『とらいあんぐるハート〜無想剣客浪漫譚』
XCU 蠢く思い
「さ、お茶も人数分入ったし、久遠、みんなのところに行こうね」
姉の薫が神社裏に向かってから、少しも立たない内に、那美も掃除の手を休めてお茶の時間を楽しむべくお盆の上に高町兄妹、緋村剣心、相楽夕凪、紅美姫、雪代巴、それに神咲姉妹に久遠の分の冷たい麦茶を乗せ、子供の姿に変身した久遠は頭を土台にしてお菓子を乗せたお盆を器用に持った。
少しふらつきながらも前をうれしそうに歩いている久遠を母親の眼差しで見つめて、那美も歩を進めようとして……。
「!」
不意に流れた異様な霊気に足を止めた。
「なみ」
久遠もまた彼女と同じ霊気を感じ取り、お菓子を神社の床に置くと小走りに駆け寄ってくる。
その表情は不安でいっぱいと心情を全て物語っている。
那美も同じくお盆を置くと、久遠の小さな背中を抱きながら、精神を集中させた。
(この霊気は何処から?)
細い糸のようでいて、蜘蛛の糸の如く絡みついてくる。ただ立っているだけで足に根が生えたような錯覚を覚えてしまう。
しかも次第に体を侵食してくる感覚も末端から感じ始め、何故か息苦しさを実感し始めた時、神社の入り口となる鳥居の下に一人の青年が立っている事に気付いた。
真っ黒な髪を白いバンダナで留め、すでに夏という時期にも関わらず灰色の薄手のコートを着た彼は那美の知り合いで言えば赤星より少し身長が高く見える。
整った顔立ちは何処か中性的で、モデルとして雑誌に出ていてもおかしくない容姿を持っている。
ただ一点を除けば、女性の視線を一身に集める事さえ可能に思える。
「なみ……」
そんな彼のたった一つの欠点に、久遠は恐怖を滲ませて名前を呼んだ。
「それは妖狐……か? しかもこの妖気は、ザカラのものも含んでいるな」
青年は値踏みするように久遠を見つめると、ただ一つの欠点に歓喜を表現させた。
「な、何か御用ですか?」
「御用?」
喉が気付かぬうちに渇ききり、上手く発音できない状態でありながら那美はようやく一言を舌に乗せる事に成功した。
青年は通常であればすぐに相手の異常に気付いてもおかしくない、半分以上擦れて潰れてしまった彼女の声に、気だるそうに目だけを動かした。
「ああ。用ならあるさ」
それでも律儀に返答しつつ、青年はポケットから十五センチ程の長さの棒を取り出した。「六つの鍵の一つ! 日本最大の妖気を持つ変異した妖狐! その力貰い受けるっていう用がぁ!」
叫ぶと同時に彼は走り出した。
ただ一つの欠点である額に内部から生え、裂けた皮膚と肉が未だに紅い血液を吐き出しながら薄い筋肉を痙攣させ、表面に緑色の吹出物のような瘤をいくつも貼り付けた深緑色の角を震わせながら!
キィイン!
軽い金属音と共に、青年が手にしていた棒が五倍ほどの長さに伸びる。
「神通棍?」
ならば彼は――!
だが思考に耽っている時間などなかった。
気付いた時には、彼はすでに神通棍を振り被っていた。
「きゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」
喉の粘膜が限界である証拠に僅かに裂けながら、那美は空気を劈く悲鳴を発した。
しかし、この状態で尤も先に行動に出ていたのは本来は守られるべき一匹の子狐であった。
「なみを……イジメちゃ……だめ……」
神通棍が命中する直前に、青年の目の前に青白く発光した雷球を出現させる。
青年は僅か数ミリという単位で、目の前に現れた雷球を、反射神経と首の捻りだけで避けると、続けざまに久遠が生み出した雷球にステップを踏みながら後退した。
しかし久遠も那美に悲鳴を上げさせた人物を許すはずもなく、すぐに追撃を加えていく。 不意ではなく間合いを取り、そして弾道を見極めた青年は雷球の純粋な力に押されつつも、神通棍を巧みに使って軌道を反らせていく。
着弾した箇所が高エネルギーの直撃により融解していく中で、神通棍と雷球のぶつかり合う音だけが辺りに響く。
だがさすがに二十を超えた時点で、青年に無理がかかってきたのか神通棍だけでは捌き切れなくなってきた。その様子に久遠が一気に押し切るべく更に数を増やした。
「くぅ!」
久遠が高く鳴いた。
瞬間、百を越える雷球が大気にプラズマ現象を浮き彫りにしながら二人の周囲を飛び交う。
「ちょ! 久遠、これはやりす……」
「くうぅぅぅぅん!」
那美の停止は、後一歩で届かなかった。
高らかに宣言するかのごとく一鳴きに、雷球が一斉に青年へと突進をかける。
さすがの彼もこの状況に目を見開いたが、一瞬で視界が白く染まった。
神社裏から全員が駆けつけたのは着弾と同時だった。
文字通り大地を揺るがし、八束神社の立っている山自体を崩れさせかねない揺れが怒ったかと思うと、上空に浮いていた雲を蒸発させる高分子高電圧の渦を天高く巻き上げた。「那美!」
「あ、薫ちゃん! 久遠が……!」
あまりに唐突に起きた出来事に呆然としてしまっていた那美に、姉が仕事の時と同じく瞳を引き締めて、練習刀に霊気を帯びさせて駆け寄った。
「久遠がどうした?」
「いきなり角の生えた男の人が来て、神通棍で私を襲ってきて、久遠が雷だして」
それでも流石に神咲の末妹。
表情ほど慌てている様子はなく、順を追って薫と、更に後ろからやって来た友人達に状況を説明した。
「でもあれじゃ……」
久遠の全力ではないにしろ、間違いなく今この場にいる誰よりも力のある久遠の一撃を喰らって生きている人間など、存在がする筈がない。
少なくとも美由希と巴は同じ考えを同時に浮かべた。
だがそれ以外のメンバーは、雷の光の柱の中心部に未だに残る気配と、膨れ上がる殺気を感じ取った。
そして光の柱が消え去った時、そこには――。
「う、うそ……」
「久遠の一撃をまともに当たったのに……」
そこには、無傷の青年が神通棍を片手に立っていた。
「神通棍か。彼はゴーストスイーパーか」
ぽつりと呟いたのは美姫であった。
「ゴーストスイーパー?」
聞き慣れない言葉に、薫と那美以外の全員が彼女に注目する。
「現在、退魔の世界って、色々な流派があるんだけど、その全てが危険物の範疇にある武器を持つのよ。で、退魔用に武器の携帯を許可する世界統一規格が発案されてるわ。それがゴーストスイーパー」
「全員がゴーストスイーパー用の免許を持ち、持っている人間だけが退魔に国家資格として携われるんだ」
美姫の後を次ぐ形で薫が説明を加えた。
「みんな来るぞ!」
「くそ!」
だが何時までも時間を与える筈もない。
青年はまだ沸騰状態の地面を飛ぶようにして跨ぐと、奇声に近い雄叫びをあげながら神通棍を薙いできた。
恭也の合図で全員が戦闘モードへと集中が切り替わる。
中でも神通棍の一撃を受け止めたのはまだ抜き身の逆刃刀を手にしたままだった剣心だった。
「くぅ……うわぁ!」
神通棍と逆刃刀が火花を散らした。
しかしそれは一瞬の出来事で、力を入れてベクトルを変化させようとした剣心ごと吹き飛ばした。
「緋村君!」
「この!」
珍しく大声を出して剣心の軌道に体を投げ出した巴を見て、美由希が一刀のみ抜刀した。
御神流・奥義之伍・花菱!
本来は二刀による連撃技を一刀と手首の返しのみで斬り付ける。
神通棍は剣心を飛ばしたためにまだ戻っていない。
間違いなく素手である左手側には受け止める術はなかった――のに。
「え!」
それは唐突にその場に出現した。
青年の左手を覆う黄色に光る霊気の塊。
そしてそれが西洋刀の形に伸びていた。
「霊剣?」
美由希の斬撃を受け止めた霊剣は、大きく風船のように膨れると小太刀とともに美由希を数メートル弾いた。
霊力をそのまま武器状に加工して利用する霊剣。純粋な物理攻撃力では絶対に砕けない武器を前に、薫と恭也が連携を取りながら動き出した。
まず先に出たのは恭也だ。
途中で細かくスロー&ファーストによる動きの撹乱を交えながらも、青年の間合いまで一息で到達すると、鞘の小口を踏み台に小太刀を同時に抜刀した。
御神流・奥義之弐・虎切!
連撃と呼ぶには短い間隔で、剣閃が走る。
しかし霊剣によってあっさりと防がれる。
「?」
その感触に、青年は僅かに眉を顰めた。
「霊剣にまで感覚を延長させられるのは見事だが、それを使う方法が間違った時点でおまえは御終いだ」
声は青年の背後から聞こえた。
たった一撃を防ぐために埃程度の意識を向けただけなのに、薫は完全に死角に回っていた。さすがに青年も眼を限界まで広げた。
神咲一灯流・楓陣刃!
十六夜ではなく練習刀では威力は通常の半分以下だが、それでも完全に隙と死角をついた薫の楓陣刃は霊剣が装着されていない生身の部分へと疾走する。
だが――!
「何!」
楓陣刃は青年に命中する直前で、一度だけ火花を弾けさせたかと思うと、次の瞬間には大気に霧散していた。
さすがにこれには薫も一番の驚愕を示した。
「うぉぉぉぉぉぉぉ!」
青年が吼えた。
戻し終えた神通棍と、地面の土砂を霊剣の霊気と地脈の反発で巻き上げて恭也を一歩引かせた霊剣が、体の捻りを加えて上下から襲い掛かる。
「ダメぇ!」
その時突然青年の腰に那美がしがみついた。
完全にノーマークだった彼女の特攻に、こちらも驚きを隠せない。しかしおかげで神通棍と霊剣の連撃は薫の胸を掠めて、サラシを引きちぎるに留まった。それでも背中から固い石畳の落ちた薫は肺の空気を全て吐き出して咽返った。
「くっ……放せ! 尾獣、そして日本最大の妖狐から力を取れば俺は……」
「ダメダメ! 久遠も、薫ちゃんも傷つけたらダメ!」
微妙に話がかみ合っていないが、互いに必死になって気付いていない。その様子を眺めて、美姫が珍しく小さく溜息をついた。
「仕方ない。私がとめよ……ん? どうやら大丈夫っぽいわ。なら見物決定ね」
「いや、お願いですから止めてくださいよ」
「あら? 剣心。巴とくっつけて役得ね」
「そんな場合じゃないでしょう!」
普段はツッコミ役になる夕凪がまだ目を回しているために、必然的に損な役をやってしまった剣心は、それ以上のツッコミをせずに、再度逆刃刀を握り直した。
「雪代さん、大丈夫?」
「え、ええ……。少し背中を打っただけです」
痛みが酷いのか、脂汗を浮かべている巴の状態に少しだけ思考が揺らいだが、小太刀を支えに起き上がった美由希と刹那の間だけ視線が交わった。
御神流・奥義之参・射抜!
飛天御剣流・九頭龍閃!
それだけで二人の間には十分だった。
今はあの青年を止める事が重要であり、口では何と言っていようとも美姫は教師だ。
巴を預けるようにして体を開くと、御神と飛天の突撃技が彼を中心に十字に交差するように突撃した。
だがここでまたしても楓陣刃を弾いた謎の壁が空気に波紋を浮かばせて防ぐ。
「これでもダメかぁ!」
「このぉぉぉぉぉ!」
「お前達は邪魔だァァァァァァァァァ!」
青年の雄叫びに同調し、壁が幅を広げていく。
両足を踏ん張り壁を打ち崩そうとするが、通常の物理的な壁ではないものに、二人の技は徐々に威力を失っていく。
御神流・奥義之陸・薙旋!
そこに三番目の技が壁に負荷をかけた。
みしりと軋む音が聞こえた。
見えない壁は背中から技を放った恭也を含めて、三方向からの攻撃にようやく底を見せ始めた。
もう少し!
三人の中に同じ思いが浮かぶ。
だが薫はまだ起き上がれず、夕凪は目を回している。那美は壁の中で青年の動きを限定し、美姫は何故か動こうとしない。
恭也の加勢で小さくなった壁が、また大きく膨らみ始める。
「先生……助けないと……」
「ん? 大丈夫。もう……ほら来た」
神社の境内に傷みを堪えながらも腰を下ろす事に成功した巴に、美姫はすっと鳥居の向こう側を指差して含んだ笑みを浮かべた。
「見つけたでござるよ! 零!」
壁を打ち壊す四撃目は、上空から舞い降りた。
白い腰までのストレートヘアに、左足の生地がないジーンズと白のタンクトップ姿の女性が青年と同じ霊剣を両手に具現化させながら、壁の頂上部へと斬り付けた。
「し、シロさ……!」
「零!」
続けざまに、何処からともなく笛の音が聞こえた。
優しく慈愛に満ちているのに何処か物悲しい笛の音。
青年にしがみ付きながら、しっかりと耳にした那美は一滴の涙を頬に伝わせた。
「ぐぅぅ!」
しかし、無意識に涙が流れてしまう笛の音に、青年は苦しげに呻き声を発する。そこに三つ目の影が炎と共に躍り出た。
「いい加減にしないと、お姉ちゃんに折檻よ!」
ピンク色のショートカットに一昔前のボディラインが映える体にぴったりとしたワンピース型のミニスカートを身につけた女性が、シロの後ろから姿を見せた。
「ひのめ……姉ちゃん……!」
火種も何もない大気中に火の玉を生み出すと、ひのめは久遠の雷球のように揺らいだ壁にトドメを刺す!
風船が弾けるような軽い破裂音と同時に、四人を受け止めていた手ごたえが消失する。「くそ!」
止まらない笛の音と、消えてしまった壁に青年は大きく悪態をつくと那美の下腹部に力任せに蹴りを放つ。
「キャウ!」
「那美!」
強引に引き剥がされた那美の下へ、薫が駆け寄る。つられて剣心や恭也達も僅かだけ視線が動いた
その間に、青年は懐から小さな珠を取り出すと、地面に叩き付けた。
「しまっ……!」
「零!」
まるで太陽が新しく生まれたような閃光。
そして閃光が消えるまでは刹那の合間。しかし青年にはそれだけで十分であった。
消えた時、そこに彼の姿はなかった。
「あ〜! また逃げられた!」
「このままではタマモに恩を売れんでござるな」
ひのめとシロは大きく溜息をついた。
「シロちゃん、ひのめちゃん!」
「あ、おキヌ殿」
笛を手に持つ、三人目の女性、那美と薫と同じ巫女服を来た、毛先を和紙のリボンで纏めたおキヌが姿を見せたのに合わせ、すっと薫が那美の傍で立ち上がった。
「……そちらも色々と事情がありそうじゃが、ここまで訳もわからない状態で巻き込まれていて、そのまま立ち去る事はしないだろう?」
大切な妹が痛めつけられた現場を目の当たりにしたせいか、普段でも強い瞳の光が更に強固なものへと変貌している。
みると周りでも、平静ではあるが説明を求めている視線を投げかけている恭也、口にはしないものの詰め寄る寸前である美由希、大きく溜息をついている剣心もまたちらりと背中を摩っている巴に心配そうな顔で見ている。
「そ、それに……」
「那美、まだじっとしていた方が……」
「ううん。大丈夫」
起き上がるために力を入れた膝が崩れ、姉が妹に肩を貸した。
しかし妹は笑顔で平気だとアピールすると、大切な友達が現れてぺたんと腰を落としてしまった久遠を手招きした。
人見知りの激しい久遠で、知らない女性達の前にでるのに一瞬躊躇するが、すぐに那美の後ろに隠れるようにして寄ってきた。
そんな愛しい存在のふんわりと草の香がする髪を優しく撫でてから、那美は一番近くいるおキヌを見つめた。
「私の大事な人達がこんな目に会いました。せめて理由だけでも教えてもらえませんか?」
「そうだけど、これはこっちの問題で……」
「わかりました」
「おキヌちゃん?」
「ひのめちゃん、確かにこれは私達の問題だけど、止められなかった責任はあるわ。わかりました。説明します」
まだ文句のありそうなひのめを嗜めて、おキヌは全員に向けてゆっくりと頭を下げた。
「私はゴーストスイーパー・氷室キヌ。そしてこちらは美神ひのめとこちらが人狼の犬飼シロ。そしてさっきのはひのめの甥に当たる横島零。私達は彼にとり憑いた妖怪を倒すためにやってきました」
零にとり憑いている妖怪とは…。
美姫 「一体、どんな事件が起こっているのかしら」
いやはや、目が離せません。
美姫 「次回以降の展開も非常に気になるわね」
うんうん。次回も楽しみに待ってます。
美姫 「待ってますね〜」