『魔弾の射手』
第一幕 悪魔の弾丸
長い戦争があった。ボヘミアの司教殺害にはじまり新教徒と旧教徒の抗争に発展した三十年戦争は何時しか周辺諸国まで巻き込んだ国際戦争となっていた。
当初この戦争は旧教の守護者であった神聖ローマ帝国皇帝であるハプスブルグ家とそれに対抗する諸侯達との争いであった。確かに宗教戦争であったが実際はこうした帝国内の争いであったのだ。
しかしこれに皇帝の勝利が決定的になると周辺諸国が動いた。只でさえ欧州に絶大な力を誇るハプスブルグ家のこれ以上の伸張を快く思わなかったからだ。
まずはデンマークが参戦した。だがこれが皇帝軍に敗れると次にはスウェーデンが参戦した。彼等は共に新教徒の国であったが彼等の真意は当然ながら信仰ではなく皇帝への対抗であった。
特にスウェーデン軍は強かった。国王グスタフ=アドルフ自身が名将であり、彼の指揮により帝都ウィーンへと迫らんとした。しかしそのグスタフ=アドルフが戦死すると彼等も劣勢になった。ここで戦争はいよいよ国際戦争の趣をていしていく。
ハプスブルグ家の宿敵と言えばヴァロア家であった。フランス王家である彼等はことあるごとにハプスブルグ家と対立を繰り返していた。欧州の戦乱、抗争は常に彼等が一方におり、そしてもう一方に彼等が存在するのが常であった。彼等は常に欧州の覇権を争っていたのだ。これは宗教的な意味合いではなかった。何故ならフランスもまたカトリックの国であり王家はその絶対的な擁護者であったからだ。これはこの時の王家ブルボン家においても同じであった。ナント勅令が出ていても彼等はあくまでカトリックであった。
だが彼等は皇帝に宣戦を布告した。これは何故か。
それは当時のフランス、そしてブルボン家の置かれた状況に関係があった。彼等はこの時ドイツ、そしてスペインから包囲されていた。両方共ハプスブルグ家の勢力圏である。彼等にとっては危機的な状況であったのだ。
戦乱はこの時で既に長きに渡っていた。皇帝軍に最早彼等に対抗する力はなかった。こうして長きに渡った戦争は終わり神聖ローマ帝国は事実上分裂し終焉を迎えた。皇帝も本拠地であるオーストリアの被害が少なかったこともあり以後はそちらに目を向けた。神聖ローマ帝国からオーストリアへとなっていくかのようであった。
だが残されたドイツの惨状は目を覆うばかりであった。戦乱により土地は荒廃し、村も町も焼き払われた。屍が辺りに散乱し、それを喰らう野犬や烏の群ればかりが目に入った。夜になると何処からか不気味な咆哮が聞こえ、月はまるで血に染まった様な色であった。死臭も漂い、廃墟が連なっていた。
そうした状況であった。世の中は混沌とし、人々は恐怖に怯えていた。森の中にも異形の者の影がちらつき何かしら薄気味の悪い声が聞こえる。ここはそうした森の中の一つであった。
ボヘミアの森であった。昼だというのに薄暗い。今この森の酒場で多くの者が集まっていた。
「おい、次は誰だ!?」
見れば猟師達が集まっている。そして大きな木にかけられた的を前にして何やら色々と話をしている。
「マックスらしいぞ」
誰かが言った。すると中から長身の逞しい身体つきの青年が出て来た。豊かな金髪に青い目をした端整な顔立ちである。精悍で、まるで古の狩人の様である。その漁師の服と帽子がよく似合っている。しかしその表情は何処か冴えない。
「上手くやれよ」
「頑張れよ」
同僚達が彼に声をかける。彼、マックスはそれに頷いた。
「ああ」
だが声は晴れない。何かしらもやがかかったようである。
マックスは木の前に出た。そして銃を構える。
「いよいよだな」
「いけるかな」
人々は彼を見ながらそう囁いている。マックスはその声に何処か神経質になっているようであった。
「マックスなら大丈夫だろう」
そういう声が聞こえてくる。だが彼の心の中はそうではなかった。
(いけるか)
彼はふとそう思った。そしてここで思い直した。
(いや)
同時に不安が心の中を覆っていく。
(しなくてはならない)
そう自分に言い聞かせた。その迷いが狙いに影響が出たのは至極当然のことであった。
銃声が鳴り響く。だが的は壊れはしなかった。ただ銃声だけが空しく響いただけであった。
「ああ・・・・・・」
マックスはそれを見て絶望した声をあげた。的は彼を嘲笑うかのようにその場に元のまま留まっていた。
「駄目だったか」
人々はそれを見て口々にそう言った。
「まあこういうこともあるさ」
「だがこれで優勝は決まったな」
「ああ、キリアンだ」
人々はここで農夫の服を着た男の周りに集まった。
「おめでとう、あんたが優勝だ」
「いやいや」
その農夫の服を着た恰幅のよい男に人々は花束や帯緩を手渡す。彼はそれを笑顔で受け取っていた。
「まさかわしが優勝するなんえ思わなかったよ。いや、こんなことははじめてだ」
「おや、そうだったのかい」
人々はそれを聞いて彼にそう尋ねた。
「ああ、若い頃からあまり上手くはなかったからな。それにここんとこは」
「マックスがいつも優勝していたからな」
ここで人々は的の前で暗い顔をして立っているマックスに目をやった。
「今日はどうしたんだろうなあ。いつもだったら訳なく当てるのに」
「それだよ。何かあったんじゃないか」
「何かって何なんだよ」
「おいおい、それまではわからねえよ、わしにも」
こうした話をしながら彼等はマックスを見ていた。やがて彼は的の前から離れキリアンの前に来た。
「優勝おめでとうございます」
彼はそう言って帽子を取り頭を下げた。キリアンは謹んでそれを受けた。
「いやいや。それにしても」
そして彼は問いにかかった。
「それにしても?」
「今日の御前さんはどうしたんだい?やけに調子が悪いようだが」
「それは・・・・・・」
マックスはそれを受けて口ごもった。
「何かあるのか!?いや、嫌味じゃないぞ」
「わかっています」
誰も嫌味なぞ言ったりはしない。ただ彼のことを心配しているのだ。
「御前さんにしては悪過ぎないか!?悩みでもあるのか」
「いえ」
彼はそれを誤魔化そうとする。ここで誰かがやって来た。見れば猟師の服を着た初老の男だ。歳の割に姿勢はよく歩き方もしっかりとしている。
「あ、これはどうも」
「うむ」
人々の挨拶を受けて彼は挨拶を返す。森林保護官のクーノである。
「何かあったのか!?見たところ射撃大会が終わったようだが」
「はい、その通りです」
「そうか。ではとりたてて騒ぐことでもあるまい。で、優勝は誰だ!?またマックスか」
彼は当然だろうといった顔で人々に問うた。だがその返事は彼が思っていたものではなかった。
「キリアンです」
「何っ、本当か!?」
そしてそれを聞いて思わず目を見張った。
「はい、それがこの証拠です」
見ればキリアンの手に花束と賞品の帯緩がある。それだけ見ればもうわかることであった。
「ううむ」
クーノはそれを見て考え込んだ。
「信じられない。マックスは一体どうしたのだ」
「それが・・・・・・」
村人達は言えなかった。だがマックスはそれを自分自身で言った。
「一発も的に当たりませんでした。嘘は言えません」
「そうか」
クーノはそれを聞きながらもまだ信じられないといった面持ちであった。
「どうしたのだ。最近不自然なまでに調子が悪いぞ」
「はい」
マックスはクーノの心配そうな顔と声に暗い顔と声で頷いた。
「何かあったのか!?何なら相談に乗るぞ」
「はあ」
やはり彼の声は晴れなかった。
「明日のことがある。こんな調子では本当に心配だ」
「すいません」
「謝る必要はない。だがな」
彼はここで顔を悲しく、そして厳しくさせた。
「明日の試験射撃で失敗したら御前と娘であるアガーテの結婚は認めることができない。それはわかってくれ」
「はい」
彼はやはり悲しい顔で頷いた。
「頼むぞ、本当に。このままでは一体どうなるのか。明日はわしを喜ばせてくれ」
「はい」
「あの」
ここで人々がクーノに尋ねてきた。
「何だ?」
「その試験射撃とは何でしょうか。時々聞きますが」
「そういえば私も」
キリアンもそこで言った。
「一体何なのでしょうか。宜しければお教え下さい」
「うむ」
彼はそれに頷いて説明をはじめた。
「私の先祖もまた猟師だったのは知っているな」
「ええ」
これは彼等にとっては言うまでもないことであった。皆それに頷いた。
「御領主様のお側におってな。ある日その御供で森に入った時一匹の鹿を見つけたのじゃ。だがその鹿は普通の鹿ではなかった」
「といいますと」
これは彼等にとっても初耳であった。思わず問うた。
「その鹿には一人の人間が鎖で繋がれていた。何故だかわかるか」
「いえ。何かの罰だとは思いますが」
「そう、罰だったのだ。昔は森の法に従わぬ者をこうして罰していたのだ」
「そうだったのですか」
「うむ、だが御領主様はそれを見て気の毒に思われた。そして周りの者に対して申されたのだ。罪人を傷つけることなく鹿を仕留めた者には褒美をやろうと。我が先祖もそれに従った」
「その褒美は」
「うむ。この森の一部と城を一つだった」
「それは凄い」
それを聞いた人々は思わず声をあげた。
「そしてどうなりました!?」
「我が先祖は見事鹿を撃った。そして見事森と城を手に入れたのだ」
「そうでしたか。そして鹿に繋がれていた罪人はどうなったのでしょうか」
「命に別状はなかった。少し傷は負っていたようだがな」
「それは何よりです」
人々はそれを聞いてホッと胸を撫で下ろした。
「それにしても素晴らしい御先祖様です」
「本当に。おかげで哀れな罪人が救われました」
「そう、そしてそれが試験射撃のはじまりとなったのだ。それを記念してな。長い戦争だったがこの辺りは幸い戦禍に遭わずに済んだ」
「はい」
「それで今も残っている。いいことだと思わないか」
「はい、そう思います」
皆それ賛同した。
「だがな。先祖のこの功績を妬んだ者がいた。これも何時でもある話だな」
「そうですね、残念なことに」
「そしてこれを中傷した。先祖が悪魔の弾を使ったのだと」
「悪魔の弾!?」
「それは一体何でしょうか。よからぬものなのはわかりますが」
「確か七つあるのでしたな」
ここでキリアンが言った。
「そうだ。よく知っているな」
クーノがそれを聞いてキリアンに顔を向けた。中にそれを聞いてギョッとしている者がいた。
「俺のことか!?」
それは猟師の一人であった。背が高く逞しい身体をした黒い髪と髭の男である。その顔は暗く、少し歪みの様なものが見受けられた目の光も暗く、何かよからぬことを考えているような顔であった。彼の名をカスパールという。この村では腕利きの猟師の一人として知られている。
「それが問題になってな。一時は異端審問官まで呼ばれそうな話だったという」
「本当ですか!?」
誰もが異端審問官の名を聞いて顔を青くさせた。それはこのボヘミアの森の中においてさえ恐怖の象徴であるのだ。
「うむ。それを重くみた御領主様はこの競技を開くにあたり自ら見られることとなった。そしてその場で参加者及び優勝者の潔白を確かめられる」
「当然ですな」
「本当に。異端審問なんかが行われていたらと思うと」
「同時にそこで優勝者は花嫁を選ぶこととなった。優勝した褒美の一つとしてな。その花嫁はその時に花の冠を被る。悪魔を退ける花の冠をな」
「そうして悪魔を完全に追い払うというわけですね」
「そうでもしないとな。悪魔がこの森に潜んでいるというのは事実なのだし」
「ええ」
人々はそれを聞いて暗い顔になって頷いた。
「いますね、確かに」
「あの悪魔が」
森の奥を見る。そこにはその悪魔が潜んでいると思われているのだ。
「ザミエル・・・・・・」
誰かがその名を呟いた。それを聞いた全ての者の背筋が凍るようであった。
「さてマックスよ」
クーノはここでマックスに顔を戻した。
「はい」
マックスはそれを受けて答えた。
「期待しているからな。それだけはわかってくれ」
「はい」
だがその返答は暗く沈んだものであった。やはり自信がないのだ。
「それはわかっています」
「ならいいのだが」
しかしクーノも彼の顔を見て不安を禁じ得なかった。
「我が娘アガーテが御前を待っているんだからな」
「アガーテ」
その名を聞いたマックスの顔が少し明るくなった。だがそれは一瞬のことであった。
「絶対に優勝しないと。さもないと僕は彼女を」
「そうだ。その心意気だ」
クーノはそう言いながら彼の肩を優しく叩いた。
「頼んだぞ」
「ええ」
そしてクーノは村人達と話をはじめた。マックスはその輪から少し離れる形となった。そこにカスパールがやって来た。
「なあマックス」
彼は親しい素振りで彼に話し掛けて来た。
「何だい、カスパール」
「ああ、かなり不安そうだから心配になったんだが」
彼はこの時努めて親しい素振りを装っていた。だが悩んでいるマックスはそれには気付かなかった。
「すまないな」
「いや、いいさ。ところでだ」
「うん」
そして彼はカスパールのその親しげな様子に心を解かされていった。何時しか彼の話の中に誘われていった。だがここでクーノが再びマックスの方に来た。
(ちっ)
カスパールはそれを見て内心舌打ちした。しかしそれはやはり外には出さなかった。
彼はとりあえずは身を引いた。だが皆の後ろで尚もマックスを見ていた。それは獲物を罠にかけようとする獣の様な目であった。
「私はこれで行く。御前はどうするのだ」
「少しここで考えさせて下さい」
「そうか、わかった」
彼は少し思うところがあったがそれを認めた。とりあえずはそっとするのもいいと思ったからだ。
「ではな。気を確かに持てよ」
「はい」
マックスは頷いた。
「落ち着いてやればいい。そうすれば御前の腕なら間違いなく優勝だ」
「有り難うございます」
「では諸君、明日を楽しみにしよう」
「はい」
皆それに応えた。
「明日は好きなだけ狩りを楽しめる。そして目出度い祝福の日だ」
「マックスとアガーテの」
「そうだ。私の素晴らしい婿を迎える日だ。皆でそれを祝ってくれ」
「言われなくとも」
「獲物と酒を楽しんだ後で」
「そうだ。では行こう。御領主様も来られる。皆で心ゆくまで祝い、楽しもうぞ!」
「はい!」
そして彼等はクーノと共にその場を後にした。そのまま酒場に入って行った。
「行ったか」
一人残ったマックスは酒場の方を見て呟いた。店の中からはもう朗らかな笑い声と明るい音楽が聞こえてくる。もう酒盛りがはじまっているのだ。
「今僕はあの中に入ることはできない。入ることが出来たなら何と喜ばしいことだろうか」
溜息混じりにそう呟くその後ろ、森の中から何者かが出て来た。
それは暗い緑と金の飾りがついた深紅の猟師の服を着た大男であった。同じ飾りに加えて鳥の羽根が着いた紅の帽子を目深に被っている。その奥に見えるその顔は深い青い髭に覆われておりその目は赤黒かった。そして異様に蒼ざめた顔をしていた。
その男はマックスを見ている。だが彼はそれには気付かない。
「明日だ。遂にこの日が来た」
彼は呟く。その間男はゆっくりと森から出て来た。そして木の側で彼を見ている。
「苦しい。しかも先が見えない。一体どうしたらいいんだ」
マックスは苦しい顔をしている。後ろの男はそれを受けてかマックスの方に行こうとする。だがそれを止めた。
「このままでは駄目だ。神よ、僕はどうすればいいのでしょうか」
神という言葉に後ろの男は反応した。顔を顰めさせた。
「この苦しみは希望を覆い潰し、悩みは尽きることがない。僕はどうしたらいいんだ」
今にも頭を抱えそうな様子であった。
「森に入り、野を越えて獲物を捉えてきた。そして愛しいあの娘にその獲物を捧げてきた。だが今はこの銃が獲物を捉えることはなくなった」
彼は嘆いていた。男はその間に彼の後ろに来ていた。
「神に見棄てられたのであろうか。それとも悪魔に魅入られたか。どちらにしろ今僕は苦しみの中にいる」
男は一旦何処かへ姿を消した。まるで影の様に急に姿を消した。
「あの娘の望みも僕の望みも変わってはいない。だが今僕には絶望が口を開いて待っている。これから逃れるにはどうしたらいいのだろうか」
その後ろで男は再び会姿を現わした。木にもたれかかってマックスを見ていた。
「神は何処におられるのか」
それを聞いた男の顔が再び歪んだ。
「そして僕は救われるのだろうか。何時この絶望の状況から逃れられるというのか」
男はそれを冷たい目で見ていた。だがやがてそれにも飽きたのかまた影の様に姿を消した。そして何処にもいなくなった。
マックスは一人酒場の外の椅子に腰掛けた。ここでカスパールがやって来た。
「おい」
そしてマックスに声をかけた。
「何だい?」
彼はそれを受けて顔を上げた。言うまでもなく暗く沈んだ顔であった。
「どうしたんだ、そんなに沈んで。さっきのことか?」
「ああ、けれど大丈夫だよ」
彼は無理をして平静を装った。
「だから一人にしておいてくれ」
「そういうわけにはいかないな」
だがカスパールはそれを拒んだ。そして店の中に声をかけた。
「おばさん、グラスを二つ。赤を頼むよ」
「あいよ」
店の中から声が返ってきた。それを受けてカスパールはニヤリと笑った。
「もう少し待ってろよ。すぐに来るからな」
「気持ちは有り難いけれど」
今は飲みたくない、そういった顔であった。だがカスパールはそんな彼を宥めることにした。
「まあ聞け」
ここでおかみが酒が入った杯を二つ持って来た。カスパールはそれを受け取ると一つをマックスに手渡した。
「ほら」
「うん」
彼は仕方なくそれを受け取った。そしてカスパールに顔を向けた。
「まあここは飲め。森林官様からのおごりだぞ」
「しかし」
「あの方の御厚意をむげにすることは止めた方がいいぞ」
「そういうことなら」
マックスはそう言われ渋々酒を口に近付けた。そして飲んだ。カスパールはそれを見て安心したような笑いを作った。
「よし、それでいいんだ」
「ああ」
だがマックスの顔は晴れなかった。
「悩みなんて生きてる限り尽きやしない。しかしそういう時の為にこれがあるんだろうが」
カスパールはそう言いながら杯を指差す。
「だから飲め。折角明日は可愛い花嫁を迎えるというのに」
「だから不安なんだ」
マックスはやはり暗い顔でそう答えた。
「わかるだろ、今の僕だと」
「そうやってまた愚痴を言うつもりか」
しかしカスパールはそんな彼を叱り飛ばす様に言った。
「そんなことだと出来るものも出来やしないぞ。いい加減にしろ」
「しかし」
「しかしも何もない。いいか」
彼は激昂したふりをして話をはじめた。
「俺があの戦争に参加していたことは知っているだろう」
「ああ、それは聞いている」
「その時に習ったんだ。人生ってのはな、この酒とカードと女がいればそれで充分だってな。それから言うんだ」
「僕にかい?」
「そうだ、他に誰がいる。いいか、よく聞けよ」
「ああ」
マックスは渋々ながらも耳を傾けさせた。
「手に入れたいものは何としても手に入れろ。これもそこで習ったことだ。戦場では武器も自分で調達しなければならん」
「そうだったのか」
「当たり前だ。お偉方は自分のことばかり考えている。俺達のことなんて駒かその程度にしか思っちゃいない。だから俺達もまず自分達が生き残り、分け前に預かることを考える」
そうした時代であったのだ。またそうしないとこの時代の神聖ローマ帝国領内では生きてはいられなかった。戦乱が覆い、傭兵や夜盗達が跳梁跋扈する。そんな中を生きていくにはそうした考えと行動でないと生きてはいられなかったのだ。
「どんな手段を使ってもだ。わかったな」
「どんな手段も」
「例え悪魔に魂を売ってもだ。わかったか」
「ああ」
マックスは力なく頷いた。
「聞け」
ここで教会の鐘が鳴った。
「七時の鐘だ。もう夜になる」
実際に空はもう暗くなっていた。遠くから梟の声も聞こえて来る。ホゥ、ホゥ、とまるで森の奥から響き渡る様にして鳴いていた。
「この森には色々いてな。それこそ色々ある」
「色々か」
マックスはそれを聞いて森の中を見た。その奥に何がいるかは聞いている。
「今夜は特に何かが起こる。それも御前さんにとってよいことだ」
「よいこと。それは」
「知りたいか」
カスパールは笑ってそう問うた。
「嫌だと言っても言うだろう」
「ははは、確かにな。いいか」
「ああ」
「まずはこれを見ろ」
カスパールはそう言うと上を指差した。もう暗くなっている空に大きな鳥が飛んでいた。
「あれを撃ち落してやろう」
「そんなこと出来る筈がない」
マックスはそれを聞いてこう答えた。
「当たる筈がないだろう」
「まあ見ていろ」
だがカスパールは笑ってそう言った。そして銃を構えた。
「悪魔の名において」
「悪魔の」
見ればカスパールの顔が禍々しく歪んでいる。何処からか不気味な哄笑が聞こえてくるようだ。そしてカスパールは銃を放った。
銃声が轟く。まるで地の底から響き渡る様な音がした。そして鳥が落ちてきた。それは二人の前に落ちた。
「どうだ」
カスパールはその鳥を手に取ってマックスに誇らしげに見せた。
「これで俺の言うことを信じる気になったか」
「ああ」
マックスは頷いた。
「だが一体どういうことだ?あんな距離でしかも暗い中で当てるなんて」
実際鳥は見えるか見えないかであった。それに当てるとは最早人間業ではなかった。
「秘密があるのだ」
カスパールは自信に満ちた声でそう答えた。
「秘密!?」
「ああ、弾にな。それを教えてやろうか」
「ううむ」
マックスはそれを聞いて考え込んだ。どのみち断ってもカスパールに無理にでも誘われるだろう。ならば答えは決まって
いた。
「わかった。教えてくれ」
「よし」
カスパールはそれを受けて了承したように頷いた。
「じゃあ今夜狼谷に来い」
「狼谷にか!?」
それを聞いたマックスの顔が青くなった。
「あそこへ行くのは」
「何かあるのか?」
「あの谷には昔からよくない噂がある。悪魔が出るそうじゃないか」
「欲しくないのか?魔法の弾が」
だがカスパールはここで囁くようにして言った。
「魔法の弾があると御前の望みも適うのだぞ」
そして巧みにマックスを誘いはじめた。誘惑の声であった。それを聞いたマックスの顔色が青いものから困惑したものに変わっていく。
「望みが」
「そうだ。アガーテがな。その為には何でもしたいだろう」
「・・・・・・・・・」
マックスは沈黙した。明らかに迷っていた。そこでカスパールは銃弾を一つ取り出した。
「使ってみろ」
「これがその魔法の弾か」
「そうだ。一度試しに撃ってみたらどうだ」
マックスはそれに従い銃弾を手に取ろうとする。だがあともう少しのところで動かなくなった。
「どうした!?」
カスパールはそれを見て問うた。
「いや」
マックスはここで何か不吉なものを感じていたのだ。
「受け取ったら」
「どうなるというのだ?」
「何か大変なことになるかも知れないからな」
「ほお」
カスパールはそれを受けて嘲笑する顔を作った。やはりあくまで作っただけである。だがマックスはそれには気付かない。
「ではこのままでいいのだな」
「どういう意味だ!?」
「さっきから言っている通りだ。それでわかるだろう」
「・・・・・・・・・」
マックスは再び沈黙した。
「アガーテが欲しいだろう」
「ああ」
「ならば受け取れ。そうすれば御前の望みは適うのだ」
マックスはまだ迷っていた。だがアガーテの名を聞いたら受け取らずにはいられなかった。
「わかった」
遂に彼は受け取った。カスパールはそれを見てニヤリと笑った。
「よし、ならばいい」
そして彼は上を指差した。そこにはまた大きな鳥が飛んでいた。
ここでマックスは気付くべきだったかも知れない。何故夜に梟やミミズクでもない鳥が飛んでいるのかを。だが今の彼にはそこまで考える余裕はなかった。
「あれを討ってみろ。試しにな」
「ああ」
マックスはそれに従った。上に向けて構える。
「撃て」
カスパールはマックスに囁いた。マックスは言われるままそれに従う。ここでカスパールは心の中で呟いた。
(悪魔の命じるままにな)
マックスは撃った。そして鳥が落ちてきた。それを見たマックスは流石に驚いた。
「本当に当たった。信じられない」
「どうだ、これでわかっただろう」
カスパールはそれを見て自信に満ちた笑みを浮かべた。
「これが魔法の弾の力だ」
「信じられない、本当に」
「戦場ではな」
カスパールはここで話をはじめた。
「硝煙と爆風の中にある。とても敵なぞ見ることはできない」
「そうなのか」
マックスは戦場に出たことはない。だからそれについては知らないのだ。
「そうだ。そんな状況で敵を倒して生き残るにはどうすればいいいと思う?」
「運任せでは駄目だろうな」
「運も必要だ。だがな」
彼は言葉を続けた。
「魔法も必要なんだ。この弾にある魔法がな」
「そうだったのか。ではその魔法の弾は」
「そうだ、戦場で見つけてきたものだ」
彼はそう告白した。
「わかったな、これで。この弾が欲しければ今夜」
「狼谷に」
「そうだ。必ず来いよ。わかったな」
「ああ」
マックスは頷いた。その顔には何故か闇がさしていた。
「絶対に行こう。待っていてくれ」
「うむ」
こうしてマックスはひとまず自身の家へと去った。そしてカスパール一人となった。
「これでよし。新たな身代わりが手に入ったぞ」
彼は悪魔的な笑みを浮かべていた。陰が指し、その目は異様に吊り上っていた。
「マックスよ来い、そしてザミエルよ楽しみにしていろ」
そして呟きながら笑っていた。
「全ては俺の為に。そして俺の命の為にマックスよ」
ここでマックスの名を口にした。
「貴様には代わりに地獄に落ちてもらおう」
そう言うと酒場に戻った。そして何食わぬ顔で宴を楽しむのであった。
魔法の弾とは一体。
美姫 「それに、命とか地獄とか」
何を企んでいるんだろうな、カスパールは。
美姫 「一体、これから何がまっているのかしら」
次回も待っています。
美姫 「それじゃ〜ね〜」