『とらいあんぐるハート〜無想剣客浪漫譚』
CU][ 暗雲
「ふあぁ……」
そろそろ師も走り出す時期になって、布団から抜け出すのも辛い時に差し掛かってきた。それでもここ海鳴市は比較的温暖な気候のため、まだ北国に比べればましなのかもしれない。
そんな事を思いつつ、高町家の末っ子である高町なのはは、ベットの上で上半身を起こしつつ、ぼんやりとまだ半分寝ている頭を動かした。
それでも基本的に温暖な地方で育ったせいか、ベットから降りるのには若干の勇気が必要で、それでも迫ってくる登校時間を机の上に置かれた猫型の目覚まし時計で確認して、大きく溜息をつきながら抜け出した。
「う〜眠い……」
昨晩は現実でも年の離れた友人であり、インターネットのオンライン友達でもある佐伯理恵とメッセンジャーで遅くまで話し込んでしまった。
今度椎名ゆうひの新アルバムや新しくリリースされるパソコン関係の話を中心にしていたのだが、最後に出てきた話は、まだなのはも聞いていなかったため、驚いてしまった。
「ふふ。クリスマスにCSS全員のコンサートかぁ」
CSSのメンバーは全員親しいが、それでも長年高町家の長女として在宅していたフィアッセと会えると思うと、それだけで胸がいっぱいになる。
制服に着替えながら、頬が緩みっぱなしのなのはは、たっぷり十五分の時間を取って仕度を整えると、軽くなった足を動かして居間へと下りた。
「おっはよー!」
元気良く透かし硝子のついているドアを開けて飛び込むと、ソファに座り朝のニュースを見ていた兄の高町恭也が、相変わらず優しく微笑みながら挨拶を返してくれた。
そのまま勢いに乗ってダイニングキッチンへと行くと、そこには朝ご飯を作っている晶と、皿など小物の準備をしている蓮飛が笑顔で挨拶をしてくれた。
姉である美由希は、大学の用事で先に家を出ている。
母親の桃子は喫茶店営業のため朝は早い。特にそろそろ始まるクリスマス用の新作メニュー開発のため、顔もあわせない日が多い。
少し寂しいが、それでも兄や姉が居てくれるので、十分に楽しい毎日だ。
だが、そんな一日を崩してしまう電話が、唐突に家に響き渡った。
「あれ? こんな時間に誰だ?」
「あ、あたしでるよ」
立ち上がりかけた晶を制して、なのはは早足でコードレスフォンの受話器を取ると、通話ボタンを押した。
「はい、高町です」
『もしもし。自分はさざなみ寮の槙原と申しますが……』
槙原と言う苗字は三人居る。
しかし中で男性の声の槙原と言う知り合いは一人しかいなかった。
「あ、耕介さんですか」
『……なのはちゃん? おはよう。朝早くごめんね』
「そんな事ないですよ。えっと、お兄ちゃんですか? 今呼んで……」
『ああ、違う違う。今日はなのはちゃんに用事があって……』
「え?」
♪♪ ♪♪ ♪♪ ♪♪ ♪♪ ♪♪
放課後。
学校が終わった後、なのははさざなみ寮へと向かった。
普段は乗らないバスに乗り、桜台の麓に降り立つとすぐに名物になっている坂道を歩き出した。途中、道の脇に大きなクレーターのような陥没があるのを不思議に見つつ、さざなみ寮へと辿り着いた。ここに来るのは春のお花見以来久しぶりである。普段押しなれないインターフォンをちょっとだけ緊張しつつ押すと、庭からから優しく落ち着いた男性の声が聞こえてきた。
「あれ?」
と、疑問を口にしつつも、自分の中で推測を導き出す暇もなく彼女を呼び出した人物は、相も変わらず柔和な笑顔を浮かべたまま、寮の横から顔を覗かせた。
「ああ、なのはちゃんいらっしゃい」
「こんにちは。お久しぶりです」
「うん。久しぶり。電話くれれば迎えに行ったのに」
そう会話をしつつ、耕介は手にした大きな布団を抱え直した。
「お布団日干ししてたんですね」
「うん。今日は日差しも暖かかったしね。これから冬になるし、やれる時にやっておかないと」
そう言いながらなのはでは引き摺っているであろう布団を軽々と運んでいるのを後ろから感心して見つめた。
「とりあえず、ちょっと居間の方で待っててくれるかな」
「あ、はい。わかりました」
返事を聞くと大きく頷いて、耕介は裏口へと歩いていった。
なるほど。ちょうど自分が寮の前に来た時に布団の陰であの大きな耕介さんが見えなかったのか。と納得しつつ、寮の玄関を開けた。
「ほ?」
ちょうどそのタイミングで、紫のチューブトップに黒のジーンズ、それにヘルメット姿の陣内美緒が、口にドライバーグローブを咥えてブーツの紐を結んでいる体勢のまま、玄関を開けたなのはを見上げた。
「こんにちは」
「お〜。なのはちゃん、久しぶり〜。どしたの?」
「耕介さんに用事があるって呼ばれたんです」
「ほっほ〜。ついに愛さんだけじゃ飽き足らず、未成熟な肢体を手篭めにしようと……」
「何を不遜な事を口にしてるか」
と、なのはを上下に舐める視線で不埒な言葉と妄想を語り出した美緒の後ろから、何時の間にか忍び寄っていた耕介が軽く彼女の頭を叩いた。
「いったぁぁぁぁぁい。うら若き乙女の頭を叩くなんて、何て酷い事すんのよー」
「煩い。そうされるような事をなのはちゃんに口走ってる方が悪い」
それでもぶーぶーと文句を口にしている美緒に苦笑していると、あっさりと彼女は文句を引っ込めて立ち上がった。
「ま、いーや。早くしないと面会時間が終わっちゃうしね」
「面会? 誰か入院してるんですか?」
そう何気なく聞き返した時、途端に二人の顔色が沈んだ。
何故? と思い直して、すぐに自分が何て愚かな事を聞いてしまったのかとなのはは頭を抱えた。
それもその筈。
夏前に起きた大規模テロの際に、さざなみ寮の古株で姉的立場にいた仁村真雪が重症を追い、結果海鳴中央病院に長期入院を余儀なくされた。しかも、怪我の場所が悪かったせいか、意識は戻らず以降半年間意識不明の植物状態が続いていた。
「……ご、ごめんなさい。あたし……」
「ん。いいっていいって。真雪さんだったら『あ〜? あたしの所為で暗い顔にした? だ〜っはっはっは! あたしなんて大した事ないんだから気にすんな!』って笑い飛ばすよ」
「そ〜そ〜。真雪は何てったって理不尽大魔王なのだ。大丈夫大丈夫」
そんな慰めも、自分がどれだけ酷い事を口にしてしまったのかという後悔の前に、心が歪んだ。
「なのはちゃん!」
「は、はい!」
その時、大きく暖かい物で顔の両側を挟まれ、強引に顔を前に向けさせられた。そこには笑みを消して真面目な表情をした耕介がいた。
「別に真雪さんの事なんて忘れてもいいんだよ」
「え?」
「だって、それだけ今の生活を大事に、一生懸命生きているって事だろう? 知り合いだからっていつも心に思い描いていなければいけないなんて、そんな事はないんだ」
「……それって、悲しいです」
それでも浅くはない付き合いをしている友人を忘れてしまうのは、とても悲しい事だ。
そしてそんな何気ない一言を、真雪の家族である二人の前で言葉にしてしまった罪はとても大きく感じられた。
だが、そんななのはの心情を、耕介はにこりと笑顔で否定した。
「大人はね、子供が笑顔でいてくれれば一番なんだよ。それに忘れていたけど、今思い出したじゃないか。今度なのはちゃんの笑顔でお見舞いに来てくれれば、それで十分なんだ」
良くわからない理屈だった。
それでも耕介の言葉は信じられたから――。
「はい!」
元気良くなのはは返事をした。
「うん! それじゃあたしも行って来るのだ」
「帰りは皆と一緒か?」
「そうだねー。用事あるけど、みんなお見舞いに行くって言ってたし」
「了解。腕を振るって待ってるよ」
美緒はなのはの笑顔を確認すると、そう言って寮を後にした。
「さて……それじゃちょっと準備があるから、居間で待っててくれるかい?」
「はい。お邪魔します」
何の準備かはわからないが、自室へと戻った耕介を見送ってから、彼女は広くて居心地の良い居間へと入った。
すると――。
「あ、いらっしゃい」
「こんにちは。御架月さん」
最近妙に昼のワイドショーにはまっている御架月が、片手に煎餅を持ちつつ笑顔で出迎えてくれた。
「えっと……お煎餅?」
御架月は十六夜と同じく、食事は必要としない。そう教えてくれたのは十六夜の持ち主である神咲薫であった。で、あれば間違いない筈である。
しかし、見ると御架月の前には開いた煎餅の袋が二枚転がっている。それを発見すると思わず言葉も疑問系になってしまった。
そんななのはの様子に、今度は御架月が苦笑した。
「ああ、違いますよ、なのは。これは……」
「なのは?」
と、その時、三年前以降一度も聞かなかった懐かしい友人の声が御架月の影から聞こえた。
「……え?」
ほんの少しだけ昔。
異世界からやってきた二人の友人。
それぞれ強い思いがあり、分かれてしまった親子の合間に小学三年生のだったなのはは立った。そして幾つかの試練を乗り越えて、親子は再び手を取り合い、そして再会を約束して自分達の世界へと帰っていった。
そんな優しくも切ない邂逅をした、一人の友人の声になのはは目を大きく開いて、室内を見渡した。しかし、あの小さいながらも存在感のある姿は何処にも見えない。
「え? え?」
続けて二度も疑問符が口をつく。
その様子に苦笑した御架月が体を横にずらした。するとそこには……。
「リンディさん!」
「なのはちゃん!」
そこには、御架月が開けた煎餅を両手で抱えるようにしながら食べていたリンディ=ハラオウンの姿があった。ただ初めてなのはの前に現れた時と同じく、所謂妖精のような体長と背中の羽をはためかせて、彼女はなのはの前まで飛んできた。
「わっ! わっ! 何で? どうして? えっと、それよりも……」
唐突な友人の登場に、頭の中がぐるぐると回る。それでも最後に心に浮かんだのはただ一言だった。
「……お久しぶりです」
「うん。なのはちゃんも元気そうで何よりだわ」
互いに満面の笑みを浮かべて、ほんわかとした雰囲気が居間に満ちる。
その雰囲気を霧散させるように、耕介が後頭部を掻きながら居間にやってきた。
「あれ? なぁ御架月、リンディさん……ってそこにいたのか」
「はい。僕とここでワイドショー見てました」
剣の精霊と妖精が煎餅を食べながらワイドショー。
そんなシュールと言うかギャグな情景を思い浮かべて、思わず苦笑してしまうが、それよりもなのはを呼び出した用事がこうやって対面していたのは、耕介的には手間が省けた。
目の前で手を取り合って再会を喜び合う二人を尻目に御架月の横に腰を下ろすと、目線でなのはも座るように促した。
「あ、ごめんなさい」
「いやいいよ。まぁリンディさんを連れてきて驚かしてあげようって思ったんだけどね」
「あはは。ごめんなさい」
言葉とは裏腹に、リンディは大して悪びれず、いや楽しげにぺろりと舌をを出して謝罪をした。
その様子になのはも楽しげに眺めていたが、ある程度落ち着いたと判断するや、口を開いた。
「あの、それでなんでリンディさんがここにいるんですか?」
あの日。
なのはが心から好きだと言える彼との別れの日。次に会えるのはいつかわからないと告げられた。そんな彼の母親であるリンディが海鳴にいるという事は?
そこまで考えて、彼の笑顔が心に浮かんだ。
そんななのはに申し訳なさそうに俯いて、リンディは自分がここにいるのかを話し始めた。
「実は……実験の失敗にあっちゃって……」
「実験?」
「ええ。向こうとこちらを繋ぐ魔術的な異界ゲートの構築を行ってて、実験的におもちゃを送ろうという話になったのね。それで、私がおもちゃをセットしている時にトンネルが勝手に開いちゃって……」
「……それって大丈夫なんですか?」
事故を起こした。つまり、もう戻れないのではないか? そうなのはは心に浮かんだ不安を口にした。
「ああ、大丈夫。その後クロノと連絡とって、時間掛かるけどちゃんと向こうに戻れるわ」
「あ、そうなんだ。良かった!」
「それで、連絡を取っている時に御架月が変な歪みを感じるって言うんで見にいったらリンディさんが居て、話を聞いたらなのはちゃんと面識あるっていうじゃないか。だったらなのはちゃんと一緒の方がいいかなと思ってね」
最後にリンディの話を耕介が纏めると、なのははゆっくりとリンディの手をとった。
「リンディさん、また宜しくね」
「こちらこそ」
それが彼女の回答とわかると、リンディも笑顔で頷いた。だがその様子を見ていた耕介と御架月は、神妙な顔で互いに視線を送った。
それもその筈である。
何故なら、リンディの話は全てが嘘なのだ。
しかし、それをなのはに話す訳にはいかなかった。話せば間違いなく彼女は無理をするし、場合によっては命の危険も隣り合わせだ。
今だ喜び合う二人とは対照的に、御架月から視線を外すと耕介は巨体をソファに深く沈めた。
(……氷村遊、か)
幼馴染の千堂瞳やその友人であり、耕介の知人でもある綺堂さくらや相川真一郎、退魔師の神咲薫からも話を聞いている。
人とは違う夜の一族。
その所為で人間から受けた屈辱的な差別に並々ならぬ憎悪を抱いている人物。彼の話はそれ以外でも様々な場所から聞こえてきた。
……史上最悪のテロリストとして。
その彼が何故か平行世界にあるミッドチルダに姿を見せた。そして魔法が主体の進歩を遂げてきたミッドチルダをたった一人で蹂躙したのだ。
もちろん、クロノを筆頭とし、ミッドチルダの魔法使いは応戦した。だがただの一撃も彼には届かず、そしてクロノは母を逃がし、氷村遊の出自でもある海鳴へと使者を送ったのだ。
話を聞くや、耕介はすぐに薫とさくらに連絡を取った。そしてさくらに雇われている葉弓に、異世界や平行世界へ行き来を可能にする方法の探索を依頼した。また併せて香港国際警防隊の美沙斗に、裏からの情報収集も依頼した。
「……全く、これ以上何が起きるって言うんだ?」
「耕介様……」
「いや、何でもないさ」
胸に去来した不吉な感情を押し留め、耕介はそう笑顔浮かべた。
だが、この時感じたものは、退魔を志す者であれば、『虫の知らせ』として、重要視する。けれど退魔の一線から退いて久しい耕介は、『虫の知らせ』の重要性を失念していた。
それが的中するその時まで。
平穏な日常が続いていたけれど、なにやら不穏な空気が。
美姫 「いよいよ最終部のスタートね」
これまで大人しくしていたあの連中が出てくるのだろうか。
美姫 「楽しみよね」
うんうん。一体、どうなるんだろう。
美姫 「次回も待っていますね」
待っています!