登場する団体、人名は全て本編とは無関係です。

宗教に関しては中庸ですし、サイト管理者様のご好意で掲載

させて頂いているものであり、作者様の意識とは無関係です。

作者個人の意見であり、第三者の意見ではありません。

読者の歴史観に整合しないと判断された場合は然るべく。

整合すると判断を下された方は継続されますように。

                             作者敬白




不可視結界  外伝

中臣鎌子

第一章 追憶




田園風景が広がる。此処、鞍林寺東塔の望楼に立つ男、周りには高位の僧侶がひとり、

之も高位の尼僧がひとり、そしてうら若き女性がひとり付き従う。

男の口が開いた。

「鎌子いや、菩提。そなたの影は中々よく働いておるようじゃ、3人の娘たちも天智の后と

 なり、それぞれが子を生し、血の中に入り込んでいる」

 3人の后とは、遠智娘(蘇我倉山田石川麻呂の娘)、姪娘(蘇我倉山田石川麻呂の娘)

 常陸娘(蘇我赤兄の娘)を指す。遠智娘との間に大田皇女、鵜野讃良皇女(持統天皇)、

 建皇子。姪娘との間には御名部皇女、阿閉皇女(元明天皇) 。常陸娘との間に山辺皇女。

「御意、まさに仰せのとおり我等が血は絶えることは御座いません。 大海にも我等が血は

 すでに入り込んで居ります。大友は血筋が違いますれば何時かは・・・・」

「うむ、大海を仕立てる事で難なく・・・」

「我一族の娘と称した姫様たちが后となり、、大海にも同様の仕儀に至って居ります。

 未来永劫、蘇我の血筋が絶える事無く子々孫々支配者として君臨する事になります。

 祝着至極に御座います。鎌子も入鹿様の姫、安見児を賜りました。何にもまして祝着

 至極に存じます」

万葉集に鎌足が采女(天皇に伺候する豪族の娘)安見児(ヤスミコ)を得たことを喜ぶ

歌がある。

 『われはもや安見児得たり皆人の得難にすとふ安見児得たり』

「安見児も嬉しかろう、天智を嫌っておったからのう。惚れた男のものに成れた喜び様は

 我が見ても至福じゃ、のう朧、そうであろう。鎌子の影にも礼を言わねば成るまい」

「兄上、朧も至福の心地が致して居ります。安見児も鎌子殿が后となり之も又

 未来永劫生き続けるのですから。鎌子殿、真に有り難く思っております」

この時代でも、同母の者同士は禁忌の仲とされていた。朧の感謝の言葉はこの事に触

れて言われたものであろうと鎌子は感じた。入鹿も朧同様なのであろう、思わず至福と

いう言葉が口から漏れた事で鎌子はそう感じた。蘇我本流の血が一段濃くなった。

「はは、鎌子とて至福の心地が致しております」

安見児は鎌子のそばで顔を赤らめていた。

表現は違えど、入鹿、朧、この二人の万感の思いを込めていわれた礼の言葉に鎌子は

それ以上言葉が出ず、ただ無言で安見児ともどもひれ伏した。




革命前夜 蘇我蝦夷(豊浦大臣)

「父上、どうやら中大兄が動き出した様です。鎌子がその様に報告してまいりました。

 すでに準備は万全なれど、どこまで腐っているか正直のところ分かりません」

「鎌子や石川麻呂以外すべて腐っていると思えばよい。中大兄が炙りだしてくれよう。

 林太郎、これで蘇我は消える、だが我が血は消えぬ。御食子も承知して居よう」

中臣御食子(みけこ)〜中臣一族 隠された蘇我一族〜

蘇我稲目、馬子親子は、自分達とは関係の無い氏族を創設しようとしていた。

自分たちの勢力に反対するものが必ず現れる、その時、蘇我と無関係の所に居て、

情報を収集する者が必要になる。ほんの少しの噂でも、常日ごろから集めて置けば

大凡の姿は見えてくる、それが何時なのか稲目にも馬子にも分からない。

『しかし、必ず其のときは来る。』

信念の様なものが稲目、馬子の胸の内に在った。

馬子は稲目の代理で東国にある領地の視察に赴いていた。閃くものがあり、随行し

ていた弟の境部摩理勢(渾名を松ヶ枝)を死亡した事にして遠国の地で中臣一族

を創りあげた。


「鎌子、蝦夷様はこの事、如何考えて居られる。わしが初めて昇殿したおりに話をした

 のが最初であれ以来久しく話してはおらん。蝦夷様はわしより2年前に昇殿を許され

 て居られた、もっともわしの場合は、神事を司る家柄だから昇殿出来たのじゃが。

 中臣一族の統領が当代を継承する時に先代から口伝で伝承された一族の秘密、

 今こうして統領の座を退き、お前が当代として立っている。我が一族は蘇我なれど

 常に蘇我にはあらずの様を呈して今日まできた。 それが、中大兄皇子に接近せよと

 いわれて久しく時が流れ、わしはお前に統領の座を渡した」

「覚えております、父上。林太郎様の命で、隋・唐に留学していた南淵請安が塾を開くと、

 儒教を学び、そこでともに学びました。それ以前から林太郎様のことは知っていました。

 巷では悪し様に言われておられたが、私は然様には思いませんでした。なんとなく

 坂東に下られた叔父上によく似た風貌の持ち主で、声も性格もよく似た人だと思って

 居ましたが」

 鎌子は懐かしむように遠い目をする。



出会い

南淵請安の塾からの帰り道。

「そちが鎌子か」

都大路の真っ只中、自分の名を呼ばれた。そこには警護の武士に囲まれた入鹿がいた。

「いかにも中臣鎌子です。人に名を問うときは、自分から名乗るが常道、違いますか」

鎌子の応えに警護の武士は色めき立つ。そんな状態を目の当たりにした人たちは関わり

を避けるため、足早にその場から立ち去っていった。

「かまわぬ、捨て置け。悪かったな、我は蘇我入鹿、歩きながら話そう」

警護の武士たちに命じて、介護の輪を広げ会話が漏れないようにした。

そのことに気づいた鎌子は

「その入鹿様が如何様な仕儀で我が名を問われたかお聞かせねがいましょうか」

細く押し殺した声で尋ねた。入鹿がも同じように鎌子に尋ねた。

「御食子叔父御より何も聞いてはおらんのか」

一瞬、鎌子は入鹿いった言葉が理解できなかった。息ができない。これほど驚いた事は

今まで一度として無かった。警護を遠ざけた意味がわかる。

「いま・・・・今なんと言われました」

鎌子も声を殺して言った。

「御食子叔父御より何も聞いてはおらんのかと申したのだが、ほかに言ったかな」

入鹿の顔に、面白さ半分、失敗半分が綯交ぜになたよな表情を浮かべている。

「それはどういった事でしょう」

「お主の先祖は、稲目様の四男境部摩理勢(渾名を松ヶ枝)様だ、知らなければ今宵

 御食子叔父御を伴って我が館に来い」

というと急に

「我に恥をかかすとは如何なる所存か、返答しだいによってはそれ相応に相手いたそう」

声を強張らせ、吐き出す様に言う入鹿。

「知らぬ事とは申せ、ご無礼を致しました。非礼の段重々お詫びいたします」

鎌子は入鹿にあわせ、方ひざを着き謝意を表した。

入鹿はその態度に納得したかのように、

「さすが鎌子じゃ、今は何も聞くな、今宵叔父御と参られよ」

囁くように言った。それから

「非礼を認め、詫びるものに追い討ちはせぬ、今後は気をつけよ」

そい言うと何事も無かったかのように緩やかに立ち去っていった。

鎌子は膝についた土汚れを払おうと懐紙を出そうとしたとき、遠巻きに鎌子を見いていた

人々の中から、少女が現れ、鎌子に布切れを手渡した。懐紙は貴重品だ。少女の好意に

甘えることにした。衣服の乱れを直し顔を上げたとき少女の姿はなかった。



出会い2

「父上、思わぬ御仁と出会いました」

事情は家来からもたらされていた。鎌子と入鹿が衝突しかけた事は鎌子が帰宅するまで

に伝わっていた。御食子は入鹿が接触してきた目的を肌で感じた。統領の交代の時期

が来たのだ。入鹿はそう言っているのだ。入鹿は噂以上に切れ者だ。そして冷徹な人物

だ。宮中の揉め事を収めてその手腕を発揮した。そして、その年に似合わぬ辣腕家でも

あった。当然周囲は気圧され逆らう者はいない。

蘇我の力を背景に、すでに蘇我一族の次期統領として押しも押されもせぬ存在であった。

「聞いておる。何かいわれたか」

入鹿が鎌子に近づいた事実が、御食子に統領を譲る時期を教えていた。

「叔父御に聞いて居るかと聞かれました。それだけです。それと今宵館に参れとの事

 です、父上ともども」

「そうか、時期が至ったのか」

御食子は鎌子に中臣の歴史を明かした、統領交代の儀式は当事者しか参加できない。

そう言うと御食子は、家来を集合させた。

「皆よく聞け、之より統領の座を鎌子に託す、これまで以上、鎌子に忠節を尽くせ」

突然のことに声を発するものはいなかった。何の前触れも無く、統領が交代することは

中臣の歴史の中で一度としてなかった、晴天の霹靂だ。この異常とも言える交代劇を

執り行うのは、入鹿と鎌子の一件があり、鎌子の保身の為と言う一言で皆が納得した。

朝廷の神事を司る一族の統領であればうかつに手は出しにくい。そういった認識が広

がり、異常が異常で無くなった。それほど恐れられている存在なのだ。

宮中へ参内して統領の交代を奏上した。

「これより入鹿の屋敷に参る。行くのはわしと鎌子の二人だけとする。皆は館に戻り平素

のように振舞え、何事も起こらぬとは思うが」

そういい残して御食子と鎌子、それに荷物もちの従者二人を連れて入鹿の館へと歩を

早めた。門から見える館の内は物々しい武士でひしめいていた。

「父上、これは」

あまりの物々しさに気おされている鎌子。

「中臣御食子が嫡男鎌子がこのたび氏族の統領に成りました。そのご挨拶の為お館に

 参上いたしました。御館様の御意を得たくお取次ぎを願います」

大声で来訪の目的をを告げる御食子。その声に応えるように壮年の鎧武者が現れた。

お互い何度か顔を見掛けたたことがある。

「お二人だけで参られたのか」

「いかにも、二人だけで参りました、蝦夷様にお取次ぎ願います」

「承知、暫時此処でお待ちを」

そう言うと鎧の音を響かせて奥に消えていった。しばらくして

「我が主がお会いいたすとのことなれば、こうおいでください」

先にたって案内する。廊下を何度か曲がり入鹿の居室に通された。

「こちらです。中臣御食子殿、鎌子殿お連れ致しました」

「お通しせよ」

中から応えがあり、案内の武士が襖を開けて

「どうぞ、主がそう申して居ります」

「お手数をおかけしました」

案内の武士に礼の言葉を掛ける

中に入ると襖が閉められた。

武者隠しから気配がしない。通常であれば屈強の家来が詰めている。

「御食子殿久しぶりじゃ。一瞥以来じゃな。お互い年をとったものじゃ」

「御意、蝦夷様には初めて昇殿いたした折に一度だけお言葉を賜りました。

 それと今回のこと鎌子にも言い含めております」

「然様か、ならば重ねて言うまい」

「蝦夷様、お尋ねいたしても宜しいでしょうか」

「かまわぬぞ、何なりと聞くがよい」

「初めてお会いしたとき、某は統領を受け継いで居りましたから蝦夷様の事は承知

 致しておりました、権勢並びなき蘇我の統領が年端も行かぬ中大兄皇子に近づけ

 といわれ、信頼を勝ち取るまでになりましたが、その意味が今確かに分かり申した」

「御食子殿、あの折、中大兄皇子には何やら不吉なものを感じたので御食子殿には

 申し訳ないがお願いした次第じゃ」

「何を言われます、中臣の務めなればお気遣いは無用に願います。

 ところで鞍作さま、鎌子には如何なるお勤めをお考えか、お聞かせ願えましょうか」

「御食子叔父御、鎌子には叔父御がなされた偉業を完成させてもらいます」

「完成と言われると如何様なる事でございましょう。鎌子に出来ますでしょうか」

「叔父御、鎌子は心利きたるもの、さすが中臣の統領の器です。都大路での遣り取

 りですぐに分かりました、ご心配にはおよびません」

「それと今宵の荒武者たちは如何なされました、物々しい感じましたが」

「あれは、蘇我と中臣が犬猿の仲に成るための芝居、叔父御が気に掛けるほどの事で

 はありません」

御食子、鎌子親子が蝦夷の館を辞して帰館したのは戌(午後9時から11時)であった。

帰路、入鹿の手勢が警護に付いたため、盗賊や物取りに出会う事無く無事に帰還した。

「ご無事で何よりで御座いまし。して首尾は」

出迎えに出てきたのは一の手を預かる頭取の中臣傳氏であった。鎧武者に囲まれての

帰館であったがため、主人親子を人質にとり、夜討ちと勘違いして切り込みかけたのを

押し止めたのだ。中臣の家臣団は三つに分かれており、一のて、二の手、三の手から

成っており、師団長の様な存在であった。鎧具足に身を固め、眦も切れていた。

「上々であった、心配を掛けてすまなかったな傳氏。皆も安心してくれ」




南淵請安の塾、

翌日、鎌子は南淵請安の塾へ出向いた。儒経の教えを広める為に開いた塾に入れる

のは豪族の子弟たちであった。席に着くなり

「鎌子の殿、昨日の事聞きお及んで居りますぞ、ご無事でなにより」

隣の席にいる烏丸連の長男惟友が話しかけてきた。噂は都中に広まっているらしい。

人物としては好漢だが講義の内容に着いていくのが精一杯の様で、よく公案で切羽され

ている。

「お気遣いなく、彼の御仁も蛇蝎ではないのでとって食われることはありません」

「蛇蝎ではないか、これは面白い表現ですね」

話に割り込んできた者がいた。大伴奥江、南淵請安の弟子である。

「しかし、鎌子の殿も大胆なことをしたものだ、いやはや問い詰めるとはのう。御食子様も

 さぞかし大変でしょうなあ」

なにか話がおかしい、

「私が問い詰めるとはどのようなことでしょう」

聞き終えると、とんでもない方向に話が飛んでいた。

「つまり、私が戦を仕掛けたということですか」

どうやら蘇我一族と中臣一族が戦争をするところまで行ったと言う事らしい、双方の

親がそれを止めたと言う事だ。戦端が開かれんとしたとき御食子の機転で丸く収まった

が、中臣一族が蘇我の力に屈した事でもある。

この話を聞きながら鎌子は思った。

『林太郎様の言われた犬猿の仲に成るための芝居。蘇我と中臣が相容れぬ仲である事

 を人心に決定づけた行為だったのか』

噂は噂を呼び、入鹿が思った以上の効果をあらわした。特に反蘇我の者たちには快挙と

して受け入れられた。しかし、鎌子は肯定も否定もせず今までと同じ行動をとっていた。

中立の立場を保ち続けた。御食子にしてもそれは同様であった。いつしか中臣は祭事を

行う一族であり、天皇家にのみ忠誠を尽くす一族だと認知され政争の圏外に身を置く様に

なって行った。これこそ入鹿が望んだ、いや、稲目や馬子の望んだことなのだ、入鹿がそ

れを完成ささせたのだ。



舒明天皇37年

「父上、鎌子は巧くやってくれました、これで蘇我に打ち込まれた楔を抜くことが出来ます」

「林太郎、よく聞け、楔はすでに根を張り、抜くには遅きに失した。もはや手遅れと見た。

 此処まで網が広げられ、身内にまで及んでいる。今は血を絶やさぬようにするのが先決

 じゃ。直系の血を絶やしてはならんのじゃ。支配者としての血を残すにはは何代にも渡る

 時間が要る事ぐらいお前も承知しているだろう。そこで・・・・」

蝦夷は稲目や馬子に劣らぬ遠謀を語った。語り終えると、

「林太郎、父が言った事考えてくれ、この期に於いてこれが最良の方策だと思う」

「しかし父上・・・・。

父蝦夷の語った遠大なる謀は入鹿の脳裏に鮮明なショックを与えた。

父と同じ思いを抱いてはいたが、自分が中心になろうとは。

「朧は承知している。嫁に行くことを拒んでいたのはお前に対する想い故のことじゃと

 あれの母から聞いた。禁忌故に諦める事が出来んのじゃそうな」

父蝦夷の言葉が入鹿を一歩踏み出させた。

「わかりました」

項垂れた入鹿の口から承諾の言葉が紡がれた。

入鹿も未だ一人身であり、彼もまた妹への禁忌の思いに縛られていたのだ。

支配者の血に潜ませ、薄から濃へと変じ、裏からこの国を支配して行く事になろう。

舒明天皇37年 蘇我入鹿 21歳 

          中臣鎌子 17歳

          蘇我 朧  19歳

乙巳の変まで残すところ16年。



中大兄皇子

中大兄皇子は、626年舒明天皇33年、舒明天皇の長男として生まれる。

幼少より利発で慎重な性格であった。10歳のとき臣下の放った矢が危うく中大兄皇子

の胸を貫くかと思われたとき、咄嗟に近くにあった床机で防いだ。沈着冷静な態度で

見事に矢を防いだ。この偶然の事故で舒明天皇はその臣下の首を刎ね様としたが、

「天皇様、仮にその者が私を狙撃したとしたら、この様な衆人環視の下では行わない

 でしょう。これは確かに事故です。罪を問うならこの者の弓と矢に罰を与えるべきで

 この者に罪はありません、寛大な処遇を与えてやってください」

これには舒明天皇も言葉がなく、

「皇子の言うとおりこの者の罪は問うまい。憎きは弓と矢」

そう言うと臣下に命じ弓と矢を切刻んだ。罪一等を減じられたのは物部吾潟麻呂。

中大兄皇子の対応に感激し、その場で終生の忠節を誓った。その場にいた者全員が

傾倒していった。蝦夷もその場にいたひとりであるが、

『このまま成長すれば脅威となるは必定、必ずや蘇我に仇なす存在となろう』

脅威を感じながら蝦夷は眺めていた。

居室へ戻った中大兄皇子に南淵請安は言った。

「皇子、今日の態度はすばらしいの一言です。さすが御教えしてきた甲斐があります。

 南淵請安 真に鼻が高う御座います」

「あれは事故ですから、罪を問うことは出来ません。当然のことをしたまでです」

いつの頃からか中大兄皇子は人心の掌握の仕方を身に付けていた。

為し難しを為し、許し難しを許す、常に道理を行えば人は誰しもが心服する事を。

中大兄皇子は鎌子を見る周囲の人々の目が敬愛に満ちていることを知っていた。

彼の者のようになりたい、人から敬われたい、この一心で中大兄皇子は鎌子の行いを

真似る事で自らも鎌子の様な男に成ろうとした。中大兄皇子は憧憬にも似た気持ちで

鎌子を見ていた。

数年が立ち成人した中大兄皇子が宮殿へ帰る道すがら何やら喧騒が耳に入った。

「お許しください。わざと水を掛けてのではないんです、お許しください」

女の声で許しを請う声が聞こえてきた。

「何事じゃっ見てまいれ」

警護の武士に声を掛ける。警護の武士は弾けた様に声の方へと走り去っていった。

その後をゆっくりと追い掛けるように歩んで行くとなにやら人だかりが出来ていた。

件の武士がその人垣の中から現れて、

「皇子、売り子の撒いた水が、通り掛かりの者の衣服を濡らし、この騒ぎに成って居ります。

 いかが取り計らいましょう」

「して相手の者はなんと申しておる」

「法外な金子を要求しております」

「そうか、わかった。では何とかしよう」

そう言うと中大兄皇子は人垣を分けて当事者たちのところまで近づいた。

壮年の男が売り子を咎めて荒だった声でわめいている。見るとそれほどぬれているとは

思えない。大方金をせびろうとしているのだろう。

「そのほうが言うほど濡れてはいまい、すぐにも乾く、大仰に騒ぐほどの事ではないと思う

 が如何かな。そのように騒ぐのは何か含むところでも在るのかと思える所業にみえる」

いきなりの事に男は一瞬黙した。しかし、相手が成人間もない年端も行かぬ少年とみて、

「何を言うておる、濡れているものは濡れている。先ほどからのものの言い様は許しがたい。

 わしが強請りたかりの輩とでも言うような言い草じゃ、捨て置くわけにはゆかん覚悟せい」

言うと同時に腰の佩刀の柄に手を掛けるが、それより早く警護の武士が刃を突きつける。

8人の武士に刃を突きつけられては勝ち目は無い。

「わしが勘違いをしておった、そなたの言うとおり衣服の濡れは大したことは無い、すぐに

 乾く程度じゃ、汚れも無い。わしの勘違いであった、刃を引いてくれ」

「勘違いならば仕方が無い。だが、この様な勘違いを二度と起こすことの無い様にして置く

 のも無駄ではないと思うが、どうだ」

「いや、肝に銘じて二度と勘違いはしない、だから刃は引いてくれ、頼む」

「そうか、それほど言うなら大丈夫であろう。引け」

中大兄皇子の一言で警護の武士たちは刃を納めた。

「これに懲りて、よく確かめてから事を起こせ、よいな。分かったならばもう行かれよ」

その声を聞くと男は脱兎のごとく走り去っていった。

「えらい難儀に会うたな、もう大丈夫だ」

そう言うと何事も無かったかのように歩き出した。

「お待ちください、助けて頂いたお礼も申しておりません」

その声に歩みを止め、

「礼など不要、当たり前の事をしただけだから」

「それでは私の気が」

「気にするほどの事じゃない、これから気をつければ良い事だから。皆行くぞ」

民衆の喝采が送られ、それを背に受けて中大兄皇子歩き去った。

「さすがは中大兄皇子様だ、大したもんだ」

「お前さん、あの人を知っているのかね」

「ああ、中大兄皇子様だ」

民衆の胸の中大兄皇子の名が刻み込まれた。かつて鎌子がそうであった様に。

鎌子が同様の仕儀を行った情景が中大兄皇子の胸に蘇る。

噂が噂を呼び、中大兄皇子の人望は弥が上にも上がった。たったこの程度のことが

人々の敬愛を生む。公平無私、これが中大兄皇子の姿として語られる、巷でも宮中でも。



南淵請安の塾

「今日の講義は難題ばかり。嫌になって来る。鎌子の殿はそうではないだろうが、わしには

 大変だ、公案が恐ろしゅうてならん」

「よく読まれて理解されておればそれ程難しくは無いと思います。吾潟麻呂の殿は読まれる

 だけで、理解しようとなさらぬから難しく思えるのではないでしょうか、お館内では読まれな

 いのでは無いですか」

「それは言うてはならぬこと。女子の声は私を極楽へと導いてくれるが、経典はいくら読んでも

 極楽へ導いてはくれん」

吾潟麻呂の言葉に爆笑の渦が出現する。

「吾潟麻呂の殿は極楽浄土へのお参りが過ぎるから、一時休まれては如何かな」

「いや、お参りは欠かした事が無い。止めると罰が当たる」

この言葉に又もや爆笑が沸いた。

「そういえば鎌子の殿は、極楽参りの噂も聞いたことが無いな」

「私は経典を読むのが好きでして、他には目が向きません」

「これだからな、鎌子の殿は」

一時談笑の花が咲いたが入鹿の話に移った。

「鎌子の殿は入鹿の殿とはその後如何かな」

「別に変わりはありません」

「屋江導師が来られた」

話は大伴奥江の登場で打ち切られた。



軽皇子

「鎌子の殿少しよろしいかな」

大伴奥江が声を掛けてきた

「よろしいですが、どのようなことでしょう」

「実はお引き合わせしたい人物がいましてな、軽皇子様はご存知かな」

「お名前は承知いたしておりますが、軽皇子様が何か」

「鎌子の殿に是非ともお会いしたいと申されておられましたな、いかがでしょう」

「お会いいたしますのは吝かではありませんが、急いてしなければならない用もあり

 ませんし、いつお会いすればよろしいのでしょう」

「実は、軽皇子様のお屋敷へこれから伺候いたしますのでご一緒願えれば有り難い

 のですがよろしいでしょうか」

鎌子には目の前の大伴奥江の意図が分からなかった。とにかく同行することにした。

道すがら奥江は入鹿との一件から蘇我氏の動向まで話してきた。

「鎌子の殿は言われてましたな、入鹿は蛇蝎ではないと。それは今も変わりませんか」

鎌子は、奥江の話に何気なく相槌を打っていたが、この言葉に危険を感じた。

だがそんな気配は微塵も出さず含みを持たせて答えた。

「そうですね、蛇蝎ではないが別に気に掛かる人でもありません」

中臣一族は天皇にのみ忠誠を尽くすとの認識が浸透していて、政治に関しては一切

関わりを持つことを避けてきた。しかし、蘇我と中臣の関係は犬猿の仲であることは周り

には知れ渡っている。鎌子は慎重に老子の言葉を用いて答えた。

「大道廃れて仁義あり、国家昏乱して忠臣あり、 多ければ則ち惑う、

 知る者は言わず、言う者は知らず、光ありて耀かさず。これはみな先人の残し

 偈です。導師には申し訳ないのですが、私はこれを手本にしています」

 大道(政情が)廃れて(乱れても)仁義あり(乱れを正すものが現れる)

 国家昏乱して(国家が混乱すると)忠臣あり(忠臣が現れる)

 多ければ(不用意に権力を得ようとすれば)則ち惑う(疑心暗鬼に陥る)
 
 知る者は言わず(真の忠臣はその本音を語らず、余計なことは言わない)、

 言う者は知らず(忠義を知らない者が自分の忠義を自慢したがる)、
 
 光ありて(忠義の心が厚くても)耀かさず(それを余人には見せない)」


大伴奥江は、鎌子が蘇我入鹿を非難していると受け止めた。

「いや、鎌子の殿には老子を手本とされていたとは知りませなんだ」

奥江は思った、

『普段の鎌子はこれほどの熱情を露にはしない。取り繕って入るが鎌子は味方だ。

 敵の敵は味方だ。やはり天皇にのみ忠節を尽くす一族の統領だ』

鎌子は奥江の意図を感じ取っていた、

『今は必要と感じこの言葉を使ったが此処までとは思わなかった。

 やはり奥江は蘇我の敵だ。塾を利用して蘇我に反対する者を育てている』

奥江は鎌子の策略に乗せられた、納得したという表情をしている。

言葉の調子から伺えるくらい奥江は変化している。

『小者だ、これほど変化しては直ぐに見破られる』

そんなことを考えながら鎌子は軽皇子の屋敷へ向かった。


不可視結界 外伝

中臣鎌子

第一章 追憶 終了



好き勝手に歴史を改竄しています。自分の中の日本史、飛鳥時代には魅力を感じます。

おおらかなセクシャルライフがイイデスネ。万葉集は素晴らしいです。

管理者さまには、感謝しております。非難集中して居ないでしょうか、心配です。

学者が取り上げない俗世的な世界を殊更斜めから眺めてひとり悦に入っています。

今後とも宜しくお願いします。

懐かしの野郎どもでした。



こうして読むと、日本の歴史も面白いな。
美姫 「授業だと、右から左なのにね」
うんうん。不思議だな。
美姫 「いや、単にアンタが馬鹿なだけなんじゃ」
うっ。そ、それは言わないで(泣)
美姫 「はいはい。投稿ありがとうございます」
一体、次はどうなるのかな?
美姫 「次回も楽しみにしてますね」
ではでは。



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