの種はあったのだ。どうやってここを抜け出して結婚するかだ。
「まあ焦ることはないわ」
 イザベッラは言った。
「丁度貴方と私は今は一緒にいられるし」
「うん」
「落ち着いて考えましょう、どうするべきかね」
「わかったよ。じゃあ」
「ええ、またね」
 二人は別れた。そしてそれぞれの言いつけられている仕事に戻る。宮殿の庭ではムスタファがまたしても鷹揚な動作で従者達に囲まれていた。
「そこのイタリア人」
「は、はい」
 おどおどとしているタッデオに声をかけた。
「そなた、中々トルコのことに詳しいな」
「まあ商人でしたので」
 彼はおどおどしながらそれに答えた。
「それで」
「左様か」
「はい」
 そして頷いた。
「よし、ではわかった」
「わかったとは」
「そなたを侍従長に命じる」
「えっ!?」
 思いも寄らぬ取立てである。それを言い渡されたタッデオは目が点になった。
「今何と」
「だから侍従長にするというのじゃ。丁度前のがムスリムになって空席だったしな」
「ですが侍従長などとは」
「まずそなたはアラビア語が堪能じゃ」
「はあ」
「そしてイタリア人だ。これだけで充分じゃ」
「それで侍従長に」
「わしは別にキリスト教徒でもイタリア人でもよいのじゃ」
 ムスタファはにこにこと笑いながら述べた。
「剣を向けない限りはな」
「そうなのですか」
「そなたは別に剣も持ってはおらぬ、それでじゃ」
 彼は言う。
「侍従長に命じる。わしの通訳もやれ」
「しかし旦那様はイタリア語が話せるではありませんか」
「確かにな」
 しかしムスタファはここで難しい顔をした。
「だがこれはヴェネツィアの言葉じゃろう?」
「ええ、まあ」
「他の方言は知らぬのじゃ。この前ジェノヴァの者が来てもわからんかったのじゃ」
「そうなのですか」
「そうした者とのやり取りを助けてくれ」
「畏まりました」
 とりあえずそれに頷いた。
「では及ばずながら」
「頼むぞ、侍従長」
「はい」
(今度はランタン持ちとは) 
 タッデオは心の中で誇り高きキリスト教徒、自由を愛するイタリア人がムスリムに仕えるのを悲しんでいた。なおランタン持ちとは取り持ち役のことを言う。
「では旦那様」
「うむ」
「宜しくお願いします」
「こちらこそな。では皆の者」
「はい」
 他の者達はムスタファに応える。
「これからはこのタッデオ侍従長の言うことをよく聞くようにな」
「わかりました」
「侍従長、これから宜しくお願いします」
「ええ、こちらこそ」
 侍従達の丁寧な挨拶と素朴な様子にはいい印象を受けた。だがやはり今の境遇を悲しむ気持ちは消えはしなかった。消せる筈もなかった。
「では私はまずは」
「何処か行くのか?」
「姪にこのことを伝えに行きます。宜しいでしょうか」
「いや、いいぞ」
 ムスタファはにこりと笑って言った。
「喜びは伝えるがいい。いいな」
「わかりました。では」
 タッデオは応えた。そして一礼してその場を後にするのであった。
 大広間。今イザベッラはトルコの豪奢な服を着てそこに佇んでいた。リンドーロと別れてここでこれからのことを考えていたのだ。そこにズルマがやって来た。
「貴女は」
 イザベッラの方がまず彼女に気付いた。
「宜しく、ズルマっていうのよ」
「ズルマさんね」
「イザベッラさんだったわよね」
「ええ」
 まずは挨拶が交あわされた。
「宜しくね」
「こちらこそ」
「それでね」
 ズルマが話を切り出した。
「何かしら」
「御妃様のことだけれどね」
「ええ」
「旦那様に捨てられるのじゃないかって凄く悲しんでいるの。それはわかるでしょ」
「けれど大丈夫よ」
 イザベッラはそれを聞いたうえで言った。
「あの旦那様はね」
「わかってるみたいね」
 ズルマはそれを聞いてニヤリと笑った。
「若しかしてと思ったけれど」
「誰だってわかるわよ」
 イザベッラはズルマに対してこう返した。
「あれだけあからさまだとね」
「そうね。誰だってね」
 ズルマは我が意を得たりといった感じで笑っていた。見ればイザベッラも笑っている。
「けれどね、御妃様は違うのよ」
「そうみたいね」
「あの方は純真な方だから。そう言われると凄く心配されるの」
「そして旦那様はそうして困っているのを見て喜ぶ」
「そういうこと。悪趣味でしょ」
「子供みたいね」
 そうとしか思えなかった。
「あれさえなければあの旦那様も凄くいい人なのだけれど」
「で、どうするの?」
 イザベッラは問う。
「あの旦那様引っ込めたいのでしょ?」
「それはそうだけれどね」
 ズルマは考えを巡らせていた。
「今のところこれといって」
「ないのね」
「どうしたものかしら」
 彼女は言った。
「これから」
「そうね」
 何時の間にか二人は手を組んでいた。そして互いに考え合う。
「とりあえずあの旦那様本当は私なんかどうでもいいのよ」
「ええ」
「あくまで御后様だけ、そこがまず肝心ね」
「そうよね、それをまず念頭に置いて」
「ギャフンと言わせたいけど」
「ギャフンていうよりゲフッて感じだけれど」
 ムスタファへの悪口であった。
「まあね。あの体格だから。ともかくね」
「もう二度とこんな子供じみたことはさせない」
「それが問題なのよ」
「そうよね、どうすべきか」
 二人は考える。だがそこへタッデオがやって来た。
「ああ、そこにいたか」
「叔父様」
「あれ、貴女は」
 タッデオはズルマに気付いた。
「確か御妃様の」
「ズルマよ、宜しくね」
「ああこちらこそ。ところでな」
 ふと話を変えてきた。
「ええ」
「わしは今度侍従長になったのじゃ」
「侍従長に」
「それを伝えに来たのじゃが」
「そうだったの」
「またえらい出世ね」
 これにはズルマも驚いていた。
「いきなり侍従長だなんて」
「何でもたまたま空席でわしがアラビア語もイタリア語も話せるからな」
「へえ」
「あっ、タッデオさん」
 そこへ侍従の一人が来た。
「こちらへ旦那様が来られますよ」
「こちらにですか」
「はい、ここは侍従長としてお出迎え下さい」
「わかりました。では」
「頑張って下さいね、叔父様」
「うむ、では」
 一応畏まって態度をあらためる。そしてムスタファを迎えるのであった。
「ようこそこちらへ」
「大した用事ではないのじゃがな」
 ムスタファはこう断った上で述べる。
「実はな」
「はい」
「イザベッラに伝えることがあったのじゃ」
「私にですか」
「左様、この度そなたの叔父が侍従長になったのじゃがな」
「それはもう叔父様から直接聞きましたが」
「まあわしから直接言おうと思ってな」
 彼は言う。
「そなたにはもう専属の従者がいるし」
「リンドーロさんですね」
「あれはよい若者じゃ」
 ムスタファにこやかに笑って述べる。
「中々な」
「はい」
「で、わしはな。そなたにもう一つ幸せを与えたいのじゃ。リンドーロに対しても」
「それは一体」
「そなた等、改宗する気はないか?」
「改宗ですか」
「左様、イスラムにな」
 にこりと笑って言う。ここでズルマがイザベッラにそっと近寄って囁いてきた。
「わかってると思うけれど」
「ええ」 
 イザベッラはそれに頷く。
「駄目よ、旦那様がまた頭に乗るから」
「わかってるわ。どうせ私と結婚するぞって御后様に嫌がらせするつもりでしょうね」
「まあずっとここにいるつもりならムスリムになる方がいいけれど」
「悪いけどイタリアに帰らせてもらうわ」
「じゃあここはかわすのね」
「勿論」
 そんなやり取りの後で二人は別れた。そしてイザベッラはまたムスタファと向かい合った。
「ムスリムにですか」
「そうじゃ」
 ムスタファは鷹揚に頷いた。
「どうじゃ、悪い考えではあるまい。おい」
 従者の一人に声をかける。
「リンドーロをこちらに」
「わかりました」
 従者の一人が頷きリンドーロを呼びにやる。イザベッラはそれを見届けた後でまたムスタファに言った。
「その前に旦那様」
「何じゃ?」
「私はある噂を耳に挟んだのですが」
「噂とな」
「はい、近頃御后様が毎日嘆き悲しまれているとか」
「ふむ、そういえばな」
 彼はあえてふと気付いた態度で述べた。
「そんな話もあるな」
「それで私からの提案なのですが」
「うむ」
「ここは御后様を慰められては如何でしょうか」
「じゃがな」
 それは上手いことを言って逃げるつもりであった。生憎それをするつもりはない。それは何故か。彼の楽しみであるからだ。自分で楽しみを消す者はいない。
「それには及ばぬ」
「何故ですか?」
「何故と言われてもな」
 二人が話をしている間にズルマはこっそりと部屋を後にする。この時ズルマはイザベッラとそっと目で合図をした。
「今はな」
「思い立ったが吉日ですよ」
「さて」
 とぼけようとする。
「どうしたものか」
「アッラーも御覧になられています」
「それもわかっているが」
 だがそれでもするつもりはない。
「タイミングがな」
「タイミングですか」
「左様、何事にも時と場合があってだな」
 彼は言う。
「それへの見極めが大事なのじゃ」
「それでしたら」
「ムッ!?」
 舞台は急に移った。
「今こそその時ですわ」
「旦那様」
 ズルマが部屋に戻ってきた。
(よし)
 イザベッラはその声を聞いて会心の笑みを心の中で浮かべた。
(丁度いいわ)
(上手い具合ね)
 ズルマも。二人は顔を見合わせて笑っていた。
「どうしたのじゃ?」
「御后様が来られました」
「呼んだ覚えはないぞ」
「この部屋に忘れ物らしくて。それでこちらに」
「そうだったのか」
「これこそアッラーの思し召しですわね」
 イザベッラはにこりと笑ってムスタファに言った。
「さあ御后様」
「はい」
「確かに」
 それはエルヴィーラの声であった。ムスタファは彼女が来たことを確信せざるを得なかった。
 丁度そこへリンドーロもやって来た。部屋の中の只ならぬ様子に彼もすぐに気付いた。
「あの」
 そしてタッデオに囁いた。
「どうしたんですか、一体」
「実はイザベッラがな」
 彼は説明する。
「何か妙なことを言い出してな」
「妙なことを」
「そうじゃ。旦那様に御妃様に対して親切にされるようにと」
「そんなことを言っても」
 リンドーロにもムスタファの本心はわかっていた。
「旦那様はどう見ても」
「それでもな」
 タッデオはリンドーロに囁く。
「それをあえて言っているようなのじゃ」
「どうして」
「さてな、何か考えがあるのは確かじゃな」
 彼は言う。
「とりあえずはそれを見極めないとな。よいな」
「はい」
 リンドーロは頷いた。そしてまずはイザベッラの動きを見守ることにした。
 部屋の中心にはムスタファとイザベッラがいる。その周りに他の者達がいる。リンドーロとタッデオ、エルヴィーラとズルマもまた。彼等はイザベッラが何を言うのかじっと見守っていたのであった。
「では旦那様」
 まずはイザベッラが口を開いた。
「ここは寛容に」
「何をせよというのだ?」
「ですから御后様を慰められては」
「悪くはないな」
 まずは頷いてみせた。
「しかしだ」
「しかし?」
「今はまだだ」
「何故ですの?」
「気が乗らぬのだ。ではまたな」
「何処へ」
「一人で休みたいだけじゃ。来る必要はないぞ」
 そう言って一人部屋を後にした。そしてその場には一同が残った。
「御后様」
 その中でズルマはそっとエルヴィーラに添ってきた。静かに囁きかける。
「御心配なく」
「御心配なくって言われても」
「もうすぐですからね。御気が晴れるのは」
「だといいけれど」
「まあそんなふうに御気を落とされずに。宜しいですね」
「貴女がそう言うのなら」
 ここはズルマを信じることにした。まだ憂いのある顔であるが頷くことにした。イザベッラはそれを見ながら自分はリンドーロとタッデオのところにやって来た。
「私に考えがあるのだけれど」
「それは一体」
「いい?」
 そして二人に囁く。話は次の幕に移ろうとしていた。
 そんなやり取りはある程度はハーリーの耳にも入っていた。彼は宮殿の中の一室でそのことを思っていた。
「さて、旦那様は気付いておられるな」
 まずはそれをよしとした。
「あのイタリア女とズルマの策略に。よいことだ」
 だがここで彼は呟いた。
「しかしな」
 顎鬚をしごきながら言う。
「イタリアの女というものは闊達で頭がよく回るな。他の国の女よりも、勿論トルコの女よりも手強いな。それはよく覚えておくとしよう、今後の為に」
 そう言うと部屋を後にした。するとこそこに入れ替わりにリンドーロとタッデオがやって来た。
「上手くいきますかね」
「いくんじゃないか?」
 タッデオはとりあえずはリンドーロの言葉に頷いた。背が高くスラリとしたリンドーロに対してタッデオは小柄で太っている。それが何処かアラビア数字の一〇を思わせるものになっていた。
「イザベッラがああ言っているとなると」
「イザベッラは頭がいいですから」
「そうじゃな。どうもそれで君は徳をして」
 タッデオはリンドーロを見上げて言う。
「わしは損ばかりをしている」
「ははは」
「全く、貧乏くじばかりじゃ」
「ではここにいる花達に顔を向けられては?」
「冗談ポイよ」
 それは最初から考えになかった。
「わしが好きなのはイタリアの女じゃ。他の国の女はいらん」
「貴方もですか」
「イタリアの女こそがこの世で最もいいのじゃ」
 ここでまで言う。
「他の国の女なぞ。イタリア女の前にはどれだけの価値があるものか」
「全くです」
「そのイタリアに帰る為にも」
「ここはイザベッラの策の通りに」
「あの旦那様をはめるとしようか。よいな」
「はい、合言葉は」
 返事はこうであった。
「パッパタチ」
「パッパタチ」
「左様、全てパッパタチの為に」
「やりましょう」
 二人はいささか訳のわからないことを言いながら部屋を後にした。そしてそのままムスタファのいる部屋に向かった。見れば彼はベッドの上で横になっていた。その姿はまるで海岸に寝転がる太ったアシカのようであった。
「旦那様」
「何じゃ?」
 ムスタファは二人に声をかけられて眠そうな顔を彼等に向けてきた。どうやら本当に少し寝ていたようである。そんな惚けた顔をしていた。
「大した用でないなら控えておれ」
「それが大した用でございます」
「ローマから軍隊でも来たのか?」
 もうローマ帝国なぞないから冗談であるのがわかる。
「いえ、違います。実はですね」
「戦争ではないのだな」
「はい。お誘いに参りました」
「わしにか」
「はい」
 二人はわざと恭しく応えた。
「左様でございます」
「実はですね」
「うむ」
「今ヴェネツィアで流行っている歌と音楽の華やかな生活を送る会」
「その名もパッパタチ」
「パッパタチ!?」
 ムスタファはそのパッパタチを聞いて少し反応を示した。
「聞いたことのない名じゃのう」
「左様でございましょう。何故ならこの会は」
「選ばれた人達がそれぞれ推薦してしか入られないのですから」
「ふうむ」
 ムスタファはそれを聞いて顔を少し上げた。
「推薦だけか」
「はい、そしてこの度は」
「私達が旦那様を」
「入るには改宗しろとかは言わぬか?」
「勿論」
「そういうことは関係ありません」
 こう保障してみせた。
「そうか」
「そうでございます」
「よし、わかった」
 改宗の必要なしと聞いてムスタファはその巨体をゆっくりと起こした。
「それなら問題ない、話を聞くか」
「はい」
(やりましたね)
(うむ、いい流れじゃ)
 二人は目配せをして頷き合った。それからまたムスタファに話した。
「勿論女性にも」
「もてるとでもいうのか?」
「意中の人をその思いのままに」
「何と」
 これが彼にとっては心の琴線に触れることであった。
「それはまことか」
「はい」
 二人はにこりと笑って頷いた。
「如何でしょうか」
「それにわしが入るのじゃな」
「左様です」
「どうでしょうか」
「それにわしを誘ってくれると」
「今申し上げた通りでございます」
 にこりと笑って述べる。
「どうされますか?旦那様」
「意中の人を思い通りに」
 ムスタファの頭の中にある女性のことが思い浮かぶ。だがそれはイザベッラではない。
「悪くはないな」
「では」
「入られますか?」
「無論じゃ」
 ムスタファは満面に笑みを浮かべて言った。
「是非共」
「それでは」
「これより旦那様もパッパタチの会員です」
「歌に踊りに料理、そして意中の方が旦那様を」
「それだけあれば確かに極楽」
 やはり頭の中にはイザベッラは全くいない。思うのは一人だけであった。
「わしの好みは五月蝿くてな」
「はい」
「流石に並の女では満足できないと」
「違うのじゃ。女なぞな、どれだけいても問題ではない」
「といいますと」
「わしは思う人は一人でいいのじゃ」
「やっぱりな」
「何でそれで素直になれないんでしょうね」
 タッデオとリンドーロはそれを聞いて囁き合う。女と見れば一直線のイタリア人にとってはムスタファのこうしたへそ曲がりはどうにも理解できないものであるのだ。
「パッパタチでそれが適うのならばな」
「勿論適います」
「酒に料理もついて」
「しかも歌も。言うことはなしじゃな」
「それではどうぞ我々の下に」
「いざパッパタチへ」
「うむ、参ろう」
 ムスタファは笑顔で二人の誘いを受けた。
「ではいざパッパタチへ」
「酒に料理に歌に」
「そしてただ一人の思い人の下へ・参ろうぞ」
 彼等は笑顔で誓い合った。結局ムスタファの頭の中には一人しかいないのであった。それがなければどんな酒に歌に料理も。何の意味もないものであったのであった。
「ではな」
「はい」
 ムスタファはとりあえずは部屋を去った。何か用件を思い出したのであろうか。部屋にはリンドーロとタッデオだけになった。二人はまずは策が成功したのを確かめ合った。
「まずはこれでよし」
「はい」
 ニンマリとした顔で頷き合う。
「それでイザベッラですが」
「パッパタチの他にも何か策があるのか?」
「策ではなく望みです」
「望みとは」
「私達だけでなくここにいる全てのイタリアの者達を逃がしたいと」
「そうなのか」
「はい、奴隷になっている者は全て」
 つまり改宗していない者達である。ムスタファの宮殿には彼等の他にもまだこうして改宗せず奴隷に留まっているイタリア人が結構いるのである。
「彼等もか」
「そうです、そして共に帰ろうと」
「またそれは難しいな」
「彼等はイザベッラが集めるそうですよ」
「じゃがもう改宗して奴隷になっていない者やここがいいという者もいるじゃろう。確かに奴隷じゃがあの旦那様はいい人じゃし何よりもここはいいところじゃ」
「まあそうした人は仕方ないでしょうが」
 そうした人間に無理強いしても仕方がない。それは諦めるのであった。
「しかしそれでもかなりの数になりますね」
「そうじゃ。正直わし等だけでも逃れるのは難しいが」
「あえてやってみるということでしょう」
「ではここはイザベッラに賭けるか」
「はい」
 リンドーロは頷いた。
「それでは」
「うむ」
 タッデオも頷いた。ここでそのイザベッラが部屋にやって来た。
「イザベッラ」
「二人共ここにいたのね」
 イザベッラはその魅力的な笑みを二人に浮かべて言う。
「私達と一緒にここを去りたいっていう人達はもう集まったわよ」
「もうか」
「ええ、もうね」
「流石だね」
「だって私はイタリア人よ」
 イザベッラは胸を張ってこう述べた。
「災難にかえって奮い立ってイタリアへの愛情と義務を忘れない、それがイタリア人じゃない」
「確かにね」
 この場合は彼等の故郷ヴェネツィアのことを指す。イタリア人はどちらかというと祖国愛より故郷愛の方が強い人達なのである。
「あらゆる困難に打ち勝って、祖国と義務を忘れずに。勇気と献身を持って」
 こういうふうに言葉通りには中々いかないものであるが。少なくともイザベッラは気概は持っていた。
「常に立ち向かわないと。イタリア、そしてヴェネツィアの栄光の為にね」
「その為に皆で」
「そうよ、もう準備はできているわ」
「後はパッパタチで」
「そう、パッパタチで」
 三人は顔を見合わせて言い合う。
「あの旦那様を御后様にくっつけて」
「それは楽にできるわね」
「そうだね、けれどその後は」
「それももう心配いらないわ」
 イザベッラは二人を安心させるように言う。80
「私が全部手配しておいたから」
「じゃあ後は」
「そうよ、話を進めるだけ」
「なら話は早いな」
 タッデオがにんまりと笑う。
「ええ、イタリアはもうすぐよ」
「長靴が僕等を待っている」
「さあ、帰ったら美味い酒にマッケローニじゃ」
 この時代のマカロニは今で言うフェットチーネに近い。スパゲティが出来るのはもっと後である。なおこの時代のパスタはナポリ特産でかなりの高級品であった。
「奮発しますね」
「ずっと食べたかったからな」
「じゃあそれはパッパタチの時に」
「ははは、そうじゃな」
「イタリアでのパッパタチで」
「うむ」
 三人は笑顔で頷き合って部屋を後にする。そして最後の大芝居に入るのであった。
 パッパタチの準備は宮殿をあげて進められていた。ムスタファはもう夢を見ているような顔であった。
「パッパタチでな」
「はい」
 ハーリーが受け答えを受け持っていた。
「わしは遂に思い人を手に入れるのじゃ」
「左様ですか」
 応えながらふと呟く。
「だったら素直になられればいいのに」
「何か言ったか?」
「いえ、何も」
「でじゃ、妃はどうしておる?」
「御后様ですか」
 ハーリーはそれを聞いてやはりと思ったが勿論これは口には出さない。
「そうじゃ、あれにも来るように言っておるが」
「ズルマと一緒に準備に取り掛かっておられましたよ」
「そうか、それは何より」
 それを聞いて満足そうに笑う。
「少しは優しくしておかねばな。わしは寛大な男じゃからな」
「お流石でございます」
 ここでも本心は隠した。
「では行くとしよう」
「宴の場に」
「そうじゃ。美味い酒と料理に歌と踊り、そして美女が待っておるぞ」
 ムスタファは意気揚々とイザベッラ達が用意するそのパッパタチの宴に向かう。もうそこでは夢の様な御馳走と美酒が用意され美女達がひしめいていた。歌ももうはじまっていた。
「これはムスタファ様」
 これまで異常に着飾ったイザベッラ達がムスタファを出迎える。ここで彼等はふとハーリーと目配せをしたがそれはムスタファには気付かれなかった。
「ようこそパッパタチへ」
「うむ、真に楽しそうじゃな」
「楽しいのはこれからです」
 タッデオがにこりと笑って述べた。
「これからか」
「はい、宴はまだはじまったばかり」
「ですからまずは入会の儀式を」
 リンドーロが言った。
「それはどんなものじゃ?」
「はい、それはまず私の言葉に続いて下さい」
 タッデオがすすすと前に出て来て述べた。
「そなたのか」
「はい、宜しいでしょうか」
「うむ」
「ではまずは」
 タッデオはわざとにこやかな顔に笑い転げそうになる愉快さを隠して言いはじめた。ムスタファは彼に顔を向けてそれに続こうとしていた。
「見ても見ぬふり」
「見ても見ぬふり」
 ムスタファは復唱する。
「聞いても聞かぬふり」
「聞いても聞かぬふり」
「そして」
「そして」
「食べて楽しみ」
「食べて楽しみ」
 言葉を繰り返す。
「喋ることを捨て」
「喋ることを捨て」
「ここに私は宣言するものである」
 タッデオは急に格式ばり、姿勢を正して述べた。
「ここに私は宣言するものである」
 ムスタファもそれを繰り返す。
「必要ならば何でも誓う」
「必要ならば何でも誓う」
 そしてまた復唱に入った。
「余計なことを喋らず」
「余計なことを喋らず」
「掟に従って宣誓する」
「掟に従って宣誓する」
「パッパタチ=ムスタファ」
「パッパタチ=ムスタファ」
「これでいいです」
 にこりと笑って伝える。
「これでわしもパッパタチの一員か」
「そうです、ここでは飲んで楽しむだけです。何も喋ってはなりません」
「今誓った通りじゃな」
「そうです、食べて飲み」
「だがその前にじゃ」
「何か」
「酒を飲むのじゃろう?」
 そこを怪訝な顔で問う。
「はい、上等のワインを」
「今から一言だけ。喋るのを許してくれ」
「何でしょうか」
「すぐ済む」
 彼はタッデオに言う。
「ならばよいな」
「はい、ではどうぞ」
「済まぬな。では」
 ムスタファは喋ることを許されると頭を垂れてこう述べた。
「アッラーよ許し給え」
 酒を飲むからである。ムスリムは本来ならば酒を飲んではならない。だが飲む場合にはこうしてアッラーに許しを乞うてから飲むのである。信仰心の深い彼はそれを守ったのである。
「それで宜しいでしょうか」
 ムスタファは無言で頷いた。それが証であった。
「では早速」
「このワインを」
「この羊肉を」
「オレンジを」
 山の様な美酒と御馳走をムスタファの前に次々と持って来る。タッデオだけでなくイザベッラやリンドーロ、他の奴隷達もどんどん持って来る。そんな御馳走責めにムスタファは戸惑いながらもそれを受けた。美酒に美食、歌に踊りに溺れていく。その中で彼はエルヴィーラのことを思っていた。
「むむむ、エルヴィーラ」
 酩酊した状態で呟いていた。
「後はそなただけがいればよい」
「御妃様がですか?」
「左様、左様」
 イザベッラの問いにも前後不覚になっているので答えているのかどうかさえわからない。だが言ったことは確かである。
「わしはあれさえおればいいのじゃ」
「そこの言葉、まことですね」
「わしは嘘は言わん」
 こうも言った。
「ずっとエルヴィーラと一緒にいたいのじゃ。他の女なぞ何の興味もない」
「けれどどうして意地悪をされるのですか?」
 今度はリンドーロがムスタファに尋ねた。
「御后様を悲しませて」
「それはあれじゃ」
 まだ飲み食いを続けながら応える。
「何となくな、意地悪をしてみたくなるのじゃ」
「何となくって」
「まんま子供じゃないですか」
「子供っぽくてもいいのじゃ」
 彼はリンドーロ達に返した。
「あれさえ側にいてくれたらな」
「他には誰もいらないと」
「うむ」
 酔ってはいたがその言葉は本心からであった。
「アッラーに誓ってな」
「成程、その御言葉二言はありませんね」
「何度も言っておろう」
 イザベッラの言葉にもう彼女が誰だかわからない有様で述べる。
「わしは嘘はつかぬと」
「そういうことですか」
「そういうことじゃ。エルヴィーラがいればそれでよいのじゃ」
 そう言うとそのまま大の字に倒れ込んだ。それを確かめてからイザベッラはにこりと笑って部屋の入り口の方に顔を向けた。そして言った。
「聞いたかしら」
「ええ、確かにね」
 ズルマが出て来た。その後ろにはハーリーもいる。
「聞いたわよ」
「俺もだ」
「御后様もですよね」
「え、ええ」
 そこにはエルヴィーラもいた。彼女はまだ信じられないといった様子で酔い潰れている夫を見ていた。
「聞いたけれど」
「これが旦那様の本音なんですよ」
「嘘みたい」
「私にはちゃんとわかってましたよ」
「私も」
「私もです」
 ズルマだけでなくハーリーやイザベッラ達までそう応える。彼等にとってはこれはわかりきったことであるので驚くものではなかった。だがエルヴィーラは違っていたのだ。
「そんなに私のことを」
「好きだから意地悪したりもするのですよ」
「うう、エルヴィーラ」
 ムスタファは夢の中で彼女の名を呼んでいた。
「もっとわしと共にいよう、ずっと一緒にな」
「あなた・・・・・・」
「ですからね、御后様」
 ズルマが言う。
「御心を悩ませることはないのですよ」
「ええ」
「旦那様は御后様じゃなければ駄目なのですから」
「勿論私のことは全然目に入っておりませんでした」
 イザベッラも述べる。
「御后様ばかりで」
「そうだったの」
「単なる意地悪ですよ。おわかりになられたでしょう?」
「そうね」
 エルヴィーラの顔が少しずつ晴れてきていた。
「けれど何故こんなことを」
「それは御后様のことしか考えられないからですよ」
「そうなの」
「ええ、ですから御気になさらずに」
「女はいちいちそんなことを気にしてはいけません。笑って済ませないと」
 イザベッラまでエルヴィーラにこう述べた。
「ですからね」
「わかったわ。それじゃあ」
 エルヴィーラも意を決した。
「これからは。そうさせてもらうわ」
「はい」
「是非共」
「では御后様」
 イザベッラはあらためてエルヴィーラに挨拶をした。
「私はこれで」
「何処に行くの?」
「彼女は国に帰るのですよ」
 ズルマが答える。
「国に」
「そう、イタリアへ。皆を連れて」
「そうなの。本当は駄目だけれど」
 今回のことで借りができた。だからそれはよしとした。
「いいわ。今度のことは有り難う」
「いえいえ。ではリンドーロ」
「うん」
 リンドーロが頷く。
「タッデオさんも」
「もう船も用意できていることじゃし」
 タッデオもそれに頷く。
「帰るとするか」
「イタリアへ」
「輝かしいヴェネツィアへ」
「今度は捕まるんじゃないぞ」
 ハーリーが彼等に言った。
「流石に二回も捕まるとは思えないが」
「勿論よ」
 イザベッラがにこりと笑ってそれに応えた。
「一度失敗したら二度はしないのがイタリア女」
「ほう、いいねえ」
「そして失敗を成功に生かすのよ」
「じゃあ今度会う時は奴隷じゃなくて友達としてだな」
「そうね。一度ヴェネツィアにも寄って」
「言われなくてもな、今度交易で行かせてもらうよ」
 この時代はまだ海賊と商人の区別は曖昧なものであった。これは何処でも同じで倭寇もそうであった。彼等も私的に交易をしたり海賊になったりであったのだ。
「楽しみにしてるわ。それじゃあね」
「ああ、またな」
 イザベッラ達に連れられてイタリア人達は宮殿を後にしていく。ここでようやくムスタファが我に返った。
「ふうう」
 まだ酔いが回ってはいても目は醒めていた。
「食ったのう。飲んだし」
「そうですね」
「おう、そなた達も来ていたのか」
 ズルマの声に応えて彼女達に顔を向ける。
「楽しかったぞ、パッパタチは」
「そうみたいですね」
 ズルマはここでニタリと笑ってきた。そして主に対して言った。
「旦那様の御気持ちも知ることができましたし」
「わしの!?」
「はい、御后様もそれを御聞きになられました」
「何と」
 その言葉にはもう何も言うことが出来なかった。
「しまったのう」
 観念した。止むを得ずそれを認めることにしたのである。
「聞かれてしまっては」
「それではパッパタチの新しい誓いとして」
「どんな誓いじゃ?」
「素直に一人の女性を愛する」
「素直に一人の女性を愛する」
 ズルマの言葉を復唱した。
「決して意地悪をしない」
「決して意地悪をしない」
「宜しいですね」
「宜しいとも」
 彼は苦笑いを浮かべたまま最後まで言った。
「こんなことになるとはな。だがそれもよいか」
 エルヴィーラに顔を向けて呟く。
「そなたにそのままの想いを述べるのもな」
「最初からそうして下さればよかったですのに」
 エルヴィーラは困ったような悲しいような、それでいて楽しいような笑みを浮かべて彼に言った。
「それなのに」
「今までのことは済まん」
 もう意地悪は出来ない。今誓ったからだ。
「だからその分な。今まで以上に」
「だといいですけれど」
「仲良くやろうぞ。本当の夫婦らしく」
「はい」
 エルヴィーラの方は意地悪をしようという気なぞ何処にもなかった。だから快く頷く。二人がようやく素直になれたところでムスタファはあることに気付いた。
「そういえば」
「どうしたのですか?」
「イザベッラ達がおらんではないか」
「彼等ならもう帰りましたよ」
「帰った!?どういうことじゃ!?」
「ですから祖国へ」
 ズルマが言う。
「帰りましたけれど」
「何っ、わしは認めてはおらんぞ」
「それは私が」
 エルヴィーラが述べてきた。
「そなたがか」
「はい。この度の御礼に」
「そうだったのか」
「よいではありませんか?御礼としては安いものかと」
「ううむ」
 ズルマの言葉には難しい顔になる。ここでハーリーも言った。
「それに御后様とようやくこうして素直になれたのです。輝かしい祝いの施しとして」
「そうじゃな、そこまで言うのならよいか」
 ムスタファ派ハーリーの言葉も聞いて朗らかに頷いた。
「留める者は貧しい者に施しをする。コーランにもある」
「はい」
「教えが違おうとも神が違おうとも寛容であれとも言うしな」
「左様です。ですから彼等にも」
「この度は恩恵を」
「うむ、ならばそうしよう。しかしじゃ」
 ムスタファはここで気付いた。
「何か?」
「彼女等はまだ港にも着いてはおらんだろう」
「そうですね」
 ズルマがそれに応えた。
「丁度宮殿を出たところかと」
「そうか。ならば出るぞ」
「宮殿をですか?」
「それでは間に合わん。ここはバルコニーじゃ」
 そこから宮殿の門が見えるのである。出迎えには丁度いい場所であった。
「バルコニーですか」
「そうじゃ、そこから挨拶をしたいのじゃが。どうじゃ?」
「それはよいことです」
 エルヴィーラがにこりと笑ってそれに賛成した。
「それでは今から」
「うむ」
 ムスタファ達は従者達まで連れて総出でバルコニーに出た。丁度門からイザベッラ達が港に向かうところであった。
「そこのイタリア人達」
 ムスタファが彼等に声をかける。
「今回は感謝しておるぞ。その謝礼じゃ。行くがいい」
「それでいいんですね!?」
 イザベッラが彼に問う。
「もうイタリアに帰りますよ」
「どのみち帰るつもりであろう」
「まあそうだけれど」
「うむ」
 リンドーロとタッデオがそれに頷く。
「じゃがこそこそと逃げるよりは堂々と帰る方がいい。だからじゃ」
「おお、太っ腹」
「流石は」
「これがイスラムじゃ」
 彼は大きな腹を揺らしてさらに大きな声で豪語した。
「異教徒であっても寛大に。アッラーは仰った」
「何かイスラムって凄いな」
「ああ」
「俺達も負けていられないぞ」
 イザベッラ達と共に出て行くイタリア人達もその度量に打たれた。
「さあイタリアで楽しくやるがいい。じゃがわしもまたそちらに行くぞ」
「パッパタチですか?」
「ぞうじゃ、パッパタチの為に」
 リンドーロに答える。
「また大いに飲んで食おうぞ」
「そして意中の人に素直になって」
「幸福になるのじゃ。よいな」
「はい」
「では私もそれに」
 ハーリーがムスタファの前にやって来た。
「うむ、よいぞ」
「では私も」
「私も」
 ムスタファがハーリーを許すと従者達も。遂にはエルヴィーラやズルマまで加わってしまった。
「皆でパッパタチを祝おうぞ!」
「ムスタファ様万歳!」
「パッパタチ万歳!」
「僕等も僕等で」
 イスラム教徒達に負けじとイタリア人達も。リンドーロがイザベッラに顔を向けてきた。
「ええ、イタリア万歳!」
「イタリア万歳!」
「そして」
 ここでタッデオが言う。
「パッパタチ万歳!」
「パッパタチ万歳!」
 彼等もパッパタチを讃えはじめた。
「美酒に美食に歌に踊り!」
「そして永遠に好きな人と結ばれるパッパタチを讃えよ!」
 イタリア人もトルコ人も一緒に宴と恋の結びを讃えた。別れと帰還の前の盛大な歓声であった。

アルジェのイタリア女   完


            2006・8・22





全て丸く収まって良かった、良かった。
美姫 「確かにね。今回のお話のムスタファは確かに寛大ね」
かもな。まあ、妃には意地悪だったけれど、それも改善したみたいだし。
美姫 「投稿ありがとうございました」
ございました。



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