『とらいあんぐるハート〜無想剣客浪漫譚』
CV]V 粉雪が降り積もる丘
博物館に突入した五人は、その場で上階と地下に分かれた。
年下組である剣心、夕凪、美由希の三人は、駆け足で地下に降りて……そして絶句した。
階段には別段ドアなど設置していなかったため、降りた瞬間目の前に広がった景色が、自分自身の立ち位置が海鳴にいるという事実を気薄にさせた。それだけ衝撃の強い風景だったのだ。
「これはまた……」
「さすがにちょっとやり過ぎだよなぁ……」
思わず見上げる二人は、互いに同じ思いを抱きながら目の前に聳える氷壁に嘆息した。
確かに地下には研究用の流氷が保存してあるため、室温を溶けないように保っているのは仕方ないとしても、まさか氷で巨大な壁を作っているとは思っていなかった。
唖然としたまま壁に沿って歩いていくと、少し先に入り口らしき三つの入り口が口を開けていた。
「これはどれかに巴がいるぞって事かな?」
「だと思うけど、これに何の意味があるんだろ?」
これは明らかに三人に別々に入れと誘っているのだろう。ただ、それにしては三人という人数に合わせたような入り口が謎を呼んでいるのだが。
と、その時美由希がようやく口を開いた。
「あ……私こういうタイプの事件に携わった事ある」
「本当?」
「うん。リスティさんの話だと、こういう系統の人は侵入者全員に挑戦しているか、もしくは誰かターゲットがいて、その人を一人にしたいか」
これは犯罪心理学の一種である。
犯行時に周囲に人気がないのを確認すると同じく、ターゲットに対してどのような心情で動くか? という心理分析だ。
その中で奇策を有するタイプは知恵比べを求めるか、それとも目的があるかに分けられる。
「多分、なんだけど、迷路状になっているところから誰かを狙ってる。そこに巴ちゃんっていうファクターを交えると……」
「ターゲットは俺か」
剣心は大きく肩を揺らして嘆息した。
先程車の中で聞いた話から、何となく巴が行方不明になったのも同じ理由だと思っていたが、本当にそうなると溜息しかでなくなる。
「なら、剣心を一人にしなければ比較的安心なの?」
「関係ないと思うかな? 博物館の地下にこんな迷路作っちゃう相手だし、二人でも三人でもいざとなればバラバラにさせられちゃう気がする」
美由希の言葉に、確かに頷きながら夕凪は迷路を見つめた。
「それにどの通路の先に巴がいるかわからない、か」
「結局は三手に分かれて、巴を見つけ次第全速力で脱出って流れが一番安心かも」
どこに巴がいるかわからない以上、三手に分かれるのは仕方ない決断か。剣心と夕凪は同時にそう結論をつけると、三人はこれまた同時に頷いた。
「それじゃ」
剣心は気楽に手を上げた。
「う〜私、寒いの苦手なんだけどなぁ」
美由希がこれから進む氷の迷宮を見上げて、肩を抱きながら嘆息した。
「寒いのは着膨れでもしたらいいんだし、暑いよりいいんじゃない?」
北海道出身の夕凪が、手を守るために皮製のグローブを嵌めながら苦笑した。
その全てにお気楽な響きを含ませて、三人は一斉に迷宮へと突入した。
密度の濃い水分子は、透明ではなく内部に白く結晶化したものを含ませる。隣を進んでいるはずの仲間の姿も気配も感じられない。
剣心は、周囲の気配に慎重になりながら、氷の通路を右に曲がった。
「シャア!」
瞬間!
奇声が耳に届くより先に、剣心は床の上に転がっていた。続くように鋭いものと強固な何かがぶつかった音が耳朶を打った。
横目で確認する。
それまで彼の顔があった場所を通って、鉤爪が氷壁を抉っていた。
何が起きた? という疑問は湧かない。ここに足を踏みこんだ時点で、敵が何かを企んでいるのは想像できた。そのため、剣心は相手を確認せず回転する勢いのまま鉤爪の持ち主に向けて抜刀した。体勢が崩れていようとも飛天御剣流の居合いは神速を有し、また二段構えである。同一箇所に命中した居合いに、鉤爪の人間は苦痛の声を上げた。
その反動も利用し、数メートル先で体勢を立て直すと、そこで初めて剣心は相手の全身像を見た。
迷路に合わせてか全身が白尽くめで、鉤爪だけが異様に黒く見えるスタイル。また仮面まで白のものを着用しているため、男か女かの判断すらつかない。
白尽くめの人間は痛みに対して耐性があるのだろう。剣心が体勢を立て直すと同時に、再び襲い掛かってきた。
(右手が上段、左手は薙ぎ――)
剣心は人物が振り返った瞬間に、相手の攻撃予測を立てると、白尽くめの人間に向かいこちらも突進を開始した。
彼の予測通り、上段と左薙ぎによる攻撃が襲い掛かる。しかし剣心は器用な事をやってのけた。
「!」
白尽くめの人間が驚きの声を上げた。
それも仕方ないだろう。逆刃刀を右手鉤爪に鞘を左手鉤爪の間に差し込み、攻撃を防いだのだ。片方だけならまだしも、両方同時は白尽くめの人間にとっても初めての経験だった。
「巴はどこにいる?」
そんな相手の心の動きなど、今の剣心にとって瑣末ごとでしかなかった。力が拮抗し、かちかちと音を鳴らしている逆刃刀と鞘に被せる様に、力を込めた視線を白尽くめの人間に叩き付けた。
「…………」
しかし、回答はない。
「巴はどこだ!」
再度同じ問いかけをするが、リアクションは一つも変わらなかった。
「なら、力ずくで聞き出すまでだ」
剣心の瞳がスゥっと細まる。
瞬間、逆刃刀と鞘が回転した。
鉄製品など強固な品物は、総じて簡単な梃の原理でいとも簡単に破壊が可能である。
鉤爪の間に逆刃刀と鞘を差し込んだ剣心は、自重を使い鉤爪に梃の原理を利用して過負荷を上下に同時に与えた。すると反対方向に向けて力の加えられた爪の根元部分には実際の体重の数倍以上の応力が発生する。剣心が行ったのはその原理に基づく武器破壊であった。
さすがに両手同時に破壊されるとは思っていなかったのか、数歩後ろに下がった白尽くめの男に、剣心は乱打技を繰り出した。
「飛天御剣流! 龍巣閃!」
神速の乱打が白尽くめの人間の間接を中心に打ち据える。
「――!」
白尽くめの人間は、声にならない絶叫を上げながら、迷路の壁に吹き飛び、そのまま気を失った。
「く……」
折角の手掛かりをつぶしてしまった……。
そんな後悔に苛まれつつも、今足を止める訳にはいかない。先を目指すべく踵を返した瞬間、背後で氷が軋みをあげた。
「!」
即座に油断なく逆刃刀を構えて振り返ると、気を失っていた人物は痛みに耐えながら剣心を睨みつけていた。
「目が覚めるとは……。ま、いいや。巴はどこにいる?」
「…………」
しかし人物は、荒げた息をつくばかりで、一向に何かを話す様子はなかった。さすがにイラつきが限界に来た剣心が人物に尋問するべく一歩踏み出した瞬間、人物は奥歯を噛み締めた。
刹那。
剣心にはその場に太陽が降臨したと錯覚した。
視界全てが白に覆われ、一瞬で己の網膜が焼かれていく感覚が手に取るように把握できる。表面にあった水分が蒸発し、乱暴で粗野な光と熱が駆け抜けるのだ。
叫ぶ暇など与えられなかった。
何故なら口から叫びが迸ったのは、光が収まった後なのだから。
「うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」
光の消失と同時に眼全てに痛みが迸った。
じわじわと静かに歩み寄るものではなく、一気に侵略を開始した痛みは、剣心から視界を奪い去った。
何が起こった!
混乱をきたす脳裏に、一つ同様の効果をもたらす武器が思い浮かんだ。
閃光グレネードである。
爆発時の衝撃と共に、凶悪な閃光を撒き散らす事によって敵の視界すらも奪い去る手榴弾の一種。
「でもそれなら普通に手榴弾を使えばよかったのに、何で閃光グレネードなんか……」
疑問点だ。
巴を誘拐したのが、誰かをここに誘い込むための罠だとして、最終的に爆死という結果を選択するのであれば、相手が生き残る確率の高い閃光グレネードを選択したのか?
「くそ! これじゃ良く見えないな」
薄らと開けた瞼の先には、掠れ、ぼやけ、正確な像をなさない映像が焼け焦げた網膜に映し出された。ただそれでも幸運な事に大まかな形は把握できるため、通路に沿って歩くくらいは可能である。
「くっそ……。でもだからって戻る訳にもいかない、か」
ぐらつく視界に活を入れながら、剣心は氷の迷宮を再び攻略し始めた。
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「…………」
「…………」
その頃夕凪と美由希は、同じ場所に佇んでいた。
そこは大きな氷で作られたドームであり、二人は大きさや装飾から、古代ローマ帝国時代のコロッセオを想像した。
「どうやら、目的がはっきりわかったみたいですね」
眼前で同じようにドーム内を見回した夕凪が、同意を求めるよう声を発した。
言われるまでもなく。と力強く目で返答して、美由希は唇を噛んだ。
(そうだった。巴さんは緋村君の恋人だ。そう考えれば誰を狙っているかなんてすぐに答えがでるようなものなのに……)
迂闊だった。
ただ恭也もそこに触れなかったところを見ると、核心に至る何かがなかったのだろう。ただ、それでも美由希はもう少し留意するべきだったと内心で悔やんだ。
「とにかく、早く緋村君と合流しないと。でないとどうなるかわからない」
「そうですね。ま、脱出方法はあいつ等をぶった倒して聞きだしますか」
見ると、夕凪の視線の先に手に鉤爪をつけ、全身真っ白の衣装で統一した一団がこちらへと向かってきていた。 一体何処に隠れていたのかと思ったが、すぐに思い直した。
(敵の中には錬金術師がいる。空間を操作する力を持っていたのかもしれない……)
どちらにしても、襲ってくる敵を片付けなければ結論はでない。
美由希は構えている夕凪の隣に立つと、ゆっくりと小太刀を水平に構えるのだった。
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足が重い。
いや単純に重いのではなく、体全身が痺れる感覚がそう錯覚させた。剣心は身を縮めて体を揺すった。
少し気を抜いてしまえば膝をついてしまいそうになる状況は、よく見えない視界で迷路を進みだしてからすぐに始まった。
当初は冷房が強くなったのかと思ったが、そのまま左手の法則を利用して通路を進んでいるうちに寒さが影響を及ぼし始めた。
口から漏れる息は全て白色に色をつけ、無意識に逆刃刀を持つ手は体を擦っていた。
そしてそれが寒さからくる身体能力の低下だと気づいた時には、すでに寒さを通り越して痺れに発展した後だった。
元々室内の気温はマイナスを指す温度だ。そこに微風を送るだけで、体感温度は一気にマイナス十度を下回る気温にまで低下する。
北国育ちである夕凪であれば、もう少しだけ早く気づいたかもしれないが、剣心には無理であった。
それでも歩みを止めず、剣を離さなかったのは巴に対する思いから来ている精神力だけである。
と、体が麻痺を訴えてから十五分経過した時、少し広いスペースに到達した。そしてそこには巨漢の全身が白一色の人物が、先程襲ってきた人物と同じく鉤爪を装備して待ち構えていた。
「……巴は……どこだ……」
唇が紫色に変色しかけ、開けているのも億劫だ。それでも瞳の奥に宿る炎は決して揺らいではいなかった。
剣心の問いかけに、人物は鉤爪を前に突き出すようにして構える事で答えた。
そしてこちらも予想していたのだろう。
剣心もまた両手で逆刃刀を構えた。
「もう一度聞く。巴は何処だ……?」
すでに片手で逆刃刀は振るえない。
本来飛天御剣流は上下左右境なく動き、相手の動きの先を読み、相手よりも早く剣を叩き込むのが基本だ。だが全身が麻痺し始める状態では、まず剣を持っているという感覚がなくなる。そうすると無意識に柄を手放してしまう可能性が出てくる。剣心はそうならないように右手を唾に当て、左手を右手の小指にかけるようにロックした。普通剣術は柄尻に小指をかけるようにするのが両手持ちの場合の基本になるが、今は確実性を優先させた。 剣心と人物は広い廊下を互いに対面になるように円を描きつつ移動した。
勝負は一瞬。
それが互いの認識だった。
人物の容姿の中で感情が見えるのは目の一部だけだが、そこに宿っている黒い感情が、剣心の死を切に願っているのを理解したからだ。
対外を対角線上において何周したのか。
ただそれでも目の前の、何もない空間には二人のシミュレーションが激突していた。
まず人物が前進する。
そこに剣心が左に身をかわしながら人物の右手に回り込もうとする。
しかし人物もただで懐に入れる訳もなく、右手にした鉤爪を一度薙いでから、腕の振りによる遠心力を利用して左手を下から打ち上げる。
剣心は右手の鉤爪を刀身でいなしてから、柄尻を跳ね上がってきた左手鉤爪に衝突させる。その衝撃と勢いを利用して剣先を人物の肩へと向ける。
人物は膝を折って体を沈み込ませる。剣先は肩の表面を薄く裂いただけに留まる。ただその一撃は剣心の体を一瞬だけ無防備にさせる。そこへ人物は膝を見舞った。 膝を避ける余裕など剣心にない。だからこそ判断は体に染み込ませた技が行った。すでに感覚を失った両手の右手を柄から離すや、人物の膝の前に防御のために突き入れると柄尻を持っていた左手を頭部目掛けて振り下ろす。瞬間、右掌を通して膝蹴りが命中した衝撃が体中を走る。感覚が薄れた全身に麻痺性の鈍痛が走りぬけた。吹き飛ばされそうになっても逆刃刀だけは決して離さず振り下ろした。
人物は頭部に来る逆刃刀を持ち上げようという動作をしていた左鉤爪で受け止めた。そこにようやく止まった右鉤爪を剣心の脇腹目掛けて薙ぐ。
膝蹴りを受けて体がくの字に曲がった剣心は、横目に鉤爪の襲撃を確認すると、膝に当てた右手を強引に突き伸ばした。麻痺している体に再び鈍痛が走った。だがそのおかげで薙がれて来た鉤爪は剣心の体のない空間を突き刺した。
そこで剣心は一旦距離をとるために背後に転がった――。
これがシュミレーションの一例である。
これを剣心と人物は互いの視線とその動きから予測していた。
そしてその結果から導き出される事は一つ。
互いに決定打に掛けているという事だった。少なくとも剣心は通常の技では目の前の人物は勝てないと判断していた。
ならばどうしたら良いか?
(通常ではない技で倒す!)
それまで無行の位であった構えを正眼にし、若干剣先を落とす。その様子に人物は不審そうな色を瞳に湛えた。何故なら互いの視線だけで行ってきたシュミレーションでは一度たりとて正眼を使う事はなかったからだ。
「最後に、もう一度、聞く。巴は何処だ?」
数十回というシミュレーションのせいか、擦り切れ始めている精神が剣心の口を満足に動かせなくなっていた。ただそれでも瞳に宿る炎だけは衰えていない。正眼の構えから先の予測は一切できなかったが、人物は剣心を油断なく見据えた。
長い沈黙が続く。
それが人物の答えだと知ると、剣心は一度息をついた。
「……いくぞ」
わざわざ突撃のタイミングを敵に教える?
不振に思ったがこれまでの行ったシミュレーションの結果、剣心が虚偽によって相手を騙すタイプではないと確信していた人物は、一層警戒心を強めた。
それを待っていたかのように、剣心は大きく息を吸った。
そして――。
――飛天御剣流!
九つの閃光が迸った。
――九頭龍閃!
『壱』『弐』『参』『肆』『伍』『陸』『漆』『捌』『玖』!
シミュレーションの中で、剣心の普通の技は全て人物に打ち落とされた。
だが人物も簡単に打ち落としていたり、受け止めていた訳ではない。全てがぎりぎりの攻防だった。ほんの少しの判断ミスが命取りになる。そんな綱渡りな攻防。しかしそんな斬檄が全方向から同時に降り注ぐとは想像だにしていなかった。
鉤爪は二つ。両足を同時に使っても計四つ。残り五つの斬檄を止める手段はない。
閃光が己を打ちのめす前に、結果を導き出した人物はにやりと笑うと奥歯を力強く噛み締めた。
瞬間、その場に耳を劈く強烈な爆発音が鳴り響いた。
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「こちらは囮……ですね」
最後の一人を叩きのめして、恭也は少し離れた場所で同じく敵を切り伏せた神咲薫を見た。
薫は恭也の言葉に小さく頷くと、愛刀十六夜を鞘に収めた。
「目的はうち達じゃない。そうなると残りは地下に降りた三人のうちの誰かになるが……」
「誘拐された雪代巴を考えると、目的は緋村君、が妥当でしょうか」
「そうかもしれんね。でも、そうすると相手の目的が読めない」
「と、言うと?」
「うん。まず彼がこう言った組織に狙われるとすると、考えられるのは龍くらいになるんだが、彼が龍との戦闘で表に出たのは二回。まぁ細かいのを合わせれば三回か。だがそれを言っても一人で場をひっくり返すような活躍をした訳じゃない」
最初の黒笠事件。
次に東京で起きた現金強奪事件。
最後にGSである横島零の霊体による身体乗っ取り事件。
表に出たのはこれだけだ。尤も美由希と共に切り抜けた海鳴テロ事件もあるが、これは殆ど関わってないとしていいだろう。
「そうですね。全て一人で決着をつけた訳ではない」
「すると、ここで何故彼にターゲットを絞ったのか? という疑問が浮上する」
戦略的に必要であれば個人を狙う策略は有りだろう。だが、今回緋村剣心という個人を狙う意味合いがあまりに薄いのだ。
しばし考えて、恭也は小さく頭を振った。
「恐らくここで考えても答えはでないでしょうね」
「…………」
薫はこちらも少し顎に手を当てて考えてから、ふっと肩から力を抜いた。どうやら恭也と同じ結論に達したらしく、苦笑を浮かべている。
「確かに。それなら主犯を捕まえて吐かせた方が、考えて時間を潰すより有意義かな」
「そうですね。行きましょう」
恭也と薫は上階を後にした。残されたのは、身動き一つない白尽くめの集団の昏倒した姿のみだった。
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「う……」
自分の呻き声に急かされるように浮上した意識が、まだはっきりとしない剣心の瞼を持ち上げた。瞼の隙間から見える世界はまだ白く、簡単な形しか把握できない。
そんな目を軽く擦ろうと手を持ち上げると、皮膚が薄氷を割ったような感覚が走った。
すでに肉体の感覚は麻痺を超え、存在感覚も薄らいでいたが、それでも割れた感覚があった場所を触れた。すると皮膚が霜状にささくれ立っていた。
そんな触感も「ああ、何かあるな」という程度のものにしか感じなかった。
手探りで周辺を探ると、何か硬いものに触れた。視線を向け、近視の人のように顔を近づけ、ようやくそれが逆刃刀である事に気づいた。
想像以上に視覚が壊れている実感に、背筋に薄ら寒いものを感じながら、逆刃刀を手にして……そして落とした。
甲高い音が氷の迷路内に響いた。
ただ剣心はそれを呆然と見下ろしていた。
もう一度逆刃刀を手にして、ある程度の高さで手を離す。
再び甲高い音が響く。
だが、剣心の耳には何も聞こえなかった。
「そんな……」
力なくすでに凍傷が始まった手を耳に当てる。
すると、そこに滑った生暖かい液体が流れていた。目の前に持ってくると、液体は赤かった。
見慣れた色。
剣術の練習の際に何度となく目にした色が、妙に鮮明に視界を染め上げる。いや、染め上がっているように見えただけだ。
(鼓膜が破れた……か)
大きく溜息が漏れた。
そうして何が起こったのか記憶を掘り返すと、答えは即座に発掘できた。
九頭龍閃を放った直後、人物は強大な爆発音を残して吹き飛んだのだ。剣心は突進術である九頭龍閃を放ちながらも、即座に体勢を低くしたおかげで爆風や爆発の直撃を受ける事はなかったが、音という兵器だけが剣心に多大なダメージを残していた。
逆刃刀を杖代わりにして立ち上がった。
目が見えず、体の触覚は奪われ、鼓膜すら破れた。
満身創痍。
まともに歩くことさえ難しい状況で、それでも剣心は先を目指す。
雪代巴――。
世界でたった一人愛する女性を救うために、全てを投げ出してもいいと思っていた。
「巴……」
「い〜や、お前はあえねぇなぁ」
それは空から降ってきた。
飛天御剣流の直感か。
剣心は声の降ってきた方へ逆刃刀を切り上げた。
ガキン! と鉄同士がぶつかり合う音と衝撃の中、ルシード=クルプスは血と見間違う程に赤い爬虫類染みた舌で己の頬を舐めた。
「さぁ、ここからがショウの始まりだぜ!」
見事に分断されたな。
美姫 「まあ、ある意味仕方ない状況だったものね」
美由希の判断も間違いではないと。
美姫 「それにしても、言うまでも無くピンチよね」
だな。視覚に聴覚、おまけに寒さから身体の感覚も低下。
美姫 「そこを狙って襲撃だものね」
とってもピンチだな。恭也たちが間に合うか、それとも自力で乗り切るか。
美姫 「ああ〜、とっても気になるわね」
早く続きが見たいです。
美姫 「次回も待ってますね」
待ってます。