『始りは些細な切欠から』




「………………………………………………」
「………………………………………………………………」

 今、高町家の居間においてかつてない程の危機が訪れていた。

「………………………………………………………………」
「………………………………………………………………………………」

 凍りつくには程遠いが、気まずさが限界まで高められた居間。テレビの音すら遠く思える程に沈黙が痛い。
 二人の間にあるのはお互いを窺うかのような視線のやり取りと、動かない唇だけ。

 二人は互いに声を掛け合わない。声をかける接点がないから仕方がないといえば仕方がない。

 だが、それでもこれからを思えば言葉を重ねければ、理解を深めなければならない。

「………………あの」
「………………えっと」

 言葉の切欠を探していて、ようやく見つけた話題。言葉の始まりを紡ごうとしてお互いに重なる。

「「………………………………………………」」

 タイミングが重なり、その後につなげようとした言の葉は容易く虚空へと消え去った。
 後に残るのは、またしても痛いほどの沈黙。


 片や、自らのテリトリーへの新参者に対する見分。片や、これよりテリトリーに入る新参者の値踏み。

 お互いがお互いに見極めんと思慮を重ねた挙句に動けなくなったこの高町家の居間。


 高町なのはと御神美沙斗のファーストコンタクトであった。













 高町家末っ子のなのはは所在なさげに視線を漂わせていた。母と兄によって紹介された目の前の人物。

 御神美沙斗。父である高町士郎の妹、つまりはなのはの叔母。そして、なのはの姉である美由希の実の母親。


 おいおい、いったいどういう事だ。と紹介された時は内心相当混乱したモノだ。姉だと思っていた美由希とは実は従姉妹で、
 はっきりいってなのはにとって目の前の御神美沙斗は今までのなのはの日常を壊すために遣わされた使者にしか見なかった。


 だが、そう思えなかったのは美由希と同じ優しい視線と目元、ふとした時にこぼれる微笑みがなのはの大好きな兄と全く同じだったから。

 だから、頭では理解できなくても目の前の人は自分と血のつながった人なんだと理解できた。だから、邪険には出来なかった。


 だが、邪険には出来ずとも対応の仕方が分からない。



 母である桃子の実家とは疎遠である。そして父、士郎の実家はそもそも亡い。すでに滅んでいる。
 なのはにとって血縁とは桃子と恭也、美由希。そして亡き士郎だけだった。
 叔父、叔母、祖父母といった親兄弟とは違う血族と出会った事は、物心ついてからは皆無。


 忙しすぎる時は翠屋を手伝っている経験をいかせば、と思うもうまく頬が動かずに笑みが作れない。
 接客業と、初めて会う叔母とは違う。これより親密になるという意味では同じなのだが、切りたくとも切れない一生つながる相手。粗相は出来ない。



 同時に目の前の女性、御神美沙斗に対する興味は尽きなかった。
 高町家において、血のつながりを持ちながら唯一、父と過ごした記憶がないなのは。

 そんな彼女にとって高町家にいる誰よりも父である士郎を知っている人物である美沙斗は興味が尽きなかった。
 母である桃子よりも、桃子よりも長い年月を父と過ごした兄である恭也よりも、目の前の美沙斗は長い年月を過ごしていた。

 目の前の女性に対する興味は尽きない。

 されど、


「………………………………………………あの、お茶、入れましょうか?」
「………………………………………………………………………………………………あぁ、頼むよ」

 会話の切欠は未だに掴めない。逃げるかのようになのははキッチンへとお湯を沸かしに向かった。
 美沙斗も僅かにほっとしたような溜息をついて追従した。

 未だに二人の間に生まれた溝が埋まることはなかった。

















「………………………………………………………………………………………………はぁ」

 なのはが見えなくなって出る深い嘆息。距離が掴めない事を深刻に思っているのはなにもなのはだけではなかった。
 美沙斗とて、初めて会う姪。兄である士郎に預けた美由希に対する対処も難しい。だが、それ以上になのはに対する接し方は難を極めた。
 
 言っては悪いが、美由希とは一度刃を交わした仲。剣士にとっては千の言葉よりも一の行動が雄弁に語る時が多い。
 あの時も、剣を通して随分と語らえた気がする。

 そして、美由希を知りたいと思えば御神流をいう共通の話題がある。親子の共通の話題としてはかなり物騒だが、それでも十年以上の時を埋めるのは難しくはない話題だ。
 何よりも話題としてだけでなく直接、教える事も鍛える事も出来る。美由希とは言葉で語り合えずとも理解し合える。

 最悪、美由希と二人でいて言葉に詰まっても木刀を取り出せば何とかなる。




 桃子とは、結婚直前に幾度か会話している。また、桃子は気さくな性格をしていて、美沙斗が沈黙していても桃子から話題を振ってくれる
 長年、寡黙だった恭也の母親をやっていただけはあって、合間の取り方が絶妙だった。桃子と二人でいて、言葉に詰まっても桃子が何とかしてくれる。



 恭也とは、気まずい空気になった事はない。恭也が子供の頃からいろいろと目にかけてきた。
 不破の家に帰ってくるたびに世話をした。将来の夢を聞いた事もある。何度も木刀どころか真剣で打ち合ったこともある。
 何よりも、今となっては美沙斗を除いた唯一の、御神を知っている者。

 御神宗家を、不破本家を、そこに住んでいた人達を、そこにあった空気を、そこにあふれていた声を、覚えている唯一の人。

 十数年の時を超えて、語り合う事など幾らでもある。
 昔語りでも、恭也の将来の事でも、美由希の将来の事でも、現在の事でも、何でも聞くべき事がある。

 それに、互いに寡黙なタチ。沈黙しても、その沈黙を楽しめるようなそんな間柄。


 城嶋晶や、鳳蓮飛も桃子に似た性質で合わせるのに苦労をしないはつらつとした少女達だ。なのはや美由希に比べれば接しやすい。


 フィアッセ・クリステラはそもそもいない。彼女の母であるティオレ・クリステラの後継になるべく世界を周っている。
 それに、クリステラ親子とは和解がすでに済んでいる。あのコンサート襲撃の後に、正式に謝罪した事は記憶に新しい。




 だから、なのはという姪に対する接し方が分からない。ついでに言えば、美沙斗からすれば初めての姪だ。
 一臣は子が出来る前に没した。それ以外も懇意にしていた親族も悉く鬼籍へと入った。娘とは違う、姪に対する接し方が分からない。


「………………………………………………………………………………………………ふぅ」

 己の手を眺めて溜息をまた吐く。
 龍には鴉と呼ばれる程に恐れらるこの手、この腕。少し前まではこの五体があれば何でもできると思っていた。

 だが、今になって、五体満足でも何ともできない事に出会った。



 その変化に戸惑いを覚える。

 同時に、その安らぎを得たという心の変化をいとおしいと思う己もいた。
















「………………………………………………どうぞ………………………………………………」
「………………………………………………ありがとう………………………………………………」

 こぽこぽと音を湯気を立てながらそそがれていく茶。
 湯呑から漂ってくる茶の香気が、なのはの茶を入れる腕の良さを示している。高町家は恭也を筆頭に茶を飲む人が多いからその為なのだろうと容易く推測できた。

 香りを楽しみつつ、楚々と茶を飲む姿は恭也を彷彿させた。

 なのはも自分の為に入れてきたマグカップに入った熱いお茶をふ〜ふ〜と覚まし、美沙斗を覗き見ながら茶を飲む。


「………………………………………………」
「………………………………………………………………」

 先ほどと変わらないように続く沈黙。二人の間にあるのは湯呑から出ている湯気のみ。

「………………………………………………………………」
「………………………………………………………………………………」

 気まずさが互いに限界点まで近づいてきている。先程と同じ様に何か口を開こうとするとお互いに同じ様に開いてしまい、堂々巡りがまた続く。

 チラチラと美沙斗窺っているなのはの視線。嫌われておらず興味を持たれている事はよく分かる。

 同時に、こみあげてくる懐かしい記憶。遥か昔に、これと同じ様な事態を味わったことがあったのをふと思い出す。

「君は、やっぱり兄さんの子供なんだね」
「ふえ!?」

 突然の言葉に目を白黒とさせるなのは。無理もない。そんな事を指摘するのは…………恭也ぐらいだった。桃子にも言われた記憶はない。

 嬉しいという感情よりも先に、戸惑いと驚きの方が大きかった。何が似ているのか、どこが似ているのか好奇心があふれてくる。
 気づいたら、身を乗り出して美沙斗へと近づいていて、手を握っていた。

 心からあふれ出てくる強い強い想い。

「お父さんを知ってるんですか?」
「私は、君のお父さんの妹だよ? 桃子さんよりも、恭也よりも、美由希よりも。たぶん、誰よりも一番、士郎兄さんの事は知っているよ。そうだね、話そうか」
「はいっ!」
 
 目をきらきらと輝かせるなのは。その瞳が記憶の中にある士郎と重なる。興味のあるものに対する瞳の輝きようが目の前のなのはとそっくりだ。

「何から話そうか、悩むね」
「どれでもいいですから!」
「待ってくれ。私だっていろいろと話したいんだが、やっぱり兄さんを知るには欠かせない事件がいくつもあってね」
「事件っ! お父さん、いったい何したんですか?」
「あぁ、いくつもある。例えば、そうだね。家出は数えるのが面倒になるほどしているし、後は庭にある盆栽を壊した数も計り知れない。戸や玄関を壊した回数も御神一だったね。他にも答案用紙を必ず隠して、その後母さん、あぁ、なのはちゃんからすると祖母になるね。その人に見つかって大目玉を頂戴していたね」
「もっと詳しくお願いします!!」

 ずずいっと身を乗り出して目をキラキラと輝かせて話をせがんでくる姿は恭也よりも美由希よりも、誰よりも士郎に似ている。

 亡くしたと思った故人の欠片。故人が生きていたと如実に示してくれる剣以外の確かな証が、目に前にあった。


「じゃあ、少しゆっくりと、私が覚えている最初から話していこうか?」
「最初からですか?」
「そう。恭也も美由希も、義姉さんっと、桃子さんも知らない、今はもう私しか知らない兄さんをなのはちゃんに教えよう。君にだけ教えてあげるよ」
「はいっ!!」

 先程よりも目を一層輝かせて身を乗り出すなのは。二人だけの秘密。それがより一層二人の距離を縮めた。

「あれは、私が………………………………………………………………」



















「まだまだ、私が知っている事はあるけど、今日はここら辺で終いにしようか」
「えぇ〜、美沙斗さん、もっと聞きたいです!」
「こういうお話は、一度に聞くものじゃないよ。それに、私はこれから何度も…………そう、なんどもここに来るからその時にお話ししよう」
「うぅ、分かりました。けど、絶対! 絶対聞かせて欲しい!」
「あぁ、絶対だ。約束をしよう」
「「ゆ〜びきりげんまん〜うそついたらは〜りのま〜すっ!」」

 懐かしい、懐かしい約束の証を、交わす。大事な大事な約束の証を交わす。





















 海鳴りが一望できる高台にある士郎の墓。
 高町家の人間が頻繁に来ているのか、他の墓と違って一団を奇麗に磨かれている。草も見当たらない。

 故人に対する想いの強さが容易く窺えた。

 なのはに無理を言って訪れた士郎の墓は思っているよりも小さく。士郎が死んでより初めて訪れた墓を見て、思うのは士郎が亡くなったのだという思いだった。

 知識としては知っていた。実感はしていた。だが、あの士郎が死んだとは思えていなかった。だが、この墓を見ると、やっと士郎が故人である事に納得が出来た。






 数珠に手を通して、瞑想する。

 
 思うのは、過去か、それとも未来か。


 隣に静かに佇むなのはの口から小さく漏れる、言葉。それは先程美沙斗が教えた士郎の過去だった。

 楽しそうに、お父さんはこんな事をしたんだねと話しているなのはを見ていると、己が高町家にいる理由が、そこにあるように思える。


 墓石の向こうになのはに笑われて憮然としている士郎が見え、美沙斗の方へ向いたかと思うと怒気を発している姿が幻視出来た。

 生前の士郎そのものの姿が、ありありと目の前の浮かんだ。



 どれ程、墓石を真摯に向き合っただろうか。日はそろそろ暮れかけていて、風も冷たくなっている。

「そろそろ戻ろうか、なのはちゃん」
「はい、帰りましょう」

 往路と同じ様に美沙斗の手を握る。知らない人が見れば親子と見まがう程にぎゅっと強く手はつながれていた。


 一陣の風が吹く。

(娘の事、頼むな。無口な妹だけどよろしくな、なのは)

 風と共に、遠くから声が聞こえた気がした。二人とも全く同じ言葉が聞こえた。空耳とは思えないほどに鮮明な声が。


 その優しい声になのはも美沙斗も笑いが込み上げてきたのか、破顔した。

「「当然」」

 士郎の言葉に、悠然と二人はそう、返した。

 叔母と姪として、士郎の秘密を共有しあう二人の女として。仲が良いのは当然だと二人は笑った。

















「お帰り、なのは、美沙斗さん」
「ただいま、お兄ちゃん!」

 玄関まで迎えに来た高町家長男に抱き着くなのはの姿にわずかな寂寥感を感じた。つい先ほどまで離さないようにと握っていた掌にはまだ温もりが残っているのに。
 実の兄には勝てないな。と思ってしまう。


「お邪魔、するよ、恭也」
「違います、美沙斗さん。ただいまと、言ってください」
「美沙斗さん、お帰りなさいっ!」

 恭也に同調するようになのはもお帰りと言って、返答を促す。高町家を家と思うのにはいろいろと抵抗がある。
決して、ここにただいまと言えるほど、御神美沙斗は上等な人間であるとは本人は思っていない。自らを卑下してこの場にふさわしくないと思う心を持って。

 それでも、今、お帰りと返答するのを待ち望んでキラキラと目を輝かせているなのはの満面の笑みを裏切る事は出来ない。

 だから、随分と久しぶりに、この言葉が口からこぼれた。

「ただいま。これから、よろしく頼むよ」




後書き


 はい、オチはありますが物語の山場もない作品を書いてしまってすみません。ぶっちゃけ、なのはと美沙斗さんが仲良くなる事がだけが重要な話なので。
 相互リンクを祝しまして意味のあるSSを書こうと思った次第で。許してください。

 ただ、まぁ、この作品内でもあるように、万感の思いを込めて、よろしくお願いします。
 私も相方もまだまだ未熟で、多大なご迷惑をおかけするかもしれませんので、ぜひとも。


 この物語のように、多くの人が初対面であっても、些細な切欠で仲良くなれるようになることを願います。



なのはと美沙斗。互いに共通点があるようでない二人だな。
美姫 「確かにね。なのはは高町家における平和の象徴というか、桃子と並んでね」
対し、美沙斗は裏って感じだもんな。剣士という共通項目はなのはにはないし。
美姫 「互いの沈黙が緊張感を現しているのがよく伝わってきました」
うんうん。しかし、やっぱり切欠は士郎か。
美姫 「これによって二人の距離が縮まったわね」
本当に上手いな〜と思いました。
美姫 「投稿ありがとうございます」
ではでは。



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