『とらいあんぐるハート〜無想剣客浪漫譚』




C]V 高尾山の悲劇 〜縮地VS神速

 森の中に剣音が響いた。
 しかし一度や二度ではない。三度、四度と響く。
 木々の隙間から牽制のために飛針が葉を打ち抜きながら瀬田雅孝に迫る。
 だが雅孝もその程度では笑みを絶やさず、剣を軽く上下に振るだけで全て弾き返した。「やはり、あの男には小細工は意味がない、か」
 まるで知人に挨拶するような雅孝の名乗りから数分。
 すぐに斉藤一からもたらされた情報の中の一人と目の前の男の情報を合致させた恭也は、数回のやり取りの後身を隠すように森に潜んだ。そして飛針と鋼糸を使って拘束を考えるが、全て看破されてしまった。
「あの〜僕もそろそろ志々雄さんのところにいかなくちゃいけないですし、出てきてくれませんか?」
 どうやら時間を稼ぐという恭也の目論見も、すでに見透かされているらしい。
 恭也は小さく溜息つくと雅孝の背後に姿を見せた。
「ああ、ようやく出てきてくれましたね。もう僕も行っちゃおうかどうか迷っちゃいましたよ〜」
 あくまで笑顔を絶やさない雅孝に、妙な違和感を感じつつも無言で一刀をしまい、小太刀一刀で正眼に構える。
「ん〜、無反応ですか? 何か高町さんって志々雄さんみたいだなぁ。無口だけど間違ってないっていうか。でも、やっぱり殺しを行っていても、綺麗事で纏めている貴方は、間違ってますよね」
「間違い、だと?」
「ええ。所詮この世は弱肉強食。強い者が生き弱い者が死ぬ。それが自然の摂理です。でも弱い者を守るという行動、しかも家族ではなく赤の他人を守るのは自然の摂理からかけ離れたものです」
「だが、俺達は人間だ。そんな本能だけの生き方などできはしない。逆に本能だけの生き方など人という進化した種から離れた考えじゃないのか?」
「確かに、人は理性というものを持ちました。でも実際はどうです? 法という理性で定めたものをあっさりと破って本能の赴くままに悪事と呼ばれる行為を謳歌する人間がわんさかです。結局のところ、野生と本能から人間が離脱できてない証拠じゃないですか?」 どんな生き方をしてきたのだろうか?
 雅孝と言葉を交わし、瞬時に心に浮かび上がった疑問がこれだった。
 そして弱肉強食という摂理を口にしても変わらず浮かべている笑顔。それが妙に違和感を与えているのだ。
「とりあえずこれ以上時間とっちゃうと志々雄さんに怒られるかもしれないし、そろそろ行かせてもらいません?」
 すらりと刀が鯉口から放たれる。
 一切の曇りもなく磨き上げられた刀身は、木漏れ日すらも十分な光量として反射した。
「断る」
 それでも恭也は一言で回答を示した。
 一瞬の躊躇なく飛び出た答えに雅孝はぽかんとした表情を浮かべたが、すぐにいつも通りの笑顔へと戻った。
「そうですか。ならやりましょうか」
 その声は恭也の耳元で聞こえた。
 ぞくりという悪寒が走り抜ける間もなく、脊髄反射によって体が右へと倒れこむ。そこへ白刃が引かれた。その合間はわずか一秒未満。
(いや今の段階で考慮するのはそこじゃない)
 首筋から少しばかり生暖かい液体が流れているを感じながら、体制を即座に立て直す。しかし顔を上げた時には、すでにその場に雅孝の姿はなく――。
「どちらを向いているんですか?」
 またしても背後から感情の篭らない声。
 だが一撃と違い、今度は頭の奥でバチンとスイッチが切り替わる音が聞こえた。途端に視界はモノトーンに覆われ、体がゼリーの中を必死に泳いでいるような重々しい神速の世界に思考が突入する。完全に戦闘域に入ったおかげで首目掛けて動く刀がはっきりと確認できる。今度は右に転がるのではなく刀の下に抜けて返す刃で後ろにいるであろう雅孝に向けて切り上げる。
 しかしそこで恭也の視線は信じられないものを目撃した。
 完全に一般的な時空感覚レベルから逸脱したはずの彼の動きに、雅孝の瞳が反応したのだ。首を狙っていた刀が小太刀と体の合間に滑るように入り込む。瞬間、鍛鉄同士が衝突した衝撃が二人の腕をびりびりと伝う。
「くぅ!」
「あは。すごいですね。僕が反応しかできなかったなんて、貴方が初めてですよ」
 一度志々雄と正面をきって刀をぶつけ合った事があるが、あの時は志々雄は攻めに出ず守りから勝利への糸口を掴んだ。つまり攻めの状態で雅孝と同クラスの速度というのは今までもって存在していなかったのだ。
 だが雅孝の一言に、恭也は戦慄を覚えた。
 今、彼は初めてと言ったのだ。
 つまり――。
(こいつは常に神速の世界で動ける?)
 それは歩法を奥義としている御神流の上をいく存在と言う事。
 神速の世界で完全に恭也が振られる動きをしていた事を考えれば間違いないだろう。
 そんな彼を他所に、雅孝は懐から懐中時計を取り出すと針が示す時間を見て大きくため息をついた。
「まいったなぁ。こんなに時間かかっちゃったら、志々雄さんが先に見つけてしまうじゃないですか」
 時計を戻しながら、小さく子供のように唸ってからその無邪気な笑顔を更に満面なものへと変えた。
「まぁ、そう言う事なので、そろそろやられちゃってください」
「!」
 声はさっきと同じく背後から聞こえた。
 今度は油断はない。
 完全な戦闘思考のままで、高町恭也は瀬田雅孝を視界から見失ったのだ。
 これまでの経験が筋肉の繊維が切れるのも構わずに、無理な体勢から強引に小太刀を背中に回す。瞬間、痛烈な斬撃が背中に走った。
 前方に蹈鞴を踏みながら、意識が強制的に二度目の神速領域に移行した。
 重苦しいゼリーの中を泳ぐような感覚が手足に纏わり着く。鈍くなった足を必死に回転させ、何とか雅孝を正面に入れようと体を振り向かせた。
 そこで恭也は何度目かの驚愕を目にした。
 限りなく重い神速の世界。
 その中で雅孝は通常の速度で移動していた。それは間違いなく彼の歩法が御神流を超えている証に他ならなかった。
 驚きにより解けそうになる神速を精神力で維持し、重苦しい腕を振り上げる。
 雅孝の視線が、そこでまた動いた。袈裟斬りに動いた小太刀を自分の刀の峰であっさりと受け取ると、そのまま滑らせて恭也に刃を立てていく。
 通常速度であれば回避できるそれも、神速領域の中では不可能である。ましてや神速を解除してしまえば、間違いなく剣速についていけない。
 どうする――?
 思考が一瞬停止する。
 だが熟考する時間など水滴が地面に落ちる程度のものしかない。
 目まぐるしく展開する思考を他所に、無意識はもう一度頭の中でカチンとスイッチを入れた。
 途端に視界の灰濃度が増す。
 重かったゼリーは粘度を増し、泥水に頭から漬かったような重量感を感じる世界へと足を踏み込んだ。
 思わず口から鈍重な苦痛を含んだ息が漏れる。
 だが動きを止める訳にはいかない。
 治った膝が当然の如く古傷を疼かせる。
 それを意識的に排除し、恭也は笑みが消えない雅孝に向けて残った小太刀を振るう。
 だが……。
 それは当たり前のように反応した。
 一つの神速の領域で通常の速度で稼動できたのだ。重ね掛けでようやく神速一回分と同じ遅さになるのだ。
 先程とは遅いが、しっかりと反応した雅孝の刀が、恭也ではなく振るわれた二つ目の小太刀の迎撃に向かう。一刀しかない彼には二刀の恭也から斬撃を防ぐには護りの回転速度を上げざるを得ない。
 またも重圧から開放された小太刀を、雅孝ではなく彼の刀に向ける。

 御神流!

 一刀が刃を牽制し、残る一刀が峰から挟む形になる。

 虎乱!

 小太刀二刀からなる連撃。
 相手が自分を上回っているのならば、相手の別の部分を弱体化させる事により闘いを有利に運ぶ。
 生き残るための戦闘術を身にしていた恭也が導き出した回答に合わせて小太刀が交差する。
 雅孝の無邪気すぎる笑みさえなければ――。
 二重掛けの神速の領域で、雅孝の姿が完全に消えた。
 瞬間、恭也の体は神速の世界から解放され、遅延していた時間軸が急激に正常なものへと切り替わる。その感覚についていけず恭也は己の背中が森の大木に激突した事で、全てを修正できた。
「がは、ゴホ……」
 だが衝撃は表面だけではなく内面にまでダメージを貫通させ、真っ赤な血液を吐血させた。
「あれ? おかしいなぁ。今の一撃で心臓を打ち抜いたと思ったんだけど……。ま、いいか」
 そんな恭也を不思議そうに眺めて、雅孝は思考に勝手な自己完結を付けた。
「い、今のは……」
「あ、まだ意識あったんですね。でもそんな状態じゃもう立てませんよね? それにその小太刀じゃ立てても僕を止められませんから」
 まだ回り続けている意識が、言葉に反応し手元で握っている小太刀を見た。

 ――そして言葉を失った。
 ――握られた柄は何時も通り。
 ――違うとするならその刀身。
 
 今は亡き父・士郎から譲り受けた八景。
 その刃が途中から完全に断たれていた。
「ね? 無理でしょう? それじゃ僕はお先に……」
 絶句している恭也をおいて、自分の日本刀をしまおうとしていた雅孝も、そこで一度動きを止めると切っ先を真上に向けて刀を持った。
 その動きに反応し、恭也も視線を動かす。
 そこには刃と峰の一部が修復不可能と思われる程に抉られた日本刀があった。
「あちゃあ。僕も戦闘不能ですか。折角志々雄さんに小竜景光を取ってきてもらったのに。仕方ないですね」
 もう悪い事をしてしかられる事が確定した子供のように小さく溜息をつくと、そのまま鞘にしまう。
 それから数瞬して、また笑顔で未だに立ち上がれない恭也を見る。
「それじゃ今回は引き分けですね。うん。でもここまでされちゃうと、僕だってむ〜ってなっちゃいますし、決着はつけましょう。もう少ししたら面白いゲームも始まりますので」
「ゲームだと?」
「あはは。待ってればわかります。それじゃ行きますね」
 それ以上答えもせず、ましてや神速を使った訳でもなく、森の中に恭也だけが何時の間にか残されていた。



おおー。今回の戦闘はスピード勝負!
美姫 「神速と縮地ね」
どうやら、勝敗は縮地に上がったみたいだな。
美姫 「あの口ぶりからするに、再び恭也と戦う可能性は大きいわね」
ああ。果たして、恭也は宿地にどう対抗するのか!?
美姫 「次回も非常に楽しみ♪」
次回を待ってます。
美姫 「それじゃ〜ね〜」



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