『とらいあんぐるハート〜無想剣客浪漫譚』
CXW 高尾山の悲劇 〜心の持ち様
細かい技などすでに頭の片隅に追いやった。
美由希は両手に持つ二刀の小太刀に力を篭めると、森の木の反動を利用して右肩に狙いを澄ます。
だが劉閻は槍の石突を軽く持ち上げるだけで体重の乗った一撃をあっさりといなした。
「ふん。どうやら腕を上げたな」
「お蔭様……と、言っておきます」
槍の柄に沿って反対に飛びずさると、幹を駆け下りて地面に降り立った。
彼是十を超える交差を行ったが、美由希は硬気功を警戒して思い切りのいい攻撃をできず、劉閻もまた素早さが売りである美由希に合わせるよりは。と、動かずにいる。
それを理解した上で美由希は山岳地帯でお情け程度ではあるが階段に腰を据えている敵を含めた、現状を頭に立体として考慮する。
相手の戦闘レベルは間違いなく自分よりも上だ。もしかしたら恭也に匹敵するかもしれない。そんな相手を敵に回して勝利を収めた事は生まれてこの方、一度きり。だがその時に使った奥義はぽんぽんと利用可能なものではなく、尚且つあの瞬間以降一度も自分の意識下で利用できた事もない。そうなると残された手段は硬気功を解除させ、そこに最大の奥義を叩き込むという選択肢が残るのだが、如何せんそれもまた苦難の道である。
「後は確立の問題……かな」
前者が良いか後者がいいか。
殆ど変わらない数値に、思わず苦笑が浮かぶ。
だがそれと同時に強い者と闘えるという喜びもまた、心に満ち溢れてきた。
自分にもこんな感覚が存在していたのか。と、驚きを感じると共に、神谷道場で一志に言われた言葉が蘇る。
一度大きく深呼吸をし、体中に満遍なく酸素を行き渡らせると、美由希は再び動き出した。
劉閻は視界を点から面へと移行させ、待ちの姿勢を崩さずに穂先を下に向ける構えを取った。
御神流の中でも美由希は素早さにかなりの重点を置いているのは海鳴での戦いで理解している。だがあの時だけでもかなりの速度を持っていたため、それ以上の速度増加など考えもしていなかったのだが……。
(あっさりとそれを上回ってくるか)
左右から襲う連撃を丁寧に受け止めながら、急に下方から伸びてくる刃を斧部分で弾く。そこに若干の崩れを感じて力で制御した槍を重力に任せて落とす。狙いは首ではなく腕である。
しかし刃は腕でも小太刀でもなく地面に数センチの溝を穿った。
「何?」
間違いなく今まで、そこに美由希の細い腕はあった。だが刃が落ちるものの一秒に満たない瞬間に、彼女の体毎消え去ったのだ。
劉閻の意識が瞬時に索敵へと移る。
その聴覚に聞えた砂利を踏む小さな音に、体が反射的に石突を強めに後ろに引っ張った。ごりっとした硬い感触が柄を通じて手に伝わる。仕留めはしていなくともそれなりに打撃を与えたと、振り返ろうとして顔に影がかかった。
それが何なのか理解するより早く、直接頭を揺らされた衝撃に劉閻の柳のような体が揺れた。
そこに美由希の一撃が空を切った。完全に体が開いた劉閻には確実な一撃となる……筈だった。
だが手に走ったのは金属同士の打ち合った固い衝撃。
防いだのは一種の奇跡のようなものだ。
傾いた体に合わせて石突が上へと持ち上げられた。そしてこちらも空中にいて一撃分の体制維持しか持ち合わせない速度での移動を成功させた小太刀が、そこに命中したのだ。
その一瞬で彼は体勢を整えると地面ごと刃を美由希へと跳ね上げた。
しかし手首の回転だけで振り上げた槍など今の彼女に通じるはずもなく、美由希は自重を右手に落とすと草の生える坂を数回転がってから立ち上がった。
「……まさか顔を刀以外で狙うとはな……」
十分な間合いを取られた事で余裕が互いに発生した中、劉閻は血が流れ出した鼻を少しだけさすった。
二度の戦闘で美由希の最大の武器は小太刀であるのは理解していたが、根本的な部分で劉閻は勘違いをしていた。それは美由希が剣術家だと思い込んだことだ。
剣術家はあくまで剣で闘う事を前提に体を動かす。
だが美由希が習っている御神流は、古流体術を基盤とした暗殺術の一つだ。あくまで小太刀は利用する武器の一つであり、一番の目的である相手を倒すという思想の元に体術を利用する事もたびたび発生する。
それを失念したのは劉閻の油断であり、何処となくそうなのであろうという憶測を捨てて見た目に頼り切った驕りだ。
口元に到達した血を手の甲で乱暴に拭い去ると、劉閻は槍を頭上で回転させた。
目からはそれまであった見定めるという遊び心は完全に消え去り、武芸者として相手の前に立った真剣味が代わりに浮かび上がる。
(雰囲気が変わった?)
「失礼したな。まさか……クク。たった二ヶ月でここまで化けるか……」
着地の姿勢のまま、変化した劉閻に美由希の表情が引き締まる。
それを見て再び劉閻は口端を歪めた。
いや修練ではないか。心構えを正すだけで……元々これだけのポテンシャルをもち得ていたのか。
彼女から噴出す雰囲気に変化はない。
あるのは引き締められた眼差しのみ。
「さぁ続きと行こう」
宣言と共に、今度は劉閻から動き出した。
槍術や昆術の基本であり奥義は、その引きと刺しにある。
刀にはない長距離レンジを生かして、ヒットアンドアウェイを高速で繰り返す事で、美由希の動きを止めにかかる。
だが美由希もまた甘んじてそれを受けることはしない。
左右の小太刀で槍を捌きながら、懐へと飛び込もうと円を描くように移動していく。
劉閻の槍が突き出されるたびに、樹齢何十年を数えた木々が、まるで粘土細工のように砕け飛ぶ。前に海鳴で戦った時は相手に飲まれすぎて気付かなかったが、今の美由希には力の正体が回転だとはっきりと見えた。命中の直前に手首だけで半回転加える。たったそれだけの仕草で破壊力は数倍に膨れ上がるのだ。元々の腕力もあったのだろうが、それにしても彼女が知りうる限り最高の威力と見えた。
(だけど、おかげで動きやすい!)
木を使った全方位の攻撃は利用できなくなったが、代わりにスピードを生かした三六〇度攻撃は可能だ。そこに緩急をつけるだけで神速を使わずとも、相手を撹乱させることが出来る。
上半身を綺麗にスウェーさせながら、体を広くなったスペースへと躍らせると、槍もまた一歩の遅れもなく美由希についてきた。そこから交わし、逸らし、弾き、受けながら足の回転速度を神速の意識領域ギリギリまで高めていく。
元々神速は意識と実時間の流れを精神力で分割し、緩やかに感じられる視界領域の中から死活を有無歩法の奥義である。おかげで神速中は動きに制限がかかってしまうが、この境界線の上でならば、意識と動作の時間軸を分割せずに済む。気付いたのはつい最近で、まだ恭也にすら教えていない。
槍の穂先が頬を薄く切り裂いた。
鮮血が視界の端を真後ろへと走っていく。
だがぬぐう事をせず、美由希は一歩前に踏み出した。
劉閻まで後三メートル。
と、ここで美由希ははたとある事に気付いた。
彼は硬気孔を習得している。それは前回の戦闘で立証済みであり、前は未完成だったがそれから二ヶ月も経っているため、完成したと思って間違いないだろう。と、すると、技の命中瞬間に硬気孔に入られた場合、美由希の技は通用しない事になる。剣心が居た時は二点同時による意識の分配により事なきを得たが、この状況下ではそうも行かない。
(そうすると……後打撃を与えられるのは……)
さっきの蹴りのような予想しない一撃。
わざと筋肉の薄い顔を狙ったのもあるが完成系の硬気孔のため、意識した箇所を硬気状態に移行させられるのではないだろうか。
その推論は正解していた。
元来硬気孔は全身を多い鎧の役割を果たさせる。だがあまりに筋肉を硬化させるため、柔軟性に乏しく、動きの鈍いものになってしまった。それにより硬気孔は鎧よりも盾的な役割を担う事が多かった。劉閻もまた過去に習い打撃の受ける部分を瞬時に判断し、一点を硬化させる方法を取っていた。
だが予想させない一撃など、今の美由希には思いつかなかった。
そうこう頭をフル稼働させている合間にも、広く周囲を利用できるのが功を奏したのか、じわりじわりと劉閻へと近づいていく。
どうしよう……。
ここには剣心も恭也もいない。
己一人だけでどうにかしなければならないのだ。当たり前だ。だがこれまで、完全に一人であった事などロンドンで父・士郎を殺害した爆弾魔の手先を倒した時以来だ。この間の海鳴決戦の時は蓮飛や晶という前置きがあった。その前の黒笠の時は彼女ではなく恭也と……。
そこまで思い出して、その時の剣心を思い出した。
(あれができれば……。でもできる? 似た技はある。後はアレンジを一発で成功させるしかないけど……)
心が弱気に包まれる。
それも仕方ない事だろう。練習という下地のない技など不安と不確定要素の塊でしかない。しかし相手はあの劉閻である。それくらいの賭けをせねば勝てないだろうと腹を括った。
そして劉閻もまたそんな気の変化に気づいた。
(くるか?)
それなりの速度得意の速突を繰り出しているが、その全てをいなす美由希に背筋を震わせながら、それでも楽しい一時の終焉が近い事に武者震いが走る。ならば最高の突きを持ってそれを受けねば武人ではないのだ。
美由希の動きが横から斜めへと移行した。
合わせるように突きが威力と速さを増す。増した槍は風圧すらも味方につけて美由希の細い体を煽る。穂先に触れていないのに白い柔肌に無数の紅の筋が浮かび上がる。それでも彼女の視線はただ一点を見据えていた。
そして二つの体が交差する――!
槍の引きに合わせ、しなやかな体が地面を這う。穂先についている刃が、獲物を狙う鷹のように鋭い牙を地面から数ミリの位置へと居場所を変える。それを重ねた小太刀をぶつけ刃同士を滑らせた。
小さい火花と金属の擦れる耳障りな高い音が森に響く。
それに意を返さず、槍の柄にたどり着いた美由希は柄を支点にくるりと体を浮き上がらせた。
体が軽い。
前は圧倒された劉閻を相手に、今は己の方が速度で上をいっているという絶対的な自信が湧き上がる。
ああ。そうか。強い人と闘って勝つために、自分の長所を生かさなければならない。そして生きている長所は、どんな時でも最高の相棒なのだ。と、美由希は初めて理解した。
槍が戻る。
鉄の塊である柄もまた、槍では重要な武器の一つだ。
耐えられる筋力を使い、劉閻は槍を美由希へとぶつけにきた。
それが彼女が望んだ一撃と知らずに!
神速!
目の前に柄が映る。
だがビデオをスロー再生したようなそれは、すでに美由希に命中するものではなかった。自分の体を拘束しようとするゼリーの中を泳ぐ感覚を力任せに捻じ伏せて、柄の反対側へと躍らせる。持っていた小太刀は逆手で鞘の中へと納刀すると、神速の意識領域に色が戻った。
途端。暴風が髪の束を幾つか奪い去った。
だが気にしている時間など存在しない。
視界にあるのは槍を振り切り、無防備な懐を晒している劉閻だけ。
奥義之陸!
腰差にされた小太刀が黒い旋風となって解き放たれる。
薙旋!
的確な二連戟が劉閻の体に命中した。
しかしすでに予定準備を整えていたのだろう。手ごたえは硬く、そして傷など切れた衣服の隙間には微塵もなかった。
劉閻の目が光る。
「ここまでか! 楽しかったがまだ足りなかったな!」
槍を持った腕の筋肉が倍に膨れ上がる。後はこのまま叩かれれば小さい美由希など一撃の下に頭蓋を砕かれて死ぬだろう。
だというのに……美由希は笑っていた。
こんな状況下で笑顔を浮かべる武人は、これまでも見てきた。だが、彼女が浮かべている笑顔の質の違和感に自分に触れている小太刀に視線を落とし、そして理解した。
(二連の――小太刀を納めた鞘だと!)
鯉口を白魚のような指が弾く。
薙旋・変化!
ようやく出番を迎えた刃は硬気孔の纏われぬ右大腿部と槍の支点となっている右上腕部へと煌いた。
双龍閃・雷!
それは黒笠を倒す時に剣心が使った技。
剣戟から鞘打ちへと移行するのではなく鞘打ちから剣戟へと変わる二段抜刀術。
深々と切り裂かれた二箇所から血液が噴出した。
「ぐおぉぉぉぉ!」
超重武器を持つには二つの条件が必要となる。筋力と足腰である。武器をささえる筋力の他に常に体を支え地面を踏みしめる足腰が必要不可欠だ。その二つを同時に失い、劉閻はその巨体を地面に倒した。
やった……?
どこか夢心地の感触が手に残る。
相手を殺さず、自分の実力を試すように決着を着けられたという事実に、心はまだ何処かに置き去りにされた気分だった。それでも頭の片隅に残った己の使命に、美由希は体を起こす劉閻へと視線を落とした。
「前に……私を助けてくれました。だから今日は借りを返します」
「見逃す気か?」
槍の突きで株しか残っていない木に背中を預けながら、劉閻もまた美由希を見上げた。
「見逃す……結果だけみればそうなりますが、借りは返さないと私の気が済みませんから」
「自己満足か」
「そう取られてもしかないです」
「だが、お前が今回の勝者だ。好きにしろ」
それ以上言葉を使う気はないのだろう。押し黙ったまま応急処置を進めだす彼に、一度だけ頭を下げて美由希は山の中を駆け出した。
見る見る間に姿が消えた彼女と入れ違いに、笑顔を張り付かせた雅孝がいつの間にか劉閻の隣に立っていた。
「あ〜あ。いいんですか? 見逃しちゃって?」
「構わん。あれはまだ強くなる」
「強くなるって……志々雄さんの邪魔になったら困るですけど……」
「気にするな」
「いや、しますってば」
言葉と違い、大して困っている様子はない。
何故なら雅孝も知っているからだ。劉閻がまだ本気ではないと。本気のように見せかけて美由希の状態を確かめただけなのだと。
「それにしても、結構深くやられましたね」
「ああ。予想以上だ。これでこそ、ようやく俺は自分の限界を試せる」
根っからの武人でしかない己の同僚に溜息をついて、雅孝は主人がいるだろう方向を見た。
決着は、もうそこまで迫っていた。
美由希の勝ち〜。
美姫 「でも、まだ本気じゃなかったみたいね」
だな。だが、今は美由希の勝利という事で良いだろう。
美姫 「そうね。さて、美由希の方は何とか決着がついたけれど…」
さてさて、次回はどんな展開になるのかな。
美姫 「次回も待っていますね〜」
待ってます!