『とらいあんぐるハート〜無想剣客浪漫譚』




XCV 横島零

 夕暮れを越えた町並みは、少しずつ群青色に色彩を変化させ、太陽の代わりに空に姿を見せた月に呼応するようにネオンという地上の星が輝きだす。
 しかしそんな星すら眩んでしまう光も届かぬ深い森の奥から、苦痛に喘ぐ男の声が木霊した。
「ぐぅ……。く……そ……。いい加減に……でて……うぅぅ!」
 元々突き出している角が、また一段と伸びていく。新しく裂けた皮膚が、新鮮な血液をぼたぼたと大地に溢していく。
 鮮血は顔のラインを伝ってまるで血の涙を流しているように見える。
 首筋を通って滲んだ衣服は次第に侵食され、元々の色合いと混ざり合い、ドス黒く変色していく。
 零の足がふらりと崩れ、重力に惹かれるままに肩を太い幹の木にぶつけた。そのまま体は止まらず日中の太陽の温度を吸収した地面に半ば倒れ込むように座りこんだ。
 呼吸は痛みと内部から湧き上がる久遠を獲物と定めた黒き衝動が、心だけではなく最後に残っていた理性さえも奪い取ろうとしていた。
「おや? まだ意識が残っていたのかい? 随分と下等生物の癖にしつこいね」
 唐突に、闇を裂いて激しい激痛のためにむせ返るも、零はきっと怒りを露にした視線を声の主に叩き付けた。
「くっくっく。まだそこまでの元気も残ってるか。さすが世界最高のゴーストスイーパーの餓鬼だけある」
 人間全てを見下す冷たい視線を投げつけて、彼――はすうと瞳を細めた。
「き……さま……」
「我の大事なチューブラーベルの亜種。このような事に使うとは、な」
 そこに二人目の人物が姿を見せた。
 足元まである長いローブを羽織った石鶴幸嗣は眉をすぼめて、非難するように、それでいて零から目をそらすように遊へと顔を向けた。
「僕に言われても困るね。これは兆冶の発案なんだ」
「それにしても、これは酷すぎるのではないか?」
「僕に意見する気かい?」
 痛みに耐え切れず、蹲る零を置いたまま二人の強者は殺気立つ。
「待て」
 そこへ三人目が足音すらなく、木々の隙間を縫って二人の間に降り立った。
「ライラック」
「アノー殿」
「今必要なのは志々雄が承認した六魔陣完成のために必要となる六つの鍵を手に入れる事。九尾の尾獣は手に入れた。次は世界最大の妖怪なのだ」
 イギリスでさくらと葉弓の二人を相手に時間稼ぎを行えた、あの銃を持つ男、ライラック=アノーは、嗜めるように二人の同士の合間で視線を動かした。
 それには遊ですらバツが悪そうに顔を背けた。
「申し訳ない。アノー殿。そうであったな。今は目的成就が一番だった」
「他の面子はただの屑だけど、君と志々雄の頼みは聞く事にしているからね。素直になっておこう」
 互いに大きな溜息をつくも、それ以上遊と石鶴は言葉をぶつける事はなく、ただ一心にとうとう地面に倒れた零を冷淡に見つめていた。

「チューブラーベル?」
「ええ。別名霊体の癌と言われています」
 チューブラーベル。
 元々は妖気のない最弱の卵形の妖怪である。
 しかし一旦霊力の強い生命体に取り付くと、相手の霊気を触媒に成長を続け、最後には霊力と共に生命力すら吸い尽くして、憑いた生命体を殺して実体化する妖怪だ。
「正確には悪魔の一種なんですが、ただどうも突然変異というか、本来のタイプではないものでして」
「ふむ。通常悪魔や妖怪は変化を好まない。それなのに、亜種とも言うべき妖怪に憑かれた……か」
 那美と一度だけ視線を合わせ、薫は大きく息をつきながら腕を組んだ。
 あの後、自分の意見が通らずに何処かへ行ってしまったひのめをおいて、残りの面子は神社の社屋の中でおキヌとシロから事情を伺っていた。
 元々退魔に精通していない剣心達にはちんぷんかんぷんで合ったが、僅か一分にも満たない会話の中で、少なくとも普通では考えられない出来事が起きているのだけは理解できた。
「しかも、でござる」
 薄着で服の隙間から下着が覗いているのも気に留めず、話の切れを待ってシロが後頭部を掻きながら口を挟んできた。
 声の方向に無意識に顔を向けて、思わずちらりと覗いたブラジャーの紐に目線が吸いつけられてしまった健全な男子高校生である剣心に、むっとしたた表情に変わった美由希が手の甲を抓り、無表情だけに怖い巴が静かに袖を引いた。
「イテ!」
「どうした?」
「い、いえ、何でもないっす」
「そうか? 美由希も那美さんと久遠が狙われて怒ってるのはわかるが、少し相手の事情も察知しろ」
「え! あ、う、うん。そうじゃないんだけど……」
 ムっとした顔が別の意味に取られてしまい、恭也から謂れのないお説教をもらって肩身を小さくしてしまった美由希であった。
「緋村のエッチ」
「小声で言うな」
 もちろん、剣心の表情の変化に気付いていたもう一人の女性。ようやく目が覚めた夕凪が後ろからわざと耳元で囁く様にからかうのに、がっくりと自分の情けなさに肩を落とした。
 そんな関係のないやり取りに気付く様子もなく、シロは話を続けた。
「みんな思ったでござろうが、零の奴、妙な技を使ったであろう?」
「ええ。緋村さんと恭也さんと美由希さんが見えない壁みたいなものに阻まれて……」
「あれは文殊でござる」
「文殊?」
「霊力を凝縮し、珠にする。そこに念を込めると込められた念が現象として具現化させる能力」
「んな、反則な……」
 げんなりとしてしまう能力に、つい本音が零れてしまう剣心におキヌが追い討ちをかけた。
「彼は元々のキャパシティがご両親の影響で強く、通常状態でもランクにも寄りますが神、魔神クラスの攻撃も数十秒防ぐ事ができます。そこにチューブラーベルの妖力を合わさると……」
「なるほど。それであれだけの強固な壁ですか」
 恭也の答えに、ゴーストスイーパー二人は瞳を閉じて重々しく頷いた。
「でも、今までの話を総合すると、チューブラーベルを外せず、しかも文殊によって守られているのであれば、どのように助ける予定ですか?」
 尤もな質問が再度薫から問いかけられた。
 チューブラーベルは一度取り憑くと滅多な事では離れない。しかも話によると亜種である可能性が高いため、通常の除霊術では困難と言える。普通の怨霊やタタリを除霊するだけでも並大抵の消耗では行えないのを理解している彼女と那美は交互におキヌとシロの顔を見つめた。
「はい。方法はあります。これを使えば……」
 そう言って差し出されたのは少し持ち手が歪に広がっている横吹きの笛であった。
「これは?」
「私はネクロマンサーです」
「え? ふぇ〜。私初めて会った〜」
「ネクロマンサーってゲームやらマンガだと、悪者でよく出てくるけど……?」
「緋村君、もうちっと勉強しようね〜」
「先生、海鳴に来るまで一般的な日常しか歩んでなかった自分に、それを求められても困ります」
 両手を腰に当てて子供を軽く説教する感じで見下す美姫に、さっきから色々とバツの悪いところを目撃され続けた剣心は、半分涙ぐみつつ反論だけしておいた。
「ネクロマンサーとは霊を操る特性を持つ退魔師の事で、このネクロマンサーの笛で心を通わせて退魔する人の事を言います」
「と、いう事は、その笛でチューブラーベルを?」
「ええ。寄生する特性は変わってないのですが、相手を自在に操るため、常に霊体は憑いた生命体へとむき出しのままになってます。そこを笛の音で引き剥がす事さえできれば」「零を元に戻す事ができるでござる」
 長かった説明が終わり、おキヌは那美の用意してくれたお茶を一口だけ口にした。
「一つ、質問いいですか?」
 そんな動作を少しだけ見つめてから、那美が姿勢を崩さず、それでいて今まで以上に引き締まった表情を向けた。
「どうぞ」
「何故、久遠が狙われているんですか? 彼……零君は日本最大の妖力を持つ妖狐と言いました。それと六つの鍵とも。一体なんなんですか?」
 悲鳴を上げてしまったが、そんな状況下だからこそはっきりと覚えている言葉。

『六つの鍵の一つ! 日本最大の妖気を持つ変異した妖狐! その力貰い受けるっていう用がぁ!』

 それが何を指し示しているのか、那美には一つとしてわからない。
 唯一、彼女を含めて友人達がわかっているのは、狙われたのは大事な家族という事だけなのだ。
 そしてわかっているからこそ、シロもおキヌも沈痛な面持ちで首を横に振った。
「全くわからないんです。何時憑かれたのか、何を目的にしているのか。でも、わかっているのは彼は両親を結界に閉じ込め、ここに来た。何かあるのは明確です」
 最初に悲鳴を聞いたのは、シロだった。
 彼女はタマモと一緒に美神除霊事務所に世話になっており、悲鳴の時間にも何時も通りに自分のベットに横になっていた。
 唐突に空気を切り裂いた悲鳴は、夢の世界にいたシロを一瞬で叩き起こした。
 何事かと階段を半分以上飛び越して悲鳴のあったと思われる部屋に飛び込んだ時、そこには壁に開いた巨大な穴と、闇に紛れて浮かび上がった角の映えた恩人達の息子であり、弟とも言える大切な存在……。
 すぐに穴から姿を消してしまったが、後に残った匂いから、零とタマモがその場にいたのはわかった。
 シロはすぐに事務所の主である横島夫妻に連絡をつけようとしたが連絡がとれず、仕方なく美神ひのめと彼女の師匠をして、今は北海道で事務所を設けているおキヌに連絡をとったのだ。
「後日、先生の家に行くと、そこには文殊を多重がけして全てのエネルギーを遮った結界が張られていて、中の様子もわからない状態で……」
「そういう訳で、彼の目的や行動の理由は何もわかっていません」
「そう……ですか……」
 薫は那美の肩に軽く手を乗せると、一度だけ後ろに控えている全員の顔を眺めた。
 もちろん、全員が頷いた。
「ではウチ達が全員で手を貸します」
「え?」
「し、しかし、これは拙者達のミスでござる。これ以上ご迷惑をかけるのは」
「気にしないでください。私達、こういうのに慣れてますから」
 シロが身を乗り出したのを遮ったのは、笑顔でウインクした美由希だった。続いて夕凪も準備運動をし始める。
「あの……」
「事情を聞いたから全てお任せする。そんな無責任な人はここにはいません」
 練習刀から持参していた八影を腰に差した恭也が、おキヌに優しい微笑を見せた。
「かったるいなぁ……」
「じゃ、一人だけ帰る?」
「先生じゃないし、それはできないっすよぉぉぉぉぉ!」
「ああ、そっかそっか〜。そういう目で見てたんだ〜」
 それでも言動から手伝うつもりがみて取れる二人も視線が戦闘モードに切り替わっていた。
 そこから伝わってくるものは、おキヌやシロが何を言っても変えない、二人の友人であり文字通り人生を変えてくれた女性の眼差しを思い出した。
 ああ、あの人達もこうなったら自分の心を変えなかったなぁ。
 初めて出会ってからの十数年の間に体験した出来事を思い出しながら、おキヌとシロは顔を見合わせて小さく苦笑した。
「氷室キヌ、ゴーストスイーパーとして神咲薫様に正式に助っ人を依頼いたします」
 両手に一つずつ三角形を作り出すようにゆっくりと優雅に頭を下げたおキヌの申し出に、薫と那美もまた正式に依頼を受理したのだった。
「……お茶の準備をして待ってますね」
 巴の一言に、全員がそれぞれにガッツポーズを示した。


「あ〜……」
「どうしたの、シロちゃん?」
「いえ、先生と美神さんがいないとこんなにスムーズに話が進むんだなぁと思って」
「それは言っちゃダメ……」
「あ、泣きながら……」



いよいよ本格的に動き始めたのかな。
美姫 「とりあえず、何かをしようとしているのは確かね」
一体、六魔陣とは何なのか。
そして、あの二人がいないとすんなり進む話。
美姫 「これは主に、夫が他の女性に手を出さないからね」
お金の話も絡まないしな。
いやー、次回はどんなお話が待っているのだろうか。
美姫 「次回も非常に待ち遠しいわね」
うんうん。
美姫 「それじゃあ、次回を待ってます」
ではでは。



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