『とらいあんぐるハート〜無想剣客浪漫譚』




CU]Z シェリーの恋物語〜終〜

 しくじった。
 それがリスティの心に何度も浮かんでは消えていく言葉だった。
 まさかあのタイミングでシェリーが探しに来るなど思いもしなかった。と、いうより下手な現実は小説より奇なりというが、それを実践してしまったと言う他ない。
 学校祭という日にちのため、焦るリスティとは裏腹に歩みは一向に進まない。一応雄大と吾郎にも学園を探すように手分けしているが、このマンモス校を三人で探して見つかるかは五分より確率が低い。しかもシェリーはHGS能力者だ。近づけば逃げる事もある。
「それでも何もしないよりましか」
 人を避けて疾走しながら、リスティは舌打した。
 シェリー、リスティ、朝比奈雄大、甘粕吾郎の四人は、リスティと同じさざなみ寮に住んでいる夕凪からもたらされた学園祭情報に、たまたま休みが重なったため四人で出かける事にした。
 何度か那美の関係で入った事があったが、それでも通っていなかったせいかシェリーと雄大、吾郎の三人は物珍しげに学園祭を見回っていた。
 ただ問題が起きたのが一時間前である。
 喉の渇いたリスティが全員分のジュースを買いに出た時に、荷物持ちとして雄大が名乗りを上げた。
 シェリーと吾郎は休憩所で待ち、リスティ達は近くのジュースを販売している屋台へと足を向けた。
 その帰り――。
 思い出すだけで己の迂闊さを恨む。
 シェリーの気持ちは最初からわかった。
 何せ龍のラボ時代も含めて、生き残ったたった三人の肉親だ。大事にしないわけが無い。
 なのに、あの時だけは失念した。
 それが最大の失敗で、悔やむ以外に何も出来ない無力さを痛感する。
「シェリー……」
 あまりに遅々として進まない足に、苛立ちだけが募っていく。
「リスティさん!」
 そこへ一緒に探していた雄大が駆け寄った。
「何か、学校から出て行ったのを見た人がいるって!」
「SIT! 外に出たのか!」
 可能性を考えなかった訳じゃないが、それでも時間的にまだ学内に留まっていると思い込んだのがいけなかった。
 リスティは舌打をすると、すぐさま窓を開けた。
「リスティさん?」
「雄大は吾郎を連れて一緒に街中を探してくれ。それと海鳴中央病院のフィリスにも一応連絡を入れておいてくれ」
 嫌な予感はする。
 そのためにフィリスを呼んでおくのだが、杞憂であれば良い。そう心で祈りながらリスティはまだ日の高い海鳴の空に飛び出した。

―――――――――――――――――――――――――――――――――――

『じ、実は、自分はリスティさんが好きです!』

 そう雄大が切り出した瞬間、自分の体が自分ではなく汚物に塗れた、所詮はもがいても陸に這い上がれない魚と同じだと実感させられた。
 全身が冷や汗で濡れ簿そり、震える目蓋が溢れてくる涙を堪えようともせずに垂れ流す。
 そのまま走り去る時、HGSの精神感応のストッパーが外れ、リスティが彼女に気付いたが、そんな事よりもすぐさまこの場を離れたかった。ただ近くに居たくなかった。
 結局自分はこの程度だった。
 髪を攫う海風に身を任せながら、シェリーは沈んでいく夕日を眺めていた。最初に自意識を自覚してから欲しいと思ったのは優しい父親と母親だった。次に欲しいと思ったのは自信がもてる事だった。それから幾度と無く願いはあれどまともに適った願いなど一つも無い。ついには最後に願い続けていたものさえ手には入らない。
 いや。
 彼女は頭を振った。
 元々人の心を捉えるのは難しい事だ。だけれどシェリーはこれだけはリスティにもフィリスにも負けたくないと思い続けていた。
 それは別に二人が悪いわけではなく、シェリーが一人で勝手に思っていた決意……いや、執念と言い換えても良かったかもしれない。少なくともそれだけ強い思いだった。
 結局はリスティにもフィリスにも勝てない。
 最後まで残っていた意地のような氷塊が、どろどろと嫌な感情に負けて溶け出しているのを実感する。
 それを実感しただけで、ああ、自分は結局はただ仮面を被っていただけの偽善者なんだと実感できた。できれば一生実感したくなかった感情ではあるけれど。
 日が海の向こうへと沈んでいく。
 まるで今の自分を見ているようで、切なくて今後の身の振り方を考えさせられる。
 少なくともニューヨークへ帰りたいとは思わなかった。そして出張先であるハイパーレスキューにも戻りたくない。
「少し……寒いな……」
 膝を抱え、間に顔を埋めながら海風に冷えた部分に息をかけた。
 ほんのりと温まる。
 しかし、それが自分の心の冷たさとのギャップだと少しでも頭を掠めると、無意識に唇を強く噛み締めた。
「寒いならこんなところにいるんじゃない」
 その時、声がかけられた。
 生まれてからずっと一緒に居て、シェリーの欲しいものを全て手にした最愛で最悪な姉の声。
 その声がシェリーの耳朶を打った途端、氷塊から生まれたどろどろとした暗い感情が鎌首を擡げる。
 ダメ!
 暴れだした感情を必死に抑える。
 元々強かった唇の痛みが更にまして、あげてしまいたい叫びの代わりとでも言うように一筋の赤い線を海風に当たっていてより白くなった肌に刻み付けた。
「どこに居たって……あたしの勝手じゃない」
「そうだけどね。でも無理している妹を見過すほど薄情な姉じゃないよ」
 私の思いを踏みにじり続けている癖に!
 思わず開いた口から飛び出しそうになった言葉を飲み下す。
「そう。だけど一人になりたい時にそっとしておくのも姉の務めじゃない?」
「それが放っておいていい時ならそうするさ。でも、あのタイミングの後じゃどれだけ言いつくろわれても放っておけないだろう?」
 そんなタイミングを作った張本人が何を偉そうに!
 今度は叫びの最初の一文字が空気に乗った。
 拳を握り締め、何を言おうとしたのか訝しげに自分を見つめてくる姉へとようやく振り返った。
 途端、リスティは手にしていた煙草を落とし、普段は真雪並に涼やかな流し目を大きく開け、開きっぱなしになった口は僅かに震えた。
「シェリー……お前……」
「何? あたしがどうかしたの? リスティ」
「気付いて……ないのか?」
「何が?」
 姉の言葉は理解できなかった。何を指しているのか何を意味しているのか。だが、ようやく動いたリスティの指に指された場所を見て、シェリーはようやくああ。と納得した。
「血の涙を流しながら、唇から血を流しながら、拳から血を流しながら、気付いてなかったのか?」
「うん。全然痛くないんだもの」
 そう。痛みなど感じなかった。
 それよりも心が痛いから。
 黒く暗い感情の奔流は、少しでも気を抜けば流されてしまうミシシッピー川の氾濫のようで、そんな氾濫を防ぐために積み上げられた心の堤防を支える方が、シェリーには苦痛だった。
 リスティが好き。フィリスが好き。でも嫌い。大嫌い。何でも持っていってしまうから。でも好き。たった二人の家族だから。でも嫌い。あたしの心まで粉々にしちゃうから。でも好き。ずっとここにいて良いよって言ってくれるから……。
 ぐるぐると回る感情は、本当に苦痛であった。
 目の前にいる姉に対する、これが今まで抑えていた自分の本心なのだと、やはり実感できた。
「お願い。今はリスティの顔見たくないんだ。一人にしておいてくれないかな」
「でも……いや、それもいいか。ならせめてフィリスは側に居させてもいいよな?」
「んーん。一人がいいの」
「……ごめん。それはさすがに賛成できない。今のシェリーは……」
 リスティはそこで言葉を濁らせた。
 普段から歯に衣着せぬ言い回しが得意な彼女だけに、それは珍しいとシェリーは感じた。
「何? 言い難いんだ。それなら心覗くからいいよ」
「いや、まぁ言い難いのは確かだが、言えない訳じゃない」
「そ。なら何?」
 それでもリスティは一瞬だけ戸惑いを見せた後、しっかりとした眼差しで妹を見据えて口を開いた。

――たったアレだけの出来事で、アンタは死んでしまいそうに見せるんだ――。

 その一言は、シェリーから堤防を守るだけの意思を一瞬にして破壊した。

―――――――――――――――――――――――――――――――――――

「雄大! シェリーさんは見つかったのか?」
「ああ! さっきリスティさんからメール入った!」
「フィリスさんには?」
「そっちにもメールで連絡しておいた!」
 一体何時の間にメアド交換を済ましたのか不思議に思うのだが、今はそれよりも優先すべき事があるため、吾郎は雄大が案内する海鳴臨海公園の端にある少々背の高い丘を目指して足を動かした。
「でも、何でシェリーはそんなところに?」
「…………」
 返答は無い。
 だがそれが吾郎には雄大にも原因があるのだと理解させた。伊達に長い付き合いではないのだ。
 そのまま無言で走る事数分。
 ようやく目的地が見えた。
 夕日が沈み、群青色が天井の殆どを支配している空の下、それでも存在感を醸し出す丘を一気に登頂する。
 瞬間!
「うわ!」
「だぁぁぁ!」
 二人の目の前を一筋の雷光が駆け抜けた。
 錯覚かと思ったが、それは足元にある焼け焦げた跡を見た瞬間にその考えを捨てた。
 燃えるという過程を一切省いて炭と化した雑草に、思わず自分が当たっていたら。という想像が脳裏をかすめ、無意識に固唾を飲み込んだ。
 それと同時に、再び雷光が二人から少し離れた木に命中した。こちらはその大きさの差のせいか、縦に半分だけ割れて残った部位が延焼し始める。
 ここに至って、ようやく二人は雷の雨が降り注いでいるという事実を頭に描いた。
「雄大! 少し下がるんだ!」
「あ、ああ! くそ! なんだってこんな異常気象に――」
 雷雨という言葉は、雷と雨が同時に降る激しい自然現象だ。しかし、文字通り雷が雨のように降り注ぐなど、竜巻でさえ起こらない。
 頭の中でこの異常気象が町に向かった事を考え、雄大は背筋をそら寒くした。
「一体原因は何だ?」
 少し下がっただけではあまり慰めにもならない上に、通常の雷と違って物体の高低による落雷とも違うのは、何本か落ちた雷を見て理解した。
 それでも原因がわかれば対処方法が見つかるかもしれないと顔を上空に向けて、そこで硬直した。
「吾郎?」
 周囲を見回し、落雷に当たらぬように動いていた相棒が突然足を止めたので、雄大も注意しながら足を止めた。そして上空を見つめている吾郎の視線を追うように顔を上げて、同じように絶句した。
「ワアァァァァァァァァァァァァ!」
「シェリー! 止めるんだ! こんな事して何の意味がある!」
 そこには雷と同じ色を纏った二人の天使が激しくぶつかり合っていた。
 シェリーは手の平に雷を球体に纏めると、念動力によって高速に打ち出す。激しく圧縮した雷は放電現象を起こして大気を焼きながらリスティへと飛来する。
 それに対して、リスティに交戦の意思はなく、薄い雷の防護膜を雷球の前に展開すると、角度をつけて別方向に受け流した。雷球はリスティに戻る事無く飛来し、そして球体に纏めていた力が弱まると、そこで雨のように雷を地面に降り注いでいた。
 先程から降っている雷の正体は理解した。
 だが、次に浮かんでくる疑問は、何故姉妹でここまで激しく、命のやり取りをしているのか? という点だ。
「シェリー! 何やってんだ! 止めろ!」
 雄大が叫んだ。
 しかし聞こえていないのか、上空の二人は一向に交差するのを止めない。
「一体どうしたってんだ……」
 思わず額を抑えて唸る雄大に、ややあって吾郎が口を開いた。
「一ついいか?」
「シェリー! ……って、何だ? 今忙しい!」
「リスティさんとお前の間で何があった?」
 シェリーを止めようと大きく息を吸い込んだところで、吾郎はじっと感情を表に出さない、まるでレスキューの現場にいる時のような冷静な眼差しで固まった雄大を見据えた。
 吸い込んだ息は言葉になることなく、ゆっくりと吐き出されていく中で、質問された雄大はバツの悪そうに後頭部を掻いた。
 その動作だけで、吾郎は理解した。
「……そういうことか」
「そういうって……どういう事だよ?」
「雄大、リスティさんに交際を申し込んだな?」
「!」
 絶句した。
 吾郎に一切相談はしていない。それにリスティと会ったのは休日にほんの数回だけで、その場には必ずシェリーか吾郎が一緒だった。なのに彼は騒動の確信を一撃で射抜いてきた。
 雄大のそんな反応に、本当に合点のいった吾郎は、今度は大きく息をついた。
「やっぱりか。そんな事だろうと思った」
「えと、なんでわかった?」
「普通はわかる。お前、初めてリスティさんに会った時から、そうだな……。漫画風に表現してお前にわかるように言うと、目がハートマークになっていた」
「う……」
「それだけじゃなくて、シェリーが突然消えた事、お前とリスティさんが同時に慌てて探している事など考えれば、リスティさんに告白した現場を目撃したシェリーが逃げたと考えるのが妥当だ」
「いや、待て待て!」
「何だ?」
「大体なんでシェリーが俺の告白現場を見て逃げるっていう発想になるのかわかんねー! 今の話だってお前の想像だろ? だったら……」
 そこまで口にして、雄大は吾郎が盛大に溜息をついているのに気付いた。
「……気付いていなかったのか。いや、相手は雄大だ。それが当然だったのかもしれないが……」
「あん? 何言ってるんだ?」
「いいか? 仕事関係は順調だし、家族仲も悪くない。……まぁ若干の主観はあるだろうが、概ね誰に聞いても同様の感想を抱くだろう。その中で今のシェリーが取り乱すなんて理由は一つしかないんだ」
 そこで言葉を切り、吾郎は上空の二人を見た。
 つられて雄大も上空を見上げる。
 片や必死に妹の説得を試みる姉。
 だけども妹は、思わず世界の全てに絶望したような、切なげな咆哮をあげていた。
「……嘘だろ?」
「いや、事実だ。一緒にいた俺だからわかる」
 揺ぎ無い完全な回答。
 普段であれば雄大はにやりと笑いながらつっこめる返答であったにも関わらず、頭に浮かんでいた回答に心を奪われていた。
「それじゃ、俺はシェリーを傷つけた……?」
「仕方ないだろう。こればかりは当事者同士の心の問題だ。どっちに転んでいたとしても誰かが傷つく」
 さも当然とばかりに言葉にする。
 しかし、見上げていた視線は、シェリーに優しげに見つめていた。
「いいか? 別にお前が悪いわけじゃないんだ」
「で、でも、俺は気付かなかった」
「言葉にしなかったのはシェリーの責任だ。雄大の所為じゃない」
「でもよ……」
「でも、も何もない。いいか、恋愛沙汰は……」
 そう雄大に視線を落とした瞬間、吾郎の体は反応していた。咄嗟に肩からタックルするように雄大の腹部に体当たりをしていた。
「いた! 吾郎、一体なんだ……」
「うがああぁぁあぁああぁああぁぁぁぁぁぁ!」
 地面に倒れた雄大は、全く心構えのできていなかったところの攻撃に、面を喰らったように抗議の声を上げようとして、言葉は吾郎の叫び声に打ち消された。
 雄大の死角から飛来した雷球の一撃を全身に受けた吾郎の悲鳴に――。

―――――――――――――――――――――――――――――――――――
 憎かった。
 私が必死に掴みたいと思っていた物をあっさりと手に入れておきながら、アレだけなんて簡単な物のような言い方をしたリスティが。
 憎い。
 憎い。
 憎い!
「何でもかんでも手にいれた癖に、アレくらい? ふざけるなぁ!」
 一度だけ龍の実験別実験体選定の際に作った雷球。三姉妹の得意技であるサンダーブレイクを球体にする事で、破壊力を増した技。シェリーはそのままサンダーボールと名をつけた。
 サンダーボールがシェリーの周辺に数個同時に具現化する。それを見たリスティが雷を前面に壁のように展開した。瞬間、サンダーボールが命中した。
「くぅ!」
「私は、耕介さんが好きだった! 愛さんが好きだった!」
「シェ、シェリー?」
 撃っては生み出し、撃っては生み出しを繰り返していく攻撃に防戦一方になったリスティの耳に、そう慟哭ににた叫びは飛び込んだ。
「でも、すでにリスティが養子になって、二人とも奪っちゃって……。フィリスは矢沢先生の家に行って……。私だけはいつも何もなかった!」
「シェリー?」
 攻撃は続いている。
 しかし、そんな爆音の中で、はっきりと聴いた言葉はリスティを硬直させた。
「それで……それで……。ようやく見つけた好きな人もリスティが持っていく! そうやって私にはいつも何もない! 本当に何も!」
「そんな事は無い! 確かに家族という括りにはならなかったかもしれない! でも、耕介も愛も、皆シェリーの事が……!」
「そんなの関係ない!」
 シェリーはリスティから見えない自分の背中にサンダーボールを生み出すと、それを叫びに乗じて物質移動させた。
 ――その場所はリスティの背後。
「私が望むものは一つとして手に入らないんだからぁ!」
「シェ……ぐあぁ!」
 涙が零れた。
 叫んだと同時に溜まっていた涙が堰を切って頬を伝う。
 その様子を見て、一歩前に進んだリスティを背後からサンダーボールが直撃した。
 妹の名は苦痛に打ち消され、壁は途切れ空中で崩れた体勢が重力によって地面へと引き寄せられる。
「せめて一つくらいくれてもいいじゃない――!」
 だが暴走しているシェリーは止まらなかった。
 瞳を強く瞑り、容赦なく力を込めたサンダーボールが姉を襲うために飛来する。
 そんなサンダーボールを目の端に捕らえるや、距離を取るためにリスティは瞬間移動した。自分の体の先に雄大達がいる事など気付かずに。
 だから、目蓋を閉じたシェリーと瞬間移動したリスティが、彼の悲鳴を聞いたのは同時だった。
 雷に体性が無く、放電によって白色に輝いた光の中で、吾郎の叫びは、周囲に響き渡り永遠に拭い取れないような苦悶の色を耳朶と脳裏に塗りこんでいく。
 そして永遠に続くかと思われた叫びは、力なく地面へと倒れた吾郎と共に収束した。
「吾郎!」
 ぽかんと事態を見ていた雄大が慌ててかけよる。
「待て! まだ体内に電気が残っている! そのままだと感電するぞ!」
 吾郎に触れようとした瞬間、後ろに瞬間移動してきたリスティに手を止められ、雄大は苦々しく唇を噛み締めた。
 彼の仕事はレスキューだ。
 しかし、何も装備がなければ雷に打たれ、痙攣している友人一人助けられない。その事実が唇を強く噛み締めさせた。
「なら、どうやって吾郎を助けるんだ! アイツは俺の代わりに雷を食らって……!」
「私がアース代わりになって、電気を地面に放流します。少し待っててもらえますか?」
 呆然とするシェリー。雄大の手を押さえているリスティではない第三者の声が唐突に響いた。
 三人が振り向くと、そこには真面目な表情を浮かべたフィリスが立っていた。
「リスティ、雄大さんを連れて少し浮かんでてもらえますか? シェリーも少し地面から離れててください」
「ああ」
「…………」
 シェリーからの返事は無い。
 その様子をちらりと見てから、フィリスは吾郎の手に触れた。途端、全身に激しい電流が流れ込んでくる。しかし、元々戦闘用として高圧電流を一身に受けた経験のあるフィリスには、まだ許容範囲であった。
 特に苦悶の表情を浮かべるでもなく地面に手を突き刺すと、体内にある電流に方向性をつける。たったそれだけの事で、電気は地面へと消えていく。
 その感覚を瞳を閉じて感じながら、空いている手で吾郎の手首を握った。
 殆ど脈動しない血管。
 しかし、それでも生きていると叫ぶように、確実な鼓動はそこにあった。
「……とりあえず、電流が無くなったせいか、脈が安定しました。これでひとまずは安心です」
「本当っすか? 吾郎死なないっすか?」
「ええ。大丈夫です。サンダーボールの放電現象に巻き込まれたので、それなりの火傷は負っていますが、別段命の危険はないです」
 融解している服を裂き破り、簡単な触診をしながらフィリスは嘆息した。
 吾郎の体はまるで恭也のようにバランスよく筋肉がついていた。そのおかげで強靭な心肺機能が維持され、直撃を凌いだのだろう。電流を地面に流して僅かしか経っていないのにあっさりと脈が正常に戻っているのもその証拠だ。
 ほっと胸を撫で下ろす。
 どんなに時間は短くとも、知り合いが亡くなるのは見るに忍びない。
(とにかく、今は私にできる治療を全て行わないと!)
 雄大から届いたメールを見て、咄嗟に鞄に詰め込んだ応急セットを開くと、そのまま真剣な眼差しでフィリスは治療に没頭した。
 その様子を、ぼんやりと遠くからシェリーは眺めていた。
 あの日。
 龍から開放されて、三姉妹は己の力を人々のために役立てたいと心に誓った。
 人を救うため、悪を倒すため。
 自己満足以外の何者でもない誓いは、それまで幾多の人々を無下にしてきた自分達への贖罪でもあった。
 一人姉妹と離れニューヨークに渡った時も、シェリーは一人だからこそ、今まで以上に己を律してレスキューに尽力してきた。
 必死になって絶対に誓いは破らないと心に秘めて、今まで数年間を一気に駆け抜けて……。
「結果がこれなんて、くだらない事考えてないかい?」
 HGS無しで心を読まれたかのように言い当てられ、シェリーの肩はびくりと震えた。
 何時の間にか隣に寄り添うように立っていたリスティは、そんな妹を一度見てから、視線を吾郎へと向けた。
「誓いなんてどうしても破らなければならない時はくる。どんなに叫んでも是非が問われる時がね。アンタの場合はこんな形で崩れただけだよ」
「……ティは」
「ん?」
「リスティは誓いが崩れた事あるの……?」
 必然の上に成り立つ選択ではなく、偶然から生まれた悪戯によって、心を支えていた根底にあるものが崩れた衝撃は、今も膝から地面に崩れてしまいそうになる。
 その様子を姉の優しい眼差しで見つめてから、小さく口元で微笑んだ。
「ボクもたった今破れたよ」
「……え?」
 呆然とした表情は変化しないまま、シェリーはリスティを見た。
 彼女は懐から取り出した煙草を咥えると、火をつけるや大きく煙を吸い込んで吐き出した。
 紫煙はゆっくりと大気に散り消えていく。
 その様をぼんやりと見つめながら、姉の言葉を待った。
 目の前では吾郎の応急処置が続いている。
 その喧騒に掻き消されると思うくらい小さな声がシェリーの耳に届いた。
「……ボクは絶対に妹を泣かせないと誓ったのさ」
「リスティ……」
「フィリスは自分の目の前で誰も死なせないと誓った」
 その誓いも、吾郎が無くなれば破られる。
 自分のせいで姉妹の誓いが破られていく事実に、打ちひしがれた心が冷水を被ったように凍え震えていく。
 顔から血の気が引いていくのが自覚できるシェリーを、リスティは大きく息をついて見つめた。
「確かに、今回はシェリーのせいでこうなったかもしれない。でも、全く他の要因で破られるより遥かにマシだよ」
「……何故?」
「何故? 決まってるじゃないか。ボクはシェリーが好きだからね。君に破られるならまだマシだと思えるからさ」
「強いね……」
「そんな事は無いさ。龍の頃のシェリーに比べればね」
 何気なく続いた言葉は、シェリーの心にトドメを加えた。
「!」
「……すまない。ボクとフィリスは知っているんだ。シェリーがどんな思いであの地獄の中を生きてきたのか」
 龍。
 それはリスティ達三姉妹にとって、絶対に忘れえぬテロ組織の名だ。
 幼い頃より強大なHGS能力を有していたリスティは、龍に売り飛ばされるようにして組織に属し、そこで彼女の細胞から幾人もの同一染色体所有者――つまりクローンを作成した。
 オリジナルであるリスティは指揮固体として理性と意識を残し、クローン体はそこから感情を一切排除された。そしてクローン体は各々に様々な人体実験を課せられることになる。
 最初のアルファはHGS能力の極大化実験。
 次のベータは逆にHGS沈静化実験。
 その中で最後に位置するオメガとして生み出されたシェリーに与えられたのは、生殖実験であった。
 どのような人種との交配がより強いHGS能力者を生み出すのか。年齢は? 妊娠した場合に胎児が生み出す能力の母体に与える影響は?
 強制的に排卵を行わされ、幼い頃から実験を繰り返されてきたシェリーの体は、僅か十歳になる前にボロボロに使い古されていた。
 幾ら意思を排除したとはいえ、未成熟の女の子が受ける仕打ちとして、どれだけ心を破壊されたのだろうか。
 いや、シェリーだけではない。
 フィリスは戦闘力増加を元に実験を行ったため、完全な制御を行う脳手術を何度も受けさせられ、他のクローン体も命を生きながらえた者は殆どいなかった。そういう意味ではリスティ達は運がよく、未来を与えられただけでも十分な幸運と言えよう。
 しかし、美沙斗によって龍が壊滅へと転がり始めて数ヵ月後。
 とある山中にあった研究所の破壊の手伝いをしていたリスティが目にしたのは、妹であるシェリーから取り出した胎児や出産させられた子供達の処遇の成れの果てであった。
 激昂した。
 激しく高ぶった感情に、目の前が真っ赤に染まる。
 それでもいつも笑っていたシェリーの笑顔を思い浮かべると、本当に悲しいのは自分ではないと冷静さを取り戻せた。
 海鳴に戻った彼女は、フィリスに相談した。
 本来は一人の胸に秘めておくものだったかもしれない。
 だが、龍による痛みは三姉妹が一番知っていた。
「だから、ボクはフィリスと誓い合ったんだ。絶対にシェリーが笑っていられるようにしようと。本当はボクやフィリスが受けていたかもしれない痛みを受けて、それでも笑っていられる妹のために。ってね」
「それは――」
 ただの同情じゃない? そう問いかけようとした時、リスティは首を振り、フィリスは言葉で否定した。
「そうじゃないわ。確かに傍目からは同情にしか見えない。でも、私達はオナジナンダモノ。成長の仕方は違うけれどそれでも私達は……」
 私達は三人でもあり一人でもあるのだから――。
「そうだった……ね」
「それに、ボクがあれくらいって言ったのは、ちゃんと意味がある」
 そう繋げて、リスティは目蓋をゆっくりと開いた吾郎を指差した。
「吾郎!」
 雄大が満面の笑みと涙を流しながら、吾郎の手を握った。感電したため感覚が鈍くなっているのか、その手にゆっくりと視線を送り、それから吾郎はシェリーを見て、にこりと弱弱しいながらも綺麗に微笑んだ。
「失恋は痛いよ。ボクも経験あるから。でも、必ず自分を見ていてくれている人がいる。だからあれくらいで泣かないで、頑張ろうって言おうとしたんだ」
 遠くで夕日が完全に地平線の向こうへと姿を隠した。
 灯代わりに灯したリスティの念動力の光は、闇に染まり始めた空の下で煌々と輝いている。
 その隣で、シェリーは空を見上げた。
 そこにあるのは闇だ。
 だが必ず夜が明けるという約束された明日に続く闇だ。痛みは人それぞれに違う。だけど自分を一番知っていてくれている姉妹と、体を張って自分を止めてくれる友人がいる自分は、どれだけ満たされているのだろう。そう考えると、自然と涙が零れた。
「リスティ」
「ん?」
「フィリス」
「はい?」
「雄大」
「を?」
「……吾郎」
 そこに居る大切な人たちの名と顔を見つめながら、それでも何処か清々しい表情を浮かべたシェリーは一言、言葉を落とした。
 それは優しい風に包まれながら、海の向こうへと運んでいった。




ようやく上がった〜。
夕凪「八割出来てたっていってた割りに、随分時間かかったわね」
うん。あの後で妙に筆が進んで、予定の四倍になっちゃって。
夕凪「ほう?」
んで、結局はしょった。
夕凪「アホかい!」
だってな〜。来年はもう最終部の開幕にいきたかったから、どうもね〜ってわけで、構成を全部ぶったぎって、必要事項だけ繋ぎ合わせていたら、こうなりましたw
夕凪「あ、アホだ……。本当にアホだ……。そのまま投稿したらいいだろうに……」
や、それも考えたんだけどね。できるだけ二百話でENDマークつけたいなぁと思うし。サーバーの容量もあるしね……。
夕凪「……確かに、そこを考えたら厳しいかなぁ」
でしょ? とりあえず、シェリーが一番三姉妹できついよね。って部分の事実を入れられただけでOKですよ。
夕凪「シェリーさん、可哀想だなぁ……」
大丈夫、ハッピーエンドがモットーの璃斗さんですよ。幸せなENDは約束しまっせ〜。
夕凪「あたしも?」
…………。
夕凪「何故無言なんだぁ!」
ぐはぁ! 久々に二重の極みくらったぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!

(璃斗、遥か彼方に吹き飛んで行き、そのままフェードアウト。後で、雑記で美姫さんにやられた傷がぁぁぁ! と叫び声がこだました)



容量なんて気にするな!
美姫 「爽やかな笑顔で何を言ってるのよ」
いやいや、実際容量は全然問題ないんだよ。200話でも300話でもドンと来い!
美姫 「さて、今回はシェリーの話ね」
だな。ちょっぴり悲しいお話だったけれど、三姉妹の仲は見ていてうるうるだよ。
美姫 「本当に良いわよね、姉妹愛」
うんうん。さーて、しんみりはこの辺にして、次回はどんなお話かな〜。
美姫 「次回も楽しみにしてますね」
待ってます。



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