これは幸せな物語。
これは幸せだった頃の物語。
これは幸せを壊されてしまった物語。
彼等が堕ちた理由。彼等が壊れてしまった理由。彼等が狂ってしまった理由。
共感は出来ないだろう。同情しか出来ないだろう。憐れみしか持てぬだろう。
されど同情など不要。憐れみも不要。
何故? 決まっている。それは彼らが望まない。彼らはそんな感情をもたれる事を望んでなどいない。
彼等はすでに堕ちて、壊れ、狂ってしまったのだから。
だが、それでも綴ろう。彼等の悲劇(喜劇)を。
外伝 『壊された幸せ』
「お兄ちゃん、待ってよーーー!」
少年の後ろから小さな少女の声が聞こえる。
少年はそれに気付いていても少しも速度を緩めない。
「ほら、リン!! 速く追いつかないと置いていくぞ!」
後ろを振り向き、少年の妹である少女に声をかける。
少年は少女が付いてくる事を知っているから無茶をする。
少しでも少女にいい景色を見せたいが為に、少女が少しで健やかに育つ為に
気付かれない気遣いを少年は少女に向ける。
だが、少女もそれに気付いている。
気付かない振りをして今という時を、兄といられる時を幸せに過ごしている。
何時までも続けばいい。そう願っていたのに…………
リンが兄に追いかけようとしたときに不意に日が翳った。
空は好天。雲ひとつなかったというのに。
空を見上げる。
そこには馬に跨り重武装をした兵士の姿が……、
「リン!」
「えっ?」
少年が必死になって駆け寄る。とてつもなく嫌な予感がしたからだ。
「へぇ、随分と面白いな」
厭らしい笑みを浮かべた兵士が物色するようにリンを眺める。
そして、視界の端に捕らえる少年を眼に入れて楽しそうに哂う。
「必死になって付いて来いよ? ぼろぼろになったら領主様に言い訳がたたねぇからな。
…………まぁ、それはそれで楽しみ甲斐があるんだがなぁ」
兵士はリンを掬い上げて抱え込み、走り出す。
それを少年は追いかける。必死になって追いかける。
いたずらをしても、いじわるをしてもリンは少年にとって大切な妹だから……、
「へへっ、ますます面白そうだなぁ!!」
不意に後ろから声がかけられ、頭に衝撃が走る。
視界がぐらつき、支えられて揺られながら移動していく事だけしか少年には分からなかった。
少年が眼が覚めてまず見えたのは豪華な洋服を着た豚のように越えた醜い中年。
その傍らにはぐったりとしたリンの姿が……、
「お目覚めかな?」
「リンに何をした!!」
「何、ちょっと遊んであげただけだよ」
その中年の脂ぎった笑顔。憎たらしく厭らしい笑顔。
何をしたかはわからないがそれでも少年の妹が酷い事をされたのは分かる。
「ふざけるな!!」
少年は駆け寄って殴りかかろうとするがそれよりも速く兵士が少年を取り押さえる。
兵士に押さえつけられながらも少年は中年を睨む。
その瞳は殺すという意志と憎悪、憤怒に塗れていた。
そんな殺意と憎悪、憤怒の視線を受ける事をむしろ心地よいといったように中年は嗤う。
堕ちてしまった権力者特有の濁った嗤いを。
「ぐふふっ、いい憎悪だ。もっと磨くがいい」
少年を見下し、いやらしく嗤い心底楽しそうにしながら中年は去っていった。
それより与えられた日々は口にするのもはばかられる。
少年と少女に与えられたのは苦痛の日々。
朝起きれば人扱いされずに酷使、人と思えぬような食事、与えられる痛みに耐える。
そんな毎日…………
こんな人としての扱いを受けていない世界で少年と少女が生きる意志を失わなかったのは単に、二人が閨を共にしていたから。
人としての扱いを受けていない中で唯、それだけが二人にとっての安らぎだった。
布団に入っても今日のことを話すことはない。ただ、辛さを思い出すだけだ。
だから、少年と少女は体を寄せ合った。手を握り締め、お互いの温もりを感じられるように優しく抱き合って。
地獄と些細な幸せが交じり合った日常も唐突に終わりを告げる。
良くも悪くも終わりを告げてしまう。
「どういうつもりだ?」
手に掛かる重さに抗いながら必死になって言葉を紡ぐ。
その手にあるのは一本の剣。
今まで武器の類などこの屋敷で一度として握らされた事はなかった。
だというのに唐突に渡された剣。
そんな不信感を顕にする少年に中年は日頃浮かべるものとまったく同じ嗤いを浮かべた。
「お前に希望をやろう。今から出てくる相手に勝てばここから解き放ってやる」
その言葉は確かに救いだった。
こんな地獄から抜け出せる。こんな人として扱いを受けずに玩具として生き続けさせられるこの日常から。
それはとても甘美な誘惑だった。
元の日常に戻れる事は…………
決意を固め、掌にある剣を握り締める。
その剣が未来を切り開く、平穏で幸せな日常を切り開けると想い。
だが、その未来切り開く剣は絶望しか呼び起こさなかった。
連れて行かされた場所で待ち構えていたのは――――リンだった。
その手に少年と同じように剣を握り、少年を見つけて呆然と立っていた。
少年は理解する。
これから幕開けるのは一幕劇。兄妹の血で血を洗う悲劇にして喜劇。
そして少年と少女は悟る。もう…………平穏な日常になど帰れない。
突きつけられた絶望。最後の最後で二人の心は折れてしまった。
二人で戻れる。二人で平穏な日常に戻れる。それだけを願って、それだけに縋って生きてきたのに……
それが崩される。
今更己一人だけ助かろうとも思えない。これまで苦楽を共にしてきた愛すべき存在を放置して抜け出せるはずなどない。
お互いの瞳には絶望しかなかった。
そして心は通じる。終わるのなら共に終わろうと…………
それは最後に残った幸せなのかもしれない。
せめて共に死ぬことで…………死後も共に、死後でこそ平穏に二人過ごせるようになる為の…………
だからこそ、少年は気付かなかった。少女の瞳に灯っていた決意の炎を。
二人同時に剣を構える。
二人同時に足を進める。
その光景を中年の領主はさも楽しそうに見ていた。
この光景の何処が楽しいのだろう? この光景の何処が面白いのだろう?
だが、往々にして悲劇とは他者にとっては喜劇。それも最上級の物だ。
自らが痛まないと知れば人間はこれほどに残酷になれる。
「兄さん」
「リン」
二人同時に相手の名前を呟く。それは死後も共にあれることを願っての呟きか……
そして…………二人は同時に剣を後ろに引き――――――剣を振り下ろした。
少年に痛みは何時までたってもやってこなかった。
死を覚悟して痛みも感じられずに死んだのだろうか? だとしたらすでに死後の世界なのだろうか?
それが少年の思考を埋め尽くす。
少年は隣にリンがいることを確かめる為に眼を開けた。
眼を開けた先には血に染まり倒れ付しているリンの姿。
「…………ごめ……んね…………お兄ちゃん……。……お兄ちゃ……んにどう…………しても死…………んで欲しく…………なかったから…………」
リンの口から血と共に出される言葉。
申し訳なさそうに、それでもその願いを叶えようとしている。たった一つの愚かで醜い、美しい願いを…………
これから死に行くというのにリンの表情は微笑んでいる。
ただ、その表情からは苦しさが見えた。
世界には地獄しかない。けれど、それでもリンは少年に生きて欲しかった。
まだ見えぬ幸せがこの外にはあると想って…………
それを大好きな兄が見つけられると幼くも真剣に願って…………
「だめだ…………リンと一緒じゃないと意味がない。リンと一緒に…………」
「あはは……無理だよ…………」
これだけ血を流せば助からない。
そして、治癒魔法でも使えば別だろうが――――ここにそんな親切な人物はいない。
「生まれ…………変われたら…………普通の……毎……日を…………お兄……ちゃん……と…………」
そのままリンは息を引き取った。
そこから先の事を少年は覚えていない。
確かな事は、屋敷から開放された事と、その背中にあるリンの姿。
少年はリンを背負い続けて歩き続けた。どこに向かうでもなく、あてもない状態でただ歩き続けた。
あれから幾日過ぎたのかは分からない。
ただ、リンの体がすでに変調をきたすほどに日にちが過ぎた事だけは確かだ。
眼窩はくぼみ、リンの体にハエが集って来る。
そのハエを手で追い払いながらリンを懸命に運ぶ。
だが、少年もとうとう力尽きる。幾日も飲まず食わずで歩き続けた結果、彼はふらりと力なく倒れる。
少年も死を覚悟した。
陽光が少年の体力を遠慮なく削っていた。
だが、不意に少年の体に影が差す。
「哀れだね……私の子孫は未だにこんな扱いを受けている。千年たっても人間は変わらない…………」
出逢ったのは褐色の眼帯をした女性。己の先祖だと後に知ることになる。
そして少年に復讐の刃と知識とこの世界が辿った愚かな歴史を知る。
復讐の為に剣を取り、魔法を覚える。
女性にその為の全てを教えてもらうために少年が己に課した過程は過酷だった。
少年が自らをそれを望み、女性は少年にその為の方法を用意した。
毎日が地獄。あの頃と同じといっても差し支えないほどの地獄。
されど、その地獄を獄炎よりも熱く、怒りと憎悪が混じった感情が彼を支えた。
全てはあの領主を殺すため、
幸せを奪った領主を殺すため。少年とリンにした事以上の苦しみを領主に与える為に、
たったそれだけの為に少年は耐え続けた。磨き続けた。
青年が少年になった時に、青年は己の目的を果す為に動いた。
悲願だった、領主を切り裂き、抉り、穿ち、全ての苦行でもって領主を殺す。
どんな殺し方をしようか?
全ての爪をはぎ、指一本ずつからゆっくりと四肢を切り刻もうか?
それとも炎の魔法でゆっくりと周りの酸素を削って、息苦しさと肌が焼かれる痛みを与えて殺そうか?
あぁ、それよりも領主の目の前で家族を一人ひとり殺していこうか?
様々な復讐の案を巡らし、青年は愉悦に浸っていた。
あの時、与えられた苦しみを返せる事を、あの時妹の未来を奪った愚物に鉄槌を下せる事を。
だが、それは叶わない。
偵察の為にあの時の領主の館に侵入して中を探っていると見えてしまった。
自室と思える豪華な部屋の中で大勢の家族、家臣に囲まれて眠っている姿に……
皆、一様に涙を流していた。皆悲しみにくれていた。
中には領主の寝ている体に抱きついて泣きはらしている者もいた。
偵察している事を知って芝居でも打っていると頭の中で考える。
だが、体がその考えを否定する。
今まで復讐のためだけに磨いてきた五感は、経験は、それを否定する。
今まで復讐のためだけに幾百もの命を奪ってきた青年の経験が否定する。
あれはすでに死んでいる。もはや息もしていない。命の輝きたる鼓動もシテイナイ。
嘘だと思った。嘘だと思いたかった。嘘だと誰かに言って欲しかった。
だが、それは叶えられない。
誰よりもそんな事を青年が理解している。
唐突に訪れた復讐の終わり。
復讐することも叶わず、苦しみを与える事も叶わず、相手の憎悪に愉悦する事すら出来ず……、
何よりも未来を奪われた妹の無念を晴らす事さえ叶わなかった。
「私の妹はあんなに苦しんだのに? 私の妹は未来をお前に奪われたのに……何故、お前が幸せそうに死んでいる!?」
唐突に暗転する世界。
視界が黒く染まり、思考も黒く染まり、心すらも黒く染まった。
そして――――――気付けば血の海の中に佇んでいた。
体中にべったりとついている血。
拭う事さえ出来ない血の後。
妹を殺したときと同じような血の後が己に降りかかっていた。
吐き気と、空虚になってしまった心しか青年にはなかった。
復讐に費やした日々は意味がなくなり、復讐の為に焦がした憎悪は意味がなくなり、あの日慟哭した心は行き場を失った。
彼はこの世界を呪い、人間という存在を呪い、全てを呪った。
この優しくない人の世界を呪った。暖かなまま死んでいく全ての人間を憎んだ。
平和そうに笑っている全てを妬んだ。妹があのまま死んでしまった事を嘆いた。
その思いは届いた。その想いは届いた。その呪いは届いた。
そして彼は辿り着いた。
この世界の無情さに嘆き、この世界に住む人の弱さを嘆く、彼とは似て非なる想いを持った彼女に……
後書き
今回はダウニーの過去。
ダウニーの過去を書く人は極端に少ないと思います。だってコイツ、狂信者ですから。
原作で描かれているのに少し肉付けした程度です。最後はちょっとばかり原作で語られていなかったので足しましたが。
ダウニーはここで決定的に壊れてしまった。壊れるほかなかった。
ダウニーは大河がなりえるかもしれない姿。そして蛍火もなりえるかもしれない姿。
ダウニーはあまり出てくる場面は少ないですが、それでも思い入れがあるキャラなので出させてもらいました。
そして、同時に投稿した話とリンクしている為に。
ここから、あの裏話は始まりましたから。
観護(痛いわね)
だな。復讐に走る理由が妹のためだっていうのが泣ける。
観護(泣けるけど、あんたが言うとあんまり感情が動いていないように聞こえるけど?)
うん、あんまり動いてないね〜。私は元々人を殺すことも復讐も受け入れてるし。
観護(人としておかしくない? 普通は忌避感とか持ったりするわよ?)
持ってる人間がこんなのかけるかよ。少なくともそれを持ってる人は蛍火なんていう馬鹿げた人間を描くのは難しいんじゃないか?
観護(なんか、最後の方にちょっとばかり違和感が……)
触れるな。触れたらダメだ。
観護(ガン否定!? 触れさせなさいよ!!)
嫌だねっ! あそこはまだ触れていい部分じゃない!
観護(まさか、この話の根幹?! 外伝じゃなくて本編にだしなさいよ!)
その内出すかな〜。
観護(さっさと読者の皆さんに教えなさいっ!!!)
ぬわっ!? 久しぶりの折檻!? だが、甘い!! 逃げるが勝ちーーーーーっ!!
観護(逃げやがった。……はぁ、では本編の方でお会いいたしましょう)
ダウニーの過去。
美姫 「外伝という形で」
うーん、ここがある意味ダウニーの始まりの地点とも言えるんだな。
美姫 「確かに大河がなり得るかもしれないのよね」
だな。今回は外伝という事で。
美姫 「本編の方も待ってますね〜」