『とらいあんぐるハート〜無想剣客浪漫譚』




CV]T 遠く馳せるは秘めたる思い

「結局巴来なかったなー」
 終業の鐘が鳴り、今日は珍しく美姫の暴走染みた発言がなかったため、あっさりと終われた放課後。帰宅部である剣心と夕凪は互いに並んで昇降口を出た。
「今日はどうする?」
 そう夕凪が問いかけたのは、最近頻繁に行っている放課後の訓練だ。
 高町兄妹・神咲姉妹の他に美姫も顔を出すし、忍とノエルも何か調べ物と称して見学に来る。最近では何故か女子寮に入寮したGSの横島零や、東京から転校してきた剣心の妹であるほのかや神谷道場の明神一志も混ざっている。
「どうすっかなぁ。一応逆刃刀は持ってきているけど」
 そう言って背に担いでいる竹刀入れをちらりと見た。
 夏休み以降……と、言うよりはあの志々雄真実と出会ってから、心が大きくざわめいた。東京の実家で奥義を習った時以上に、何か目に見えない不安に駆り立てられている。それは学園祭の最中も、巴に告白されてからも収まらず、気付いた時には常に刀を持ち、早朝と放課後の鍛錬時間を増やしていた。
 しかし、どれだけ練習量を増やそうとも、不安は消えない。
 消えないどころか、今に取り返しのつかないナニカが起きてしまいそうで、夜中に魘されているらしかった。
 確定でないのは、剣心に自覚がないからだ。夜中に小鳥や真一郎に時々起こされて、魘されているらしいという事実を知ったに過ぎない。
 そのため朝も別段寝不足になっている事もなく、生活に支障をきたしてはいないものだから、余計に魘されている事実を認められないでいた。
「んでどうするの?」
「行くだけいくわ。誰も居なかったらロードワークでもしよっかな」
「んじゃ私も付き合うわ」
 夕凪もまた夏休みから城嶋晶や鳳蓮飛に体術を習っている。
 ただ彼女の場合は剣心と違い、コンサートホールで戦った天美志野が意図的に夕凪を見逃した経過から、再び戦う時がくると見て、体を鍛えていた。
「それじゃ後で少し組み手付き合ってな?」
「いいよ。今日は勝つ」
「まだまだ徒手空拳に負けるような鍛え方はしてないって」
 今のところ飛天御剣流と二重の極みは、飛天御剣流の全勝に終わっている。負けるたびに夕凪は地団駄を踏んで悔しがるが、差はまだまだ大きく勝つ見込みは薄かった。それでも他流が技を交えるのは、様々な勉強になる。夕方の訓練に参加しない時は二人と、それにマネージャーではないがサポートとして巴が付き添ってくれていた。
 尤も、今日はその巴も休みではあるが。
 と、
「あれ? あれって巴のお兄さんじゃない?」
 気付いたのは夕凪だった。
 校庭を抜けて校門に差し掛かろうとして視線を前に向けると、そこに袋に入った長い棒のようなものを片手に、丸いサングラスを身につけた雪代縁が仁王立ちしていた。その様子がまるで尖った針のようで、他の生徒も不遜な視線を投げかけながら、遠巻きに縁を横目にしていた。
「何かあったのかな?」
「わかんね。とりあえず、聞いてみるか」
 もしかしたら巴に何かあったのか? とも思ったが、それならば幾ら性格が悪いとはいえ担任として仕事をしている美姫が何か報告してくれるだろう。
 疑問を頭に思い浮かべながら、二人は縁に片手をあげながら近づいていって――。
「バットウサイィィィィィィィィィィ!」
 縁の怒号が響いた。
 彼の近くにいた女生徒が腰砕けになり地に尻餅をつき、男子生徒は脚が震えて動かなくなった。
 その数はおよそ五十人。それ程の数の人間がたかが怒声で硬直させたのだから、縁の怒りの程度が知れよう。
 だがそれよりも、剣心と夕凪は『抜刀斎』という言葉に反応した。
「まさか……『龍』の……?」
「ちょ、待ってよ! それなら巴も?」
 しかし議論している余裕などなかった。
 縁は鬼の形相のまま、手にした棒を突き出しながら突進してきた。その速度は完全に二人の予測を超えていた。まるで斉藤一の牙突と同等か、それ以上。
「は、速い!」
 そんな一撃を受け止められたのは、単純に偶然でしかなかった。竹刀袋ごと棒の軌道と思しき場所へ咄嗟の判断で出したらたまたま防御に成功したに過ぎない。
「!」
 ただ、縁の一撃が、剣心の体をそのまま持ち上げたのは予想外だった。
「なんて力!」
 こちらも反射的に横に飛びずさったため無事であった夕凪が、剣心の心を代弁していた。
 衝突した二つの棒の袋が衝撃によって千切れ飛んだ。
 剣心の竹刀袋からはもちろん逆刃刀。
 そして縁の袋からは――。
「な!」
「何だ……これ……?」
 宙吊り状態のままで剣心が呟いた問いに答えるでもなく、縁は手にした刃は日本刀で柄作りは大陸物という変わった剣の峰を蹴り上げた。元々片手だけで剣心の体を宙に浮かせる破壊力を持っているそれは、防御に回した逆刃刀を彼の体にめり込ませ悶絶させながら吹き飛ばした。
「ぐは!」
「剣心!」
 普段は相手の攻撃を軽減するため、感情の動きから攻めの方向をを読んで、命中と同時に身を引く。格闘技では柳の動きとも言われている技術だが、それが宙に浮いていたため使えずに完全に体へと浸透していた。
 骨がギシギシと軋んだ音を体内を通じて耳朶を打つ。
 胃の中に入っていた昼食が逆流して、口内を汚す。
 痛打を受けた腹部が、触れずとも具合を判断できるくらいに熱を持った。
 それでも着地をまともに行えたのは、縁の言葉に瞬時に戦闘状態へと切り替わった理性のおかげだろう。
 『抜刀斎』という呼び名に、黒笠・鵜堂刃衛と龍をを思い出し、そのまま警戒すべき存在として体が反応していた。
 尤も、それでも有に五メートルは吹き飛んでいるのだが。
 縁が怒号を撒き散らし、夕凪には見向きもせず、地面すれすれを飛ぶように駆ける。先にいるのはもちろん剣心だ。
 即座に逆刃刀を引き抜き、無行の位に構える。
「遅イ!」
 だがそれ以上に縁は速かった。
 まだ構え切れていない間に、剣が地面から獲物へと飛び掛る虎の如く勢いで逆袈裟に斬り上がる。
 激しく刃が衝突した。
 今度は心構えも完全に出来ていたおかげで、吹き飛ぶ事無く踏み止まると、普段からかけているサングラスの隙間から覗く憤怒と猛襲と怨恨の塊となった瞳を睨み付けながら叫んだ。
「よくわかんないけどさ! 俺が一体何したんだよ!」
「何をしたダト? ふざけるナ! 巴を……姉サンを何処へヤッタ!」
「巴? 何の事だかわかんないよ! 今日は学校にも来てないし……」
「ダカラ貴様が隠したんダロウガ!」
 訳がわからない。
 だが、一つだけはっきりしたのは、縁がここまで怒りを表面に浮かべる程のナニカが起きたという事だけだ。
 ならば、ここでこんな言いがかりを付けられている場合ではない。
 そう決心するや、手に力を篭めた。
 押し込まれていた逆刃が盛り返し、二人の間で拮抗する。
「抜刀斎ィ!」
「何だかわかんねーけどさ! 巴にナニカあったなら、こんな事で時間潰している場合じゃねーだろ!」
「うるさイ! 全て……全て……、ソウダ! 二百年前のあの時、確実に人誅を為しておけば、姉サンが苦しむ事などには……!」
「やっぱり、アンタ、龍の関係者か! 二百年前なんて、あの鵜堂刃衛と同じだろう!」
「ダマレ! 貴様に発言権はナイ!」
 拮抗した刃が再び押される。
 だが元々体格差が大きい縁に、剣心は地面に膝をついた。
「このまま貴様を殺ス! そうすれば少なくとも志々雄の枷は外れ。探しやすくナルダロウ!」
「やられてたまるかよぉ!」
 縁の筋肉が更に力を篭められ膨張したのを見た瞬間、剣心は刃を斜めにし、力の方向を逸らした。力を篭めたタイミングを図られた縁は、さすがに体勢をこらえておく事は出来ずに、僅かに重心を左踵へと移動させた。それを見るや、剣心は半歩体を流れた刃とは逆に移動すると、即座に柄尻を縁の脇腹へ叩き込んだ。
 脇腹。
 取分け脇の真下は人体急所の一つと呼ばれている。その部分に強打を受けると一瞬で呼吸が停止し、身体硬直を及ぼす。
 だが――。
「効かナイ!」
「ぐっ!」
 縁はまるで蚊に刺されたかのように腕を振り払うや、剣心の右頬を殴り飛ばした。
 終わったとは思っていなくとも、ある程度制限をかけられると思っていた剣心は、脱力したところを殴られて、地面を転がりつつもすぐさま立ち上がり、無行の位に逆刃刀を構えた。
「剣心!」
 そこでようやく夕凪が叫んだ。さすがに無手で間に飛び込む訳にも行かず、結局名を呼ぶだけに留まっていたのだが、ようやく距離を取った二人に、即座に駆け出した。
 他の声を発する事も逃げ出す事も通報する事も忘れて、剣を交える二人を眺めていた。無理もない。それは恐らく人生で初めて目にする命のやり取りなのだから。
 ピンと張り詰め、傍観者達の視線が纏わりつく中で夕凪が剣心の傍に駆け寄った。
「大丈夫か?」
「ええ。大した事ないんだけど……どうも話を総合すると、巴にナニカあったらしい」
「巴に?」
 剣を手にぶら下げ、それは憤怒の形相をした阿修羅の如く仁王立ちしている縁を睨み付けながら、二人は固唾を飲み込んだ。
「あら? めっずらしい。倭刀じゃない」
 その時、三人の合間に飄々とマイペースな声が飛び込んできた。見ると剣心と縁の殺し合いに反応できたのだろう。脅えている一年生の女の子を従えた紅美姫が楽しげに立っていた。
「美姫さん」
「先生」
「倭刀……日本刀の刃と大陸性の柄を合わせた、豪胆さと柔軟性を昇華させた武器、だったかな? それを操る術は二百年も前に潰えたって聞いてたけど、まだ使える人間がいたんだ」
 どうやら、呼ばれた意味を完全に見失っているらしい。
 物珍しげに縁の傍に近づくと、周囲を周回しては頷いたり感嘆を漏らしている。
「あの……美姫さん? 今はそんな場合では……」
「普通、そうやって見るより、止めるとかしません?」
「え? だって私には関係ないじゃん」
 その瞬間、全員が心の中で『うわぁ……教師の台詞じゃねぇ……』と合唱したのは言うまでもない。
 尤も、縁だけは美姫をまるで周囲を飛び回る蝿のように見下していたが。
「邪魔ダ。紅美姫。俺は姉サンを探すために、抜刀斎を殺すんダ」
 その物言いに、思わず美姫の本性を知っている剣心と夕凪は恐れ戦いたが、当の本人は意に介さず小さく息をつくと徐に縁の頬を抓り上げた。
「アンタ、何をとち狂っているか知らないけど、勝手な妄想で他人を虚仮下ろすのは頂けないわね?」
 いつもそれしてるのは貴女ですー! とは口に出せない剣心と夕凪だった。
 それはともかく、縁は美姫の手を振り払うと、無視して剣心へと向けて歩き始めた。
 瞬間、即座に戦闘態勢に移行した剣心と夕凪の前に、美姫がするりと体を入れた。
「え?」
 そして――。

 パァン!

 縁の頬が弾けた。
 弾いたのは剣心ではない。
 もちろん、夕凪でもない。
「あのさ、戦う理由は人それぞれだし、別にどんな理不尽なもんでも良いだろうけどさ」
「良くない良くない」
「せめて明確に相手に伝えな。それもできないで自分の腹ん中のモン溜め込んで殺すと、ただの殺人者になるよ」
 それは正論だった。
 スポーツであろうと私情であろうと、正しい事だった。理由が周囲に知られなければどれだけ本人に正当性があろうとも、意味のないものとして扱われてしまう。
 誰から見ても縁の様子は普通ではなかった。
 ナニカあるのは分かっている。それが巴の事であるのは誰の目でも明らかだった。
 だが、それが何なのか周囲は何もわからない。だから混乱は広がり、収集がつかなくなる。その憤りを美姫は知っていた。そしてどれだけの悲劇を生み出すのかも。
「……俺ハ元々復讐者ダ。姉さんを殺した抜刀斎を殺ス。元々俺も姉サンもそのためだけに生み出されたのダカラ」
 通じたかわからない。
 しかし、縁は若干ながらも殺気を抑えて動機となる言葉を口にした。
「姉さんを殺したって……俺は巴を殺してなんかいないぞ!」
「そうだ。貴様は知らないダロウ。だが俺は覚えてイル! あの日、姉サンから溢れた鮮血! 血飛沫によって染まった雪! 失われていく体温! その全ては俺の遺伝子に刻み込まれテイル!」
 その慟哭は本物。
 決して想像だけの産物ではないと聞いていた全ての人間が理解した。
「で、でも、実際に巴は生きているじゃない! 訳わかんないよ!」
「それはウチから話す」
 そこへ再び乱入者が現れた。もちろん、全員の知り合いであったが。
「薫さん……」
 退魔師の正装を身に纏い、右手に十六夜を下げた神咲薫の姿があった。
「次から次へと邪魔が入ル……」
 歯軋りが歯を噛み砕き、衝撃で破れた唇から血が流れ出た。
 その様子に美姫と同じく嘆息を漏らした薫は、一度瞳を閉じてから剣心達に向き直った。
「それで? こいつの理由を知ってるってどういう事?」
「ええ。実は御庭番衆の力を借りて龍の調査を進めていたんですけど、その中でクローン機器の使用履歴に不思議なものを発見しました」
「クローン機器?」
「クローン生命体を時間をかけずに製造するための機械だ。龍は元々HGSのオリジナル固体を雑兵として製造する技術を持ち合わせていた」
 剣心達は知らないが、警察協力民間企業であるリスティ=槙原、海鳴中央病院医師フィリス=矢沢、ニューヨークレスキュー勤務のセルフィ=アルバレットの三人はクローン技術によって生み出された悲しい姉妹だ。
「その中に、雪代縁と雪代巴の名があったわ」
「な!」
「……俺は違ウ。元々雪代縁の血縁だったから、記憶を強制的に埋め込まれタダケダ」
 さすがに剣心と夕凪は絶句した。
 クローンであるというだけでも十分衝撃であるにも関わらず、縁の告白は更に上にいくものだった。
 脳に記憶されているモノとは、結局のところ電気信号により行われているものだ。神経シナプスが動いているのと同じく、必要箇所に信号が送られ、脳細胞に記録されていく。
 それは、一人の人間を脳の中で殺していくのと同じなのだ。
「それで、そんなクローン兄妹が何で『剣心』を殺しに来るの?」
「え?」
「それは……」
 そこで縁は言葉を濁らせた。
 いや、それ以上語る必要はないと言う感じであったが、少なくとも口を噤んだ。
 だからそれ以上追求はせず、薫は懐かしき風が丘学園にやって来た目的を果たすために、剣心に向けて言い放った。
「緋村君、雪代巴の居場所が判明した」
「何処ですか!」
「何処ダ!」
 今にも噛み付いてきそうな男二人を夕凪と美姫が抑え込みながらも、その視線は同じ意を持っていた。
「海鳴市立海の博物館。そこで龍のルシード=クルプスと共にいる」
 引き締まった眼がその場にいる全員を見回した。
 そして急速に空気が冷えていくのを感じていた……。

「ふわぁぁぁぁぁぁ……」

 美姫先生以外は。

「ん?」



いや、前話で俺を殴っといて、お前は何をやってるんだ。
美姫 「そんな事を言われても、この本編に出ている私であって私じゃないもの」
まあ、確かにそうなんですけれどね!
ともあれ、本当に緊迫した展開に。
美姫 「一気に戦闘に突入するのかしら」
ああ、もう次回が待ち遠しいよ。
美姫 「次回も待っていますね〜」
ではでは。



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