『魔弾の射手』
第三幕 神の加護と救い
森の中である。ここに猟師達が集まっていた。
「素晴らしい日になりそうだな」
その中の一人が森を眺めてこう言った。
「ああ、全くだ」
同僚の一人がそれに同意する。
「昨日はとんでもない嵐だったからな。こんないい天気になるとは思わなかったよ」
「あの嵐の原因を知っているか?」
「いや」
彼は同僚に答えた。
「狼谷でな」
「あの谷か」
彼はそれを聞いて眉を顰めさせた。
「ああ、出たらしいんだ」
「悪魔がか」
「そうだ、またな」
その狩人は同僚に囁くようにして言った。
「あの谷にだけは近付くなよ」
「わかっている」
それは狩人達の暗黙の掟であった。
「悪魔に魂と売り渡すところだからな」
「そういうことだ」
「あんな場所に行く奴の気が知れないよ」
「全くだ」
彼等がそう話しているとマックスが来た。
「おう、マックス」
彼等は気さくに彼に声をかけてきた。
「どうだい、調子は」
「ええ」
彼はそれに丁寧な物腰で応えた。
「何とも言えませんが」
「おいおい、大丈夫か」
「謙虚なのはいいことだがな」
彼等はマックスの本来の腕を知っている。
「今日で御前さんも結婚か羨ましいなあ」
「おい、御前はもう結婚しているだろうが」
「おっと、そうだった」
彼等は冗談混じりにそんな話をしていた。それを見るマックスの目が細くなった。
ここにカスパールが来た。猟師達は彼にも声をかけてきた。
「あんたも頑張れよ」
「おう」
彼はそれに元気よく応えた。
「まあ任せておけ」
彼もまた仲間達からは腕のよい猟師として知られていた。だがその真実までは知らなかった。
猟師達は先に進んだ。カスパールは彼等を見ながらマックスに囁きかけてきた。
「わかってるな」
「勿論だ」
マックスは暗い顔をして頷いた。
「弾はまだ持っている」
「よし、幾つだ」
「一つだ」
マックスは答えた。
「さっき領主様の前で三つ使った。御前は幾つ使った?」
「二つだ」
「何!?」
マックスはそれを聞いて思わず声をあげた。
「おい、正気か」
「何を言っているんだ」
「あと一発ずつしかないんだぞ」
彼は純粋に弾の数だけを気にしていた。実はこの魔法の弾の真実を聞かされてはいないのだ。
「それがどうした」
教えた張本人はしれっとしていた。当然である。
「一発あれば充分じゃないのか」
「うう・・・・・・」
マックスは逆にそう言われて言葉を詰まらせた。
「その魔法の弾のことはもうわかった筈だ。それでいいだろう」
「言われてみればそうだが」
「その一発を大切にしろよ」
ここで彼は心の中でこう言った。
(御前とアガーテを地獄に誘う弾なのだからな)
しかし心の中の言葉であるのでマックスには聞こえはしなかった。
「わかった。じゃあこれで決めよう」
「そうこなくちゃな」
ここでマックスを呼ぶ声がした。彼はすぐにそちらに向かった。
「ふふふ、全ては計画通りだ」
カスパールはマックスの後ろ姿を見送って悪魔的な笑みを浮かべた。
「これであいつとアガーテはザミエルのものになる。そして俺はこれからもこの世を楽しむというわけだ」
ここで狐を見かけた。
「これでな」
すぐにその狐を撃った。狐はもんどりうって倒れた。
「これはマックスとアガーテにやるとしよう」
悪魔的な笑みのままそう言った。
「地獄への手土産にな」
マックス達が森の中にいる時アガーテは自宅で婚礼の準備に取り掛かっていた。
古く、質素だがそれでいて美しく装飾された部屋である。窓の側には花瓶がありそこにはあの白い薔薇がある。それは窓から入る太陽の光に照らされて白く輝いていた。
アガーテはその中にいた。白い花嫁衣裳に緑のリボンを身に着けている。花瓶の白い薔薇の前に跪いていた。
「天におわします気高き主よ」
彼女は薔薇に語りかけていた。
「今日のこの素晴らしい日を授けて下さったことを深く感謝致します。願わくば私とあの人に永遠の幸福をお授け下さい」
それは彼女の深い信仰心から来る言葉であった。魔物が潜む暗い森の中にあって神の力はあくまで偉大なものであるのだ。
「私にあの人を、そしてあの人に私を。その御力でお授け下さい」
最後にそう言うとゆっくりと立ち上がった。ここにエンヒェンが入って来た。見れば彼女も盛装である。
「ここにいらしたのね」
「ええ」
アガーテは彼女に顔を向けて答えた。
「ではそろそろ行きませんか」
「その前に聞いて欲しいことがあるのだけれど」
「何でしょうか」
おおよその見当はついていた。彼女の晴れない顔を見ればわかる。
「昨日の夢だけれど」
「いい夢ではなかった」
「ええ。私は白い鳩になって」
「いい夢じゃありませんか」
「それだけならいいのだけれど。あの人に撃たれてしまうの」
「それで!?」
流石にそれを聞いてはエンヒェンも穏やかではいられなかった。
「けれどすぐに起き上がって。そのかわりに黒い大きな鳥が倒れていたわ。私は無事だったの」
「それは非常にいい夢だと思いますよ」
そこまで聞いて安堵した顔で答えた。
「そうかしら」
「結婚の前の日に見る夢はこれからの生活の予兆です」
「それは前に聞いたけれど」
「雨蛙が天気を告げるのと同じで。それはきっと吉兆ですわ」
「それならいいのだけれど」
それでもアガーテの顔は晴れない。見るに見かねたエンヒェンはそんな彼女に対して言った。
「白い鳩は幸福、そして黒い鳥は災厄です。お嬢様が災厄から救われるということですわよ」
「そうなのかしら」
「ええ」
エンヒェンは彼女を元気付けるように強い声で応えた。
「だからそんなに落ち込まれることはないですよ」
「わかったわ」
アガーテはそう答えた。だがやはりその顔は晴れない。エンヒェンはそんな彼女に対して遂にこう言った。
「では一ついいお話を致しましょう」
「お話?」
「そうです。お嬢様が望まれているお話をです。宜しいですか?」
「ええ、どうぞ」
彼女はそれを薦めた。エンヒェンはそれを受けて話をはじめた。
「私の従姉のお話ですけれどある日寝ていたら急に無気味な気配がしました」
「真夜中に!?」
「はい。部屋の扉が開いて何かがやって来ます。火の様に燃え盛る瞳を持って鎖を鳴らしながら」
「それはもしかして」
「お話は最後までお聞き下さい」
エンヒェンはここで微笑んで彼女を制止した。
「その様子に驚いた彼女は思わず悲鳴をあげました。そしてそれを聞いた家の人達が見たものは」
「何だったの?」
「犬でした」
「犬!?」
「そう、買っていた家の犬でしたの。とんだ化け物でしたの。そういうお話ですわ」
「よくあるお話ね」
アガーテはそれを聞いて少し溜息を出した。
「けれど少しは気持ちは上向いたのではありませんか?」
「ええ」
それは事実であった。アガーテはほんの少し笑ってそれに応えた。
「花嫁はそうでなくてはいけませんわ。笑っていないと」
「そうね」
アガーテはようやく彼女の言葉に笑顔で頷くようになった。
「貴女の言葉に従うわ」
「そう」
彼女はアガーテのその言葉を聞き満足したように頷いた。
「そうでなくてはいけません」
「ええ」
「花嫁に相応しいのは悲しい顔ではありませんわよ」
またアガーテを元気付けるように言った。
「明るい顔こそが相応しいのです。周りを幸せにするような顔が」
「それが花嫁の務めなのね」
「そうです、その通り」
彼女は言葉を続けた。
「回りを喜ばせるのが。悲しみは別の仕事、少なくとも花嫁の仕事ではありません。ですから」
またアガーテに言う。
「薔薇の様に明るい笑顔をお願いしますよ」
「わかったわ」
ようやく彼女は明るさを取り戻してきた。
「そうよね。私が明るい顔をしていないとあの人も心配するわ」
「その通り」
それに合わせて頷く。
「では花の冠を」
「あら、忘れていたわ」
ハッとして気がついた。
「すぐに取りに行かないと。大変なことになるわ」
「そうです。お急ぎあれ」
エンヒェンはわざと急かした。
「いえ」
しかしすぐに思い直した。
「私が取りに行きます。ここでお待ち下さい」
「頼めるかしら」
「それが私の仕事ですから」
そう言って部屋を後にした。入れ替わりに扉をノックする音が聞こえてきた。
「どうぞ」
彼女はそれに入るように言った。すると数人の着飾った少女達が入って来た。それは花嫁の付き添いの少女達であった。
「いらっしゃい」
アガーテは笑顔で彼女達を出迎えた。
「はい」
見ればその着飾った服はこのボヘミアの服であった。アガーテのそれとは違い花環や花は付けてはいない。
「このすみれ色の絹を」
一人がアガーテに絹を差し出した。
「有り難う」
彼女はそれを受け取った。そしてそれを肩に巻く。もう一人前に出て来た。
「私はこれを」
それは緑の花輪であった。
「喜んで」
アガーテはそれも受けた。
「頂くわ」
「はい」
こうして彼女は次々に飾られていった。少女達はそんな彼女を微笑みながら見ている。
また出て来た。今度は金色の亜麻であった。
「まあ」
彼女はそれを見て顔を綻ばせた。
「何て美しい」
そしてそれを身に纏った。白を基調として多くの色に飾られていった。
「後は一つだけですね」
「ええ」
少女達はそう話した。
「花の冠だけ」
「けれどそれももうすぐ」
そこにまた扉をノックする音が聞こえて来た。
「どうぞ」
アガーテが入るように言うとエンヒェンが入って来た。そのてには紐で結んだ丸い箱がある。
「それは」
「遂に届きましたよ」
彼女はアガーテに満面に笑みを浮かべてそう答えた。
「じゃあそれは」
「はい、花の冠です」
彼女はそう答えた。そしてアガーテの前にやって来る。
まずは紐を解いた。そしてそれをアガーテの前に差し出した。
「どうぞ」
「ええ」
アガーテはそれを受け取った。それからゆっくりと開ける。しかしその中にあるものを見た瞬間彼女だけでなく他の者も皆凍りついた。エンヒェンもである。
「これは・・・・・・」
それは何と葬式用の銀の冠であったのだ。あまりにも不吉なものであった。
「死の冠。どうしてこんなものが」
アガーテの顔は再び青くなっていた。
「これは何かの間違いですよ」
エンヒェンはそれを見て慌ててその場を取り繕った。
「使いの者か誰かが間違えたのでしょう。けれどその責任は問わないで。神聖な婚礼の場なのですから」
「え、ええ」
アガーテも少女達もそれに頷いた。
「このことは忘れましょう。いいですね」
「はい」
エンヒェンに言われ皆頷いた。こうしてこの場は何とか収まった。
「とりあえず花の冠ですが」
「それだったら」
アガーテがここで口を開いた。
「薔薇を使いましょう、白い薔薇を」
そう言って花瓶にあるあの白い薔薇を指差す。
「隠者様から頂いたあの白い薔薇を。それならいいでしょう?」
「あ、それでしたら」
エンヒェンはそれを聞き明るい顔に戻った。
「よろしいかと。では早速花の冠を作りますね」
「ええ、お願い」
こうしてエンヒェンは花瓶の側に行き素早い動きで花の冠を作った。そしてそれをアガーテの前に差し出す。
「どうぞ」
「はい」
あらためてその冠を受け取る。そして彼女はそれを被った。
「まあ」
それを見たエンヒェンも少女達も思わず感嘆の息を漏らした。あまりにも美しい姿だからである。
「どうかしら」
アガーテは彼女達に尋ねてきた。
「とてもいいですわ」
皆口を揃えてそう答えた。
「それでしたら問題はないと思います」
「それどころかかえってよいような」
「じゃあこれで行くわね」
アガーテもそれを聞いて安心した。そしてそう尋ねた。
「はい」
皆それを認めた。アガーテはそれを聞いてまた微笑んだ。
「よかった、さっきはどうなることかと思ったけれど」
そして頭にある白い薔薇に手をやった。
「頼むわね。婚礼の間私を護ってね」
隠者に言われた言葉を思い出していた。そして彼女はエンヒェンや少女達と共に婚礼の場に向かうのであった。
その頃婚礼の場でもある大会の場所では猟師達が集まっていた。そして領主である侯爵オットカールを囲んで酒を楽しんでいた。
「皆の者」
気品のある長身で口髭を生やした髭と同じ黒い髭の男が猟師達に声をかけていた。彼がその侯爵オットカールその人である。
「今日は楽しもうではないか」
「はい!」
彼等は杯を掲げてそれに応えた。
「この世で狩人の楽しみに優るものはなし、生命の杯は絶え間なく誰に向かって泡立ち溢れるのであろうか。それは最早言うまでもない」
彼等は口々にこう言った。
「角笛の響きを聞いて緑の野を進み、森や沼を越えて鹿を追う。これこそ男の憧れであり王者の楽しみだ。身体は鍛えられ、食事は旨い。森や岩山が我々を出迎えその中に入る。そして全てが終わった後我等はこうして酒を共に楽しむ!」
そしてその酒を一斉に口にした。
「狩の女神アルテミスが我等を護る。そして我等は誇り高き狼や猪をも倒す。これが王者の楽しみでなくて何と言おうか!」
「うむ、全くその通りだ」
オットカールは彼等の声に目を細めていた。
「そして今日はそれだけではないぞ」
「はい」
猟師達は彼の言葉に頷いた。
「素晴らしい婚礼がある」
「マックスの」
皆オットカールの言葉に頷いた。
「その通り。私は今日という日をどれだけ待ち望んだか。私は二人が小さい頃から知っている」
「はい」
「クーノよ、覚えているな」
ここでクーノに声をかけた。
「はい」
彼はそれに応えた。
「忘れる筈もありません」
「そう、私がまだ髭も生えていない頃マックスもアガーテもほんの子供であった。その頃からマックスは凛々しく、アガーテは可愛らしかった」
「はい」
「幼いアガーテが狐に追いかけられている時にマックスが助けに入った。弓で仕留めたのだ」
「偶然側にあった弓で。あれは驚きました」
「それを見て思ったのだ。この二人は将来きっとこの村で名のある二人になると。そしてこの二人は結ばれるべきだと」
「つまり二人はその時から結ばれる運命だったのですね」
「私はそう思う」
オットカールは猟師の一人の言葉に頷いた。
「そして今日のこの日だ。ようやく来たと言うべきか」
「はい」
クーノはそれにまた頷いた。
「私もどれだけ待ち望んだことか」
「そう、ではそろそろはじめるか」
「試験射撃を」
「マックスはいるか」
「彼は」
見れば森の中からやって来る。カスパールはそれを一同の端から見ている。
「おお、来たか」
「はい」
マックスはオットカールの前にやって来た。
「申し訳ありません、遅れてしまいました。準備に手間取ってしまいまして」
「よい。準備がなくては何も出来はせぬからな」
彼はそう言ってマックスを許した。
「そして」
さらに辺りを見回した。
「女達はまだか」
「そういえば遅いですな」
クーノも猟師達も辺りを見回した。
「ですがかえって好都合ですな」
「どうしてだ?」
オットカールはクーノに問うた。
「娘がいないうちに試験が出来るからです」
「花嫁の前で自分の栄光を見せられるではないか」
「そう考える者もおりますが」
クーノはここでこう断った。
「そうでない者もおります。とりわけマックスは」
そう断ってから話した。
「善良な若者です。そして純粋です」
「それは知っているつもりだ」
「だからこそ娘を前にして試験をさせたくはないのです」
「緊張するということか」
「はい。ですからここは早く済ませたいのですが」
「そういう考えもあるが」
だがオットカールはその提案には否定的であった。
「これは古いしきたいだ。それはわかっていよう」
「はい」
クーノもそれは知っていた。試験射撃は花嫁となる娘の前で行うしきたりなのである。
「それはわかっているな」
「無論です」
「ならばよい。確かにそなたの気遣いはわかる。だがな」
オットカールは言葉を続けた。
「そうした緊張にも勝たなければならないのだ。わかるな」
「はい」
「だがな」
しかし彼はここで譲歩することにした。
「古い猟師達が別の考えならばそれを聞こう。どうだ」
その古い猟師達だけでなく若い猟師達にも問うた。
「そなた達の考えを聞きたい」
彼は人の話をよく聞く領主として知られていた。こうして他の者の意見もよく聞いたのである。
「はい」
皆それぞれ口を開いた。
「早いうちに済ませるべきだと思います」
一人がそう言った。
「ほう」
オットカールはそれを聞いて眉を少し上に上げた。
「私もです」
別の若い猟師もそう主張した。
「ここはクーノ様の御考えに賛成します」
「マックスに楽な気持ちで試験を受けさせてやって下さい」
「そして彼に花嫁を」
皆すぐに試験をはじめることを主張した。
「わかった。皆の考えはよくわかった」
オットカールは全てを聞き終え鷹揚に頷いた。
「決まったぞ、マックス」
「はい」
再び彼に顔を向けた、マックスはそれに応える。
「今すぐに試験を行う。よいな」
「わかりました」
マックスはここでは胸の中の不安を押し殺した。
「はじまるか」
カスパールは何時の間にか木の上に登っていた。そしてそこからマックス達を見ている。
「丁度来ているし」
下を見る。そこには着飾ったアガーテ達がいる。
「魔王の呪いからは逃げられんさ。地獄で仲良くな」
ニヤニヤと笑いながらそれを見ていた。マックスはオットカールに挨拶をしていた。
「それでははじめさせてもらいます」
「うむ」
彼はそれを認めた。
「さっきの様にな。落ち着いていけ」
「はい」
「目標は、だ」
丁度ここで白い鳩が目に入った。
「あれがいいな。よく目立つし」
「あの鳩ですね」
「そうだ。撃てるな」
「勿論です」
だがここで魔弾のことが気にかかった。一抹の不安が胸によぎる。
(大丈夫だ)
自分にそう言い聞かせる。今までも確実に当たっているからだ。
(魔法の弾だ。絶対に当たる。だから安心しろ)
必死に言い聞かせている。胸の中の不安を必死に抑える。
「ではよいな」
ここでオットカールの声を聞いてハッとした。
「撃ってみよ」
「はい」
頷く。そして白い鳩に向けて構えた。
「おっ」
ここでアガーテ達が来た。猟師達はそちらに目を向けた。
アガーテもマックスを見た。だがその先にある鳩に気がついた。あの白い鳩だ。
「マックス!」
彼女は思わず叫んだ。
「その鳩は撃たないで!」
「その声は!?」
マックスは耳に入ったその声に反応した。だが目と神経は鳩から離しはしない。猟師としての習性が彼をそうさせた。
「いよいよだな」
カスパールはそれを見てやはり笑っている。その彼のところに白い鳩が来る。しかしそれには気がつかなかった。これが命取りになった。
マックスは撃った。その魔弾が放たれた。
それは目には見えないが奇妙な動きをした。何とアガーテに向かったのだ。銃口が向けられてはいないというのに。
しかしそれは彼女の目の前で軌跡を変えた。そして鳩、その真後ろにいたカスパールに向かった。
「ああ!」
カスパールとアガーテは同時に倒れた。皆それを見て顔面を蒼白にさせた。
「まさか!」
「カスパール、どうした!」
そこにカスパールも落ちて来た。オットカールとその周りの者はアガーテの方に駆け寄った。マックスもだ。狩人達はカスパールの方に駆け寄った。そして彼等を見る。
「アガーテ!」
「お嬢様!」
オットカールとエンヒェンが倒れているアガーテに声をかける。見れば傷はない。
「大丈夫だ、傷はない」
オットカールがそう言うと彼女はゆっくりと目を開いた。
「生きていたか」
皆それを見てホッと胸を撫で下ろした。とりわけマックスの顔に血の気が次第に戻ってきた。
「私は生きているの?」
彼女は信じられないといった顔であった。
「信じられないわ」
「よかった、生きていたんだ」
クーノが娘を抱いた。アガーテはその抱擁を受けようやくどうなったのか理解した。
「助かったのね」
「そうだ。弾は当たらなかった」
「当然だ。マックスは彼女に銃を向けてはいなかった」
オットカールはここでそう言った。だがそれを聞いたマックスの顔がまた青くなった。
「まさか・・・・・・」
「どうした、マックス」
オットカールはそんな彼に声をかけた。
「いえ・・・・・・」
だが彼はそれについて語ろうとしなかった。話せる筈もなかった。
「ところで弾は」
クーノがその弾に気付いた。
「一体何処に」
「そう、それだ」
オットカールも彼と同じ考えであった。
「見ればカスパールが倒れているが」
「しかしマックスは彼を狙ってなぞおりませぬぞ」
「だがああして今倒れているのだが」
「ううむ」
クーノは倒れているカスパールを見て考え込んだ。彼は胸から血を流していた。
「ウググ・・・・・・」
「おい、大丈夫か」
同僚達が彼を気遣う。だがその傷が致命傷であるというのは誰にもわかることだった。助かるとは到底思えない傷であった。
「しかし何故マックスの弾が」
「ああ、あいつはカスパールなんか狙ってはいないのに。どういうことだ!?」
猟師達は首を傾げる。カスパールはそんな中で呻いた。
「クソッ、あの娘に神の加護があったとは」
「何!?」
猟師達だけでなくそこにいた全ての者が彼の言葉に顔を向けた。
「今何と」
だがカスパールは意識が混濁しているのか周囲のことにまで考えが至ってはいなかった。
「迂闊だった。まさかこんなことがあろうとは」
「おい、カスパール」
周囲の者が声をかけるがそれでも彼は気付かない。
「一体どうしたんだ!?」
「ザミエル、それでも御前は満足なんだろう」
「ザミエル・・・・・・」
その名を聞いて震えない者はいなかった。森に潜む魔王の名だ。
「おい、見ろ!」
皆異様な気配に気付き気配がした方に顔を向ける。するとそこに陰気な顔をして濃い髭を生やした大男がいた。
「ザミエル・・・・・・!」
カスパールは彼の姿を認めてそう叫んだ。
「あれがか」
皆魔王の姿を見て息を呑んだ。
「迎えに来たのか、この俺を」
「まさかこの男は」
皆カスパールのその言葉に沈黙した。
「悪魔に魂を売ったのか!?」
その通りであった。そしてカスパールは自らの言葉でそれを証明した。
「ならば持って行け、地獄へも何処にも行ってやろう」
「やはり・・・・・・」
彼等は言葉を失った。
ザミエルはただカスパールを見ている。陰気な顔のままで表情は変えない。
「それもこれも神のせいだ。それさえなければ俺は地獄に行かずには済んだものを」
「・・・・・・・・・」
今度は神を呪った。それがどれ程恐ろしい言葉であるのかわからない者はいない。
「神なぞ滅んでしまえ!貴様のせいで俺は地獄に落ちなければならないのだ!」
それが最後の言葉であった。カスパールは最後に叫ぶと恐ろしい顔を凍りつかせたまま息絶えた。ザミエルはそれを見届けると姿を消した。その後には無気味な瘴気が漂っていた。
「今のが魔王ザミエル」
「それに連れて行かれたということは」
彼は悪魔に魂を売っていたのだ。
「あれが死の際の言葉だというのか」
「神を呪うとは」
「元々そういった男だったということだ」
クーノがここでこう言った。
「そして今天罰が下ったのだ」
「天罰が」
「そうだ。悪魔に魂を売ったからだ。だからこそ神さえも呪った」
「はい」
「呪われた男だ。まさかこの村にこの様な男がいたとは」
オットカールは嫌悪を露にしていた。
「その男の死体を運び去れ。そして狼谷に捨てるのだ」
「はい」
すぐに数人の男が動いた。
「悪魔に魂を売ったのだ。そうした輩にはあの谷こそが相応しい」
「わかりました」
こうしてカスパールの死体は運び去られた。だが問題はこれで終わりではなかった。
「マックスよ」
オットカールは険しい顔で彼に声をかけた。
「はい」
マックスは青い顔をしてそれに応える。
「話はまだ終わってはいない」
「はい」
「謎は解かれてはいないのだ。それはそなたの口からわかることだ」
「はい」
「ありのままを話すがよい。わかったな」
「わかりました」
彼はわかっていた。全てを諦め観念していた。
「それではお話します」
「うむ」
「先程私が撃ったあの弾はカスパールより貰ったものです」
「何と・・・・・・」
それを聞いて皆絶句した。
「あのマックスが」
そして誰もが驚いていた。
「続けよ」
オットカールは彼に話を続けさせた。
「誘惑に負け彼と共にあの魔王の力を借りました」
「狼谷でか」
「はい」
「あの谷に何がいるのかわかっていたうえであろうな」
「はい。そして今日撃った四つの弾丸を手に入れたのです」
「その言葉、偽りではないな」
「はい」
マックスは自分の言葉に嘘がないことを述べた。
「全て真実でございます」
「そうか、わかった」
カスパールは全てを聞き終えた後であたらめて頷いた。
「マックスよ、そなたを追放とする。よいな」
「えっ・・・・・・!」
それを聞いたアガーテとクーノが声をあげた。
「再び私の治めるこの国に入ってはならん。よいな」
「はい」
マックスは口ごたえすることなくその言葉に頭を垂れた。
「わかっております」
「お待ち下さい」
だがここでアガーテとクーノが間に入って来た。
「これは何かの間違いです」
「そうです、魔がさしたのです」
二人はそう言ってマックスを庇う。
「どうかお慈悲を。彼を許して下さい」
「駄目だ」
だがオットカールの態度は頑なであった。
「魔王の力を借りた男を許すわけにはいかん」
「そこを何とか」
「お願いします」
二人は必死に懇願する。周りの者もそれに心を動かされた。
「侯爵様」
彼等もオットカールに声をかけてきた。
「お願いです、ここはお怒りをお収め下さい」
「そうです、お慈悲を」
「法を曲げるわけにはいかないのだ」
だがオットカールは人としてよりも君主としてのあり方をとった。
「魔王の力を許せばどうなる?この国は悪魔が支配することになるのだぞ。それでもよいのか?」
「それは・・・・・・」
これには反論できなかった。彼等も沈黙するしかなかった。だがここで質素なローブに実を纏った老人が出て来た。見れば白く長い髭を生やしている。
「領主殿」
彼はオットカールに声をかけてきた。
「貴方は」
オットカールは彼の姿を認めてハッとした。
「隠者様。どうしてここに」
彼こそアガーテに白薔薇を授けた隠者その人であった。
「その若者について貴方は御存知の筈ですが」
隠者は静かな声でオットカールに語りかけてきた。
「私もその若者については聞いておりますぞ」
「はい」
オットカールはそれに頷いた。
「私も彼についてはよく知っているつもりです。しかし」
「罪は許せないと仰りたいのですな」
「はい」
彼はそれを認めた。
「罪は罪です。しかも魔王の力を借りた」
「そそのかされて」
「それでも罪は罪です」
「領主殿」
彼は少し語気を強くさせた。
「神は慈悲を望んでおられます」
「しかし」
「御聞きなさい」
隠者は今度は優しい声でそう語りかけた。
「御自身の中に聞こえる神の御言葉を」
「私の中に」
「そうです。何と言っておられます?」
「それは」
隠者の言う通りであった。オットカールもそれを認めた。だがやはり法への意識が彼の心にあった。
「ですが」
「仰りたいことはわかります」
隠者は言った。
「ではこうしてはどうですかな」
「どうするおつもりですか?」
オットカールは問うた。
「彼に一年の猶予を。罪は犯しましたがその心は清く、そして悔いておりますから」
「一年ですか」
「左様、そして一年後のこの日に」
「再び試験射撃を行うべしということですね」
「そうです、そうすべきかと」
「わかりました」
オットカールはそれに頷いた。
「全ては神の望まれる通りに」
「左様、そうされるべきです」
隠者の目が温かくなった。
「神こそが法なのですから」
皆隠者を尊敬の目で見ていた。だが彼はそれに奢ることなくマックスをオットカールの前に連れて行った。
「さあ領主殿」
「はい」
「この純粋な若者に今神の御加護を」
「わかりました」
オットカールは頷く。そして彼はマックスが前に来るとまずその名を呼んだ。
「マックスよ」
「はい」
マックスはそれに応えた。
「神の恩恵が与えられた。そなたに一年の時が与えられたのだ」
「はい」
「私は待っているぞ。そなたが一年後アガーテと結ばれるのを」
「わかりました」
彼は謹んで頭を垂れた。
「神の示される神聖な正義と義務に従いましょう」
「うむ、頼むぞ」
オットカールの声も温かいものになっていた。隠者に示された神の心に触れたからであった。
「そう、これでいいのだ」
隠者は跪くマックスの姿を見てそう言った。
「罪は清められる。そして清められた若者はまた歩きはじめるのだ。これでよいのだ」
「隠者様」
アガーテが彼の前にやって来た。
「有り難うございます。私だけでなくマックスまで」
「清らかな娘よ」
隠者は彼女に声をかけた。やはり温かい声であった。
「私の力ではない。全ては神の御力だ」
「神の」
「そうだ。だから全ては神に感謝するのだ。私ではなくな」
「はい・・・・・・」
アガーテはその言葉に頷いた。
「全ては神の思し召し。それに心から感謝致します」
「うむ、それでよい」
隠者は目を細めた。クーノがそこに来る。
「アガーテ」
「はい」
娘に声をかける。アガーテはそれを受けて顔を上げた。
「一年待つのだ、よいな」
「はい」
「マックスは一年の間により立派になる。そして御前を迎えに来るだろう。そうだな、マックス」
「はい」
立ち上がっていたマックスは彼の言葉に頷いた。
「必ずや。その時までお待ち下さい」
「うむ」
クーノはそれを受けて力強く頷いた。エンヒェンも出て来た。
「お嬢様」
彼女はアガーテに声をかけた。
「その時はまたその服を着ましょう。そしてその時こそ」
「ええ」
アガーテは頷いた。
「私はその時は心揺れることなく向かいましょう」
「はい」
エンヒェンも笑顔で頷いた。全てを見届けた隠者はここで全ての者に語りかけた。
「全ては神の御心。我々はその慈悲に感謝するべし」
「はい」
皆彼の後ろに集まって来た。
「天を見よ、主が我等を見ておられる」
太陽が輝いていた。それはそこにいる全ての者を照らしている。
「清らかな心を持つ者は神の情を受ける」
「そして我等はここにいる」
「その通り」
隠者はその言葉に頷いた。
「さあ祝おう、そして感謝しよう。この神の温かき御心に。我等を愛し、そして祝福して下さるその慈悲深き神に」
皆天に祈っていた。罪が清められ、赦されたことに深く感謝の念を抱き続けそこで跪き祈っていた。来るべき幸福の日を信じながら。
魔弾の射手 完
2005・1・13
自業自得とはいえ。
美姫 「マックスたちを生贄にしたはずなのに自分へ返ってくるとは思いもしなかったみたいね」
うんうん。一年後、二人が幸せになれるかどうか。
美姫 「きっと大丈夫でしょう」
魔弾の射手というのは聞いたことがあったけれど、こんな話だったんだな。
美姫 「坂田さん、ありがとうございました」
ました。
美姫 「それでは、この辺で」
ではでは。