『アイーダ』




                          第三幕
                              裏切り
 ラダメスとアムネリスの婚姻が決まった。勝利の美酒から醒めたエジプトは今度は婚姻の美酒に酔おうとしていた。人々はその用意に追われていた。
 それはアムネリスも同じであった。彼はラダメスと結ばれる日を思い婚礼の準備にあたっていたのだ。
 ナイルの岸辺にあるイシスの神殿の一つ。岩を背にして川辺には椰子の木々が生い茂っている。世界は夜の濃厚な紫苑の世界になっており淡い黄色の月明かりとそれと共に瞬く星が空に見える。そこに一艘の舟が着いた。
「ここですね」
「はい」
 ランフィスが先に降りアムネリスの手を取る。そうして彼女に言うのであった。
「ここでございます」
「偉大なる女神イシスの神殿」
 その花崗岩の岩達を後ろに建っている白い神殿は月明かりを受けてそこにあった。アムネリスはその明かりを自分への光だとさえ思えていた。
「何と美しい」
 その光を見て言う。
「この光は」
「イシスの光です」
 側に控えるランフィスが応えてきた。
「偉大なるイシスの」
 イシスに仕える者として当然の言葉だった。彼はさらに言う。
「イシスは全てのことを知る存在。人の心の全てを」
「そう、ラダメスに対する私の想い」
 それを今述べた。
「それは真実です」
「その真実を今祈るのです」
 ランフィスはまた述べた。
「夜が明けるまでその心が実るように」
「はい」
 彼女はランフィスと共に神殿の中に入る。従者達も。そこにアイーダが来た。彼はラダメスがここに来ると聞いてここにやって来たのである。
「ここにあの方がおられる」
 ラダメスを探しながら呟く。
「けれど御会いしてもその口から語られる言葉が若し」
 不吉なことが胸の中をよぎる。
「そうなれば全てを終わらせるだけね。ナイルの暗く深い渦の中で」
 そっとナイルの河畔を見た。言葉が出る。
「永遠の休息と平和、忘却。全てがそれで終わるのなら」
 だがここで故郷のことを思い出した。
「さようなら、私の故郷。青い空と優しいそよ風」
 それが今アイーダの心の中を支配する。異郷の紫苑の中にいながらも故郷の空を想うのだった。
「輝くばかりの清々しい朝に緑の丘に匂うが如き河の岸辺」
 故郷が思い出される。それをまた述べる。
「あの家にも帰ることができない。我が故郷にはもう二度と」
「アイーダよ」
 そこにアモナスロが来た。奴隷の服を着ている。
「お父様、どうしえここに」
「用があってここに来た」
 彼は王の顔でアイーダに語ってきた。その服は奴隷のものであったが顔は王のものであった。彼は何を着ようとも王であった。それだけだ。
「それは一体」
「御前はあのエジプトの将軍を愛しているな」
「いえ」
 その言葉には一旦顔を背ける。
「そのようなことは」
「隠さなくてよい」
 しかし彼は一旦はそれを許した。一瞬父としての顔も混ざった。
「わかる。しかしだ」
「わかっています」
 アイーダは父から顔を背け俯いて述べる。その整った眉が険しく歪んでいる。
「それは。ですが」
「止められぬのか」
「はい」
 父の言葉にこくりと頷く。アモナスロはまた娘に対して述べる。
「ファラオの娘じゃ」
 今度はこう言うのだ。
「ファラオの娘が御前の恋敵じゃ。わかっておるな」
「わかっています。けれど」
「倒せ」
 アモナスロは強い言葉で述べてきた。
「あの娘を。それは可能なのだぞ」
「無理です」
 しかしアイーダはそれを否定する。
「そんなことは」
「いや、できる」
 しかしアモナスロはそれを否定する娘にまた述べた。
「できるのだ。祖国と愛を両方取り戻すことができる」
「まさか」
 その言葉に驚き父に顔を向ける。目を大きく見開いていた。
「そんなことが」
「父を信じるのだ」
 アモナスロはそう娘に告げる。
「この父を。そうすれば」
「そうすれば?」
「薫る森林も爽やかな谷間を見ることもできるぞ」
「森も谷も」
「そうだ」
 娘に強い声でまた言う。
「あの黄金色の神殿もな」
「私達の神々が座すあの神殿が」
「もう一度見たいだろう?」
 娘の顔をじっと見る。それで言うのだった。まるで娘をそこに導くかのように。
「森も谷も神殿も」
「ええ」
 アイーダはその言葉にこくりと頷いた。
「必ずや。夢に何度見たことか」
「ではわかる筈だ」
 アモナスロはさらに娘に告げる。
「御前ができることを」
「それは一体」
「そして思い出すのだ」
 また言ってきた。
「エジプトの者達が何をしたのかを」
「エジプトが」
「そうだ」
 父の顔から王の顔になった。意識していなくともそうなっていた。彼は父であり王でもある。そうした存在なのである。だから当然であった。
「我等の家々も神殿も壊し尽くしたな」
「はい」
 王の言葉にこくりと頷く。それは事実だった。エジプト軍との戦いの中でエチオピアの領土も荒れ果てた。その時に父とはぐれたアイーダもさらわれ奴隷にされたのである。それを忘れたことも一日たりともない。
「女をさらい母も子も老人も殺した」
「覚えています」
 アイーダは沈痛な声で答えた。
「全てを」
「だからだ」
 王としてアイーダに告げる。
「我々は勝たなければならん」
「エジプトに。けれど」
「ラダメスを忘れられぬのか?」
「いえ、それは」
 言葉を詰まらせる。しかしそれは真実だ。アイーダは自分に対しても他人に対しても嘘をつくのが得意ではない。だから言葉を詰まらせてしまったのだ。
「そうです」
 それを自分でも認めた。
「ですがそれでも」
「勝利の方法はある」
 アムナスロは言う。
「それも誰もが傷つかぬものじゃ」
「それは一体」
「間道だ」
 王はエジプト軍の通る道を述べてきた。
「今まで何故負けたのか、エジプト軍の動きを読めなかったのだ」
「動きを」
「そうだ。だからこそ彼等の通る道を知りたいのだ」
 そうアイーダに述べる。
「どの間道なのかな。わかるな」
「ええ」
 その言葉にこくりと頷いた。
「けれどそれは」
「見つけることはできる」
 アモナスロはそうアイーダに告げる。目の光が鋭く、強いものになる。その目はやはり王のものであった。父のものは消え去ってしまっていた。
「それはどうやって」
「わしは鍵を持っている」
 アイーダを見据えて言う。
「それは御前だ」
「私が・・・・・・」
「そうだ」
 また言うのだった。
「あの男、ラダメス」
 アイーダが愛している相手。その男の名をまた口に出してアイーダに聞かせる。
「あの男がエジプトの猛者達を率いている。わかるな。
「わかります」
 その言葉にこくりと頷く。
「では私を」
「その通りだ」
 はっきりと告げる。やはり王として。
「頼めるな、御前に」
「そんな・・・・・・」
 王の言葉に顔を青くさせる。そのうえで震えてきた。
「そんな恐ろしいことはとても」
「できぬのか?」
「お許し下さい」
 頭を垂れて慌てた感じで言う。
「そんなことはとても」
「ならばよい」
 アイーダの言葉を聞いて突き放してきた。口調が険しく、それでいて鋭いものになる。それはまるで大きな、鋭い刃を持つ剣のようであった。王の剣だ。
「それならばエジプトの者達が我等が国を焼き尽くす」
「エチオピアを!?」
「そうだ、我等が祖国をな」
 またそれを言う。心の奥にまで言うように。
「彼等に勝つことはできぬ。決してな」
「ではエチオピアは」
「終わりだ」
 またアイーダに告げる。
「滅ぼされる。美しい国が我等の血で赤黒く染まる」
「そんな・・・・・・」
 その言葉はアイーダを絶望に追いやるのに充分であった。愕然として倒れんばかりになる。しかしアモナスロはそんな娘を許しはしない。さらに言うのだった。
「国には人がいなくなり亡霊だけが満ちる」
「ああ!」
「その者達がそなたに言うだろう。国を滅ぼした女だと」
「何と恐ろしい・・・・・・」
「恐ろしいな?」
 一瞬で父の顔になった。
「祖国を滅ぼしたくはないな」
「はい」
 恐ろしさに身を震わせながらこくりと頷く。
「それだけは。何があっても」
「そうだ」
 優しい顔になっていた。その顔で述べる。これは芝居ではなかった。王である彼と父である彼が共にいる結果であった。それだけのことだった。
「ファラオの奴隷ではないな?」
「ええ」
 父の言葉にこくりと頷く。
「私はお父様の娘」
 顔を上げて言う。
「それ以外の何者でもありません」
「ではいいな」
「わかりました」
 また父の言葉に頷く。
「それでは」
「頼むぞ」
 娘を包み込むようにして囁いた。
「エチオピアの為にな」
「エチオピアの」
「そうだ、祖国の為に」
 アイーダに対して言う。
「よいな」
「わかりました、いいな」
「はい」
 王の言葉にこくりと頷く。頷いた言葉は苦渋に満ちたものになっていた。だがそれを拒むことはアイーダにはできなかった。エチオピアの者として。
「お任せ下さい」
「うむ」
 アモナスロはその場を後にした。そうしてアイーダ一人になった。
「アイーダ、遂に見つけた」
 そこにラダメスがやって来る。そして彼女に声をかけてきた。紫苑の静かな夜の中に二人だけとなる。その中で二人話をするのであった。
 だが彼女はラダメスから顔を背けている。彼の顔を見ようとはしない。
「どうしてここに」
 ラダメスに対して問う。
「王女様は」
「私が見たいのは御前だけだ」
 今自分の気持ちをはっきりと述べてきた。
「だから御前を今」
「嘘です」
 アイーダは顔を背けてラダメスに言った。
「それは。だから」
「いえ、嘘です」
 しかしアイーダはそれを否定する。
「貴方は私を愛してはいない。だから王女様と」
「そなたへの想いは本当だ」
 それでも彼は言う。顔が必死なものになっていた。
「偽りの誓いで御自身を穢されてはなりません」
 そうラダメスに告げる。やはり顔は背けたままであった。
「決して」
「偽りの誓いだと」
「私は誇り高き方を愛そうとしました」
 ラダメスから顔を背けたまま言う。
「けれど偽りの誓いを述べる人を愛そうとしたことはありません」
「ではどうすればいいのだ」
 ラダメスはその彼女に問う。
「私は」
「どうされるのですか?」
 ここで顔をラダメスに向けてきた。そのうえで彼に問うてきた。
「王女様もファラオも祖国も。どうされるのですか?」
「聞いて欲しい」
 アイーダの目をじっと見て言う。
「私はまた戦場に赴くことになった」
「戦場に!?」
「そうだ、エチオピアの戦士達はまた立ち上がった」
 そうアイーダに述べる。実はエチオピアでは新しい王が立ったのである。言うまでもなくえイーダの血縁の者である。彼女はそれが誰かすぐにわかった。
「兄上が」
 ふと呟いた。
「今何を」
「いえ」 
 その言葉は誤魔化した。また顔を背けさせた。
「何でもありません。気にされないで下さい」
「そうか。そしてだ」
 ラダメスはまた自分の言葉を語りはじめた。じっとアイーダを見据えている。
「私は勝つ、その時にそなたを手に入れたい。永遠にだ」
「永遠に」
「そうだ、ファラオに誓う。そなたを永遠の伴侶とすることをだ。いいか」
「王女様の復讐を避けられるのですか?」
 また顔を向けてラダメスに問うてきた。
「雷のように全ての上に襲い掛かるその復讐を」
「大丈夫だ」
 ラダメスは毅然としてアイーダに述べてきた。
「私が護る。だから」
「無理ですわ」
 またしても顔を背ける。背ける度に痛む心に耐えながら。
「貴方でもそれは。出来る筈がありません」
「ではどうしろというんだ」
 アイーダに対して問う。
「私でそなたも皆も護れないとなると。どうすれば」
「いえ」
 これまでになく辛い顔でラダメスの方を振り向いた。今にも壊れそうな顔になっていた。その顔でじっとラダメスを見やる。そして言うのだった。
「私を愛して下さるのなら」
「そなたを愛せば」
「一つだけ救いの道が開けているのです」
「それは一体」
「逃れるのです」
 顔を背けそうになるのを必死に堪えて述べた。心が痛むがそれでもそれを堪えるのであった。今彼女は苦いもので心を満たしていた。
「このエジプトから」
「エジプトから」
「そうです」
 そうラダメスに告げる。
「木々と花々が香り緑溢れる場所へ」
「祖国と神々を捨ててか」
「そうです。私を愛して下さるのならば」
 じっとラダメスを見上げて言う。
「できる筈です、絶対に」
「栄光を讃える月桂樹の葉を生み出すその地をか」
「そうです」
 またラダメスに告げる。やはりその目は彼から離れない。悲しみも辛さも必死に隠しながら。彼女はラダメスに対して言うのであった。
「この青い空を離れろというのか」
「私の祖国へ」
「エチオピアへ」
 ラダメスはその言葉に俯く。
「行けというのか。エジプトの敵の場所へ」
「御願いです」
 ラダメスの目から己の目を離さずに述べる。
「神々はそれを認めて下さいます」
「だが私の神々は」
 エジプトとエチオピアでは当然ながら神々も違う。それもまた両者の戦いを生み出しているのである。全てが戦いを生み出していたのだ。
「エチオピアへ」
「私は全てをエジプトに捧げてきた」
 ラダメスの声が震えていた。震えながらも言う。
「これからも。だが」
「私を愛しては下さらないのですか?」
 言うだけでも身が引き裂かれそうになる。それでも言わなければならなかった。
「それでは」
「愛している」
 その気持ちに偽りはない。どうしてそれを否定できようか。ラダメスのその心は本物だった。アイーダもそれはわかっているのだ。しかし。
「嘘です」
 こう言うしかなかった。どうしてもだ。
「嘘だから貴方は今動こうとされないのです」
「帰って下さい」
 最も言いたくはなかった言葉を遂に出した。
「もう貴方に言う言葉はありません」
「どういうことだ」
「私を愛して下さらないからです」
 ラダメスに対して言う。言葉も表情も壊れそうになるがそれでもそれに必死に耐えながら言葉を続けるのであった。痛みに耐えながら。
「ですから」
「ならば・・・・・・いや」
 アイーダからは顔を背けはしない。しかし苦い言葉を述べた。
「私はそなたを」
「それでは」
「・・・・・・わかった」
 アイーダから目を離さず遂に苦い言葉を口にした。
「共に行こう。運命だけが支配する荒野に」
「いえ、私の祖国へ」
 アイーダはそうラダメスに言う。
「共に参りましょう」
「いや、それは」
 ラダメスはそれだけは拒もうとする。祖国への罪は犯そうとはしなかった。それだけはできなかった。今の彼は。しかしアイーダは言うのだった。
「緑の満ちる国へ」
「果てしなく続く砂漠の先で砂を床として二人だけの場所を目指すのだ」
 それがラダメスの願いだった。せめてもの。
「星達が澄み切った輝きで導くままに。それでは駄目なのか」
「香りに満ちる祭壇と花の芳香に満ちた大地の中で二人の喜びを」
「駄目だ」
 エチオピアに寝返ることだけは拒む。どうしても。
「爽やかな谷間と緑の平野を婚礼の場所として。そして二人で」
「それだけは」
 ラダメスはそれを拒む。
「それだけは」
「では仰ってください」
「何をだ?」
「貴方が何処を使ってエジプトを出られるおつもりなのか」
「道をか」
「はい」
 そこが問題なのであった。エジプト軍が通る道でもあるからだ。アイーダはそれを聞き出そうとしていた。本意に反して聞こうとしていた。
「宜しいですか?それだけは」
「わかった」
 最早エジプトを出るつもりであった。その伴侶に今道を教える。それだけの筈だった。
「ナパタだ」
 彼は言った。エジプトとエチオピアの間にある峡谷である。そこを言ってきた。
「そこには明日までは人が配されてはいない。そこを使えば」
「よいのですね」
「そうだ」
 ラダメスは言った。
「そこを使えば」
「よし、そこか」
「!?」
 その声に気付き顔を向ける。あの大柄な黒い肌の男が出て来た。
「貴殿はエチオピアの人質の」
「そうだ」
 ラダメスの前に現われて述べてきた。
「私はアイーダの父にしてエチオピアの王だ」
「馬鹿な!」
 ラダメスはそれを否定する。エチオピア王は死んだ。その筈だった。
「王は死んだ筈だ。どうして」
「それは私が言ったことだったな」
「ではまさか貴方は」
「その通りだ。君は今我々にそれを教えてくれたのだ」
「それでは・・・・・・」
 強張った顔でアイーダを見る。アイーダの顔が今壊れようとしていた。
「い、いえ」
 狼狽する顔でラダメスに述べてきた。
「私は。その」
「そんな・・・・・・では私は」
「信じて下さい!」
「我が娘アイーダの愛は本物だ」
 アモナスロはそれは誓ってきた。
「だからこそ私は娘に頼んだのだ。王としてな」
「貴方が王ということはアイーダは」
「そうだ、エチオピアの王女だ」
 アモナスロの口から発せられた言葉はラダメスの全身を撃った。雷のように全身を貫く。
「馬鹿な、そんなことが」
「いや、これは紛れもなく事実だ」
 アモナスロはさらに言う。王者の威厳がそれを真実だと述べていた。
「私とてエチオピアの王だ、ここはその誇りにかけて言う」
「何故このようなことを」
「それはわかると思うが?」
 ラダメスを見据えて言う。
「エチオピアの為だ。貴殿がエジプトの為に戦うのと同じだ」
「ではアイーダ、君は」
「私は・・・・・・」
 堪えられなかった。ついラダメスから顔を背けた。
「私は陥れられたのか、今」
「違いますっ」
 アイーダはそれを必死に否定する。慌ててラダメスに顔を戻した。
「それは違います」
「祖国エジプトを裏切ってしまった」
「いや、違う」
 アモナスロも言ってきた。
「貴殿は愛を選んだ、それだけだ」
「愛を選びエジプトを裏切った」
 生真面目なラダメスにはそうとしか思えなかった。そのことを悔やみ今絶望の中へと落ちようとしていた。それを止めることができなくなっていた。最早誰にも。
「さあ行こう」
 アモナスロはラダメスを誘った。
「エチオピアへ」
「どうか私と共に」
「行くことはできない」
 しかしラダメスはそれを断った。
「私は祖国を裏切ったのだから。だから」
 腰にある笛を出してきた。兵を呼ぶ笛だ。
「私は私を罰する。それだけだ」
「まさか貴殿は」
「そうです」
 アモナスロに顔を向けて述べる。
「自らの罪を裁きます。それでは」
「よせっ、止めろ」
「私と一緒に」
「アイーダ、貴女の愛はわかっている」
 ラダメスはアイーダに顔を向けて言った。毅然としながらも優しい顔で。
「貴女の気持ちも。だが私は」
「エチオピアには行かれないのですね」
「この世で我等が結ばれることはない」
 ラダメスはこう告げた。
「だから。さらばだ」
「ああっ!」
 ラダメスは大きく笛を吹いた。吹き終わると笛を持つ手をゆっくりと下にやった。そうして穏やかな顔のままでアイーダとアモナスロに対して言った。
「さようなら」
「どうして・・・・・・どうしてこんなことを」
「愛を捨てて罪に服するというのか」
「そうです。だからこそ」
「見事だ」
 アモナスロはラダメスのその行動を見て言った。だがその顔は苦いものになっていた。
「貴殿のような勇者がエジプトにいたこと、そしてわしの為に消えねばならんとは」
「これも運命です」
 遠くから兵士達の声が聞こえてきた。
「敵か!」
「誰だ!」
「謀反人だ!」
 ラダメスは兵士達の声に顔を向けて叫んだ。
「早くここへ!」
「わかりました将軍!」
「今そちらへ!」
 兵士達の声が近付く。ラダメスはそれを背景にアイーダとアモナスロに向かい合った。さっきまで夜だというのに明るかった紫苑の世界は何時の間にか何処までも暗くなっていた。闇になっていた。
「さあ、行くのです」
「あくまでここに留まるか」
「そうです。ですから」
 アモナスロに応えて彼に行くように言う。アイーダを見て微笑んでいた。
「アイーダ、貴女も」
「ラダメス様、どうして貴女は」
「所詮私達はそれぞれの国の運命から離れられぬ身」
 微笑みのまま涙を流すアイーダに告げた。
「これでよいのです」
「そんな・・・・・・」
「アイーダ」
 アモナスロが娘に対して声をかけてきた。
「御前まで失うわけにはいかぬ。行くぞ」
「お父様、私は」
「行くのだ、この若者の心を知れ」
 そう娘に言う。彼はラダメスの心がわかったからこそ逃げることを決意したのである。
「よいな」
「・・・・・・わかりました」
 アイーダも遂に諦めた。彼女もラダメスの心がわかっていた。そして父の言葉もわかっていたからだ。それで従わない程彼女は勝手な女ではなかった。
「それでは」
「さらばだ」
「はい」
 アモナスロはアイーダを連れて別れた。すぐに闇の中へ消えた。
「追え!」
「逃がすな!」
 ようやくやって来た兵士達が彼を覆うとする。アムネリスとランフィスもそこに来ていた。
「エチオピアの人質が逃げたか」
 ランフィスはラダメスのところにやって来て言った。
「将軍、御無事か」
「ええ」 
 ラダメスは一旦は彼に対して頷いた。
「ですが謀反人を捕らえました」
「謀反人!?それは何処に」
「将軍しかおられませんが」
 兵士達はラダメスの言葉に辺りを見回す。松明の光に映るのはエジプトの者だけである。
「それは私だ」
「馬鹿な」
 ランフィスもアムネリスも兵士達もそれを否定した。
「貴方が謀反人なぞ」
「おたわむれを」
「いえ、だからこそ私は今笛を吹いたのです」
 しかしラダメスはその彼等に言う。
「私は敵の王に間道のことを教えました。これこそが私の謀反です」
「馬鹿な、ではあの捕虜は」
「アモナスロ王だったのか」
「はい」 
 そうランフィス達に頷く。
「ですから罪に服しましょう」
「嘘よ、そんなことは」
 アムネリスは剣をランフィスに差し出すラダメスを見て言う。
「将軍、貴方がそんな・・・・・・」
 しかしラダメスは答えない。そのままランフィスにその身を預けるだけであった。彼は今覚悟を決めていたのであった。それはアムネリスにもどうしようもないものであった。



エジプトに残ったラダメス。
美姫 「これからどうなるのかしら」
王がラダメスにどんな処罰を下すのか。
美姫 「アイーダとどうなるのかも気になるわね」
だな。次回も待っています。



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