『リング』
エリザベートの記憶 第一章
第四帝国は皇帝により治めされてきた。だがそれはかなり緩やかな統治でありその下には多くの王達もまた存在していた。帝国はその拡張の過程で自分達に従う者達を厚遇してきたからである。
チューリンゲン星系にあるリスト王家もその中の一つであった。この王家は帝国建国からある名門の一つであり皇室とも縁の深い帝国においては極めて毛並みのよい家として知られていた。その所有する星系も豊かであり彼等は非常に恵まれた立場にあった。
このリスト王家に昔から仕える家としてオフターディンゲン家があった。公爵の爵位を持ち王家の腹心、いや第一の友人として長い間共にあった。そのオフターディンゲン家の現在の当主がタンホイザー=フォン=オフターディンゲンであった。
青灰色の目を持つ彫刻の様に整った顔立ちの美男子である。見事な金髪を後ろに撫で付け、そのスラリとした長身はよく引き締まっていた。ネクタイと灰色の丈の長い軍服を着ている。これはチューリンゲンの軍において元帥のものであることを象徴するものであった。彼はこの他にも帝国軍において大将の階級を持ち極めて高い位にあった。また軍人として、そして政治家としても優秀であり今のリスト王からも深い信頼を受けていた。
この時のリスト王ヘルマンはまだ少年であった。父の逝去に伴い今の位に就いた。利発だがまだ子供であり政治のことには疎かった。その為タンホイザーが実際の政治を見ていたのである。
「公爵」
王はいつも彼をこう呼んでいた。その日の夕食は王と彼の二人で採っていた。
「何でしょうか、陛下」
タンホイザーは気品のある動作で豪勢な食事を採りながら王に顔を向けた。
「皇帝陛下が亡くなられてからどの位経つか」
「そうですね」
彼はフォークとナイフを操る腕を止めてその問いに答えた。彼等の周りは多くの武官や従者達が控えている。王家の者もいればオフターディンゲン家の者もいた。だがその数は王家の方が多い。ここに両者の関係がはっきりと出ていた。
「もう一年になりますか」
「あれからそんなに経つのか」
「はい。その間チューリンゲンは平穏でしたが」
「それに心を緩ませてはいけないな」
少年はその黒い目を彼に向けてこう述べた。よく見れば中性的な美しい顔立ちである。黒い髪は豊かで光を跳ね返している。成長すればきっと銀河に名を知られる美男子となるであろう。タンホイザーは内心そう考えていた。
「左様です」
そして彼は王の言葉に頷いた。
「クリングゾル=フォン=ニーベルングが今銀河を掌握せんとしているのは紛れもない事実です」
「うむ」
「まずは彼とその軍に備えなければ。その為には」
「今は我慢の時じゃな」
「はい」
そして彼は王の言葉にまた頷いたのであった。
「やがて時が来ます。私の見たところあのニーベルングという男は実際には持っている兵の数は然程多くはありません」
「そうなのか」
「はい。どうやら一部の集団か組織を中心としている様なのです」
これは当たっていた。タンホイザーの視点の鋭さの証明の一つでもあった。
「それが何なのかまではまだわかってはいませんが」
「多いと思っていたが」
「そう見えるように工夫をしているのでしょう。むしろ警戒するべきはその兵器です」
「ファフナーだな。バイロイトを破壊したという」
「あれをどうにかできれば違うと思うのですが」
「公爵でも無理なのか」
「今は。申し訳ありません」
「よい。公爵でもできることとできぬことがあるからな」
「はい」
彼は王の言葉に慰められた。まだ幼いと言ってもよい歳ながらそうした細かい労わりもできる王であった。彼にはそれが嬉しかった。
「できることだけでよい。できぬことは他の者に任せよ」
「有り難い御言葉。ですが」
「余がもう少し歳をとっていればな」
王は申し訳なさそうに言った。
「公爵にも苦労をかけずに済んだのに」
「いえ、帝国の滅亡は致し方のないこと」
タンホイザーはそんな王に対して言葉を返した。
「ニーベルングのことは誰も予想ができませんでした故」
「そのニーベルングのことだが」
「はい」
話はクリングゾル=フォン=ニーベルングに移っていった。
「何故突如として反乱を起こしたのだろう。それまでは帝国の重鎮として位人臣を極めていたというのに」
クリングゾルは宇宙軍総司令官、そして元帥の位にあった。皇帝の覚えもめでたく王の今の言葉通り他に羨むものなぞない筈であった。それが何故。
「野心を抱いたのでしょう」
「野心」
「はい。人とは時として己の分以上のものを望みます。ニーベルングもまたそうなのでしょう」
「そうなのか」
「私は今はそう考えますが」
妥当な見方である。おおむねそう考えるであろう。だがそれは違っていた。タンホイザーはそれを後になって知ることになるのだ。多くの時と犠牲を払って。
「野心か」
「王も御気を着けて下さい」
彼は述べた。
「己を御知りになられることです。さもなければ」
「身の破滅に繋がるというわけだな」
「はい」
それで話は終わった。タンホイザーは夕食を終えると王と別れ自身の屋敷に戻った。豪勢なオフターディンゲン家の屋敷であった。
車でそこに入る。それから広大な庭を過ぎてようやく屋敷の門の前に達する。そして家に入った。
「お帰りなさいませ」
従者や召使達が彼を出迎える。皆代々彼に仕えている者達であった。
「旦那様」
彼等を代表して年老いた執事が前に出て来た。
「御夜食は」
「今日はいい」
彼はそれを断った。
「今しがた陛下の御夕食に相伴させて頂いたからな」
「左様ですか」
「うむ。ところで風呂はあるか」
「はい」
執事は答えた。
「何時でも入られますが」
「では入るとしよう。そしてヴェーヌスに伝えてくれ」
「何と」
「部屋で待っていてくれと。よいな」
「畏まりました」
こうして彼はまず風呂に入った。そこで身体を清めてからある部屋に向かった。
そこは彼の私室であった。広いが意外と質素な部屋であった。装飾はこれといってなく落ち着いた造りとなっていた。そこに一人の女性が座っていた。
「ヴェーヌス、只今」
彼はその女性の姿を認めて声をかけてきた。
「おかえりなさいませ」
見れば黒い髪を後ろに綺麗に伸ばしたあどけない顔立ちの女性であった。小柄で顔立ちも幼い感じである。その為実際の年齢よりも若く見えた。だが何処か妖しい感じが漂っている。清純さの中に妖しさがある、それが不思議であった。
黒い目はまるで翡翠である。その目はタンホイザーから離れてはいなかった。
「今日もお疲れ様でした」
「いや、大したことはない」
タンホイザーは緩やかな服に身を包む妻に対して優しい声をかけた。
「どんな激務でも私にはどうということはない」
「そうなのですか」
「そうだ、君がここにいてくれるからな」
その声はさらに優しいものになった。
「だから私は大丈夫だ。いいね」
「はい」
「今日はもう休もう。そしてまた明日だ」
「わかりました。それでは」
「うん」
二人は暫くそのまま部屋で休んで話をしていた。この時のタンホイザーの顔は普段とはうって変わって穏やかなものであった。彼はその一時を心から楽しんでいた。
それから書斎に入った。そしてそこで仕事に入った。まだやるべきことが残っていたのである。
「旦那様」
そんな彼のところにあの執事が入って来た。
「何かわかったか」
「少し動きがありました」
「動き」
「はい。ニュルンベルクですが」
「ニュルンベルク」
それを聞いた彼の目の動きが止まった。
「通信が途絶してそれからかなり経ちます」
「確かあそこに派遣されている執政官はヴァルター=フォン=シュトルツィングだったな」
「はい」
「あの男は切れ者だという。やはり何か考えあってのことか」
「帝国の侵略を防ぐ為かと」
「帝国か」
「このチューリンゲンに来るのも時間の問題だと思われますが」
「それはわかっている」
彼は執事に対してこう答えた。
「軍備は整えてある。最新鋭の戦艦も用意してるしな」
「ローマでございますか」
「そうだ。あれは生体コンピューターを搭載していたな」
「はい」
「今までの艦とはまるで違う。銀河で七隻しかないそうだが」
「それがある限り大丈夫でしょうか」
「いや、それでも油断は禁物だ」
タンホイザーは一隻の戦艦で安穏とするような男ではなかった。それだけで戦局が決定するものではないことをよくわかっていたからだ。
「まだ手は打っておかなければならん。ニュルンベルクの他にも拠点を設けておきたい」
「ここの他にも」
「若しもの時の為だ」
彼は言った。
「チューリンゲンに何かあろうとも彼等と戦えるようにな。よいな」
「わかりました。では調べておきます」
「うむ、頼む。そしてだ」
「はい」
彼はまた問うてきた。
「他に何か変わったことはないか」
「そうですね」
執事は一呼吸置いてから述べた。
「ローエングリン=フォン=ブラバントの軍がクンドリーという女を追っているそうです」
「クンドリー!?誰だ、それは」
「何者かわかりませんが。その追撃隊にあのジークムント=フォン=ヴェルズングが参加しているとのことです」
「あのエースパイロットがか」
「はい。どうやら追撃にかなり力を入れているようですが」
「ふむ」
彼はそれを聞いて思索に入った。
「あの女に何かがあるということか」
「そこまではまだ詳しいことはわかりませんが」
彼は述べた。
「ですがヴェルズング大佐まで投入しているということはやはり重要なものがあると思います」
「わかった。ではそちらの調査も続けてくれ」
「はっ」
「そして各方面にも情報収集を怠らないでくれ。いいな」
「わかりました。それでは」
「うむ」
執事は下がった。一人になったタンホイザーは書斎で送られてきた書類に目を通しはじめた。そしてそこからも多くのことを知った。
第二部スタート〜。
美姫 「どんな話になるのかしらね」
そして、第一部の主人公たちとどう関わるのか。
美姫 次回も非常に気になるわね」
うんうん。次回も楽しみに待っています。
美姫 「それじゃ〜ね〜」